日々愚案

歩く浄土179:交換の外延性と内包的な贈与11:柄谷行人の単独者と社会性について

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言葉が言葉自身を生きはじめるときその言葉がどこに向かうのかをわたしたちは定かには知らない。それは自己に発する言葉の指示表出や自己表出によって編みあげられる既知の言語の美ではない。ちいさな自然のなかに生まれた言語の美それ自体のなかにある空虚な亀裂は依然として意識の牢獄に閉じられている。そんなものをわたしたちは文学の行為だと慰撫してきた。すでにこの意識の型は制度でありどこにも未知はない。内面(文学)と政治という類別が陳腐なことなのだ。内面も政治も共に意識にとっての自然であり、文学と政治はなめらかに結合する。文学は意識の劇についての制度であり、政治は人びとの生の固有性を縛る技術である。意識の外延知をどれだけ延伸しても、この意識の範型では生と政治が和解することは永遠に夢である。

言葉が言葉自身を生きはじめることは、内面化した自己の表現とはまるでちがう。自己に向けた言葉でも他者に向けた言葉でもない。言葉が言葉自体を生きるのだ。そのとき生きられた言葉はおのずと性となる。自己表現ということではなくて、言葉が内包化することで内面や社会という拘束衣を脱ぎ捨てる行為だと思う。表現の本質は自己にあるのではなく性にある。内面を表現することは文学という制度にすぎない。思考の慣性としてある文学はわたしたちの生の全体を表現することができない。おそらく言葉が言葉自身を生きはじめるとき、内面を貫通し、内面とはべつの世界を表現している。生や文学にとってのおおいなる未知だ。そういう文学をまだわたしたちは生きたことがない。この世界を内包的な表現と名づけてきた。言葉が言葉を生きはじめると自己は包越され性となる。そこにまだ生きられたことのない生がある。内包的に表現された性はわたしたちの生にとってまったくあたらしい生の様式だと思う。内面があり、内面が文学として表現されるということは思考の慣性であって、そこに生の未知はなく、この意識の型は充分に消費され尽くしている。自己表現を拡張すると内包表現になる。この理念は貨幣論についてもあたらしい理念をもたらす。外延知の文学が内包知の文学に転換するとき、どうじに交換は贈与へと相転移する。つまり内包的な文学は場面を変えれば貨幣の内包的な贈与をおのずから生きはじめることになるということだ。自己を定在とする意識のありようは制度としての文学をなぞり、貨幣の交換は価値の増殖を自動的に更新していくことになる。それがわたしたちの知るモダンな人類史だ。ここを思考の慣性ではなく、もっと根源的に考えてみる。文学と政治が密通し、貨幣が交換による富の増殖からまぬがれないのはちいさな自然であるわたしたちの生が分裂しているからだ。分裂することが生の恒常性だが、文学と政治という対位法は同一性が負荷したもので脱ぎ去ることが可能な拘束衣だと思う。ここに思考の慣性が作用している。生の不全感のありかを探し求めるとき観察する理性が邪魔をし生の不全感を外延する。観察する理性は生を分割統治する知的なまなざしだからだ。この意識の呼吸法ではじぶんをじぶんにとどけることができない。表現された言語の美もここをまぬがれることはない。生の不全感のうえにそびえ立つ社会も空虚が写像されたものだった。

