日々愚案

歩く浄土59:内包親族論3

41B-aUysusL__AC_US160_
    1
わたしが構想している内包論はまだだれによっても書かれていないので、書きすすめようとしても手がかりになるものがほとんどなく、作品や著作の無意識を内包論へと拡張しながら読み解いている。
わたしのとる方法はシンプルである。以前書いたことのある文章から任意にそこを引く。わたしはいつもおなじ主題をめぐって延々と考えている。

わたしはべつの手立てがあると思う。それは同一性に拠らない生であり、歴史だ。なぜならそれは何も特別なことではなく、人の始まりにおいてもともとあるものだからだ。内包と分有からはじまる人類の内包史が可能だとわたしは考えている。あるものをそのものと同一とみなすことに生の不全感と権力の起源があったのだ。あるものとそのものは厳密には内包の関係にあって、同一ではない。あるものを往相とすれば、そのものは還相として、あるものにかさなるのだ。東洋の自然への融即の思想も、ギリシャから興った形而上学もこのことに気がつかなかった。アインシュタインは時空という認識の枠組みを認識の対象とした。アインシュタインによる自然の革命だった。思考の変化と、その枝葉のひとつである自然科学の進展がべつに軌を一にするわけではないが、時空が拡張できるならアインシュタインでさえ疑わなかった同一性という認識の枠組みを革めてもいいはずだ。同一性の相対論的効果というものが考えられてもよい。

抽象とは捨象にほかならないのだが、諸科学の要素還元主義には妥当な範囲があり、また充分に威力を持つものだった。たとえば数学者の岡潔は言う。「自然数の一について、もう少しお話ししておこう。数学は一とは何かを全く知らないのである。ここは全然不問に付している。数学が取扱うのは、次の問題から向うである。どういう問題かというと、自然数と同じ性質を持ったものが存在すると仮定しても問題は起らないかどうか。このように数学がわかるためには、自然数の一はわからなくてもよいのである」(『日本のこころ』)〈ある〉を切断する強さによって数学は成り立つ。「一」を識らず不問に付し棚上げするいさぎよい心意気に数学の本領がある。そのことに釈然としなかったフッサールは数学基礎論から哲学へ侵入し現象学を創った。

我が親鸞は〈わたし〉のふるまいの不可思議を究尽し、「みずから」と阿弥陀仏のあいだがらを他力思想や横超という考えとしてあらわした。それは空前絶後のものだった。あるものが還相を介してそのものに還ることを親鸞は知悉していた。同一性は親鸞によって極限まで拡張されたと言ってよい。老齢の親鸞がつぶやく「この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねにさたすべきことにはあらざるなり」(「末燈鈔」)に身震いする。

みずからなるわたしの果てのなさに人びとはさまざまな機微を読み込んできた。神や仏という大洋感情との絆が薄れていくにしたがって、人びとはこの超越を精神の至上物や外化されたものとみなすようになってきた。この時期に先カンブリア紀の進化の大爆発ならぬ思考の大爆発がおこった。それはあまりに多種多様で一言では言えない。総覧して、わたしは人間の知性は意識の第二層まではこじあけることができたと考えている。しかし、どういう精妙煩瑣なしかけをもってきても同一性の堅固がゆらぐことはなかった。それは人類史というに等しいほどの規模をもっている。そしてその果てに豊かさの裏に貼りついた空虚という境涯を手にしたのだ。人びとがみずからの意識の無限性を内包のきりのなさのあらわれと考えることはけっしてなかった。

ここでかんたんに関係の意識の層を定義する。もとより、存在の彼方に迫ろうとしているのだから、同一性を前提とした、自己・対・共同観念のからみのひとつとしてある対関係をそれは意味しない。対関係こそそこからあらわれ、人間という現象がそこにおいて興るはじまりのしくみを取りだしたいのだ。そこで、「私」は「君」ではないとして出会う、それぞれの生が交わるところに生まれる対関係の世界を意識の第一層とする。わたしがあなたをわたしの分身として生きる対関係の世界を意識の第二層と考えてみる。さあ、意識の第三層だ。第三層は根源の一人称にある。(『Guan02』188~189p)

「歩く浄土59:内包親族論3」で書きたいことはふたつ。
ひとつは根源の性の分有者の奥にある還相の性と対幻想の異同について。わたしは対幻想の拡張として還相の性があると思っている。
もうひとつは、喩としての内包的な親族と、わたしたちが生きているこの外延世界での家族との異同。おそらく還相の性によって家族は拡張される。あるいは喩としての内包的な親族と共同性の異同について。困難だがそのことの大要をメモ書きする。

    2
内包という表現意識のきりのなさは分有者の意識として表現されるのだが、この分有者の意識のありようは外延論の自己意識のありようとは異なる。それが内包論の要だ。
同一性を拡張しようとして親鸞の悪人正機の思想からはおおいに恩恵をうけた。諸学でいえば岡潔の考えに惹きつけられた。岡潔は言う。

①人には心が二つある。大脳生理学とか、それから心理学とかが対象としている心を第1の心と呼ぶことにします。この心は大脳前頭葉に宿っている。この心は私と云うものを入れなければ動かない。その有様は、私は愛する、私は憎む、私はうれしい、私は悲しい、私は意欲する、それともう一つ私は理性する。この理性と云う知力は自から輝いている知力ではなくて、私は理性する、つまり人がボタンを押さなければその人に向って輝かない知力です。だから私は理性するとなる。これ非常に大事なことです。それからこの心のわかり方は必ず意識を通す。

ところが人には第2の心があります。この心は大脳頭頂葉に宿っている。さっきも宿っていると云いましたが、宿っていると云うと中心がそこにあると云う意味です。この心は無私です。無私とはどう云う意味かと云いますと、私と云うものを入れなくても働く。又私と云うものを押し込もうと思っても入らない。それが無私。それからこの心のわかり方は意識を通さない。直下にわかる。東洋人はほのかにではあるが、この第2の心のあることを知っています。
で、本当は第2の心のあることを知らないのを西洋人と云い、ほのかにでも知っているのを東洋人と云っているのです。それが定義になる訳ですね。特に日本人は第2の心のあることが非常によくわかる。もし、西洋かぶれさえしてなかったら、心が第1の心だけしかない等と、そう云うはずがないと云うことが直ぐにわかる。(「一滴の涙」1970年5月1日 於:市民大学仙台校)

②物質さえわかれば全てわかるという考え方、間違ってますが、これを物質主義といいます。また肉体とその機能とが自分であると、そういいましたね。肉体とその機能とが自分であるというのも間違いですね。まあ間違ってるとはっきり言えないまでも、自然科学の間違いから来てるということでしょう。これを個人主義というのです。

肉体とその機能とが自分であるというのが個人主義、物質がわかれば皆わかると思うのが物質主義。どうも物質主義、個人主義が間違った思想の基だと、そう思います。(「自然科学は間違っている」)

心の最も基本的な働きは、2つの心が融合することが出来ることである。人の中心は心だから、心が合一すると、その度合いに応じて人の心がわかる。また、自然の中心も心だから、それと合一すると、その程度に応じて、自然というものがわかる。総て本当にわかるのは、腑に落ちるというふうなはっきりしたわかり方は、心が合一することによって達せられる。心の中心には時間も空間も無い。時間、空間を超越している。(「2つの心」)

この第2の心の世界はその要素である第2の心は二つの第2の心が不一不二だと云うのだから数学の使えない世界です。又この世界には自分もなければ、この小さな自分ですよ、五尺の体と云う自分もなければ、空間もなければ時間もない。時はあります。現在、過去、未来、皆あります。それで時の性質、過去の性質、時は過ぎ行くと云う性質はあります。しかし時間と云う量はありません。そんな風ですね。自分もなければ空間もなければ時間もない。その上数学が使えない。

