箚記

中沢新一ノート2

無題有情と他者

    1
人間の精神の古代形象は食と性に生の基本構造があると思います。
チンパンジーやボノボはネアンデルタール人より早く霊長類から分岐しています。脳は化石として残らないので、ミズンらが述べていることは仮説です。原人やネアンデルタール人はモジュール化された社会的知能や技術的知能や博物学的知能をもっていたと考古学の知見では仮想されています。新人類はネアンデルタール人より脳の容量は縮小していますが、特化されたモジュールの脳を横断する知性が新人類に起こったことにより観念の大爆発が生じたとするのが近年の認知考古学の新説です。

中沢新一はその知見にみずからのチベット仏教の体験を重ね合わせて心の基本構造を物語りました。それが対称性人類学の根本をなしています。

対称性の概念をめぐる私の思考に拍車をかけたのが、9・11の事件だった。この事件をきっかけにして、私の思考は世界史の方向に向けられていったが、そのさいにするりと「圧倒的な非対称性」という言葉がこぼれたのである。

対称性の論理で作動をおこなっている「無意識」は、欠けたところのない充実した流動的知性としての本質をもっている。いっぽうで認知考古学の研究は、現生人類としての私たちの「心」の形成を可能にしたのは、この流動的知性の発生にあったことをしめしている。つまり、「無意識」こそが現生人類としての私たちの「心」の本質をなすものであり、非対称性の原理によって作動する論理的能力は、この「無意識」の働きに協力しあうものでこそあれ、それが人類の知的能力の本質であるなどとはとうてい言えないことがわかる。私はこの対称性人類学という学問をもって、現代に支配的な思考に戦いを挑もうとしている。(『対称性人類学』 6~8p)

カイエ・ソバージュの序文は格調が高くて力があります。もちろんかれは無意識を同一性を超えたものとして構想しています。同感です。共感します。
かれは流動的知性の根幹に瞑想を通じてえられる内部視覚からくるまばゆい光を自由の根源と考えました。死閾に近い肉体の訓練や、飢餓状態のとき、光が射してくることがあります。わたしも水泳の強化合宿で似た体験をしたことがあります。生命が危機に瀕したときの脳内のノイズが自由の根源であるとは思えません。もちろんチベット仏教は瞑想で擬似的にその状態をつくりだすのだと思います。開いたチャクラに光がぐっと入ってきたとしてそれがどうしたの。この光の知覚は、生命が死に直面したとき、安らかに死を迎えるために、心身一如として存在する生命形態の自然の側からの、ささやかな贈りものであり知恵ではないのか。なぜそれが、なにものからも拘束されない、なにものもしばることのできない自由の根源なのか。過剰な意味づけだと思います。それは死の間際にえられる小さな安らぎではありえても、正気で主張すればひとりの恍惚にすぎません。オウムのチャクラと光にはどんな他者性もありませんでした。一人の恍惚という身勝手は、信の共同性をつくりたくさんの人を殺しました。わたしも麻原彰晃とオウムの批判を新聞の署名記事として書き、あやうくその牙にかかりそうになったことがあります。

光を知覚することが自由の根源であることはなく、またこの流動的知性によって同一性が超えられることもありません。アボリジニの知恵者が青空を見つめ続けて光を知覚したとして、その知覚そのものがすでに同一性に封印されていることは自明のことです。自己の自己性のなかに同一性を超えるいかなるものもありません。ここから知覚を世界に延長しても世界が変わることはないのです。
中沢新一は流動的知性が内部視覚として発動されるとき心の素過程と物質の素過程は同一であると考えています。前回のブログでも取りあげましたが、「心の働きと物質の過程とが渾然一体」となっていると発言しています。心的現象が身体や脳に台座を置いて相関していることは間違いなく言えると思いますが、精神が唯物であり、どうじに内面が外界であるということは詭弁です。畢竟、観念論は唯物論であり、内が即ち外であるとなり、一と多、部分と全体が自然そのものへ融即する思想となります。これは手垢にまみれた既知の知であり光景です。

