日々愚案

歩く浄土178:情況論65-外延知と内包知12:〔ことば〕と〔還相の性〕3/共謀罪について

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2017年6月15日早朝、共謀罪が参議院で可決した。戦後72年の総過程が安倍晋三の妄想によって薙ぎ払われた。なにが総敗北なのか。民主主義の人倫には根がないということだ。それが赤裸々な事実としてむき出しになったような気がする。外延的な知が描く人間が終焉するとき民主主義の理念もまた息の根を止められていた。つまり民主主義という共同幻想では人倫の根源をつかむことができない。1968年、19歳のときにアルジェの戦いを曰く言い難い気持ちで観た。爾来49年、戦乱は熄まない。民族の独立は戦争として戦われた。その頃アルジェリア独立戦争の指導者の一人だったフランツ・ファノンの『知に呪われたる者』や永山則夫の『無知の涙』を読んでいいようのない重い気持ちになったことを覚えている。いまはテロを撲滅することが正義とされる。戦争は互いの義を譲らないとき政治の延長として起こる。かつての南京虐殺やユダヤ人のホロコースト、ボスニアの虐殺、ルワンダのフツ族によるツチ族の虐殺。ここでも人倫は崩壊している。なぜだ。私性は観察する理性に縮減され正義という第三者の場所をつくる。私性という同一性的な意識の残余は同一性では語りえないにもかかわらず、正義が可視化される。1973年、チリのアジェンデ政権はCIAに唆されたピノチェトの軍事クーデターによって潰された。夥しい人々の非業の死があった。1976年、ポルポト派による大虐殺がカンボジアで起こる。そのエンドレスな歴史をわたしたちは生きている。なぜ、この愚劣は熄むことなく繰り返されるのか。心身一如の存在を自己とみなすかぎり自己によって所有されるものを義の基準とするほかないからだ。そして私的な義は不可避に共同化される。例外はない。小さな善を積み増すことでこの惨殺を防げたか。殺す側も殺される側も互いに小さな善という共同幻想を行使するほかない。ここに第三者の場所はない。市民主義はむきだしの世界をないこととして、見ないふりをすることによって成り立っている。それはいつも例外なのだ。在ることをないこととして民主主義はやり過ごす。例外はない。わたしはその現場を長く生き、生き延びた。言葉が全く無力なむきだしの生存があらわになる世界。ここにはどんな言葉もとどかない。だから邪悪が存在しえない世界をわたしはつくりたいと思っている。ここでふいに世界の底が抜け、浄土が歩く。この不思議を内包論として表現してきた。じぶんをじぶんにとどけ、そのじぶんをふたりとしてひらくとき、そこに邪悪は存在しない。善と悪は相対的なものであり、圧倒的な善がそれらに先立つ。わたしの生の公理がここにある。民主主義の人倫がここに到達することはない。これは理念ではなく生存の知覚である。この生はずっしり軽い。なによりここには、外延知による、私性と共同性がない。

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紀元前3世紀にユークリッドが遺した原論のなかのひとつに幾何学があり、ユークリッド幾何学として知られている。点や線や面について定義し、いくつかの公理によって公理系をつくり、幾何学的な命題を証明し、定理を導く。その公理のひとつが第5公準であり、平行線公理と呼ばれてきた。ユークリッド幾何学は人間の直感的な空間知覚のうえに考案され西欧世界で2千年のあいだ真理とされてきたが、平行線公理はどこか据わりが悪く、公理ではなく定理かもしれないとながく論争されてきた。平面上に直線があるとき、直線外の一点を通ってその直線に平行な直線を一本引くことができる。どこかうさんくさいがだれも反論できない。平行線に交わる直線がつくる錯覚と同位角が等しいことは計測できるし、わたしたちの知覚に沿っている。そこでこの平行線が無限遠点で交わると仮定してみる。仮定によってできる三角形の内角和は二直角を超えてしまう。なぜこの矛盾が生じたのかというと、平行線が交わると考えたからである。すなわち平行線は交わらない。この論法を背理法と言い人間の知覚に基づく強力な弁証である。19世紀の数学者ヒルベルトは、無定義語で自然を切断し、ユークリッド幾何学を包んでしまった。若い頃ヒルベルトの『幾何学の基礎』を読み驚倒した。むかし書いた文章を貼りつける。