マルクスさん、お聞きしたいのですが、貨幣はなぜ使用価値と交換価値の二重性として価値形態をもつとあなたは考えたのですか。あなたは貨幣の価値形態を解明することが貨幣の謎を解くことになると考え資本論を書きましたね。結局、価値形態論はこの世のしくみをなぞってしまうだけだとは考えなかったのですか。なぜですか。わたしが考えてきた内包論からすると貨幣の謎は解けていないようにみえます。なぜ貨幣は使用価値と交換価値としてあらわれると考えたのですか。貨幣の謎を解こうとする思想の構えが世界の無言の条理に組み込まれているのではないですか。なぜこんな簡単なことに気づかなかったのですか。すぐ思いつくことはあなたがモダンな意識の持主だったからです。貨幣には使用価値はあります。交換することもできる。そのとき資本は運動の過程で増殖します。あなたはそのメカニズムを詳しく解析しましたが、それはこの世のしくみをなぞったことにしかなりませんでした。マルクスさんの思惑は後の時代からキャンセルされました。あなたが考えたより人びとの生ははるかに煩悩にまみれ極悪深重でした。貨幣もそうです。ないならないなりにあるだけでやりくりしますが、あればもっと欲しくなるものです。これは人間という生命形態の自然ですね。なぜ価値形態は贈与へと相転移しなかったのか。貨幣という商品が交換過程に入ったとき、価値の増殖はなぜ贈与的な関係をつくらなかったのか。ほんとうはそのことを問うべきだったのです。マルクスさんがあまりにモダンな思考をもっていたからではないでしょうか。もちろん時代性はあります。歴史を人間の真の自然史につくりかえうるという強い信念があなたにありました。途方もないおおきな弓を時代のなかで引いたことはよくわかります。だれも成しえなかったことです。あなた以降、歴史に意志を体現するという人間精神の夢を語った人はいません。歴史はいつも否定性としてしか語られることはなくなったのです。しかし、マルクスさん、あなたの言葉が世界の無言の条理を覆すことがなぜできなかったのか、おおいに関心があります。わたしの理解ではあなたの方法意識がすでに現実に負けています。わたしの言いたいことはあなたにはたぶんわからないでしょうね。剰余価値はなぜ贈与と結びつかなかったのでしょうか。あなたは人間の個的な生存は社会的な存在であると思っていましたね。経済哲学草稿を読むと 人間は社会的な存在だということが頻繁にでてきます。ここであなたの思想はつまずいているのです。お気づきになりますか。このように意識を立ち上げるかぎり、言葉は現実に負けます。ないものをつくるのが表現です。言葉によって適者生存を包み込み、そこにあたらしい現実をつくるのが言葉の力です。現にあるものをなぞってそこから善きものがでてくることはないのです。もし、人間が社会的な存在ではなく、内包的な存在であるとしたら、価値形態論から導かれた剰余価値は贈与となったはずです。内包論と資本論のズレは経済学でなく人間という奇妙な存在の理解の仕方の違いからきているように思います。マルクスさん、おわかりですか。貨幣形態の謎は人間が社会的な存在であるというその生存のありようのなかにあったのです。交換は人間が社会的な存在であることを前提にしています。社会的な生存からは交換しかでてきません。それが世の条理ですよね。あなたの資本論はこのことを追認したのです。マルクスが究尽することのかなかった貨幣形態の謎ははじめからむきだしの生存のなかに組み込まれてしまっている。あなたほどの巨大な知の持ち主がなぜこんな簡単なことに撹乱されたのか不思議です。貨幣論は経済論ではないのです。存在論として貨幣を考えないと貨幣の謎は解けないのです。貨幣論がじつは存在論であることを、マルクスさんあなたは直観としてはつかんでいました。男性の女性にたいする関係のなかに人間にとってもっとも本質的なことが直接性としてあらわれているとあなたは考えました。まちがいなく生のリアルとしてあったと思います。そのとき、あなたは男性の女性にたいする関係は、人間の人間にたいする関係と同値であり、そのことは人間の自然にたいする関係とおなじことを意味すると、類推と対応の魔力で三つの推移律を結合しました。人間の真の歴史を自然史として回復したいという渇望がマルクスの思想の根柢にある。男性の女性にたいする関係は内包的な関係であり、その核に還相の性という灼熱の塊があるから、還相の性を起点とすると、人間の人間にたいする関係は喩としての内包的な親族となり、貨幣は交換ではなく贈与となってあらわれるのです。この機微をあなたは知ることがありませんでした。

