日々愚案

歩く浄土271:複相的な存在の往還-幼童について3

    1

このコロナ禍のなかで、もしもあたらしい世界構想が可能だとすれば、同一律が必然として彫刻した自然科学、人文科学の総体の認識についての思考の慣性ではなく、固有のオリジナルな思考で文明史の転形期を書き換えるしかない。人文諸科学の商人はあまりにも科学音痴で、科学知のなかにある、巧妙な迷妄に脅迫され、自立した思考を表現することができず、科学知にひれ伏し、外界にたいしてなにより大事な内面の観念の王国をはやばやと手放し萎縮し、一方では科学知の司祭層が自然科学の属躰となっている。これほど無様な光景はない。短見の科学知の司祭や人文諸科学の商人たちの無惨を記憶に止めよ。

世界の皆がコロナ真理教という強迫神経症に憑依されている。科学知に同期することでかろうじて生を付与される。共同の規範に同期することが内面であって、かつて内面と言われていたものはこの数ヶ月で消滅した。どういう時代になるか。自身の命運はみな無意識に分かっている。人間という概念が終焉し、科学知に収斂する生を受容するものたちに、温厚な顔をした治者たちから、過酷な適者生存が自然の営みのように、より自然なものとして供与される。ウイルスもがんもテロリストも排除すべき外在的な敵であることが中心的な命題である。鵺のような全体主義はすでに完熟している。むろん、複雑に絡まり合ったネットワークのノードがあるだけで、どこかに絶対的な悪と悪を体現する者がいるわけではない。治者もまた匿名のノードによって操られている。

中華人民共和国国家安全法で香港のデモは消滅する。どう対処するかは面々のはからいである。抗命するものは拷問と終身刑を覚悟でやるしかない。険しい生存の争闘を貫通したものとして、退くのもありだなと思う。引くことで攻勢に出るというくらいの余裕がわたしにはある。義を貫くことにも、義に違背することも、どちらでもいい。1989年天安門事件のとき、武力鎮圧に抗命して惨殺された膨大な者たちにそのとき呼びかけた。あなたたちのなかに夢はあるかと激しく問いかけた。国家安全法による香港の鎮圧にたいして謀叛する義があることは他人事ではなくよくわかる。中共に反対するのもGAFAやBATに反対するのも面々のはからいに属する。では、そこにどんな世界構想があるか。まったくない。だからわたしは内包論を数十年に渡り途切れ途切れに書き継ぎ、いまも考え書いている。

片山さんが「歩く浄土270」の批評を「今日のさけび」(2020.6.29~7.5)で連続して書いているので、その感想を親鸞の有縁と有情の思想からコメントできるのではないかと考えた。とてもデリケートな領域でうまく言えるかどうかわからない。親鸞のなかで有縁と有情はどのようなものとしてあったのだろうか。有縁を度すべきであるについてはどのように解することもできる。わたしの考えでは有縁は出来事の起点だと思う。この起点ぬきに有情が還相としてあらわれることはない。いちどなにかのきっかけで有縁が生じれば、その刹那、有情が生じる。ほんとうに有縁はただ一度であり、有縁が有情に先行し、有縁と有情は非可換であり、絶対に不可逆な機縁である。この機縁のことをわたしは還相の性と呼んでいる。それにもかかわらず、ひとたび有縁が生じればその余はすべて、有縁は有情に、有情は有縁となる。その全体の表現のことを喩としての内包的な親族と呼んでいる。この機微はなかなかつたわりにくい。

この機微をべつの言い方で言うこともできる。たしかに宗教的な信を親鸞は解いた。それでは浄土教の教義を解体した念仏者親鸞の信はどこに行ったのか。信が消えても現世も教団も消滅はしない。そのことが気になって仕方なかった。だから親鸞の信の行方についてここ数年持続して考えてきた。親鸞の他力を覚知したものが複数いるとして、それらの者たちは相互にどういう関係をつくることになるだろうか、この問いを何度も何度も自身で反芻しながら問うてきた。親鸞は自然法爾については道理を問うなという言い方で信の行方をうち切っている。しかしどうしても解体された宗教的信はどこに行くのかという根源的な問いはのこる。共同性をつくらない信というものはないか。仏と円融した親鸞の自然法爾は親鸞にとって領域として存在していたのではないか。教義を解体された共同的な信は消滅し、同一律の手前にある自然法爾を幼童として親鸞は生きたような気がする。