中沢新一の言う「重要なのは、『内部視覚』が心的現象の物質的な素過程におこっていることの直接的な反映であるということ」や「心的過程の『物質的な素過程』でも、流動的な心的エネルギーの深部から、多様きわまりない光の形態がつぎつぎと出現している過程が、たえまなくくりかえされているだけ」だという考えからポアすることを峻拒する理屈はでてきません。光の知覚は徹底した自己中心性を招き寄せることになるのです。いつか中沢新一さんに会うことがあれば,そのあたりのことを聞いてみたいと思います。精神と物質は素過程として渾然一体のものとしてあるのではありません。いうならば、精神という観念と、物質として知覚している物質という観念が二重化しているだけなのです。残骸のように遺棄されていくオウム真理教の事件からかれは本格的には抜けだしていないとわたしは考えています。そのことを迂回するスキルは身につけてはいても、かれの思想はポアを否定し尽くしていないはずです。関与したことをないことにするのではなく、そこをめくり返し貫通しないとかれの思想が深さを得ることはないと思います。

    2
他者なきモダンな思考が中沢新一の対称性人類学の特徴のひとつとしてあります。
新人類にとって特化したモジュール脳が横断的に結合しそこに流動的な知性が生じ、カンブリア紀の種の大爆発に比せられる観念の膨張が形成されたという仮説はたしかに魅力的です。そのことを認めながら、わたしは流動的知性の素過程に超越の根拠があるとは思えないのです。もっとはるかな時間を遡及できると思います。むしろ流動的知性の爆発によって善きものは同一性に封じ込められたと思えるのです。中沢新一が9・11事件に衝撃をうけて世界を対称性に拠り肯定の思想として語ろうとしたことには賛意を表します。かれの対称性人類学という概念は内包の面影としてあるとわたしは理解しています。
かれが賞賛するビッグスピリットは内包の面影としてあるのです。

三木成夫は「胃袋とペニスに、目玉と手足」をくっつけ、「その上に脳味噌を被った」霊長類を人間と名づけています。別に初期人類を指示しているわけではありません。
対称性人類学について言えることがあると思うので、むかし書いた文章を貼りつけます。

「いまのここ」に「かつてのかなた」の「面影」を感得し、生を情感ぶかく包みこむというのが三木成夫の表現のいちばんの特徴で、彼は天与の直感によって、生きているということを自然に還元して考える最良の思想を見せてくれた。内から湧きあがる広大な無償の気のうねりを、湧きあがるエネルギーのおもむくままに、解剖学の言葉でリクツをつけてみた、それが彼の自然学だ。吉本隆明が三木成夫の「初期論」的方法をマルクスになぞらえたがるのも無理はない。それほどの圧倒的な力が彼の言葉にはある。

ところで、生物の基本的な体制を「食」と「性」の双極性において見るというのが三木成夫の基本的な考えだが、私は、「食」と「性」の双極性を、あらためて対の内包という〔性〕で結びなおした霊長類が人間と呼ばれるものではないかと考えた。そこにおいてはじめて人間に固有なものが現象する。三木成夫に宿った天与のうねりがイメージする〈融〉の世界や螺旋になった〈流〉の世界を、対の内包という性を主体とする存在概念において結びなおしたら人間はもっと良いものになる気がしてならない。「いまのここ」に「かつてのかなた」を感得しても、「いまのここ」は「かつてのかなた」をいやおうなくはみだしてしまう。それが生きるということなのだから。つまり人間は「食」において動物と連なり「性」において断続し、ここにおいて言語が起源を成している。(『guan02』47~48p)

わたしはひとりの恍惚に性が先行することを言おうとしているのです。こうやってコピペしたものを読み返すとわたしと中沢新一には微妙な違いがあることに気づきます。中沢新一が対称性の思考の可能性を叙述するとき、ほんとうに対称性の世界が好きなのだろうかと思うのです。ほんとうにそこにいてそこを生きたいと思っているのだろうか。ほらほらここに、こんな世界の可能性があるんだよ、と指さしているようにしか思えないのです。もちろんむかしに戻るわけにはいかないので、これからの可能性としてかれが物語っていることは了解しています。そこを物語るということはかれのあり方そのものが変わるということなのです。言葉からもふるまいからもその気配はないように思えます。

中沢新一が想定するよりももっとはるかな時間が人であることには込められていると考えます。
今西錦司のことをふと思いだしました。読んだのはむかしですが、はっきりと覚えています。かれはつぎのようにいっています。
サル学の今西錦司は『自然学の提唱』のなかで、チンパンジーに食物を分配することが観察されることから、食物の分配を「所帯」と定義して、「人間では、所帯の成立が家族に先行していた」と仮説を述べている。これはすごく面白い。
もうひとつボノボのふるまいをあげます。
森の中でボノボの群れがおいしい果物のなる木に出会ったとします。すると、彼らは興奮し、まずあちこちで頻繁に性行動をとるのです。

