日々愚案

歩く浄土127:情況論36

米国の次期大統領トランプの政策が少しずつ見え始めた。ドイツのメディアの取材をうけトランプは次のようなことを語っている。かいつまんで要約する。

①メルケル首相の難民政策を「悲惨な誤り」とする一方、英国によるEU離脱の選択を称賛。人々と国家は独自のアイデンティティーを望み、部外者にそれを「破壊」されることを望んでいないと指摘。EUは「基本的にドイツの目指す目標のための手段であり、英国が離脱するのは賢いことだと述べ、他の国も追随するだろう。
北大西洋条約機構(NATO)は時代遅れだと指摘するとともに、英国の欧州連合(EU)離脱に他のEU加盟国も追随するだろうと予想した。人々と国家は独自のアイデンティティーを望み、部外者にそれを「破壊」されることを望んでいないと指摘。EUは米国を国際貿易で打ち負かすことを目的としたドイツ支配のための道具だと主張した。ブッシュ政権によるイラク進攻は恐らく米史上最悪の決断だったと指摘。(ビルト紙 2017年1月16日)

人種差別と移民排斥を公言するトランプにあるのは不動産売買の経済的合理性であり、その余は頭のなかにない。トランプにとってポリティカル・コレクトネスなどどうでもいい。

ネットにつぎのような記事もあった。

②国際非政府組織(NGO)オックスファムは16日、世界で最も裕福な8人と、世界人口のうち経済的に恵まれていない半分に当たる36億7500万人の資産額がほぼ同じだとする報告書を発表した。貧富の格差拡大は社会の分断を招き、貧困撲滅の取り組みを後退させると警告。政府や大企業に「人道的な経済」の確立を求めた。

 報告書は、8人の資産が計4260億ドル(約48兆7千億円)に上り、世界人口73億5千万人の半分の合計額に相当すると指摘。1988年から2011年にかけ、下位10%の収入は年平均3ドルも増えていないのに対し、上位1%は182倍になったとしている。(東京新聞 2017年1月16日)

①を内面化する国家、②を電脳社会の現状ととらえると見通しがよくなる。国家の内面化は保護貿易を施策し、ビットマシン社会は自由貿易を推進する。帰趨は明らかである。ビットマシンは人間の観念の遠隔対象性によって実現されたものであり人為によって押しとどめることはできない。グローバリストはこの流れに乗って蓄財する。超富豪にはなり得ない富豪のトランプは自らの私利と私欲に駆られて落ちぶれた白人を人質にとりビットマシンのもたらした世界交通に挑んでいるという構図ができあがる。
ポリティカル・コレクトネスを詠ったセレブにも、不動産屋の芸人にも善きものを構想する理念のかけらもない。では世界同一労働、同一賃金を唄うグローバリストに先進性があるだろうか。かれらにあるのはハイテクノロジーを駆使した蓄財だけである。

減価する貨幣を提唱したシルビオ・ゲゼル(1862-1930)は国家の解体はユートピアではないと主張する。ゲゼルの言葉には高らかな心意気がある。ケインズは「将来の人々はマルクスの精神よりもゲゼルの精神からより多くのものを学ぶであろうと私は信ずる」と言っている。植民地、軍隊、司法、教育、外交、通商は解体できると言う。ゲゼルの『国家の解体』の結語の一部を貼りつける。

しかし、通商のために障害をとり除くためではなく、障害を設けるために(いわゆる保護関税)、商務大臣というものが考え出されたのである。通商を大臣に統制させて以来、関税境界が生まれ、それが摩擦を生み出し、そこからいとも簡単に火花が火薬樽に飛び移ることになったのである。解体された国家は、いかなる境界とも、それゆえいかなる関税境界とも、またそれゆえいかなる通商条約とも、そのために必要となる商務大臣と外交問題を司る大臣とも、無縁である。解体された国家にとっては、いかなる外国との通商も、いかなる輸入、輸出も、いかなる外交問題も、存在しない。自由通商は世界通商である。それは、まさに関税同盟地域の諸国家間の通商のように、統制されていない。国家が、あらゆる職業のなかでも最も自由な職業、通商におけるほど、絶対に不必要で、それゆえ害になるところは、他にはない。通商はいかなる国家の統制からも自由である。さもなければ、それはペテンである。通商はほんとうに、現代の諸国民が空気のように依存している分業の前提なのである。 

自己保存本能と分業が、理想的な社会秩序を内部から創出する

 私はここで、解体された国家をあらゆる側面から、現実世界と乱暴に触れ合わせてきたが、いたるところでそれは、その衝撃に耐えてきた。いずこにおいても、この接触は、解体された国家にかんしてユートピアが問題となっている、という印象を喚起することはなかった。というのも、それをとおして物事のユートピア的な側面が表面化されるのは、どっちみち現実世界との接触だからである。国教会のない国々があり(たとえばフランス、アメリカ合衆国)、他の国には国立学校がなく(たとえばイギリス)、また他の国には関税境界がなく(戦前までのイギリス)、もっと最近までドイツには、厚生大臣、商務大臣がいなかったし、他の多くの国々は、今日でもなお、この点で負けず劣らずである。ベルリンでは、長いこと私的郵便制度が機能していたし、国家郵便制度との競争も決して激しいものにはならなかった。鉄道は、主要国においては、私企業が所有している(イギリス、フランス、アメリカ合衆国)。多くの国々は、たとえばドイツも、いっさい植民地をもっていないし、国家の司法権の堕落は、あちこちでリンチ判事によって正されなければならない。しかし、あらゆる公的な事柄のうちでも最も重要なもの、貨幣制度を、一国家が自らの権力のうちに収める術は、今日までのところまだ見出されていない(もしわれわれが、礼儀正しく、ぞんざいに作られた紙幣に目をやらないようにするならば)。