有理数を切断するものを無理数と定義できるように、同一性を拡張するものを内包と呼ぶことができる。気が通うことは稀にしか起こらない。生涯に一度あれば奇跡かもしれない。むしろなにか根源的な気によぎられることを事後的に気が通うと呼びならわしてきたのではないか。<「わたし」になんの挨拶もなくいきなり「わたし」のど真ん中を真っすぐに貫通し、「わたし」のなかのなにか硬いものを破壊して、「わたし」という存在を根こそぎさらっていき、理不尽に「わたし」を簒奪するもの、それが〈性〉だ。この〈性〉によぎられることなくしてわたしがわたしであることの自己性はけっしてあらわれない。>(『Guan02』238p)

片山さんは「セカチュー・ヴォイス」の「今日のさけび」で述懐している。

< 高校生のころ仲の良かった女の子と、ときどき図書館で一緒に勉強することがあった。もっとも勉強は口実で、英語や古文などを少しやったあとは、お喋りをして過ごすことが多かった。二人ともロックが好きだったので、音楽の話などもよくした。

 あるとき曲の邦題からオリジナル・タイトルを答えるゲームをはじめた。ポール・サイモンの「母と子の絆」は「Mother And Child Reunion」、アルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」は「It Never Rain In Southern California」みたいなことである。「じゃあ、チェイスの『黒い炎』は?」「Get It On」と彼女は即答した。その瞬間、ぼくの心はよろめいた。45年経ったいまもおぼえているくらいだから、よほど激しくよろめいたのだろう。

 この会話は一種の擬音(オノマトペ)ではないかと思う。つまり宮沢賢治の「デデッポッポ」と同じである。なぜならこの「Get It On」はぼくだけの「Get It On」であり、けっして共同化できないからだ。ぼく以外の人にとっては「黒い炎」や「Get It On」といっても、チェイスといういまではほとんど忘れられたロック・バンドが、4本のトランペットを派手に吹き鳴らして1971年か72年ごろにヒットさせた曲、といった一つのマニアックな情報に過ぎないだろう。でもぼくのなかでは、「Get It On」にタグ付けされて冬の図書館のたたずまいや匂いが甦る。どうでもいい会話のなかで気持ちがつながり、なにかやわらかく温かいものに包まれた瞬間が鮮やかに甦る。>(2020.7.4)

「Get It On」を傍からうかがい知ることはできない。この一瞬の永遠を、内包論で、根源の一人称という言い方をするときがある。同一律の思考の慣性では対他性をもてないので同一律の認識の自然に則って根源の二人称と言い換えている。観念の本然からいえばおなじことが意味されている。だれもがあまり意識することなく存在の複相性を往還している。だれにも思いあたることがあるはずだ。有縁による根源のつながりは根源の一人称に他ならないが、自己意識の用語法では対他性をもたないので、この意識の内包的な表出のありようを根源の二人称と名づけるしかなかった。根源の一人称という有縁が一度起これば、有縁は有情となり喩としての内包的な親族が可能なものとして表出される。

時代がどれほど遷移してもいつもその上に立っている、そのことによってひとがひとであることの情動は変わることがない。先史も有史も貫通してだれの脚下にも根源の二人称があるにもかかわらず、そのことに気づくのにほぼ先史と歴史時代の一万年かかったことになる。今回のコロナ禍を前兆とする先端科学の迷妄が間断なく押し寄せてきてそのたびに科学知の抗しがたい合理的な思考の枠組みい組み伏せられていくことになるだろう。コロナ禍を奇貨として内包自然を考え生きてみるのも遊宴だと思う。よくよく考えてみれば同一性の手前がないならば事後的な同一性も存在しえない。同一律から非合理とみえる内包を外延的に可視化して精神の内在史と文明の外在史という擬制が誕生した。「Get It On」は内面化も共同化もできない精神や歴史の段階それ自体を逸脱した気圏に、生それ自体の固有性としてリアルに存在する。存在の複相性を往還するとあらわれる幼童の世界が政治のない世界を実現する。幼童は内包自然の内包知ではあるが、歴史の圏外に存在し、外延的な歴史を内包的な表現がそのつど解体する。だれもがはからいによらずふたつの生を生きることが可能となる。どんな先端的な科学知を装おう理念もAIと結合した生物工学や金融工学もきりのない内包的な表現のなかに引き込まれ、内面と外界という意識の第二層が融解し、意識の第三層にある喩としての内包的な親族のなかに吸引されていくことになる。