おいしい餌に出会ったとき、普通は餌を巡って争いや緊張がおきるわけです。チンパンジーなら優位なオスが、まず餌を手に入れることが多く、餌を巡っての小競り合いも起こりがちです。ボノボでは、そうした争いや緊張を、まず性行動によって和解させてから、食事に入ると考えられます。(『生命-40億年はるかな旅4』)

映像で見たこともあります。餌があると、まず子どもやお年寄りから先に食べます。それから若者です。これはけなげだと思いました。そうだそうだ、人間はこの延長にあると思いたいとそのとき思ったのです。誤解がないよういっておきますが、わたしの内包論は表現として考えられているので、科学的な根拠や学問的裏づけと一意的には対応していません。ストーンズがミス・ユーをつくったとき、科学や学問の裏づけがないのとおなじです。もっとわかりやすくいえば,内包論はわたしの作品です。

いまわたしの目の前に液晶画面があり、脇にスピーカーとアンプがあり、ユチュブで音を聴いています。ピアノ曲を聴くことが多いので、最近では、クラウディオ・アラウやグルダやグールドやルービンシュタインやポリーニの弾くベートーベンのピアノソナタは目隠ししていても演奏者がわかります。わたしの日々に音は必需です。それがないと日が過ぎないのです。おなじようにわたしはじぶんの欲しいとおもう言葉が欲しいのです。だれかになにかを解説したいのではないのです。カザルスは音にさわり、その音のなかで生きました。内包論もおなじような試みです。

    3
中沢新一の自由の根源には他者がないと理解しています。有情についてかれは言います。カイエ・ソバージュシリーズのなかではさりげなく触れられていますが、かれの思想の特質があらわれていると思います。そこをはっきりさせたいので、引用を①、②、③といくつか続けます。

①ネパールのある朝の出来事
 個人的な体験からお話しさせてください。いまから二〇年以上も前のことになりますが、まだ大学院の学生だった私は、生きている仏教の思想を勉強したくて、ネパールに出かけました。そこに亡命してきていたチベット僧たちから、直接に仏教を教えてもらうためでした。 運良くよい先生を見つけ、その先生について仏教の勉強をはじめてまもない頃のことでした。早朝の四時頃にたたき起こされた私は、先生(チベット人は先生のことを「ラマ」と呼んでいます)から先輩の僧についていまから市場に出かけてきなさいと、命じられたのです。いったいなんのことかわからずに、急いで身なりを整えて出て行くと、庭には私の同級生でもあった若い小坊主たちも何人か待っていました。彼らはこれから何が起きるのか承知しているらしく、落ち着きはらった様子でしたが、なにも知らされていない私は、市場へ向かってまだ暗い村道を歩いているあいだも、不安で落ち着かない様子をしていたのか、小坊主たちからクスクスと笑われてしまいました。
 市場へ入ると、先輩の僧は私たちをすぐにお肉屋さんの店先に連れて行きました。ネパールではその日のうちに売る動物の肉を手に入れるために、早朝まだ暗いうちに店先の脇の小屋で、動物を殺します。その朝も一匹の山羊が連れてこられて、杭に繋がれて不安そうにしていました。お店のご主人と親しそうに話をしていた先輩の僧は、私たちに小屋の前に並んで立つようにと命じるのでした。そして、小坊主たちに前の日に教えておいたとおりの瞑想をするようにと言いつけました。
 みんなは目をこらして、眼前でくりひろげられる動物の死をみつめたのです。肉屋のご主人はすばやくナイフをふるって山羊の喉をかき切り、血を失った山羊がその場に倒れると、手慣れた手つきで解体をはじめました。小坊主たちの中には目に涙を湛えている者も何人もいましたが、口々に「オムマニペメフム」という観世音菩薩の真言を唱えながらも、この過程を最後までじっと凝視し続けていました。
一時間もその場に立ちつくしていたでしょうか。あたりはようやく白みはじめてきました。御数珠を懐にしまって、みんなはもと来た道を帰りだしました。私は仲のよかったパッサン・ドルジェという若い僧に、いったいみんなは何の瞑想をしていたのかと尋ねました。すると、あれ、君は何しにここに来ていたのか知らされていなかったの、と少しあきれ顔をしましたが、すぐに親切に今朝の出来事について説明をしてくれました。その話によると……。

