箚記

内田樹メモ2

6155gTAuX2L__SL1262_

    1
 内田樹の本を全部読んだわけではないが、最後に残る納得しがたいところから、彼の世界に分け入ってみる。これまで目を通した内田樹の所論は気持ちよく腑に落ち、主張に成熟というものを感得できる。ものごとを一挙に解決しようとするのは子どもの論理であって、そのやり方はどうであれ失敗するのであるから、常識を範として、まあ、まあ、と間をとるやり方こそが、よりベターな大人の論理であると、読んだ本のそこかしこで訓戒する。私ももうよい歳であるから、言われていることはよくよく分かる。それなのに微妙なずれを内田樹の発言に感じる。私のなかのどうしても大人になりきれない部分からこのずれがきているような気がしてならない。そうなのだ。私はこの歳になっても大人になりきれない。そのことにどんな思考の余白があるのか、情緒ではなく、論理として明快に取りだしてみる。内田樹の世界認識の範型は否定されることなく、ぐっと拡張されることになると思う。

 私の読みでは、おそらく、内田樹は人生のある時期に何かを断念したのだと思う。正確な言葉としては覚えてないが、平川克美との往復書簡本のどこかで、「ま、やめましょう。暗い話は」というようなことを書いているところがあった。そこへ話をもっていきたいので、任意に内田樹の発言のなかから「子ども」の論理と「大人」の論理を拾ってみる。

「私」は無垢であり、邪悪で強力なものが「外部」にあって、「私」の自己実現や自己認識を妨害している。そういう話型で「自分についての物語」を編み上げようとする人間は、老若男女を問わず、みんな「子ども」だ。
 こういう精神のあり方が社会秩序にとって、潜在的にどれほど危険なものかはヒトラー・ユーゲントや紅衛兵や全共闘の事例からも知れるだろう。(『期間限定の思想』)

「大人」という概念は、「ここにある秩序以上の秩序」なんかどこにも存在しない、「人間の知を超える知」なんかどこにも存在しないということを「子ども」に教えるための詐術的装置だった、ということが分かったときに「子ども」は「大人」になるんだから。(同前)

 引用の箇所は内田樹の考えをよく反映していると思う。なぜ内田樹はふた昔前の常識を拠り所として「子ども」と「大人」という対項をもってくるのだろうか。 だれであれ、ある時代性を揺籃期として生きることからまぬがれる者はいない。内田樹もまた若年のとき、学生の騒動に遭遇し何事かをそこから得たと思う。多感な二十歳前後の体験に、のちの内田思想の核となるものがあると私は考えた。

 じぶんが生きている、今、此処の現実に激しい不満があり、そこに現世を超越する理念が投げ込まれると、人々は制度を打ち壊し、いっせいに、ここで はないどこかへ、熱狂的に没入し移動することが時としてある。一気に千年王国を実現せんとする焦慮がどういう厄災をもたらしたか、すでにそのことは世間知 としても私たちは知っている。この愚劣は世界史の規模の災禍をもたらした。人は群れるとあこぎなことを為すという暗い記憶は今なお私の身体に焼きついてい る。内田樹も若い頃、遺憾なく火傷したに相違ない。

 私は内田樹の火傷の程度を問うてみたいと思う。彼の思索から深さというものを取りだしてみたいということだ。これが考えてみたいことのひとつである。もうひとつある。「子ども」と「大人」という図式は意識にとって同じ平面上の出来事ではないかということだ。「私」を外部に委託するどんな物語も例外 なく愚劣と厄災をもたらすことが必至だとは言え、内田樹が「ここにある秩序以上の秩序」は存在しないと勘考して対置する邪悪な意志の対抗概念(民主主義ということ)もまた、本当は邪悪で強大なものの外延されたところに位置するものにすぎないと私は考えている。
 ここから拡がる目の眩むような思考の余白の可能性を内田樹はうっかり考え損ねているのではないか。考えてみたいふたつのことはメビウスの輪のようにねじれてひとつながりになっていると思う。少しずつ内田樹の言説との間合いを詰めていく。

