日々愚案

歩く浄土45:共同幻想のない世界7

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むかし、1980年の初頭に高橋源一郎は『さようなら、ギャングたち』で書きました。「わたしはペンを机の上におくと椅子から立ち上がってあくびをした。もう書くことは何もない。わたしはとうとう現在に追いついてしまった」(『さようなら、ギャングたち』)。いまは2015年ですからずいぶんむかしです。『さようなら、ギャングたち』を読んで新鮮な印象があったことを覚えています。ほどなくしてわたしは内包論を構想し、つづら折りの日々を過ごしてきました。まだながい旅路の途次にいます。少しずつ霧が晴れてきていますが、内包論を彫り上げるのは依然として困難です。

私たちは、ギャングであることは相対的なものだと考えました。私たちは、私たちの生存しているこの世界との関係の中でのみギャングであり、この世界との関係の変化だけが私たちをギャング以外の存在に変化させるものと考えました。(『さようなら、ギャングたち』)

ポップな言い方をしていますが、この感覚からなにかあたらしいものが出てきそうな気がしました。世界が変わればギャングはギャング以外の存在になることができると高橋源一郎は言いました。そのころ高橋源一郎の心中はパンクでした。時代はおおきく変化しました。そして今年の5月にかれは『ぼくらの民主主義なんだぜ』という本を出しました。米国の国家意思に過剰に媚びて対米従属をよりいっそう進める安倍の悪政にたいして成熟した大人の境地を示しています。かれにはひりひりじんじんしていたギャングだった時期があります。うまく現実に着地できたのでしょうか。
たしかにギャングであることは相対的なものであるにすぎない。世界との関係の変化によってギャング以外の存在に変化しうるというとき、「もう書くことは何もない」という高橋源一郎は時代の変数です。時代が主人公で、個人のありようは時代からつくられると言っているようにみえます。ギャングであることが相対的であるというのはそういう意味ではないかと思います。言いたいことはわかります。フーコーの人間の終焉という宣明は過剰な自意識が漂白されるようで気持ちがよかったのです。そういう時代でした。じゃ、けっして回収できない否定性はどこにいったのか。そのことがいつも疑問としてありました。高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』もなにかとの折り合いをつけるひとつの方便ではないのか。そういう気がしてなりませんでした。

わたしは高橋源一郎と違ったことをずっと考えてきました。ギャングであるかどうか、それは面々の計らいで、そんなことはどうでもよくて、「この世界との関係の変化だけが私たちをギャング以外の存在に変化させる」というとき、存在が変わるとはどういうことか、そのことをひたすら考えました。存在は時代の関数にすぎないのか。それは違うと考えたのです。不変のなにかがなければ、なにが変化し、なにが相対的であるのが言えないのではないかと考えたのです。

    2
高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』が発表された頃と軌を一にして吉本隆明さんもイメージ論を展開した。『マス・イメージ論』と『ハイ・イメージ論』。消費社会へと時代がおおきく舵を切り始めたことのことです。表現することがないという時代の風潮からの圧力が切迫する危機感がとしてありました。時代がどんどん軽くなりつつあったのです。そういう意味では『さようなら、ギャングたち』も『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』もモチーフがよく似ています。
宮沢賢治について論じた興味を引く箇所があります。

 文学作品が、言葉で作りだされたじぶんの運命をうけいれながら、しかも運命の磁場の影響を忘れられるのはどこからさきなのだろうか? ここで問うべきなのはそれだ。わたしたちの理解の仕方では、そこから普遍的な意味の喩のすがたがあらわれる。かりにこれを文字による記述の第三の段階と呼ぶとすれば、この段階にきてはじめて文学作品は自分の運命の、じぶんじしんへの影響を忘れさる。作品の物語が音声で語られる段階から、話すように文字で記述される段階へ移ることを知ったとき、物語は語ることと無音声の内語の独白を分離し、作品は自身の運命を知るようになった。この語りの言葉を記述することと、内語の記述の二重性は、層のように積みかさなる。そして、その度ごとに記述は複雑で高度になってゆく。会話のなかに会話があらわれたり、内語がさらに内在化されて独白の幽化がおこったりする。しかしこの二重性はどんなに重ねても、それだけでは文学作品の運命の記述が複雑になるだけなのだ。だが第三段階になると違う。作品の運命は遠ざかり、ただ作品の無意識のなかにしまいこまれる。それと同時に作品はじぶんじしんの運命にたいする他者の表現をうみだすのだといっていい。わたしたちが普遍的な喩とみなすものは、いずれにしてもこの他者の表現をさすし、またこの運命にたいする他者の表現から普遍的な喩の世界はできるといっていい。(『ハイ・イメージ論 Ⅱ』234~235p)

