日々愚案

歩く浄土169:情況論56-外延知と内包知7:アーレントの凡庸な悪について2

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交換の裏返しの贈与ではなく、内包的な贈与を考えはじめると、内包的な贈与がじつは存在論であることに気づき、文化人類学の知見があたまのなかに入ってこなかった理由が腑に落ちる。対象を観察し、解析するという理性のありかたでわたしたちの奇妙な生を名づけることはできない思いがそこにあった。かりに観察する理性を知識と呼んでみる。知識によって生を整序することはできない。わたしはすでに全一的な存在としてわたしの生を生きており、この生が切り刻まれることを知識として受け入れることができなかった。頑なであるということとはちがう。知識の言葉がわたしの身につくことはなかった。理性を担うほど自己は自明ではないとながく考えてきた。いつの頃からこういうことを考えはじめたのか。ものごころがついた幼少時よりあったような気がする。青年期に時代の刻印を深くうけ、急進的な一人の行動者として世界を一身に浴びた。本格的に考えるという行為が押し寄せてきた。その全過程を通じていちども文化人であったことはない。身をしのぐことで精一杯で、考えているその行為に対象的になる余裕がなかったというべきか。わたしはわたしの身に起こったことがどういうことかをつかもうと日々をつないできた。わたしたちが自明としてきた思考の慣性を転倒するほかにあたらしい生の様式や表現はないという思いは痛切だった。わたしの思考に世界は遅れて到達しつつある。

内面と社会という思考の慣性では生きられなかった。わたしの生存を貫通したいくつもの出来事がどういうことであったのか、わたしはじぶんの言葉でつかみたかった。だれのどんな本を読んでもわたしの探していた言葉はなかった。ひしひしと日をつなぎ、人間は内面的であるとどうじに社会的な存在であるということはどういうことかを考えつづけた。考えるというその行為はどういうことであるかそのことを考えつづけ、ふと気づくと50年近くすぎている。すこし感慨があるが、どこに到達したというわけでもない。内面と社会はひとが生存のありように強いられて身につけた自然の差異のことである。自然にふたつの刻み目を入れたということ。ひとつは社会、もうひとつが内面と呼ばれている。わたしたちの人類史は同一性という認識を基盤にして自然を差異化した。おおきな国家や政治という自然と、慰安としてのちいさな自然。あるものがそのものにひとしいことは明証であるという意識のことを自己意識の外延表現とわたしは呼んでいるが、この意識によって自然は相克するふたつの自然を扇状地のように重畳してきた。人間は社会的な存在や内面的な存在ではなく、内包的な存在である。悶絶しながら内包的な存在がどういうものであるかを言おうとして、いくつか手作りの理念をつくった。いまそれらの理念を使い世界を作曲している。一枚の絵を描こうとしている。

貨幣は外延知の表現であるが、わたしは贈与論を内包知として構想している。貨幣論と贈与論は思考の位相がちがう。貨幣論は同一性という思考の慣性にそって隈取られているが、贈与論は内包論を公準として叙述される。贈与論は経済論ではなく内包存在に準拠して構想されている。経済論としての貨幣論は適者生存というこの世界の無言の条理をなぞるものであり、内包的な贈与論は経済論ではなく、存在論に属する。経済論としての貨幣論は総アスリートに属し、内包的な贈与論は、総表現者という同一性的な表現にとって未知である根源のふたりに基盤をおいている。貨幣論と贈与論が違うように総アスリートと総表現者の概念はまったく違う。貨幣論は同一性的な経済論であり、内包的な贈与論は還相の性を基準とする。わたしのなかでは同一性的な思考の慣性の拡張として内包的な贈与論が構想されている。わたしのひそかなもくろみによれば、還相の性を世界の統覚とする贈与論は未知にむかってひらかれている。

