日々愚案

歩く浄土39:共同幻想のない世界1

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親鸞の遺した言葉のなかに共同幻想のない世界がありありと記されている。親鸞のこの境位は読み解かれていない。内包論からそこを解義する。

7年前に「根づくこと」という文章を書いたことがありますが、そのとき気づいていないことがいくつかあります。内包論も苦労をしてそのときより言葉を深くすることができました。

りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり。(『唯信抄文意』)

親鸞の「われらなり」ということをどう理解するか。ここにはたくさんの未知が眠っている。まだだれも読み解いていない。当時は、不可侵・不可被侵という満月の思想として読み込みました。親鸞のこの言葉に出合ってうれしかったことを覚えています。親鸞の言葉は強くて深い。でもまだ先があるとつい先頃思い始めた。

わたしはながいあいだ共同幻想のない世界をつくろうとしてそのあまりの困難さに七転八倒してきた。それでも悶絶しながらじぶんなりにいくつかの概念をこしらえてきて、やっと親鸞の言葉ともう一度出会うことができたのです。

わたしは親鸞の言葉には途方もない思考の可能性が秘められていると思います。そしてそこはまだだれによっても解読されていません。親鸞が言おうとして充分には言い尽くしていない思想が読まれるのに、親鸞以降の800年というながい時間がひつようだったのかもしれない。

なぜ親鸞の思想の未知は眠ったままだったのか。親鸞の思想を読み解くには読み解く側に独自の概念が要請されるのです。それがないと強力な親鸞の言葉に引きずり込まれてそこから出てくることができません。親鸞は弟子ひとりもたず候、と言っているにもかかわらず、親鸞の他力という信の信者になるしかないというわけです。

中国の古代文字については説文解字という字義が2千年のあいだ聖典でした。白川静は甲骨文や金文という象形文字を呪術的なものとして解読しました。古代象形文字の成り立ちの前提を変えることで独自の解釈を得たのです。
解読者の独自の概念がないと親鸞の思想を解読することはできないと思います。

根源の性やその分有者、あるいは内包自然や還相の性という概念はわたしの独自の概念です。ここから親鸞の遺した言葉をもう一度解読する。

ふたたび、「りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」ということはどういうことか。
通り一遍には、苦界にあえぐ人々の立場に立つという自力作善の人の欺瞞をついた言葉として理解されます。石や瓦を飛礫のように投げられる被迫害者はおれとおなじ、おれもそうだ、という理解です。もちろんこれだけでも自力作善の欺瞞と虚偽は批判され尽くしています。親鸞の言葉は不可侵・不可被侵という満月の思想です。

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いまわたしはどうじに道元の『正法眼蔵』のことも考えています。道元の思想の特徴は、〔いま〕のなかに過去と未来を陥入させることにあります。〔いま〕の覚知で過去と未来を包んでしまうことといってもよい。道元にとって時間は流れるものではない。いまここにつねに凝縮されてあるものです。時は流れないのです。とても魅力的な考えですが、道元の思想には他者がありません。だから煩悩解脱のスキルにしかならないのです。

親鸞の「われらなり」は道元の思想とはべつのものです。不可侵・不可被侵という満月の思想のさらに先まで言っているようにみえます。親鸞の「われらなり」は時は流れぬということに止まらず、垂直な時間として親鸞をつらぬいて〔いま〕をはるかに拡張しているとわたしは理解します。ここに未知のおおきな思想の源泉が眠っています。
わたしは、浄土教の教義を解体した親鸞は、仏教にたいする異解を超えた地平まで言葉を届かせていると理解するようになりました。親鸞の最期の思念のうちでは浄土教の教義の解体も仏法もどうでもいいことだったように思えます。

最期の親鸞がつかんだものはおそらく正定聚ということでもうまく言いえない覚知だったように思います。正定聚、他力、自然法爾という親鸞独自の概念を駆使して、竪の言葉にたいして横超で破っています。そのとき親鸞はどこにいたのか。親鸞でさえおぼつかなかったのではないか。私は歳をとり目も見えなくなったし、耳も遠くなったので、そういうむつかしいことは叡山の学僧にきいてください、と見事に知を解体しています。
86歳の親鸞が「末燈鈔」で「この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねにさたすべきにあらざるなり」と言っていることからもそのことがうかがえます。
おもわず「われらなり」といったが、それはどういうことなのか、いったいここはどこなのだ。あんがい親鸞の本音だったのかもしれません。