はるか昔ユークリッドはこう考えた。彼はまず、点、線、面という概念(観念)を素朴な感性に訴え定義する。そののちに直観的に自明と思われるいくつかの公理を設け、この公理系に無矛盾な系を演繹することで幾何学の世界を創った。しかし、このわかりやすさはユークリッドから二千年ののちにボヤイ、ロバチェフスキー、リーマン等によって自明性を喪失し、ヒルベルトがとどめをさした。ヒルベルトは『幾何学の基礎』で知覚に一切依存することのない、つまり自然を切断することによって、公理主義という数学の形式化をこころみた。近代の数学はここで終焉し、以後数学は数学的観念それ自体の自己表現の機構にうながされて構成的なものとして数学の対象とする世界を形式化していく。おそらく現代数学は自然の切断を代償として自己意識をもつにいたったということができよう。十九世紀から二十世紀の知の転換期に数学や精密科学はひとびとが先験的に自明なこととしてきた感性的な自然を切断することによって、それぞれの知の領域を不可避に緻密化してきたといえる。

「われわれは三種の異なるものの体系を考える。第一の体系に属するものを点といい、A、B、C・・・で表す。第二の体系に属するものを直線といい、a、b、c、・・・で表す。第三の体系に属するものを平面といい、α、β、γ、・・・で表す。・・・・われわれは点、直線、平面をある相互関係において考え、これらの関係を〝の上にある〟〝間〟〝合同〟〝平行〟〝連続〟などの言葉で表す・・・・」(『幾何学の基礎』)

幾何学に革命をもたらしたヒルベルトの『幾何学の基礎』は冒頭でこう始まる。いわゆる無定義語というものである。この思考はぼくにとって斬新だった。ここには明確にユークリッド幾何学からの飛躍が語られ、このようにしてヒルベルトは自然を切断した。ヒルベルトの数学では無定義語から出発した公理系はユークリッドの公理系とちがって、その公理群が実在の世界をどのように抽象しているのかということは問わない。そういう意味で彼の公理系はまったくひとつの仮説である。そこでは公理系が内部矛盾を含むか否かということだけが問題となる。つまり内部に矛盾を含まない整合性をもった系が演繹されるのである。カントールが数学の本質は自由にあるといったように、カントール、ヒルベルト以降数学の世界は内部的に無矛盾な整合性をもつならばどのように記述されてもよいことになった。ヒルベルトはひとつの仮説(記号の形式的な系)によって自然を切断した。しかしそれにも関わらず、ユークリッドの幾何学を内包し、アインシュタインは相対性理論にリーマンの幾何学をつかった。だいいちリーマンは彼の球面幾何学が自然をどう内在するかなどという問題意識をもともともたなかった。自然からとおく離れた数学が人間のプリミティブな感性を写像することの不思議がある。ヒルベルトにとって「ある相互関係を考える」ことは「空間的直感を論理的に解析する」ことだった。様々に変奏をうけながら対象となる事象を「ある相互関係」において解析することは構造主義やポスト構造主義に受けつがれた。(『内包表現論序説』)

