日々愚案

歩く浄土168:情況論55-外延知と内包知6:アーレントの凡庸な悪について1

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ずいぶんむかしアーレントの『イェルサレムのアイヒマン』という本を読んだ。その時期に彼女の著作を吸い込むようにまとめて読んだ。いくつか印象に残る言葉がある。ユダヤの大学者ショーレムが、わがユダヤの娘よ、ユダヤ人評議会の秘密を暴露するなとアーレントに呼びかける。アーレントは私は頭の先から爪先までユダヤの娘です。でも悲しみを封印したのです。と返答し、『イェルサレムのアイヒマン』を刊行する。その本に書いてあることを言いたいのではない。読めば読んだとおりのことが書いてある。アイヒマンにたいして人道に対する罪は死刑に相当すると宣明した言葉は地響きがするほど強い言葉だった。地鳴りがするような言葉を書くことのできる人はこの国の文化人にはいない。そのことが読後の印象として強くのこった。アーレントの本を読んで大半はなにが書いてあったか忘れたが、ある言葉がリフレインする。悪の凡庸さ、凡庸な悪という言葉だ。いつまでたってもこの言葉はすぎていかない。わたしたちのだれのなかにもある虚ろ。アイヒマンは与えられた職務を忠実に果たしただけでユダヤ人を悪意で殺したことはないと最後まで主張を変えなかった。本音であったのか、弁明であったのか、ほんとうのところはわからない。だから凡庸な悪なのだ。これからこの国が迎える酷い状況のなかで何度となくくり返されることになるだろう。悪の凡庸さをなくすことはできるか。凡庸な悪の存在しない世界は可能か。アーレントはそのありようを指摘したが凡庸な悪をなくす考えをつくることはできなかった。いまあるどんな思想も解決できない。自己を実有とする存在の仕方はわたしたちが考えているよりはるかに虚ろだと思う。日々のすきまからふと忍びでてくる。

生を引き裂く力をわたしは権力と呼んでいる。本を読み知って身につけた知識ではない。権力がどういうものであるか、それはわたしを貫通した生存感覚からくる。とても酷いことが起こっていても知らぬふりをすることができる。あったことをないことにすることもできる。そこに名づけようのない権力がある。それが悪の凡庸さということだ。凡庸な悪の根深さはわたしたちの私性とふかく結びついている。分離するのは不可能だ。それほど根が深い。それを人類史といってもよいほどだ。出来事のさなかで、ある選択を強いられて命がかかるとき、そしてそれを避けることができないとき、人は第三者の場所をつくることができない。眺めてやり過ごすことができない。どちらかを選ぶしかない。できれば避けたいがどうやっても避けることはできない。どうするかは面々の計らいだが、出来事の当事者であるとき、どちらかを選ぶほかない。このときひとは善悪の彼岸にいる。もうひとつある。起こっている出来事を風景のようにみること。そこにいてそこにいないこともできる。そこに悪の凡庸さが忍び寄る。そのような体験のなかでわたしの権力についての考え方ができた。だから生を引き裂く力をわたしは権力と呼ぶ。

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1967年にふたりの思想家の対談が行われた。丁々発止の白熱する対談だと思う。この対談によって悪の凡庸さはなくなるだろうか。凡庸な悪をかすることもないと思う。悪の凡庸さを素通りしている。意見の対立がもっともよくあらわれている箇所を貼りつける。これからわたしたちがむかえることになる残酷な社会を考えるとき、どちらの思想が有効だろうか。ベ平連の鶴見俊輔と共同幻想論をつくった吉本隆明。吉本隆明はベ平連の理念を徹底的に批判する。わたしは当時吉本隆明の熱烈なファンであったから吉本隆明の主張する側でこの対談を読んだ記憶がある。歳を取ってから読み返して当時とは違う読み方をしたことに驚いた。『どこに思想の根拠をおくか』に収録されている。この対談をどう読み解くかはきわめて状況的なことであると思う。