擬音を初期の韻律と仮定すると、この韻律は言語表現の指示的な撰択と転換をバイパスして喩と直結する。複相的な存在の往還によって、撰択と転換にすぎない人文諸科学は書誌学へと縮減する。何かの折に資料として調べてみるという価値しかそこにはない。この過程を新型コロナウイルスパンデミックが加速した。先端医学知の多くが迷妄であるにもかかわらず、人文諸科学は、なにひとつ抗命せず科学という名の宗教にひれ伏した。

内面と内面の共同的な符丁である意識の外延性しかないとすれば、生が脅迫され収縮することがあるたびに内面は共同性に過剰に同期することで生き延びることになる。やがて同期への過剰さが内面であると再定義されるだろう。内面と共同性という意識の範型では先験性は内面ではなく共同の規範にある。その赤裸々な生にわたしたちは2020年の3月から嫌というほど晒されてきた。科学知の迷妄に覆われて内面は一瞬で消滅した。おれは違うというものがあれば名乗り出よ。それほど内面はもろく共同性のひとつの表現型でしかない。べつの見方をすると世界の壊れ易さはどうじに世界の可塑的な可能性を示唆している。

存在の複相性の必然というものがある。国家や個人という共同幻想が意識の外延性の必然とみなすことと、存在の複相性を往還して、幼童を手にすることはまったく矛盾しない。意識の外延性は歴史を遷移する自然の諸段階とみなし記述する。文化人類学の手法もおなじである。幼童は線型的な意識の流れに直立して、いつの時代も、いまも、これからも、歴史を垂直に断ち切って存在しつづける。幼童もまた内包知のひとつであるが、もともと領域でしかない個人の生に直立して内属している。すでに消滅しつつある国家や心身一如の個人も、グローバル経済の貨幣という宗教も、科学知の倒錯した真理も、圧倒的な意識の外延性に収奪されている。もしも存在が複相的ではなく、同一律によって規定されるものだとしたら、人間という概念も人権も分子記号のビットまで解体され編集されることになる。衆生は世界を睥睨する治者によって給餌される家畜となるだろう。この時代の趨勢は不可避だと思う。存在が複相的であるから、時代がどれほど急峻に人間という概念をつくりかえても、生が毀損されることはなく、根源の一人称を分有することで領域となった幼童を存分に生きることができる。どれほど適者生存が過酷になろうと、いつでもそこから離脱し、べつの表現の気圏を生きることができる。ヴェイユが生きた匿名の領域とおなじように、これまでもそうであったように。

    2

小泉文夫は『音楽の根源にある』もので、「すばらしい音楽を持つということと人間の不幸とは、何か直接の関係があるような感じがしています」と書いていて、すぐに吉本隆明のつぎの件を思いだした。『どこに思想の根拠をおくか』でインタビュアーに訊かれて吉本隆明は答える。「人間は、他の動物のように、個人として恣意的に生きたいにもかかわらず、〈制度〉、〈権力〉、〈法〉など、つまり 共同幻想を不可避的に生みだしたため、人間の本質的な不幸は、個人と共同性のあいだの〈対立〉、〈矛盾〉、〈逆立〉として表出せざるを得ないという点です」「このような人間の歴史的な過程が、さまざまな時期に、さまざまな形でなされた抗議の表出にもかかわらず、不可避的に、現在の〈世界〉、〈制度〉をもたらした側面を認識するならば、この不可避性を止揚する過程もまた、普通、考えられているよりも、遙かに困難な、そして、過程をあやまりなく踏むことを必須とするはずです。つまり、すべての個人としての〈人間〉が、在る日、〈人間〉はみな平等であることに目覚め、そういう倫理的規範にのっとって行為すれば、ユートピアが〈実現〉するという性質のものではないということです。これらが人間の本質が〈不幸〉なものであるということの内容だとおもいます。ただ、この〈不幸〉は、〈不幸〉なことが識知された〈不幸〉であるために、究極的には解除可能な〈不幸〉ではないでしょうか。」(同前』)