わたしは思考の慣性について考えている。思考の枝葉のひとつが数学的精神であるが、数学には心身一如という拘束衣がないので数学の対象とする世界は容易に生成変化する。生の知恵は、生の技法といってもいいが、なかなか変化しない。思考しえないことが思考のなかにある。その思考しえないことを内包は思考している。共謀罪は国の治安を預かる者にとっては欲しくてありがたい自然であり、政府を批判する者にとっては縛られる自然である。もとより人間の内面は私性を基にしたちいさな自然によってつくられていることを内包論では前提にしている。大半の人びとに生の義があるとするとき「社会」主義が招き寄せられる。それがどんな厄災をもたらすか見聞したし、わが身で体験もした。
かつてカントールは無限を発見したとき、発見はしたが信じられないと言い、狂気に陥る。無限は四則演算することはできずただ濃度という概念をもつだけだった。実無限を発見したカントールと継時的無限の立場に立つフレーゲ・ラッセルの矛盾は解決しないままに、ゲーデルが不完全性定理という数学の屋台骨を揺るがす証明をやってしまい、大混乱を招いた。このとき思考しうることは明晰に、思考しえないことについては沈黙せよと言うヴィトゲンシュタインがゲーデルの発見を発明と読みかえることで危機を回避する。生前かれは『論理哲学論考』一冊しか公刊していないが、死後編纂された『哲学探究』があり、死後42年経って見つかった日記があり、『ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記』として翻訳されている。数学の発見を発明と読みかえるのは数学の明晰性についての盲点だった。ヴィトゲンシュタインの言語ゲームという概念は思考しえない神にたいする信仰を担保にして成り立っている。この信仰がなければヴィトゲンシュタインの言語ゲームという考えはひとつのアイデアにすぎなかったといえよう。秘匿されていた日記のなかで「生きるとは恐ろしいほど真剣なことだ」と言う。かれは生の知覚を次のようにも語っている。「人間はおのれの日常の暮らしを、それが消えるまでは気がつかないある光の輝きとともに送っている。それが消えると、生から突然あらゆる価値、意味、あるいはそれをどのように呼ぶにせよ、が奪われる。単なる生存-と人の呼びたくなるもの-がそれだけではまったく空疎で荒涼としたものであることを人は突然悟る。まるですべての事物から輝きが拭い去られてしまったかのようになる。すべてが死んでしまう。・・・・これこそが人にとって恐ろしいものでありうる本当の死なのである」。ヴィトゲンシュタインの気づきに親近感をもつ。『哲学宗教日記』を読むことがなければヴィトゲンシュタインはわたしにとって見知らぬ人だった。むかし『論理哲学論考』をめくったときその無味乾燥さに嫌気がし、なんだこの冷血動物と思った。『哲学探究』で開発された言語ゲームを見知ったときも、ふん、という気持ちだった。偶然『哲学宗教日記』をよみ一気に近しい気になった。ヴィトゲンシュタインにとって数学的思考などなにほどのことでもなかった。かれのずば抜けた知性でもっても生の仄暗い領域に歯が立つことはない。そのことをヴィトゲンシュタインはよく知り、そこをよく生きたと思う。かれはじぶんをじぶんにとどけたくてたまらなかった。かれにとってそのじぶんをふたりでひらくきっかけが神にたいするかれの、内面化もできず、共同化もできない、固有の信だったのだと思う。この信は思考しえぬものであり、だから語りえぬことについては沈黙せよとヴィトゲンシュタインは記した。