そんな風に不一不二だから目覚めた人はこんな風になる。(「一滴の涙」)

数学の本質は情緒であると考えた岡潔はかれの直感を数学として表現した。まだ解読は終わっていない。途方もない困難にかれは挑んだ。岡潔の自然は東洋の自然であり、意識はこの自然に融即しうることが説かれている。東洋の哲学はそのスキルを洗練するだけ洗練してきた。むしろそれしかないのかというくらいに。わたしは岡潔の自然理解はモダンだと思ってきた。東洋・西欧に先立つ内包自然というものがあるのだ。ここから岡潔の2つの心を解読する。
わたしは岡潔のいう宇宙の一元としてある心は内包の面影が実体化され、制約されたものだと理解している。その本然である根源のつながり、わたしの言葉で言えば根源の性が共役的にくびれて分有者となり、自己意識を基点とすれば、そこにはふたつのこころがあるようにみえ、領域としての自己と現象し、内包的な表現意識を基点とすれば還相の性として現象する。つまり岡潔は一と多の融即しか言いえていない。句作をしなくても松尾芭蕉の俳句を一陣の涼風として感ずることはできる。それは知識ではなくわたしたちに深く根づいていることで深く感得できる。それはまた根深い因習である天皇制という自然への融即としてもある。

    3
還相の性と対幻想の違いについて語ろうとするときに前提となることを以前書いたノートから貼りつける。

親の子であるわたしは家族の一員である。これは自然です。この家族をかりに天然家族と呼んでみる。あるとき未知の他者に惹かれ対をなし、子の親になるのは自然か。血縁からいえばこの親子は自然です。ではもともとは赤の他人である夫婦は自然か。
こうやって順次、そのつど、一対の天然ではない自然をふくみながら家族は連綿としてつづいていきます。家族が連続するごとに一組ずつ未知の他者が組み込まれます。わたしたちはこのことを自然として受容していますが、ほんとうにそうでしょうか。
わたしは血縁を介さないある個人がべつのある個人と出会い対となるのは内包自然だと思います。ここに多くのことが隠れています。わたしは対幻想の本態を内包自然だと考えるようになりました。

あるひとりの個人がべつのある個人と惹かれあいペアをなすときそれは自然ではなく内包自然なのです。それは対という外延表現を自然的な基底とする対幻想よりひろがりと奥行きのある概念です。しかしわたしたちは万余の世代そのことに気づかずに暮らしてきました。
内包論で根源の性や根源の性の分有者や還相の性という概念をつくってきましたが、家族が天然自然か内包自然なのかということについて、わたしのいくつかの概念で、それがどういうことであるのかつなぎ合わせていきます。

個人の実存のなかで根源の性、あるいは根源のつながりが冬眠や休眠している。そのかぎりでその個人がそのことを意識することはふだんはありません。そのようにわたしたちは生きています。ふとある縁(えにし)によってわたしたち個々の実存が破られることがあります。それは間違いなく同一性を超える体験だ。ある縁(えにし)があると、だれもがメビウスの輪になった生を生きることになります。このことは同一性を前提にしたりくつでは説明がつきません。そのとき同一性は破られているのに、わたしたちそのことに気づかずに、同一性の彼方をその刹那ふたたび同一性に封じ込めるのです。そして同一性の彼方の経験があるにも関わらず、互いに個人から性へと向かうのです。この世界のことを吉本隆明は対幻想と規定しました。

なぜ吉本隆明は共同幻想のない世界をつくることができなかったのだろうかとよく考えます。かんたんなことかもしれないのです。吉本隆明の自己幻想も対幻想も同一性に閉じられていたからです。あらゆる共同幻想は消滅すべきであると渇望することはいいのですが、自己幻想という自然も共同幻想という自然も同一性を基準にするかぎり、ふたつの自然が逆立することや対立したり背反することはありません。原理的にできないことを吉本隆明は言っているのです。
吉本隆明が自己を領域として、あるいは対の内包を生きたならば共同幻想論は書かれなくてもよかった。国家は消滅すべきだと力こぶをつくって言わなくても、国家のできない人と人の関係のあり方が可能だったのです。
内包論をていねいに考えていくと、世界はゆるやかな親族のようなものとして輪郭をあらわしてくることになります。それはわたしたちが生きているこの世のしくみでは、自己を領域とする理念によって可能となることのように思います。
吉本隆明の思想を対手とするのか。そんなことはない。生を陽気にすることのない思考の型との戦いだ。わたしはひとりで戦っている。(「歩く浄土33」)

「歩く浄土」でなんども片山さんの『世界の中心で、愛をさけぶ』のアキと朔の会話をとりあげた。それをコピペする。

「いま重大なことに気がついた」
「今度はなに?」窓の外を見ていた彼女は、億劫そうに振り向いた。
「アキの誕生日は十二月十七日だろう」
「朔ちゃんの誕生日は十二月二十四日ね」
「ということは、ぼくがこの世に生まれてからアキがいなかったことは、これまで一秒だってないんだ」
「そうなるかな」
「ぼくが生まれてきた世界は、アキのいる世界だったんだ」
 彼女は困ったように眉を寄せた。
「ぼくにとってアキのいない世界はまったくの未知で、そんなものが存在するのかどうかさえわからない」
「大丈夫よ。わたしがいなくなっても世界はありつづけるわ」
「わたしは朔ちゃんが生まれるまで待ってたのよ」やがてアキが穏やかな声で言った。
「朔ちゃんのいない世界で、一人で待ってたのよ」
「たった一週間だろう。ぼくはいったいあとどのくらい、アキのいない世界で生きていかなければならないと思う?」
「時間の長さは、そんなに問題かしら」彼女は大人びた口調で言った。「わたしが朔ちゃんと一緒にいた時間は、短かったけどすごく幸せだった。これ以上の幸せは考えられないってくらい。きっと世界中の誰よりも幸せだったと思うの。いまこの瞬間だって……だからもう充分だわ。いつか二人で話したでしょう、いまここにあるものは、わたしが死んだあとも永遠にありつづけるのよ」(153~155p)

「いまここにあるものは、わたしが死んだあとも永遠にありつづける」とはつぎのことだ。

「わたしはね、いまあるもののなかに、みんなあると思うの」ようやく口を開くと、彼女は言葉を選ぶようにして言った。「みんなあって、何も欠けてない。だから足りないものを神様にお願いしたり、あの世とか天国に求める必要はないの。だってみんなあるんだもの。それを見つけることの方が大切だと思うわ」しばらく間を置いて、「いまここにないものは、死んでからもやっぱりないと思うの。いまここにあるものだけが、死んでからもありつづけるんだと思うわ。うまく言えないけど」
「ぼくがアキのことを好きだという気持ちは、いまここにあるものだから、死んでからもきっとありつづけるね」ぼくは引き取って言った。
「ええ、そう」 アキは領いた。「そのことが言いたかったの。だから悲しんだり、恐れたりすることはないって」(129p)

「お別れね」と彼女は言った。「でも、悲しまないでね」
 ぼくは力なく首を振った。

「わたしの身体がここにないことを除けば、悲しむことなんて何もないんだから」しばらく間を置いて彼女はつづけた。「天国はやっぱりあるような気がするの。なんだか、ここがもう天国だという気がしてきた」
「ぼくもすぐに行くから」ようやくそれだけ口にすると、
「待ってる」 アキはいかにも儚げに微笑んだ。「でも、あまり早く来なくていいわよ。ここからいなくなっても、いつも一緒にいるから」
「わかってる」
「またわたしを見つけてね」
「すぐに見つけるさ」(160p)