苦界にある「さまざまなもの」を「われらなり」というとき、この世のしくみは、信もふくめて、一度は反転していますが、あの世に浄土があるとは言っていません。そんなことはすでに親鸞にとってはどうでもいいことだった。浄土、それはここにある、というのが親鸞の思想です。しかし親鸞にとっても歩く浄土を言いあらわすのは模糊として困難だったと思います。他力、自然法爾、正定聚というわずかな言葉しか、かれにはのこされていなかったのです。

おそらく最期の親鸞は、かれの言葉では自然法爾ですが、内包自然にさわっていたのです。この玄妙さは正定聚という言葉でもじゅうぶんには言い尽くすことができなかったように思います。内包論でかれの未然を引き継ぎ、そこをひらこうとしています。

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苦界にあえぐ衆生を「われらなり」というとき、われらは仲間なりという親鸞の呼びかけです。しかし、すでに浄土教の信を解体し、弟子はひとりもたず候という親鸞にどういうつながりがあるというのか。もうどこにも信の共同性はない。他力によって竪の言葉(この世のしくみ)を横超せよ、というしかないのです。ここはいったいどこなのか、親鸞でさえうろたえたに違いない。とんでもないところにおれはきてしまったものだ。だから、この道理を心得たら、この自然(じねん)は沙汰するな、と言ったのです。

親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念佛まうしたること、いまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念佛を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてて、いそぎ浄土をさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと、云々。(『歎異抄』

親鸞の「われらなり」は「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」ということであり、還相の性を通じた内包的なつながりを指しています。外延的な血縁の家族より、外延的な親族より、有情にてつながるものは仲間である、家族のようなものである、〔ことば〕の縁によって結ばれた者どうしは内包的な家族である、内包自然のつながりのほうが関係は濃ゆいのである、と親鸞は言っているようにみえる。わたしの言葉で言えば、内包家族や内包親族に比喩できると思う。ここまでこないと信の共同性は解体できないのです。

他力によって同一性を超出した親鸞は血縁ではない、もちろん信の結社でもない、内包的な家族を呼びかけていたのだと思う。言葉としてはのこされていませんが、このとき親鸞は正定聚から還相の性に転位していたと私は理解しています。この転位とどうじに、ひとりひとりの自己は、自己のなかで目覚めた根源の性のうながしにより分有者となり、拡張され、領域としての自己になっています。内包自然には信はもともとないのですから、領域化した自己はそれぞれが自己と共同性を包んでしまうのです。「われらなり」という親鸞の呼びかけはそこまで透徹していたと思います。わたしは「さまざまなものは」「われらなり」という親鸞のうながしの言葉はそのことを意味していたと解します。

内包論の言葉として言えば内包家族、内包親族のようなものだと思います。もちろん外延的なつながりを自然的な規定とする同一性の彼方の出来事であるので外延的な実体化はありません。
有縁を得度すれば「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」となるのです。ここには同一性を淵源とする信の共同性はありません。同一性は包まれてしまっているのです。この世のしくみとは違う生のあり方が可能となります。ここにはどんな共同幻想もありません。自己も共同性も信が解体され、べつの生のあり方へと横超するのです。

親鸞の自然(じねん)を内包自然と解すると正定聚が一気にふくらみ、還相の性となります。根源の性は仏の慈悲の彼方にある背後の一閃です。最期の親鸞はこの彼方を指し示し、生の原像を分有者に内在する還相の性として生きよ、と言っていたようにみえます。それはけっして親鸞の言葉として遺っていることではないのですが、わたしは、幽明の最期の親鸞はそこにいたに違いないと思っています。ここまできてやっと親鸞の他力も大団円を迎えるのです。

コメント

1 件のコメント
  • 倉田昌紀 より:

    おはようございます。共同幻想のない射程とは、どのようなことか?国民国家のない射程とはどのようなことか?小生には、共同幻想即国民国家、国民国家即共同幻想、貨幣即国家、国家即貨幣、と共同幻想は相互に関係しながら、紀州・熊野での日々の生活に当たり前のようにつながって、棲んで生活することに関わって来られます。これは、一体生きて生活する当事者にとって、どのようなことを意味しているのか、また意味されているのか。小生には、共同幻想即今だけ金だけ自分だけ、今だけ金だけ自分だけ即共同幻想、ということになります。それは、紀州・熊野の白浜町では、とても息苦しいのです。
    「わたしはながいあいだ共同幻想のない世界をつくろうとしてそのあまりの困難さに七転八倒してきた。それでも悶絶しながらじぶんなりにいくつかの概念をこしらえてきて、やっと親鸞の言葉ともう一度出会うことができたのです。」。この言葉は、小生には響いて来ます。なぜなら、空気のように、消費税のように共同幻想が生きて生活に押し寄せて来る現場に棲んで生活している当事者のひとりだからです。
    「親鸞の「われらなり」は「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」ということであり、還相の性を通じた内包的なつながりを指しています。外延的な血縁の家族より、外延的な親族より、有情にてつながるものは仲間である、家族のようなものである、〔ことば〕の縁によって結ばれた者どうしは内包的な家族である、内包自然のつながりのほうが関係は濃ゆいのである、と親鸞は言っているようにみえる。わたしの言葉で言えば、内包家族や内包親族に比喩できると思う。ここまでこないと信の共同性は解体できないのです。」。この言葉を小生なりに、今ここの生活の現場性に照らし合わせ照合すると、どのようなことを意味することになるのか。それは、今だけ金だけ自分だけ即共同幻想、また国民国家即貨幣即共同幻想即今だけ金だけ自分だけ、と「われらなり」即ひとりの生活なり、ひとりの生活即「われらなり」と反復され、日々の生活の繰り返しとなってつながって行きます。
    「有縁を得度すれば「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」となるのです。ここには同一性を淵源とする信の共同性はありません。同一性は包まれてしまっているのです。この世のしくみとは違う生のあり方が可能となります。ここにはどんな共同幻想もありません。自己も共同性も信が解体され、べつの生のあり方へと横超するのです。」。今ここを生きて生活する当事者としての小生には、「自己も共同性も信が解体」された、別の生のあり方は、どこにあるのか、と小生自身に問いかけてくる声が響きます。
    「他力によって同一性を超出した親鸞は血縁ではない、もちろん信の結社でもない、内包的な家族を呼びかけていたのだと思う。言葉としてはのこされていませんが、このとき親鸞は正定聚から還相の性に転位していたと私は理解しています。この転位とどうじに、ひとりひとりの自己は、自己のなかで目覚めた根源の性のうながしにより分有者となり、拡張され、領域としての自己になっています。内包自然には信はもともとないのですから、領域化した自己はそれぞれが自己と共同性を包んでしまうのです。「われらなり」という親鸞の呼びかけはそこまで透徹していたと思います。わたしは「さまざまなものは」「われらなり」という親鸞のうながしの言葉はそのことを意味していたと解します。」。そして、以下のようなことが意味され、また同時に新たに生成しながら意味してきます。
    「親鸞の自然(じねん)を内包自然と解すると正定聚が一気にふくらみ、還相の性となります。根源の性は仏の慈悲の彼方にある背後の一閃です。」。「りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり。(『唯信抄文意』)親鸞の「われらなり」ということをどう理解するか。ここにはたくさんの未知が眠っている。まだだれも読み解いていない。当時は、不可侵・不可被侵という満月の思想として読み込みました。親鸞のこの言葉に出合ってうれしかったことを覚えています。親鸞の言葉は強くて深い。でもまだ先があるとつい先頃思い始めた。」。そうです、先があるのです。それは、小生の生きて生活するなかに、小生の生存感覚という、この感覚に生きていることに、共同幻想即国民国家の、今だけ金だけ自分だけ即共同幻想に、その現場性を生きている当事者として気づくことに、この感覚にあると、思っています。この感覚は、他力の他力なのでしょうか?と道元さんの自力即他力、他力即自力から問われているようにも今の小生には、感じ思っています。紀州・熊野の白浜町という田舎で、墓仕舞いをしながら、貨幣の世界システム即国民国家即共同幻想、と「ひとり」即「われらなり」と、行き詰まってしまいました。支えてくれているのは、根源の性の「ふたり」なのだと感じながらのことなのですが、その先を小生なりにヒントを頂きながら生きて生活して開いていかなければ、他力の他力が今ここのこの生存感覚に響いてはきてくれないことなのでしょう、と感じながらのことなのでした。いや生成する感覚の一瞬一瞬の流れなのでした。一瞬共同幻想のない世界の射程に煩悩と伴に、煩悩の共同幻想からも瞬時解放されていたのかも知れません。

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