吉本隆明はおなじことを『共同幻想論』でも言っている。「共同幻想も人間がこの世界でとりうる態度がつくりだした観念の形態である。〈種族の父〉も〈種族の母〉も〈トーテム〉も、たんなる〈習俗〉や〈神話〉も、〈宗教〉や〈法〉や〈国家〉とおなじように共同幻想のある表われ方であるということができよう。人間はしばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在である。共同幻想もまたこの種の負担のひとつである。だから人間にとって共同幻想は個体の幻想と逆立する構造をもっている。そして共同幻想のうち男性または女性としての人間がうみだす幻想をここではとくに対幻想とよぶことにした」

小泉文夫は素晴らしい音楽を持つということと人間の不幸とはなにか直接の関係があるような感じがすると言ってそれ以上立ち入っていない。ここになにか問題があるのはでないかと素朴に疑問を投げかけている。吉本隆明は人間が自分の存在を圧殺し負担をつくりだす共同幻想をどうしようもない必然にうながされてつくりあげてきたが、そこに人間の不幸な本質があるとしても、不幸が識知された不幸であるために解除可能な不幸ではないかとみずからにまじないをかけている。どうすることもできない必然にうながされてうみだされた共同幻想は同一性の必然であることを吉本隆明は認識していない。また特殊な共同幻想である対幻想を媒介にして親族や氏族として疎外された共同幻想は高度化を遂げていくと語られる。解けない主題を解けない方法で解こうとする典型的な思考が述べられていることになる。平時の牧歌的な思想と言うほかない。知識人と大衆という世界への向かい方を生の原像と総表現者に転位し、どうすることもできない同一性的な必然を同一性の手前で折り返し、そこにある存在の複相性を往還すれば、だれのどんな生にも、いつもそのうえに立っている、ひとがひとであることの熱い情動があって、過酷な適者生存を融解するやわらかい未知がひっそりと気づかれることを待っている。

小泉文夫や吉本隆明の気づきを知る由もなく、谷川俊太郎の『女へ』には、内包的な、意識の外延性がつかむことのできない生を、つい固有なものとして生きてしまったその痕跡がのこされている。谷川俊太郎の『女へ』では初期の擬音がそのまま韻律となり、韻律がじかに喩として表現されているまれな詩文をとりあげる。作者の谷川俊太郎がそのことを意識しているかどうかはどうでもいい。また撰択と転換がどのようになされているか、そのことも括弧に入れる。『女へ』の一冊がそのまま擬音が韻文となり、喩となっている。自己の表現として詩があるのではなく、他者によぎられることで、内包的な表出の詩が奇跡のように実現している。詩集からいくつか拾ってみる。わたしの理解では『女へ』は谷川俊太郎の詩業のなかで最高傑作ではないかと思う。フーコーがめざしたサルトルと真反対の表現が忽然とあらわれた。<〈自己(わたし)〉はわれわれに与えられているのではないという考え方からは、ただ一つの実践的帰結しか引き出せないと思います。つまり、われわれは一個の芸術作品として自己を組み立て、制作し、規定していかなければならないという帰結ですね。サルトルがやったボードレールとかフローベルの分析で、サルトルが創作の仕事を自己-作者自身とのある種の関係のせいにしているのをみるのはおもしろい、自己との関係が真正性の形であれ、非真正性の形であれ、ともかく。私はこれとまさに反対のことは言えないのかどうかと考えているんです。つまり、誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです。>(「ひとつのモラルとしての性」)谷川俊太郎のおびただしく書かれた詩のうち『女へ』は宮沢賢治の擬音と作品に匹敵する擬音が韻律として内包的に表出された作品だと思う。

『魂のいちばんおいしいところ』(谷川俊太郎)という詩集にある「魂のいちばんおいしいところ」の最後はつぎのように結ばれる。<そうしてあなたは自分でも気づかずに/あなたの魂のいちばんおいしいところを/私にくれた>そしてこの部分は『女へ』に受け継がれる。<私は少しずつあなたに会っていった/あなたの手に触れる前に/魂に触れた>ほんとうになにかが起こっていた。この詩集をあらためてじしんの生存感覚をたどるようにして読んでみた。

<ふたり

影法師はどこまでもついてくる
でもついさっきまで遊んでいた子は
背をむけて行ってしまう
まわらぬ舌で初めてあなたが「ふたり」と数えたとき
私はもうあなたの夢の中に立っていた>

最初の3行は同一性の『二十億光年の孤独』(1952)の匂いがあり、次の2行は同一性の手前で書かれている。あなたが初めて「ふたり」と数えたとき、同一性の手前はつぎの情動を生みだす。

