日々愚案

歩く浄土98:情況論22-総アスリートから総表現者へ8-内包自然と総表現者2

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内包論を究尽することで思想のパラダイムシフトが起ころうとしている。片山恭一さんと「ことばの始まる場所」と「歩く浄土」の集中した討論を持続してきた。若い頃からのさまざまな体験を反芻しながら、折々に読んだ本を再読し、あらたに文献を読み込み、頭をふり絞って未知の世界を構想している。しだいに、国家や市民社会、グローバル経済やハイテクノロジーの向こう側の世界が輪郭をもってきたというべきか。困難な道行きにあって親鸞とヴェイユの言葉がいつも傍らにあった。親鸞とヴェイユの思想はふかくなじんでしまって、もうどこからが親鸞やヴェイユの思想かよくわからない。言葉が根づくとはそういうことだと思う。

偉大な思想家の事績を追っていてかれらの思想の根幹にある公理が究尽されていないことに気づき、思想の土台となっている公理を拡張しようとしてきた。かれらが思想を支えている公理を疑うことはなかった。その公理とは、自然や自己である。偉大な観察する理性は対象を言語化しようとして、思わず身を対象から引きはがすことで、表現と表現主体のあいだに必然としてすきまをうんでしまう。このすきまを抽象化した一般性へ昇華すれば国家となり、その外延権力にたいして個人の内面は文学や芸術として抗命する。
「知識人-大衆」論は権力の流線をかたどってきたと書いてきた。世界を知識人と大衆で分割する視線そのものが既存の制度を延命させ補完してきたとも言ってきた。あるいは文学や芸術といわれる表現が体制を支えてきたと言ってもよい。なにをべらぼうなことを言うか、という反感が聞こえる。それではお訊きするが、日用品や嗜好品を超えるような作品が、それなしでは生きて行けないという作品があるか。ないね。わたしはなくてもぜんぜん困らない。すべてが予定調和に縁取られた作品ばかりだ。
いまわたしはかれらの重畳する思想の全体を自己意識が外延的に表現されたものと一括りすることができると考えている。天然自然であれ人工自然であれ外延的な自然の範疇に属する。わたしたちの知る偉大な思想は、ハイテクノロジーと結合したグローバリゼーションの猛烈な圧力に翻弄され、現実を追認するだけで、もはや現実を拓いていく力を失っている。文学も芸術も思想も部分的な知のスキルを競い合い、世界を構想することなど、はなから断念している。いまでは文学も芸術も思想も伝統芸能となりほどよくこの世と調和している。

むかし知り合いの美術家の個展に言葉で参加した。わたしの文学や芸術や思想の立ち位置について書いたもので、それはいまも変わらない。展覧会の案内文と参加した言葉を貼りつける。

齋藤秀三郎さんの世界-なお生き延びること

 一枚の絵画を以て国家(と資本のシステム)を超えることができるか。齋藤秀三郎さんの作品を垣間見てふと法外なことを考えた。いつの頃からか、稀な例外を除き、文学や思想だけでなく美術もまた思考や想像力を停止させるためだけに飽くことなく生産されている。全てが予定調和の制度に包囲された世界で、もはや自己表現とは増殖する自己権力の称謂そのものに他ならない。
 なぜこのような事態が招来されたのか、齋藤さんの作品を導きの糸として、かなりよく分かるようになった。内部に渦巻く名状しがたい衝迫を外部へと汲み出す表現の行為が出口を失い、たたらを踏んでいるからだ。現代の文学や芸術のこの在りようは表現者の意図に反して国家と資本のシステムを綾取るものとして機能している。この袋小路を破ることの困難さに実作者はだれもが絶句した。而して輾転反側した挙げ句、自然への融即に安息を見出すというのがこの国では成熟と見做される。そうではあるまい。
 文学や芸術が個人の内面の露出であるというのは近代が創案し、流布し、人々が信じた、大きな罠ではないか。制度を包越することができず内面が社会化されているかぎり、現代芸術は、比喩として言えば、それがいかに洗練されたものだとしてもプロレタリア文芸の逆倒した完成体であるといってよい。作品の全面的な社会化があり、家畜の群のような作品が私たちの眼前に晒されている。政治を軽侮し、社会を嫌悪するにも関わらず社会作品となって出現する皮肉な逆理がここにある。これが赤裸々な現代美術の現状なのだ。意図的な挑発であるから、美術を実作する諸氏よ大いに反感をもたれよ。むろん文芸であっても事態は全く異なるところはない。
 いっそ作品の向こう側へと突き抜け、表現を他者に略取されよ。そこにだけ表現の余白がある。またそれよりほかに芸術行為の価値というものなど、もともとあるはずがなかった。斉藤さんは作品によって芸術に抜きがたく染みついている根深い信仰の根底的な態度の変更を迫っている。既存の芸術がぐるんと転回するこの地平で、作品が作家の表現意識のメタファであるという安易な理解や、美術の鑑賞者が作品から受ける芸術的感動という凡庸なる心性が消滅する。
 制度が戦慄し、脅威を覚えないようなものは行為の本質的な意味において思想でも芸術でもないのだ。国家や資本の堅固な条理がやがて到来する芸術に震撼され、歓喜のあまり激しく胴震いして融解する光景を見果てぬ夢のように遠望する。そのために自己表現を放下すること。私たちの奇妙な生を同一性に監禁するかぎりどうあがいても、自然が自然に非ざる異物を生み出してしまうゴルディアスの結び目をほどくことはできない。封印の前で立ち止まる芸術は政治の異称である。複数の主体を一人称とする表現が成らぬかぎり、芸術は制度という権力であり続けることを止めないだろう。そして強い者が勝ち誇るこの世の習いが変わることも断じてない。
 50年余に渡る美術活動を通じ、作品を描くものの姿勢を絶えず愚直に問い続けてきた齋藤さんの眼裏からこの疑念が消えたことはないと思う。気の遠くなる永い時間、がらんどうの生の奇妙さに彼は耐えてきた。齋藤さんの魂を搾り出すような作品群から私はおおきな示唆を受け取った。この個展を一区切りとし実作者としての絶頂期の勢いに駆られ、生涯の最期に、この世ならざるものを実現しようと、齋藤さんは〈歩く浄土〉を美術として現成するに違いない。おそらく飄々としながら虎視眈々とそのことを狙っている。そこには、すでにして芸術に非ず俗に非ずと刻印された、もはや芸術とさえ呼べない、かすかな表現の痕跡が遺されているような気がしてならない。このとき一枚の絵画は他者の生存を手段へと貶めることなく、国家(と資本のシステム)のくびきを軽々と超えるだろう。
(☆齋藤秀三郎展-不安なキャベツたち-「案内文」/2008年3月20日~25日/福岡アジア美術館8F)