鶴見俊輔の発言
 たとえば、さっき同伴と自立ということを言われたでしょう。そこでもやはり意見がちがうんです。私は同伴は自立とちがうからいけないというふうに切れないのですよ。私は、自分に固有の思想としては、スティルナーみたいな考え方できているから、吉本さんの言葉でいえば、自立的な考え方が自分の内部にはあるわけです。しかし、自分のそういう考え方と状況判断とをからめた場合には、同伴と自立とは完全に相反する範疇ではないと思う。私の立場がベトナム反戦運動では、社会主義諸国の同伴者だと言われましたが、自分としては、社会主義諸国の同伴者となることを甘んじて受けるという思想に立ちたい。共産党に対する関係も戦後ずっとそうです。私は共産党からはずっと悪口をくり返し言われてきましたが、それをたたき返すことに主力をそそぎたくはない。それは自分にとっては主要な問題ではないのだという気がします。だから社会主義諸国の同伴者である、共産党の同伴者であると批判されれば、甘んじて受け入れます。しかし、そういう仕方で動くことによって、自立的に動けないかと言われれば、同伴者であってもなおかなり自立的に動くことは、論理的に可能だと思います。
 私は全体の状況からみれば自分を同伴者とみとめます。しかし同伴の根拠は毛沢東の思想でもないし、マルクス主義が私の根拠になっているわけじゃありません。私の同伴の根拠は、単純な一種の懐疑思想ですね。人間は人間を究極的に裁くことはできないし、人間がほかの人間を肉体的に抹殺しうるだけの正当な思想的根拠をもつことはないだろう、そういう考え方が根拠にあるわけで、マルクス主義の思想とはちがうわけです。
 同伴か自立かということを吉本さんは範疇的に定立するでしょう。私は範疇として定立するとしても、それは範疇構成だけの問題であって、状況判断とからめた場合には、同伴者はすべて自立者ではない、自立者はすべて同伴者ではない、と規定することはできないという考え方です。

 私は政治の領域というものをその程度にしか考えていないのです。政治的な運動は、みんなといっしょにやっていく場面でしょう。こういう場面ではある程度以上に範疇的に煮つめることはむずかしいだろう、そういう意味では政治思想に体系性をつくることは投げています。しかし政治思想を部分としてふくんだ思想全体の問題としては原理的に煮つめなければいけないと思います。私の場合、人間の究極の問題として、自分がまちがっているという可能性は、科学的に考えて排除することはできないというのが、基本的な考え方です。命題そのものの性格からいって、まちがいは排除できない、人間がまちがうということを排除しうる方法はないんだというのが根本にある思想です。だから、何というか保守的な懐疑主義ですね。しかし、みんなといっしょにやっている政治的な運動は、こういう思想的な問題を煮つめていって範疇構成をやる場所ではないな。私は、自分がものを考える人間として、究極の思想的な問題を考えることを避けているとは思いません。ただ、政治の場面にそういう問題を持ち込みません。

 私は吉本さんに一つ批判をもっているといえば、私には純粋な心情というのがいやだなという価値判断が抜きがたいのですよ。純粋な心情は、せまく動きがとれないでしょう。肉体の反射として視野がせまくなったり、ぎゅっと硬直したりするわけですね。つまりウルトラになるでしょう。私はウルトラの心情をあまり好かないのです。非常にきらいでないけれども、不健康だと思うので、自分をそこからちょっとずらして、いわば体をやわらかくして、力を抜いていたいという感じですね。
 戦争中に、万年二等兵でいる三十歳ぐらいの兵隊がいて、そういうのは先に立って人をなぐったりしないんですよ。一等水兵ぐらいがなぐる。あとで、あんな子供ももったことのない連中が、人をなぐってたまるかなんて、かげでぼそぼそ言うわけです。私は反戦論者だったから、一人で孤立していて、こわくてたまらない。そういうとき、こういう人たちのあいまいな感情が安らぎの場だったわけだ。こういうあいまいな人間の感情というものはいいものだなと感じて、その中へ自分が住みつくというか、寄生するような仕方で戦争を耐えてきたものだから、国家批判という姿勢も、こういう人間のごく普通の、あいまいな感情の中へ部分として住みつくことができる、それはある種の可能性をもったものだ、こういう部分に呼びかけていきたいという気持ちがずっとあって、「声なき声」にも参加したわけです。これはゆるくゆるくという組織です。
 純粋な心情は、ぐっとつきつめていって、まずくゆくとひっくり返ってしまうことがあるでしょう。自由主義はけしからん、あいつを刺そうというところまでゆくと思うと、ぽかっとひっくり返ってしまって、あの時はまちがっていた、またこんどは歴史的必然性を知らなかったといって変わってしまうような人間のタイプがあるでしょう。私は戦後、大学に十八、九年つとめているけれども、何度もそういう学生に会う。「七つの首」とか「死の灰詩集」の気分をもった集団ですね。私は同伴者だから、そういう人ともいっしょに動きます。鮎川信夫がおそらくそういう人にたいしてもつような嫌悪感はそういう左翼青年にたいしてもたないのです。でも、ウルトラはこまるなという気持ちはいつでもあるわけだ。

