『世界の中心で、愛をさけぶ』で、いまわのきわのアキが「ここからいなくなっても、いつもいっしょにいるから」と言う。このときアキは朔であり、朔はアキである。アキのなかにはふた・・・【続きを読む】
1親鸞の「りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」(『唯信抄文意』)という言葉はとても好きです。前回のブログで親鸞の・・・【続きを読む】
1親鸞の遺した言葉のなかに共同幻想のない世界がありありと記されている。親鸞のこの境位は読み解かれていない。内包論からそこを解義する。7年前に「根づくこと」という文・・・【続きを読む】
http://mewbo.jp/song/tmpvideo/bob-dylan-changing-of-the-guards/BWAlcb-OZTw 1アキと朔の最後の話にしつこくこだわります。 なんども取りあげてきた谷川俊太郎の好きな詩がある・・・【続きを読む】
1『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一)についてまだ書き足りない気持ちがあるので少し追補する。なぜアキは最期の瞬間、朔に会わなかったのだろうか。いまなら言える。・・・【続きを読む】
1グローバリゼーションによって民主主義が国境を越えて猛烈に拡大していると現状を判断しています。民主主義は経済力を基盤とします。強い経済力をもつ勢力が弱い経済力の勢・・・【続きを読む】
前回のブログでもアキと朔の最後の会話について少し触れましたが、なにか大事なことを書き残した気がします。アキが言います。「ここからいなくなっても、いつも一緒にいるから」。・・・・【続きを読む】
1夜、ニール・ヤングを聴いていると、胸が張り裂けそうになることがある。そういうことないですか。 わたしの内包や内包自然に谷川俊太郎はさわっている。「まわらぬ舌で初め・・・【続きを読む】
1親の子であるわたしは家族の一員である。これは自然です。この家族をかりに天然家族と呼んでみる。あるとき未知の他者に惹かれ対をなし、子の親になるのは自然か。血縁から・・・【続きを読む】
1吉本隆明さんの『共同幻想論』をあつかうわたし自身の現状認識、世界認識の方法について語ります。戦後まもなく書かれた吉本さんの「マチウ書試論」と「転向論」と後期の共・・・【続きを読む】
1掟、習俗、默契という共同幻想が禁制の形をとって生まれ、国家という起源をもったところで『共同幻想論』の考察はひとまず終わっています。つづきはマス・イメージ論やハイ・・・【続きを読む】
1歩く浄土29を書いてからふと気づいたことがいくつかあります。吉本さんは『共同幻想論』のつづきをすでに書いていたのです。迂闊でした。過去を踏み台にして『共同幻想論』・・・【続きを読む】