日々愚案

歩く浄土73:内包的な自然6-吉本隆明の自然3

 ユーリズミックス

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悠遠の太古に陽気な面々がよぎられたそれがなんであるのかわからない不思議な情動。それがあることによってヒトが人となった由縁。ある根源の情動。見えないがたしかにそれはある。ふと眼が会うときに起こる奇妙な情動。いつもついてまわるこの不思議な情動。太古の面々は身が心をかぎることでこの豊穣ななにかをつかもうとした。それが同一性の起源だと思う。
この情動は根源の性から流れてくるものにほかならないが、分有されるやいなや同一性という実有に絡めとられ、同一性が根源の情動を措定するという逆倒に巻き込まれることになった。それがわたしたちの知る文明であり倒錯に充ちた歴史である。
だれのどんな生であってもむきだしの生存にさらされても内包は同一性のかすかな裂け目を通して浸透するものであるから、内包という根源の太陽感情は自己の彼岸にある人間精神の夢として痕跡を残した。それが内包の面影としての自己に先立つ神や仏という超越だった。対幻想を逆向きに求心していくと同一性が象った超越を突きぬけたところに根源の性という内包自然がしだいに輪郭をあらわし、内包自然のいちばん奥まったところに還相の性が存在する。

意識に先立つものを意識が指し示すことはできない。だから昔の人はそれを神や仏と名づけた。身が心をかぎる存在のありようはとても理にかなうように思えた。存在のこのありようは内面や社会や歴史を実体化しながい歳月に渡ってわたしたちを象ってきた。
なぜあるものはそのものに等しいのだろうか。あらゆる論理の究極にあるもの。A=A。自己同一性の起源を問うことはわたしたちが思考の必然とみなしてきた公理を疑うことであり、この必然を拡張することになると内包論で考えてきた。

どんな意識の明晰さも意識に先立つ根源のことを言い当てられないできた。意識の明晰さを失わないないままこの根源をつかもうとすると生は空虚なものとしてあらわれ、明晰さを手離し迷妄に身をゆだねれば宗教という共同幻想としてあらわれる。どちらも意識の型も生の奇妙さを表現できてない。おおくのおおきな知性が同一性を超えることを試み同一性を破ることができずに潰えた。わたしの内包論もその試みのひとつである。王手をかけているというたしかな手応えがある。

もっと比喩的に内包のことを言うこともできる。

スイッチをONにするとあたりが明るくなる。いや、もともとスイッチはONになっている。レオ=レオニの絵本の「あおくん」が、とおりのむこうにいる「きいろちゃん」と遊びたくなって、あちこちさがしまわり、まちかどでばったりであい、ふたりともうれしくてうれしくて、交じり合ってしまい、とうとう「みどり」になりましたというお話、あれですよ、あれ。この「みどり」に成ることを私は〔内包〕と呼んでいる。

「あおくん」は「あおくん」のままで〔みどり〕だし、「きいろちゃん」は「きいろちゃん」のままで〔みどり〕になっている。外延では「あおくん」は「あおくん」、「きいろちゃん」は「きいろちゃん」であるのに、内包では「あおくん」は「あおくん」のままに〔みどり〕に、「きいろちゃん」は「きいろちゃん」のままに〔みどり〕になる不思議。だれもがみな同一性をはみだす経験をしている。じぶんはじぶんであるのにじぶんでなくなるヘンな気分。もうひとつある。〔みどり〕になるとスイッチはONのままでOFFにならないということ。同一性を超える体験はそういうものとしてある。

なぜ「あおくん」は「きいろちゃん」に出会って〔みどり〕になったのだろうか。なぜ「きいろちゃん」は「あおくん」に出会って〔みどり〕になったのだろうか。こういうことをむかし本で書いたとき、外延というあらわれが内包に転化することはわかっていたけど、なぜそうなるのかについてはまだよくわからなかった。いまはかんたんに云える。「あおくん」や「きいろちゃん」が〔みどり〕になるのは、「あおくん」や「きいろちゃん」のなかに、もともと目に見えないとても小さな〔みどり〕があるからです。なにかのきっかけがないと〔みどり〕があることに気がつかない。縁(えにし)があれば〔みどり〕になってびっくりするけど、すぐそれをじぶんのなかにしまい込む。わたしが言いたいのは対幻想ということではないのです。

ほんとうはじぶんをはみ出てしまう、じぶんがべつのものになる体験であるのに、じぶんのなかに折り畳んで内面化する。そして「あおくん」は「きいろちゃん」、「きいろちゃん」は「あおくん」に向かうことになる。そうやってどんどん〔みどり〕が減っていき、やがて外延化される。同一性の宿命のようなものだ。この宿命のことをわたしたちは対幻想と呼んできた。ほんとうは〔みどり〕はだれのなかにもあると内包論では考えています。〔みどり〕を分有して「あおくん」は「あおくん」のまま「きいろちゃん」に、「きいろちゃん」は「きいろちゃん」のままに「あおくん」になる。内包の不思議。「あおくん」は〔みどり〕に気づいてびっくりしたあまり〔みどり〕をごっくんと呑み込みます。するとたちまち「あおくん」は「きいろちゃん」になるのです。

まだ先がある。「きいろちゃん」になった「あおくん」のなかで〔みどり〕が白く光るのです。そうするとあたりは照らされてやわらかい〔みどり〕の光に包まれてきます。なにかひとつの根源の色というものがあるのではない。縁(えにし)の数だけ色があるのです。そして根源の色が分有され、それぞれの分有者のなかで白くその色が輝き、またまわりを照らします。そうやっていろんな色が重なり、あたりはますます明るくなる。根源の色はひとつではなく縁(えにし)の数だけあるのですが、その根源の色がくびれて分有されるという関係の型だけは共有される。だから関係が表現であるこのしくみはいつも同一性を超えているのです。これも比喩ですが、白く光る〔みどり〕やほかのたくさんの光る色でますます明るくなった光と色の重なりが内包自然であり、この内包自然が内包的な親族をつくることになります。

この世界では「アキちゃん」は「アキちゃん」のままで「朔ちゃん」であり、「朔ちゃん」は「朔ちゃん」のままで「アキちゃん」です。おなじようにうれしくて〔みどり〕になった「あおくん」は「あおくん」のままで「きいろちゃん」だし、「きいろちゃん」は「きいろちゃん」のままで「あおくん」になる。根源の色の一対の分有者の色は違ってもそれぞれの分有者のどこにも1は見当たらない。そのとき1は領域化されている。内包では1は2であるから、内包からみると外延世界の3はあたかも外延世界の2であるように比喩される。内包論ではそうなるとしか言いようがない。外延の3の世界はしだいに〔内包の2〕(還相の性)に包み込まれ〔喩としての内包的な親族〕に転化していく。3人称がないということは国家や政治がなくなるということです。だからその世界のどこにもテロと空爆はない。同一性が世界をややこしくしているのです。(「歩く浄土66」一部改稿)

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ネットでハニ・アブ・アサド監督の「オマールの壁」という映画の予告編を見た。http://www.uplink.co.jp/omar/
この映画のつくりかたはむきだしの生存をなぞっているだけではないか。本編を観たわけではないが描かれるのは救済のない生ということではないのか。
字幕を貼りつける。「/分離壁に囲まれたパレスチナ/長く続く占領状態/彼らの日常には/人権も自由もない/・・・・・・/俺たちは戦うのだ/パレスチナの解放のために/秘密警察だ/逃げろ/お前がやったのか/誰がイスラエル兵を殺した/お前が殺したのか/ここから出る方法は?/占領が続く限り/何もない/恋人とは二度と会えなくていいのか?/ここから出たいのなら/仲間を売れ/イスラエルのスパイになるんだ/一生囚われのみになるか、裏切り者として生きるか/もう一度外に出たい/・・・・・・/すべてに、立ち塞がる/オマールの壁/」