純粋な心情を厭だと思うのは勝手だが、柔軟な思考と純粋な心情は矛盾しない。吉本隆明のジハード的な心情を嫌悪するのはかれの生来の性格のほかに、この日本の歴史を100年は見通すことができているという自負からも来ている。それはかれの血脈から受け継がれた文化的な遺産である。要するに明治維新ときもおまえのように純粋で血の気の多いやつはいくらでもいたと鶴見俊輔は言っている。的を射た言い方だとは思う。勢いのある吉本隆明の発言を正面から受け、言葉の力は伯仲している。若い頃はそういう読み方はできなかった。

吉本隆明の発言
 ぼくは、大衆のとらえかたが鶴見さんとはものすごくちがいますね。ぼくのとらえている大衆というのは、まさにあなたがウルトラとして出されたものですよ。戦争をやれと国家から言われれば、支配者の意図を越えてわっとやるわけです。たとえば軍閥、軍指導部の意図を越えて、南京で大虐殺をやってしまう。こんどは、戦後の労働運動とか、反体制運動では、やれやれと言われるとわっとやるわけです。裏と表がひっくり返ったって、それはちっとも自己矛盾ではない。大衆というものはそういうものだと思う。だから表返せば大衆というものはいいものだし、裏返せば悪い、まったくどうしようもないものだということになるわけです。こういう裏と表をもっているのが、ぼくに言わせれば大衆というもののイメージなのですね。戦争中に国家権力が采配を振ればわっといくし、中国みたいに毛沢東が采配を振ればわっとやる。これが大衆だと思うのですよ。しかし、ぼくはそのことで大衆を悪だとは考えないし、大衆嫌悪には陥らない。

 ぼくのもっている戦争中の大衆のイメージはそういうものじゃないんだな。赤紙一丁くれば、インテリゲンチャみたいにぷすぷす言わないで戦争に行くわけですよ。国家の命ずるままに、妻子と別れて命を捨てるために出ていくというのが先験的なのであって、その内部に、あの上官はおもしろくないとか、そういうぼそぼそがあるわけです赤紙一丁で命を捨てるために出ていく、反体制運動でも同じで、わっとやれば指導者の意図を越えてしまう。これがぼくのもっている大衆のイメージですね。
 そこで問題になるのは、こういう大衆を何がチェックできるか、ということです。たとえば毛沢東はチェックできない、あるいは政策的にしかチェックできない。しかしチェックしなければならない。それは、ここははっきりさせなければならない、ここまでは思想的にはっきりさせなければならないという原理があるわけで、その原理に照らしてしかチェックできない。たとえば鶴見さんは、ウルトラな大衆が出てくれは、どうもあまり好きじゃないなということで退くわけでしょう。

この対談から50年がすぎ、世界は途方もなく変貌した。ふたりの白熱した言葉は世界の地殻変動がおこしているさまざまなことにたいしてなにか有効か。まったく無効である。世界の生成変化の速度に思想の言葉が振り切られている。高度経済成長を遂げていた平時にうえに重ねられたのどかな戯れのように感じてしまう。時代から平手を食らって思想の言葉が無効化する。いったいなにが話されているのか。なにも話されていない。鶴見俊輔は観察する理性の立場から自力作善の権力者としてふるまい、吉本隆明はやりすぎることが大衆という存在の自然なのだと調子いいことを言っている。ふたりの立論では、控えめで内気な大衆と乱暴者の大衆がいる。知識人の視線で大衆がとらえられていて、どこにも大衆一人ひとりの固有の顔はない。こんなバカな話があるか。わずか50年前にこれほど粗雑な大衆像が語られていた。鶴見俊輔も吉本隆明も、知識人と大衆という権力による生の分割統治のあり方を恥じることもなく競い合う。どちらの言説も思想の命運はとうに断たれている。それにもかかわらず、鶴見俊輔的な思考や吉本隆明的な思考のなかで生き延びているものがある。「社会」主義の理念と凡庸な悪。わたしは全面的に異議を申し述べる。

