日々愚案

歩く浄土106:情況論30-引き裂く自然/『日本会議の研究』を読む

    1
この一年間で時代の潮目がおおきく変化したことを感じている。僕らの民主主義なんだぜや、それでも諦めきれない民主主義がすでに死語となり、シールズが退場し、残るのは政権中枢の背後にある日本会議となった。メディアは政府の広報機関であり、安倍政権のやりたい放題はつづく。
まず日々のことから。生存を維持するぎりぎりのところに生活が追い込まれている。生活をする生存感覚は人によって違うから、比較的余裕のある暮らしぶりから、生存を維持するのが精一杯という日々まで、ある幅をもって生活の感覚はある。この幅が狭められているという感覚だ。だれにもあるのではないか。これからどうなるかわからない。明るい見通しよりは墜落するのではないか。安定した社会の基盤はどこにもなく、日々の生活に不安が伴う。大半の人の生活感覚はそういうものではないかと思う。

これからの世界はどうなるかわからない。その不安がだれのなかにもある。だれのなかにもだ。社会が安定的に移行しているときはふつうの暮らしというものがあった。いまはふつうに暮らすということはとても贅沢なもののような感じがある。だから日々の生活の実感は墜落感に充ちている。あげればきりなく、生活のあちこちに穴があいている。ないならないなりにあるだけでやりくりしていく。そういうふうに生活の知恵を働かせるしかない。そういう時代の節目をわたしたちは生きている。時代の節目とはなにか。いま世界は地殻変動を起こし歴史の転形期の渦中にある。ここに世界認識の基準をおき、この世界を否定するのではなく拡張することで包んでしまおうと考えている。人びとの生がグローバルな世界的な変化のなかで総アスリート化されるならば、総表現者という考えをつくればすむことだ。充分に可能だと思う。総表現者という理念は知覚の変化を世界にもたらすと思っている。

この世界が行き詰まっていることと、個々人が行き暮れていることは同義ではない。どうやれば効率よく金を増殖することができるかということにグローバリゼーションの本質があり、それいがいにグローバル経済は目的をもたない。これは断言していいと思う。強いAIは雇用を奪う。介護ロボットとして利潤を担保したうえで一部福祉に還元されるだろう。あらかじめ利潤を確保し、広範な領域に適用される。生殖産業も遺伝子工学の長足の進歩で興隆する。心身の最後の一片に至るまでグローバル科学は商品にする。それは不可避だ。科学技術は自動的に更新され、より収益のいいシステムがつくられる。この観念の自動更新に国境はない。また人びとは科学技術がもたらすものを、たとえそれが世界の属躰となることであってもやすやすと受けいれる。これも不可避だと思う。コンピュータ言語、分子言語は国家の壁を越えて連結する。グローバル経済もまた。この急激な社会や世界の変化は同一性がかたどった自然の必然としてあるとわたしは考えた。

    2
外延的な自然はおおまかに強い自然と弱い自然にわけられると思う。天皇=赤子型権力はローカルな弱い自然にすぎないと考えている。グローバルな強い自然に呑みこまれつつある現在、天皇親政が強い力をもつことはもはやありえない。人為的にどう強化しようとしてもそれが実現することはない。圧倒的な強い自然にたいする反動として日本会議という現象がオカルト的に存在する。日本会議の幹部も、がんが見つかれば濃厚医療にすがるだろう。先端医療の洗脳に抗することができるとはとうてい思えない。菅野完の『日本会議の研究』を読んでそういうことを感じた。この本に取り柄があるとすれば著者の住所と電話番号を明記してあることに尽きる。感銘を受ける本ではなかった。どうじにこの本を読んで古い記憶が呼び起こされた。人権ごっこを売りにしてそれを飯の種にしてきた者より左翼への怨恨を晴らそうと足で稼いだ地道な苦労が日本会議にいくらかあるかもしれぬ。その辺りのことは実感としてはわからない。当時日の丸はマイナーで時代錯誤だった。人権の左翼も日の丸ごっこの右翼も市民主義をよすがにしてきたということでは変わらない。帯文に書いてある。「市民運動が嘲笑の対象にさえなった80年代以降の日本で、愚直に、地道に、そして極めて民主的な、市民運動の王道を歩んできた『一群の人々』によって日本の民主主義は殺されるだろう―」。そのとおりだという気がする。

日本会議の前身である学生協議会とは因縁がある。若い頃、かれらと正面戦を幾度かやった。党派極左はわたしたちの背後にいた。黒ヘル黒装束の100名が日本の歌を歌う。インターナショナルは負けていると思った。キャンパスを闊歩したかれらを狩り出し制裁を加えた。学協は集団で、おれはひとり。卑怯なことはない。かれらの日の丸と天皇賛美に収まらぬものがあった。ひとりずつ殴り、なぜ天皇が尊いか自分の言葉で言え、と迫った。尊いから尊いとしかおまえらは言わなかったな。毛沢東は中国革命の親分だから偉いと毛沢東主義者は言った。赤化思想と皇国思想のどこが違うか借り物の言葉ではなく自前の言葉で言えと。極右に対しては党派の極左も腰が引けていた。無党派行動主義のわたしは手負いの狂犬で凶暴だった。猛る気持ちをなだめながらこれを書いている。むかしやり合った、身過ぎ世過ぎで世間を泳ぎ渡った政治屋どもよ、あのときの屈辱を、お前たちの「社会」主義思想がどの程度であったかを、同世代のたったひとりの若者からぼこぼこに殴られたことを忘れてはおるまいな。党派の革命家気取りの坊ちゃん嬢ちゃんが運動ごっこに明け暮れままごとをくり返していたことはよく知っている。極左の党派観念にかぶれることも日の丸の皇国思想にかぶれることもまったくおなじだ。ともに唾棄してきた。