わずか2分の動画でなにがわかるものでもないがおなじ境遇だったら若ければおなじことをやると思う。パン職人オマールにとって、壁は、恋人ナディアと隔てられた分離壁であり、信念という共同幻想の壁であり、引き裂かれる対幻想の壁でもある。物語がどう展開しようと、青年オマールはかつてのわたしのような気がした。選択の余地なくどちらかを強いられるとき、存在は裂ける。状況が沸点に達すると第三者の場所はない。あれかこれかではなくどれかを状況の側から強いられる。事態はつねにそのようにあらわれる。そしておそらくどの信に憑こうとうまくいかない。そこをくぐりぬけて、わたしはいま、内包という言葉の場所に立っている。

あるひとつの思考実験。同一性を実有の根拠としたときの主観的な意識の襞について考える。紙テープの表に安倍晋三を支持すると書き、裏に安倍晋三の考えに嫌なものを感じると書く。安倍支持と反安倍は対立する二項であるように見える。ふたつの対立する二項は主観的な意識の襞のうちでは互いに背反する。状況が煮つまってくると主観的な意識の襞は相互に強い反力をもつことになる。これが世界の現在だ。むきだしの生存はますます強度を増してくる。軋轢は矛盾や対立や背反としてあらわれる。なぜそうなるかというと主観的な意識の襞が同一性という意識の範型のうえに乗っているからだ。

禁止は侵犯される。主観的な意識の襞をどれだけ細かく刻んでも現実をなぞることにしかならない。観察する理性というものはどうあがいても同一性に監禁される。そこでこのテープを一捻りして糊でくっつけてみる。安倍に賛意を表明するを指でなぞっていくと、あらら、いつのまにか安倍を支持しないになる。解けない主題を解けない方法で解こうとするのはこういうことなのだ。この不毛をわたしたちは人類史と呼んでいる。同一性を前提とした人格の外延表現では個人に宿る共同幻想を解くことはできない。自己の信は共同の信に同期するのが自然だからだ。外延表現の途につくかぎり外延表現が産みだす矛盾は外延表現の内部では原理的に解けない。どんな思想やどんな理念を持って来ようとだ。解けない主題を解けない方法で解こうとどれだけ熱い意志をもとうと生を象る禁止と侵犯という意識の範型がほどかれることはない。そこで余儀なさとして発明されたのが外延権力に抗命する意識の内面化だ。

わたしは内包という考えをていねいにたどっていくと人類史をまったく未知の豊穣な生に転換することができると思うから考えることを投げ出さずに考えつづけている。
本編を観ていないのになぜこの映画が駄目かというと、オマールを引き裂く秘密警察の側からもおなじ物語がつくれるからだ。なぜ存在はこのような理不尽によって生木を裂くように断ち割られるのかと問うべきなのだ。匂い立つような存在を言葉でつくることができるならば、存在を撃断する権力は消滅する。これは倫理でも主観的な信でもない。オマールに、映画監督に、わたしのいる場所が見えるだろうか。

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吉本隆明の思想の解義によって内包親族論に資することはあるかと問うとなにもない。ならばなぜ吉本隆明の思考について拘泥するのかという疑問が起こる。わたしの対の関係についての考えは吉本隆明の対幻想とは部分的には重なるがまったくちがうもので、言葉を尽くしてもその溝は埋められないと思う。それほどに吉本隆明の対幻想と根源の性の分有者の違いはおおきい。
わたしの構想のなかではすでに吉本隆明の思想は自己意識の外延表現の極北であると理解されている。わたしのつくろうとしている考えは吉本隆明の思想を拡張した内包的な意識の表現であるが、内包的な表出が同一性への外延的な縮減において相互に切り結ぶことはある。ヘーゲルも自己を所与のものとみなし、自己というはじまりの不明を不問に付したまま思想を立ち上げている。思想の方法の必然として思想は内部に生の不全感という空隙を抱えることになる。わたしの理解では親鸞は他力を生きることで孤独や空虚という生の不全感を完全に消滅させている。むろん親鸞は、道元らの自然生成ともまったくちがう自然法爾を恐懼しながら生きた。

自己意識の外延表現としては吉本隆明の思想は理念を極限まで伸張している。だれもなしえなかった凄まじい達成だといえる。一貫した思想の方法によって見事な思想の全円性を描いていると思う。わたしの理解では吉本隆明の思想はまだ読み解かれていない。『ハイ・エディプス論』のなかで、かれの思想が、難解な母型論やイメージ論やアフリカ的段階論の所説をかみ砕きながら縦横に語られている。かれは母体内の胎児と乳児の1年10ヶ月に人間の認識と感性の絶対的な起源をもち、その無意識の形成はそのまま歴史の概念としても成り立つと言っている。市民主義の善悪感を超えることは文明史の必然を超えることと同義なものとして思想を語っている。『ハイ・エディプス論』でそのことが存分に語られた。吉本隆明のつかんだ自然は意識の外延化がたどる必然である。そこに吉本隆明が触った自然がある。それは畏るべき思想だった。

「マチウ書試論」や「転向論」を経て、『言語にとって美とはなにか』や『共同幻想論』や『心的現象論』、また晩年の『マスイメージ論』『ハイイメージ論』、『母系論』・『アフリカ的段階について』まで方法的な一貫性が貫かれた。親子ほどにも歳が違うにも関わらずかれの思想は若いわたしを鷲づかみにし、さまざまな経験を経るなかで吉本隆明の思想を相対化してきた。吉本隆明とはべつの意識の息づかいが可能なことを理念として言えるようになったとわたしはいま実感している。ずいぶん前にそのことには気づいたが、吉本隆明の思考のうねりとわたしのそれの違いを表現するのに長い歳月を要した。

一身にて二生を経るという言い方があるが、若い頃に吉本隆明の思想と出会い、震撼されやがてかれの思想とは違うことをなんとか言葉にしようと悶絶し、三生を経たという感慨がある。わたしの生を根こそぎにしたひとつのおおきな思想を跨ぎ越しているという実感がたしかな手応えとしてある。わたしがつかんだものはあるひとつの思考の可能性である。吉本隆明の思想を底まで理解した者が無限小であるようにわたしの考えたことを理解する者もすくない。わたしは表現という行為は無償のものだと思う。わたしはひとりの読者を得るという可能性にむけて、わたしが考えたことやいま考えていることを書いてきた。これからもその可能性に賭けて書いていく。ひとりの読者を得るということにだけ世界の可能性があると信じている。その信をぬきに言葉は成り立たない。どのような信かが問われる。内包という信はなによりいいものだとわたしは信じている。

「母親と胎児の関係が人間の絶対的な認識と感性の起源である」(『試行』67号)と吉本隆明は考えた。どういうことか。吉本隆明の孤独のかたちと生の不全感について考える。