浜田知明が戦地をうろつき回っているとき同僚が中国現地の女性に酷いことをし、かれは同僚のなしたことを座視した。凡庸な悪である。かれの作品が芸術であるはずがないとして芸術の存立が問われることは一度もない。村上春樹の騎士団長殺しとどこがちがうのか。皇軍が天皇の赤子万民平等というお札をもらい五族共和の大義の下になした蛮行の数々。アイヒマンとおなじ凡庸な悪ということで済む話か。浜田知明という絵描きの凡庸な悪は、絵を描くことで罪滅ぼしになるのか。絶対にならない。座視した罪は罪としてのこりつづける。内心の咎を絵画として表現する卑しい行為が芸術であることをわたしは認めない。無惨な死を死んだ者が殺された甲斐があったと笑うまで表現を掘りつづけよ。けっして描けない一枚の絵を描け。やりすぎた大衆が「南京で大虐殺をやってしまう」と吉本隆明が言うとき、かれは惨劇の核心を眺めおろしながら、大衆を睥睨する治者として毛沢東をどうチェックできるかと論点をずらしている。過去を想起し未来を追憶するように生きられる生はどこにもない。

こうやって凡庸な悪は延命する。その延命を吉本隆明の思想は唆す。これが思想か。いい気なもんだ。大衆の原像が毛沢東的なものをチェックすることは未来永劫ありえない。斯様に知識人と言われる者たちの言葉は軽い。軽すぎてわずか50年で消滅した。思想は消滅したにもかかわらず凡庸な悪はのこりつづける。鶴見の言葉も吉本の言葉も現実にとどいていない。殺戮も蛮行もそれを傍観するものの咎も季節が遷ろうように忘却され、おなじことがくり返される。だれとでも手を握った鶴見さん、政治屋をこっぴどく批判しただけの吉本さん、世界と本気で抗おうとしたか。つまらぬ文化運動をくさしただけではないか。それよりなにより、鶴見俊輔 も吉本隆明も生を引き裂く権力の現場をいちども生きたことがない。戦争の記憶は文学や芸術となり、その文学や芸術のありようがこの世のしくみを底から支える。そんなものが文学や芸術なのか。ふたりの対談をわたしはままごととして読んだ。思想が世界を構想するとはこんなちゃちなことではない。戦争がなくなること、政治がなくなること、収奪が贈与となること。なによりそれぞれが固有の生を成就すること。それはどうすれば可能か、そのことを構想することが思想だ。できると思わないならば沈黙せよ。

    3

ふと手にした本を広げたら言葉が目に飛び込んできた。一杯のかけそばについて吉本隆明が茂木健一郎に話をしている。吉本隆明の考える帰り道の知と内包知の違いが浮き上がってくる。

 ぼくは中世の宗教家の親鸞が好きで、ずいぶん影響を受けていますけれども、親鸞はそのあたりの問題を「往き」と「還り」という概念で考えています。親鸞の言葉をそのまま使えば、「往相」と「還相」ということになります。
 往きがけに、偶然そこで一杯のかけそばを分け合って食べている親子を見かけて感動した、あるいは同情したというのは偶然性を契機にしてつくり上げられた倫理であって、いってみれば往きがけの倫理だ。そういう親子に同情したり感動したりしたとしても、それは万人に対する感動や倫理を象徴しているわけではないから、あまり意味はないんだと、そんなふうに親鸞は思い切ったことをいっています。
 しかし、一杯のかけそばを親子で食べている光景を還りがけの目で見ることができるならば、その光景を見ただけで万人の救済の方法を掴むことができるといいます。親鸞は仏教者ですから「救済」ということを考えているわけですが、一組の親子の姿を見ることは多くの困っている親子が一杯のかけそばを分け合って食っているのを見るのと同じことであるのだから、一組の親子を見ただけで、こういう状態を救済するにはどうしたらいいかということまで考えが及ぶ、というわけです。
 これを敷衍していえば、往きがけに飢えた人がいるのを見て、その人を助けたか、助けないまま通りすぎてしまったか、そんなことはたいした問題ではないという。親鸞はそこまで言い切っていますね。その親子を助けるか助けないかは、そのときの気分次第でいかように振る舞ってもいいし、また振る舞える。それは善悪の問題とか倫理の問題、つまりは救済の問題ではないんだといっています。
 救済の問題というのはそういうことではなくて、ある地点まで行ってそこから還ってきた、そういう目で見ることだといっています。そういう目で見られるならば、ひとつの光景を見ただけで、そういう人たち全体を見渡すことができるし、どうすれば救済が可能かという考え方もおのずから出てくるものだといいます。それが還りの目だと、親鸞はそういう言い方をしています。徹底的にそういっています。(『すべてを「引きうける」という思想』吉本隆明vs茂木健一郎)

