日々愚案

歩く浄土281:「歩く浄土280」補遺/コロナ禍と親鸞

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ブログの更新が間延びした。だいたい思いついたことは書き、体もくたびれ、少しずつスマホでメモをとり、PCに送る日々のなかで、吉本隆明や白川静が『アフリカ的段階について』と『字統』に取りかかったのが73歳であることを知り、おおそんなことは言ってられない。背筋がぴんと伸びた。そういう次第で「歩く浄土281」を書く。

昨秋の生々しい体験をなんとか言葉にしたく、言葉にせずにはおられなくて、いままでに書いたことのない領域にためらいながら踏み込んだ。それが「歩く浄土280」だった。内包自然の時間に触ったという実感がある。言葉にしたいことはそれだ。なにかをつかみつつある実感があるが、まだうまく言葉ですくいとることができていない。その心残りを「歩く浄土280補遺」として短く書く。

存在が同一性を規矩とし、同一性を暗黙の公理とするとき、非知によって存在の復路を表現することはできる。観念の往路を自然過程として歩むことと、その自然を還相の過程によって語ることもできる。ただ知と非知ができることはそこまでだ。どうやろうと内面と共同性の規矩を超えることはできない。そんなことを考えていた日常に突然伊藤計劃の『ハーモニー』をさらにバイオレンスにしたコロナ・ファシズムが一気に押し寄せ、人類はこの厄災で人間という理念をみずから手放した。人為的なコロナの厄災に思想はなんの役にも立たなかった。これがどういうことか、まるごと取り出し、知でも非知でもない観念をつくるほかに擬態を遂げ変貌しつつある人間という自然を救抜することはできない。この危機にあっても同一性という絶妙な自然は微動もせず律動する。而してこの認識に観念の復路は閉じられることになり、知や非知がなめらかに内包自然につながる途はどこにもないようにみえる。

内包はこの窮屈な認識の自然をひらこうとじりじりとかんがえを進めてきた。存在するとは別の仕方で、あるいは存在の彼方を語ろうと、根深い公準を根底から拡張することはできない。なぜならこの公準があらゆる真理に先行するからだ。この知の囚われのなかにいまも人間と名づけられた生命形態の自然は滞留している。人間は、あるいは人類はただの一度も自同律の律動のしばりをほどいたことがない。もっと深い自然を生きてもいいのではないか。同一性の手前にある自然をひとつの公準とする生のありようを描いてもいいのはないか。それが内包論の誘いである。

他力や自然法爾にはまだ伸びしろがあるとずっと感じてきて、かんがえにかんがえ、ああ、ここだなという感じをつかんだ。その速記録が「歩く浄土280」だった。いままで書いたことがなかった。この補遺もふくめ、書いているうちにだんだん言いたいことの輪郭がはっきりしてくると思う。有情はまるごと煩悩のかたまりだとして、その煩悩がはからいによらず他力によぎられていると親鸞は言う。他力を感得する者たちの気持ちが一挙にかるくなるが、他力と言った瞬間に他力が他力に不意打ちされ奥ゆきが深くなる。そのことを他力のなかの他力、自然法爾がもうひとつの自然法爾を表現すると言った。領域としての他力、領域としての自然法爾。なにを言いたいのか。領域としての他力や領域としての自然法爾を内包自然のなかに組み入れたいとかんがえている。

親鸞もまた解けない主題を解けない方法で解こうとした。そのことを親鸞の未然として書いてきた。宗教を共同幻想だとすると、共同幻想によって共同幻想を否定することができるか。できないと親鸞も考えたはずだ。だから竪超のわずかなすきまを横ざまに跳んだ。横超によって竪超をやぶり、一瞬、宗教を消滅させた。それがわずかに共同性の片鱗をのこしているとしても、その場所が親鸞が最後に到達した非知の世界だった。阿弥陀仏の摂取不捨はひとりの取りこぼしもなく慈悲としてとどくことになる。親鸞の他力はおのずからそうなるという〔ことば〕の濃度をもっている。しかしまだ書き尽くされていない親鸞の未然がある。

<如来のお誓いのかなめは念仏の人をこの上ない仏にさせようとお誓いになったことであります。この上ない仏といいますのは形もおありになりません。形もおありにならないから自然というのであります>(「末燈鈔」)

こうやって衆生の一人ひとりに他力がとどくことになる。外延知としてこれ以上は言えない。そのことばを内包に包越できないか。できるとわたしは考えた。根源の一人称がいくつものこころのひだをかいくぐって他力となるので、なかなかじぶんがじぶんにとどかなくて、意識はしゃくりをあげる。共同幻想で共同幻想を包越することはどうやってもできない。他力があらわれるとき、意識されることはないが、他力という〔ことば〕はもうひとつの〔じねん〕を表現し、この〔じねん〕によってだれにとっても固有な〔じねん〕が生きられることになる。この生はヴェイユの言葉を借りれば「婚礼の部屋」の言葉としてしか表現されることはない。ここには共同性や社会性のかけらもない。

他力に共同性の片鱗が残されているからその痕跡を媒介に他力を覚知した者たちが教団をつくることができた。なにがここで起こっているのか。ほんとうは、心を込めて称名念仏すれば浄土に行けるという第十八願の喩は、南無阿弥陀仏と唱えた瞬間に喃語に転位している。この固有の喃語を共同化することは、もちろん、内面化することもできない。この道理は沙汰するなと親鸞は言っているが、沙汰するとやっかいなことになることを親鸞は識っていた。おおいに沙汰したい。その過程で他力はふくらむことになる。

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自己の自己についての意識は、根源の一人称が共軛的にくびれ、やがて根源の二人称に相転移し、さらに根源の性が身が心を、心が身をかぎる自己同一性という認識に閉包される。根源の一人称や根源の二人称を流れる時間が、自同者に到達するのに一拍の遅れ、シンコペーションが生まれる。是非を論じているのではない。外延知の内包知への非可換性について、絶対に分かつもののない隔たりと絶対につなぐもののない繋がりのことを、できるだけ精確に言おうとしている。閉包され縮減された自同者の意識の襞をどうやれば開包できるか。

わたしたちが知るいかなる世界認識も同一律を下敷きにしているから、あまりに自明である同一者の思考が懐疑されることはない。手足が8本になった根源の一人称の生命形態の自然が、根源の二人称に共軛的にくびれ、根源の性を分有するそれぞれの生の棲処は、わたしたちの知る人類史では、是非を超えて同一律に収斂した。自己を実有の根拠とする外延存在を必定とすることで生をしのいだことになる。そこに良悪はない。しかし存在の本態は存在の複相性を往還することにあるから、認識が自己同一性に到達するには必然的に認識の遷延がある。親鸞にあっても根源の存在の隔たりが、かれにとっては仏陀の慈悲であったが、この分かつことのない隔たりが他力として表現されるとき、親鸞にとって〔仏と共に〕のありようが、自然法爾となり、一拍おくれて親鸞の自己意識に到達することになる。