もちろんこの本をよんでもなぜ皇国思想に価値があるのかわからない。それよりも長崎大学の学生協議会の面々が極左からいたぶられ私怨を抱いたというところにはすこし共感した。わたしも一括りにすれば無党派ではあっても過激な行動者ではあったからだ。党派極左の言動やふるまいのすべてを嫌悪し侮蔑してきた。
菅野完によると日本会議・民族運動の中心に1939年生まれの稀代のカリスマ性をもつ安東厳がいる。伝説の人物だと書いてある。いわゆる安保世代でわたしより10歳年長だ。肺動脈弁狭窄症で7年病に伏し、生長の家の谷口雅美の言葉によってたましいの安寧を得、安東は遅れた青春を取り戻そうと、1966年長崎大学に進学する。この長崎大学で6歳年下の樺島有三(現、日本会議事務総長)と出会う。極左の乱暴狼藉にたいして「学園正常化運動」を起こし、民族派全学連と呼ばれる「全国学協」を結成する。長崎大学から九州全土、九州から全国に運動は波及し、拡大していく。そういうことが書いてある。そのいきさつには痛切なものがあった。そうか、わたしたちとやり合った正面戦は拡大の過程の一局面であったわけだ。集団戦としても個人レベルでも学協の完敗だった。それらはおまえたちのよく知るところだ。殴りながら顎を引きあげ、なかなかいい面しているから、おれと面白いことをやらないかと呼びかけた。あのときの屈辱を思い起こせ。本の文中にある安東厳の発言を引く。

①「てめえら、どういう考えでこんなビラ配るんだ!!」バシッと言う平手打ちとともに樺島(原文ママ)さんの身体が横倒しになった。今朝まで徹夜して作った二千枚のビラがバラバラとなり踏みにじられる。昭和41年7月3日、長崎大学正門前でのことである。この日のことを僕は永久に忘れない。なぜなら、この事件こそが、僕等をして学園正常化に走らしめた直接の原因だからである。(『日本会議の研究』269p「安東1969」)

樺島さんと僕の二人で学園正常化有志会を結成「デモ反対・.全学連反対」のビラを配ろうとした矢先のリンチであった。入学して間もない僕が、これによって大きなショックを受けたとしても当然のことであろう。くしゃくしゃになったガリ刷りのビラを握りしめながら、こみ上げてくる怒りを僕はどうしても押える事ができなかった。(同前269から271p「安東前掲文)

②しかし、最も僕を憤激せしめたもの、それはかくのごとき状況下にありながら、尚も沈黙し続ける一般学友の姿であった。僕が全学連打倒を決意したのはまさにこの時である。左翼自治会がある限り「学園から暴力は消失しない」と考えたからである。(同前270p「安東前掲文」)

所が左翼全学連は「このたびの開館は、強制開館であり認められない」として学友を扇動、僕等のリコール運動を展開すると共に、学館にバリケードを構築、ストを画策した。幸いにして、夏休みに入り、リコールは避けられたが、この事態の推移の中で、僕等の一般学生に対する不信感は決定的なものとなった。すなわち八〇〇対四〇〇という圧倒的な支持率で学館賛成派の僕等を選出しておきながら、ひとたび左翼からアジられると、深く思考する事もなしに一転してリコールへ向かう節操の無さに対する不信感である。(同前272p「安東前掲文」)

引用①について学生協議会のメンバーが憤激を感じることはわかる。それほど党派極左のやりたい放題だった。架空の革命理念にかぶれ革命無罪の乱暴狼藉だから。体験から思うのだが、学生協議会は弱小から勢力を伸していくにしたがいおなじようなことをやったのではないか。奉じるイデオロギーの左右を問わない。党派の極左理念も学生協議会の皇国理念も、針小棒大なつまらぬ信に閉じられた政治団体の理念にすぎなかった。赤化思想も皇国思想もみずからが担ぐ理念に違犯するものを暴力をもって排撃する。例外はない。制裁を受けた側に信があれば、排撃された私怨はいつでも制裁する側へとまわる。見慣れたいやな光景だ。坊ちゃん嬢ちゃんの革命ごっこや運動ごっこをしこたま見聞してきた。時代の趨勢が赤化にあれば正系は異端を排除し、あるいは皇国化が正系であれば異端を攻撃する。どちらの立場に立とうと遅れているのは担ぐ理念の意に沿わぬ者たちである。学生、大衆は啓蒙と啓発の対象とされる。こういう前世紀の遺物にすぎぬ共同幻想がいま復古することの驚き。「学園を正常化」するための暴力は正義でありいつでも行使できるわけだ。現におれたちと正規戦をやったよな。都合のいい暴力は大義のために容認され、自分らが排除されると私怨となる。都合のいい使い分けではないか。学生への不信感は日本会議が勢力を増すにつれ私利と私欲にかられた国民の無節操へと触手を伸ばす。左翼殲滅は、天皇制という無作為の自然を担ぐことにより、自らの私利と私欲を「国のために血を流す覚悟があるか」という恫喝へと容易に転嫁される。権力による統治だ。