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ヴィトゲンシュタインと対極にある思考の型を取りあげる。どうやってもつながらない人と人の関係が啓蒙として語られている。じぶんにとどけたいことなどなにもないその見本のような言説。「おうちなう。京橋でがおがおと吠えて来ました。権力者が嘘つきで卑劣で攻撃的であるということのもたらす最大の災厄は『それが人間としての標準的なふるまいだ』と信じて、自分が嘘つきで卑劣で攻撃的であることに満足感を覚える人々を大量に生み出すことです。それはもう始まっている」(内田樹ツイート2017年6月17日)それがどうした。なにが言いたいのか。言われていることは俗知ではないか。内田樹の言説のどこにも言葉がない。じつにつまらないことが言われている。こんなことを伝達するために言葉があるのか。ああ、この人は言葉と出会わないように生きてきたのだな。一度も言葉と出会ったことがないと言ってもいい。啓蒙でしか言葉を語れない。レヴィナスと出会うということは言葉を生きることにほかならないが、何冊翻訳してもわからないらしい。じぶんをじぶんにとどけたいから、じぶんに向かって語りかけることが何かのきっかけでだれかにとどくこともある。ほかならぬこのじぶんはまったく内面を意味しない。じぶんをじぶんにとどけ、そのじぶんをふたりとしてひらくことと、言葉が言葉を生きることとはおなじことを意味している。その刹那、内面は消滅し外延知にとっての未知があらわれる。この未知のことを対幻想や往相の性より深い還相の性だと考えてきた。
だれにとどくともしれない、内面化不能の当てどない言葉を漕ぎだすとき、ふいに言葉が言葉を生きることがあらわれることがある。それは不意打ちであり、いつも名づけようもなく名をもたない。思考の慣性では思考しえないものがたしかにある。わたしたちの思考の慣性は曲率0のユークリッド幾何学に比喩されるものではないか。平行線公理の綻びから非ユークリッド幾何学があらわれたように、同一性という拘束衣を脱いで内包という驚異が躍り出てもいいではないか。変わるだけ変わって変わらない内包という灼熱がある。じぶんにじぶんをとどけ、じぶんをふたりとしてひらくこと。根源のふたりということが太初からあり、そのことによってヒトが人となった由縁は、だれのどんな生のなかにもちいさな灼熱の塊として内挿されている。もともといつも、変わるだけ変わって変わらないものとして、根源の性はだれのなかにも領域のように存在している。私性としては生の不全感として感知される。それは同一性的な意識の残余として生きられているが、内面化や社会化不能の名状しがたい、意識の外延性では語りえないものとして存在する。語りえぬ意識の残余が不全感として感知されることは、逆説的に私性の根っこが内包へとひらかれていることなのだ。だれの、どんな生にも、変わるだけ変わって変わらない、ひとは根源においてふたりであるという、知に先立つ事実が内属している。私性の根っこにそういうものがある。それは内面ではない。私たちが知る内面は共同性と密通する自然にすぎない。もっと深い自然があると内包論で言ってきた。わたしたちがまだ生きたことのない精神の自然がそこにある。この自然はある領域としてだれの生のなかにも根源の性として存在している。おそらく内田樹にはじぶんにとどけたい言葉はなにもない。戦後70年余、このような言説の総敗北として共謀罪がある。ただこの敗北は人類史としてつねに反復されてきたことであるとも言いうる。なにが本質的な問題なのか。モダンな人類史では知識人と大衆という生の分割支配が常態であり、そこでは帝国の臣民はシステムの属躰として存在することを余儀なくされた。むかしから人びとは総アスリートであったわけだ。この生の分割支配は、ユークリッド幾何学を非ユークリッド幾何学が包み込んだように、総表現者という理念によって拡張しうる。比喩としていうならば、曲率ゼロの平面上に統治と内面が振り分けられている。それだけのことだった。禁止と侵犯は生の常だった。この論理式において自己を定点とする認識が洋の東西を問わず棲み分けられた。それがモダンということの本質だと思う。もうひとつある。外延知が貨幣や科学や政治を表現したとしてもそれらはいつも共同幻想に閉じられている。外延知を内包知へとひらく鍵が還相の性にあるとわたしは考えた。性は自己と共同性の狭間にあるのではない。人は広義の性として登場するときだけ全人格的に全円的に生きられる。生も歴史も性から来て性に還るなかに表現の未知がある。変わるだけ変わって変わらない神秘がここにある。この生を生きることは歴史の未知を生きることにほかならない。この驚異に比べれば共謀罪など些末なことにすぎない。戦後72年の総敗北のひとつとして共謀罪があり、わたしたちの戦後がひとつの言葉も理念も生むことがなかったからこの事態を招いたのだと思う。生きられる世界をどう構想するか。そこにしか考えるに値する本質的な課題はない。(この稿つづく)

 

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