あの山羊はお母さんだ
 今朝みんなが呼び集められて、市場へ出かけていったのは、いま仏教学校で先生から教えていただいている仏教の慈悲の考え方を実地に瞑想して、理解を深めるためだったのだそうです。人間や動物のように意識のある存在を、仏教では「有情」と呼んでいます(意識のない存在は「非情」です)が、この有情の「心」というものはたとえその生物体が死んでもそれで消え去ってしまうものではなく、より高次元のなりたちをした「心連続体」に合流して、つぎの有情の姿に生まれ変わっていく、と考えています。この考え方によれば、いまある私たちの「個人存在」などというものも、それ自体で孤立した現象ではなく、無限な過去から続いてきた生命の輪廻の巨大な環の、一環にすぎないということになってきます。
 さて、ここからが重要なところで、もしそんなふうに私たちの存在が巨大な生命の輪廻の環の中にあらわれる束の間の現象であるとするならば、今朝お肉屋さんの店先に繋がれて、自分の死を待っていたあの山羊、あの山羊はかつて自分のお母さんだったことが一度ならずあったはずではないか、あの山羊がお母さんだった頃、山羊は子供のお前に(このあたりからパッサンの口調は、すでに先生の話しぶりがすっかり乗り移っています)精一杯の愛情を注いで、慈しんでくれたはずではないか。 動物の親が子供をかわいがる様子を観察したことが、お前たちにもあるだろう。犬や猫も小鳥も牛や山羊も馬も、子供を外敵から守り、食べ物をせっせと運んだりお乳をあげたりして、心をこめて育てている。そのかつてはお母さんだった「人」が、いまこうして山羊となって、人間に食べられるために殺されようとしている。この山羊は赤の他人などではない。ましてやただの動物でもなければ、お肉になるために殺されるモノでもない。この山羊はお前のお母さんなのだ。そう思ったとき、自分の心にわきあがってくる感情を、ようく見つめるのだ。その感情が、いつか慈悲の大木に育つ。この世のありとあらゆる生き物たちは、お前の母親であり、父であり、兄弟であり、姉妹であった老たちだ。このことを忘れてはならない。
 こういう瞑想をしていたんだよ、とパッサンは教えてくれました。その頃私はまだチベット語がよくできませんでしたから、前の日の講義で先生の語っていた内容を理解していなかったのですね。それにしてもこの話を聞いた私は、さきほどの光景を思い出して、激しい感動におそわれたのです。山羊と私がたしかな連続体としてつながりあい、山羊と私のあいだに同質性をもったなにかが流れている。そのことを理解した瞬間に、心の中に愛ともなんともつかぬ激しい情動がわきあがってきたのを、よく憶えています。(『対称性人類学』 148~151p)

中沢新一の発言をミズンのトーテミズムの擬人化と重ねてみます。

②擬人化の思考は、我々自身の日常生活にも浸透しているものだ。ペットとつきあう時も、相手に感情や意志、意図があるように扱って擬人化の思考にすっかり浸っている。これは犬や猫が相手ならばまったく筋が通ったことなのかもしれないが、ちょっと振り返ってみると、相手が金魚のような場合にはやりすぎに思える。我々は動物を擬人化せずにはいられないらしい―氏と育ちの両方によって人間に植えつけられるものだとする人もいる―が、一方でそのことが少なからぬ喜びになってもいる。これは動物行動の研究を悩ます問題でもある。動物が本当に人間のような心をもっていることなどありそうにないからだ。擬人化は社会的知能と博物的知能を継ぎ目なく統合する。擬人化は、考えようによっては四万年前の文化の爆発的開花にまでさかのぼるものであることを、いちばん最初の旧石器時代の芸術作品が示している。しかしそれ以上さかのぼれるかとなると疑わしい。
 トーテミズムは人間/動物という硬貨のもう一面である。それは動物に人間の特徴を付与するのではなく、人間の個人あるいは集団を自然界に埋め込むものである。そのことは、出自を人間以外の種に求めるという行為に端的に表れている。(『心の先史時代』217p)