これはなんだというのが吉本さんが宮沢賢治の作品を論じた「普遍喩論」を読んだときの正直な気持ちでした。でもすごく気がかりでした。いまはじぶんなりに解読できます。
それは、作品のなかにしまいこまれた「じぶんじしんの運命にたいする他者の表現をうみだすのだ」というところです。
唐突ですが、石牟礼道子さんの作品と宮沢賢治の作品を比較すると宿命ともいうべき作風の違いがあります。表現としての是非を言いたいのではない。表現することになにか可能性があるとしたらその違いがそこにあるような気がしています。そしてそのことはどこか吉本さんの宮沢賢治読解と重なるように思えます。
宮沢賢治は不思議な作家です。内面と内部とし、外界を外部とするとき、内部と外部を自在に反転することができているようにみえます。それはなぜ可能となるのか。それはなにを意味するのか。なにを宮沢賢治は言いたいのだろうか。ここにはなにかがある、そのことに吉本隆明も気づいている。
じぶんにたいする他者の表現を吉本隆明は普遍的な喩と名づけています。バタイユのなかにあった生の違和感、そのけっして回収されない否定性を、宮沢賢治は自然(じねん)に超えているようにみえるのです。未知の意識の深みに宮沢賢治は到達していたのではないか。それはなにに由来するのか。吉本さんの方法意識は構造主義に近いのではないか。それがわたしの推測です。

(1)三十年といふ黄いろなむかし(「三人兄弟の医者と北守将軍」)
(2)遠くの遠くを、ひるまの風のなごりがヒュッと鳴って通りました。(「シグナルとシグナレス」)
(3)黒い枕木はみなねむり赤の三角や黄色の点々さまざまの夢を見てゐるとき、若いあはれなシグナルはほっと小さなため息をつきました。(「シグナルとシグナレス」)
(4)事務所の中は、だんだん忙しく湯の様になって、仕事はずんずん進みました。(「猫の事務所」)

 わたしのせまい知見の範囲では、このたぐいの喩法は、この作者のほかには誰もつくりだしていない。その意味で特異なものだといえる。またこのたぐいの喩はよくかんがえると、意味が半ば不明な、それでいてしきりに適切感をともなう喩法だといっていい。つまり何を言いたいのかといえば、半ば擬音化したとおなじように、ここでは意味を半分消去することで暗喩や直喩を成り立たせているということだ。「黄いろな」「むかし」は喩としても、ほんとは存在しえない。また「遠くの」「遠く」も、「赤の三角や黄色の点々」「さまざまの夢」も喩の語法としてありえないようにみえる。「忙しく」「湯の様になって」という倒置された喩も、ほんとは意味をつくらない。いずれも意味らしきもの、意味以前の意味類似体をつくっているだけだ。だがそれにもかかわらず鮮明な特異な喩法を成り立たせているというより仕方がない。それはこの作者のなかに普遍的な喩の概念があり、その喩は非意味化された言語、いいかえれば疑似的な音の節片に近づき、言語の意味形成の段階をつきくずして、無定型な意味類似体に変形してしまうところで、極限の普遍化が成り立つことが想定されているからだとおもえる。
 そこでこの特異な喩の例は、ふつうの話が地の流れに沿って直喩とか暗喩とかかんがえているものと、この作者が志向している普遍的な喩との中間にあるものと指定できそうだ。ふつうの喩の概念は作品形成の地の流れに沿って言語表現の価値を増殖させるために存在している。このばあいの価値概念の基準は作品の言語表現の地の流れの水準におかれている。だが普遍的な喩の概念が成り立つのはその水準ではない。言語が意味をつくるまで分節化される以前と、分節化された以後との最初の分岐点が、いいかえれば言語と非言語的な音節の境界面が価値の基準とみなされて、はじめて普遍的な喩の概念は成り立っている。これが作者の志向する言語表現の普遍という意味を形づくっている。
 この作者の喩の志向性は根拠をもつだろうか。わたしにはじゅぶんな根拠があるような気がする。かつて古典語と古典詩歌がはじめて文字によって記述されたとき、ほとんど民族語の無意識のリズムによって、最初に普遍的な喩の固有性があらわれた。この作者が修辞の流れという概念を言葉の表記の段階という概念におきかえたとき、当初に民族語リズムが喚起したとおなじことに当面した。このことはこの作者の普遍的な喩の概念が限界まで遠く達したことを意味していたとおもえる。(前掲書所収「普遍喩論」248~250p)