アキがいう「なんだか、ここがもう天国」。「いつも一緒」。これ、内包の感覚です。歩く浄土です。個人の内面に起こっていることとはまったく違います。それ自体としての領域です。この世の倣いではすぐに同一性が回収して内面化されますけど。
内面化された観念をわたしたちは対幻想と呼んでいます。内包の知覚は対幻想とは違います。それ自体です。谷川俊太郎の「あなたの夢の中に立っていた」のはだれか。「私」ではない。この内包の感覚を同一性で刻むことができますか。できません。原理的にできません。そういうことをながく言ってきました。(「歩く浄土」34」)

前回のブログでもアキと朔の最後の会話について少し触れましたが、なにか大事なことを書き残した気がします。
アキが言います。「ここからいなくなっても、いつも一緒にいるから」。・・・
「またわたしを見つけてね」。朔が「すぐに見つけるさ」と応えます。この場面はとても大事なことが言われていると思います。

もしもひとであるということになにかよいことがあるとすれば、ひとつの象徴としていうのだが、アキと朔が知覚したこの世界だけではないのか。そしてよきものはそれだけだ。観察する理性や俯瞰する視線は、そういうものは気の迷いで錯覚であると言います。合理的なモナドはそう言う。そうかもしれぬ。そうだろうか。。。わたしはそうは思わない。
「またわたしを見つけてね」と訊かれ「すぐに見つけるさ」と応えるとき、そこに生の不全感や空虚があるだろうか。ない。
まったくの受動性のうちにこの世に生を享け、名づけられ、ながくて100年のあわいを生きる。起源と終極を問わず、一切のなぜが消えるこの場所。さまざまなしがらみのなかでこれが欲しくて生きている。ここに言葉がことば自身を生きるということがあるとわたしは考えています。そのとき、ここがどこかになり、浄土が歩きます。

内面化された自己を語っているのではない。けっして共同化することも内面化することもできない、この場所。それ自体。昔も今もこれからも、世のなかのしくみがどうなろうと、この場所はあるし、ありつづける。わたしは生のこのありようを内包と名づけた。

少しリクツを言う。「またわたしを見つけてね」は、アキの不在の場所に向けた、祈念の垂直な時間性だと思う。朔は訊かれて「すぐに見つけるさ」と応える。あっ、そこに彼女がいるという空間の認知です。このときアキの時間と朔の空間化は瞬時で、言葉にすきまがない。根源の性を分有することをわたしはこう考えています。根源のつながりによぎられるということはこういうことです。内面化することはできません。分有するという出来事があるだけです。このとき生の不全感や空虚は入り込む余地がありません。
この関係のあり方のことを内包と言っている。内包に触ると、この世の外延論のしくみでは、自己は領域として現れます。自己幻想も対幻想も共同幻想もすきまだらけです。自己幻想のなかでも、対幻想のなかでも足下に水が流れているのです。
ふつうは気づかない。自己幻想は自己幻想で、対幻想は対幻想だと思い込んでいるから。内包論からみるとそれぞれの幻想にはそれぞれのすきまがある。そしてそれぞれのすきまを通して対幻想を媒介に、自己幻想が共同幻想と密通するのです。マルクスの資本論にしても吉本隆明も幻想論にしても暗黙の公理を同一性においているからだ。

この世のしくみのなかで対他性をうしなった垂直な時間性は同一性を公理として空間的に分割されます。それがわたしたちが生きている知のあり方です。レヴィ=ストロースの『遠近の回想』を読み返して気づきました。かれは少年のとき「私の生涯を根底から変えた」体験の悲しみを封印しました。哲学の内省では歯が立たないという体験だった。斯くしてレヴィ=ストロースは人が単子(モナド)に分割される以前の未開種族を観察したのです。内田樹さんが『日本戦後史論』(この本は読みやすくて面白いです)のなかで、自分のことを「典型的日本人」と言っていました。いったん自分を日本人のなかに融解してしまえばわかりやすい言説が可能です。だれもが身につまされるからです。しかしレヴィナスを研究する自分と社会化した自分のあいだにはすきまがあると思います。安倍晋三というオカルト男の悪政を批判する者たちはみなこの使い分けをしています。

けっして共同化することも内面化することもできない根源の性のつながりの垂直性は、このつながりを分有することではじめて空間化できます。空間化できるということは言葉が指示性をもつということです。そのときだけ言葉にすきまができません。心身一如のありように、この知覚を封じ込めると必ず意識に特異点が生まれます。この意識の不全感を解消しようとして神や仏という超越が呼び込まれたのです。わたしたちが信の共同性をつくってから、その後の1万年は、倒錯であれ、錯誤であれ、一瞬の出来事だったと言えると思っています。

この内包の考えを家族と親族に敷衍すると、家族と親族はまったく位相が違うことに気づきます。対幻想の本態は内包自然にあります。レヴィ=ストロースにも所与の天然の親族とそのつどの内包自然という家族の違いはわかりませんでした。文化人類学の幼さです。くり返しますが、天然自然としてある親族と内包自然の家族はまったく次元が違います。遠野物語の柳田国男の民俗学も、遠野物語を下敷きにして共同幻想論をつくった吉本隆明もおなじ轍を踏んでいます。共同幻想論は拡張できます。(「歩く浄土35」)

アキと朔の最期の会話からわたしたちの知る自然とはべつの自然がありうることがうかがえます。同一性を前提とした対幻想ではないと思います。いうならば彼らが知覚したのは内包自然です。アキの「また見つけてね」と朔が「すぐに見つけるさ」という応答は、アキが朔であり、朔がアキであることなしに成り立ちません。対幻想ということでも自己幻想ということでも言い尽くせません。この別れのとき、アキのなかに朔が、朔のなかにアキがすっぽり入ってそれぞれの自己が領域化されています。根源の性の分有者は内包自然です。アキはアキであり、朔は朔であり、互いに離接しています。それにもかかわらず離接したままひらかれています。アキはこれから死に行くのですが、それにもかかわらずいつも一緒でふたりです。残される朔も、ひとりでいてもふたりです。根源の性の分有者ととはそういうことです。それでもこの事態を言い表すにはまだひとつなにかが足りないのです。

「いつも一緒にいるから」とアキが朔にいう別れの言葉は還相の性から言われていると思います。まもなくアキはいなくなります。それなのになぜ、いつも一緒が可能となるのでしょうか。離接する生が不可分で不可同ということでは説明がつきません。どういうことか。親鸞に往相廻向と還相廻向という言葉があります。還相の性は往相の性とは違います。ひとつの還相のリアルです。
もう一度、なぜ、いつも一緒は可能となるのか。それは根源の性から分有者への働きかけが一方的で一意的だからです。ある縁(えにし)があって根源の性によぎられるということは個々の計らいとは無縁のまったくの受動性です。内包の知覚とはそういうことです。根源の性を宿した分有者の相互の関係も不可分・不可同でどうじに不可逆です。だからいつも一緒ということが可能となります。それは計らいを超えた出来事です。この生の知覚が可能となる場所を内包自然とわたしは呼んでいます。

この性の知覚は歴史の概念としてもいうことができます。悠遠の太古わたしたちの陽気な面々は群れの意識のなかに融解していたと思います。自然からむくりと身をもたげ、自然から分別されたとき、身が凍る激しい恐怖が鎌をもたげました。アニミズムがここに起源をもちます。自然から分割されることの恐怖とふたたび自然へ回帰したい衝動がトーテミズムとしてのこされているのだとわたしは理解しています。半人半獸はその痕跡ではないか。半ば自然で半ばヒトであったわたしたちの祖型にやがて灼熱する激しい感情が沸きあがりました。根源の性はここまで内挿することができるような気がします。あまりに激しすぎるこの性の感情を身に封じ込めようとしてわたしたちは家族をつくったのではないか。親族を外延するごとに、そのたびに、内包自然という性を繰りこむこととして、家族は連綿としてつづいてきました。絶えず外延と内包が転位しています。家族という対意識の淵源はほんとうは内包自然としての家族にあるのです。(「歩く浄土37」)