    2
 『「おじさん」的思考』で内田樹は書いている。

 重信房子が逮捕された。
 西成のワンルームに逼塞して、高槻のホテルで捕まった。
 私は日本赤軍という政治党派にいちどとしてシンパシーを感じたことがないけれど、この逮捕には少しだけ心が痛んだ。何ヶ月か前、東海道線の駅で過激派の中年男が刺殺された記事を読んだときも何となく気持ちが暗くなった。
 一体、この人たちは今、何を考えて「政治」をしているのだろう。
  一九七〇年代の初め頃に左翼の運動から「足を洗う」ときに、(洗うほど浸かっていたわけではないけれど、それでも)一度はある政治党派の運動に荷担した以上(そして、その綱領や党派の名において何人かの人々を罵倒したり、傷つけたりした以上)、その方向転換を説明する責任が自分にはあると考えた。(「転向について」)

 私は「夜逃げ」もしなかったし、「四畳半」にも逼塞しなかったし、「シコシコ」とかいう擬態語で語られた「小さな政治」にもかかわらなかった。私は自分が属していた党派の巣窟に行って、これこれの理由で私は君たちと縁を切る、と宣言した。
  活動家の諸君はちょっとびっくりして私を見ていた。彼らは別に怒りもせず、非難もせず、「あ、そう」というふうにぼんやり私を見ていた。もともとあまり私の政治力についてあてにしていなかったから、失って惜しい人材でもなかったのであろう。私は「じゃ、そーゆーことで」と言ってすたすたと出ていったけれど、さいわい追いかけて引き留める人もいなかった。
 それ以後も私は活動家の旧同志たちとけっこう仲良くやっていた。学内で会うとおしゃべりをし、いっしょにお茶を飲んだ。いちばん仲の良かった金築寛君はそのしばらくあとに神奈川大学で敵対党派のリンチにあって死んだ。フラクの「上司」だった蜂 矢さんはしばらくして殺人謀議で指名手配された。大学を仕切っていた政治委員たちは地下に潜った。そしてみんないなくなり、私はぽつんと残された。(同前)

 一九七三年の冬、金築君は太股に五寸釘を打たれてショック死し、蜂矢さんは逃亡生活をしていた。私は毛皮のコートを着た青学の綺麗な女の子とデートをしていた。
 どこに分岐点があったのか、そのときの私には分からなかった。いまでもよく分からない。生き残った人間は正しい判断をしたから生き残ったわけでない。(同前)

 とても真摯な語り口だと思う。等身大に語られた回想文で、捏造された記憶ではないと直観する。重信房子の逮捕は私も偶然テレビで見たことがある。確か、指でピースしてた。「少しだけ心が痛んだ」ということもなく、厭な奴だとむかついた記憶がある。
  私も、夜逃げもひきこもりもシコシコ運動もやらなかった。「これこれの理由で私は君たちと縁を切る」と似たようなことをやった。「『じゃ、そーゆーこと で』と言ってすたすたと出ていったけれど、さいわい追いかけて引き留める人もいなかった」となれば、一件落着、よかった、目出度しだった。私の場合、事態 は急転直下、風雲急を告げることになった。胸の悪くなるそのやりとりといったら、・・・書きたくない。期間限定なしの出入りと刃傷沙汰に明け暮れた。「一 九七三年の冬、金築君は太股に五寸釘を打たれてショック」で死んだ。いちばん仲の良かった金築寛君が、と内田樹は書いている。仲がよくても、こういうこと があるんだ。こういってやりすごすこともできるんだ。これはいったいどうしたことだと不可解な気持ちに襲われる。

 ここからは、親鸞に倣って面々の御計らいということに属する。主観的には義を念じた実践がなぜ敗残の者を追いつめ死に至らしめ、あまつさえ、殺人や復讐と報復としてしか現れないのだろうか。この倒錯や愚劣について、何十年も日に夜を継ぎ考えに考えた。私と内田樹のあいだには、なにか立ち位置の違いのようなものがある。繰り返すが、ここをどうかいくぐるか、それは面々の計らいである。内田樹の書かれたものから判断するかぎり、行動者としてやばい圏域 をサーフィンしてしまった私の縁は、内田樹のいうようなものではなかった。暗転・暗闘、・・・一人の戦争。なぜそういうことになったのか、私はそのことだけを考え続けた。なんだか凶暴な気持ちになって表現の余白を一心に駆けた。世界よ、おれにつづけと念じながら。冷静に狂っていたんだと思う。およそそれよりほかに生きようがなかったから。