「齋藤秀三郎展」言葉による参加

 わたしたちが生きているこの現実は、さかしらごとで変わるほど手軽ではなく、まして博学さや才能で歯が立つほどやわでもない。そういうものの手の内は知り尽くしている。衆の一人として生きる才覚も度量も持ち合わせぬ、知に寄生する者らの小癪な文化言説より、現実ははるかに懐が深いものだ。生身を晒して生きるとき、現実は空恐ろしくもあり、また味わい深いものとしてもあらわれる。

 わたしは常に両義的なものとしてあらわれる現実の堅固を才知によって否定するのではなく、ことばのおのずからなる力でなびかせてみようとおもう。現実の鉄面皮にとって小賢しい物言いなど刺身のツマみたいなものにすぎない。そんなものはたちどころにしたたかな現実に絡めとられ、制度のなかに回収される。
 いったいみずからを一箇の修羅として生きることもなく、詭弁と欺瞞で固められたしゃらくさい能書きごときで世界をつかむことができるなどというのは、かんがえることの怖さを生きたことのない、身の程知らずのものたちの分不相応な思い上がりというものだ。堕ちよ、生きよ。

 じぶんを貫いて言わずにおれぬこと、語らずにはおれぬこと、かんがえずにはおれぬことだけが、現実に亀裂を走らせ、ここをどこかにする。この世が革まる機縁は存在のこういうあり方のなかにしかない。面妖な現実が、このとき一瞬怯み、満面の笑みを見せるのだ。世界の無言の条理が、じぶんもできるものならばそうありたいと相好を崩し、堅く閉ざした鎧戸をひらくのがここだ。表現の器量とはそのほかではない。

 わたしはほかならぬじぶんに固有のこだわりの、語ろうとして語りえぬことを究尽することで、すでにして同一性の彼方にあることばを現出させたいのだ。生きる勇気がわいてくる自己の陶冶がそこにある。ここにおいて自己の陶冶がおのずと他者への配慮を現成する。そのときわたしは匿名のだれでもないものとして世界を手にする。そしてそれだけが普遍的な世界論たりうるのだとわたしはおもう。

内包ということば

 わたしは、人や歴史の始まりにおいてありえたけれどもついになかった存在の彼方を、悠遠の時空を超え、言葉の力で現にあらしめることができると考えるから、無力感のただなかで「テロと空爆のない世界」について書く。いつもすでにその上に立っている、天意をつきぬけた、あたかも重力の法則を覆すことにも似た驚異が、存在の内包世界にふいに湧出する。それは狂おしい戦慄だが、そこには無差別の自爆テロも、やられたからやりかえすという復讐も存在しない。修羅の巷であっても世界は可能性に充ちている。唯一そこが苦界と空虚があろうとしてもありえない生の可能性の源泉だ。