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柄谷行人はほかのだれともちがうあたらしいマルクス解釈を構想し、マルクスの思想を可能性の中心で読み解こうとした。柄谷行人にはマルクスの思想を読みかえることでひとつの世界構想を示そうという野心があったと思う。頭の中に溜め込んだ知識を駆使し観察する理性として世界を読み解くということだ。世界はこのように解釈することもできるということを手にしたかった。市民主義の理念を越えようとしたことにおいて吉本隆明の『共同幻想論』と柄谷行人の『探求』は双璧をなしている。吉本隆明の幻想論は数多く論究されてきたが、マルクスの思想を導きの糸とした柄谷行人の試みが耳目を集めてきたようには思えない。『探求』は恐ろしく孤独な書物だと思う。空虚から始めなにを手にするのか。市民主義に回収できない否定性をどう超えることができるか。生の不全感を解消することはできるか。これらの問いを柄谷行人は精一杯考えてみた。マルクスの思想を外の思考によって解読した軌跡だと言える。意識の外延表現として思考の限界までは達していると思う。

かつて竹田青嗣や加藤典洋らと柄谷行人によって共同性をめぐる論争があった。消費社会が興隆するなかでの言い争いだった。竹田青嗣は悪い共同幻想から狂気の共同幻想を抜きだし、良い共同幻想を一般意志としてルールにし、私性についてはモラルを提唱した。共同体が嫌いな柄谷行人は単独者を唱え独我論を超えることで単独者の連結する社会性という概念を提起した。わたしは苛立ちながらどちらの立場にも批判的だった。竹田青嗣や加藤典洋の立場は内田樹や高橋源一郎に引き継がれ延々と民主主義が使い回され、戦後の72年は総敗北を期し、共謀罪ができた。民主主義の理念はさらに退行し内田樹によって天皇制的民主主義が唱えられ始めた。安倍の妄想に沿って思想も無限に退行する。あっというまに消費社会の中流幻想は潰え、わたしたちは超格差社会のただなかを生きている。観念の行き途としては柄谷行人の探究のほうに分があるとわたしは思う。なにが思考の限界かをつかんだわけではないが、少なくとも思考しえぬことを柄谷行人は思考しようと試みた。戦後の総過程は総敗北としてあらわれた。加藤典洋は共同体を内側から開ける鍵が必要だといっていたことを覚えている。共同体を内側から開ける鍵はない。むろん内部を外部化した社会性のなかにもない。4半世紀前に書いた共同体の内と外をめぐる諍いについてのわたしの意見を貼りつける。いまでも有効だと思う。

世界をよく感じ、徹底して考えつめると、ヘーゲルが手つかずに不明のまま遺した、あるということにまつわる明晰がもつ弛みに気がつく。思想にとって決定的なのは、「存在」でも「同一性」でもなく、それらが内包存在に順伏するということなのだ。全くの思考の未知がここにある。内包が外延化された以降の「存在」や「同一性」についての精緻な記述はヘーゲルでも、ヘーゲルを受けたハイデガーでも、意識の第一次の自然表現としては、おおむね妥当なものであるといってよい。わたしたちの思考の慣性は外延表現にあるから、近代を超えようと意欲した現代が、「同一性」の弛みを「差異性」に拠る解体表現によって巻き返そうとしたのは、カラスになぜ鳴くの、と訊くようなものだった。勝手でしょ、とポスト・モダンは考えた。嗚呼。
しかしいずれにせよ大文字の「同一性」が意識の線状性として見え隠れしていることに変わりはない。問題は「同一性」か「差異性」か、ではなく「同一性」の拡張なのだ。あるものとそのものは、厳密には内包の関係にあって同一ではない。あるものを往相とすれば、そのものは還相として、あるものに関係する。あるものがめくれて他なるものとメビウスの環をなすから、ひるがえって、あるものはそのものに重複する。それが本然であり道理だ。わたしは外延する意識にとってはかなり変な、しかし内包する意識にとっては自然を語っている。たしかな手応えがわたしにある。近代がかたどった現代は、存在論の拡張においておのずと拓かれる。近代の天才も、彼らを模倣する者も、思想のこの機微を知らない。そういう意味では「外部」が好きな笠井や柄谷は、自己意識の外延的表現がたどりつく必然を身をもって演じているといってよい。