普遍喩論として言われていることは人間の意識の発生についてとても大事なところだと思います。吉本隆明が普遍喩として言おうとしていることはアフリカ的段階に理念の可能性の手がかりを得たいのとおなじモチーフに貫かれています。人間がいくらか観念を統覚できるようになったとき、言語と言語以前、有意味化された文節とそれ以前の境界面で発語され、やがて洗練されて民族語に固有のリズムが生まれたその時代の痕跡を吉本隆明は普遍喩と言っているようにみえます。それは精神の古代形象ではないのか。たしかに精神の古代形象の痕跡がある。それが普遍喩というものだ。吉本隆明はそう言っていると了解してよい。
わたしは吉本隆明の方法意識の未達がここにあるように思います。とてもいいことに気づきながら核心がずれていく感じがします。弾力の限界を超えて引き延ばされたゴム紐のような気持ちになります。わたしは普遍喩論のこの箇所を読み返してすぐに池田晶子さんと陸田死刑囚の往復書簡を思いだしました。陸田死刑囚は人間の自然からの離陸について語っています。ここには生きられる知があります。「歩く浄土20」でつぎのように書きました。

彼は行為と観念は一体であったとみなしています。「どうも私の経験からすると、そうではなくて、実は元々 『観念』」と『行為』は一体であり、つまり動物一般がそうであり、ヒトとしての動物がそうだったものであり」と考えられています。このときはまだ善悪未生です。このときいろんな観念の可能性があったのに、「自然からの人間の分裂」によって、自我を理性として手に入れ、その後に善悪が芽生えたとこの人は言います。ヘーゲルの理解からそうなるのはわかります。

殺人の実行者が世界の無言の条理をつかもうとした貴重な証言です。そして、悪は、「他がない」窮極的な自己目的の観念のうちに胚胎されると彼は結論づけています。フロイトが触った、善悪の彼岸にある、矛盾律がなく、時間の観念もないエスとはそういうものだと思います。自己意識の外延化はある契機があればぐるっと廻ってエスに同期するようにできあがっているのではないか。ここをまだわたしたちは吹っ切れていないと思います。そして外延表現ではこのおぞましさを禁圧することしかできません。禁止はかならず侵犯されます。内包論ではこの矛盾は解消されます。

宮沢賢治の擬音や内部と外部の反転がこのあたりに起源をもつことはたしかだと思います。わたしはむしろ宮沢賢治の喩は吉本隆明のいう民族語の固有のリズムより起源がふるいのではないかと思っています。観念と行為が分離し始めた頃の驚きと当惑が宮沢賢治の擬音にあるのではないか。それが無意識であるとしても宮沢賢治の作品のいちばん奥まったところに善悪が生じ始めたころの精神の古代形象が面影としてのこされているのではないかという気がしています。宮沢賢治の作品には気持ちがふわっとやわらかくなる『「注文の多い料理店」序』がある一方で、テロを暗示する『氷河鼠の毛皮』」もあるのです。宮沢賢治の作品は両義的です。だから「ほんとうの、ほんとうの神」を願ったのです。

吉本隆明が普遍的な喩そのものとみなしたところを貼りつける。

わたしはこの作者ほど擬音を発明するために工夫をこらし、それを多用して作品につかった例をまったくしらない。この擬音の発明と多用は、かれが普遍的な喩とみなしたものの本質と深層でつながっているような気がする。極限ではじぶんを伝達できる工夫と技術とは、言葉の意味を湯水に溶かしてしまった液状物の音階と色彩に帰せられるのではないか。この作者はそこに普遍的な喩の運命を(喩に運命があるとして)みたようにおもわれる。

  しばらくぼうと西日に向ひ
  またいそがしくからだをまげて
  重ねた粟を束ねだす
  子どもらは向ふでわらひ
  女たちも一生けん命
  古金のはたけに出没する
    ……崖はいちめん
     すすきの花のまっ白な火だ……
こんどはいきなり身構へて
繰るやうにたぐるやうに刈って行く
黝んで濁った赤い粟の梓
 《かべ いいいい い
  なら いいいい い
   ……あんまり萱穂がひかるので
     子どもらまでがさわざだす……

濁って赤い花青素の粟ばたで
ひとはしきりにはたらいてゐる
   ……風ゆすれる蓼の花
      ちぢれて傷む西の雲……
 女たちも一生けん命
  くらい夕陽の流れを泳ぐ
   ……萱にとびこむ百舌の群
     萱をとびたつ百舌の群……
抱くやうにたぐるやうに刈って行く
黝んで赤い粟の樺
    ……はたけのへりでは
     麻の油緑も一れつ燃える……
  《デデッポッポ
   デデッポッポ》
   ……こっちでべつのこどもらが
      みちに板など持ちだして
      とびこえながらうたってゐる……
はたけの方のこどもらは
もう風や夕陽の遠くへ行ってしまった
(宮沢賢治「〔しばらくぼうと西日に向ひ〕」)

 この詩は見かけのとおり、粟畑で粟を刈ったり束ねたりしている農家の女たちの姿と、その畑のそばで遊んでいる幼児たちの有様をスケッチすることから地の流れがつくられている。作者がその情景を記述の言葉でスケッチしているとみなしてさしつかえない。そして……(点線記号)のなかの言葉は作者の内語の独自で、また異質の段階の景物、崖や萱穂や蓼の花や雲や百舌の群や幼児たちの姿や麻の緑の葉などを点景として描き出している。この詩で普遍的な喩とみなされるものは、いままでの考察から作者が記号《》(二重マルカッコ)で挿入しているところだとすぐにわかる。