アキと朔の最後の話にしつこくこだわります。

なんども取りあげてきた谷川俊太郎の好きな詩がある。

あなたの眠らなかった夜を私は眠ったが
私の知らないあなたの日々は
私の見た夕焼け雲に縁どられていた(「日々」)

なんど読んでもいいなと思う。
もっとすごいのもあります。

まわらぬ舌で初めてあなたが「ふたり」と数えたとき
私はもうあなたの夢の中に立っていた(「ふたり」)

この感覚もよくわかります。

誰も名づけることは出来ない
あなたの名はあなた(「名」)

そのとおりです。

もうひとつ諳んじている好きな詩があります。

どっかに行こうと私が言う
どこ行こうかとあなたが言う
ここもいいなと私が言う
ここでもいいねとあなたが言う
言っているうちに日が暮れて
ここがどこかになっていく(「ここ」)

まもなく死ぬことになるアキと朔の今生の別れの話は、少しだけ狂おしくはあっても、谷川俊太郎の詩とまったくおなじです。
アキのなかに朔がすっぽり入ってきて、朔のなかにアキがすっぽり入ってきて、もうアキはアキでなくなり、朔は朔でなくなっています。さらにアキは朔であるだけでなく、朔はアキであるだけでなく、ここを突きぬけます。そしてそのままにここがどこかになっているのです。宗教的な信はここまでくることはできません。

わたしはこの不思議を、AとBが関係したらAでもBでもないCがあらわれると言ってきました。それが内包だとも。アキと朔に聞いたら、そう、そう、そう、と言うに違いないと思います。これはリクツではなく知覚です。
アキと朔がつくったのは内包自然です。縁(えにし)によっておのずから現成したのです。だれのなかにもひっそりと眠っている、それがあることによってヒトが人となった由来である根源の性によぎられて、アキと朔は内包自然に触れたのです。だからアキは「ここがもう天国のよう」と言います。アキも朔も内包自然を生きたのです。

この生の知覚を同一性でたどることは絶対にできません。外延表現の世界ではピカソの触れた真っ赤な青も、曲がった直線も、ずっしり軽い性も矛盾です。内包表現ではあったりまえの自然です。死に行くアキはアキであり、残される朔は朔です。外延表現ではそうなります。それにもかかわらず、アキが朔になり、朔はアキです。さらにアキでもない、朔でもないところまでゆくのです。内包論では自然です。むしろこの驚異が自然なのです。たがいのことを思いやるということとはまったく絶対に違います。このとき自己も外界も反転し、この内包自然に陥入してしまいます。

朔になったアキと、アキになった朔は、さらに深い、この世のどんなものより深い世界に期せずして触っています。もちろんアキや朔がそのことを言葉として意識することはなかったと思います。無意識であってもアキと朔はそこまで行っています。それは始まりがあって終わりのない意識の流れです。神仏と往相の性の彼方の内包自然です。
この不思議や驚異を言葉としてとりだすことができれば、人為や意志とはなんのかかわりもなく、わたしたちのこの世のしくみはおのずからひとりでに変わります。
そういう驚きがアキと朔のひかえめだけど狂おしい話のなかに埋もれています。なんならこの会話だけで世界認識の方法をつくりあげることもできます。

アキと朔の別れの場面を逍遙しています。物語のひとこまを取りあげてみる。余命が幾ばくもないアキと朔はふたりの思い出を刻みたくて、朔が瀕死のアキを病院から連れ出して航空会社のカンターまでやってきたときアキが倒れる。運び込まれた病院で深夜、彼女の両親と朔と朔の父親が待機する。アキの母親から「会ってやってちょうだい」といわれ朔は無菌室に入る。

まずアキの母親が見守ります。血縁のつながった母子ですから事の次第としては自然です。つぎに朔が呼び入れられます。アキと朔には出会う縁(えにし)がありました。でもきっかけはささいなことだと思います。始まりはしだいに深くなりました。ここで思うのですが、もともとはアキと朔はバガボンド同士です。漂泊者どうしがそれぞれの親子より深くなるのはよく考えてみれば不思議です。親子は親子の会話をなしたはずで、親子の別れもアキと朔の別れも悲しいし、どちらが悲しいか比べることはできないけれど、アキと朔の別れは次元が違うと思う。血縁はないのです。夫婦が内包自然だとしても血縁の家族は所与の自然です。アキと朔は当初は赤の他人なのです。互いが互いにとって未知の漂泊者です。
それなのにこの会話が可能となるのです。すごいことです。わたしたちはこの不思議を知っているのにほんとうには知らないと思います。

縁があるとひとはたがいにこうなることができるのです。心身一如の存在である自己が一瞬でふくらみ領域化されるのです。これより不思議なことはありません。アキと朔が一緒に暮らすことはありませんでしたが、見事に関係を生きたと思います。

不条理に突然見舞われたとき、いきなりテロの被害に遭ったとき、あるいは不治の病で死を宣告されたとき、近代由来の社会思想は出来事を受容することにたいしてまったく無力です。世界宗教は宗教自体が歴史のなかでもまれて苦労してきているので、それぞれの受容の仕方を熟知しています。なにかのきっかけで宗教的な信をうれば、心の起伏を穏やかにすることができます。しかし信を疑えば、信は一瞬にして崩壊します。信は同一性を前提とした閉じられ制約された生です。わたしの知覚では宗教的信も同一性の囚われのうちにあります。わたしはそう理解しています。

アキと朔の触った内包自然は共同幻想としての宗教的信よりはるかに規模がおおきく、より広がりと深さのある知覚だと思います。むしろこの驚異はヒトが自然から離陸し、人となった太初から身を潜めていたように思います。陽気な太古の面々は自己を基にした対幻想を知るよしもありません。しかし世のなかの転変にもかかわらず情動の原型は変わらないと思います。

対意識が自己へと還帰することなく、「一方の意識が他方の意識のうちに、自分を直接認める」幻想関係であるということをだれもが生きています。あまりにあたりまえすぎます。対幻想はわたしたちにとってはとっくに所与の自然となっています。どういうふうにこねくりまわしてもそこに未知はない。内面化された自己から対意識をとらえ返しても、そこにはなにもないと思うようになりました。夫婦や男女の関係がうまくいくとか、いかないとかそういうことが言いたいのではない。それはどうでもいいのです。

ひとはだれもじぶんが生きてきたようにしか世界をとらえることはできません。わたしは対幻想の本態は内包自然にあると考えるようになりました。『Guan02』を書いて以降の10年余の悶絶を経て、わたしが手にした生の知覚です。いま、知にも往き道と帰り道があるように、性の世界にも行きと還りがあると思っています。性には往相の性と還相の性があります。吉本隆明が血煙をあげながらつくったマルクスの経済論に対置した幻想論が幻想論自体にたいして高度な表現を遂げたのです。わたしの個人的な体験を超えて時代性としてこの表出の感覚があると思います。作者の無意識もふくめてアキと朔の会話でそのことが見事に象徴されています。

死に行くアキは還相の性の場所から朔に、短いあいだだったけど、楽しかったよ、また会おうね、と言います。いつも一緒だから悲しまないで。アキの別れの言葉は、いわゆる対幻想をはみ出しています。この会話が意味することはもっともっと深いのです。「いつも一緒にいるから」「またわたしを見つけてね」「すぐに見つけるさ」。いずれも平易な言葉です。アキは朔に、世界は〔あなた〕である、と最期に言ったのです。ここがどこかになるということはそういうことです。こういうの、すごく好きです。

『世界の中心で、愛をさけぶ』という作品を流れる太い精神のうねりとやわらかくて音色のいい音はまだ解読されていません。この作品はドストエフスキーの『罪と罰』を超えてのこりつづけます。ドストエフスキーの作品は、マトリョーシカ人形の世界であり、神という超越を仲立ちとした世界との和解のひとつの方便です。そこに未知はありません。神仏と往相の性の彼方をアキは生きました。内面化された自己ではなく、領域としての自己として。アキと朔の短い永遠にしかあたらしい生の可能性はない。(「歩く浄土38」)

