日々愚案

歩く浄土240:アフリカ的段階と内包史27ー「マチウ書試論」再考6

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天皇制を総体のメカニズムのなかで共同幻想であると解いたとき、皇国という宗教が人びとに加担を強いたしくみが理解される。加担というものは人間の意志にかかわりなく、人間と人間の関係が強いるものだ。しかし関係の総体を把握する関係の絶対性というメカニズムを理解して、そのことに自覚的になるとき、人間の生存の矛盾は断ち切れるだろうか。皇国があり社会主義があり、民主主義があり、そのなかで人は個人としての個人と家族の一員としての個人と社会の一員としての個人を、その時代に見合うように生きていく。どの時代にも社会の掟があり、適者生存という世界の無言の条理がなまなましく存在している。加担の意味が希薄になったり濃くなったりしながら時代は遷移していく。どのように時代が転変しようとも人間の生存の矛盾は断ち切れない。関係の絶対性を自覚すると、ああ、おれはこのシステムから人を殺めることを強いられて、生を引き裂く方に加担しているが、それはけっしてその人の全人格を否定しているのではなく、共同の掟に背くから仕事としてこの人たちを抹殺するのだ、私は家に帰ればいいお父さんで文学を愛好する個人でもあるんです、と三つの観念を内省することで加担の意味は解除されるだろうか。燃えさかる共同幻想の猛威が人びとに危害を強いる社会より、主権が国民にある民主主義社会でいくつかの義務を課すほかは人びとの自由な競争に任せるほうがいいのではなかろうか。あれほど吉本隆明が全身没入してつかまえようとした消費社会の全貌は、そしてその社会のもとで歴史の無意識としてある大衆が一般大衆として歴史のなかに登場してきたではないか、だから理念としての大衆を還りがけの視線でなぞれば歴史は成就すると吉本隆明は考えたが、一瞬で中流幻想は壊滅し、超格差社会が眼前に登場した。ハイパーリアルなむきだしの生存競争だ。吉本さん、あの対談のとき、わたしは時代はそうなっていくと申し上げましたよね。覚えておいでですか。関係の絶対性を自覚することで過剰に倫理的になることを緩和することはできるかもしれない。濃かろうが薄かろうが関係の絶対性によって人びとが生存の矛盾から加圧されることをまぬがれるすべはない。原始キリスト教団の苛烈な倫理は興隆と衰微をくり返しながら生き延びていく。意識の外延表現が生存の矛盾を断ち切ることはないからだ。

吉本さん。関係の絶対性は同一性の為せるわざなのです。思考の慣性のど真ん中にある同一性を拡張しないかぎり、この世の生存の条理は変わりません。晩年の最期に吉本さんはかすかに問題の所在に気がついておられます。こういうことだ。生を順次に無限に遡行していくと、もうそれがだれのものであるかも、おれの分はどこにあるのかもわからない、ある存在倫理に出会うと吉本さんは言っています。「倫理の最も根本のところに点として、核としてあるもの」によって存在の取り替えっこをして、内包に立ち、ひとつの身にふたつの心を棲まわせたら、吉本さんの第十八願である人は平等であるという体験的な真実は領域化されます。第三者がなくなるのです。親鸞の有縁が友愛として忽然と起こります。そうすると関係の絶対性がまったくちがうものになります。やわらかい生存の条理がそこにあります。「マチウ書試論」の方法意識ではそこに到達することはできない。「マチウ書試論」の観念のうねりをじかに体得したものが複数いるとします。吉本隆明は3人以上の人間の関係がつくる観念のことを共同幻想と定義している。定義によってあらゆる共同幻想は消滅すべきであるという命題は裏切られる。吉本隆明の思想の感得者はどうであれやはり信の共同性を疎外すると思う。一人称のつくりかたを拡張しないかぎり、第三者性は解決しない。この隘路をどう切り抜けるか。その糸口が存在倫理にかすかに兆している。「内心ひそかに〈出来た〉」と叫び、『アフリカ的段階について』の論考は「久方ぶりにある達成感をもった仕事だという思いは確かだった」と言っている。なにかを吉本隆明はつかんだ。もっとそれがなにかということを究尽する時間が猶予されていたら、内面に表現の主体があり、内面の苦悩や喜びを外界に汲み出すという表現の様式から、すべてがそこから湧き、内面を媒介に、内面ではない出来事が内面を超えて表現される、その倫理的活動の核のところまで行きつくことができたかもしれなかった。それは愉しい空想ではないか。吉本さん、楽になっただろうな。