もしもと空想する。他力のなかにもうひとつの他力があることを、外延知で触知するのは不可能であるが、親鸞が自覚していたなら、聖道門を晩年にいたるまで激しく批判することはなかったのではないか。浄土門の教義を解体して他力を唱えてもどこか意識の片隅に宗教のかけらが残ってしまうことへの自戒として自力廻向の信が批判されたように思う。有縁を度しても他力本願という自力の教団ができる。他力が内包的に表現されてもうひとつの他力が可能なら、有縁を度しても教団ができることはない。わたしはこの意識のありようを親鸞の他力のシンコペーションと呼ぶことにした。

むろん親鸞がこの機微を認識することはなかった。共同幻想としての宗教を共同性の規範から解こうとして、親鸞がなんのはからいもなく一方的に襲来する他力という慈悲を表現したことは時代の制約のなかで途方もないことだった。疫病と飢餓と戦乱と天変地異の過酷な生の日々に浄土を顕現させた。他力を語ると同時にもうひとつの自然(じねん)という他力が表現される。他力の手前が可能でなかったら他力がふくらんで領域になることはない。近代以降この一拍の遷延は生の不全感として自覚され、ニーチェはこのニヒリズムのただなかをよく生きた。

親鸞の、吉本隆明の、ミシェル・フーコーの自己の、自己の意識についてのシンコペーションは自同者の思考に意識されることなく起こるのだろうか。未知の対象を粗視化しようと息をつめるとき、その言葉の気圏はいつも同一律を隠したまま、同一律を自明のこととして、対象が表現されることになる。これが人類史だ。徒労の極みではないか。そしてコロナ禍の3年で西欧近代発祥の人間についての理念は総敗北をした。人間についての理念が一瞬で消滅したということだ。この衝撃のおおきさは計り知れない。公衆衛生の危機を煽り社会を病院化すれば人びとは易々と両手を差しだし縛ってくれと言った。こうやって人類史ではじめての統治のしくみが誕生した。人びとの生は飼育される家畜にすぎない。人権は天賦のものではなく自由の制限を徹底的に受容する者のみに期間限定で供与される。

かつて中上健次は吉本隆明の『共同幻想』の登場によって戦後の文学は息の根を止められたと書いた。いまは公衆衛生の危機を煽れば惑星規模で全体主義が即座に可能となる。馴致しない者らは例外社会へと追いやられ、徹底的に私権は制限される。各国の統治者はこのしくみを骨の髄まで体得した。両手を縛ってくださいと国民のほとんどが自発的に私権の制限を申し出た。唯々諾々と医学という宗教に人間の内面が融解することは人類が経験する初めての歴史だった。それがいま眼前で起こっていることだ。そしてこの人類の擬態が序章にすぎないということ。

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共同幻想を疎外しない人と人の関係は可能か。数十年このことを考えてきた。三人称のない世界は可能か。可能だとするわたしの生存感覚を貫く体験を普遍的に語ろうと、いくつかの概念を造語しながら考えることを持続してきた。とくにこの数年親鸞の他力を領域化できないかと考えに考え、考えつづけてきた。

親鸞の他力を覚知したものが複数(3人以上)いるとして、かれらはどんな関係をもつことになるのだろうかと何年も考え、思いついたことをそのつどブログに書いてきた。他力という共同主観的虚構に捕縛されることになるのではないか。親鸞の思想を俎上にのせ内包論を験してきたわけだ。他力が非-外延的な知であることはたしかで、親鸞もまた非-外延的な仏の言葉で自然法爾を語るほかなかった。量子もつれの非-外延的な記述が先端の量子論であるように。

おなじ問いを喩としての内包的な親族にむけてみる。

内包もまた複相的なものとしてある。第一義の内包と第二義の内包がある。第二義の内包から第一義の内包を追尽することはできない。第一義の内包と第二義の内包は、内包知が外延知にたいして非可換的であるように、おなじように不可逆的な関係としてある。この非可換によって内包親族が可能となり、内包親族と外延知の家族や親族は有縁と有情の関係となってあらわれる。

実詞化されることのない根源の性が還相の性として引き受けられるとき、かりにこの還相の性を第一義の内包と名づけ、そのことが可能だから表現される喩としての内包的親族を第二義の内包と呼んでみる。そのとき第二義の内包親族は互いにどう関係するのか。おわかりでしょうか。問いをこういうふうに発するとき、この問いはいつのまにか外延化している。内包のことを言おうとしているのにしらぬまに外延知に移行しているのだ。解けない主題を解けない方法で解こうとする不毛というにとどまらず、問いそのものに意味がない。ドキリとした。

繰りかえしになるが、内包親族は相互にどのように関係をなすのかという問いが成立しないということ。根源の性を分有することは、自己がじかに性だから、わたしがあなたである領域としての自己となる。内包知の自己は外延知ではあたかも一人称と二人称を含みもつようにあらわれるから、三人称の関係は内包知では二人称の関係となってあらわれる。ひとはいつの時代も世代ごとに内包と外延を互いにくり込みながら連綿と生をなしてきた。有情ではなく有縁によって内包親族が喩のようにしてあらわれる。

いかなる意味でも根源の性の分有や内包親族が外延知の対幻想や家族と順接することはない。領域となったわたしという性を流れ昇るように内包親族はうねりとなって直立する。原口さんの言い方を借りれば、わたしがあなたである領域の性が幾重にも重なった放射状の重なりの1となり、片山さんの<感覚として言うと、「内包」という言葉を知っているだけで世界は明るくなります。それは言葉を呑み込んだ生が光を発し、世界を明るく照らしはじめるからです。光を放つのは、ぼくたち一人ひとりです。無数の光を反射して、透明だった世界が発色をはじめる。世界が変わるということを、ぼくはそんなふうにイメージしています。>(連続討議「歩く浄土」3『喩としての内包的親族』)と言うことも可能だ。

なにより、ありえたけれどもなかったものを現にあらしめるこの世界の知覚を外延知が追跡することはできず、できないからこそ存在の複相性としての可能性があることになる。ひとりの生をじかに性として生きると、領域となった自己は他者と有縁によって内包親族となる。これはひとりの固有の生のなかで現象することで、縁(えにし)があればだれもこのように生きることができる。このような生をもつ者が相互にどう関係するかと言う問いの不毛さを思い知る。かくも同一性の思考の慣性のしばりはつよいということ。存在の複相性をていねいに往還すると内包自然を外延化することはできない。けっして内面化も共同化もできないのだから。

外延的な共同性の空間化のつながりではなく、ひとりの固有の生に、じかに性であることと有縁による内包親族が外延知と比較を絶する出来事として決然と直立する。原口さんが言ってきたようにまさに重なりの1が放射状になって生に屹立する。この屹立は外延ではないので同一律の規矩は適用されない。内包は外延に斥力として作用する。外延知がたどりえない内包自然によって可能となる存在の全円性を、その総表現者の固有なひとつの限定された生を愚となって生きることがすべてだと思う。そしてそこだけが未知の世界として生きられる。外延知の自同律が生を切り刻みどのように縮減しようと、1が2であり、2が1である生の豊饒さに介入することはできない。希求でも渇望でもなく原理的にできないといういうことだ。勝機はつねに内包にある。