いまわのきわのアキが「ここからいなくなっても、いつもいっしょにいるから」と言う。このときアキは朔であり、朔はアキである。アキのなかにはふたつのこころがある。朔のなかにもふたつのこころがある。
自己が領域である、あるいは領域としての自己とはそういうことだ。こころが身をかぎり、身がこころをかぎるという心身一如という生命形態をもったひとに宿った不思議。ふいに、ここがどこかになっていく。わたしはこの驚異を根源の性によぎられた分有者と名づけてきた。根源のつながりはだれのなかにもあるもので、縁(えにし)によっていきなり立ちあがる。まるで宇宙のインフレーションのように時空をこえて一気にふくれてしまう。わたしは内包史をこのようなものとしてイメージしている。

自然な基底として自己をつくり、内面化された自己がもうひとりの他者とあやなす世界をわたしたちは対幻想と呼んでいますが、この観念のあり方は制約だと内包論では考えます。自己同一性は内包自然が制約されてあらわれたものにすぎないのです。対幻想の本然は内包自然にあります。内包自然という知覚を基にすると対幻想は根源の性の分有者へと拡張されます。この領域はそれ自体であり、自己幻想と共同幻想の継ぎ目ではありません。いまでもひとびとは個人がべつの個人と性を媒介にしてつくる観念の世界を対幻想とみなしています。なぜこのような観念をわたしたちはかたどってきたのだろうか。おそらく初期人類の観念の立ちあげ方に淵源があるようにわたしは思います。

自己というあらわれもまたながい歴史の産物で、それほどたしかなものではないのです。わたしがわたしであることを内面化して他者と出会うのではない。それは同一性のなせる技です。わたしがわたしでありながら、つまりアキは朔だから、そのままじかに性なのだ。根源の性、あるいは根源のつながりといってもおなじですが、その根源の性の分有者が〔わたし〕ということの本然なのです。離接していても〔いま〕と〔ここ〕は分有されます。自己を領域として考えると、領域としての自己から間違いなくそのことは言いえます。
アキはそのままにそっくり朔だから、この世の三人称の関係はアキにとってあたかも二人称の関係のようにあらわれます。するとこの関係のあり方のなかのどこにも三人称(共同幻想)の存在する余地はありません。同一性の彼方の出来事が事実として存在します。わたしは思考の転換を要請しているのです。(「歩く浄土41」)

同一性という強固な信がある。この信を括弧に入れ、吉本隆明は人間の取りうる観念には三つあると言った。わたしはあるとき自己幻想も対幻想も共同幻想もこの同一性という信から派生した観念であることに気がついたのです。自己意識の外延表現からいえば吉本隆明の考えたことは妥当なものです。吉本隆明の幻想論では、とても大事なものであるが、対幻想は自己幻想と共同幻想のはざまにあって、共同幻想の特殊なものとされ、対幻想の内部でひとは全人格的ではなく部分的にしか登場できないとされています。では、「アキ」が「朔」であること、「朔」が「アキ」であることはどうなるのだろうか。性の自然から疎外された男女の観念を対幻想ということで収まりをつけ、この特殊な観念を媒介として共同幻想がつくられるしくみを共同幻想論として解明しました。それはすでに存在しているものを言葉で追認することでした。

でも1番大事なことが吉本さんの対幻想論から捨象されている気がしてきました。内面化された自己という外延表現で対の世界を語るかぎり対幻想は継ぎ目であり媒介にしかならないのです。吉本さんの考えとは逆にわたしは、それが外延的なものであるとしても対幻想のなかでだけひとは全人格的に登場できると考えました。そして対幻想の拡張型が根源の性の分有者という考えをつくりました。どういうことかわかりにくいとながいあいだ言われてきました。ここには思考のおおきな飛躍と転換があります。わたしは表現についての態度変更を要請しています。

わたしは自己幻想と対幻想と共同幻想という観念のうち対幻想だけが際立って特異だと考えました。かんたんにいうと自己はそれ自体としては空っぽであり、空っぽの集まりである共同性も空虚です。自己幻想が共同幻想と逆立することはなく、自己幻想は共同幻想と同期するだけです。自己幻想の写像されたものが共同幻想であり、共同幻想が収縮したものが自己幻想にすぎないからです。吉本隆明の思想は個人の恣意性を最優遇する思想です。若い詩人の詩を読み込んで、ここにはなにもない、真っ黒に塗られた無だと言ったのです。なにもないと書いている若い詩人はむしろ正直なのです。そのとおりのことですから。自己からはじめようと共同性からはじめようと、どちらも空しいのです。空っぽだからです。こういうことはわかりきったことであるように思えます。

ここはとても肝心なところなのでもう少し言います。わたしの経験では状況が剣呑になると自己は自己の心身一如をいやおうなく実体化します。実体化することで剣呑な事態を避けようとします。そのことに是非はありません。この実体化を先取りしているのが共同幻想です。なんといっても共同幻想にはひとびとの生活の経験値の集積です。
ひとは自己を共同幻想に同期することで実体化された自己の生存の危機を回避しようとします。ほぼ例外はないと思います。自己幻想は共同幻想に逆立したくても自己保存の戒律として共同幻想に同期するしかないのです。
自己という心身一如は制度への抵抗の拠点とはなりません。むきだしになった世界の無言の条理のなかで、自己よりももっと善いもの、譲渡不能のもの、わたしの言葉では分有者という生のありかたに、この世の習いで言えば、領域化された自己だけが、空っぽの自己とその寄せ集めである共同幻想を包み込み無化することができると考えました。それがわたしの生存を貫く感覚です。それは期せずして同一性を跨ぎ超すことでもあったのです。
ここで吉本さんのバタイユ論の家族についての考察に立ち入ります。同一性を暗黙の公理としてつくられた対の関係はそれ自体としての領域をもっています。3つの観念のうちの1つが対の世界ということではないのです。対の世界の本然は内包自然なのです。同一性に封じ込めた性を自然な基底としそこから疎外された観念が吉本さんが言うところの対幻想となります。とても窮屈な世界です。根源の性の分有者というふたつのこころをもつ存在のありようは、存在するやいなや同一性に絡み取られ単子の自己へと収縮します。そこで内面化された自己がもうひとりの他者へと向かい対幻想の世界をつくると語られてきました。わたしは違うと思いました。

氏族制が外延的に拡大すると、もともとは内包自然であった対の世界は所与の自然へと転化します。吉本隆明の対幻想論はこの所与の自然の内側で語られています。外延的に拡大した家族は親族をなし、氏族制へと至ります。所与の自然としては自然な展開です。息を引き取る間際の「アキ」をまず母親が見守ります。つぎに「朔」が「会ってやって」と「アキ」の母親から言われて「アキ」の間近に導かれます。まだ「アキ」と「朔」は夫婦ではないので、事の次第としてはそうなります。「アキ」と母親は血のつながった家族です。「アキ」と「朔」はバガボンドどうしです。もともとは赤の他人です。でも「アキ」と「朔」の関係は「アキ」の実の親子より深いと思います。漂泊者どうしが親子より濃くなるのです。これって不思議です。血のつながった家族より、赤の他人が親子より深くなるのです。家族から親族へ、親族から氏族への転化と互いに漂泊者であった「アキ」と「朔」の関係はまったく次元が違います。わたしは「アキ」と「朔」の存在の仕方を内包自然と名づけています。
「アキ」と「朔」が家族をなしたとして親子や兄妹のあいだで近親相姦という禁止の観念は観念自体が存在しません。禁止と侵犯は同一性からやってきます。経済の下部構造が人間の意識のありようを決定するという信はもちろん虚偽です。おなじように兄弟姉妹のあいだの自然的な性関係をともなわない性的親和感というものも、いかにもありそうな虚偽です。そう形容するものがあるとしてもそのことと近親相姦の禁止とはなんの関係もありません。いかにもありそうなウソです。根源の性の分有者に禁止と侵犯という観念はないのです。(「歩く浄土42」)