『ほぼ日』から、ついに、吉本講演が三十本ほど公開された。何本か聴いた。人間の思考はここまできわまるのかということに、凄まじさを感じる。だいたいは文字になったものを読んでいるのだが、まったく別のものだという印象を受ける。その印象を記してみたい。どの講演も序章はすこし遠回りに材料をひろげていくようにして始まる。ところどころで吉本さんの、社会に馴染めないという少年みたいな感情が織り込まれて、聴いている者の心をあたたかくする。しだいに佳境に入っていくとき、呼吸が詰まり、言葉が詰まり、くりかえしが多くなり、お喋りのテンポが速くなっていく。伝えたいのに伝わらない、あるいは、もっとも伝えたいことが言葉にならない、あるいは、もっとも伝えたいことはもともと言葉にできないのではないかというもどかしさがそうさせるのだろうか。または、硬い岩盤に突きあたり、はねかえされて苦闘しているすがたにもみえる。聴いているわたしたちも息苦しさに支配されていく。そして、ここで聴いているわたしの思考は、吉本さんの思考の展開を追いかけることがむつかしくなるのだが、ここから終盤にかけてわたしたちを振り切るように吉本さんの思考はもう一段ちがう次元に飛躍してゆく。時間と空間の規模が変容するといったらいいのか。あるいは、わずかなイメージのつながりを辿って文明や制度のはるかに向こうにある、個人の起源と重なった人類の起源のイメージを手に入れたといえばいいのか。おそらくここが吉本さんだけが立った《未知》であり、わたしたちはここで熱い感情に支配される。そして、《未知》の高揚感がつづいたあと、話はとつぜん切断され、沈黙がやってきて、深い余韻につつまれる。(菅原則生 2015年3月24日)

この引用は吉本さんの言葉の立ち位置をよく表現できていると思う。「俺の考えを底まで理解した者はおらぬ」と吉本隆明がいうとき、もっとも伝えたいことはもともと言葉にできないのではないかというもどかしさが吉本さんにある。言葉が言葉について叙述することで、言葉が言葉自身を生き始めようとする稀な情景だと思う。思想を生身において生きる空前絶後の思想家の姿がここにある。「文明や制度のはるかに向こうにある、個人の起源と重なった人類の起源のイメージ」は無意識の起源であり、どうじに歴史の可能性であると吉本隆明は考えた。無意識は母型論として、歴史の未知はアフリカ的段階として語られ、書かれた。ここに吉本隆明の触った自然があらわなかたちで表現されていると思う。
じぶんの触ったリアルの広さと深さが世界だとすると、吉本隆明は精神の飢餓を誕生以前の胎内記憶に遡ることでそこに意識の原型をたぐり寄せ、いくつかの無意識の型を抽出し、それをそのまま歴史の概念とした。胎児はまったき受動性として母親の胎内で生かされる。このとき胎児に母と父の関係が胎児の無意識として刷り込まれる。吉本隆明はそのありようを地獄の母型として彫像した。

むかし吉本隆明の地獄の母型について感想を書いたことがある。吉本隆明の触った自然がどういうものであるのかについての手がかりにはなると思う。いくらか長くなるがその箇所を貼りつける。

 ひとを性的な存在としてみれば〈世界〉とは母子関係の壮大なフィクションにほかならないし、それは人類の文明史の必然という規模をもっていると吉本隆明は言う。

 心の領域の問題としていえば、わたしたち人類の人格は現在もライヒのいう性格構成の中間層にいるといってよい。ただいくらかの度合でこの層をぬける兆候がみえるようになったということもできよう。ライヒによればこの中間層は恐るべきもので、憎悪、恐怖、殺害、死、混乱、分裂病や鬱病の契機が渦巻いている地獄のような層で、この層を通過しなければ、「本物、すなわち、愛、生命、合理的なもの」に到達できないとされる。

 ただわたしたちがとってきた考え方では、この憎悪、恐怖、殺害、死、混乱、病気(分裂病、鬱病)の渦巻いている地獄のようなライヒの中間層は、ライヒのように文化の人為的につくられた事実とかんがえても、またフロイトのように死の本能や破壊の本能とかんがえても、密接に母型を乳胎児期の母親との関係の仕方と、その関係の写像のされ方とに対応するものとみることができる。この地獄の層をくぐり抜けることは、この母親との関係と母親からの写像を未来への追憶としてくぐり抜けることと対応している。するとわたしたちはライヒのいう性格構成の地獄の中間層は、乳胎児期の無意識の核が形成する過程の課題に、転化させることができるとおもえる。もっといえばその時期の母親との関係と母親との関係の写像の問題に帰する。そして、〈ここに地獄の母型がある!〉ということだ。(「心的現象論」『試行』71号)

 吉本隆明の大洋のイメージは暗くて、きついなあ。なんて感じていたらちょうどここでパソコンがハングアップした。きっと吉本隆明の念力のせいだとおもう。こわいなあ。なぜこんなつらい大洋の像がつくられるかというと、彼が〔1〕の回路を外延して起源や発生をつかもうとするからだ。〈ここに地獄の母型がある!〉なんて言われたら、とたんに生が重くなる。
 私の追憶する未来のイメージは吉本隆明と全く異なる。彼には「母親と胎児との胎内の関係が人間の絶対的な認識と感性の起源である」(『心的現象論』)という絶対的な認識と感性の強度がある。この明証への絶対の信がなければ、世界を母子関係の壮大なフィクションと見做す思想の規模は出てこない。私は吉本隆明のこの思考の型は〔1〕の回路の現状を前提とした典型的な転倒した因果論だとおもう。

 「私」が罪多いのはきっと母親が自分を嫌っていたからに違いないとか、「私」がこうも気が多いのは、やっぱり母親が自分を疎んじながらおっぱい飲ませたからだとか、いちいちあげればきりなく誰にもおもいあたる節があるのだが、これらはすべて自分の精神のかたむきを欠如と感知してその原因をつきとめようとする志向のあらわれにほかならない。生についてのある不全感がまずあって、そこで志向されるものが原因をあらかじめ想定するしくみになっている。私たちはそのしくみの緻密さに眩惑されるのだが、つかんだ大洋の像は自己の写像されたものにほかならない。
 吉本隆明は言う。「人間のばあいには母親の内面の奥底まで全部、乳胎児期に刷り込まれると理解します。完全に、決定的だといいたいんですが、そういうと宿命論になっちゃいます。だから決定的だとはいいません。第一義的だというふうにいいたい気がしているわけです」(『ハイ・エディプス論』)。なんのことはない。宿命だと本音ではおもっているわけだ。そこまで言ったら身も蓋もないので、第一義的だと言っているにすぎない。そんなことは体験的に「三つ子の魂百まで」ということで誰でも知っている。自然科学の進展にともなって「三つ子の魂」の振る舞いが胎児期まで遡れるようになったとしてもたいしたちがいはない。

 そうではないのだ。人類幼年期の終わりに西欧近代に発祥し、我が国にも受け入れられた理念の型が問題なのだ。吉本隆明には、「憎悪、恐怖、殺害、死」の渦巻く地獄の母型を明証的に了解することが、癒しにつながるというぬきがたい信がある。フロイトも神経症の原因をつかむことは治癒であると言っているが、私は意識の明証性をたどるほどに病が昂じるのではないかとおもっている。
 もちろん意識が分解能の精度をあげるとともに囚われから免れることがたくさんある。屋根にカラスが群れているから不吉の前兆だといって家を焼き払ったりする迷信は今はない。雷の轟きに脅えたり腰をぬかしたりすることもない。雷、ああ、大気の放電現象ね、としかならない。発熱、下痢、腹痛に加持祈祷はしない。ハイ、抗生剤を飲んで、静養しなさいとなる。これらは科学知の効用だ。
 たしかに人間を質点に比喩すればマルクスの社会モデルは消費主体を軸にした世界のモデルへと拡張することも可能だが、そういう意志論がからっきしスカだったことがこの百年の現実ではなかったのか。いったいどうしたことだ。ほんとうに人は科学知のかたよりに沿って生きているのか。思想は科学知を追認するだけなのか。

