日々愚案

歩く浄土239:内包贈与論71-アフリカ的段階と内包史26ー「マチウ書試論」再考5

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おしゃべりをするときの吉本さんの独特の雰囲気を菅原則生がよく描写しているので引用させてもらう。わたしもなんども吉本さんのじかの声を聞いたのでよくわかる。およそ相手をながめおろしたり啓蒙するということはまったくない。相手に言葉をむけながら、どうじにじぶんにむけても言葉が発せられていて、その場で言葉がライブされる。そこに、ほんとうにそうだとしかいいようがない、ああ、言葉はこうして生きているのだという、言葉で演奏された世界がいきなりたちあらわる。フーコーさんは、こう考えた、でも俺はこう思う、とかれが言えば、その言葉が現実ものとなる。ふしぎとしか言いようがない。わたしのいちばんすきな吉本さんのイメージのところで、「マチウ書試論」を組み替える。

『ほぼ日』から、ついに、吉本講演が三十本ほど公開された。何本か聴いた。人間の思考はここまできわまるのかということに、凄まじさを感じる。だいたいは文字になったものを読んでいるのだが、まったく別のものだという印象を受ける。その印象を記してみたい。どの講演も序章はすこし遠回りに材料をひろげていくようにして始まる。ところどころで吉本さんの、社会に馴染めないという少年みたいな感情が織り込まれて、聴いている者の心をあたたかくする。しだいに佳境に入っていくとき、呼吸が詰まり、言葉が詰まり、くりかえしが多くなり、お喋りのテンポが速くなっていく。伝えたいのに伝わらない、あるいは、もっとも伝えたいことが言葉にならない、あるいは、もっとも伝えたいことはもともと言葉にできないのではないかというもどかしさがそうさせるのだろうか。または、硬い岩盤に突きあたり、はねかえされて苦闘しているすがたにもみえる。聴いているわたしたちも息苦しさに支配されていく。そして、ここで聴いているわたしの思考は、吉本さんの思考の展開を追いかけることがむつかしくなるのだが、ここから終盤にかけてわたしたちを振り切るように吉本さんの思考はもう一段ちがう次元に飛躍してゆく。時間と空間の規模が変容するといったらいいのか。あるいは、わずかなイメージのつながりを辿って文明や制度のはるかに向こうにある、個人の起源と重なった人類の起源のイメージを手に入れたといえばいいのか。おそらくここが吉本さんだけが立った《未知》であり、わたしたちはここで熱い感情に支配される。そして、《未知》の高揚感がつづいたあと、話はとつぜん切断され、沈黙がやってきて、深い余韻につつまれる。(「歩く浄土73」で引用した菅原さんの発言2015年3月24日)

存在倫理というあたらしい考えを提起したときも、こういう感じだったに違いない。言葉の手を伸ばして吉本隆明は虚空から言葉をつかみ取る。

内包の近傍まで晩年の吉本隆明の思想は到達していた。2001年9月11日のアルカイダの同時テロの事件に接して吉本隆明は存在倫理という考えを提起した。とてもふしぎな概念だった。私の思想の深度でも及ばぬ出来事がある、どういうことかと吉本隆明は考えた。〈私と世界〉という意識のこわばりを解かないと世界に触れることはできないと吉本隆明は考えたのだと思う。その頃はまだ家にテレビがあったので朝まで釘づけになって映像を追った。息子も娘も高校生と中学生だった。たった1週間で世界がテロとの戦争へと突入した。この世界史の転換に衝撃をうけたことをまざまざと覚えている。吉本隆明は、世界史の転換を目の当たりにして、この未知をなんとか言葉にしたかった。わたしの推測では、イメージ論でフーコーの人間の終焉を世界視線と読み替え、死を目前にしたフーコーがつかんだ倫理的活動の核という考えから存在倫理は着想されたと思う。いうまでもなく親鸞の順次生の考えも織り込まれている。そのことに吉本隆明が自覚的であったかどうか、それはわからぬ。最近気づいたが、存在倫理は内包の分有という考えにとてもよく似ていると思った。吉本さんの考えは晩年は内包の至近まで来ていたように思う。