自己同一性が内包存在という主体のかたわれだということは、〈わたし〉の根源が〈あなた〉であり、〈あなた〉の根源は〈わたし〉であることに発祥する。あるものが他なるものに重ならないなら、なぜ、あるものがそのものに等しいということがおころうか!「自」がかまえをほどくその度合いにおうじて「他」がそのなかに陥入し、ふいに自・他が反転する。この事態のことを内包と呼ぶ。わたしはこの驚異をそのまま主体とする存在論が可能だと思う。二項対立を超えるのではない。この世界には、第一項も第二項も、「内部」と「外部」を可能とする第三項さえも存在しない。内包存在によって自己同一性は拡張しうる。

AとBが関係し、AでもなくBでもない第三のXが生成されるとき、わたしたちの超越の経験がはじまる。このときAやBによってXを言いあらわすことはできない。AがわたしでBがあなたであろうと、あるいはAが権力でBが反権力であろうと、AとBが相関し相克する事象であれば、対象は任意であってかまわない。いずれにせよXはAでもBでもない出来事としてある。無窮のXはふるくは神仏として、近代にあっては自己意識の無限性として、先頃のわが国のポストモダン騒ぎのときは「外部」として、さまざまに言表されてきた。しかしただの一度もそれが正確に言い当てられたことはない。

内包存在を同一性原理で切りぬくと、存在は、利己と利他へと分裂し、自己の陶冶と他者へのある配慮は矛盾としてあらわれるということにわたしは気づいた。一九七〇年代末を節目とした社会の転換があり、空白の一〇年をめぐって争われた不毛な論争の数々のしくみが見えてきたということだ。私性の擁護と当事者性なき他者への配慮について、ふるくは「共同体」派と、「外部」派のなまくらな水かけ論があった。深刻めかした対立はかんたんなしかけだった。私性の優先であれ、口先の利他の優先であれ、いずれも同一性原理から派生した自己をめぐる倫理主義のふたつの分裂した態様であり、理念としては同型であって、ただ対称性をなして倫理主義としてねじれているにすぎない。この道行きは閉じられている。いまもなおこの不毛なたいくつな遊びは続いている。(『guan02』)

以前、雑誌に掲載されたゲーデルの不完全性定理を使いこの国の文芸オタクを脅迫した「言語・数・貨幣」を読んだとき、なんだこいつと思った。まるで大学の哲学紀要みたいで人の気配がまったくしなかったからだ。表現ではなく記号論として読んだ。いまは好悪とは関係なく少し違う印象をもっている。『探究』で、柄谷は「売る-買う」や「教える-学ぶ」関係の非対称性にこだわっている。わかるんだな、これ。制度ではない「この」固有の私をどうつかみだしたらいいのか、柄谷はまじめに考えている。共同体のなかで自己を語ると独我論になる。わかる。「この」固有の私にとって内面化不能の他者の絶対性ということがじかにかかわってくる。わが身をつまされる。思考の限界はいつも空間化して語られる。語りえぬことを空間化するのは思考の慣性だと思う。この思考の慣性を振り切ることはすごく難しい。かつて「あるものがそのものにひとしいというとき、あるものと、そのもののあいだに根源の一人称をおくとどうなるか」(『guan02』)と問い、10年余思考がフリーズした。本人は気づいていないが、おなじことが柄谷行人にも起こっている。交換の発生について柄谷行人はつぎのように言っている。