親鸞の他力を覚知した複数の者らはどんな関係をつくるかと問うとき、この問いは内包から外延に横滑りしている。この問いは意味をなさない。内包について長年考え、途切れ途切れに書き継いできたとしても、あらためて同一性による思考の慣性のしばりのおおきさを痛感した。こういうことだ。親鸞がいて、他力を自然法爾として生きる。そのとき衆生は親鸞の有縁によって親族としてあらわれる。ではその近い親族は互いにどんな関係としてあらわれるのか。この問いは外延的な思考だ。ひとりの親鸞がいて仏の他力によっておのずからなる生を生きるとき、衆生は摂取不捨の親族としてあらわれる。それが有縁を度すべきであるということの真意だ。だから「この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねにさたすべきにあらざるなり」(「末燈鈔」)と書き遺した。

なぜ「沙汰」してはならないのか。沙汰するその刹那、自力廻向の聖道門の罠に堕ちる。聖道門の落とし穴とはなにか。同一性が穿った思考の慣性に嵌まり込むということだ。執拗な親鸞の聖道門の信にたいする批判は他力についてのぎりぎりの内奥からの自己省察だと思う。だからこの自然(じねん)については沙汰するな、沙汰すれば狂うぞという警告でもあった。

もういちど悟りにはかたちがないことを考える。内包もいつのまにか外延化されてしまうことを深く自戒すると、どうしても他力という宗教の言葉で非-外延的に宗教的な信を解体しようとした親鸞の最期の姿が浮かびあがってくる。他力のなかの他力はないと親鸞が言うとき、ことばにはかたちがなく、この上ないものであると言い添えている。そこを拾ってみる。「この上ない仏といいますのは形もおありになりません。形もおありにならないから自然というのであります。形がおありになるように示すときには、如来のさとりをこの上ないものとはいいません。形もおありにならないわけを知らせようとして、とくに阿弥陀仏と申しあげる、と聞き習っています。阿弥陀仏というのは自然ということを知らせようとする手だてであります」(親鸞「末燈鈔」石田瑞麿訳)また「末燈鈔」でつぎのように記している。「他力のなかには自力とまふすことは候とききさふらひき。他力のなかにまた他力とまふすことはききさふらはず」。

そこで親鸞につぎのように語りかけた。

<遠流の刑から赦免されたときに、僧籍を剥奪され俗名を与えられ、心境を僧に非ず・俗に非ずと言っておられます。僧に非ずは直ちに理解できます。俗にあらずと俗はどう違うのか気になってきました。他力のなかの他力や、他力の手前の他力が俗にあらずからはみ出てしまいます。>(「歩く浄土200」一部改稿)

<親鸞より近い仏を親鸞として生きるとき、非俗は破られているということを言いたいのです。いきなり俗ということはないですから、俗にあらずと僧にあらずをセットにするのは凜とした佇まいがあって、すごくすきですが、ちょっとかっこよすぎると思ってきました。俗に非ずを生き切ってしまうと非俗を突きぬけて俗そのものとなるのではないでしょうか。親鸞さんは女性が好きで説法をするのも好きだったので、仏を得ることができなかったと言われていますが、それは謙遜やはにかみではないですか。女性と説法が好きでなにが悪いのですか。仏と懇ろになったことの方がばちあたりで極悪ではないですか。親鸞さんは仏法という思考の慣性を突き破りました。無上の仏を親鸞として生きるとき、親鸞さんは自然法爾を超えて親鸞が親鸞のままに仏であるという、わたしの言葉で言えば、内包自然を生きておられるような気がするのです。もうひとつ。親鸞さんは意識されていないかもしれませんが、親鸞が仏であると、自身を領域化されたときに、その刹那、正定聚は還相の性へと転位しているはずです。最期の親鸞さんは仏という根源の性まで到達しているはずです。他力のなかの他力として、他力の手前に、根源のふたりが存在しています。もう一度言います。親鸞さんより近い仏を親鸞として生きるとき、仏が無形の言葉だから、仏は他なるものとして親鸞さんにとって無形の〔性〕となっています。いつのまにか仏が他性になっているのです。つまり仏という性に親鸞さんはよぎられたことになります。このとき自然法爾はわずかにふくらみ内包自然となり、その深奥に実詞化できない還相の性が棲まっているのです。>(同前:一部改稿)

わたしは自然法爾のわずかなふくらみのことを他力の奥行きや他力のなかの他力と呼んできた。こうやって、いま親鸞の思想へのさいごの問いかけをやっている。宗教の言葉(仏という共同幻想)によって信を解体することはできない。もし、可能だとしたら、他力を領域化することのなかにある。それしかない。親鸞がじかに仏であり、仏である親鸞は、他力として生きられている。ここまでは親鸞を襲来した出来事であり是非はない。有縁を共同化しないで自然法爾となることはできるのだろうか。絶対にできない。ただ他力を領域とするときだけ、内面化も共同化もできない生のありかたが可能となる。

外延知は同一性が統覚し、外延知の手前の内包知は還相の性が統覚する。わたしたちは外延知の世界を生きながら、内包知の自然を生きることもできる。「1」から「2」そして「3」の世界と、〔1=2〕だから、外延知の「3」はトポロジカルに内包知の〔2〕となる。ありていにいえば内包史というものは形容矛盾で存在しない。ただ生きられる領域としてある。知でも非知でもなく愚として。内包自然はいかなる意味でも神話を可能とする外延知と順接しない。

「総表現者のひとりを固有のものとして生きるとき、その固有さは、観念の強度の違いとして無限の階調をもっている。鋭く尖った丸みも、曲がった直線も、真っ赤な白も存在する。ひとつながりとなったスペクトラムの無限の階調があり、そのひとつひとつに総表現者がひとつずつ固有な生として対応する。知を無化する観念の無為の場所をつくらないと科学知をしのぐことができない。それは制度の側からあたらしい行動様式として押し寄せてきている。」(「歩く浄土268」から)

親鸞のシンコペーションとはなにか。外延の生と内包の生は意識の呼吸のしかたが対蹠的なので、〔わたし〕がじかに性である内包自然の大地を歩くとき、外延知からは非-外延的知であるように感じられる。他力のなかの他力が非-外延的な他力として了解されるとき、了解に一瞬の遅延が生じる。他力のなかの他力から非-外延的な他力へと了解の系を遷すとき不可避に意識に一拍の遅れがうまれる。この存在了解の遅延のことをシンコペーションと呼んできた。親鸞の思想もふくめ壮大な自同律の矛盾が穿った人類史にひとしい思考の慣性のしばりのなかにある。この遅延のなかにあらゆるニヒリズムの諸形態が-コロナ禍の厄災においても-この擬制の虜囚となる。もっと親鸞のシンコペーションの正体に迫りたいので過酷な情況をあいだにはさんでみる。