「吉本隆明は存在倫理という言葉をつくることで〔遠いともだち〕に裏側から触っている。順次生を無限に遡っていくと、これがおれの分であるというものはなくなってしまう。『古い宗教的な心理状態とか精神状態をどこまでもさかのぼっていけば、どうしてもそうなります。おまえの存在、おまえが生まれたいという意思とか、産んでくれとかいうところから出てきたものは何もなくて、ただ、無限に遠い以前からちゃんとそういうふうに考えると、おまえの分は何もないんだから、生命と取りかえっこ、存在と取っかえっこすることは、いってみれば、倫理の最も根本のところに点として、核としてあるものであって、宗教的なものとは取っかえられるということが出てくることはあり得ますね』。ここはとても面白い。アフリカ的段階として吉本隆明がつかもうとしたことがかすかに兆している。なにが精神の古代形象の豊穣さなのか。日本的な自然生成としてあるモダンな記紀の世界がかたどられるはるか以前に一身が二心としてすでに生きられていたということだ。存在倫理を歴史を遡行して宗教以前の可能性を観念でつかもうとすれば、なにより対象を粗視化しようとする観念を内包化すればよかった。文明の外在史と精神の内在史の矛盾は意識の外延表現では永遠に解かれることはない。最期の吉本隆明がつかみかかった倫理のもっとも根本的なところに点としてあるものをアフリカ的段階と実詞化するのではなく、この気づきをそのまま領域化し、自己という主体は実体ではなく、根源の他者によって、自己となると、了解すればよかった。文明の外在史と精神の内在史の矛盾という意識の外延性が矛盾の根源にある。内面を内包化できなければ内面のなかでその矛盾を空間化するしかない。それが歴史の段階という概念だと思う。存在倫理は点ではなく領域として存在している。自己を領域として生きるとき、それは〔性〕にほかならないのだが、自己は領域だから、その余の観念は〔遠いともだち〕になるほかない。内部でも外部でもない観念がある。内面の底がすとんと抜けると内面より深い内包自然の棲まう〔性〕がそれ自体としての領域としてあらわれる。そこに猛烈な観念の未知がある。」(「歩く浄土219」)

存在倫理を語るとき、おそらく言葉に言葉を重ね、なんとかそこにあるものをつかみたかった。現存する世界最大の思想家のはにかみとぎこちなさがそこにある。衆生を眺めおろしているのではない。無名の大衆のひとりとして吉本隆明は言説をなしている。還相の大衆が非知として吉本隆明のなかでじかに生きられている。「俺の考え方の底のほうまで理解してくれた人はおらんな、・・・それは俺はちょっと自信がありますね」(菅原則生『浄土からの視線』帯文)ということがこのことを指している。「大多数の人々にとっては、『人類の平等』は、総論とか概論とかで時たま見かける空疎な観念語にすぎないであろう。ところが、彼にあっては、それがほとんど体験的な熱い真実になっているのである」(鮎川信夫)ここに吉本隆明の第十八願がかれの生にいきなり直立している。この強靱な体験的真実の場所からだけ吉本隆明は思想を表現してきた。そのことをわたしは思想の異同はあっても信じている。「僕の場合は、戦後、『一般大衆』が、世界の主人公であるってことを示す理念をつくろうと思って、『試行』に原理論的なものを発表しましたが、これは全体的視野をもつ試みです」。
存在論理を読み込んでいくと、吉本隆明と内包の違いはひとつのことに収斂する。すでに吉本隆明の晩年の思想は内包に裏側から触っているではないか。親鸞が他力で自力を解体したように、存在倫理の核にあるもので宗教と取り換えることができるのではないか、という考えは共同幻想の解体をかすかに吉本隆明がつかみかかっていることを意味している。「倫理の最も根本のところに点として、核としてあるもの」と吉本隆明は言っている。吉本隆明が最期に到達した最深の思想がここにある。アフリカ的段階について思いを馳せながら、それでもまだ「点」としての精神のモナドは手放していない。しだいに吉本隆明と内包の違いは少なくなってくる。「マチウ書試論」から存在倫理まで吉本隆明は長い長い旅をしてきた。ヴェイユは不在の神に祈っても「点として核にあるもの」を可視化しなかった。いかなる内面化もやらなかったということだ。そこにヴェイユにとってだけ固有の神があった。むろんこの神は共同化できない。ここにこの世のしくみを超えていく人間の観念にとっておおきな可能性があった。親鸞も仏の言葉によりながら仏にはかたちがないと言い切り、浄土教の教義を解体し、仏を内包化することで自然法爾の世界をつくった。ヴェイユや親鸞にとって自己は領域化したものとして生きられた。その近傍まで吉本隆明の思想はきた。吉本隆明という太い精神のうねりを発想の底からひらいてみたい。