なぜたまたま目にしたこの箇所を取りあげたか。一杯のかけそばにこと寄せた倫理と救済では凡庸な悪は解けないと思うからだ。悪の凡庸さを親鸞の還相廻向によってなくすことはできるだろうか。できないと思うからこれを書いている。吉本隆明は親鸞の往相知と還相知の理解のなかに悪の凡庸さを視界に入れたことはないと思う。倫理や救済と凡庸な悪は異質である。倫理や救済を論じているその存在が虚ろということなのだ。親鸞も還相廻向としてこのことを問うたことはない。仏と対座する親鸞という認識そのものが虚なのだ。悪の凡庸さは親鸞の説いた煩悩ともまったくちがう。人倫の真芯にある異形さとでもいえばいいか。吉本隆明のかけそば理解は個人に訪れているその理解の方便だ。そんなことはどうでもいい。知らぬふりをすることも親切をすることもできる。それだけのことで、その是非がことさら救済に結びつくことでもない。悪の凡庸さは人間の存在の仕方のもっとも深いところに鎮座する度しがたさのような気がする。人間という存在の仕方を根っこから変えないかぎり、悪の凡庸さが姿を消すことはない。アーレントは凡庸な悪をアイヒマンのなかにみたが、凡庸な悪の存在のありようをどうすればいいのかということについてはなにも述べていない。私利や私欲、つまり我執ということと凡庸な悪は存在の位相が違う。私利や私欲を人倫として語ることはできるが、凡庸な悪は人倫の埒外にある。私性と私性のあいだに悪の凡庸さがある。

第三者問題として悪の凡庸さについて考えようとしている。この領野については吉本隆明の思想は言うに及ばず、親鸞の思想でも歯が立たないと思う。だからブログで親鸞と架空の対談をした。悪の凡庸さを倫理でとらえることはできない。悪の凡庸さは人倫を超えている。そのようなものとして凡庸な悪がある。私性というものからもはみだしている。なにか存在の虚ろそのもの。アイヒマンに職務に忠実であったと言わしめるようななにか。改悛することもなく日々を送ることができるということ。中国で幼児を銃剣で突き殺し、復員してから地域で人徳のある孫に優しいおじいちゃんであることができるそのような存在。記憶はねつ造され殺したことさえ忘れることができるそのような存在。およそ人倫の埒外にある、そのような存在。善悪の彼岸が可能であること。禁止は侵犯されるということでも言い得ないなにか。それが悪の凡庸さだと思う。自己が他力によって救済されたとしても、それぞれの自己がまったく離接していることを埋めることはできない。我執と自由や平等は相性がよくても、その自己の私性と他の自己の私性は目の眩むほど断絶している。その深淵に凡庸な悪が棲息している。どんな精妙煩瑣な知を凝らしても悪の凡庸さがなくなることはない。わたしはこのおぞましさはだれのなかにもあると思う。同一性に実有の根拠をおくかぎり、その虚ろには際限がない。この虚ろに人倫の及ばぬ悪の凡庸さが潜んでいる。覚者の信と覚者の信のあいだに邪悪なものが潜んでいる。三人称という悪の凡庸さに言葉がとどいたことはない。ひとが根源においてふたりであるとき、凡庸な悪は存在する余地がない。内包自然に悪の凡庸さはない。そのあたりのことも親鸞さんにつたえたかった。

〈ある〉のざわめきのなかに絶海の孤島のようにしてわたしたちの生がある。この生は同一性という虚ろに隈取られ自己と名づけられている。アイヒマンの途惑い。アイヒマンは本音では悪いことをしたとは思っていなかった。この〈ある〉のざわめきのことをフロイトは意識の外延性で無意識と名づけた。自我と超自我という我執が離接する隣の我執にひらかれている。その関係はさいげんなく遡及し敷衍される。レヴィナスは自我は起源に先立って他者へと結びつけられているという認識の形式を他者一般に外延化した。そうではない。アイヒマンの凡庸な悪を絶対的な善で包むこと。親鸞の他力を包みながら、浄土は歩く。わたしたちの生は内包自然のなかに根を下ろしている。生の根拠は同一性にはない。人の生は根源においてふたりである。その同一性的な表現の極北として親鸞の他力がある。親鸞の他力が還相の性の表現としてあるということ。やっとここまできた。(この稿つづく)

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