たとえば初期人類は、石は生まれない、生き物のように死ぬこともないと知っていたはずだ。また、人間には信念や願望があるが、自分で動くことのない石の団塊には信念や願望はないことも知っていただろう。認知領域群が切り離されていたので、初期人類にはこれらの存在を混同する心配がなく、自分で動かず生まれることも死ぬこともないものが、それにもかかわらず信念や願望をもつという考えにいたる心配もなかった。(同前 232p)

 アニミズムは、動物から分岐した人間が自然と同化しようとふるまった太古の記憶ではないかとわたしは考えている。つまりアニミズムは対称的な思考として完備したものではなく、自然からの離脱の反動として、ふたたび自然に同化したいという衝動として起こったのではないか。この間の事情をドナ・ウイリアムズの著作から探ってみます。

③ぼくは同一性の起源は内包存在にあると考えてきました。内包論から同一性の彼方の輪郭を描こうとするとき、避けて通れない、人類史をたどるように生涯を生きていると感じさせる苛烈な本があります。著者ドナ・ウィリアムズはその本に書きつけています。
「切り立った崖の上で、わたしは自問する/・・・/「ゼロよりはるかに下」の深みでしか、生きられなかった過去の己というものを、自分で感じ、自分でつかみ続けていること。しかしわたしたちは、自分の中に自己というものがあることを、必ずしも初めから知っているわけではないのである」。

 ぼくはこの本を「自閉症」という生をうけた一人の女性がある〈根源的な感情〉を通じて、意識すると否とにかかわらずぼくたち一人ひとりがいつもすでにその上に立っている世界のもっともシンプルな熱をみずから手に取り、ひとであることの原義を発見していくこころの成長物語として読みました。5年前のことです。ドナの『こころという名の贈り物』は衝撃でした。ドナの「わたしは人に属する」「わかち合う」という〈ことば=感情〉は、ぼくの内包という概念と重なると思えたのです。いまでもその驚きを憶えています。
 25歳でじぶんが「自閉症」だったことに気づき、27歳でイアンと出会い、感情を発見するまでの壮絶な生は読むものを惹きつけ共感を誘います。注意深く読むと、原初の人類がどういう心映えで生きていたのか、性という根源の感情によぎられたときの激烈な情動がどういうものであったか、リアルに感じることができるのです。人間の由縁についての豊富な知見がこの本のなかにちりばめられています。

 知的な障害はないのに対人関係を欠落したドナは、二十代半ばでじぶんが「自閉症」だったということを知ります。第一作の『自閉症だったわたしへ』にはどこかうさんくささを感じて、書かれていることに半信半疑でした。話の筋が見えなかったのです。しかし二作目の『こころという名の贈り物』で彼女の叫びや驚きや戸惑いが見えてきて感銘を受けました。母親から「お前は宇宙人だよ、地球の人間じゃないね」と言われて、ドナは「だがこの人は、一体誰なのだろう。まるで、たくさんのピースがなくなったジグソーパズルのようだ」と思うのです。ありがとうもさようならも言わないで、ただ、黙って母親の前から去った、そのドナが、「属する」、「わかち合う」、「いとおしさ」という感情を発見していく過程はすさまじく感動的です。個体発生は系統発生を繰り返すと語ったヘッケルに模すまでもなく、人間にとっての〈根源的な感情〉をつかんで激烈なパニックに襲われたドナの体験は、人間の由来や存在のあり方に関してふかい示唆をふくんでいます。