アキと朔が出会っているのは同一性によってかたどられた人格という場所ではない。ヴェイユの言う「聖なるもの」の場所でふたりは出会っているのだ。そのときだけ、ここが、どこかになるのだと思う。もしかするとそれは書き手の無意識かもしれない。内包のきりのなさがみずからの意識の無限性としてあらわれている。この根源のつながりのことを根源の性と言ってきた。アキと朔は無意識にここを生きていることになる。この出会いは始まりがあって終わりのない、ますます深くなる渦だと言える。もう少し言えば、アキと朔の出会ったこの場所は、対幻想という観念では言いえない、対幻想よりもっとひろくて深いもので、対幻想は同一性に回収された性のあり方にすぎないのだ。根源の性の分有者とは、対幻想の拡張としてあると考えることができるのだ。

レヴィナスは正確な指摘をしている。「それはかけがえのない唯一のものとの関係です。私の愛している他人がこの世界で私にとってはかけがえのないものであるということ、それが愛の原理です。恋愛に夢中になると、他人をかけがえのないものだと思い込むから、というのではありません。だれかをかけがえのない人として思うという可能性があるからこそ、愛があるのです」(『暴力と聖性』内田樹訳 125p)
アキと朔の邂逅している場所は、ツエランの「私が私であるとき、私はきみだ」とおなじことなのだ。このことを直感したレヴィナスも他者を一般化してしまった。それほど同一性のしばりは強固なのだ。
「エロスのうちでこそ、〈超越〉は根源的に思考され、存在に囚えられ避けがたく自己へと回帰していく自我に、その回帰以外のものをもたらし、自我をその影から解放することができる」〕(1947年刊『実存から実存者へ』187p)と喝破したレヴィナスがハイデガーの「ともに」を共同性の哲学であると批判して、自身の哲学の立脚する場所を言う。
「この同志の集団に対して、私たちはそれに先行する〈わたし-きみ〉の集団を対置する。この集団は、第三項-仲介的人物、真理、教義、営為、職業、利害、居住地、食事-への融即ではない。つまりこの集団は合一ではない。それは仲介のない、媒介のない関係のおそるべき〈対面〉である」(同書 185p)と言いながら第三者性が登場するや国家の正義を要請する。だれがやってもどうどうめぐりなのだ。
あるいはかれのこの発言はどうか。「三〇年ほど前に私は『時間と他者』という本を書きましたが、そこでは、私は女性的なものが他者性そのものであると考えていました。『われわれのあいだで』161p 合田正人・谷口博史訳)そのかれが言う。三人称の登場だ。「しかし第三者が出現するやいなや、判断と正義が必要になります。隣人に対する絶対的義務というまさにその名において、隣人が要請する絶対的臣従を放棄せねばならないのです。ここに新たな秩序の問題があります。この秩序のために、制度や政治が、すなわち国家の全骨格が必要なのです」(『われわれのあいだで』298p 合田正人・谷口博史訳)
もう一度言う。だれがやってもどうどうめぐりなのだ。わたしはこの思考の限界を内包論でひらきつつある。

ここで起こっている意識の相転移について書いたことがある。内包と外延が、内包論の性と対幻想がどう違うのか、くり返しくり返し考え書いたところなので、どうかお読み下さい。

よく考えると根源の性という内包存在はもともと無限小のものとしてだれのなかにもあるのです。これがまた不思議なことですが、この気づきや不意打ちは、固有の他者との縁(えにし)によって知覚されるのです。そしてこれもまた妙なことですが、その刹那、この知覚は同一性に封印されます。それ以降は、うまくいったりいかなかったり、だれもが経験する性や家族といういうことになります。(「歩く浄土13」)

そうするといままでいってきたことをまたべつの言い方ですることができます。根源の性によぎられて、はじめて、わたしの各自性の本態があらわれると言ってきました。だから、はじめのわたしと、よぎられたわたしは、まったくべつものです。「わたし」→根源の性→〈わたし〉となります。生存の同一性は保たれています。「わたし」は〈わたし〉となり、この〈わたし〉がじかに性なのです。〈わたし〉がじかに性であることを自己が事後的に認識します。その刹那、性は自己に隠れます。そしてそのことを忘れてしまい、自己から性に向かうのです。

内包親族論は還相国家論と同義です。マルクスの資本論は贈与論として拡張されます。そこへの道行きはまだまだ長いものとなりますが、内心では内包思想の骨格が見えてきました。それは突然のことでした。ふっと解けたのです。解けてしまえば他愛ないものです。なぜこんなかんたんなことにいままで気づかなかったのか。わたしを不意打ちした内包の知覚はだれにでも縁があれば起こることです。いきなり襲来する、その刹那、この知覚を同一性に封印することに自覚的であればいいのですが、ある意味、生身の人がこの知覚を同一性に封じ込めてしまうのは不可避だと思います。親鸞でも悩んだ煩悩です。それでもそこが終局ではないのです。縁のたんなるはじまりです。(「歩く浄土16」)

ここを理念の根拠として世界を内包的に描くと違う風景が見えてきます。理念の跳躍があります。「わたし」は根源の性によぎられて拡張した〔わたし〕になっているのです。いちいち〔わたし〕と表記するのが面倒なので、〔わたし〕を、わたしと書きます。このわたしの世界の知覚は一人称であるとどうじに二人称です。しかしわたしたちの歴史は異なった展開をとりました。心身一如という生命形態の自然によってまず身分けされ、その同一性に言分けを封じ込めたという存在論の制約がなければ、この一人称と二人称をそのまま根源の一人称と名づけることもできました。わたしたちの歴史では、同一性を前提にすでに自己を象っているので、自己の拡張型である〔わたし〕を内包論として想定するしかありません。慣れるまでこの意識の操作はけっこう面倒です。

なんども言いますが、わたしは、一人称であるとどうじに二人称なのです。このとき一人称と二人称は、おなじものではないのですが、べつのものでもありません。不可分で不可同なのです。それが、わたしが、じかに性であるという意味です。ツェランの「私が私であるとき、私は君である」ということとおなじです。その先があることをツェランはつかむことができずに死にました。おそらくドゥルーズも。ただそのことはここでは問題となりません。自己意識の用語法で自己と呼ばれる思考の慣性の先に広大な未知の生があります。それがあるために自己同一性は可能となったのです。世界に対する暗い予感は内包の知覚でまったくべつの世界へとひらかれます。(「歩く浄土19」)

個人の実存のなかで根源の性、あるいは根源のつながりが冬眠や休眠している。そのかぎりでその個人がそのことを意識することはふだんはありません。そのようにわたしたちは生きています。ふとある縁(えにし)によってわたしたち個々の実存が破られることがあります。それは間違いなく同一性を超える体験だ。ある縁(えにし)があると、だれもがメビウスの輪になった生を生きることになります。このことは同一性を前提にしたりくつでは説明がつきません。そのとき同一性は破られているのに、わたしたちそのことに気づかずに、同一性の彼方をその刹那ふたたび同一性に封じ込めるのです。そして同一性の彼方の経験があるにも関わらず、互いに個人から性へと向かうのです。この世界のことを吉本隆明は対幻想と規定しました。(「歩く浄土33」)