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この3年で世界は根底からバイオ・ファシズム社会へと変貌した。惑星規模の統治のパラダイムが人類の家畜化として収斂したことは記憶に新しい。感染症の恐怖を煽られ一瞬で全体主義が正義となった。ジェインズの言う二分心の残滓が依然としてわたしたちに巣くっているのかもしれない。同一律がもたらした明晰は、迷妄から人の生を救いはするが、生を熱くはしないという贈り物が、あたかもジェインズの二分心の名残に修飾され、宗教となり、明晰もまた迷妄となりつつある。

分子記号に分解された生をクリスパーキャス9で編集し、ビットで再構成できるという迷妄。明晰は迷妄へと零落する。生をアルゴリズムに還元し、神経のアルゴリズムを外部のブレイン・コンピューター・インタフェースに結合できるという蒙昧に呑み込まれているようにみえる。もしもすべての人びとがこの科学知の新興宗教とシステムを受容すれば、内面のない共同幻想のみのグロテスクな人間が誕生すると思う。ジェインズの甦る二分心が再降臨する。

他力のなかの他力のしなりを返し、知でも非知でもなく、総表現者の愚そのものとなることによって、バイオ・ファシズムのど真ん中を唸り声をあげながら疾走したい。外延知の必然として人類総難民化が避けられなくとも、無限のグラデーションをもつ総表現者の固有の生を還相の性として生きることで、科学という宗教を準拠としない総表現者の生が、内包自然の大地に直立することになる。この知は外延知に対して斥力として作用するので共同の迷妄を疎外することがなく、外延知に順接してつくられた種族語や神話とつながらず、そこから折り返して内包自然の幼童の生を生きることになる。

コロナ禍のバイオ・ファシズムは科学の宗教化から説明することもできるが、これほど短期間に人類が罹患した病の正体は、ジェインズの二分心の名残が喚起されたと言うこともできるような気がする。核心的な問題は科学に準拠して宗教となった医学の土俗性を知でも非知でもなく解くことにあると考えている。もっとていねいに言えば、自然科学の部分をなす医学知の土俗性が宗教化したということだ。心身相関の医学はいつも迷妄の土俗性と紙一重のものとして存在する。

いまなぜジェインズの二分心なのか。人類の概念を強制終了するような驚天動地の出来事の不可解さをなんとか読み解こうと呻吟しているとき、ふいに『神々の沈黙』を思いだした。二分心という共同幻想は過ぎ去った過去の観念ではなく、心性の深いところに眠っているだけで、危急存亡に遭遇すると一気に精神の古代形象として心の前景に迫り出してくるのではないか。二分心が希薄になり古代文明のファラオが君臨したとき、書記と貨幣と宗教が生まれたことになるが、それより古い心的な機制を人間はもっていた。ジェインズはホメロスの『イーリアス』の分析を通して二分心をつかんでいる。

人類を襲った未曾有の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが引き起こしたコロナ・ファシズムがなにに起因するのかわからない。記憶をたどりながらジェインズの二分心の大要を追ってみる。

ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』は独特の共同幻想によって成り立っている。3000年前に人間には意識がなかったと言う。初めて読んだときいきなり虚を突かれた。

<・・・遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた、というものだ。どちらの部分も意識されなかった>(『神々の沈黙』)

二分心は社会統制の一形態であるとジェインズは言う。およそ紀元前9000年前から紀元前2000年前に二分心という人間の精神構造が人びとを結びつける紐帯として機能したとジェインズは考えた。

ジェインズの考えの要となるところを祖述する。二分心の世界では人間という存在は命令を下す神の声とその声を聴いて命令を実行するものに分化していた。むろん二分心のなかに近代由来の人間という概念も意識も存在していない。ジェインズによれば意識と呼ばれる非常に私的な世界が生じたのはおよそ3000年前だとされる。神の声による命令が書記に取って代わられ二分心の輪郭がしだいに消えていく。その結果、宗教という慣行が生まれたとジェインズは考える。それは失われた神々の声を取り戻そうとする努力だったと言う。

このジェインズの考えに内包から応答してみる。消えていった二分心の神々の声への郷愁として宗教が起源をもつとするなら、アニミズムが自然の一部である人間が自然から離陸していくことへの恐怖や懼れや違和感の打ち消しとして存在したとすると、ちょうどその臨界点で二分心が生まれたことになる。フロイトのエスがジェインズの二分心に対応している。エスから自我が派生したように二分心の没落から貨幣と書記に埋没したことになる。わたしは二分心もまた自然へ回帰したかった初期人類の渇望のひとつだったのではないかと考えている。ちょうどここで意識は外延性と内包性に分岐することになった。そして二度と接点をもつことはなかった。コロナの人災が起こるまでは。

おそらくこの臨界点は親族から氏族制へと狩猟採集集団の小さなバンドが拡大している過渡に起こったはずだ。人間が自然につながる範囲は150人ぐらいではないかとユヴァルは言うが、ジュリアンもおなじことを言っている。

ジュリアン・ジェインズは『神々の沈黙』で意識の発生について大胆で壮大な仮説を展開する。前2000年紀末までは人類は意識を持たず、神々の声に黙従するだけであり、人間が意識を持つようになったのは3000年前だとされる。人間が意識を持つ前の二分心が古代文明をつくり、やがて二分心は書記のなかに呑み込まれ、神々の声は沈黙することになった。ジェインズは<どんな合図が、200~300人の住民を社会的に統制していたのだろうか>と問う。およそ紀元前9000年前から紀元前2000年前に二分心という人間の精神構造が人びとを結びつける紐帯として機能したとジェインズは考えた。意識の外延史で言えば、親族から氏族制ができあがりつつある時期に対応している。ある段階の共同幻想の精神のありようのことをジェインズが二分心と呼んでいることが理解される。

<〈二分心〉とは社会統制の一形態であり、そのおかげで人類は小さな狩猟採集集団から、大きな農耕生活共同体へと移行できた。〈二分心〉はそれを統制する神々とともに、言語進化の最終段階として生まれた。そしてこの展開の中にこそ、文明の起源がある>とジェインズは考えた。

人間の心の中で幻聴が命令という形で鳴り響く。あたかも右脳に神々が棲まい、左脳に神の声を行動に促すようなものとして。それが小さな集団が大きな集団へ適応する最適解だった。言語進化の最終段階に位置している二分心が書記に併呑されるときに古代文明が起源をもったとされる。

二分心という幻聴のような聴覚言語が人と人をつなぐ紐帯として機能しえなくなったとき、書記が発明される。線刻文字や楔形文字だ。ジェインズの二分心の起源と崩壊の記述はみごとだと思う。そのあたりに触れる箇所を引いてみる。

<人類の歴史をひもとくと、紀元前3000年頃にひときわ目を引く不思議な慣習が登場する。話し言葉を変容させ、石や粘土板、パピルス(もしくは紙)に小さな印を使って記すようになったのだ。このおかげで、耳で聞くことしかできなかった話し言葉は、目に見えるものともなった。それも、そのとき聞こえる範囲にいた者だけでなく、万人のものとなった>(『神々の沈黙』)