(1)《かべ いいいい い
   なら いいいい い》

(2)《デデッポッポ
   デデッポッポ》

 この普遍的な喩が、いままでの引例とちがうところは、それじたいをとりだしても意味が不明な擬音語から成りたっていることだ。だが詩の地の流れのなかにもどしてみることで(1)は幼児たちが粟の刈り入れや束ねの畑仕事をやっている女たちのそばで、何かガヤガヤ騒ぎ立てながら遊んでいる。そのときの幼児たちの会話を表象しているようにうけとれる。また(2)は詩の地の流れのあいだにもどしてみると、幼児たちのうたっている歌の歌詞を表象していることがわかる。(前掲書所収「普遍喩論」244~247p)

ここで少し内包論の立場について説明します。過剰な自意識を持て余している自己がいるとします。なぜ過剰なのか事由はさまざまです。それは内面化された自己が励起された状態です。過剰な自意識は内面化されるとそれをさらに視ている自己をつくります。この意識の流れは累乗される宿命にあります。そしてどこまでいっても回収されない否定性が残ります。この意識の流れをわたしは自己意識の外延表現と名づけてきました。近代の文芸も現代の文芸もすべてこの範疇にあります。自己を実有の根拠とするかぎりここを逃れるすべはありません。バタイユなどはこの否定性を狂おしく生きました。どこにも回収できない否定性や、そこに生じる特異点はどうすれば解消されるのか、さまざまなことが試みられました。ほとんどやりつくされているとわたしは理解しています。もし累乗化される過剰な自意識が固有の他者の視線によぎられるとどうなるか。それが内包論です。そのようなものとして内包論を考えてきました。

吉本隆明は《かべ いいいい い/なら いいいい い》や《デデッポッポ/デデッポッポ》という擬音語を普遍的喩と呼び、民族語の無意識のリズムと解しました。文明の必然史から言えば吉本隆明の独創したアフリカ的段階とおなじことを意味しています。自己意識の外延表現としては極限的な理解と言えます。
わたしは吉本隆明さんと違うように考えることができると思います。それは吉本隆明さんが宮沢賢治の作品を文字による記述の第三の段階として論じているところです。かれは宮沢賢治の作品を普遍喩論として論じながら言います。「だが第三段階になると違う。作品の運命は遠ざかり、ただ作品の無意識のなかにしまいこまれる。それと同時に作品はじぶんじしんの運命にたいする他者の表現をうみだすのだといっていい。わたしたちが普遍的な喩とみなすものは、いずれにしてもこの他者の表現をさす」のだと。
わたしは吉本隆明さんの言葉の表現について回る意識の特異点の解消の仕方は「他者の表現」を視線としてくわえても、この視線もまた自己意識と同型だと思います。吉本さんの「他者」とはアフリカ的段階の理念からつくられる文明の必然の謂いのようにみえます。そうではなくて「他者の表現」を固有性として生きること。そこに生と表現の可能性があります。

斯様に「他者」とは厄介です。レヴィナスも初期、『時間と他者』では固有の他者のことを他者と呼んでいて、いつのまにか固有の他者を他者一般へと融解し、そこで他者を多者として語りました。この意識の変容も外延表現に閉じられています。
わたしは宮沢賢治の不思議な擬音は内包自然の謂いではないかと思います。宮沢賢治の内部と外部を自在に転換する不思議は内包自然からきているように思えてなりません。もちろん宮沢賢治はそのことに自覚的ではありませんでした。わたしの理解では内部も外部も外延的な自然なのです。もしも外延的な自然が自然のすべてであるとしたら回収できない否定性は自然に融即するほかに解消するすべをもつことができません。
かんたんなことです。「じぶんじしんの運命にたいする他者の表現」を内包自然と知覚すればいいのです。ここで表現は一気に転回します。

    3
もう少し踏み込んでみます。偶然、吉本隆明と見田宗介の対談を見つけました。好感をもったのでコピペする。これまででいちばんながい引用です。数少ない読者のみなさま。どうか我慢して読んでください。