くどくコピペしたことは、わずか数行で要約できる。

根源の性の分有者が還相の性として可能となるとき、外延的な表現意識の三人称は、内包的な表現意識では、主観的な意識の襞にある信ではなく、信の共同性でもなく、還相の性との関係において、喩として、あたかも親族のようなものとして内包的に表現されることになる。存在がそれ自体に重なるここで親鸞の他力も消える。そしてここにヴェイユが渇望した世界がある。(「歩く浄土56」)

けっして共同化することも内面化することもできないようなそれ自体、それ以外のものではありえないようなものをわたしは還相の性と名づけた。内包論は還相の性の理解が核心だと思う。あとは外延論と内包論を往還する意識の息づかいのコツをつかむことにある。ここからやわらかい未知が遠望される。

    4
わたしが気づいたことにフーコーも気づきつつあったのではないかと最近思うようになってきた。『知への意志』と『快楽の活用』のあいだに沈黙の8年間がある。ずっと謎だった。かつて、M・フーコーは「政治の分析哲学」(『哲学の舞台』所収 渡辺守章訳)という講演で、「人間の精神的変革が国家の変革の条件なのか結果なのかという古くからの議論についても、そもそも、個人が〈主観性〉〔自己についての自己の意識〕という形で自己と保つ関係は、実は権力の関係ではないのかと問うてみる必要がある」と語った。ところが、『性の歴史』第三卷『自己への配慮』刊行のあと、〈わたし〉が〈わたし〉ととり結ぶ関係について、「つまり、人が自己自身に対して持つ関係のあり方、自己との関係で、それを私は倫理と名づけているわけで、この自己との関係が、個人がどのようにして自分自身の行動の道徳的主体としての自己をつくりあげるとみなされるかを決めているんです」(『ひとつのモラルとしての性』)と主題を転調して語っている。鳥肌が立つようなおもいで謎の中心にはいっていく。

8年間の沈黙を経て、『快楽の活用』を刊行したとき序文で書いている。

 私を駆りたてた動機は、ごく単純であった。(中略)つまり、知るのが望ましい事柄を自分のものにしようと努めているていの好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にしてくれる好奇心なのだ。(中略)はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるためには不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ。(『快楽の活用』田村俶訳)

おそらくフーコーにとって『性の歴史』シリーズの第一巻『知への意志』と第二巻『快楽の活用』のあいだに表現概念の転倒があったのではないかと推測される。それはつぎの発言からもうかがえる。

理論的にみてみれば、サルトルは真性という道徳上の概念を通して、われわれはわれわれ自身でなければならない-ほんとうに本物の私でなければならない-という考えに戻っているようにみえます。ところが、サルトルの言ったことから引き出してくることのできる実践的な帰結は、反対に、サルトルの理論的思考を創造性の実践に結びつけることになるのであって、真正性の実践にじゃないでしょう。〈自己(わたし)〉はわれわれに与えられているのではないという考え方からは、ただ一つの実践的帰結しか引き出せないと思います。つまり、われわれは一個の芸術作品として自己を組み立て、制作し、規定していかなければならないという帰結ですね。サルトルがやったボードレールとかフローベルの分析で、サルトルが創作の仕事を自己-作者自身とのある種の関係のせいにしているのをみるのはおもしろい、自己との関係が真正性の形であれ、非真正性の形であれ、ともかく。私はこれとまさに反対のことは言えないのかどうかと考えているんです。つまり、誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです。(「ひとつのモラルとしての性」)

『言葉と物』で人間の終焉を説いたころと急死の直前のフーコーの発言にはおおきなギャップがある。なにか思考の様式が転調している。無意識に同一性を跨ぎ超そうとしていたのではないか。そんな気がしてならない。なにかリアルな知覚がかれに生じたのではないか。

フーコー最晩年の『講義集成13 真理の勇気 自己と他者の統治2』はパレーシアについて語られる。翻訳者によると、パレーシアの語意は、率直な語り、すべてを語るとある。すぐに親鸞の言葉を思いだした。なにか語感が似ているのだ。「りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」(『唯信抄文意』とか、「よしあしの文字をもしらぬひとはみな、まことのこころなりけるを、善悪の字しりがおは、おおそらごとのかたちなり」(『正像和讃』)は、音色がよくて、風圧を感じる強い言葉だと思う。ついにフーコーも死の直前にあけすけに語り始めたのか。それによって主体がつくられるという「倫理的活動の核」やサルトルの表現概念と真反対の「真正性の実践」はフーコーが自己意識の外延表現を超えつつあったことの表明ではないか。なんだかそんな気がしてくる。
西欧や東洋以前の主体の一元について真理を語ろうとしたのではないか。ここまでくるとフーコーとレヴィナスの差違はとるに足らぬもののように思えてくる。フーコーもレヴィナスも主観的な意識の襞でなく、信の共同性でもない、喩としての内包的な親族を描こうと迫っていた。それが最後のフーコーの到達した地平だと思う。
そうするとフーコーが語った友愛、懸命になんとしてでもゲイになるべきだという主張も違って見えてくる。かつてフーコーは『同性愛と生存の美学』で言った。

 法や自然に適合しない性行為を想像することが、人々を不安にするのではありません。そうではなくて、個々の人間が愛し合い始めること、それこそが問題なのです。制度は虚を突かれてしまいます。種々の感情強度はそれを横断しており、同時に維持し、かつ攪乱しているのです。軍隊をご覧なさい。男同士の愛が絶えず要請され、非難されています。制度的諸コードは、多数の強度、可変的な色彩、見えにくい動き、写り易い形態をもったこうした関係を合法化することができないのです。

 種々の性の実践を経由していかに関係の体系に到達するのか? 同性愛的な性の様式を創造するのは可能なのか?というわけです。
 生の様式というこの観念は重要だと思います。社会階級、職業の違い、文化的水準によるのではないもうひとつの多様化、関係の形態でもあるような多様化、すなわち「生の様式」という多様化を導き入れるべきではないのか? 生の様式は、異なった年齢、身分、職業の個人の間で分かち合うことができます。それは、制度化されたいかなる関係にも似ない、密度の濃い関係を数々もたらすことができますし、生の様式は文化を、そして倫理をもたらすことができると私には想われます。「ゲイ」であるとは、私が思うに、同性愛者の心理的特徴や、目につく外見に自己同一化することではなく、ある生の様式を求め、展開することなのです。(『同性愛と生存の美学』増田一夫訳)

フーコーの主張を実体化することはない。フーコーがここで説いていることは〔喩〕なのだ。先に引用したレヴィナスの「この同志の集団に対して、私たちはそれに先行する〈わたし-きみ〉の集団を対置する。この集団は、第三項-仲介的人物、真理、教義、営為、職業、利害、居住地、食事-への融即ではない。つまりこの集団は合一ではない」という発言も〔喩〕と解することができる。畏るべき他者の現前として、レヴィナスがよく語る、飢える者に温かい食事を与え、凍える者に暖をとらせ、雨露をしのがせることもまた〔喩〕なのだ。フーコーの大知も苦悩したレヴィナスも、思想的には対蹠的な立場に見えても至近の距離にいた。わたしは還相の性が棲まう内包自然の場所からかれらをおおきく跨ぎ超していくことができると考えている。

コメント

2 件のコメント
  • 倉田昌紀 より:

    「ひとつは根源の性の分有者の奥にある還相の性と対幻想の異同について。わたしは対幻想の拡張として還相の性があると思っている。
    もうひとつは、喩としての内包的な親族と、わたしたちが生きているこの外延世界での家族との異同。おそらく還相の性によって家族は拡張される。あるいは喩としての内包的な親族と共同性の異同について。困難だがそのことの大要をメモ書きする。」
    「なんども取りあげてきた谷川俊太郎の好きな詩がある。
    あなたの眠らなかった夜を私は眠ったが
    私の知らないあなたの日々は
    私の見た夕焼け雲に縁どられていた(「日々」)
    なんど読んでもいいなと思う。
    もっとすごいのもあります。
    まわらぬ舌で初めてあなたが「ふたり」と数えたとき
    私はもうあなたの夢の中に立っていた(「ふたり」)
    この感覚もよくわかります。
    誰も名づけることは出来ない
    あなたの名はあなた(「名」)
    そのとおりです。
    もうひとつ諳んじている好きな詩があります。
    どっかに行こうと私が言う
    どこ行こうかとあなたが言う
    ここもいいなと私が言う
    ここでもいいねとあなたが言う
    言っているうちに日が暮れて
    ここがどこかになっていく(「ここ」)」。
    小生は、根源の性に、とてもやわらかな「アニミズム」的なまた静かな「アナーキズム」的な心地よい情緒を感じてしまうのですが、それはあまりにも永かったこのクニの「縄文時代」(狩猟採集時代、穀物以前の)的な情緒と関係あるのか、と良し悪しを抜きにして感じてしまうのです。いかがでしょうか?