 昔、人は光は直進すると考えた。日常の経験知としては今でもそうだ。アインシュタインは強い重力場では空間が曲がっていると予言し、日食の観測でそのことが実測された。質点に無限や無意識を導入すると相対論や量子力学、フロイトの性の分析理論がつくられる。ここが現代の入口だ。太陽の巨大な質量にフロイトの性を置換してみる。太陽に比喩されるフロイトの性は人の生の軌跡を曲げないだろうか。それがフロイトのエディプスだ。
 ライヒは「木が一度曲がったまま伸びてしまうと、あとでそれを矯めることはできない」と言う。吉本隆明はむろんこの理念の型を拡張しようとしている。だから「心の領域の問題としていえば、わたしたち人類の人格は現在もライヒのいう性格構成の中間層にいるといってよい。ただいくらかの度合でこの層をぬける兆候がみえるようになったということもできよう」と言うのだ。彼は地獄の母型をなすエディプス複合がいくぶんかゆるくなる兆しを時代にみることができるといっている。無意識は均されもはやかくべつの意味合いをもてなくなったというわけだ。

 若い人の性意識のありようを観察すると、もはやエディプス複合の固着する性のしこりはみあたらない。それが吉本隆明のここ数年言い続けてきた「無意識」を創ると言う課題だ。そこで彼は言う。「無意識の二世代を一世代にする以外にないんじゃないか。つまり、一世代性ということは、それぞれ無意識をつくっていく。どこを基準にしてつくるかといえば、それはやっぱり死を基準にしてつくる以外にないんだとおもいます。少なくともエディプス・コンプレックスに該当する、つまり、親しい者、近親の間のコンプレックスになる無意識というのをつくる以外にない。それは死を基準にしてつくることになってくるような気がします」(『マルクス-読みかえの方法』)。なかなか用意周到でなにを言っているのかわかりにくい。私も一世代でつくられる無意識は死がもっとも切実だと感じている。しかし吉本隆明のつくられる無意識ということと、私が死の内包表現として考えていることとは、とおく隔たっている。近親の死を基準に無意識をつくり、ハイ・エディプスを仕上げても根本の生の不全感は癒されない。一体何が変わるというのか。何も変わらない。

 「母親と胎児との胎内の関係が人間の絶対的な認識と感性の起源である」ということは、「木が一度曲がったまま伸びてしまうと、あとでそれを矯めることはできない」ということとおなじことであり、それが吉本隆明のいう「地獄の母型」ということだ。現在の社会では女性が母親を拒否する傾向があるから、母親が授乳期間に心理的に男である振る舞いをとらなければ、男の乳児も女の乳児も中性に近づいていき、生理的な制約はあるとしても、いずれにせよ男と女は中性に近づくほかないと吉本隆明は言う。そこが現在という時代がエディプス複合の地獄の層をいくらかの度合いでぬけつつある徴候であり、この徴候を手がかりにエディプス複合の拡張としてハイ・エディプスの可能性を遠望できるはずだと吉本隆明は言いたがっている。

 吉本隆明の思考の癖は一貫している。ハイ・エディプスの手法とおなじ手つきで、人間というのは実に粗末な、空虚な観念で、いずれにしても将来ゼロに近づいてゆくのだ、と吉本隆明は予告する。「ある意味で『内面の時代』はすでに終わっています。・・・人間の内面性も同じことです。ゆくゆくは廃棄処分になるというのが、これからの人類の未来じゃないですか」(『わが「転向」』)。こういう吉本隆明の理屈に出会うと痛ましい気持ちになる。人間を粗末で空虚でそのうち消滅するというのはまるごとフーコーの影響だが、そこにどれほど文明史の必然を読み込もうと、またそのことをどれほど緻密に考察してもなにかへの過程として生があることに変わりはなく、結局は自分が空虚だということをいっているだけなのだ。自分が空虚なことを真理にされたらたまらない。歴史の近代に発祥した思考の型が外延された典型的な悲劇だとおもう。ニーチェはこの罠にかかって絶叫したが、吉本隆明は俯瞰する。このちがいはおおきい。

 私はエディプス複合の地獄の母型とも、時代の流れを組み込んだハイ・エディプスの試みともちがった感触をもっている。太古の気楽な面々が偶然身につけた激しい性の情動によってヒトが人になったと私は考えている。ひとは由来からして元来セクシー・アニマル・コンピュータなのだ。この官能は刈り込むごとに世界をふかくする。人間というセクシー・アニマル・コンピュータを駆動する内包表出のうねりが貧血することはない。したがって人間という概念が消滅することもゼロになることもない。男や女が中性に近づくこともない。ただ内包表現という生の思想に感応して、人間という概念は幹を太くし、ヴァーチャル・リアリティーは生身の実感へと巻き込まれて知覚を拡張し、性が艶かしくなるだけだ。〈あなた〉が〈わたし〉であるというメビウスの性が炸烈して、熱くてじんとして狂おしい情動から大洋感情がむくっと身をもたげ、この大洋の像を太古のひとびとは、群れと、群れから分極しつつあったわが身の軋みをなだめたくて、時代の制約のもとで呪術やアニミズムとして表現し、時代を経るにつれて洗練され、やがて太陽の像は一神教や多神教の「神」や「仏」として名づけられるようになった。宗教を謂わば扇の要めとしてひとびとは多様で多義的な自然を扇状地のように折り重ねた。国家や消費社会もそのひとつであるといえる。

 ひとびとがじぶんのなかに際限のない無限や無意識を発見したとき、反力として大衆と人間と社会が発見され歴史は近代を刻みはじめ、〔自-多〕の亀裂は〔自〕と〔性-家族〕と〔世間〕の三層の観念を〔自〕のなかに織りたたむことになった。〔自〕のなかに際限のないものを見出すことは同時に〔自〕を追い詰めることでもあった。その尖端の時代に私たちは今、位置している。
 〔1〕の回路が〔1〕の回路のまま他の〔1〕の回路と交叉しつくられる観念を、これまで私たちは対幻想と言ってきた。私は〔1〕の回路をひとひねりして〔あなた〕の〔1〕の回路とつないでみた。するといきなり真っ赤な白が出現し一気に大気を濃くした。それが対の内包像ということだった。対幻想ではなく対の内包像に性を巻きもどせばフロイトの性や無意識がひらかれる。

 フロイトのエディプス複合を可能とする根源の〔1〕と〔1〕の保存系といえるエスのリビドーによる結合が地獄の母型だということはともかく、この「憎悪、恐怖、殺害、死」という地獄の層をぬける徴候がみえるようになったからといって、ハイ・エディプスは可能だろうか。すぐそういったことを考えたがる思考の癖を矯正しないかぎり、エディプス複合によって根本から曲がった生や生の軌跡を伸ばすことはできないと私はおもう。吉本隆明がやろうとしていることは時代の変化の徴候を変数としてエディプス複合に組み込めば、ハイ・エディプスが可能なはずだという願望だが、吉本隆明の執る意識の線状性が生のなかにいやおうなく特異点をつくるのは明白だ。五O年経とうが百年経とうがなにもかわらない。