超越を超越すること

吉本 宮沢賢治への関心も世代による違いがありそうで、賢治はあまりにセイントで超人的すぎるんで、時々まったく無関心になっちまいます。見田さんは、存在論として、自然と人間を外側と内側とから融かして一つにしてしまう賢治をよく追求しておられますが、僕なんかはこの人の悪口を言いたくてしょうがないところがあります。すると、この人は人間の嫉妬感情にたいへん固執したんじゃないか、というところにぶつかります。この人は心理的にそんなところがあった人だぜ、というのが僕の悪口の一つなんです。
 また賢治は、苦労して泣きながら身につけたものが本当の勉強だといったことを詩や童話で強調しますが、この理念は違うと思います。現在性で言えば、教える人が放蕩しようがテニスが好きだろうが、関係ない。また、苦労して涙流して身につけたものがいいんだというのも、嘘です。鼻歌うたいながら身につけたって身につくことでは同じです。僕の観点はそうです。宮沢さんは苦労の倫理に強調点を打ちます。で、それが賢治の欠陥だと思います。でも実は、それくらいしか文句のつけようがないわけです。それくらいこの人は超人的で、死を覚悟して、それを実践しているわけです。そういうちっぽけな悪口しか言いようがないんです。
 賢治の影響を受けて現在運動してる人もいるけど、それは左翼的な宗教性のヒューマニズムに近いやり方でやっています。でもそれも僕らから見れば、二重写しになります。エコロジカルな人間主義的な運動として現在やっている人もいるんでしょうし、その人たちもそれ以外の目的でやってはいないでしょうが、人間の精神の可能性からみれば、この人たちはもし戦争中だったら、間違いなくファシズムの運動に行くように見えます。そういう二重写しの観点は、僕らからはどうしてもぬぐえずに、すっきりしないんです。
 でも課題としては、戦後も半世紀たってるんですから、これからどうするんだということで言えば、ぐじゃぐじゃ二重写しになってるところばかりに固執してないで、一つの方法で集約できるんじゃないかと思います。
 でも、あえて利点があるとすれば、例えば世論がオウム真理教をどんなに殺人集団だといっても、僕は「いや、その面だけで言ってはいけない」と思うんです。人間の精神の可能性からいえば、あれは可能性の範囲に入るということを主張したいのは、二重写しの経験からだと思います。そういう部分で見田さんのような後の年代の人から、違う言葉で、僕らに橋を架けてもらいたいという気がします。

見田 吉本さんは『宮沢賢治』のあとがきで、きつい仕事や生活の間をぬって宮沢賢治の人や作品について感じ、思いをめぐらす時間は、鬱積した雑事を片付けては心せきながら入りこんでゆく解放感にあふれた時間だった、と書かれているのが実に印象的でした。「固有時」という、僕にとっても大事な言葉を思い出したんです。去年はたまたま生誕百年目で、社会的にも賑やかだったんでしょうが、それが終わったからもうおしまいという相手では、賢治はないと思います。賢治の妹さんが、「兄は旅の人という感じだった。この世の中に旅にきて、また帰っていった人のようだった」と言っていました。賢治には旅人のような新鮮な驚きを持って、自然とか人間の現象を感受しているところがあったと思います。
 吉本さんの考えの骨格に、「往相と還相」という思想がありますが、賢治には「還ってきた人」という感じがあるんですね。普通、宗教的なタイプの人は、超越とか、往くことばかりに熱心なわけです。賢治の場合は、はじめから超越しているみたいな資質があって、むしろどうやって超越を超越するかとか、「超越」の反義語を「内在」とすれば、どうやってもう一度世界に内在するかが、むしろ課題だったような気がします。このことは、賢治は「普遍宗教」を求めていたんじゃないかと、吉本さんは言われています。
『銀河鉄道の夜』の「ほんとうの神」をめぐる問答は、人間の絶対感情とどう対するかという問題とも繋がっていて、宗教をその核心で突きぬけてゆく、「原宗教」のようなものへのモチーフを暗示していると思います。

無意識はどこから来るか

見田 吉本さんは文芸批評のお仕事で、文学の本質というのは主題を超えたところにあると主題主義批判を展開されてきました。僕は賢治の現代性というのは、まさに主題主義を超えたところにあるように思うんです。賢治の文学は、自然への感覚や、その声が聞こえてくるような韻律のようなものが本質なんじゃないでしょうか。
 また、『マス・イメージ論』で吉本さんは「システムの無意識」ということを言われて、それは個々の作家が自分とは矛盾したものを見いだす力であるとされています。その時無意識はフロイトのいう個体の無意識や、ユングのいう集合無意識とも別のものと思います。宮沢賢治の文学の言葉の出所も無意識だと僕は思いますが、その無意識というのはフロイトやユングの「無意識」よりもっと広がりがあって、宇宙的な存在の無意識のような気がします。そういう「無意識」の水平性や垂直性ということをめぐって、吉本さんはどう捉えられていますか。