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内包論の世界からは同一性の覚者たちが表現した思考とはちがった光景が遠望される。あるのざわめきのなかに囲繞され絶海の孤島に生きる人間を、ハイデガーは存在と存在者の存在論的差異として記述した。アイヒマンの悪の凡庸さがこの狭間に棲息している。アイヒマンはハイデガーの別称でもある。ハイデガーは同一性と差異性についてつぎのように考えた。後期のハイデガー哲学には存在の明るみがあると言い習わされている。わたしはその理解は虚偽であると若い頃から考えていた。存在の明るみではなく、あるのざわめきというニヒリズムを一歩も踏み出していない。アイヒマンとおなじくハイデガーがナチへの荷担を痛苦な体験としたことはない。戦後ナチと連合軍によって二重に迫害をうけたというのはハイデガーの本音だと思う。悪の凡庸さを回避できるのがハイデガーの哲学の真髄である。村上春樹の作品が好まれるようにハイデガーの哲学に深遠な思想があると錯覚できる。村上春樹の作品やハイデガーの哲学が悪の凡庸さそのものであることに人びとは気づかない。ある思考が穿った穴はどうやっても埋まらない。ハイデガーは神という超越を存在と読みかえている。ハイデガーは神という超越ぬきに人間という現象を表現できるかと考えた。その意図は理解できる。エックハルトや親鸞ほど徹底することができなかった。エックハルトと親鸞の思想にはニヒリズムのかけらもない。そのはるか手前でハイデガーは屈している。

『存在と時間』を書いて名声をえたハイデガーは自身のナチへの荷担を経て大戦後に哲学を転回したといわれてている。並外れて詐術の巧みなハイデガーは神も仏もなかった戦争のほとぼりが醒めると存在の明るみを主張するようになる。1957年に「同一性の命題」「形而上学の存在-神-論的様態」を書く。1960年にふたつの論文を併せて『同一性と差異性』として出版される。この本はアマゾンから購入した。一読してごまかしの巧みさに呆れる。ここには目新しいことはなにも書かれていない。あるものがそのものにひとしい自己相等を保証する認識の形式が同一性だと定義している。自己相等を統覚する認識をハイデガーは同一性と呼ぶ。ある者がその人に等しいことを各自性と呼ぶが、各自性が各自性として成り立つのは同一性があるからだ。存在者は存在の一部で存在と存在者が不即不離であることは、神人の原理としてヨーロッパ的な知として古くからあった。この観念の型を神という超越抜きに存在と存在者として語ることができるか、それがハイデガーが企図したことだった。神と人との関係が存在と存在者の関係に模写され、存在者は存在のモジュールとなる。ハイデガーの同一性についての考えをわたしの関心に従って引用する。

 同一性の命題は、周知の形式に従ってA=Aと表わされる。その命題は最上位の思考法則と見なされている。我々はこの命題について、しばらく熟考を試みよう。何故かというと我々はこの命題によって、同一性が何であるかを知りたいと思うからである。

 同一性の命題が一般に表わされる仕方A=Aという型式は何を言い表わしているのであるか? この型式はAとAとが相等しいこと〔相等性〕を表わす。等しいということには少なくとも二つのものが属している。一つのAが一つの他のAと等しいのである。同一性の命題はそのようなことを言い表わそうと欲するのであるか? 明らかにそうではない。

 それゆえにAはAである(A ist A)という同一性の命題に対する一層適当な型式は、ただに各々のAはそれ自ら同じであることを言い表わすのみならず、更にそれ自らと各々のA自らは、同じであることを言い表わしているのである。この自同性のうちには、それ自らとの関係、従って媒介、連結、綜合、即ち統一性への合一ということが存している。西洋的思考の歴史を通して同一性が統-性の性格をもって現われることは、以上のことに由来するのである。しかしながらこの統一性は決して、それ自らにおいて他との関係を有せず、ただ一つの無差別なものに固着しているという気のぬけた空虚さではない。けれども同一性の内で支配し且つ古い時代から既に知られている関係、つまり各々のAとそれ自らとの関係を、かかる媒介として確立し且つ特徴づけられて現われるに至るまでに、更にまた同一性の内における媒介がかく出現するために一つの土台が見出されるまでに、西洋的思考は、二千年以上を要しているのである。(『同一性と差異性』1~8p)