 ほんとうに内田樹は考え尽くしたのだろうか。もちろん内田樹は究尽してはいない。かと言って彼に非があるわけでもない。私が考えに考えたようなこととは単に縁がなかったのだ。たぶん内田樹は彼なりの体験を経て民主主義を信奉するに至った。理想を唱える「羊のロマン主義」(竹田青嗣の言)よりましだという理由によって。しかしふと思う。民主主義は良いとか悪いとかの水準にはなく、現にある制度のことではないのか。おまけにこの制度は内側から自壊し、弱い環から個別に撃破され、いまやメタメタというのが実情だ。そのことをよく承知のうえで、さあ、わたしの出番です。これからは常識です、これを信じて、 できるところから、まじめにやり抜くしかないんです、と内田樹は真剣にいう。なんか遅れているなあ、と私はぼそっと呟く。

    3
 再び、『「おじさん」的思考』から。

 民主主義はよいものだ。絶対的な正義を一義的に決定することは不可能だが、相対的な正義と「よりましな社会」の実現をめざして、話し合うことはできる。そして、「今よりましな」状態めざして、コミュニケーションの回路を立ち上げるのは「よいこと」だ。
 私がこの本で述べているのは、そのような「二昔ほど前の常識」に過ぎない。
 こつこつ働き、家庭を大事にし、正義を信じ、民主主義を守りましよう。

 さらに『期間限定の思想』巻末ロングインタビューから。

  たとえばマルクスなら、二つの社会階級が競合しあってゆくなかで、生産手段が変化していくという歴史的分析をするわけですね。人類の歴史は階級闘争の歴史である、と。これは正しいんですよ。でも、その分析から導かれる最終的な目標が、「階級がなくなる社会を作らなくてはならない」という。これは僕から見ると間達っている。対立するものがお互いに対峠しあったり、競合しあったり、否定しあったりしながら共存する、というのが社会の自然であって、それを統合して階級なき社会、国家なき社会、全員が均等の社会こそが人類の到達しうる究極の理想社会であるというのはただの幻想ですよ。だって、そんなものこれまで人類はいちどだって見たことも作りだしたこともないんだし、それが「理想」だなんて、そんな社会が「住み心地がいい」なんて、誰に断言できるんですか。競合 するさまざまなファクターが、共存しながらシステムとして安定しながら支え合い、刺激し合ってゆくというのが人問にとってというか、生物にとってはいちばん自然なあり方なんです。
(略)
 社会矛盾というのは絶対になくならない。対立も続く。絶対に折り合わない多様性というものもある。それ をなくそうとしても無理なんです。だから、それはそのままにしておいて、多様性のなかから引き出しうる最適性、利益の最大値を取り出すにはどうすればいいかということを考えることが、社会理論としてはいちばんたいせつな仕事だと思うんです。(『期間限定の思想』巻末ロングインタビュー)

 「日本の正しいおじさん」というのは、ある種の理念として、日本の戦後を支えてきた、良質のファク ターを統合してつくったヴァーチャルなキャラクターです。でも、一応のモデルはあって、このキャラクターを造型する素材としていちばん多くを借りたのは、 僕の父親からですね。「こつこつ働き、家庭を大事にし、正義を信じ、民主主義を守る」というのは、まさに私の父親の肖像ですから。(『期間限定の思想』巻 末ロングインタビュー)

 民主主義はよいものだから、民主主義を守りましょうなどと言われるとし らけてしまうのだが、内田樹のスローガンはおそろしく練達したものであると心したほうがいい。舐めてかかっては火傷する。彼の言葉の芯にあるものは剛く、お茶ら気であたり前のことを言っているのではない。そうだとするならわざわざ取りあげるまでもない。彼のわかりやすくて喉ごしのよい言葉には刺さると抜けない大きな棘がある。
 というのは彼の発言の背後には、彼が終生師と仰ぎ忠誠を誓う、難解を以て知られるレヴィナスの言説が控えているからだ。その昔、ミシェル・フーコーが急逝したとき、彼が宣命した人間の終焉の反動で、これからはレヴィナスの時代だと予感したことがある。半ばしかあたらなかったが、この国では内田樹によって正統に受け継がれているというのが私の読みだ。むしろ彼一人だといってよいのではないかと思う。この国に固有のしきたりや迷妄をぬきにすれば内田樹の発言はレヴィナスの思想と受けとってよい。なにしろ本のあちこちで彼がそう述べている。だから内田樹の思想を批判することはレ ヴィナスの思想を批判することと同義である。