吉本 賢治の無意識の出所は本当はよく分からないんですが、僕なりにこう整理したんです。例えば『銀河鉄道の夜』のジョバンニの描写などを考えますと、普通の作家の描写と違って賢治の描写は類例のない描写と感じるところがあります。例えば、ジョバンニの行動を描きながら、同時にまったく違う視線がそこに働いている。それはあたかも、作者のものではないような違う視線なんです。多分、宮沢賢治の独特の無意識の出所がそうさせているんじゃないかと考えます。それは、描写している作者じゃない人の目が描写の中に入っている二重のイメージなんですが、僕らがフロイト流に考える無意識とは、ちょっと違うと感じます。
 意味としてあるように見えたり、リズム感としてあるように見えたりして確かに賢治の独特の無意識なんじゃないかと思います。賢治の仏教的な輪廻観からそれはくるんでしょうけど、本当はこの世とかあの世とかの境界を融通無碍に透過してしまう何かを賢治は身につけている感じです。それは名付けようがない不思議なイメージのあり方で別に賢治が作為したものでもないのかも知れません。
 ですから、おっしゃられた通りで、賢治の批判をそういう理念の次元だけでやっても意味ないですね。仕方ないから、このイメージのふくらみ方を天才と言うのが無難なんじゃないでしょうか。普通の人のイメージよりは次元が一つ多いように思います。
 宮沢賢治の宗教性には、詩や童話の中にはとても出てこないような独特のイメージや怖さがありますね。中国の軍人で詩人でもある人が晩年の賢治を訪ねた時、何か訳の分からない宗教の話を聞かせてくれて、ただ怖いと感じたという文章があります。そういう怖さが賢治の言葉にはあって「鋼色の青」みたいな言葉は言いようがなく怖いなと思います。この人は超越的な聖なる感性を積んでいて、東京で国柱会に入っていた若い頃はなかったんでしょうが、次第に法華経と直接交感してそれを獲得していきます。そして晩年になってくると怖いなと思わせるような宗教性、それはどういう宗派とも宗教とも言えないようなものを獲得していった気がするんです。
 無意識の範囲では、宮沢賢治はそういうものをちゃんと持っているわけですが、それを意識的に整えようとすると、科学者ですから、突っ掛かるものが出てきます。賢治も法華経信者ですから、来世というものを疑ってはいけないわけです。例えば僕はカトリックの作家の小川国夫に、あんたキリストの再臨を信じてるんですかと聞いたら、「信じてます」と答えられたことがあります。宗教者としての賢治も、来世は信じていたと思うんです。科学者としての彼、あるいは得体の知れない無意識まで含めた賢治の宗教性を考えると、来世があるということがいちばんネックになっていたのではないでしょうか。
「青森挽歌」という詩には、妹が死んで「けしてひとりを祈ってはいけない」なんて言って、その突っ掛かりを破りたいと思っているんですね。それは、ジョバンニがいう「ほんとうの神」「ほんとうの、ほんとうの神」であり、誰もにとって違う宗教ではなくて、それを賢治は「ほんとう」という言葉で言いたかったんじゃないかと考えます。
 だけど、どうすればその突っ掛かりを取ることができるかということで、僕が唯一考えていることがあるんです。

「ほんとうの宗教」という謎

吉本 無意識といわれている領域を、もしも受胎にまで科学的・医学的にさかのぼれるようになったら、多分宗教と科学の境界を除くことができるんじゃないかなという気がします。宗教家が前世とか来世とか言うことは、無意識の領域を受胎し、子宮に着地した瞬間までさかのぼることと同じなんじゃないかと、漠然とながら考えます。
 超音波なんかの手段で科学的に可能なのは、母親を驚かせると胎児はこう身体を反応させるというように、七、八カ月以後の胎児は分かります。それがもっと先までさかのぼって、受精のところまでいけるならば、来世や前世という輪廻転生の仕組みが解けるんじゃないかと考えます。フロイトは誕生してから一歳までを無意識の母胎と考えているけど、僕はそれを胎児の数ヵ月以降まで延長すべきだと思います。
 もっとさかのぼれば、宗教が前世・来世と言っていることは全部、科学的な問題になるだろうなと思います。そして、多分、科学や医学はそこまでいくと思っています。そんなことは先天的に無理だとは思わないわけで、今だって、何ヵ月目の胎児は魚から両生類に進化する段階で、陸地に上がる頃だから、そこで母親のつわりが最もひどくなるというように解剖学者が言っているわけです。ですから、それを内在的に理解できるならば、無意識の領域を拡大したことになりうると僕は思っています。
 賢治が突っ掛かっていた、科学と宗教の融和への足掛かりになると思います。でもあまりこういうことを大きな声でいうと、あいつだんだん神がかってきたといわれるんです(笑)。でも、宗教というのは、そこが解決点ではないでしょうか。それができるまでは、自然科学的な探究も人文科学的な探究も、どこかでは宗教性を免れないと思います。ですから、それまではイデオロギーからも宗教性をなくすことは、まずできないだろうなと思います。
 それから、無意識ということも相当前までさかのぼれるということを考えなければだめじゃないか。そうすれば、賢治がいちばん突っ掛かったところの問題は解決するように思います。『銀河鉄道の夜』の中で、キリスト教を信仰している姉弟から、あなたが信じている宗教はと聞かれたジョバンニが「ほんとうの宗教です」と答える。尋ねた姉弟が「私だって本当の宗教を求めている」と言うと、ジョバンニが「いや、そうではなくて、ほんとうの、ほんとうの宗教」と言う。そういう言い方しか賢治はできない。また同じ話の初期型では、人間というのは一つの現象だし、人間の考えることも現象だと言う。それを基にして、賢治は普遍的な宗教を考えます。
 そこに突っ込んでいくのが宗教的な賢治の経路だと思いますが、しかし、見田さんのおっしゃられるように、『銀河鉄道の夜』はそういうことを言うために書かれたんじゃない、作品で本当に言いたかったのは、書き手以外にもう一つの視点が加わっている何ともいえない豊かなイメージの芸術性で、それを読者に体験させるのが本意なんじゃないか、という見方になります。ですから、理屈で攻めていって、主題的に読む読み方はむしろ駄目なんじゃないかと思います。