 世界も言葉も一切合切が背骨を喪い、善悪の彼岸にただ在るように在る。その空っぽの〔在る〕が背後から一閃される。名づけようもなく名をもたぬ彼方からの不意打ちと襲来。世界の底が抜けるその理不尽なまでの熱さ。絶望する気息が、非望の極みでたわみにたわんでふいに天啓のように訪れるなにかとしてしか、言葉ではないにそれに触れることはできない。それは無限小の出来事であり、伝わらないというかたちでしか伝わることがない。じぶんを生きることからしかはじまらないなにかだ。

 問題は断じて、汚れた政治と内面の自由との対立ということではない。ひとえにこの矛盾や背反は、〔わたし〕が〔ある〕ということの制約から派生しているのだ。考えることや表現するということの決定的な転回がここにある。根源の一人称が〔じぶん〕に驚き、おのずとはじけてかたちとして宿ったのが〔ことば〕なのだ。〔ことば〕がすでにして同一性の彼方にあるというのはこういうことだ。自己表現ではなく、内包表現だとわたしがいうのはこの意味である。〔ことば〕というたましいのふるえが、音もなく降りつむ雪のように内包自然となってこの大地に舞い降りる。

貼りつけて読み返してみるといま(2016年夏)と自然につながる。この自然はマルクスや吉本隆明の自然史的な過程の自然とは違う。わたしは、わたしが触った自然を内包自然と名づけた。

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人類史の規模の厄災は、天変地異をのぞけば、知識人と大衆という世界の分割によってもたらされたとわたしは考えている。スターリンやヒットラーや昭和天皇は共同幻想の属躰にすぎぬのであり、その淵源は世界を分割して支配する思考の様式にこそある。この視線の下では固有の生は可能ではない。衆の一人に帰属するだけである。
苦界の衆生を救済する知識人の役割などというものは西欧近代がねつ造した欺瞞にすぎぬ。身の程知らずの傲慢な者たちの思い上がりである。衆生を統治する支配の様式が知識人と大衆の淵源なのだ。この世界分割の図式はわたしたちが考えているよりもはるかに精神の古代性を帯びている。また視線の解像度をどんなにあげても心身一如の存在を粗視化することしかできない。ようするに言葉の網の目が粗すぎるのだ。なぜ衆生救済の大乗教が生まれたのか、なぜ草木虫魚である衆生の一人ひとりに仏の慈悲という眼差しが宿ったのか想起せよ。わたしは精神の古代性に象られたこの支配の様式を自己意識の外延表現として一括りにできると考えた。そのうえでヴェイユの恐ろしいまでに透徹した思想を読み解いてみる。

 ところで、このことは、党派の活動が権力の配分を支配するようなデモクラシーの中で、つまり、われわれフランス人がこれまでデモクラシーと名づけてきた制度の中で起こりうる場合なのである。われわれがそれをどうしてデモクラシーと呼ぶのかといえば、実は、われわれがその他の形態を知らないからである。だから、別の形態を創造しなければならないのである。(『ロンドン論集と最後の手紙』8~9p)

自分を集団の一員として《われわれ》の一部分であると考える人間は、無人格的なものの中にわけ入ることは決してない。(同前 12p)

無人格的なものの中にわけ入るために、人格的なものを超越することによってのみ、人間は集団的なものから逃れる。このとき、人間の内部にはなにかが、つまりたましいの一部分があって、それにたいしては、どのような集団的なものもいかなる影響力を及ぼすこともできないのである。(同前 14p)

 ある人びとがいて、その人びとの良心が別な証言を行なっているのに、外ならぬかれらの人格はかれらに聖なるもののある確かな観念をあたえ、その確かな観念を一般化することによってあらゆる人格には聖なるものがあると結論するとしたら、かれらは二重の錯覚の中に存在していることになる。
 かれらが感じているもの、それは正真正銘の聖なるものの観念ではなく、集団的なものが作りだす、聖なるもののいつわりの模造品にすぎない。かれらが自分たち自身の人格について、聖なるものの観念を体験しているとすれば、それは、人格が社会的な重要視(人格には社会的な重要視があつまる)によって、集団の威信とかかわりをもつからである。かくして、間違ってかれらは〔自分たちの体験を〕一般化することができると信じている。
 このような間違った一般化が、ある高潔な動機から発したものであるとしても、この一般化には十分な効力がないので、匿名の人間の問題が、じつは匿名の人間の問題でなくなるのが、かれらの眼には見えないのである。しかし、かれらがこのことを理解する機会をもつのは困難なことである。なぜなら、かれらはそのような機会に接することがないからである。
 人間にあって、人格とは、寒さにふるえ、隠れ家と暖を追い求める、苦悩するあるものなのである。
 どのように待ちのぞんでいようとも、そのあるものが社会的に重要視され暖かくつつまれているような人びとには、このことはわからない。(同前 16p)