<『イーリアス』の英雄は、私たちのような主観を持っていなかった。彼らは、自分が世界をどう認識しているかを認識しておらず、内観するような内面の〈心の空間〉も持っていなかった。私たちの主観的で意識ある心に対し、ミケーネ人のこの精神構造は〈二分心〉と呼べる。意思も立案も決定もまったく意識なくまとめられ、それから、使い慣れた言葉で、あるときは親しい友人、権力者、あるいは「神」を表す視覚的オーラとともに、またあるときは声だけで各人に「告げられ」た。各人は、自分では何をすればよいのか「見て取る」ことができないため、こうした幻の声に従った>(同前)

ジェインズによって聴覚言語から視覚言語への心の遷移がみごとに描かれている。ユヴァルの共同主観的虚構のひろがりがより具体性をもって迫ってくる。親族を核としたちいさな狩猟採集のバンドが二分心の神の声を聴き行動し、楔形文字や象形文字の誕生による言語の視覚化によって王は現人神となり虫木草魚である人びとに君臨するとともに、その現人神も書記に呑み込まれ神の声を渇望する臣民となる。やがて二分心にも神の慰めを収納する精神の退避する場所が与えられ、二分心そのものが変容し、同一性によって統覚され、意識が外延化された内面が誕生する。いまわたしたちの目の前で起こっていることを遡っていくとおなじことが遺制としてではなく共同幻想の初期の起源となって再現されているようにみえる。

コロナ禍を直接の契機として人類は一斉に入眠状態に入り人類史の未知へと擬態を遂げつつある。二分心のなにが現代的な意味をもつのか。あたかも科学という神と命令を忠実に実行する属躰となった人類の心性が国家以前の二分心の時代まで退行しているのではないかという気がしてならない。

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アガンベンが『私たちはどこにいるのか?』で書いたバイオセキュリティという新しい統治のパラダイムはジェインズの新奇な二分心とどこかでつながっているという直観がある。西欧の知性のひとつにアガンベンの思想を比喩してみる。そのアガンベンの現場報告が『私たちはどこにいるのか?』だ。かれはイタリアを襲ったコロナ禍の惨状に対して敏感に応答した。起こったことはそのとおりだが、わたしには現場の修羅にたいする悲鳴に聞こえた。これからなんども取りあげ、反芻ことになるが、人類を一瞬で国家以前の心性に退行させた力は、知によっても非知によっても解き尽くすことができない。そのことははっきりしている。同一性の謎を解き明かすこと、これ以外に内面化された身体を粗視化するバイオ・ファシズムに対抗することはできない。

『ホモ・サケル』でアガンベンは言う。

<つまり、剥き出しの生の空間(つまり強制収容所)へと政治が根源的に変容したことのほうが、全体的支配に対して正当性を認め、これを必要とするのである。政治がかつてないほど全体主義的なものとして構成されえたのは、現在にあっては政治が生政治へと全面的に変容してしまっているからにほかならない。>

そのアガンベンがコロナの狂騒に煽られ『現代思想2020年5月号』に3つの短文を寄せている。「エピデミックの発明」(2020年2月26日)「感染」(2020年3月11日)「説明」(2020年3月17日)この短文でアガンベンは気概のかけらもないことを書いている。『アウシュヴィッツの残りのもの』を書いたジョルジュ・アガンベンはいったいどこに行ったのだ。科学知の専横にたいする人文知の無力。文理横断の知の極端な欠如。免疫、感染、ワクチンを詐称するmRNA医薬品にたいする無知。惑星規模の巨大バイオ・テロのしくみについての目を覆いたくなる蒙昧。たわけの極み。もっと文理横断の力をつけろ。少しは勉強しろよ。

印象深い『アウシュヴィッツの残りのもの』や『ホモ・サケル』で剥き出しの生を分析したアガンベンは、コロナパンデミックで世界が医学の知が宗教へと昇華したとき惑乱し『私たちはどこにいるのか?』を書いた。アガンベンの的確なコロナ禍の批判も、ではどうすればいいのかについて、目の前の惨劇を叙述しているだけで、なにも答えていない。おそらく緊急に出版されたこの本からはアガンベンの絶望が漏れている。観察される理性の絶望などなにほどのものでもない。もっとふかく絶望せよ。

『私たちはどこにいるのか?』は3つの短文で例外社会への恐怖と諦念を述べたことの悔悟から書かれたと思う。12章に「宗教としての科学」がある。かれは「科学が宗教になった、人間たちが信じていると信じている当のものになった」と言う。ユヴァルとおなじりくつを援用している。ユヴァルは貨幣を人類最大の発明だとした。「貨幣は他の人々が特定の貨幣を信じていることを信じるように求めるからだ」と言う。人間にとっての最強度の共同主観的虚構というわけだ。

コロナ禍で露わになった宗教戦争は人間の生きた身体を直接的対象とする医学のことである。人間の生がまるごと医療という信仰に従属することになる。おおよそこのようなことをアガンベンは述べている。

<歴史上幾度も起こったように、哲学者たちは宗教との争いに新たに入りこまなければならなくなるだろう。だが、その宗教はもはやキリスト教ではなく、科学、もしくは宗教という形式を引き受けた科学の一部分である>(「12 宗教としての科学」2020年5月2日)

知にたいする非知の思考でいま起こっていること、つまり同一性の必然を超えることはできない。非知を突きぬけて愚者となって生きるほかないと考えている。非知から卑小な愚そのものへ!!

常軌を逸した非合理的な無形の力が超法規としてさまざまに行使され空気感が世間を支配していった。この異様さはいくぶんかつぎのよう比喩される。<「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。…統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精緻に組みたてておいても、いざというときは、それらが一切消しとんで、すべてが「空気」に決定される。>(山本七平「空気の研究」)いま眼前でおこっていることにはこの「空気」でも言い尽くせない不気味さがある。なぜ空気に支配されるのか、空気のりくつは言い当てることができない。

2001年秋の同時テロ以降テロとの戦争が正義とされ20年経ち、この戦争はウイルスを敵とする戦争へと内面化された。テロリストと戦うようにウイルスを公衆衛生上の敵と見做し戦うことが絶対の正義とされ、突如、新しい統治のパラダイムが出現した。むろん、異議を唱える者は社会から排除し、抹殺する。一瞬で人類はこの詐術に陥った。市民社会の住人である権利は私権の制限を受容する者のみに期間限定で付与される。人間は消滅し、例外社会が状態化する。ひるがえって考えると、人類総無産化は総表現者の可能性でもある。

剥きだしの生を理性的に語るアガンベンはコロナ・ファシズムのまぎれもない当事者であるにもかかわらず異常な状態を精確に描写する。理性的な絶望と、剥きだしをながく生きてきたわたしの落差は埋めようがない。アガンベンの絶望には余裕がありすぎるわけだ。なんとなればかれは一人の文化人にすぎない。知ではなく、非知でもなく、愚そのものを生きる胆力もなければその必然性もない。アガンベンの語る言葉のなにが不満なのか。端的に言える。西欧知の煉獄を正定聚へともっていくいかなる手立てもかれがもちあわせていないからだ。『アウシュヴィッツの残りのもの』もそうだったが、聖道門への信に帰依しているだけだった。『私たちはどこにいるのか?』においても。