現実の大衆を還りがけの視線でとらえ、還相の大衆という理念で上書きすると、人間の営みを観念の自然史へと還元できると吉本隆明は考えた。「歴史の究極のすがたは、平坦な生涯を〈持つ〉人々に、権威と権力を収斂させることだ、という平坦な事実に帰せられます」。言いたいことはよくわかるが、この理念は共同幻想のない世界をつくらないかぎり実現しない。吉本隆明の第十八願が体験的真実であることを疑うことはない。では問う。なぜ人は平等なのか。考えに考え、考えることを考えるようにして、ついに存在と存在を交換できる存在倫理が点としてひとつの核をなしていることを発見する。「文明や制度のはるかに向こうにある、個人の起源と重なった人類の起源のイメージ」は「吉本さんだけが立った《未知》」だと菅原則生は言っている。うまい言い方だと思う。わたしはその未知の先に広大な思考の余白があると思っている。まだだれによっても生きられたことのないまっさらな未知について書く。自然法爾の先にある未知については親鸞も究尽していない。

親鸞は、〈知〉の頂きを極めたところで、かぎりなく〈非知〉に近づいてゆく還相の知をしきりに説いているようにみえる。しかし〈非知〉は、どんなに「そのまま」寂かに着地しても〈無智〉と合一できない。〈知〉にとって〈無智〉と合一することは最後の課題だが、どうしても〈非知〉と〈無智〉とのあいだには紙一重の、だが深い淵が横たわっている。なぜならば〈無智〉を荷っている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念に理念によって近づこうとする存在からもっとも遠いから、じぶんではどんな〈はからい〉ももたない。かれは浄土に近づくために、絶対の他力を媒介として信ずるよりほかどんな手段ももっていない。これこそ本願他力の思想にとって、究極の境涯でなければならない。しかし〈無智〉を荷った人々は、宗教がかんがえるほど宗教的な存在ではない。かれは本願他力の思想にとって、それ自体で究極のところに立っているかもしれないが、宗教に無縁な存在でもありうる。そのとき〈無智〉を荷った人たちは、浄土教の形成する世界像の外へはみ出してしまう。そうならば宗教をはみ出した人々に肉迫するのに、念仏一宗もまたその思想を、宗教の外にまで解体させなければならない。最後の親鸞はその課題を強いられたようにおもわれる。(決定版『親鸞』)

僧にあらずの理解はむつかしくない。俗にあらずのほうが深い。還相の知は非知に属するが、無智と合一することはできない。この深淵を埋めようとして親鸞は阿弥陀仏の第十八願を無智に向け放下した。還相の知はなぜ無智と合一することができないのか。それは還相の知も知であるからだ。知の言説がそのままに世界の無言の条理に触れることはできない。どこまでゆけば知はほんとうに解体するか。知が還相の知を媒介に無智へと放下されるとき、仏の言葉も、共同性の掟も消えていく。生の原像を還相の性として生きるとき存在は存在に過不足なく重なる。傍からみればそれは無智と映る。それも知のふるまいに属するだろうか。一人称をつくりかえ、自己を領域として生きると親鸞でさえ思い及ばなかった世界がたちあらわれるが、この意識のふるまいは思考の慣性の大転換を迫る。知の言説をなくすにはどうすればいいか。みなが表現者になればいい。知による生の分割統治は総表現者の思想で消滅する。だれのどんな生も生きていることがまるごと表現だとみなすことが内包自然のなかでは可能となる。
人が平等であることが吉本隆明にとって体験的真実であるとしても、第三者性の問題を解決しないかぎり、生存の矛盾がなくなることはない。内面を内包化するとき、ひとりでいてもふたりは自己という領域となり、意識の外延性の表象である第三者は、二人称としてあらわれる。共同性の存在する余地はない。ここまできてはじめて存在は存在と重なる。内包を生きると生が非俗を突き破り無智を貫通し、無智そのもののありようを変えてしまう。