ハイデガーは同一性をマトリョーシカ人形を入れる器みたいなものとして考えている。あるものがそのものにひとしい自己相等が成り立つには同一性が要請されるということだ。そのとおりだと思う。同一性によって存在が存在者へと相転移し、森羅万象はそれぞれちがうものだと認識可能になる。かつて神と人の間柄についてさまざまに言表されてきた。神という観念の神通力が廃れてからは神と人との関係は存在と存在者の関係に転位してこまかく論じられてきた。存在と存在者の差異についてハイデガーが一つの知見を加えたのは事実だが、世界を思弁的に形式で語るときのハイデガーのなかにはアイヒマンが棲んでいる。「同一性の命題」でハイデガーは言う。

我々が思考を人間の特質として理解するときは、人間と存在とが出会うところの結合を、熟考するであろう。そのとき突如として我々は次の問いが押し迫ってくるのを知る、存在とは何か? 人間とは何者であり、また何であるか? 誰でも容易に解ることは、これらの問いへの充分な答えをもたずしては、我々が人間と存在との結合について何らか信頼すべきものを成立させうるところの地盤が、我々には欠けているということである。(15~16p)

『同一性と差異性』と同時期に書かれた本の中でつぎのようにハイデガーは発言している。

無傷の健全なものと同時に、存在の開けた明るみのうちには、憤怒に燃えた悪事も出現する。憤怒に燃えた悪事の本質は、人間行為のたんなる背徳性のうちに存するのではない。むしろ、憤怒に燃えた悪事の本質は、深い激怒の邪悪さにもとづくのである。しかし、無傷の健全なものと、深い激怒に駆られたものという二つのものが、存在のうちに生き生きとあり続けることができるのは、実はただ、存在そのものが争いを含んだものであるかぎりにおいてのみ、である。争いを含んだもののうちにこそ、歪む働きの本質由来が隠れ潜んでいるのである。(中略)ところが世間の人は、歪む働きなどは存在者そのもののうちのどこにも見出されることはできない、と思い込んでいる。(中略)歪む働きは、存在そのもののうちに生き生きとあり続けるのであって、そうであるからこそ、私たちは、歪む働きを、存在者に付着する何か存在者として、けっして見つけることはできないのである。(略)存在というものが初めて、無傷の健全なものに、恩寵のうちで立ち現れることを許してくれ、また、深い激怒に、災禍へと向かって突き進むなだれのような殺到を許してくれるのである。(『「ヒューマニズム」について』)

 宇宙の茫漠として果てしない空間の中にある地球を思い浮かべてみよう。たとえてみれば地球は小さな砂粒であり、同じおおきさをした隣の砂粒との間は一キロ メートルもそれ以上もあって、そこには何も存在しない。この小さな砂粒の表面にうようよとはいまわる愚鈍な動物の一群が生きていて、それがほんのしばらくの間、認識するということを案出して、賢い動物だと自称している。(略)全体としての存在者の中では、われわれ自身が偶然その一人である人間と呼ばれるこの存在者を特に重要視するいかなる正当な理由も見あたらない。(『形而上学入門』)

かろうじてただ神のようなものだけがわれわれを救うことができるのです。われわれ人間にはただ一つ の可能性しか残っていません。すなわち、思惟において詩作において、この神の出現のための、あるいは没落期におけるこの神の不在のための一種の心構えを準備するという可能性です。(『形而上学入門』所収「シュピーゲル対談」)