  ― 賢治の抱いた普遍的な宗教観からみれば、現在のオウム真理教の一連の出来事は、どう解釈できるのでしょうか。

吉本 僕が麻原彰晃が宗教家として相当な人だという関心を持っているのは、あの人の書いた『生死を超える』という本なんです。彼は「受胎・受精までさかのぼれる」ということを言ってるんです。それを読んで僕は、へぇー、大したもんだと思った。もちろんそれは過剰評価かもしれませんし、裁判が進んで思わぬ弱点が出てくるかもしれません。ただ善悪の問題だけで言えば、心証はこうだと何となく分かりますが、もし人間の精神の可能性で言えば、僕だって同じことをやるかもしれないとも考えますし、そこでは僕はあまり否定的ではありません。
 ただ、僕がオウム真理教について「絶対悪」と考えている要素があるんですが、それは地下鉄サリン事件なんです。つまり、無関係で何の対立感情ももっていない人を殺すのを前提とした出来事です。そこを見なければ、人間の精神の全域はどこにあるんだ、その原型はどこにあるんだということも考えることができないという思いがあるものですから、僕は固執するんです。
 この「絶対悪」を人類が今まで経験しているとすれば、その原型的段階である「アフリカ的段階」だけだと思います。死んだ人の肉を食ったり、人を奴隷扱いすることは悪ですけど、それは近代以降の考え方であって、原型的な場所では、それは悪ではない宗教性と思われているかもしれません。オウムの連中がやったことの中には、サリンを作ったり、弁護士を殺しちゃったりという近代的な意味での悪もありますが、地下鉄サリン事件だけは、ただ一つ原型的な「絶対悪」なんです。

人間の真ん中にある自然

吉本 僕の賢治論やオウムへの評価の話ばかりしてしまいました。見田さんの『宮沢賢治』のモチーフは、僕たちが近代的人間である限り自然は外にあるもので、人間の無意識も含めた精神は内部にあるというのが普通でしょうが、宮沢賢治の場合は精神を外部にもできるし、自然を内部にも自在にできるというような一種の存在論だと思います。その存在論のなかに賢治の宗教の問題も、文体と表現の問題も入ってくるということが見田さんの賢治論の骨格ですね。

見田 それは、個性をいかに表現するかという、当時の近代文学の価値観とは逆のあり様だと思うのです。賢治の場合は、いちばん内側に自然があるという感じですね。

吉本 賢治には人間も自然の一部だという考えがあって、それはマルクスにも同様の考えがあります。マルクスは外在的なものだけを追求して、外部にある自然を人間が手を加えると自然は価値化していき、それを「生産」だと言います。
 マルクスは外へ外へと徹底的に向かうわけですが、賢治はそこを自在に往還できるというのが、見田さんの独特な観点でしょう。その時、僕は、国柱会に入会したりとか宗教的関心を考えると、どうして賢治は国粋主義者にならなかったのか、という問題が興味深いんです。

見田 そこはとても面白いところですね。

吉本 日蓮とも賢治は達うんですね。法華経に『安楽行品』という章があって、その中で法華経信者は文学や芸術なんかやってはいけないと書かれています。賢治が引っ掛かったのはそこなんです。日蓮が引っ掛かったのは、法華経信者でない人間は刀で切って殺してしまってもいいという教えにいちばん引っ掛かったんです。賢治はその日蓮からもちょっと外れて、法華経との独特の対し方をしました。それが、この人の宗教性の怖いところでもある気がします。それが賢治の語った「普遍宗教」だと思います。
 僕は、戦後の政治の党派性にもみくちゃにされたやりきれない体験を持ってるから、何とかして党派性を政治から外して、普遍的にしたいんだという願望を持ちました。それは元をただせば、宗教の宗派性にあるわけです。それはいくら争っても解決しようがないもので、自分が中身から変わらない限り信仰は変わりませんから。イデオロギーも同じで、信じている限りは党派性はなくならない。そういうのが嫌だな、というところに、僕の関心と宮沢賢治が引っ掛かってくるんです。