既知のひとりと未知のひとりに言葉がとどけばそれ以上望むことはない。既知と未知のふたりで世界は表現できると思う。そう思いながら下手な文章を書いている。もしそれが可能なら、預言者は故郷に受け入れられないと言ったイエスの言葉を超えることになる。ひとりということがなにより大事なことだと思う。なぜならこのひとりは絶えずふたりだからだ。この信のうちに還相の性と内包的な親族が実現される。認識が粗視化された自然を通念とすることはわたしたちが考えているよりはるかに怖いことだと思う。意識にとって明証的であることは、この思考の慣性のうえに、ある観念の自然として深々として鎮座している。吉本隆明の親鸞理解を手がかりに、倫理のもっとも根本のところに点として核としてある存在倫理がとてもあいまいだということについて書く。この存在倫理を心身のモナドが措定することは原理的にできない。心身のモナドは根元の一元から派生したものにすぎないからだ。むろん根源の一元は神や仏を意味しない。わたしたちの思考の慣性はこの根源の一元を根源のふたりとしてしか認識できないからだ。外延的な意識と内包的な意識を往還する媒介としてわたしは根源の二人称を生きている。

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知識人と大衆をめぐるある象徴的な場面をとりあげる。大衆と知識人の定型が語られる。

「それじゃさかい、転向と聞いたときにゃ、おっかさんでも尻もちついて仰天したんじゃ。すべて遊びじゃがいして。遊戯じゃ。屁をひったも同然じゃないかいして。竹下らアいいことした。殺されたなア悪るでも、よかったじゃろがいして。いままで何を書いてよが帳消しじゃろがいして。…中略…人の先きに立ってああのこうの言うで。機屋の五郎さんでも、わが子を殺いたんじゃけど勤めあげたがいして、おまえらア人の子を殺いて、殺いたよりかまだ悪いんじゃ。…中略…人間を捨ててどうなるいや。本だけ読んだり書いたり修養ができにゃ泡じゃが。おまえがつかまったと聞いたときにゃ、おとっつぁんらは、死んでくるものとしていっさい処理してきた。小塚原で骨になって帰るものと思て万事やってきたんじゃ……」
 孫蔵は咳払いをして飲んだ。勉次も機械的になめた。
「いったいどうしるつもりか。」孫蔵はしばらくしてつづけた、「つまりじゃ、これから何をしるんか。」
「…………」
「おとっつぁんは、そういう文筆なんぞは捨てべきじゃと思うんじゃ。」
「…………」
「どうしるかい。」
 勉次は決められなかった。ただ彼は、いま筆を捨てたらほんとうに最後だと思った。彼はその考えが論理的に説明されうると思ったが、自分で父にたいしてすることはできないと感じた。彼は一方で或る罠のようなものを感じた。彼はそれを感じることを恥じた。…中略…彼は、自分が気質的に、他人に説明してもわからぬような破廉恥漠なのだろうかという、漠然とした、うつけた淋しさを感じたが、やはりこたえた、「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います。」
「そうかい……」
 孫蔵は言葉に詰ったと見えるほどの侮蔑の調子でいった。彼らはしばらく黙っていた。勉次は自分の答えは正しいと思った。しかしそれはそれきりの正しさで、正しくなるかならぬかはそれから先きのことだと感じた。彼は何の自信もなかった。彼は多少の酔いを感じ、ふぬけのように労れた。
「ふうむ……」
 孫蔵は非常に興ざめた顔をして大きな眼を瞼の奥の方へすっこましていた。勉次はこの老父をいかにむごたらしく、私利私欲のために、ほんとうに私利私欲-妻をも妹をも父母をも蹴落とすような私利私欲のために駆りたでたかを気づいていた。静かな愛想づかしが自分のなかに流れてきた。(中野重治「村の家」)