<素足

赤いスカートをからげて夏の夕方
小さな流れを渡ったのを知っている
そのときのひなたくさいあなたを見たかった
と思う私の気持ちは
とり返しのつかない悔いのようだ>

たぶんこういうことはだれにも起こる。「Get It On」だ。

<日々

私たちは別々の家で別々の物語を生きていた
雨だれが聞こえる朝 風が窓を鳴らす午後
その終わりがただひとつであることを知らずに
あなたの眠らなかった夜を私は眠ったが
私の知らないあなたの日々は
私の見た夕焼け雲に縁どられていた>

「日々」の最後の3行も同一性の手前によってしか書くことができない。<まわらぬ舌で初めてあなたが「ふたり」と数えたとき/私はもうあなたの夢の中に立っていた>と<あなたの眠らなかった夜を私は眠ったが/私の知らないあなたの日々は/私の見た夕焼け雲に縁どられていた>は双対をなしている。同一性の手前の情動をよく象徴している。

<ここ

どっかに行こうと私が言う
どこ行こうかとあなたが言う
ここもいいなと私が言う
ここでもいいねとあなたが言う
言っているうちに日が暮れて
ここがどこかになっていく>

「ここがどこかになっていく」は宮沢賢治の「デデッポッポ」と相同的である。ここであらためて『音楽の根源にあるもの』の小泉文夫の考えを検討してみる。前回の記事よりもう少し深い理解を得ることができたような気がする。スリランカのベッダという種族のひとに三人同時に歌を歌ってもらうと、べつべつの歌を歌ったという。<これからその三人の合唱をお聴かせします。〔テープ〕 何のことはない、三人で別々な歌を同時にうたったのですね。>共同の符牒がないと人は手拍子に合わせて歌をおなじように歌うことができないと小泉文夫は言っている。音調は高度な共同的な規範がないとリズムやメロディーやテンポが揃わない。たいていの民族はただ一つの歌しか持ってないと小泉文夫は言う。三人がばらばらにしか歌えないということは、民族語の無意識のリズムへの過渡にあることを意味していると思う。ばらばらにしか歌えないということはすでに手拍子をそろえて歌い踊ることを粗視化する思考の慣性の圏域に入っている。このばらばらはすぐに種族や神話につながることになる。同一性を前提とした思考の慣性は不可避に共同性を疎外する。その素朴な過程をベッダ人は生きて、いつのまにか種族の父や母を習俗として疎外することになった。そうではなくただ擬音を初期の韻律とする幼童のあり方のなかにもうひとつの世界が豁然としてある。

「ここがどこかになっていく」ということは、あるいは「デデッポッポ」は、言語の内包的な表出からなされている。発語するかどうかに関係なくふたりはおなじ手拍子で幼童を奏でている。「Get It On」。とりあげた谷川俊太郎の詩はどの詩もふたりの息の合った歌である。みごとな幼童だと思う。手づくりの概念をいくつも造作しながら長い年月をかけて内包という未明の考えを彫りつづけ、ついに共同性を疎外しない幼童まで来ることができた。内面と外界という旧弊な思考の慣性は消えていき、存在の複相性を統覚しているのは還相の性ということになる。それがどういうことか文明史の転換のなかでいよいよはっきりしてくるだろう。幼童は外延史に対応するものではない。内面や歴史を垂直に貫通する思想である。アフターコロナを幼童は飄然と超えていく。

 

コメント

1 件のコメント
  • 倉田昌紀 より:

    小生は、〈歩く浄土〉には総表現者にしか書くことができない、また書くことをやめられない必然性があると思って読ませてもらっている。この必然性は、いつも小生になんらかの反応をしてくれるからなのである。
    ここ(271)では、〈信〉と〈共同性〉を超えていくことが、語られていると、小生には感じられる。
    先ずは〈信〉について、「たしかに宗教的な信を親鸞は解いた。それでは浄土教の教義を解体した念仏者親鸞の信はどこに行ったのか。信が消えても現世も教団も消滅はしない。そのことが気になって仕方なかった。だから親鸞の信の行方についてここ数年持続して考えてきた。親鸞の他力を覚知したものが複数いるとして、それらの者たちは相互にどういう関係をつくることになるだろうか、この問いを何度も何度も自身で反芻しながら問うてきた。親鸞は自然法爾については道理を問うなという言い方で信の行方をうち切っている。しかしどうしても解体された宗教的信はどこに行くのかという根源的な問いはのこる。〈共同性〉をつくらない〈信〉というものはないか。」、ということなのです。
    そして、思想の可能性として、「知識人と大衆という世界への向かい方を生の原像と〈総表現者〉に転位し、どうすることもできない同一性的な必然を同一性の手前で折り返し、そこにある存在の複相性を往還すれば、だれのどんな生にも、いつもそのうえに立っている、ひとがひとであることの熱い情動があって、過酷な適者生存を融解するやわらかい未知がひっそりと気づかれることを待っている。」。このことは、小生にとってはどういうことを意味していることになるのでしょうか、と小生自身に問いかけることになる。
    つまり、「〈内面化〉も〈共同化〉もできない精神や歴史の段階それ自体を逸脱した気圏に、生それ自体の固有性としてリアルに存在する。存在の複相性を往還するとあらわれる幼童の世界が政治のない世界を実現する。幼童は内包自然の内包知ではあるが、歴史の圏外に存在し、外延的な歴史を内包的な表現がそのつど解体する。だれもがはからいによらずふたつの生を生きることが可能となる。どんな先端的な科学知を装おう理念もAIと結合した生物工学や金融工学もきりのない内包的な表現のなかに引き込まれ、内面と外界という意識の第二層が融解し、意識の第三層にある喩としての内包的な親族のなかに吸引されていくことになる。」と、内包論が意味する内容が、書かれことのない不可能の穴のエッジから、以下のように書かれ展開されていくことになる。
    「一瞬の永遠を、内包論で、根源の一人称という言い方をするときがある。同一律の思考の慣性では対他性をもてないので同一律の認識の自然に則って根源の二人称と言い換えている。観念の本然からいえばおなじことが意味されている。だれもがあまり意識することなく存在の複相性を往還している。だれにも思いあたることがあるはずだ。有縁による根源のつながりは根源の一人称に他ならないが、自己意識の用語法では対他性をもたないので、この意識の内包的な表出のありようを根源の二人称と名づけるしかなかった。根源の一人称という有縁が一度起これば、有縁は有情となり喩としての内包的な親族が可能なものとして表出される。時代がどれほど遷移してもいつもその上に立っている、そのことによってひとがひとであることの情動は変わることがない。先史も有史も貫通してだれの脚下にも根源の二人称があるにもかかわらず、そのことに気づくのにほぼ先史と歴史時代の一万年かかったことになる。」のだと。
    上記の思想が、谷川俊太郎の詩集『女に』からを引用され、より具体的に語られる。
    「<日々ーーー谷川俊太郎
    私たちは別々の家で別々の物語を生きていた
    雨だれが聞こえる朝 風が窓を鳴らす午後
    その終わりがただひとつであることを知らずに
    あなたの眠らなかった夜を私は眠ったが
    私の知らないあなたの日々は
    私の見た夕焼け雲に縁どられていた>
    「日々」の最後の3行も同一性の手前によってしか書くことができない。<まわらぬ舌で初めてあなたが「ふたり」と数えたとき/私はもうあなたの夢の中に立っていた>と<あなたの眠らなかった夜を私は眠ったが/私の知らないあなたの日々は/私の見た夕焼け雲に縁どられていた>は双対をなしている。同一性の手前の情動をよく象徴している。(略)とりあげた谷川俊太郎の詩はどの詩もふたりの息の合った歌である。みごとな幼童だと思う。」、と。
    「手づくりの概念をいくつも造作しながら長い年月をかけて内包という未明の考えを彫りつづけ、ついに〈共同性〉を疎外しない幼童まで来ることができた。内面と外界という旧弊な思考の慣性は消えていき、存在の複相性を統覚しているのは還相の性ということになる。それがどういうことか文明史の転換のなかでいよいよはっきりしてくるだろう。幼童は外延史に対応するものではない。内面や歴史を垂直に貫通する思想である。アフターコロナを幼童は飄然と超えていく。(略)だからわたし(森崎)は内包論を数十年に渡り途切れ途切れに書き継ぎ、いまも考え書いている。」。小生は、小生なりに紀州・熊野という場所で、生きて生活する当事者として〈共同性〉とその〈信〉について考えるヒントをもらっているのである。もちろん、面々のはからいのひとりとして小生は、小生の現場性を生きている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です