見田 吉本さんが言われるように、自然と人間の反転の問題が僕の中心の課題なんです。賢治は自分の童話を、野原とか月明かりからもらったものなんだと書いている。それは賢治の単なる謙遜だと言われるけれども、僕はあれは文字通り本当だと思う。存在とか宇宙といったものが彼の真ん中にある本当の自分だと思えるんです。そこから彼の「原宗教性」が出てくると思います。吉本さんはそれを「特定の宗教は彼に拘束衣のような働きをしていた」と書かれていましたが、本当にそうだと思います。
 何が彼を縛っていたのかと考えると、宗教的ドグマとか倫理性とかが彼を縛っている。縛られていたものは何かというと、それも宗教性なのですね。賢治の、ほとんど身体的といってさえいいような「原宗教的」なものだと思うんです。よく解釈されるように、性的な欲望を彼が宗教的に縛っていたという話じゃない。いや、それもあるかもしれませんが、もっと根本に原宗教性があって、それが賢治の中の「野原」に繋がっていく。その原宗教性を、宗派性としての「宗教」が縛っていたところがある。その構造は、現代の僕らの社会のいちばん難しい問題ともつながってくると思います。
 宗教の持つ危うい両義性、一方で僕らを自我の拘束性から解き放ってくれるものでもありながら、同時にもう一度縛ってしまう力でもある。そこで多くの優れた人も党派性に足をすくわれてしまう。
「飛んでゆくことができないなら、せめて這ってでも」というドイツの歌の一節をフロイトは愛していたようですが、宗教というのは、人間が自分の抱える問題の大きさにふさわしい能力をもっていない、そのギャップをとりあえず架橋している、危ない吊り橋のようなものかもしれませんね。(『吉本隆明の世界』「世紀末を解く」吉本隆明vs見田宗介 68~74p)

宮沢賢治の無意識の出所はよくわからないが、フロイトの無意識よりもっと広がりがあり、作者の視線にもうひとつべつの視線が加わっているとする吉本隆明さんの指摘は鋭いです。それがなにに由来するかはともかくとして、その通りだと思います。このあたりは宮沢賢治について吉本隆明も見田宗介も共通の理解をしています。「それは名付けようがない不思議なイメージのあり方」だと吉本隆明は言います。読者のだれもが宮沢賢治の作品に接して抱く感じです。わたしの理解では『「注文の多い料理店」序』と『氷河鼠の毛皮』は宮沢賢治の精神の両義性として、幅としてあるのであって、人倫の及ばない善悪未生から流れ下ってきていると思えます。この不可思議が宮沢賢治の精神のふかいところにありました。だから、「ほんとうの、ほんとうの神」を希求したのだと思います。
おそらく宮沢賢治は超越のもうひとつむこうにある超越を感受していた。それを「ほんとうの、ほんとうの宗教」と比喩した。わたしはそれは内包自然の領域のことだと思う。

この対談のなかで吉本隆明はオウム真理教がサリンを散布して無関係の者を殺傷したことは許容できない「絶対悪」であると言い、それはアフリカ的段階に想定される「原型的悪」から由来するのではないかと述べています。わたしは吉本隆明さんの思弁では「絶対悪」は解けないと思います。ここは思いっきり強調します。いつも何事かを先延ばしにする吉本隆明の思弁は方法的に不毛です。

この対談は真摯で揚げ足取りがありません。この対話のなかで腑に落ちるところをあげます。「宮沢賢治の場合は精神を外部にもできるし、自然を内部にも自在にできるというような一種の存在論」だとする吉本隆明さんの発言は面白い。見田宗介さんはこの発言を承けて、「賢治の場合は、いちばん内側に自然があるという感じで」、そこに宮沢賢治の「原宗教的なもの」があると言う。ここも面白い。
ふたりの対論の要約はこれで終わる。

わたしは内包論から宮沢賢治の内部と外部の融通無碍の自在性やいちばん内側にある自然や原宗教性について語りたい。禁止と侵犯に閉じられた意識の範型をどうやったらひらくことができるのか。内包という生の知覚で宮沢賢治の見果てぬ夢を、領域としての自己から包んでいきたいと思います。
自己意識はどれだけ累乗化しても外延された自己意識としてのこりつづけます。その累乗化した自己意識の過剰を他者の視線がよぎったらどうなるか。よぎられた視線のなかに〔わたし〕があらわれます。それが〔わたし〕の本態であり本然です。おそらく宮沢賢治はそのことが言いたかったのだと思います。自己のもっとも奥まったところにある自然は、自己の中の絶対の他とは、内包自然です。そこでだけ善悪未生のなにかがひらかれます。わたしたちは禁止と侵犯という、ほぼ人間という概念とひとしいそのことを、まったくあたらしい出来事として生きることができます。なによりシンプルなこととしてそれは存在します。

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