アガンベンに欠落していること。観念の自然過程の認識による世界了解でも非知による世界了解でもいま現に起こっている事態をつかむことはできない。フーコーにとって他者は神という超越ではなく、固有名だった。似たことをメルローポンティも言う。私が他人の表情のなかで生き、また他人が私の表情のなかで生きているということ。同一の心的存在者が空間の多くの地点に、つまりわたしが他人のなかに、他人がわたしのなかに存在する空間の癒合性。空間の癒合性については2022年にノーベル物理学賞の非-外延的な思考である量子もつれで観測されている。

いま人間は素朴な個体レベルの実存ではなく、分子記号の集合として定義されるので、是非を超えてかぎりなく人間は記号Aに漸近する。同一性を準拠とする科学の必然である。人間であることはA=Aとなる。だから遺伝子記号を編集することは外延知の必然となり、外延知の表象にすぎない科学知に憑依される。量子もつれは非-外延知としてなにかを表現している。量子もつれは、わたしがあなたである領域としての性、ふたりがひとりでひとりがふたりの領域となった、非-外延知の残像だと思う。このたわいなさはなかなか伝わりにくい。解けない主題、観測者問題、を解けない方法で解こうとすると、同一性の手前は、同一性の残像(集団の社会化された共同幻想)としてしか言い得ないことになるのだと思っている。解りにくいが、科学知と体験知の乖離が激しすぎて、自分自身の生存感覚である内包知に根拠をおくほかない。俯瞰し観察する理性が〈権力〉だという皮膚感覚は変わらない。共同主観的虚構である「科学知」に於いてもなおのこと。

    6

同一性の謎の中心に降り立っていく。ハイデガーはパルメニデスについてつぎのように語った。「同じものは即ち思考であるとともにまた存在である」「パルメニデスの文に語られている思考と存在の自同性は、形而上学によって、存在に対して存在の特徴としで規定された同一性よりも遠くに由来している」(ハイデガー『同一性と差異性』1957年)

同一性よりも遠くに由来するとはどういうことか。なにより遠くとはなにを意味しどこなのか。また由来するとはなにか。ここに同一性を拡張する、フロイトの混沌として沸き立つ釜のエスでもなく、ジェインズの二分心でもない自同律の祖型がある。パルメニデスの思考と存在が同じものであることについてハイデガーは渾身の力を振り絞りつぎのように考えた。典型的な存在忘却の解読だ。

<この自同性のうちには、それ自らとの関係、従って媒介、連結、綜合、即ち統一性への合一ということが存している。西洋的思考の歴史を通して同一性が統-性の性格をもって現われることは、以上のことに由来するのである。しかしながらこの統一性は決して、それ自らにおいて他との関係を有せず、ただ一つの無差別なものに固着しているという気のぬけた空虚さではない。けれども同一性の内で支配し且つ古い時代から既に知られている関係、つまり各々のAとそれ自らとの関係を、かかる媒介として確立し且つ特徴づけられて現われるに至るまでに、更にまた同一性の内における媒介がかく出現するために一つの土台が見出されるまでに、西洋的思考は、二千年以上を要しているのである。>(同前)

二千年以上を費やしハイデガーは存在を忘却し、前に進んでいるつもりでパルメニデスよりはるかに退行している。なにより自己に先立つ超越を知解することはあってもそこを生きることはなかった。自己に先立つ超越をぬきに存在を語ると思考はどうどうめぐりをする。おそらくハイデガーは自身がなにを語っているかわかっていない。思弁に思弁を重ね、わかっていないこともわかっていない。存在を外延化するかぎり存在と存在者の存在論的差異は空虚なものとしてあらわれる。

思考は存在であり、その存在が同一性より遠くに由来することを探るのに西欧的知性は二千年以上を要し、その果てに外延知の思考の限界に阻まれたとハイデガーは言っている。それがかれの存在忘却だ。存在と存在者の存在論的差異ががらんどうとして語られている。存在に切れ目さえ入れることができなかった。ベイトソンもここまで来るのに2500年かかったと『天使のおそれ』で書いているが、哲学を技術に明け渡したハイデガーより明晰だった。どこまで存在を探究しても、論理階型の無限遡及性があるだけだと考え、聖道門の自然生成に帰依した。ハイデガーの言葉の戯れとは違いベイトソンの生き方には真摯なものがある。

神ぬきに存在を語ろうとしたハイデガーは外延知の背理のなかに落ち込み穴の外にでることができなくなっている。ヴェイユは、媒介、連結、綜合、即ち統一性への合一(ヘーゲルの意識の弁証法と相同性をもつ)というりくつが虚妄であることをよく識っていた。彼女は言う。「思考の黙して語らぬ働きによって限界づけられているこの概念は、定義されることができないのである」(『ロンドン論集と最後の手紙』「人格と聖なるもの」)

ヘーゲルの思弁の傍流にすぎないハイデガーはパルメニデスが気づいた「同じものは即ち思考であるとともにまた存在である」から一気に思考と存在の対称性の破れに突き進めばいいのだが、ニーチェを生きることができない思弁家にその勇気はない。苦悩そのものが問題ではなく、なんのために苦しむのかという問いと叫びにたいして解答がないのが問題だとニーチェは考えた。ニーチェの発見を意識のシンコペーションと名づけた。どうやろうと自己が自己にとどかない事態のことだ。この峻険なリアルを生きることのないハイデガーの存在論のうつろからはなにも出てこない。思考を展延すれば存在も拡張される。外延知の近傍に内包知をつくり同じものとすれば存在の複相性がおのずと出現するではないか。わたしは自己言及のパラドックスをこうやって拡張した。

キルケゴールの自己とは関係が関係それ自身と関係するような関係のことであるという呪文のような言葉が喚起するなにか。同じものが思考であり、同時に存在であることを存在の複相性と理解すると、同一性より遠くに由来するのが内包自然であり、その由来を還相の性が統覚しているということになる。

内面化された自意識の劇は社会化されるから、存在の特質に媒介、連結という刻み目を入れ、同一性によって総合、合一するとアウシュヴィッツに、あるいは今回のコロナ禍に直結することになる。現に感染症の専門医が殺人ウイルスを死に直結すると煽るから宗教となった科学知は人類史的な災禍としてあらわれている。

思考を存在と考えたパルメニデスの自同性はここでやっとフーコーの思想と邂逅する。フーコーが、国家にはある謎、国家へと向かう巨大な渇望があるというとき、なにか不思議な感触がある。

