箚記

齋藤秀三郎さんの世界-なお生き延びること

 一枚の絵画を以て国家(と資本のシステム)を超えることができるか。齋藤秀三郎さんの作品を垣間見てふと法外なことを考えた。いつの頃からか、稀な例外を除き、文学や思想だけでなく美術もまた思考や想像力を停止させるためだけに飽くことなく生産されている。全てが予定調和の制度に包囲された世界で、もはや自己表現とは増殖する自己権力の称謂そのものに他ならない。
 なぜこのような事態が招来されたのか、齋藤さんの作品を導きの糸として、かなりよく分かるようになった。内部に渦巻く名状しがたい衝迫を外部へと汲み出す表現の行為が出口を失い、たたらを踏んでいるからだ。現代の文学や芸術のこの在りようは表現者の意図に反して国家と資本のシステムを綾取るものとして機能している。この袋小路を破ることの困難さに実作者はだれもが絶句した。而して輾転反側した挙げ句、自然への融即に安息を見出すというのがこの国では成熟と見做される。そうではあるまい。
 文学や芸術が個人の内面の露出であるというのは近代が創案し、流布し、人々が信じた、大きな罠ではないか。制度を包越することができず内面が社会化されているかぎり、現代芸術は、比喩として言えば、それがいかに洗練されたものだとしてもプロレタリア文芸の逆倒した完成体であるといってよい。作品の全面的な社会化があり、家畜の群のような作品が私たちの眼前に晒されている。政治を軽侮し、社会を嫌悪するにも関わらず社会作品となって出現する皮肉な逆理がここにある。これが赤裸々な現代美術の現状なのだ。意図的な挑発であるから、美術を実作する諸氏よ大いに反感をもたれよ。むろん文芸であっても事態は全く異なるところはない。
 いっそ作品の向こう側へと突き抜け、表現を他者に略取されよ。そこにだけ表現の余白がある。またそれよりほかに芸術行為の価値というものなど、もともとあるはずがなかった。斉藤さんは作品によって芸術に抜きがたく染みついている根深い信仰の根底的な態度の変更を迫っている。既存の芸術がぐるんと転回するこの地平で、作品が作家の表現意識のメタファであるという安易な理解や、美術の鑑賞者が作品から受ける芸術的感動という凡庸なる心性が消滅する。
 制度が戦慄し、脅威を覚えないようなものは行為の本質的な意味において思想でも芸術でもないのだ。国家や資本の堅固な条理がやがて到来する芸術に震撼され、歓喜のあまり激しく胴震いして融解する光景を見果てぬ夢のように遠望する。そのために自己表現を放下すること。私たちの奇妙な生を同一性に監禁するかぎりどうあがいても、自然が自然に非ざる異物を生み出してしまうゴルディアスの結び目をほどくことはできない。封印の前で立ち止まる芸術は政治の異称である。複数の主体を一人称とする表現が成らぬかぎり、芸術は制度という権力であり続けることを止めないだろう。そして強い者が勝ち誇るこの世の習いが変わることも断じてない。
 50年余に渡る美術活動を通じ、作品を描くものの姿勢を絶えず愚直に問い続けてきた齋藤さんの眼裏からこの疑念が消えたことはないと思う。気の遠くなる永い時間、がらんどうの生の奇妙さに彼は耐えてきた。齋藤さんの魂を搾り出すような作品群から私は途方もない示唆を受け取った。この個展を一区切りとし実作者としての絶頂期の勢いに駆られ、生涯の最期に、この世ならざるものを実現しようと、齋藤さんは〈歩く浄土〉を美術として現成するに違いない。おそらく飄々としながら虎視眈々とそのことを狙っている。そこには、すでにして芸術に非ず俗に非ずと刻印された、もはや芸術とさえ呼べない、かすかな表現の痕跡が遺されているような気がしてならない。このとき一枚の絵画は他者の生存を手段へと貶めることなく、国家(と資本のシステム)のくびきを軽々と超えるだろう。

(☆齋藤秀三郎展-案内文)