ハイデガーの言葉のどこにも痛みがない。世界を睥睨する賢しらな知があるだけだ。ハイデガーの存在のありようのほうがアイヒマンの悪よりおぞましいと思う。アイヒマンは処刑されてもハイデガー的知は生き延びる。なぜこんなかんたんなことがわからない。かんたんなことだ。言葉が根づいていないから。私の主張は断じてヒューマニズムではないとハイデガーが言うとき、ヒューマニズムという共同幻想の対抗概念として言葉をつくっている。かれの発言もまた知的に捏造された共同幻想にすぎないことに気がつかない。なにより世界の成り立ちを解説するときかれの堅固な自己はいちども揺らがない。自己という現象が虚であることにまったく頓着していない。少なくともフロイドは自我を超自我が検閲し、意識は無意識によって制御されているということだけは言った。知の巨人にもいくらかの当事者性があったからだと思う。かれは生を引き裂く力が権力であることを「幻想の未来」や「モーゼと一神教」のなかで言った。ハイデガーは世界の無言の条理を適者生存に沿ってなぞっている。そんなものが言葉であるはずがない。ハイデガーの考えのどこにも生きられる生や言葉はない。もとよりハイデガーの欺瞞は同一性から来ている。同一性は、ただ虚ろな認識の様式で、それ自体のなかにどんな表現の根拠もない。「私」が「私」であることを認識する論理が根源的な出来事の表現として存在している、その驚異をハイデガーが知ることはなかった。存在と存在者の差異が、存在することの彼方に、存在するとはべつの、内包存在の表現としてあるということ。言葉は三人称の他者との伝達の具ではない。言葉が伝達のための手段であるという錯認が人類史を隈取った。わたしたちはこの倒錯をいまも生きている。わたしは、言葉が言葉自身を生きるように、言葉を生きている。〔と共に〕が言葉であって、この言葉は内面化も社会化もできない。だからシステムをおおきく跨ぎ超す可能性が、いつもここにある。観察する世界の解釈者のハイデガーがこういうことを考えることはなかった。

たしかドゥルーズは47歳のとき学位請求論文として『差異と反復』を書いている。真剣に読んだ記憶がある。なにが書かれているか大半は忘れたが、表現の慣性をこじあけようとして懸命に書いていたことは覚えている。『情動の思考』もその頃読んで、いいなと思った。ドゥルーズはヘーゲル的な思考を拡張しようとしていて好感と共感をもった。ドゥルーズの『フーコー』もよかった。フーコーの主題は、「私が私を他者の分身として生きる」ことにあったと書かれていた。あと少しだね、ドゥルーズさん、と思ったものだ。そのドゥルーズが自裁を遂げた。なぜだ。詳細は知らないが、同一性を超えるのがそれほど困難ことであることは窺えた。

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今日は2017年5月3日。憲法記念日。神奈川新聞のインタビューを内田樹がブログにアップしていた。http://blog.tatsuru.com/とても(すこしではない)よい記事だし共感するが、ものたりない。おなじことを言っても仕方ないので、内田樹の気づいていることを内包論から言うことにした。「日本はこれから長期にわたる『後退戦』を戦わなければならない」という認識がある。そうだと思う。このそうだと思うということをわたしの後退戦から述べることにした。内田樹の状況認識があり、わたしの状況認識がある。内田樹の状況認識は甘いと思う。国破れて山河ありの郷愁を内田樹は中間共同体や相互扶助的なものへシフトし競争から共生を唱えているが、わたしはこの国はもっと壊れていると思っている。内田樹の認識はローカルな、日本的な状況認識で、認識の世界性がない。
まず内田樹のブログを読んですかっとしたこと。「日本の指導層の抱え込んでいる『主権国家でないことの抑圧された屈辱感』は日本国民に『主権者でないことの屈辱感』を与えるというかたちで病的に解消されることになった」。「安倍政権の改憲への熱情もそれによって理解できる。憲法に底流する国民主権のアイディアはアメリカの統治理念そのものである。それを否定することで、対米屈辱は部分的に解消できる。そして政権担当者は『国民に対してだけは主権的にふるまう』ことで国家主権を持たない国の統治者であるストレスを部分的に解消できる」。国民主権を剥奪し、基本的人権を抹消し、護憲を骨ぬきにして、米国に隷属する。隷属することの屈辱感を国民を縛りあげることで腹いせする。安倍晋三たちがやろうとしていることだ。とても見通しのよい発言で痛快だった。民主主義の使い回しを主張してきた内田樹はツイートで言っている。「それにしても日々『史上最低の内閣』ぶりを露呈していますが、それでも支持率50%近いというのですから、日本の有権者が何を基準に政治家の良否を判断しているのか、僕にはもうわからなくなってきました」(内田樹ツイート2017年4月17日)この内田樹の「わからなくなって」きたという感慨とかれの考える「後退戦」とリンクしてみる。内田樹が考えるよりももっとはるかにこの国は決壊しているのではないか。特別機密保護法の成立から三年余で、ここまで国のあり方は崩壊するのか。人倫が決壊する素地を戦後の70年が懐胎してきたのではないか。