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皇国青年のとき吉本隆明は詩を書いた。「《いま決死のさかひにあって/しつかにしづかにひそんでゐる大きさよ/その土の上に生きてゐて/おほきみのおほけなき御光につつまれて/われらいまさらに語るべき言葉もなく/歴史のなかにひかりしづめ/われの生命に涙 おちる》」(『草ふかき祈り』一九四四年初出)

大衆への信を還りがけの視線で生きた吉本隆明の精神のモナドは共同性の信を解体することができるか。大衆への信は吉本隆明の第十八願であり思想の根幹をなしている。生の原像を還相の性として生きることをわたしは第十八願としている。吉本隆明は知から非知へとむかい、わたしは総表現者のひとりとして非知そのものを解体しようとしている。29歳のとき書かれた「マチウ書試論」はどう読み解かれるか。もっとも印象的な箇所を取りあげる。

ここでマチウ書が提出していることから、強いて現代的な意味を描き出してみると、加担というものは、人間の意志にかかわりなく、人間と人間との関係がそれを強いるものであるということだ。人間の意志はなるほど、選択する自由をもっている。選択のなかに、自由の意志がよみがえるのを感ずることができる。だが、この自由な選択にかけられた、人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない。(略)秩序に対する反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。(略)加担の意味は、関係の絶対性のなかで、人間の心情から自由に離れ、総体のメカニズムのなかに移されてしまう。マチウの作者は、(略)現実の秩序のなかで生きねばならない人間が、どんな相対性と絶対性の矛盾のなかで生きつづけているか、について語る。思想などは、決して人間の生の意味づけを保証しやしないと言っているのだ。人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間の生存における矛盾を断ち切れないならばだ。

『草ふかき祈り』は青年吉本隆明が二十歳のときに書かれている。およそ10年後に「マチウ書試論」が書かれた。かれの叛逆は内向し、「敵意、憎悪、攻撃、過酷、悲惨、秩序からの重圧、疎外、圧迫、叛逆、被害感、陰惨、迫害、偏執的、倒錯、神経症、欠如、敗残、裏切り、猜疑心」のすべてが吉本隆明の心身を襲った。引き裂かれた青年の心性が書き尽くされている。どの時代を生きても、だれのどんな生も代わり映えはしないと思う。このす心性が腑に落ちぬものなどいない。わたしは「マチウ書試論」のもつ衝迫力は「関係の絶対性」だけだと思う。吉本隆明の思想に影響をうけた者たちのだれもが関係の絶対性とはなにかと問うたはずだ。関係の絶対性を意識の外延性がほどくことはできない。透明人間になって不在の場所から出来事を俯瞰することで関係の絶対性を相対化することはできる。そのただなかを生きながらそれが可能かと吉本隆明は問うた。第十八願を放棄せず親鸞とヴェイユはそのただなかで信を解体した。親鸞とヴェイユは、信の共同性を内面化も共同化もできない信をつくることによって解体した。そのことは可能かと生涯吉本隆明は問い続けた。解けない主題を解こうとして吉本隆明は生涯をついやし、最晩年に内包のすぐ近くまできていた。生を引き裂くさまざまな力の渦中でわたしもおなじことを考えた。情況を決定する関係の絶対性でなかでわたしたちの生は相対的なものとして生きられる。だから叛逆はいつまでもきりなく内向する。原始キリスト教団の者たちのなかで身を引き裂かれ棄教を迫られても神への信を貫くものもいれば、転向して世俗に帰還するものもいる。どこにでもあるありふれた光景だ。だれもが相対的な存在であり、有限の生を生きるしかない。吉本さん、「マチウ書試論」の問いの立て方が自然ではないと考えませんでしたか。「ぎゅうの目」に遭った内村剛介や石原吉郎や小山俊一を拒絶することはできても、『草ふかき祈り』を内省して書いた「マチウ書試論」の関係の絶対性という理念のなかにこの理念を解く鍵がありますか。ないでしょう。生を無限に脅迫することになっています。それは原始キリスト教団のもった苛烈とおなじものです。なぜあなたはそのことに気づくことなく生きてくることができたのですか。そのことにさえ気づかなかったでしょう。それはあなたが人と人はどうやればつながるのかということを考えなくても生きてこれたからです。