 安東巌の類稀なる、策士・運動家・オルガナイザー・名演説家としての実績と、彼個人の人格的魅力、そして、「谷口雅春との個人的紐帯」に裏付けられた権威。これでは、安東巌には誰も逆らえないだろう。「実際そうですよ、誰も安東巌さんには逆らえない。いまだに、椛島さん伊藤さん百地さん高橋さんは、毎月、安東巌さんの家でミーティングしているはずです。少なくとも、元号が平成に変わる頃までは、毎月、安東さんの家に集まってた。みんな安東さんの前では直立不動でね。安東さんが、運動の指示をいろいろ出すの。で、それぞれが運動の現場に戻ると、『安東さんはこうおっしゃてた』と自分たちの部下に話す。よく訓練されたセクトですよ。まるっきりセクト。笑っちゃうでしょ。でもね、彼らは真剣なの。あの頃のまま、学生運動をやり続けているの」彼らは、いまだに学生運動を続けている。70年安保の時代の空気をまとったまま、運動を続けている。そしてその出発点が、長崎大学正門前で、苦心して刷ったガリ版刷りのビラを踏みにじられ、左翼に殴り飛ばされたときに安東巌と椛島有三が誓った「左翼打倒」の誓いにあることを、我々は直視すべきだろう。 そしてその誓いは、今、安倍政権を支え、「改憲」という彼らの悲願に結実しようとしている。彼らは悲願達成に向け、50年近い歳月を経て培ってきた運動ノウハウの総力を挙げ、「左翼打倒」の誓いを成就する最後の戦いに挑んでくるであろう。我々はまだ、長崎大学正門前のゲバルトの延長を、生きている。(同前292~293p)

メディアが政府の広報機関であることも、法の運用が恣意的であることも自明である。これもわたしの体験したこと。テレビや新聞のない暮らしが長いのでネットで世のなかのことを見聞してきた。なんの不自由もない。テレビは嫌いだし、新聞には読みたいことが書いてないので必要ない。博多にいた頃、時々新聞に署名記事を書いていた。小泉政権の頃から、いちいち語句の検閲が入るようになり、腹が立つので、書く気がなくなった。こういうことを書こうと思うとあらかじめ伝えると、あ、それは記事としては無理です、という具合。書いて没よりそのほうがいい。現場の記者さんは職を賭して記事を書き、また掲載しにくい投稿記事を掲載してくれた。それから幾星霜、記事が掲載されたあの頃のことが奇跡のように感じられる。ジャーナリズムは消滅したが、メディアに教導されて世の中のことを考えるよりすっきりしていいのではないかと思う。もともとメディアは公共の市民主義が許容する範囲でしか報道はできない。良いも悪いもなく、それが健全だと思う。市民主義はファシズムと相性がいいので、政権寄りの報道になることも仕方ない。そんなものだと思っている。知る必要があることはネットで探す。それで充分だ。

メディアから事件の容疑者として報道されると、事態は一変する。冤罪事件で逃亡中のこと。潜伏先で新聞を読むとでかでかと報道されている。べつの新聞には現場で押収されたとする血のついたタオルと鉄パイプが顔写真とともに載っている。暴行、傷害、拉致、監禁。記事を読むとなんと凶悪な奴かということになる。これが何から何まですべてフレームアップ。べつの刑事事件の裁判のときは証拠とされるものがもともとでっち上げ。それでも法廷では証拠として採用され、長期裁判の末有罪判決となる。それでわたしは報道されることをあまり信じていない。被疑者になると公共の市民主義では極悪人になるわけだ。だから報道される事件を鵜吞みにはしない。そんな身についた習性がある。市民主義の範囲で生をまっとうできれば市民主義はよいものだと思う。

国民主権があるから国が劣化するとか、戦争は人間の霊的進化であるとかオカルトを唱える根暗なおばさん(稲田防衛大臣)は、危険だから行かなかっただけなのに、じんましんが出たからと言ってスーダン視察を中止する。もっと霊的に進化しろよ。軍需関連株をちゃっかり取得する計算高さは私利と私欲、保身のかたまりである。卑しい私性を皇国思想が護ってくれるわけだ。おいヘタレの日本会議の者どもよ、嘆かわしくはないか。そうかおまえらもその一味だな。

どんな政治も大義のために手段を正当化する。そこには人間のつくった強固な自然がある。政治の批判は、政治のない世界を構想すること、これに尽きる。わたしは内包の風を集めて天空を滑空し、内包の海を游弋する。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です