 したがって、解体された国家は今日すでに実在している。それは事実であるが、ただ解体はいろいろな国家に分散しているのである。しかし、あちらこちらへ国家によって切断され、萎縮させられ、切除された構成部分を解剖学の技できちんと秩序正しく繋ぎ合わせるならば、現代的な文化国家の内閣を得ることができる。そうすると、次のように問われるだろう。経験上、生命を危険に晒すことなく、国家の構成部分をすべてばらばらに切断することができるなら、なぜさらにその愚かな頭もすっぱりと切り落としてしまえないのか。とりわけ、この愚かな頭が隣人との平和を乱し、その防衛が二百万人の生命の犠牲を要求し、千三百二十億金マルクの賠償責任をわれわれに負わせるならば。

 ユートピア、そのとおりユートピアがここにある。そのようなものは国家思想、思考の尽きた、世界所有にいたる、ベルサイユ後の、破滅に導く国家思想である。いかなる人工物も必要とせず、それ自体で完全にバランスがとれていて、内部摩擦を引き起こすことなく機能し、いかなる隣人とも衝突しない、社会秩序を創出すること、それが重農主義者にとっての高次の課題であり、それはゲーテが次の言葉で彼の神に課した課題と似ている。

「いったい、外部から世界をうごかす神とは何だろう。指先で星々をおどらす神とはなんだろう。内部から世界をかたちづくり、均衡を保つのが、神には相応しい。」

人間の自己保存衝動、ひどく貶められてきたいわゆる利己主義が、このような理想的な形態と秩序を、より原初的な力によって、解体された国家のなかに、内部から創り出す。その利己主義は、それが働く際に、分業によってその効果が最大になるように助けてもらうことによって、きわめて幸福なかたちで支えられる。しかし、そもそもの初めに原初的な人間の群から社会、秩序を必要とする人間社会を創り出した分業は、誰も、(分業を可能にし、遡及的に社会における群衆を変える)社会にたいして自らの利益の完全な代替物を引き渡すことなしには、この利益を個人的に利用できない、という奇妙な定めとも思われるような特徴を有している。
 したがって、国家の解体にとっての基盤は、すでに人間のなかにあり、人間のあらゆる衝動のなかでも最も強力なもののなか、および社会によって可能にされた分業の巨大な利益のなかに、しっかりと定着させられている。

 それゆえ、解体しよう、心配せずに解体しよう。そして、われわれが解体するものは、それが維持される価値があるかぎりは、そこできっといいものに、さらにいいものに高められる、という十分に裏付けられた確信をもって、個人に担わせよう。(『国家の解体』233~236p)

自由貿易についてゲゼルのおおらかな夢が語られている。ため息が出るほどの夢だ。読みながらすぐふたつのことに気づいた。ひとつはゲゼルが考えたこともない、人間という現象につきまとう不明。一度も解き明かされたことのない人間という現象の謎。そこをゲゼルは持ち前の心根の良さで通り過ぎている。人間の保存衝動である利己主義は不当に貶められてきたが、「自らの利益の完全な代替物を引き渡すことなしには、この利益を個人的に利用できない」という奇妙な定めのなかに、原初的な人間の群れから社会の秩序を必要とした人間社会のなかにしっかりと定着していると、わかりにくいことを言っている。マルクスとおなじように人間の個的な生存は類的な共同生活へと結びついているという、あたかも神のような超越が信念として根づいている。分業を媒介して人と人は豊かにつながりうるというのは、マルクスにとってもゲゼルにとっても疑いえない信念だった。ゲゼルが減価する貨幣を唱えて100年経った。富は減価するどころかますます偏りを増している。それはどうしてか。

自由と平等は私利と私欲にとって極めて相性がいいが、友愛は隣人という三人称にとって疎遠だということだ。わたしは人間のこの生存のありようは精神の古代形象として生の余儀なさを負荷されて同一者に封印されてきたからではないかと考えている。気づいたもうひとつのこと。ゲゼルは国家の解体を遠望しているが、諸国民国家を非関税障壁の最たるものとグローバル経済は考える。国家の解体は資本のコストパフォーマンスを追求する富への欲求によって外在的に崩されようとしている。この外在的な猛烈な圧力を支えているのが、ビットマシンのハイテクノロジーであることはいうまでもない。ビットマシンと結合したグローバルな経済をもっとも強力でもっとも高度な共同幻想であるとみなすべきだとわたしは考えてきた。科学とグローバルな経済はいまでは世界最強の共同幻想として君臨している。そう考えるべきなのだ。国家は天然自然最強の共同幻想であるが、いま人工的な自然である共同幻想が国家の内面化を呑み込もうとしている。わたしは現状をそう判断する。外延自然として頭打ちになった国家という共同幻想に変わってビットマシンが巻き取った金融工学が世界を席巻している。反自由主義経済も反グローバリズムの主観的な心情は新しい環界に埋没していくことになる。この過程は不可避だと思う。

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