書籍紹介

  • 内包自然と総表現者 (連続討議『歩く浄土』 4) Kindle版¥ 540
    小説家・片山恭一氏と思想家・森崎茂氏との緊急討議シリーズ第2弾『歩く浄土』の第4回「内包自然と総表現者」です。今回のテーマも多岐に渡りますが、本討議のあいだ、森崎氏の住む熊本で大地震が起こりました。そのときの片山氏とのやりとりのメールも収録。この討論では今回の震災に影響を受け、改めて彼らの思想が強固なものにされていきます。
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  • 喩としての内包的な親族 (連続討議「歩く浄土」) Kindle版¥ 540
    小説家・片山恭一氏と思想家・森崎茂氏との緊急討議シリーズ第2弾『歩く浄土』第3回のテーマは「喩としての内包的な親族」。今回は、昨年話題になったSEALDsの活動と民主主義について、また、第2回に続いて片山恭一氏のベストセラー作『世界の中心で、愛をさけぶ』のアキと朔太郎の言葉のやり取りを巡る考察、エミネムやマリリン・マンソン、ゲスの極み乙女……などなど、またもや天地左右に話が飛びつつも、軸足をしっかりと地につけたうえでお二人の討議が展開されています。
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  • 性と精神の古代形象 (連続討議『歩く浄土』) Kindle版¥ 540
    小説家・片山恭一氏と思想家・森崎茂氏との緊急討議シリーズ第2弾『歩く浄土』。好評を博している第1回に続き、第2回「性と精神の古代形象」が完成しました。今回もフォトグラファー小平尚典氏の写真を起用したデザイン。本書では、TPP関連や安保法案の話から少年Aの話など、現在起こっている日本社会の事象についてのお二人の鋭い分析が展開され、ときに片山恭一氏のベストセラー作『世界の中心で、愛をさけぶ』の内容にまで飛び火するなど、討議というには柔らかい内容で、読みやすい一冊です。
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  • 人倫のゆくえ (連続討議『歩く浄土』) Kindle版¥ 540
    小説家・片山恭一氏と思想家・森崎茂氏との緊急討議『ことばの始まる場所』。お二人の討議シリーズの第2弾が登場しました。今回のシリーズ名は『歩く浄土』。デザインも一新!小平尚典氏の写真を大胆に使用したデザインになっています。本書は、その第1回「人倫のゆくえ」。博識なお二人の深いお話からキース・リチャードのロックな話、スティーブ・ジョブズの話まで、討議は多岐に渡ります。
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  • 緊急討議Hot jam『ことばの始まる場所』: 第六回「生きられる死」 Kindle版¥ 250
    2014年12月、安倍政権はみごと解散総選挙で再選され、日本の行き先がますますわからなくなっています。2012年、安倍政権になってからずっと危うい政治的状況を危惧している小説家・片山恭一氏と彼が畏敬する思想家・森崎茂氏とで始めた“緊急討議”も今回で第6回を数え、いよいよ最終回となりました。
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  • 緊急討議Hot jam『ことばの始まる場所』: 第五回「身体の現場論」 Kindle版¥ 250
     小説家・片山恭一氏と思想家・森崎茂氏との緊急討議『ことばの始まる場所』シリーズも終盤に近づき、今回は第5弾『身体の現場論』。
     今回はヨーロッパの旅から帰ってきたばかりの片山氏の土産話から始まり、ヨーロッパの文化論、イスラエル、金融システム、民主主義の在り方など、話題は多岐にわたります。
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  • 緊急討議Hot jam『ことばの始まる場所』: 第四回「ハイパーリアルな生存競争」 Kindle版¥ 250
     小説家・片山恭一氏が、現在の安倍政権下における政治的状況に危機感を覚え、始められた、片山氏が畏敬する思想家・森崎茂氏との緊急討議『ことばの始まる場所』。
     第4弾は「ハーパーリアルな生存競争」。今回も、熊本の温泉宿での討議が続きます。ほんわかとした雰囲気の描写のなかに、たんたんとした現状分析。そして、話は森崎氏と吉本隆明氏が対談したときに遡る。「これからは中流が基盤である」という吉本氏に、「ハイパーリアルな剥き出しの生存競争になる」と応ずる森崎氏。さてその議論の行方は……?
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  • 緊急討議Hot jam『ことばの始まる場所』: 第三回「フラット化する世界で」 Kindle版¥ 250
     小説家・片山恭一氏が、現在の安倍政権下における政治的状況に危機感を覚え、始められた、片山氏が畏敬する思想家・森崎茂氏との緊急討議『ことばの始まる場所』。話は進んで、第3弾「フラット化する世界へ」が上梓されました。
     今回も「内包存在」あるいは「根源の性」という森崎氏のオリジナル思想を核心に置きながら、「異様に時代錯誤な宰相」が推し進める日本社会の劣化を紐解いていきます。
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  • 緊急討議Hot jam『ことばの始まる場所』: 第二回「民主主義を超えて」 Kindle版¥ 250
    2014年、安倍政権になって1年あまり、この間の政治的状況に危機感を覚えた小説家・片山恭一氏が、「あまりにもヒドイじゃないか!」ということで、畏敬する思想家・森崎茂氏と“緊急討議”! 