齋藤秀三郎展-不安なキャベツたち-/2008 年3 月20 日~25 日/福岡アジア美術館8 F


 わたしたちが生きているこの現実は、さかしらごとで変わるほど手軽ではなく、まして博学さや才能で歯が立つほどやわでもない。そういうものの手の内は知り尽くしている。衆の一人として生きる才覚も度量も持ち合わせぬ、知に寄生する者らの小癪な文化言説より、現実ははるかに懐が深いものだ。生身を晒して生きるとき、現実は空恐ろしくもあり、また味わい深いものとしてもあらわれる。

 わたしは常に両義的なものとしてあらわれる現実の堅固を才知によって否定するのではなく、ことばのおのずからなる力でなびかせてみようとおもう。現実の鉄面皮にとって小賢しい物言いなど刺身のツマみたいなものにすぎない。そんなものはたちどころにしたたかな現実に絡めとられ、制度のなかに回収される。
 いったいみずからを一箇の修羅として生きることもなく、詭弁と欺瞞で固められたしゃらくさい能書きごときで世界をつかむことができるなどというのは、かんがえることの怖さを生きたことのない、身の程知らずのものたちの分不相応な思い上がりというものだ。堕ちよ、生きよ。

 じぶんを貫いて言わずにおれぬこと、語らずにはおれぬこと、かんがえずにはおれぬことだけが、現実に亀裂を走らせ、ここをどこかにする。この世が革まる機縁は存在のこういうあり方のなかにしかない。面妖な現実が、このとき一瞬怯み、満面の笑みを見せるのだ。世界の無言の条理が、じぶんもできるものならばそうありたいと相好を崩し、堅く閉ざした鎧戸をひらくのがここだ。表現の器量とはそのほかではない。

 わたしはほかならぬじぶんに固有のこだわりの、語ろうとして語りえぬことを究尽することで、すでにして同一性の彼方にあることばを現出させたいのだ。生きる勇気がわいてくる自己の陶冶がそこにある。ここにおいて自己の陶冶がおのずと他者への配慮を現成する。そのときわたしは匿名のだれでもないものとして世界を手にする。そしてそれだけが普遍的な世界論たりうるのだとわたしはおもう。

(★齋藤秀三郎展-言葉による参加)

 

内包ということば
 わたしは、人や歴史の始まりにおいてありえたけれどもついになかった存在の彼方を、悠遠の時空を超え、言葉の力で現にあらしめることができると考えるから、無力感のただなかで「テロと空爆のない世界」について書く。いつもすでにその上に立っている、天意をつきぬけた、あたかも重力の法則を覆すことにも似た驚異が、存在の内包世界にふいに湧出する。それは狂おしい戦慄だが、そこには無差別の自爆テロも、やられたからやりかえすという復讐も存在しない。修羅の巷であっても世界は可能性に充ちている。唯一そこが苦界と空虚があろうとしてもありえない生の可能性の源泉だ。

 世界も言葉も一切合切が背骨を喪い、善悪の彼岸にただ在るように在る。その空っぽの〈在る〉が背後から一閃される。名づけようもなく、名づけるほかない彼方からの不意打ちと襲来。世界の底が抜けるその理不尽なまでの熱さ。絶望する気息が、非望の極みでたわみにたわんでふいに天啓のように訪れるなにかとしてしか、言葉ではないにそれに触れることはできない。それは無限小の出来事であり、伝わらないというかたちでしか伝わることがない。じぶんを生きることからしかはじまらないなにかだ。

 問題は断じて、汚れた政治と内面の自由との対立ということではない。ひとえにこの矛盾や背反は、〈わたし〉が〈ある〉ということの制約から派生しているのだ。
 考えることや表現するということの決定的な転回がここにある。根源の一人称が〈じぶん〉に驚き、おのずとはじけてかたちとして宿ったのが〈ことば〉なのだ。〈ことば〉がすでにして同一性の彼方にあるというのはこういうことだ。自己表現ではなく、内包表現だとわたしがいうのはこの意味である。〈ことば〉というたましいのふるえが、音もなく降りつむ雪のように内包自然となってこの大地に舞い降りる。

(☆齋藤秀三郎展-言葉による参加)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です