 私はフロイトや、フロイトの性の拡張をはかる吉本隆明と全く異なった感覚が可能なことに気がついた。直観が私の掌のなかでビクンビクンと跳ねている。太陽の近くを光が通過すると相対論の効果によって光の進路は曲げられる。フロイトや吉本隆明が考えたことはここまでだ。そこで私は考えた。光の進路をもう一度、直進させることができるはずだ。簡単な思考実験で示すことができる。ほんとに簡単なことだ。太陽の近くを光が通過するとして、光をはさんで太陽とちょうど対称的なところに太陽とおなじ質量の太陽をもうひとつ持ってくればいい。そうすると曲がるはずの光は直進するはずだ。すくなくとも光は直進すると知覚されるはずだ。

 もちろん私はここでライヒの「曲がった木」がどうやったらまっすぐ伸びるかということをイメージしている。吉本隆明の〈地獄の母型〉という近代知がどれほど人の生を脅迫するかと言いたい。それでは人類が起源からして精神を病んでいるというにひとしいではないか。明晰は迷妄からひとを救いはするが生を熱くすることはない。さらに私は考えた。反撥するより〈極楽の母型〉をつくるほうがはやいぞ。太陽の重力効果を無化する然然の大洋の像をつくれば、胎乳児期の母子関係の如何に関わらず「地獄の母型」はそのまま直立し〔然り!〕と往生するはずだ。思想を革めることの真のおそろしさがここにある。だれもここまでは踏み込まなかった。

 「木が一度曲がったまま伸びてしまうと、あとでそれを矯めることはできない」という世界の知覚は近代がつくったおおきな落とし穴なのだ。フーコーでさえも近代のこの罠をほどくことができなかった。私は世界に熱い風を吹かせようと、とうとうここに踏み込んだ。生を社会化し性をひらたくひきのばす〔1〕の回路をどんなに緻密に外延しても精神のかたむきを矯めることなんかできるはずがないのだ。そういうことではない。ありえたけれどもなかった、関係するごとにふかくなる性、真っ赤な白が存在する。たぶんここより先に文学も芸術も科学も行くことができない。不可知論としてではなく、〔内包〕という知覚が、欲望するすべての可能性の源泉だからだ。

 ライヒや吉本隆明の精神のかたむきをなぞる〈地獄の母型〉という母子関係の起源をなすものがフロイトの性の手前に存在する。真っ赤な白という〔内包〕する知覚が母子関係や家族に先行して存在する。胎乳児期のこどもに母親の愛憎が刷り込まれるのではない。この解釈は一見誰にもよくおもいあたることで、どこにも謎がないように見えて、しかしよく考えると途方もない知の倒錯がある。愛憎の起源をみなし孤にするのだ。カクカクシカジカの理由で母親は、胎児あるいは乳児に〈地獄の母型〉となる信号を発信し、カクカクシカジカの理由でその子はネジレたとする。

吉本隆明がつかんだ無意識が、空虚、荒れている、傷んでいるという三類型。この理念はまちがっている。それはだいたいのところ夫婦関係がうまくいかなかったということをいっているだけでありふれたことだ。しかしそれにも関わらず、こどもはそこから甚大な影響を被ってしまう。ある、ある、ある。そんなことは諺で「三つ子の魂百まで」といって誰でも知っている。こどもは親の世代のエディプス複合とその時代の影響を受ける。たしかにそうだとする。するとその親はその一世代前のエディプス複合と当時の時代の時代性という影響を受ける。理屈で言うとそうなる。

 そうやってきりなく遡行したとする。そうするとかならず〔1〕の回路の起源をなす、迷子になった大文字の感情の一群が、唐突に出現するはずだ。ではその大文字の感情はどうしてあらわれたのかという問いに〔1〕の回路は答えられない。それでどうなるかというと、人間の自然との関係としてからだとか、歴史のある段階における制度と人間個々人の矛盾としてからだとか、つまり、ヘーゲルやマルクスやフロイトやレヴィ=ストロースらの考えたことをさすがに天才はすごいといって崇めたりするしかなくなるわけだ。どんなに巧妙などんなに徹底した意識の外延化も発生や起源においてかならず意識の特異点をつくってしまう。

人が考えつくことはよく似ている。つまり、〔1〕の回路の輪郭をぼやけさせて、自他未分離の混沌としたところに意識の発生や起源をもとめるというわけだ。猿の生態を超長時間ビデオにとって早送りすると、あるとき、あるところでピッと人間になるだろうか。私はならないとおもう。もちろんそれは反科学を意味しない。かたちに起源をもとめる自然人類学や考古学のウソがいつもここにあると私はおもっている。同じように宗教を批判した近代の天才たちは意識の明証性に溺れ言葉を過信した。そのツケを百年かかってまだ払っている。私は彼らよりもっと明証的であるとおもっている。私はあらゆる人間的感情の起源は性にあると考えているから、〔内包〕の知覚なしに、わが子をじいっと見つめる母親のまなざしのふかさも、ああ、こうなったのもすべてアノ男のせいだとかいう嫌悪の感情が生じることもありえないとおもう。〔内包〕の像の表現として戦慄・恐怖・不安・憎悪・対立・孤独という大文字の否定がはじめてあらわれるのだ。

 〔内包〕の知覚を〔1〕の回路に封じ込めたとき、近代がはじまった。偉大な近代に巨大な罠がしかけられた。〔1〕の回路がみずからに無限や無意識を発見したとき、この際限のなさが〔内包〕の表現のあらわれであると知覚すればよかったのだ。興隆する近代の勢いが根源的な点としての主体を実有と見做し、〔内包〕を陰伏した。もちろんそんなことは後の祭だった。怒涛の近代は過ぎて世界はきっちり貧血する。私は〔内包〕という朱色のたましいをじぶんの近代を通過して手でさわった。〔内包〕は官能する。感応する知を革めるということはかなり怖いことだが、GUAN この感覚はいいぞ。世界にはじめて吹く風、欲しいひとには分けてあげてもいいとおもっている。私はうすいピンクの〔内包〕する知覚を大洋の像と呼ぶことにした。刈るごとにふかくなる性、ここが、私の大洋の像だ。(『内包表現論序説』476~481p)

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むかし書いた文章を読み直して、吉本隆明のいう地獄の母系や母子関係に人間の認識や感性の絶対的な起源を求めた考えのどこに致命的な欠陥があるのかということについて、おおまかなことは言えていると思う。20年前はここまでしか考えることができなかった。いちどねじ曲がった性格を矯めることはできないというライヒの考えや吉本隆明の決定論はきつくて痛ましい。太宰治や三島由紀夫の精神の原型を胎乳児期まで遡り解釈しながら吉本隆明はじぶんの精神の固着について語っている。スキャナで引用文を読み取り、貼りつけながら途方もない思想家だなとあらためて思った。じつにおおきな弓を引く思想家だった。内包という考えは吉本隆明の思想とはべつの圏域にあるがそのことを差し引いても凄いものはやはり凄い。畏るべき思想だ。