     第2弾が出来。今回はより哲学的に鋭利に現在の日本社会を切り込んでいます。
    森崎「村上春樹の本を読んで癒されるというか、共感するというのは、そこで思考停止しているからだと思います。」
    片山「この人の狡猾さを世界は認めるのかっていう、絶望に近いまでの不快感です。村上春樹を認める世界を、ぼくは認めない。」
    ……村上春樹論にまで及んだお二人の対談をどうぞご賞味ください。
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  • 緊急討議Hot jam『ことばの始まる場所』: 第一回「日本社会の劣化」 Kindle版¥ 250
    2014年、安倍政権になって1年あまり、この間の政治的状況に危機感を覚えた小説家・片山恭一氏が、「あまりにもヒドイじゃないか!」ということで、畏敬する思想家・森崎茂氏と“緊急討議”! そのときどきの状況に応じて、緊急討議の様子をお伝えする本書、今号から毎月刊行の予定です。日本の現状を憂う、その想いを共有したい方々必読の書。
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  • 内包表現論序説(PDF版)
    『内包表現論序説』は、吉本隆明さんとの対談「対幻想の現在~疎外論の根源へ」(1990年)を挟んだ前後に書かれた内包論の連作で、わたしのはじめての本である。絵描きの桜井孝身さん(1928~2016)との出会いがなかったらこの本はなかった。書けと言ったのも桜井さんだし、出版費用のすべてをまかなってくれた。全共闘という学生の乱暴狼藉からえたものはなにもないが、部落解放運動にふかく関与し、吉本隆明の共同幻想という思想を手に、無援の闘いを持続した。この本で、はじめて内包というリアルを言葉で書こうとしている。吉本さんの対幻想論では生きられないという感受があった。なんとかそのことを言葉にしたかった。対幻想は自己幻想と共同幻想のつなぎ目にあるのではなく、自己幻想も共同幻想も、対の内包像という背後の一閃によぎられた、同一性の意識の事後的なあらわれであり、表現の根源にあるのは、自己表出ではなく内包表出であると『序説』で考えた。『内包表現論序説』は吉本隆明の思想から自立しようとする悪戦苦闘の軌跡としても読むことができる。わたしは表現にまつわる思考の慣性を転倒し、表現の概念を拡張することをめざしてこの本を書いた。わたしの表現の方法はシンプルである。当事者性を手放さず、当事者性が引き寄せるひずみをその根柢でひらこうとした。体験の固有性を普遍性として語ること。その方法は一貫していると思う。生活と思弁を分離する観察する理性の方法はとられていない。考えようとしている対象にまるごと没入し、つかもうとする対象がそのまま言葉になる方法をめざした。内包表現と名づけるほかなかった。そこに観察する理性の入り込む余地はない。わたしの試みを感得した読者はいるだろうか。「自然論」や「起源論」のモチーフはいまなお新鮮で、読み込まれていないと思う。一切手を入れず、サイトにアップした。(森崎・記)
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  • Guan02 内包存在論草稿(PDF版)
    『内包表現論序説』が、大きな影響をうけた吉本隆明さんの思想からの自立の模索であったとすれば、『内包存在論草稿』は内包という独自の概念をつくろうとして悪戦苦闘した記録であると言うこともできる。状況にふれながらいくつかのオリジナルな考えがこのなかで語られている。観察する理性の方法は一切とられていない。対象に没入しながら、対象を言葉と不即不離のものとして取り出そうとした。内面の形式である文学と共同性にかかわる政治は次元が違うといってすむ問題ではない。内面や社会性を生みだす淵源を対象化しようとした試み。ある意識の呼吸法のもとでは、対象と対象を論じる言葉には、あるいは表現と表現主体とのあいだには必然としてすきまが生まれる。このすきまを制度にすれば国家となり、内面化すれば文学や芸術というものになるが、意識の型としては同型である。いつまでたってもこの世のしくみが変わらないのは、結果として、意識の内面化という形式が権力として制度に備給されているからということもある。それは生きていることが、個人であれ、社会の一員であれ、同一性の罠に監禁されているからだ。自己意識の外延表現は同一性の必然として閉じられている。どうすればひらくことができるか。広義の〔性〕が鍵だと思う。わたしは世間の性ではなくこの性を根源の性と名づけた。内包的に存在している性をうまく表現として取りだすことができれば、わたしたちの生はもっと伸びやかになり、市民主義的な理念よりもっと善い生を生きることができると内包論で主張している。この本のまえがきで内包論の世界では三人称が消えてしまうと思わず書いたことに足を掬われ、10年余、思考がフリーズした。根源の性のいちばん深いところにひっそりと還相の性が熱く息づいている。還相の性はだれのなかにも無限小のものとして内挿されているということに気づいてから内包論を歩く浄土として再開した。当時のわたしの錯認から、マルクスも吉本隆明も、どんな思想家もまぬがれていない。それは還相の性は空間化できないということだった。この気づきは人類史を拡張するおおきな潜勢力をもっていると思う。『内包存在論草稿』は「歩く浄土」への過渡としてあるが、根源の性を内在化(時間化)できていないほかは、いまでも充分に考えつくされた思考であり、『内包表現論序説』も『内包存在論草稿』もまだ読み解かれていないと思う。(森崎・記)
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