1ユヴァルの『21Lessons』が今日(11月21日)Amazonから届いた。まだ読んでいない。「歩く浄土259」で感想を書こうと思う。生政治の変遷をたどりなおし、フーコーの『知への意・・・【続きを読む】
1人間は自然の一部であるという一見正しく見える命題のなかにふかいなぞがある。表現の根底、根幹に関わることがそこにある。だれもこのなぞを究尽していない。人間が自然の・・・【続きを読む】
1死は領域となった自己という性のなかに生のくぼみとして存在する。追い越しえない死の先駆性はどこにあるか。生のすぐ傍にある。生と死は相克するものとしてあるのではない・・・【続きを読む】
1思えば半世紀、存分に走り、いくらか世界に王手をかけた。わがこととして抱え込んだことをなんとかしたくて、わが身を貫通した生存感覚を、個人的なこととしてではなく普遍・・・【続きを読む】
16月末に身体のあらたな異変が起き、ついに運が尽きたと思った。追い詰められて、ひと月、かぎりなく愚、かぎりなく俗、かぎりなく卑小であることは、はたして肯定されるの・・・【続きを読む】
1ひとがひとであることの限界はなんだろうか。言い換えれば、なぜ存在の複相性を往還することができるのだろうか。同一性の手前に同一性を融即する根源の一人称である還相の・・・【続きを読む】
1他者を自己の生存の手段にしないという思想の究極の課題と、私性によって生きているわたしたちの生の現実はどういうふうに相関しているのだろうか。私性の私利私欲を現実・・・【続きを読む】
1めずらしく「歩く浄土250」にたいして反響があった。いくらか挑発的な内容だったので批判的な感想がもたらされるのではないかと考えていた。適中した。なにが挑発的だった・・・【続きを読む】
1昨年の1月くらいから個人の主観的意識の襞にある信は、共同主観的信の派生態ではないかと考えはじめ、そのことを解き明かそうとかなり無理をして身体を壊した。集団の信も・・・【続きを読む】
1息を詰めるようにしてこの数年内包論を書き継ぎ、幾分か世界に王手をかけようとしていた。その矢先にわたしの地上の旅がふいに終わりかかった。内包論を少しでも進めたくて・・・【続きを読む】
1心臓に不穏があって2週間入院し運良く生還した。救急搬送されているとき、薄れていく意識のなかでこんなにあっけないものかと思ったことを覚えている。お迎えが来ずに生き・・・【続きを読む】
1生誕と死のなぞを自己が自己であるという同一性は解くことができない。私が自己の意志でこの世に生をうけたか。そんなことはない。だれもが何の何某と名づけられていること・・・【続きを読む】