 引用の箇所に即していうと、「社会を均質化する運動は失敗する」(ロングインタビュー小見出しにそう書いてある)というのが大意だが、党派に所属 した彼自身の極左体験がマルクス主義やフェミニズムへの嫌悪として言われているぶんにはよくわかるが、理想を追求することがなぜただの幻想でよくないこと となるのか、読みえたかぎりでは明瞭ではない。対抗(カウンター)思想のあたりで内田樹は立ち止まったのではないか。「社会矛盾というのは絶対になくなら ない。対立も続く」「それをなくそうとしても無理なんです」ということに、ことさら力こぶがはいるのは、彼自身のどういう当事者性にもとづくものなのか、 分からない。このあたりで立ち往生し、まるごとレヴィナスに身をあずけ掬い取られたのではないかと私は見ている。それはレヴィナスの関知するところではないが、ここに内田樹にとっての幽冥の場所があり、自身の体験をレヴィナスの思想に接ぎ木した秘密があると思う。私には、体験をどこかで宙に吊り、一般化が 行われているとしか思えない。

      4
 なぜそんなことになるか当の内田樹自身にも不可解だろうし、彼がこの難所を解きほぐすことはできないだろうから、私が謎を解明する。おそらく彼は考えた。こういうことだと思う。理想を追い求める義の実践が愚劣しか生まなかった事実を積みあげていくと、回り道かも知れないが、よりましな社会の実現をコツコツめざすほうが、健全でじつは早道なんだ、と彼は言いたくてならない。むろんレヴィナスの思想の徒である内田樹はただ単に自己中心性を擁護しているのではない。レヴィナスの思想の根幹をなす、自我は起源に先立って他者へと結びつけられているという、あの命題(じつにわかりにくく当のレヴィナスでさえ舌を噛みそうにもぐもぐしている)を内田樹が隠し味としてもっていることはよく理解している。

 まずは内田樹の方法意識の制約とでもいうところから入っていく。民主主義が人間の作った制度として最上のものであるということ、そのことには留保ぬきで賛意を表明する。人間の共同性は、国家を上限とし、その下で身体である市民社会を法治によって縛るほかに統治の術をもちえないからだ。この統治のシ ステムを民主主義と呼ぶならば、人間の観念が実現した最高の形態であるということになる。

 国家と市民社会を解剖学者三木成夫の思想に対照して考えてみる。彼は『南と北の生物学』で「胃袋とペニスに、目玉と手足の生えたのが動物。その上 に脳味噌の被さったのが人間」だという。この比喩に習えば、環界の状態がきびしくなれば、自己保存則にのっとり、背に腹はかえられないや長いものには巻か れよが自然に出現する。飢えや制裁がきつくなると、被りもののアタマは身体につき従うということだ。権力の本質は暴力であると喝破したフロイトもこのこと をよく知っていた。つまり市民主義の正義はかくも脆いということだ。散々こういう光景を眼にしてきた。

 吉本隆明は自己幻想と共同幻想は逆立すると願望を語ったが、内田樹の「対立するものがお互いに対峠しあったり、競合しあったり、否定しあったりしながら共存する、というのが社会の自然」であるし、「競合するさまざまなファクターが、共存しながらシステムとして安定しながら支え合い、刺激し合ってゆくというのが人問にとってというか、生物にとってはいちばん自然なあり方」なんだという言い分のほうが世間知としては分がいい。理念ではなく、生活の知恵として充分になじんだものだ。裏を返せば、民主主義のルールがより強大なものにいともたやすくなびくということにほかならない。もっといえば、民主主義とファシズムはなんの矛盾もなく接合できるということだ。大正デモクラシーも帝国陸軍の強力に一瞬で呑み込まれた。意地悪かもしれないが、レヴィナスの次の 言葉なんか堪えるぞ。