国の政治を司り悪政をなしている安倍晋三たちと圧政に喘ぐ大半の国民という構図が虚偽だと思う。わたしはじぶんの後退戦をふり返り、アイヒマンの凡庸な悪がここにあることを実感している。強大な自然が日本という国体の自然をねじ伏せ、その自然がちいさな自然を押しひしぐというのは世の常ではないか。この条理を覆す理念は民主主義からでてくることはない。入らぬお節介ではないか、というようなことを内田樹は考えたこともない。ほかならぬ内田樹の孤独な後退戦はどこにもない。後退戦がすでに社会化されている。だから適者生存のこの世の条理がゆらぐことはない。いったいだれに手をさしのべているのか。後退戦は社会化できぬ。社会化できぬ後退戦のなかにしか安倍晋三的なものを突き破る契機はない。移行的混乱期とかれはよく言うが、日本が衰退期を迎えるにあたっての心構えを説教しているだけではないのか。この没落のなかでも歩く浄土は可能だとは内田樹は言わない。ダウンサイジングの生が待ちうけているらしい。そうだろうか。転形期の混乱がどうであれ、浄土は歩く。この国の行く末を嘆いているだけで内田樹には世界構想がない。「現実を直視しよう」もなにもない。とうに大半の者はすでに現実に直面しているよ。民主主義の底はぬけ、無言の条理に回収されつつある。それはなぜかとなぜ問わない。内田樹の警告は余裕がありすぎる。あるものの使い回しをする天皇親政民主主義などなんの足しにならない。

この国で安倍晋三の悪政に抗するもの書き文化人の行為はいずれも自力作善として表現されている。それは日本の良心といえるものだが、かれらの行為がこの世のしくみを革めることは先験的にない。世界が激変するなかで市民主義を唱和することは自己を慰撫するだけだ。またこの行為は擬制としてしか機能していない。天皇親政民主主義を唱える者たちの胸中には空虚がある。虚偽の意識に鈍感であるからかれらは良心としてふるまう。民主主義の底はとうにぬけている。良心に良心を積みあげてなにか歴史がよい方向に変わったことがただの一度でもあったか。出来事の当事者は残骸のように遺棄されてきた。悪の凡庸さがこの事態を招来する。悪の凡庸さに民主主義という社会理念がとどいたことはない。民主主義というよい共同幻想で安倍晋三的なものを駆逐できないことは先験的ではないか。わたしと内田樹の所論の違いは明白である。内田樹は人が社会的な存在であることを自明な根拠として安倍晋三的なものへ異議を申し立てている。わたしは人は内包存在であるということからこの社会のありように異議を申し立てている。この違いは決定的なものである。内包は内面化も社会化もできないし、そのありかたのなかにしか生の固有性はない。この違いを天皇親政民主主義を唱える者たちが感知することはない。この違いのなかにアイヒマンの凡庸な悪が深々と棲息している。

ところで吉本隆明はあらゆる共同幻想は消滅すべきであるとほんとうに考えたのだろうか。つい勢いで言ってしまったが、なかなか矛を収めることがことができず、どうやれば国家から降りることができるかわからなかったのではないかと思う。国家をひらく手法を、政府をリコールするとか、自衛隊は国民の総意ぬきに動かしてはならないとか、空疎なことを言っていた。平時のつぶやきだったかもしれないが、その後の世界の変化の速さと国家の内面化はパラレルでいまは国家が私性に融解しようとしている。わたしたちの生はむきだしの生存競争にさらされ、カルト的な独裁が進行している。吉本隆明的なものの一切が無効であり、なにひとつ思想として有効な方途を示すことはなかった。わたしたちの生存ははるかに追い込まれている。吉本隆明と内田樹は異質な言説家である。吉本隆明は市民主義の彼方まで行こうとしたが果たせなかった。内田樹は現実を直視することからはじめようと呼びかける。わたしは安倍晋三的なものを唾棄するが、内田樹的なお手軽な社会批判を是とすることもない。グローバル経済に脅迫され、国家を内面化することで国家を防衛する機制が国家を私性として運用するまで融解しつつある。いま眼前で起こっているのはかつての大戦期の軍部の独走や統帥権の干犯ではなく、安倍晋三がクーデターを遂行しているということだと思う。憲法を停止するために改憲しようとする。国民主権と基本的人権と不戦を削除すること。安倍晋三の頭の中身はどうなっているのか。みえない。この理解しがたさと悪の陳腐さが共鳴する。