 例えば、太宰治という人がいるでしょ。それから三島由紀夫という人がいるでしょ。これは〈母親との物語〉でいえば、それぞれ違う。太宰治のばあいには母親なんか出てこないんですよ。乳母、めのとに授乳してもらっています。これは天皇なども同じで親子の相続を公権力の相続と同一化したいばあいのやり方です。これは相当ひどいもんだという気がします。太宰治の『津軽』という小説で、郷土のことに触れています。ほんとうはなにも地理的な関心ではないわけで、自分を養ってお乳汁を授乳してくれた乳母さんと逢いたくて行くんです。その人が母親のイメージなんです。その息子-自分との乳兄弟-がいて、きょうは孫の運動会かなにかで応援に行っているというので、太宰治はよろこびいさんで運動会場にいくわけです。そして「いたいた」とおもうんですね。ものすごい懐かしい、母親だと思ってゆく。そうすると、むこうはふつうの、思い込みなんか何もないむかし働いていた豪家の息子でお乳やっていたけど、その後は知らないという感じで、「やあ来たか」とかいう調子で、ちっとも太宰治が思い込んでいたニュアンスはない。だから、太宰の思い込みはそこでバッサリやられちゃう。それと同時に太宰治は母親は情緒てんめんとするものだというイメージを修正するんです。「ああ、そうか、これがほんとうの母親、母親というのはこういうものだ」と思う。淡々と、でもきのうまでいっしょにいたみたいな感じで「きょうは孫のあれでなあ」みたいな話をするんですね。ある一面で落胆しながら一面で充たされるんです。太宰の乳児体験をみていると、この人に生きろというのは絶対にむりだと僕にはおもえますね。
 三島由紀夫のばあいでもそうです。生まれてから二、三週間かな、もうお祖母さんがとっていっちゃうんですよ。母親が弱いからとか、おまえたちは二階に住んでいて危ないとかいってね、とっていって、自分の部屋にとじこめて隣に蒲団を敷いて、そこに寝かせてぜったい母親にやらないんです。これでこの人に生きろというのはまったく無理だ、僕のフロイト亜流の考え方からすると、これはぜったい無理だとかんがえます。これでもある程度生きられたとすれば、もう超人的な意志力ですね。三島さんもそうだし太宰治もそうだから、ふつうの人ではとうていだめな、絶望的なことです。それを超える天才的な意志力で生きるところまでは生きたけれど、けっきょくは異変死してしまいますね。「他のどんな条件があってもこんな乳胎児期を体験したらおまえ生きるなと烙印をおしたとおなじだよ」とおもいます。(『ハイ・エディプス論』 20~22p)

 感覚的なところからいえば「ほんとうのことをいったら、世界は凍ってしまう」という感じ方はいまでもあります。どうしてそんなものがあるのか、そういった問いは何にゆきつくかです。きょうのテーマにひきよせていってみます。自分が知っているべきなのに知っていないこと、こう考えられるべきなのにそう考えられない、そんな矛盾の認知や感覚が自分にあるのは、母親との関係のところに未知な部分の起源があるということです。その未知な部分は、いっちゃいけないこと、いうのはたいへんきついこと、いえば母親との関係で凍ってしまう何かであるにちがいありません。母親とのあいだの物語があんまり幸福じゃない、だけどそこはよくわからない、しかも絶えず自分をそこのところでは駆り立てていくもの、いつでもおびやかしているもの、そこに「ほんとうのこと」があるにちがいないとおもいます。だれだって母親との関係は、直接に体験したとしても意識的には体験していないわけですから、わからないわけです。確かめるには、母親か、あるいは周囲に確かめるかほかにない。すると母親が「ほんとうのこと」をいうはずがない。それが「ほんとうのこと」ですよ。つまり、いうはずがないということが自分のなかでは重大なんだということが、いまの 「ほんとうのことをいったら世界が凍る」という言葉の根源じゃないでしょうか。「おまえが、乳児の時、自分はこういう心の状態で、こういう環境で、こういうふうだったんで、こういうふうな扱い方したんだよ」ということを、すべての母親(僕の母といってもいいんですけれど)がちゃんと「ほんとうのこと」としていうはずがない。その認識が起源として僕にあるということじゃないでしょうか。(同前 46~47p)

それじゃ、何が「ほんとうのこと」なのかは、なかなかむずかしくて求められない。そもそも「ほんとうのこと」と「うそのこと」とか、何が真理かみたいなことに、なぜ人はこだわるのかといえば、たいてい根源的に乳胎児期にこだわりがあるということです。それをいうかいわないか、意識するかしないかはべつにして、第一義的にそこにこだわりがある。僕にはそうおもえます。比喩的に乳胎児期は始原の星雲ですから。(同前 49p)

定義により地獄の母型を免れることのできる者はひとりもいないことになる。そしてこのひずみをフロイトの無意識によっていっそう補強するという論理構成になっている。だれにもいくらか心あたりがないとは言えないが、なんかおかしくないか。かなりひずんでいると思う。吉本隆明の思想はかれ自身を呪縛する。振りほどこうとするほどにますます追い込まれていく。吉本隆明の地獄の母型は人の生を苦しくするだけであってこういう生の感受は違うのではないかと若い頃思ったわけだ。否定性をばねに表現をなすという思考の偏りが吉本隆明の思想には色濃くある。「マチウ書試論」や「転向論」を経て中期の三部作『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』『心的現象論序説』、晩年の三部作『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』『母型論』『アフリカ的段階について』まで一貫して孤独な営為を追求してきた。

自己を実有とする自己意識の外延表現の範疇に吉本隆明の思想も入るわけだが、地獄の母型は無意識をつくることにより抜け出すことができるのではないかと吉本隆明は言いたい。そのほかに母親との物語が地獄の母型を脱することはできないとかれは考えた。ひとつの説明の仕方としてはよく分かるが、なにかを猶予することでいつも生は「ほんとうのこと」からの未遂としてしか生きられない。理念をつねに相対化し重層的な非決定として生を生きること。それしか吉本隆明は言わなかった。

そんなもので生きられるかと若い頃思った。むかしシーナ&ロケッツの鮎川誠と話をしたとき、ロックてなんね、と聞いたことがある。鮎川誠は言った。俺がロックたい、俺見よったらわかろうもん。おおっと思った。そんなものが吉本さんの思想にはない。生はいつも未遂のなにかとしてある。吉本隆明の思想もまた外延表現という制約されたひとつのフィクションではないのか。ここで外延表現の意識はぎりぎりと引き延ばされる。人間の精神の原型にある地獄の母型を胎乳児期に求めながら歴史のゆくえを探るとき、かれはそこに文明史の転換を遠望している。壮大な、そして空虚な思想だと思う。ほんとうに吉本隆明はプロレタリア文芸理論を底の底まで批判し得たのだろうか。なにかが未遂ではなかったのか。わたしは吉本隆明の思想にはおおきく考え残したことがあると思う。