 戦争がおわってからも、血は流れつづけている。人種差別、帝国主義、搾取は依然として情け容赦ない。諸国民は、人間たちは憎悪と侮蔑にさらされ、悲惨と破壊を恐れている。けれども、この犠牲者たちは、少なくともその虚ろな眼をどこに向ければいいのかは心得ているし、荒涼とした彼らの居場所も世界に属していることに変わりな い。万人の認める意見が、異論の余地のないかずかずの制度が、そして〈正義〉なるものが蘇っている。さまざまな言説のなかで、文書のなかで、学校のなか で、善はいかなる条件のもとでもつねに〈善〉であるものと合体し、悪はいついかなるときにも〈悪〉であるものと化す。暴力があえてその名を明かすことはもはやない。これに対して、一九四〇年から一九四五年までの時期にあって他に例を見なかったこと、それは遺棄であった。いつもひとはひとりで死に、不幸な者たちはいたるところで絶望していた。たったひとりの者たちと絶望した者たちのあいだにあって、不正の犠牲者たちはいつでもどこでも、もっとも悲嘆にくれ、もっとも孤独な者たちだった。しかし、ヒトラーの勝利―そこでは〈悪〉の優越はあまりにも確固たるもので、悪は嘘を必要としないほどだったのだが―によって揺るがされた世界のうちで死んでいった犠牲者たちの孤独がおわかりだろうか。善悪をめぐる優柔不断な判断が主観的な意識の襞のうちにしか基準を見いださ ないような時代、いかなる兆しも外部から訪れることのない時代にあって、自分は〈正義〉と同時に死ぬのだなと観念した者たちの孤独がおわかりだろうか。(『固有名』所収「無名/旗なき名誉」合田正人訳)

 内田樹の正義はどこで実現されるのか。内田樹の方法意識では実現されないと私は結論する。世の中の万事が金ではないということは反省意識としてならありえても、彼の悲願はお金の魅力の前ではかすんでしまう。彼の愛好する正義や民主主義が金より良いもの、金より魅力のあるものだったら、こーゆー現実にはなってないでしょ。而して私たちの生の現場は、天空をゆきかう電子ノイズに攪乱され生成する現実を追認し内省することしかできない。ようするに総敗北であり、 敗残の徒なのだ。民主主義が現実と拮抗しえているとはまったく思わない。自己を一個の実有とみなすかぎり、お金と民主主義は極めて相性がいいのだ。これが 正解。
 レヴィナスの他者の身代わりや人質という有責性の概念は、こういう生ぬるいことを言っているわけではない。レヴィナスの悲痛な叫び。「なぜ神を放棄してはならないのか。絶滅収容所で神が不在であった以上、そこには悪魔が紛れもなく現存していたからだ」(『われわれのあいだで』合田・谷口 訳)。言説の本質は祈りであると彼はいう。「主観的な意識の襞のうちにしか基準を見いださない」ようなこととは隔絶した存在の彼方そのもの。語られているのは存在の超越なのだ。この場所に彼は直接に人間としてうずくまり、「おわかりだろうか」と呟いている。

 私はレヴィナスの経験はやってないけど、彼のいう「おわかりだろうか」はじぶんの暗い記憶におきかえてみるとよくわかる。わかったからといって、 けっして携帯絵文字のピースなんかでるわけない。体感としてわかるということは知識ではない。そのなかにいて、そこを生きるということだ。わからないなら 黙れといいたい。簡単にいうと内田樹はレヴィナスの「正義」にさわっていない。ふれてもいない。内田の正義はまだ「主観的な意識の襞」のうちにある。西欧形而上学の転倒を試みたレヴィナスの苦闘。ハイデガーのナチ加担を終生許さなかったレヴィナスの苛烈。彼のすべてを賭けて創案した存在とは別の仕方。それこそが彼固有の超越である存在の彼方。