  • 倉田昌紀 より:

    こんにちは。「・・・(略)・・・根源の性の分有者が還相の性として可能となるとき、外延的な表現意識の三人称は、内包的な表現意識では、主観的な意識の襞にある信ではなく、信の共同性でもなく、還相の性との関係において、喩として、あたかも親族のようなものとして内包的に表現されることになる。存在がそれ自体に重なるここで親鸞の他力も消える。そしてここにヴェイユが渇望した世界がある。(「歩く浄土56」)」。他力も消えヴェイユが渇望した世界。生身の当事者が現場性を幻想としても生きて生活する。「ここからやわらかい未知が遠望される。」内包親族を、どのように生身のこの身体という個と共同として重なる幻想を同時に喩としての内包親族を、この現場性のなかで、当事者として〈やわらかく〉生きて生活して行きましょうや!
    「・・・(略)・・・けっして共同化することも内面化することもできないようなそれ自体、それ以外のものではありえないようなものをわたしは還相の性と名づけた。内包論は還相の性の理解が核心だと思う。あとは外延論と内包論を往還する意識の息づかいのコツをつかむことにある。ここからやわらかい未知が遠望される」。現場性を当事者として生身の身体という自然を、そこでの〈息づかいのコツ〉感じ生身の身体でそれらを知覚しながら、共同幻想という幻想に取り込まれながらも、同時に内包親族の喩としての領域をあたかも親族なようなものとして、ここからやわらかい未知が遠望しなが生きて生活して行きましょうや!

    ここで(「歩く浄土59:内包親族論3」)で書きたいことはふたつ。ひとつは根源の性の分有者の奥にある還相の性と対幻想の異同について。わたしは対幻想の拡張として還相の性があると思っている。もうひとつは、喩としての内包的な親族と、わたしたちが生きているこの外延世界での家族との異同。おそらく還相の性によって家族は拡張される。あるいは喩としての内包的な親族と共同性の異同について。困難だがそのことの大要をメモ書きする」そして、「もう一度言う。だれがやってもどうどうめぐりなのだ。わたしはこの思考の限界を内包論でひらきつつある。
    ここで起こっている意識の相転移について書いたことがある。内包と外延が、内包論の性と対幻想がどう違うのか、くり返しくり返し考え書いたところなので、どうかお読み下さい。」、と以下の「ことば」がつづく。とても現場性を生きて生活する当事者には、やさしい〈ことば〉に(生身の身体で幻想の時空を同時に生きている小生などの葛藤(突き当たる日々の生活の矛盾のようなこと)が小生には直感されてくるのです。その〈ことば〉とは、「よく考えると根源の性という内包存在はもともと無限小のものとしてだれのなかにもあるのです。これがまた不思議なことですが、この気づきや不意打ちは、固有の他者との縁(えにし)によって知覚されるのです。そしてこれもまた妙なことですが、その刹那、この知覚は同一性に封印されます。それ以降は、うまくいったりいかなかったり、だれもが経験する性や家族といういうことになります。(「歩く浄土13」)
    そうするといままでいってきたことをまたべつの言い方ですることができます。根源の性によぎられて、はじめて、わたしの各自性の本態があらわれると言ってきました。だから、はじめのわたしと、よぎられたわたしは、まったくべつものです。「わたし」→根源の性→〈わたし〉となります。生存の同一性は保たれています。「わたし」は〈わたし〉となり、この〈わたし〉がじかに性なのです。〈わたし〉がじかに性であることを自己が事後的に認識します。その刹那、性は自己に隠れます。そしてそのことを忘れてしまい、自己から性に向かうのです。
    内包親族論は還相国家論と同義です。マルクスの資本論は贈与論として拡張されます。そこへの道行きはまだまだ長いものとなりますが、内心では内包思想の骨格が見えてきました。それは突然のことでした。ふっと解けたのです。解けてしまえば他愛ないものです。なぜこんなかんたんなことにいままで気づかなかったのか。わたしを不意打ちした内包の知覚はだれにでも縁があれば起こることです。いきなり襲来する、その刹那、この知覚を同一性に封印することに自覚的であればいいのですが、ある意味、生身の人がこの知覚を同一性に封じ込めてしまうのは不可避だと思います。親鸞でも悩んだ煩悩です。それでもそこが終局ではないのです。縁のたんなるはじまりです。(「歩く浄土16」)
    ここを理念の根拠として世界を内包的に描くと違う風景が見えてきます。理念の跳躍があります。「わたし」は根源の性によぎられて拡張した〔わたし〕になっているのです。いちいち〔わたし〕と表記するのが面倒なので、〔わたし〕を、わたしと書きます。このわたしの世界の知覚は一人称であるとどうじに二人称です。しかしわたしたちの歴史は異なった展開をとりました。心身一如という生命形態の自然によってまず身分けされ、その同一性に言分けを封じ込めたという存在論の制約がなければ、この一人称と二人称をそのまま根源の一人称と名づけることもできました。わたしたちの歴史では、同一性を前提にすでに自己を象っているので、自己の拡張型である〔わたし〕を内包論として想定するしかありません。慣れるまでこの意識の操作はけっこう面倒です。
    なんども言いますが、わたしは、一人称であるとどうじに二人称なのです。このとき一人称と二人称は、おなじものではないのですが、べつのものでもありません。不可分で不可同なのです。それが、わたしが、じかに性であるという意味です。ツェランの「私が私であるとき、私は君である」ということとおなじです。その先があることをツェランはつかむことができずに死にました。おそらくドゥルーズも。ただそのことはここでは問題となりません。自己意識の用語法で自己と呼ばれる思考の慣性の先に広大な未知の生があります。それがあるために自己同一性は可能となったのです。世界に対する暗い予感は内包の知覚でまったくべつの世界へとひらかれます。(「歩く浄土19」)
    個人の実存のなかで根源の性、あるいは根源のつながりが冬眠や休眠している。そのかぎりでその個人がそのことを意識することはふだんはありません。そのようにわたしたちは生きています。ふとある縁(えにし)によってわたしたち個々の実存が破られることがあります。それは間違いなく同一性を超える体験だ。ある縁(えにし)があると、だれもがメビウスの輪になった生を生きることになります。このことは同一性を前提にしたりくつでは説明がつきません。そのとき同一性は破られているのに、わたしたちそのことに気づかずに、同一性の彼方をその刹那ふたたび同一性に封じ込めるのです。そして同一性の彼方の経験があるにも関わらず、互いに個人から性へと向かうのです。この世界のことを吉本隆明は対幻想と規定しました。(「歩く浄土33」)」、以上です。
    小生には、何回でも繰り返し読ませてもらうごとに、大袈裟では全くなく、感じ考え、小生の心が静かになってゆくのです。喩としての内包親族は、小生には、「内包論」の多くの構成項目(また、内包論の多くの「人名」や「事項」のインデックスを想像しながら)のなかの、ひとつの要に、今の小生の現場性では感じ思考させてくれるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です