この作品でなにが書かれているか。転向した息子の勉次をなじる父の孫蔵がいて、それを恥じる勉次がいて、定型的な言葉がやりとりされる。小塚原で骨になって帰ってくるものと思っていたのに、転向などして、なぜおめおめと生き延びたのか。それにたいして勉次は、やはり書いて行きたいと答える。親子の会話の底の浅さ。ここにはなにもない。この事態を文学はなにかであるようにふるまう。作者の内面に起こった意識の劇。おう、それがどうした。わたしなら違う言い方をする。おやじ、おれと一緒にこれからおもしろいことをやろう、と呼びかける。リトル・トリーのおじいさんは孫に、今生はなかなかよかった、来世はもっとよかろうと、呼びかけたではないか。息子は父を忖度し、父は息子をあしざまに言う。こんなものか。この程度が文学なのか。いったいなにを書いていくのか。マルクスがイェニーさん問題を取り違えて理念化した思想が人類史に厄災をもたらし、島尾敏雄のSさん問題は夫婦が演技をして第三者を締め出し自死に追い込み、中野重治の転向問題は親子の愛憎をもたらした。いずれも思考の慣性が招いた悲劇である。意識の外延表現は表現の内部にこれらの惨劇を解決する手立てをもたない。「マチウ書試論」も「転向論」も悲劇をきりなく再演するものとして機能する。知のふるまいが生を簒奪するのだ。
渡辺京二の『維新の夢』のなかにも西郷隆盛の老婆への忖度が語られている。「彼が島の老婆から、二度も島に流されるとは何と心掛けの改まらぬことかと叱られ、涙を流してあやまったという話がある。これは従来、彼の正直で恭謙な人柄を示す挿話と受けとられたきたと思う。しかしかほど正直だからといって、事情もわきまえぬ的外れの説教になぜ涙を流さねばならぬのか。老婆の情が嬉しかったというだけでは腑に落ちない。西郷はこの時必ずや、朋友をして死なしめて生き残っている自分のことを思ったに違いない。涙はそれだから流れたのである。しかしここで決定的に重要なのは、彼が老婆におのれを責める十全の資格を認めたことである。それは彼が老婆を民の原像といったふうに感じたということで、この民に頭を垂れることは、彼にとってそのまま死者を弔う姿勢であった」。この老婆もまた東洋的無の象徴である。老婆はなぜ歌わないか。孫蔵はなぜ踊らないのか。衆生の一切を知が簒奪してきた。これから総表現者の時代が来る。生活と余儀なさとしての表現という視線がこの世を織りなしてきた。もうどこにもそういう牧歌性はない。みながアスリートなのだから。総表現者の時代でしか生き延びられない時代がもうそこまで来ている。そのとき大衆の原像も東洋的無も総表現者のひとりとして生を歌い踊る。どんなAIの跋扈もここに侵入することはできない。

内包自然の大地をそれぞれが総表現者のひとりとして生きるとき、生存の条理はおのずと書き換えられる。言葉のおおきな弓を引くと、意識の外延性とはことなる存在の複相性という生の気圏がみえてくる。点という始原の生の核にある存在倫理を内包化すると、ただちに根源の性があらわれ、〔性〕は分有され、心身一如の存在のなかに引き取られることになる。この内包的な意識を分有するなかに、変わるだけ変わって変わらない、ひとりでいてもふたりというふしぎがあらわれる。人は根源の性を分有することにおいて、自由で平等である。内包はだれのどんな生のなかにも、生に直立するものとして生の根底にある。太古の陽気な面々もそのなかにいてそこを生きたし、わたしたちの生がビットマシンによって貪食されつつあるようにみえても、存在の複相性はわたしたち一人ひとりの眼前に、いつも、そのつど、まにあうものとして存在している。なにかへの過渡として生きているのではない。人は根源においてふたりである。そのとき人は知による生の簒奪から遠く離れて総表現者のひとりとして生きることが可能となる。

思えば吉本隆明の思想にながいあいだ魅せられ、過剰にのめり込んだり、異和を感じたりしながら、かれの思想を半世紀に渡って追尋してきた。いまはあるゆとりのなかで吉本隆明の考えてきたことをとらえ返すことができる。吉本隆明の方法的な限界も、そのひろげかたも見とおすことができるところまできた。生涯の大半を吉本隆明の思想に、あるときは鼓舞され、あるときは反発しながら、かれの思想の骨格をおおまかに追うことができたように思う。うけた思想の恩義を仇で返さないように、内包論はこれからも未知をこじ開けていく。(この稿了)

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