吉本隆明がなにを着想したかといえば、子に転写された地獄の母型という無意識をあらたにつくることで、ひとがあやなしてきた文明史を転換できるのではないかということだった。そこに吉本隆明の特異な孤独のかたちがある。「しだいに佳境に入っていくとき、呼吸が詰まり、言葉が詰まり、くりかえしが多くなり、お喋りのテンポが速くなっていく。伝えたいのに伝わらない、あるいは、もっとも伝えたいことが言葉にならない、あるいは、もっとも伝えたいことはもともと言葉にできないのではないかというもどかしさ」がついに「わずかなイメージのつながりを辿って文明や制度のはるかに向こうにある、個人の起源と重なった人類の起源のイメージを」を手に入れる。「おそらくここが吉本さんだけが立った《未知》」と菅原さんが2015年3月24日のツイートで書いていることは母親の胎内に意識の絶対的な起源があるということと切り結んでいる。「まだ俺は、俺の考え方の底のほうまで理解してくれた人はおらんな、っていうそういう感じがします。それは俺はちょっと自信がありますね」(『浄土からの視線』菅原則生)という吉本隆明の発言もおなじ場所から言われている。この凄まじい言葉の立ち位置のことをわたしは自己意識の外延表現の極北と形容してきた。吉本隆明ただひとりがここに立っている。じゅうぶんにわかる。またその自負がなければオウム真理教の事件の頭目の麻原の宗教観を擁護することもなかった。そのうえで吉本隆明は解けない方法で解けない主題を解こうとしていたということを申し述べたい。

「曲がったまま」という考えは決定論であり現実をなぞっているにすぎない。現実をなぞるだけで表現論までライヒも吉本隆明も持っていけてない。これは吉本隆明の思想の宿命と言ってもいいかも知れない。自己意識の外延表現として、よくここまで考えることができたと言ってもよい。思考の研鑽は鬼気迫っている。だれがここまで考えぬくことができたか。しかしそれらすべての思考が内包の事後的なあらわれにすぎないということに吉本隆明が気づくことはなかった。吉本隆明の思想では現実に負けるのだ。新しい現実をつくる力が晩年の吉本隆明の思想にはない。

存在しないことの不可能性として存在の彼方があるということは実感としてわかってもなかなかそれがどういうことかうまく言い当てられないできた。内包と自己同一性のつながりはどうなっているのか。なぜ根源の性の分有者は狭苦しい同一性に押し込められてしまったのか。内包という意識の豊穣さに驚いたあまり、この意識のきりのなさを味わい尽くしたくて思わず身が心をかぎる意識のありようを可視化したのだ。この実体化に同一性の起源がある。

20年前に書いた文章のどこにも修正することはなかったが、うまく言えていないことがいくつかある。このあたりのことはユングもレヴィナスも道元も西田幾多郎も岡潔もみな失敗している。ヘーゲルやマルクスやフロイトにはもともとこの感度がなかった。わが吉本隆明においてもまた。空間化できない時間のうねりをどこかで可視化したのだ。マルクスの『資本論』に隠された神の見えざる手は、吉本隆明の思想では理念としての大衆に相当している。マルクスや吉本隆明にとって対幻想は自己幻想と共同幻想の結節としてあるのであって、けっして共同化できないそれ自体ではなかった。観念の位相が違うといって済む話ではないのだ。そうではなくて対幻想の裂け目を流れるなにかにだけ生の可能性があるとしてわたしはそこを生きた。これは理念ではない。生きられる生の可能性がここにある。自己という現象はなにかの事後的なあらわれにすぎないにも関わらずはじまりの不明を隠蔽するなにかだった。『経哲草稿』の野生のマルクスはおおらかで、日中-太平洋戦争の重力を反力として生きた吉本隆明もマルクスとおなじく自己というはじまりの不明を括弧に入れ、自己を起点に思想を立ち上げた。

『ハイ・エディプス論』のあとがきにはインタビューは1989年6月~10月になされたと記されている。

 僕は〈大衆の原像〉ということに、自分なりのイメージの具体的な変化がすこし与えられるようになった気がします。〈大衆の原像〉といいはじめたときと、いま〈大衆の原像〉というばあいと、どこが変化し、どこがちがっているのか考えますと、唯一のことは具象的なイメージが、かなりはっきりみえるような感じがちがいます。見える感じは、こっちの考えや洞察力がすすんだというよりも、たぶん社会的な条件がすすんできたということです。具体的には何をとってきてもいいんです。ひとつは大衆のイメージを思い浮かべると、大衆の無意識と意識とが逆転した気がするんです。つまり、逆転するようにわかってきたということです。大衆の理念的意識と、理念的無意識がイメージとしてあるとします。それまでは理念的無意識の方が意識化されるべき大衆の課題として存在したと考えると、それが逆転してきた。大衆の存在自体が露出してきたために、大衆の無意識の方が、かつて意識としてみえていたその場所に置かれてね、それから意識された大衆あるいは大衆の意識と考えられていたものが、かつて無意識があった場所に置かれて、逆さまになってきたなということです。つまり、そんなふうに社会は変わってきました。かつては大衆に無意識があって大衆は大衆という胎内で産まれたからだと考えられました。歴史と一緒にその無意識の部分が意識化されたり、あるいは意識的に大衆という無意識の理念をつくりあげたりした。現在は逆に大衆の無意識が大衆のつくりあげた意識があった場所と同等のところにあがってきた。あがってきたための当然の課題として、意識的に築き上げてきた大衆の意識が、大衆の無意識があったところとおなじところに逆転して、意識された大衆のおかれた場所よりも、大衆の無意識つまり胎内からうまれたときのその無意識の存在の方が先へきちゃった。これは僕のなかでは相当確実な実感のイメージです。だから、もう一度大衆に課題があるとすれば、いままで意識的な大衆だと自己存在を規定してきたその大衆は、無意識の大衆よりも自分が下位にあると解することが課題だろうとおもえます。意識的な大衆があったところまでせりあがってきてしまった無意識な大衆は、どういう課題があるかといえば、意識的大衆であるべく存在した理念を謝絶するところからはじまるでしょうね。(同前 91~92p)

わたしも同時期に吉本さんと長時間のすれ違い対談をやった。関連するところを貼りつける。おなじことを吉本さんは発言した。この時期は興隆する消費社会をどう理解するかということに吉本さんのすべての関心があった。歴史の無意識としてあった大衆が一般大衆として登場したというのが吉本さんの理解だった。社会の総中流化はその後、格差社会へと舵を切り替えた。吉本さんの占いは見事にはずれた。むきだしの生存競争というわけだ。わたしたちを暮らしは日々脅かされている。わたしはこの一点においても吉本さんの思想家としての命運は尽きていると思う。

 つまり、帰りがけの視線といいますか視野からみた大衆というのが理念になるっていうことは、もう、これからもし歴史に課題があるとすれば、それしかないとぼくにはそう思えますけどね。それが誰もできてないんだよということで、それだけしか歴史のなかに残ってないんだということです。少なくとも、人類の現在の世界の歴史の一番先端の部分で捉えるとすれば、もうそれしかどこにも残っていない。もうそれがいらないんならば、別に歴史はいらないし、社会もいらないし、社会が変わることもいらないし、何にもいらない。
 なぜなら既にもう大衆は、日本を例に取れば、七割八割が私たちは中流だと思ってそう言っているから。中流っていうのは何もする必要がないんだよおれは、もうこれでいいんだよということです。あと上流になるっていうのがあるかもしれないけど、もう一通りやることはないんだよって、もうちゃんとおもっているわけだから、大衆自身が。ずぶずぶの大衆はそうおもっているんだから。
 だけど、どう考えてもそれが歴史の最後だとかいうふうにはとてもおもえないわけです。だから、唯一課題があるとすれば、大衆っていうのをむこうから、帰りがけの視線でみて、理念としてちゃんと取り出せて、あなたの内包表現論じゃないけど、それに近いところから少しずつこの理念がやれてくるっていいますかね。大衆っていう理念が実現されていくっていうことです。ぼくにはそう思えるわけです。

