第一信・森崎茂様(2022年11月27日)1 最新の論考である「歩く浄土」281、大変興味深く拝読いたしました。ぼくもジョルジョ・アガンベンの『私たちはどこにいるのか?』に触発され・・・【続きを読む】
1ブログの更新が間延びした。だいたい思いついたことは書き、体もくたびれ、少しずつスマホでメモをとり、PCに送る日々のなかで、吉本隆明や白川静が『アフリカ的段階につい・・・【続きを読む】
1ほんとうに久しぶりの、2021年9月以来の更新です。危機のなかでかんがえたことを書きます。さぼっていたわけではない。どうすることもできない理由によって書けなかっ・・・【続きを読む】
往復書簡・コロナ禍のなかで(1)森崎茂様。第一信 書簡、ありがとうございます。さっそく応答のかたちで第二信をさしあげます。これを書いているさなか、日本でもいよいよ三回目の・・・【続きを読む】
第一信・片山恭一様(2021年9月6日) 1なにかとんでもないことが人類史の規模で起こっている気がします。この衝迫感の正体をつかみたいというのが片山さんに往復書簡を・・・【続きを読む】
1これから起きること。いやいま起きていること。伊藤計劃の『ハーモニー』のさらに先を行くことになるのかもしれない。アフター・コロナはビフォー・コロナとはちがうような気が・・・【続きを読む】
1「歩く浄土275」を書いているとき、ある手応えがあった。なにかがわたしのなかでカチリと収まった。ジグソーパズルの最後のピースが収まったというべきか。外延知というも・・・【続きを読む】
1ひさしぶりの更新となる。インマヌエルという幼童の祖型について考えてみる。半世紀やみくもに生きてきて、表現についていくつかの公準のようなものが身についた。言葉には個人・・・【続きを読む】
1グレゴリー・ベイトソン(以下GBと略)もまた解けない主題を解けない方法で解こうと生涯を費やしたとてもおおきな知の賢者として存在している。そのGBのどこに思想の未然があ・・・【続きを読む】
1久々の更新です。皆さん、お元気ですか。難儀してました。ヴェイユ論の続きとしてグレゴリー・ベイトソン(以下GBとする:1904-1980)の考えたことを取り上げようと準備し・・・【続きを読む】
1これから当面するコロナ後の世界新秩序が無意識のものか意図されたものかまだわからない。資本主義のフェーズが変わるとサイトに書いたが、むしろ資本主義をリセットする・・・【続きを読む】
1このコロナ禍のなかで、もしもあたらしい世界構想が可能だとすれば、同一律が必然として彫刻した自然科学、人文科学の総体の認識についての思考の慣性ではなく、固有のオリ・・・【続きを読む】