 ドナは彼女のそれまでの生涯において人類史を体験したのだと思います。物たちは意志の力を持っており、人は、人という名の特殊な物体だったとドナは言います。「『知る』も『感じる』も、わたしにとっては『それ』とか『の』とか『で』といった単語と同じようなものにすぎなかった」「だからわたしは、まるで目の不自由な人が『見る』ということばを使い、耳の不自由な人が『聞く』ということばを使うように『知る』とか『感じる』ということばを使うようになった」と述懐しています。
 あるときドナは、「物は感覚も知識もない死んだもの」ということを発見します。そのとき「わたしは人たちにではなく、物たちに見捨てられた、ものの死骸でいっぱいの世界に生きている」と考えます。ドナの「わたしの世界」が根底からくつがえされます。それまで「物たちは、複雑なことは何も考えたり感じたりせずに、ただわたしと一緒にいてくれて、わたしにやすらぎをくれていた」のに、木の葉たちはダンスしていたわけではない、わたしは彼らを信頼していたのに、家具たちはわたしを囲んでいてくれたわけではないのだと感得するのです。そうやってドナはまるで「これから発生する場所を捜しているひとつの文化」のように、寄る辺ない世界に一人佇むのです。小さな余震が絶えずドナをゆさぶり続けます。
(略)
 やがてドナは決定的な出来事に襲来されます。
「首筋に、寒気が走り始めた。わたしは紙とクレヨンをつかんだ。全身をつかまれてしまう前に、わたしは急いで紙に書く。『大丈夫、わたしは戻ってこられる。大丈夫、わたしは戻ってこられる。大丈夫……』。体は、まるで大地震の時のビルのように、ぐらぐらと震え出す。歯は、猛烈な勢いでキーをたたいているタイピストのような音をたてて鳴る。体中の筋肉という筋肉が、わたしの命を絞り出してしまおうとするかのように、収縮する。やっとその収縮がおさまると、ついに『大波』がぶつかってくる。何度も、何度も、何度も。悲鳴でのどが張り裂けそうになるが、叫びは決して外へ出てゆくことができず、押し戻されて爆発し、心の中で反響する。『息をして』。合い間に、ふと声が聞こえた。わたしは深く息を吸い、一定のリズムで深呼吸を続ける。なんとかわたしは、襲撃をしのいだのだ」。

「真っ暗な底なしの無の世界の主が、わたしを連れ去りにくるという、身も凍るような、泣き叫びたいほどの発作の正体は、このあふれ出した感情だったのだ。そしてそれは、うれしさから怒りまでのあらゆる感情によって、引き起こされていたのだ」。
 ドナの身も凍るようなパニックはおそらく人類史の初期を生きたひとびとが体験したことに違いありません。自然と戯れていた太古の面々に感情ということばが、ことばという感情が宿った瞬間に比喩されていいかと思います。ついにドナに、未明のひとびとに、〈つながり〉が自覚されたのです。ドナの生涯にとっての、人類にとっての大いなる一歩が踏みだされました。そしてついにドナはじぶんが人に属していることを発見します。感情の発見から「帰属感」までは一瞬でした。感動的なクライマックスです。そしてその発見は同時に分け持つことの発見でした。

「人が胸をいっぱいにしているのを感じると、こちらの胸までいっぱいになってきてしまいます。・・・人がなぜわたしを抱きしめようとするかが、わたしにはもうわかるのです。人は、胸がいっぱいになった時に、人を抱きしめるのです」「ああ、二十七年、二十七年もかかってしまった」「わたしは全世界が自分に向かって開かれたような気がした。わたしの根は、新しい土の中に、しっかりと張った。わたしはその根に『帰属感』という名をつけた」。
「『きみに会えてよかった』イアンは言った。/『きみを抱きしめることができたら…』・・・『何て言ったの?』『きみを抱きしめることができたら』イアンは目をまっすぐ向けたまま、自分自身に言うようにして、もう一度静かにつぶやいた。『わたしもそうしてほしい』/わたしたちはどちらも目をそらして相手の肩に手を伸ばし、相手の袖を軽くつかんだ。二人とも、泣いていた。『あるがまま』でいられることを喜び合いながら」。
「一緒にいることで、互いに自分の感覚を失ってしまうのではなく、一緒にいながらも互いの自己を分かち合うことが嬉しかった」。イアンといると、「互いに相手に属している、感じることができる」「こここそ、わたしが属するところ。ほんとうの場所」。

世界のもっとも深いものより深い場所にドナは立ちます。圧倒的に感動的な場面です。ぼくたちはただそれを感じればいいので語るのは余計なことです。でも胸いっぱい感じたうえでやはり語ります。イアンへの手紙でドナはイアンのことを「『特別な絆』を感じる人」と言います。イアンがドナに感じる特別な絆と内包存在はかなり重なりますが内包存在そのものではありません。ここは内包論の要であり内包存在の琴線に触れるところです。ドナの言う特別な絆にはまだあいまいなところがあります。ドナがイアンに、イアンがドナに属していて、そのことは互いの自己を分かち合う特別な絆だとドナは言います。むかしぼくが言った、わたしはあなたであるという情動に似ています。