<私は今年(1978年-森崎注)、国家の形成をめぐって講義を行なっており、その講義の中で、西欧の十六世紀から十七世紀にいたる一時期の国家目的の実現手段の基盤といいますか、いわゆる国是というものが、どのようにでき上がってくるかという過程を分析しておりますが、それには、単に経済的な諸関係だの、制度的な諸関係だの、また文化的諸関係といったようなものの、そうしたものの分析だけでは、どうしても考えられないような、ある謎の部分につきあたってしまいました。そこにはぜひとも国家というものに向わずにはいられぬような巨大な渇望というものが存在していて、まあこれは国家への欲望といいますか、それをいま問題となった言葉を使っていい直しますと、国家への意志と言い替えたほうがいいかもしれませんが、明らかにそういうようなものが問題とされざるをえないのです。
国家の成立に関しては、それは決して専制君主のような人物や、上位の階級にある人間が、裏からそれをあやつったとかいうことではなく、どうにもわからない大きな愛というか意志みたいなものがあったとしかいいようがないのです。そのようなことを十分に感じ取っているので、特にきょうは吉本さんがおっしゃったことに多くの有益な指摘を発見しえたし、また意志論という視点から国家を論じておられる吉本さんのほかのお仕事がどんなものかを是非とも知りたくなりました。>(『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅶ』所収「世界認識の方法」)

「国家へと向かわずにいられぬような巨大な渇望」や「どうにもわからない大きな愛」が謎として存在しているという発言に驚いたことがある。国家へ向かう渇望や愛という触感でフーコーは国家からの折り返しの地点を意図せずに含意していたのではないか。ここに禁止・抑圧・排除の古典的権力観を超えるきっかけを、古典的な権力の概念を包摂することで、無意識に権力からの折り返しを意図していたように思う。権力は引力としても斥力としても作用するとフーコーは考えた。非-主観的で占有できない下から来る権力はフーコーの生の深奥から発せられているように感じられる。

フーコーが権力の消滅する地平を構想するとき、そこにはかれの固有の生の体験が潜んでいる。『知への意志』から8年の思考の沈黙。死の直前に語った、真理は他性からもたらされるという言明は外延知を裏返した内包知のような気がする。わたしの理解では国家に向かう大きな渇望や愛はじつは内包的な親族を寓喩していたように思う。かれの言葉によれば、「情熱のなかで自分が自分でなくなる」ということは、自分が理不尽に簒奪されることであり、それが〔性〕だとフーコーは言っている。同一性の手前にある〔性〕をフーコーは生き切った。

    7

知と非知はともに外延知に属し思考の型としては同型である。なぜここまでいうのか。コロナの厄災で人文知が蒸散したからだ。人間の心的なものをAIとゲノム編集に攻略され、いま人文知はまったく無力である。人類はコロナの人為的厄災に易々と全面屈服した。人類の総敗北である。知的に語ろうと非知的に語ろうと生の果てるところが生物学的死であることを変奏することはできない。

知と非知をつきぬけたところに知でも非知でもない愚の思想がある。

<〈知識〉にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに〈非知〉に向って着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の〈知〉にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能にちかいので、いわば自覚的に〈非知〉に向って還流するよりほか仕方がない。>(吉本隆明『最後の親鸞』)

<しかし〈非知〉は、どんなに「そのまま」寂かに着地しても(無智)と合一できない。〈知〉にとって〈無智〉と合一することは最後の課題だが、どうしても〈非知〉と〈無智〉とのあいだには紙一重の、だが深い淵が横たわっている。なぜならば〈無智〉を荷っている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念によって近づこうとする存在からもっとも遠いから、じぶんではどんな〈はからい〉ももたない。>(同前)

若いころは非知の思想をすごいと思っていたが、非知の先はなにも書かれていない。知にたいする非知の思考は知識人と大衆という認識の枠組みにすっぽり収まる。非知も権力の言説にすぎないと内包論を書き継ぎながら考えてきた。非知の思考でこの世のしくみを変えることができないことはわたしには先験的だったが、コロナの巨大な人災が切迫感をもって押し寄せている。非知の思考もまた自同律に重力の起源をもつ思考の慣性からまぬがれることがないからだ。

壮年期の吉本隆明が言う、非知と無知は紙一重の深い亀裂があるとみなした非知の理解は、最晩年に深まりをみせている。アフリカ的段階という理念を着想していたころではないかと思う。

<なぜ無効なる観念が、逸脱として、いちばん本質的なのかといえば、逸脱でないものと、ハーモニーがあるといいましょうか。ある共鳴性、一致性があるからなんだろうなとはおもいます。ごく自然に知の輪郭と、生活の輪郭とが一致した逸脱のなさと、〈無効性の観念〉とは、そこでなら共鳴を生じるでしょう。>(『ハイ・エディプス論』)

もうここまでくると生は、非知から愚へとおのずから転位し、理念の正定聚を具体として生きることになる。最期の吉本隆明を娘のハルノ宵子さんが『開店休業』(吉本隆明)のあとがきで「父は一介の僧となって旅に出てしまったのだ」と結んでいる。目が見えなくなってすぐ近くにいるのに「さわちゃん、そこにいるか?」と尋ねる。「いるよ。何だい?」と答えると、「すまないが氷の入った水を一杯くれないか」と、父が言う。父は「ああ……うまい!うまいなぁ」と、本当に美味しそうに飲み干す。そこには懇願も媚(こび)も威圧も取り引きも無い。ただそのままそこに〝有る〟だけの言葉だった」と書かれていて、「父がどれほどの高みにまで達したのかは、私は知らない」。そして「父は一介の僧となって旅に出てしまったのだ」と語る。「ただそのままそこに〝有る〟だけの言葉」を吉本隆明は生き切ったのだと思う。彼が数多くの著作で幾たびも述べてきた「死から照らされる生」、つまり正定聚のことだ。わたしの父も晩年失明し不自由だった。それでもなくなる二三ヶ月まえじつにいい顔をしていた。ああ、こちらとむこうのあいだにいるのだということがよくわかった。知でも非知でもない、愚となって卑小を生きること、その偉大!!知識人と大衆という観察する理性ではなく卑小を生きる総表現者の愚そのものへ。

    8

思考と存在の相同性を語ったパルメニデスは存在が同一性より遠くに由来すると語った、そのおなじころに生をえた仏教の始祖である釈迦牟尼はなにをなしたのだろうか。ともに紀元前5世紀頃のことだ。西欧ではなく東洋の智はなにを拓いたか。西欧中世に、脱自を狂ったように唱え、神は私より近くにいると言ったエックハルトがいて、おなじころにユーラシアの島嶼の国で聖道門を激しく論難した親鸞が他力を称名したことは知られている。

釈迦とは何者か。輪廻を切断するものを仏と定義すると宣明した覚者である。輪廻という業を切断した革命者釈迦も同一性的な生に監禁され、その軛をのがれようと新たな知を発明した賢者だった。むろん、釈迦は仏がなんであるか識ることはなかった。同一性に射影された内包のきりのなさの表出が同一性的な神や仏であることを知るには人類史は二千数百年を要した。存在の複相性を往還することによってやっと同一性の輻湊した事態を手のひらにうえにとりだすことができるようになった。天親や曇鸞の古代マルクス主義の起源とも言える大乗教である浄土教の一筋の流れの核心は親鸞まで持ち越された。輪廻を切断するものを仏と名づけたが、その仏がどういうものか知らずに釈迦は生を終えた。天親、曇鸞を経て、親鸞に至るまでおよそ1800年という長い歳月を経て、浄土門の思想的な解体を親鸞がやったことになる。