吉本隆明の関係の絶対性という観念はひとつの過程的な観念に過ぎない。これから吉本隆明の関係の絶対性という観念を拡張する。吉本隆明というある人格に宿った思考の型を対象化したい。還相の大衆を理念化した普遍的な思想が吉本隆明の第十八願を実現することは原理的にありえない。行きがけの大衆であれ還りがけの大衆であれ、主観的な意識の襞に宿る信は個人の信であると共に共同の信である。往相の大衆も還相の大衆も共同幻想にすぎぬということだ。ヴェイユや親鸞はこの信を解体した。信の共同性の根をのこしたまま世界を構想しても無言の生の条理はなにも変わらない。そうではないか。意識の外延表現の理念をどれだけ精密にしても、この思考を可能とする思考の慣性をひらかないかぎり、理念は適者生存をなぞることしかできない。そうではないか。斯くして世界への否定の心性は、吉本隆明の内省を襲った世界との矛盾や対立や背反におおわれる。文明の外在史と精神の内在史とはそういうものでしかない。「マチウ書試論」につづいて書かれた「転向論」もおなじである。吉本隆明は、社会総体のヴィジョンをつかみそこねたために起こる思考転換のことを「転向」と定義している。ほんとうは社会総体のヴィジョンそのものを書き換えればすんだことではないか。転向の規模がちいさすぎる。もっと思考の大転換をすればよかった。いやおうなくつながってしまう自然まで転向論として踏み込めばよかった。外延自然はだれがどうやろうと世界の無言の条理を追認することにしかならない。

1997年に吉本隆明は『アフリカ的段階について』という私家本をだしている。「私家本あとがき」でつぎのように書いた。

 昨年の海の事故のお蔭で入院中、暇にまかせて、さまざまなことをとりとめもなくかんがえたり、空想したりする余裕がもてた。大部分は文字どおりどうでもよい空想の断片で、何か久方ぶりに役にも立たぬ空想の愉しさを味わうことができて、新鮮な思いだった。
 こんな空想と断片的なイメージのあいだに挿まるように、現在いつも脳裏を去らないで去来するじぶんの仕事の固有な主題について思いめぐらすことがあった。いまかんがえると病院のなかの過剰な思い込みに類すると言った方がいいと思うが、現在までかんがえてきたさまざまの主題の未解決の幾つかの部分が、ひとりでに脈絡がついてきたという実感が生まれてきた。わたしは内心ひそかに〈出来た〉と叫んでいささか興奮ぎみになって、手もちの書物を少し病室に運びこんでもらってメモをとりはじめた。それがこの本の論稿になっている。

「私家本あとがき」の後半で、「・・・脈絡がついたということは、主題群の格子間の距離がはっきり定まり、方向性は成長の緒口をもたらして、ひとつの結晶体ができあがったというよりも、結晶ができあがるまえの濃縮された液状物の状態ができたという方が妥当に思えてきた。しかしながら久方ぶりにある達成感をもった仕事だという思いは確かだった」とも書かれている。人は平等であるという「体験的な熱い真実」が吉本隆明の第十八願の核をなしている。その吉本隆明が長年考えに考えて到達したのが存在倫理だったと思う。「倫理の最も根本のところに点として、核としてあるもの」が存在の倫理としてあるから、無限の昔から継承されてきた、だれのものでもない、存在が互いの存在の取り替えが可能となる。そこで宗教的なものはなくなる、と吉本隆明は言おうとしている。ほとんどわたしの内包のリアルとおなじではないか。1990年の吉本さんとの対談のとき、思想を最高綱領と最低綱領の幅としてとらえないと思想の生き延びる余地はないという吉本さんにたいして、奥行きのある点という考えをつくればいいのではないですか、と申し述べた。まさに海で溺れかかって入院したときにそういうことを吉本隆明は考えたのだと思う。最晩年の吉本隆明は内包の近傍まできていたのではないかというわたしの直観は吉本隆明のこの気づきにある。意識の母型と歴史の始原が〔性〕にあると主張する内包論まであとほんの一歩だった。そしてこのわずかな隔たりは、精神のモナドを公準に世界を表現する思考の慣性と、領域としての自己を〔性〕として生きることとのあいだに、千里の径庭として存在している。(この稿つづく)

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