「教える」立場ということによってわれわれが示唆する態度変更は、簡単にいえば、共通の言語ゲーム(共同体)のなかから出発するのではなく、それを前提しえないような、場所に立つことである。そこでは、われわれは他者に出会う。他者は、私と同質ではなく、したがってまた私と敵対するもう一つの自己意識などではない。むろんこの場所は、われわれの方法的懐疑によってのみ見出されるものである。
 たとえば、マルクスは、商品交換は「共同体と共同体の間ではじまる」といっている。共同体の内部においても、交換はあり、レヴィ=ストロースが明らかにしたように交換体系がある。しかし、大切なのは、共同体と共同体の間での交換なのだ。この「間」は、どこでという空間的な問題ではないし、いつという歴史的な問題ではない。マルクスがいうように、これは「抽象力」によってのみ接近しうる問題である。いいかえれば、それは、共同体(言語ゲーム)と共同体の「間」において、いかにして交換(コミュニケーション)がなされうるかという問いなのである。
 それは、なんら通約可能なものをもたない二つの異なる物がいかにして等置されるのかという問いと同じことのようにみえる。しかし、たとえば共同体の内部では、たとえば家族の内部でそうであるように、交換はそのような難問に出合わない。しかも、先の問いは次のように変形されなければならない。同一の物が、異なる共同体によってなぜ違った価値をもつのか、と。交換が難問となるのは、-コミュニケーションが難問となるのはといってもよいが-、共同体と共同体の「間」においてのみである。
 マルクスは、この交換関係を価値形態として論じている。すなわち、相対的価値形態と等価形態という関係の非対称性として。卑俗にいいかえれば、それは売る立場と買う立場の非対称性にはかならない。この非対称性は、けっして揚棄されない。それは結局、貨幣(所有者)と商品(所有者)の関係、あるいは資本と賃労働の関係の非対称性に変形されるだけである。(『探究 Ⅰ』)

『日本近代文学の起源』を書いた頃に、柄谷行人は「私は制度である」と言っていたように記憶している。『隠喩としての建築』の頃だったかもしれない。「私は制度である」という「私」があるだけではないか。独我論に単独者を屹立させようとすれば、文学批判として対抗的に語るのではなく、嫌悪する「私」という現象を究尽すればいいではないか、と思ったことをかすかに覚えている。けっして内面化しえない他者の絶対性は柄谷行人の生のリアルとしてあったのではないかとわたしは思っている。レヴィナスが『時間と他者』で〔他者〕は恋人であり、のちの妻であると語っているところがある。柄谷行人にもそれがあった。「この私」の固有性ということに柄谷はしきりにこだわる。独我論の「私」は特殊と一般の関係にあり、「この私」は普遍と対応すると柄谷は言う。これはよく理解できる。ところがいつのまにか、内面化しえない他者の絶対性が他者一般に変質してしまっている。おなじことがレヴィナスの他者にも言える。ここは思考することの難所に充ちている。柄谷も「この『間』は、どこでという空間的な問題ではない」と言い、「『抽象力』によってのみ接近しうる問題である」と釘を刺している。「間」の素朴な実体化ではないと言いたいわけだ。わたしの理解では柄谷が空間化ではなく抽象力によってのみ接近できる問題というとき、抽象力そのものをかれは空間化している。柄谷さん、わかるかな。あいだはと共にを分有することであらわれるのであって、柄谷の抽象力という概念は垂直に運動する時間の概念としてしか表現できない。しかもこの抽象力は思考に先立って存在している。未分化な時空のなかにこの思考は存在している。西田幾多郎が自己のなかの絶対の他というとき、その他は自己の変形にすぎない。だから自己は容易に社会化され自然生成となる。禅仏教の悟りなどその程度のことなのだ。自然に融即する技芸が自然生成の境地として語られ、可視化すると天皇制となる。観念はこれほど通俗的に表現することもできるわけだ。