ある特異な思考の型のことを同一性と呼べば、思考の祖型は同一性を引力ではなく斥力として表現してしまう。思考が存在をはみだして、ふくらんだ存在が同一性のかたどる知の外延性に内接する。おのずからなる存在は自同律に縁取られみずからの外延的な意識として語ることになるが、その刹那、語りにニヒリズムが忍び込む。白川静の文字の起源も、ジェインズの二分心と神々の沈黙も、ある特異な思考を前提として成り立つ。

同一性が意識のシンコペーションをもつことと、この特異な思考の型は強く相関し、人類史はどうやろうとニヒリズムを超えることができなくなる。釈迦牟尼の悟りはたしかに輪廻転生を切断したが、非知の先に愚があることを識らず、切断とともにニヒリズムによって覆い尽くされた。仏教の信は、信をあらかじめ共同化することによって、自己はどこにもなく、縁の結節にすぎない自然生成に融即する。悟りは他力の自力であり、非知のニヒリズムである。自同律の必然だと思う。知と非知の意識の範型で解けることはなにもない。それほど世界は急峻な変貌を遂げた。

ここまできてふたたび親鸞に戻る。わたしの知るかぎり親鸞の煩悩がもっとも深い。非-外延的な親鸞の思想のなかにコロナ禍を招来した科学教を超える微かな可能性がある。

<「設ひわれ仏を得たらむに、十万の衆生、心を至し信楽してわが国に生まれむと欲(オモ)ふて乃至十念(じふねん)せむ。もし生まれざれば正覚(しやうがく)を取らじと。>(『教行信証』所収「信巻」)

親鸞が祖述した『大無量寿経』の第十八願である。親鸞は弥陀の第十八願の摂取不捨を他力の眼目とした。わたしは親鸞の他力を変奏することができることに気づいた。

親鸞のこの信のなかのどこにもすきな煩悩がないが、「信巻」のべつのところで親鸞の煩悩が勇躍している。思わず親鸞は解説を逸脱する。こういう箇所が親鸞の魅力だ。

<誠に知んぬ、
悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべしと。>

ああおれはなんと凡俗だったろうかと云われている。こういう言葉にほっとする。『教行信証』のところどころに顔をのぞかせる親鸞の言葉の表情はじつに深い。もっとも深い親鸞の思想の由縁を問いたい。ここになにがあるか。

愛欲のくだりは、あたたかい水面に冷気が流れ込むと接触面で霧が発生する気象の気嵐のようなものだと思う。この毛嵐はだれのどんな生のなかにもある。それが外延知であろうとなかろうと、粗視化された観念として実在する。わが思考の慣性もそうだ。その観念の実在のただなかを生きながら疑い他力という観念を生に上乗せした。第十八願や「愛欲の広海に沈没」以下のどこを読んでもまだ自力の信のなかを揺蕩っている。この場面に悪人正機を挿入してみる。言葉の相貌が一変する。悪人正機もまた煩悩であるが、悪人正機によって親鸞の思想は底がみえないほどに深みを増す。親鸞にとって悪人正機もまた煩悩だった。

ここで親鸞の思想を総覧してみる。仏法の言葉でしかこの世の条理を逍遥できなかった時代を生きた親鸞は共同幻想によって共同幻想のない世界を現成しようと、聖道門ではない遊心という他力をつくった。つまり共同幻想によって共同幻想を否定する背理を他力と表明した。たしかにあらゆる共同幻想は消滅すべきであるが、消滅する気配はいっこうになく、新興科学の宗教化によって科学教はよりその強度を増すばかりで、内面の自然も消滅しようとしている。なぜこんなことになるのか。親鸞の他力でも解けない生の条理がある。吉本隆明の考えもフーコーの考えも人類総敗北を前にしてまったく無力というほかない。人文思想はコロナ禍のうそで蒸発した。自同律を準拠とする外延知は人類の擬態をあたらしい統治のしくみとして人びとに受容することを強いることになるだろう。

ここまできて、鎌倉の時代に長命をえた親鸞も他力についてもっと考えつくしたいことがたくさんあったのではないかとおもうようになってきた。かれは他力のしくみをもっと詳しく説きたかった。なぜあれほど聖道門の信を激しく批判したのか。そうせねばならぬ事由が他力にあった。自力廻向の信を斥けないと他力がそれ自体として自存できないことを親鸞はしっていた。自然法爾の道理については沙汰するなという戒めに親鸞の深い想いがこめられている。他力が他力として自存するには他力のなかの他力が存在しなければならなかった。親鸞は「化身土巻」の最後を愚禿釈の鸞と称しつぎのように結ぶ。

<ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行證ひさしくすたれ、浄土の眞宗は證道いまさかんなり。しかるに諸寺の釋門、教にくらくして眞假の門戸をしらず。・・・これによりて眞宗興隆の太祖、源空法師、ならびに門徒数輩、罪科をかんがへず、みだりがはしく死罪につみす。あるいは僧儀をあらため、姓名をたまふて遠流に處す。余はそのひとつなり。しかればすでに僧にあらず、俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす。>(『教行信証』)

愚禿親鸞と非僧非俗の由来。興福寺より専修念仏の停止を訴えられたいわゆる承元の法難と呼ばれるもので、親鸞は僧籍を剥奪され五年の流罪に処せられる。33歳ぐらいのときではないかと思う。流罪により、享年90歳をもって入滅するまで生涯に渡って非僧非俗の思想を貫く。目をみひらいてよく見るとかれは愚禿鸞と名乗っている。僧に非ず、俗に非ずを突きぬけてみずからを愚と名づけている。ここに最期の親鸞が非知を超え愚禿そのものになり裸形で立っている。非僧非俗は時候のあいさつのようなもので最期の親鸞は愚の思想まで到達した。ここまでくると他力でさえ四季折々のうつろいのようなものとなる。

言葉として遺されてはいないが、親鸞が「他力のなかにまた他力とまふすことはききさふらはず」と言った、その刹那、おのずとヴェイユの婚礼の部屋で領域となった他力をしらずに生きている。この不思議。それにもかかわらず他力は他力本願という自力になって巨大な宗教集団をつくった。人類史を拘束する自同律のしばりを解くには他力という自力を疎外しない存在の複相性を往還するほかない。じかに性である他性によぎられた生を生きるとき、自己了解の始原的な遅れは消滅する。ここに科学教を超える総表現者にふさわしい全円的な卑小な愚の生の可能性がある。内包知は外延知に斥力として作用し、外延知の近傍に内接するが、外延知に順接することはない。なにより総表現者に固有の卑小で偉大な愚は、内包の夢や希望としてじかに生きられる。この世ならざる熱く息づく不意打ちの生の体験がなかったらこの親鸞論を書くこともなかった。

煩悩にまみれながら愚となって日々をやりくりしている。やっとひとつ書くことができた。うれしい。

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