      5
 とここまでサクサク書いてきた、といいたいところだが、まじ真剣になっている。気楽にブログ風というより、書き下ろしモー ドだ。こうなってしまったのにはわけがある。内田樹を若い人が読んだらどういう感想をもつか聞きたくてしかたなかった。そこで娘と二十歳になった友人の坊ちゃんにウチダくんの本を送ったり、あげたりして感想を聞きだそうとした。娘からは「おじさん的思考を読み始めたけど、コレ、ちょっとふざけすぎやない? 読み続けられるか自信がない」と返信があったので、これはいかんと思い、「ね、なんとか読んでみて」と返信したら、やっときました。「まだ読んでない。明日少し読めると思う。こっちは桜はほぼ満開できれいよ。福岡も同じくらいかな?」のメール。待ちました、しかたなく。ついにきました。「マクドの100円コーヒー知っとる? 安い割にはおいしいし、カップの口のところがいいよ。私にはなかなかのヒットよ」。えええっ。明日少し読めるといってなかった? もう三日経ったぞ。3月30日早朝、東京の大学に旅立った雄人くんはその二日前に遊びに来ていいました。「ここまでしか読んでないけど、やっぱり読んだがいいですか」とちょっとだけ読み止しの本を指ではさみました。そうか齢20や30には無理なのか。私の日常はお年寄りに囲まれています。後期高齢者にお聞きすれば、あらぁいまどき立派なことをいう若い人もいるものね、といわれるに決まっています。こうなったら、おじさん的思考でいくしかありません。だから・・・そういう次第です。

 内田樹の考え残したことはどういうことなのか。どこに思考の制約があり、どうすれば思考は拡張されるのか、そのありかをはっきりと取りだしたい。さかしらに超越を語る典型的な見本を参考にする。囀りまわるハイデガー。

  宇宙の茫漠として果てしない空間の中にある地球を思い浮かべてみよう。たとえてみれば地球は小さな砂粒であり、同じおおきさをした隣の砂粒との間は一キロ メートルもそれ以上もあって、そこには何も存在しない。この小さな砂粒の表面にうようよとはいまわる愚鈍な動物の一群が生きていて、それがほんのしばらく の間、認識するということを案出して、賢い動物だと自称している。(略)全体としての存在者の中では、われわれ自身が偶然その一人である人間と呼ばれるこ の存在者を特に重要視するいかなる正当な理由も見あたらない。(『形而上学入門』川原訳)

 かろうじてただ神のようなものだけがわれわれを救うことができるのです。われわれ人間にはただ一つ の可能性しか残っていません。すなわち、思惟において詩作において、この神の出現のための、あるいは没落期におけるこの神の不在のための一種の心構えを準備するという可能性です。(『形而上学入門』所収「シュピーゲル対談」川原訳)

 ハイデガーの超然とした余裕に吐き気がする。固有の生を生きるどんな激しい夢もなく、私たち人間を愚鈍な動物と貶め、欲しくもないのに神を待ち望む、こういう輩 をなんと称すればいいのかわからない。若い頃、皆に倣い『存在と時間』を読んでみた。肝心要の大事はなにも書かれていない。がらんどうの壮大な空虚。感想 はそれだけだった。なぜ彼が20世紀最大の思想家として文化人の神棚に祭られるのか。じぶんのあたまとからだで考えないことを習いとするこの国の風習なの かもしれない。ハイデガーが「かろうじてただ神のようなものだけがわれわれを救うことができるのです」ということにどんな切実さもない。饒舌な思弁にすぎ ぬ。彼は神が不在であろうが、鎮座していようがそんなことはどうでもよい。彼がいいたいことはただひとつ。おれって頭がいいだろう。写真で顔を見ればわかる。とことん厭な奴。

 「われわれ人間にはただ一つの可能性」しか残されていないと彼はいう。そしてそれは「神の出現のための、あるいは没落期におけるこの神の不在のための一種の心構えを準備するという可能性」だとハイデガーはいう。レヴィナスは家族や同胞の無惨な死をなんとか救抜したかった。そうせずには生きられな かった。ハイデガーの俯瞰する神とレヴィナスのユダヤの神とのあいだには天と地とのひらきがある。もう一度、レヴィナスの祈りをひく。「なぜ神を放棄して はならないのか。絶滅収容所で神が不在であった以上、そこには悪魔が紛れもなく現存していたからだ」。ここにある逆理は天地神明に誓ってハイデガーには理 解できない。ハイデガーの空疎とレヴィナスの悲痛にある千里の隔たりをじかにつかむということが、そのなかにいてそこを生きるということなのだ。レヴィナ スのいう「無名/旗なき名誉」とはそのことにほかならない。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です