意識の外延表現はさまざまにありうるとしても、自然への融即の術が内在的に外延知を超えることはない。親鸞だけがこの聖道を他力へと拡張した。即ち自然法爾。思考しえぬことを思考しようとすると思考はその限界で思考しえぬことを空間化する。だれも避けることはできないのではないかと思う。ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』のまえがきで、「本書は哲学の諸問題を扱っており、そして-私の信ずるところでは-それらの問題はわれわれの言語の論理に対する誤解から生じていることを示している。本書が全体としてもつ意義は、おおむね次のように要約されよう。およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。かくして、本書は思考に対して限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対してと言うべきだろう。というのも、思考に限界を引くにはわれわれはその限界の両側を思考できねばならない(それゆえ思考不能なことを思考できるのでなければならない)からである。したがって限界は言語においてのみ引かれうる。そして限界の向こう側は、ただナンセンスなのである」。ヴィトゲンシュタインはこの物言いに復讐され、レンガ壁のすきまに『哲学宗教日記』を秘匿し、かれの死後42年経ってそれが発見される。その一節を引用する。「生きるとは恐ろしいほど真剣なことだ」「人間はおのれの日常の暮らしを、それが消えるまでは気がつかないある光の輝きとともに送っている。それが消えると、生から突然あらゆる価値、意味、あるいはそれをどのように呼ぶにせよ、が奪われる。単なる生存-と人の呼びたくなるもの-がそれだけではまったく空疎で荒涼としたものであることを人は突然悟る。まるですべての事物から輝きが拭い去られてしまったかのようになる。すべてが死んでしまう。・・・・これこそが人にとって恐ろしいものでありうる本当の死なのである」。このような生のリアルがヴィトゲンシュタインにあり、神への信をもち、かれはそのなかにいてそこを生きた。ゲーデルの不完全性定理を数学の基礎をゆるがす出来事ではなく、数学的な言語が一つの発明をしたにすぎないと、危機を回避できた。なぜそれがヴィトゲンシュタインに可能だったかというと、生は「ある光の輝きとともに」あるからだとかれは言う。そういうものは柄谷行人のなかにはない。『探究』を通じてかれが手にしたものはけっして回収されない否定性だけだったと思う。それは単独者という独我論にすぎない。けっして内面化しえない他者は「と共に」ということのなかに生きられる驚異である。だから内面化することも社会化することもできないのだ。この逆説を柄谷行人が生きることはなかった。単独者は共同体ではなく社会的であるというとき、考えるべきもっとも困難な思考の限界は断念され空間化されている。内面化し得ない他者の絶対性ということは、わたしより近くにいるあなたということで、だれのなかにも、そのことをその人が意識するかどうかにかかわりなく内挿されている。極悪深重や煩悩という、語りえない私性としてある同一性的な意識の残余が、目に見えない細い糸のようにして人の生に内在する根源の性につながっている。だれのどんな生のなかにもこの灼熱のかたまりは内包的な存在として内属している。そして、だれもがこの驚異を生きることができる。

    3

吉本隆明は柄谷行人の共同体についての発言を猛烈に批判する。

客 ついでに柄谷行人の珍説「共同体」と「外部」というひとさわがせも、やってしまおうよ。ただおれたちは柄谷や蓮實や浅田のようにきちっと読みもしないで批評したり、スターリニストのように、もともと本の読み方から判らない連中といっしょくたにされたくないから、柄谷のいわんとする(いいたい)モチーフだけは判っているといっておこうよ。いかんせん柄谷は社会科学的な概念にまるで無知なんだ。柄谷のいう「共同体」というのは共通のコードで閉じられたシステムのこと。これは「社会」とは別のもので、「社会」をおなじ言い方でいえば共通のコードなどもたないで単独のメンバーが他者との交通でつくりあげているネットワーク空間のこと。もうひとつ人間は「共同体」の内部にあるとき「個体的」であると呼び、「社会」のなかにあるとき「単独的」であると呼んで、区別する。もうすこし柄谷のためにいっといてやれば、消費の性格は「共同体的」で生産の性格は「社会的」だということにする。もうここのところで「共同体的」という規定の意味も「社会的」という規定の意味もすこしずれて変貌してしまっているのだが、そんなことこまかくあげつらっても仕方がない。いいたいモチーフだけはわかるとしておこう。ここから国家=共同体という粗雑で論議の対象にも批評の対象にもならない規定がでてくる。そしてなぜこんな阿呆らしい規定を設けたか、これもモチーフだけはよく判る。「共同体」の内部と「外部」とを弁証的に扱いたいからだ。「共同体」(=国家)の内部だけで文化を扱えば先験的に普遍性たりえない、「共同体」(=国家)の内部は「外部」なしには存在しないからだ。また「外部」だけでも普遍性は成立しない。「共同体」(=国家)の内部にありながら「外部」を踏まえ、「外部」に立脚するときは共同体(=国家)の「内部」の存在が意識されていなくてはならない。それがわかっているのは柄谷と蓮實と浅田という三バカだけだといいたいわけだ。こんな阿呆らしい論議を真面目にきいていられるか。ただいいたいモチーフだけはここでもよく判る。そしてそれは勘ちがいだとおれには見える。三バカは「共同体」(=国家)という考えでも、「内部」と「外部」ということでも勘ちがいだ。でも柄谷や蓮賓のいいたいモチーフだけはよくわかるし、それは何らもっともらしいていさいを必要としていない。