権利の概念は、分配、交換、量の概念と結びついている。そこには商業的ななにかが含まれている。(同前 19p)

権利、人格、デモクラシーの概念はこの範疇の中に入る。ベルナノスは勇をふるって、デモクラシーは独裁者の登場を防ぎえないと述べた。本来的に、人格は集団に従属している。(同前 20p)

 権利の概念は、それが月並なものであるという事実から推して、とうぜん次に人格の概念を誘い出すものなのだ。なぜなら権利は人格的なものに関係があるからである。権利はこういう水準に位置している。
 権利という言葉に人格という言葉を加えれば、それは人格の権利をその表出と呼ばれている状態にみちびくわけで、なおさら重大な悪を犯すことになるであろう。被圧迫者たちの叫び声は、権利回復の要求の調子よりもより低くなり、羨望の調子を帯びてこよう。
 なぜなら、社会的な威信が人格をふくらませる時にのみ、人格はふくらむものだからである。つまり、人格の表出は社会的特権なのである。(同前 24~25p)

ヴェイユがこだわる無人格性の底にある聖なるものが、フロイトのエスやユングの原型とはまったく違うということはよくわかるが、ヴェイユの思想の深さが外延的な解釈で引き裂かれるのが気になる。ヴェイユの気づきをうまく活かす方法はないのか。人格性と無人格性という二項対立を語るのではない表現の仕方がある。ヴェイユの気づきを内包化すればいいのだ。わたしがヴェイユのリアルを再定義する。
自己を切断するものを、自己を簒奪するものを根源の性とし、根源の性を分有することで拡張される領域としての自己を〔主体〕とすればいい。すっきりするぞ。
ふとフーコーの沈黙を思いだした。これから性の歴史を5巻書くといい、まず1巻目の『知への意志』を書き、その後8年間沈黙し、表現のモチーフを全面的に改めた。エッと当時感じた。牧人司祭型の権力の起源の解明は回避された。フーコーの沈黙の意味を、わたしの身に起こったことをなぞりながら推測する。性を時間として内在的にあつかう方法に行き詰まりがあったのだと思う。それで『快楽の活用』と『自己への配慮』で内在性を性の考古学として空間化した。死の直前、私の表現の方法はサルトルと真反対です。表現の根拠を自己の側に設定するのでなく、むしろ倫理的活動の核にあるもものに結びつけて考えればいいのです、ということを言い残してすぐにフーコーは逝った。享年57歳。おそらくわたしと似たことを最後は考えていたのではないか。

デモクラシー以外の形態はどうやれば可能となるか。市民主義の理念を批判するのはかんたんである。ではどういう経路をとればべつの世界の地平へと導かれるか。だれも言い得ていない。存在するとはべつの仕方は、あるいは存在の彼方にはどうすれば行けるのか。だれもが問い、だれもが挫折した。ヴェイユは匿名の領域に注目せよという。ではその匿名の領域はどういう構造になっているのか。わたしは意識の内包性を導きの糸にしないと存在の彼方へは行けないと考えた。親鸞は自力の働きを捨てよという。そうなのだ。自力の果てるところに忽然と他力が舞い降りてくる。ヴェイユの「正真正銘の聖なるものの観念」を可視化することはできない。空間化することも一般化することもできない。おそらくフーコーもここで呻吟した。悶絶の果てに性の歴史を空間化したというわけだ。それが性の考古学だ。フーコーが果たしえなかった夢を、意志論を放棄せずに巻きなおそうとする試みが内包論ということもできる。

ヴェイユの引用のコメントをつづける。ヴェイユの「本来的に、人格は集団に従属している」や「社会的な威信が人格をふくらませる時にのみ、人格はふくらむものだからである」と言うことをどう解するか。人格は人間の動物性という精神の古代性に由来するものであり、そこに人間という生命形態の自然があると理解すればいい。そういうことをヴェイユは言いたがっている。だから人格の権利は表現された。「一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった。(『ロンドン論集と最後の手紙』4p)
権利の概念が人格の概念と結びつくのは権利や人格が可視化と空間化を拒まないからで、精神の身体性に起源をもつ。そしてそれを支えるのが同一性だ。マルクスの資本論もおなじところで貨幣の一般化をおこなった。それでは放埒な人の生をなぞることしかできない。「かれらが自分たち自身の人格について、聖なるものの観念を体験しているとすれば、それは、人格が社会的な重要視(人格には社会的な重要視があつまる)によって、集団の威信とかかわりをもつからである」とヴェイユが言うことは、天皇制のことであり、貨幣の物神性に覆われたハイパーリアルな現世のことでもある。だれのなかにも内在する還相の性を可視化と空間化をせずに取りだすことはできるか。内包論は可能だと考える。(まだつづく)

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