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自己がどれほど虚ろかということを辺見庸の『1★9★3★7』から探ってみる。辺見庸は武田泰淳について踏み込んだ発言をしている。

それは同月十二日(2006年-森崎注)の朝日新聞夕刊の文化面に載った文芸評論家・川西政明さんの一文であった。主見出しは「苦しみの根源あらわに」で、脇見出しは「武田泰淳の日記を読む」。なめるようにして読んだ。日本近代文学館に寄贈された泰淳の資料に「従軍手帖」があり、そのなかに「おそるべき記述」があるのがわかったという。一九三八年の「従軍手帖」には、泰淳のいた分隊が准河のほとりですごしたころのことが記されており、そこの「K村」で武田泰淳じしんがかかわった「一斉射撃と個人的発砲」のじじつが述べられていた。その記述が、短篇小説「審判」(一九四七年)のストーリーとかさなる、というのだ。「審判」は忘れがたい短篇である。その表の舞台は終戦直後の上海で、裏の舞台が徐州会戦(三八年)のころの「A省の田舎町」である。主人公の杉がその田舎町に行ったことのある元日本兵・二郎と知りあいになり、ある日、二郎から「無用の殺人」を告白した手紙をうけとる。その手紙の中身が「審判」という小説のすべてと言ってよい。二郎をふくむ「私たち」兵士は戦闘もなくけだるい日々がつづいていたあるとき、町はずれで分隊長の気まぐれな命令により、二人の農民を理由もなく一斉射撃で殺し、つぎにだれもみていないところで二郎はひとりで盲目の農民を射殺した。二郎は事後その殺人をほとんど忘れ、殺した農民の顔もおもいだせないまま、「私は自分を残忍な人間だとは思いませんでした」「罰のない罪なら人間は平気で犯すものです」-といった告白をする。

ある理念が結界をつくるとなんでも起こりうる。体験的な後退戦をふり返ってそう思う。その記憶を消去することもできる。自己という虚ろはそういうものとしてある。安倍晋三といううつけ者が国家を私的に運用し、国民をしばりあげると凡庸な悪が呼応する。稚気はいつでも獣性に変わりうる。目を背けたくてもこの変化は一瞬である。内田樹の安倍の悪政に虐げられる国民というわかりやすい見取り図がここに触れることはない。自力作善の世界と無言の条理は剥離している。私は命令に従っただけで悪意をもってユダヤ人を殺戮したことはないというアイヒマンの主観を支えるものが同一性であるということ。「権力者をしばる憲法というのは時代錯誤」だという安倍晋三の主観は成り立つ。メディアのレッテル貼りがきついけど、私シンゾウはよく頑張ってると思えるということだ。ここで安倍の主観は、朕は国家なりと宣明した昭和天皇とダブっている。象徴天皇より私シンゾウのほうが上位にあると錯認できる。慈悲がいつでも獣性に変わりうるということ。意識の起源にある闇に市民主義がふれることはできない。同一性は適者生存をなぞることしかできない。数少ないサイトの読者よ。人類史的な世界史の激変を推進している力の源は生を同一性に縮減するなにかである。この猛烈な圧力に抗しようとして国家が内面化し臨界を越えて精神の古代形象に先祖返りを起こしている。国家が私性に融即するというのはそういうことだ。西欧近代由来の自由と平等と友愛は人間という概念と共に終焉するのか。人間は終焉しない。自由と平等も友愛も幹を太くしながら生き延びる。その可能性を内包論で持続する。生は根源においてふたりであるという同一性の祖型に生と歴史の可能性がある。内包自然と総表現者のなかに凡庸な悪が存在する余地はない。禁止と侵犯という人類史のモダンは内包論によって相転移を遂げることになるだろう。いままで生きてきたようにこれからも生きていく。

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