主 よしそれくらいでいいよ。おれもひとつ柄谷の国家=共同体説を批判しておこうか。「国家」は柄谷のかんがえているものとまったくちがう。それは小さな共同体が空間的にもコード(法律、習俗、宗教、倫理等)的にも拡大していって、ある大ききになったものじぁない。第一に、マルクスが「国家」と呼んでいるものはそんなものではなく、ひとつの意思(国家意思)で動いている生命体や有機体に比喩できるような統一意思にがっちりハマリ込んだものをさしている。たんにある大きさと共通のコードをもった共同体ではない。第二に、「国家」は第三権力を起源としたもので「共同体」であることも「共同体」外の存在であることも、「共同体」間の存在であることも、具体的にはありうる。「共同体」=「国家」などという国家は、けっしてないとはいわないが、それは稀なことだ。たとえば利害相対立しているいくつかの共同体があったとする。これらの共同体が相談合して、その何れの共同体にも属しないで、しかもそれらの共同体の合意に基づいて第三の権力を求め、作り出し、その第三の権力のきめたコードになら従うと同意したとき、この第三の権力が起源の「国家」ということになる。第三に利害相対立するそれぞれの共同体は自衛や攻撃のため民衆に武装力をもたせ、非常のときに備えるようになる。ところでこれとはまったく別の次元で第三の権力が自衛の武装組織をもったとき、この第三の権力を「国家」というんだ。(『情況』所収「情況への発言1998年2月」)

よしそれぐらいでいいよ。柄谷行人と吉本隆明の言説は対立しているようにみえる。ある意識の呼吸法をとればどちらの立場もありうる。それはわたしが柄谷行人の意見に与するということを意味しない。柄谷も吉本も思考の型としてはまったく同型である。なぜ同型なのか。外延知を語っているからだ。わたしはつまらない諍いにすぎないと思う。吉本隆明は詩人でもあるが、消費社会の全貌をつかみたい吉本の内面は空虚である。「精緻に〈読む〉ことがそれだけでなにごとかであるような現在の哲学と批評の現在は、この事態を物語っている。このなにかの転倒は、すでに現在というおおきな事件の象徴だとおもえる。(略)この現状では〈わたし〉はただ積み重ねられた知的な資料と先だつ思考のなかに融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない。そして〈考えること〉においてすでに存在しないものである以上〈感ずること〉でも、この世界の映像に融けてしまって、すでに存在しないものにすぎない」(『言葉からの触手』)この生の不全感を括弧に入れて語られる世界認識とはなになのか。小さな親切おおきなお世話だと思う。この空虚を主題としてかれが表現をなすことはなかった。だから肯定される消費社会の全貌も空虚だった。消費社会に否定的な意見はスターリニストだとさればっさり切り捨てられた。吉本隆明は消費社会のもたらすものを肯定するために二度目の転向をしたと公言してきた。欠如や貧困を土台にした表現はスターリニストであると。吉本さん、あっというまに超格差社会になりましたね。こんどはどんな転向をしますか。1990年に吉本さんとお話をしたとき、これからハイパーリアルなむきだしの生存競争の時代になると申し述べたら、あなたの世界認識はまちがっていると吉本さんは言った。吉本さん、見事にはずれましたね。柄谷は生の不全感に自覚的であり、この生の直覚から言葉を立ち上げようとしている。『探究』を読むと柄谷がヴィトゲンシュタインに親近感をもっているのがよくわかる。頭の中を知識でいっぱいにして生の不全感をつかもうとしていることは『探究』を読んでいてわかる。蓮實や浅田と下手な漫才をやり内輪ネタに興じていたのは事実だとしても、かれが参照する偉大な知に取り囲まれてせめてなにかひつだけでもオリジナルな概念をつくろうとした柄谷は真剣だったと思う。生の不全感を言語化しようと単独者という考えを編み出し、その連結を社会性としたとき、かれが手にしたものはけっして回収されない否定性、つまり空虚だった。吉本隆明の空虚と柄谷行人の空虚はおなじものではないか。わたしは外延知の必然だと思う。外延知は生が空虚であることを発見する。在るのざわめきのなかに絶海の孤島みたいなものとしてわたしたちの生があるのか。そうではない。人は根源において二人称である。