ドナにとって生きられる世界がこの先もはるかであるように、ぼくにとってもはるかなこととしてあります。ぼくはこの先にひらけてくるはずの世界についてながいあいだ考えました。わたしがあなたであるということを突きぬけたところに、ほかならぬわたしであるにもかかわらずわたしでないわたしや、ほかならぬあなたであるにもかかわらずあなたでないあなたがあるように思いはじめました。ただならぬものを、感じました。西田幾太郎もレヴィナスもこの先には行ったことがない、ああ、おれは人間にとっての思考の未知をこじあけようとしているんだという生々しい実感がありました。
そこはとても秘めやかな世界ですが、わたしがあなたであるよりもっと深い魂の場所であるような気がしています。〈ある〉の彼方の内包存在はそういう世界です。名づけようもなく名をもたぬこの根源的な出来事(大洋感情)こそがはじまりのことばなのです。(『Guan02』136~139p)

 このドナの考えはわたしたちのなかにある根深いアニミズムについての臆見をくつがえすものではないだろうか。ヒトは性を発見して人間になったのであって、流動的知性によって心をつくりだしたのではないとわたしには思えてならない。

ドナは一身にして人間の精神史をたどり直したのであって、正常の逸脱として自閉症であるのではなく、太古の人々の心性を面影として宿している生き証人ではないか。わたしにはそう思える。ドナの考えを援用するとアニミズムは相対化にされることになります。
つまり、自分が人間というものに「属する」ことや「絆の発見」は性の発見によってヒトは人になったことを暗示しているようにみえます。この場所から中沢新一の「宗教的思考の三万年」なる雄大な構想をめくり返すことができる。流動的知性の発見によって心が心に超越するものを見出したということではなく、心が心の外にあり、超えていると見えるのは、人間の基本構造が性にあるからなのだ。性は心身一如の自己がとらえようとすると、いつも自分に先立つものとして、あるいは自己の背後にあらわれます。宗教の起源をなすプリミティブな心性が内包存在であるとわたしは考えます。

    4
ながい引用文をお読みになった方がいるだろうかと思いながらここを書いています。
中沢新一論のあらましを祖述します。
かれは流動的知性に心や超越の起源を求めています。わたしはそれはモダンではないかと言いたいのです。引用文に即して言えば、③の前半で、ドナ自身が自分と物との区別がついていなかったと書いています。引用②の後半でミズンも「初期人類は、石は生まれない、生き物のように死ぬこともないと知っていたはずだ。また、人間には信念や願望があるが、自分で動くことのない石の団塊には信念や願望はないことも知っていただろう」と言っています。
わたしの考えでは引用文の③の前半のドナから、イアンとのつながりをきっかけに自分が物ではなく人間に属するという感情を発見します。ドナがこのことにどれだけ自覚的かということはしりませんが、わたしはおおよそドナが知覚したことを内包存在や根源の性と言ってきました。

引用文③の後半の出来事があって、事後的に中沢新一のいう流動的知性が起こったとわたしは考えています。その事後的な出来事をかれは対称的思考と呼んでいるのです。引用③の前半から、後半の出来事があり、引用②→引用①と時間は継起しています。
それが性と知覚されることはありませんでしたが、餌を分け合う関係を所帯と考えた今西錦司やボノボの観察家がいました。そうしたことの気の遠くなるくり返しのなかで流動的知性が起動したのだと思います。そのあとは一瞬でした。1万年のモダンな歴史を積み上げたのです。それは同一性のしばりのうちにあったと考えていいと思います。

引用①は有情を取りあげるときすでに有情は多を呼び込んでいます。それが中沢新一の思想の特徴です。そこに未知の思考はないのです。仏教をスピリットの理想型だと主張しても、そこには他者はありません。過程としての、媒介としての他者が語られだけです。この思想の範型では贈与の可能性や共同性からの降り方はみえてきません。言葉が空回りするだけです。そうやって対称的思考の1はゆるりと多へと融即します。有情は1の輪郭を融かして衆へと同期します。とてもたいくつな風景です。

わたしは根源の性が共軛的にくびれたものが分有者だと考えています。根源の性はもともと人であることに埋めこまれています。それがあることによってヒトは人となったのです。決して自己へも共同性へも還元できないそれ自体としての領域をなしています。これを分有者と名づけてきました。外延表現では奥行きのある自己とか領域としての自己と言います。ここからしか贈与や新しい生の様式は出てこないと思います。

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