対象に近づく手つきが吉本と柄谷の違いとしてある。吉本隆明は大衆を媒介に対象をつかもうとし、柄谷行人は外部を媒介に意識の牢獄をひらこうとしているようにみえ、世界という解けない主題を、「社会」主義という解けない方法で解こうとして、おなじ思考の型に陥っている。いずれの方法も意識の外延知として一括りにできる。この意識の型ではじぶんをじぶんにとどけることはできない。ましてそのじぶんをふたりとしてひらくことなど考えることもない。たしかに吉本隆明は自己から始まり家族を媒介に国家ができるしくみを明晰に解明した。かれの思想から多大な恩恵をうけた。共同幻想という思想がなかったらわたしはいまいる場所に来ることができなかったと思う。そういう意味では柄谷行人の『探究』にはなんの影響もうけていない。柄谷の『探求』とは無関係にわたしは生きてきたが、いまわたしのいる場所からかれのやろうとしてことがよくみえる。
吉本隆明は激しく柄谷行人を論難しているが、たしかに、つねに、吉本隆明は単独で意見を表明し、だれとつるむこともなかった。吉本が三バカというものたちは縁故主義のような、なれあいの関係だったこともしっている。そのおまえがなぜ『共同幻想論』と『探求』を双璧をなす著作であると言うのかと問われると市民主義を越えようとした者はかれらふたりしかいないという単純な事実に帰せられる。吉本隆明はあらゆる共同幻想は消滅すべきであると言ってきたが、ではどうやれば国家から降りることができるか、なにも言わなかった。親鸞の還相廻向から着想して帰りがけの知のありようについては言及してきたが、思想の全体を還相の過程にもっていくことはできていない。ちまちました国家を相対化する手続きについては言ったがなんの現実性もなかった。偉大なフーコーの知性がやったことはボートピープルの支援だった。頭の中に舶来の知識を詰め込んだ柄谷行人が、俺って頭いいだろうと誇示しながらやったことは、地域通貨のNAM運動で、その運動がどう始まりどう消えたのあいまいなままである。わたしはふたりとも意識の外延性を可能なかぎり延伸したと思う。柄谷もいまは好々爺で憲法は日本人の無意識などとつまらぬことを言っている。いい加減にしてくれよ。マルクスを繙きながら単独者とその連結を社会とすることで共同的な呪縛と独我論をぬけでようとした。民主主義を使い回す機能主義者たちより誠実だと思う。しかし、柄谷行人の「売るー買う」や「教えるー学ぶ」という関係の非対称性は、柄谷が思索を究尽できなかったことが思想の緩みとして語られている。肝心なことがわかっていない。知識に壟断されて身体に根ざした、かれの生から生えてくる言葉の強さがない。せいぜいが文化人やその卵を煙に巻くことしかできなかったと思う。生の不全感から共同体的ではない社会性を市民主義の理念を超えてつくりたいというモチーフは理解できる。その社会性にしても共同幻想にすぎないではないか。そうすると柄谷のなにが評価できるか。おっつけ柄谷は奇矯なことを言い出す。世界共和国へ、と。国家はよくても災いではないか。なにも考えてこなかったのだと思う。たんなる言ってみるだけの知の戯れだ。言いたいなにがなんであるか、頭の中に詰め込んだ知識によって覆い隠されてしまったのかもしれない。どう考えてもヴィトゲンシュタインの思考の狂気のようなものは柄谷行人のなかにはない。民主主義を信奉する者たちを嫌悪したあまり、知の大海を言葉で漕ぎ渡ろうとして、知の大海で遭難したようにみえる。(この稿つづく)

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