 別に大衆の前衛もいらないし、その大衆の共同する組織もいらないし、そういうのはだめなんだ。そうするとあとは大衆という理念しかないんだよ、大衆という無意識ならばもう、ほとんど、中くらいまでは、ちゃんと解放されてるわけだから。ただ大衆という理念だけはちっとも手をつけられてないです。歴史が手をつけてないですし、社会が手をつけてないですし、もちろん理念、思想は手をつけてないっていうふうに、ぼくには思えますから。それしかないんだよってことを、ぼくはそういうふうなことをいいたかったわけなんですけどね。そこの問題のような気がするんです。

 最初に、『マス・イメージ論』にとっかかったときに、結局、ぼくは、『マス・イメージ論』というのは、そういうふうに言ったこともありますけど、『共同幻想論』の現代版だと自分のなかでは位置づけました。『共同幻想論』ていうのは、過去を踏台にして、自分の考えを作り上げていったというものですけど、これはいっさい過去を踏台にするってことをやめて、現在目の前に展開していることだけを素材として、『共同幻想論』と同じ方法といいましょうか、これを使ったらどういうことになるのか、何が見えてくるんだということをやろうみたいにおもって、それから場所の大転換をしたと思います。
 そして場所の大転換と一緒に、たぶんイデーの、理念の大転換というのをしたとおもいます。それはやっぱり、知識人と大衆とかっていう、そういう言い方をすれば、なんていいますか、徹頭徹尾、大衆っていう基盤を、まず基にしようじゃないか、つまりじぶんの発想の基にしようじゃないか、つまり、これは森崎さんの引用しておられる、大衆の原像っていう場合には、イデー、理念としての大衆のイメージですから、実際に大衆がそうであるかどうかということとは、あまりかかわりなく、イメージの原像っていうのはつくってきたわけですけども、そうではなくて、実際問題として、大衆という理念っていうのを、まず自分の理念の重さとして、そこに重さをかけてしまおうじゃないかというふうに転換したと思います。理念もそこで転換をしたとおもいます。(『パラダイスへの道 ’90』所収対談「対幻想の現在-疎外論の根源」吉本隆明vs森崎での吉本隆明発言)

こういうことだ。吉本さんは興隆する消費社会を目の当たりにして戦後二度目の知の解体処理をやっている真っ最中だった。対談から四半世紀を経て中流の幻想は一瞬で崩壊し、わたしたちは日々の暮らしに汲々としている。1990年にわたしと吉本さん共通する問題意識があった。それは敗戦と黒船が同時にやってきたという感受だった。このとき吉本さんは社会が九割九分中流化すると時代を占い、わたしはこれからハイパーリアルなむきだしの生存競争を迎えると主張した。黒船とはグローバリゼーションの謂いである。時代は急旋回し、グローバリゼーションの猛烈な圧力に煽られテロ勢力が台頭し世界は流動化の度合いを増している。世界がどう編成されるのか混迷の極みにあるといってよい。
吉本さんの主張する、大衆の無意識を理念化するという吉本さんにとっての課題は、歴史の無意識としてあった大衆が一般化した大衆として躍り出た。知識人も大衆も、大衆の前衛も見事に解体された。この変化は皮肉にもグローバリゼーションによってもたらされた。それが人類の総アスリート化だ。ひとびとはみな競技者であることを強いられる。ここにあるのは勝者と圧倒的多数の敗者である。そのすべてを金が按配する。むきだしの無言の条理の現前。この未知はどこに向かうのかという問いがすでに同一性に閉じられているという皮肉がある。

逸脱というものの本質は、どこにあるんだといえば、〈無効性の観念〉のところにあるんじゃないのか。〈無効性の観念〉というのはなんなのか?それは、党派でないといえましょう。ほんとうのことはなんなのかと、かかわりがあります。〈無効性の観念〉ということ自体を、真なるものだというふうにはいえないでしょうが、ただ関連はあるんじゃないか。それはたぶん逸脱ということのいちばん最後の段階にやってくる問題です。なぜ無効なる観念が、逸脱として、いちばん本質的なのかといえば、逸脱でないものと、ハーモニーがあるといいましょうか。ある共鳴性、一致性があるからなんだろうなとはおもいます。ごく自然に知の輪郭と、生活の輪郭とが一致した逸脱のなさと、〈無効性の観念〉とは、そこでなら共鳴を生じるでしょう。そこでならば、人間と人間じゃないものとのちがいと、究極的な観念の無効性みたいなもの、成人とか死に近づいた時に問題になってくるようなものとが、一致しうる。観念の無効性をいうとすれば、そこのところにいちばんの問題があるとおもいます。そういう関連のさせ方はできるんじゃないでしょうか。「ほんとうのこと」というのはなんなんだという問いにたいして、乳胎児段階における人間と人間でないものとのちがいと、人間の成人期以後の権力とか親和とか違和とか、制度の共同性とかいうものとが円環して一致しうるところにほんとうのものを想定できる。そういう問題に帰着してくるような気がします。そこを微細なところまで追求していければ、いいわけでしょう。(『ハイ・エディプス論』203p)

わずかに註釈をつけ加えれば吉本隆明の〈無効性の観念〉という考えが無効なのだ。なぜこういうことになるのか。吉本隆明の「転向」の態度変更より世界の変貌の速度が速かった。いまフーコーの本を読むと当時斬新だったフーコーの考えが牧歌的に感じる。吉本隆明の戦後二度目の知の解体処理ものどかである。この過程をうながしたものはハイテクノロジーであり、それと結合した金融経済だと思う。どんな思想もこの急峻な変化に追いついていない。それは理念というよりは実感としてある。「逸脱として、いちばん本質的なのかといえば、逸脱でないものと、ハーモニーがあるといいましょうか。ある共鳴性、一致性があるからなんだろうなとはおもいます」でいわれる自然な調和は同一性権力のもとでは伊藤の計劃の小説『ハーモニー』で実現される。「老人たちがそれぞれのコードを入力し、ハーモニー・プログラムが歌い出した瞬間、人類社会から自殺は消滅した。ほぼすべての争いが消滅した。個はもはや単位ではなかった。社会システムこそが単位だった。システムが即ち人間であること、それに苦しみ続けてきた社会は、真の意味での自我や自意識、自己を消し去ることによって、はじめて幸福な完全一致に達した」「社会と自己が完全に一致した存在への階梯を昇ることが」究極のハーモニクスであると作品は最後に語る。世界は同一性の必然として必ずそこまで行く。かつて吉本隆明は共同幻想という概念を創案してわたしたちの囚われを一瞬で解いてくれた。かれは言葉の力で現実をつくりかえた。晩年の吉本隆明は全力をあげて社会の生成変化を解き明かそうとしたが社会の変化の速さについていけなくて現実をなぞることさえできなかった。まして現実を超える力を言葉がもつことはなかった。わたしたにはひとつの透徹した思想が現実によって越えられていく光景を目撃した。自己を実有の根拠とするあらゆる思想との永訣だ。

    5
プロレタリア文芸理念を根底から批判しようとして吉本隆明は『言語にとって美とはなにか』を書いた。わたしの理解では自己を実有の根拠としてこの本は書かれている。マルクスの未遂と同じものがこの書物にもある。1949年に吉本隆明は書いた。「意識は意識的存在以外の何ものでもないといふマルクスの措定は存在は意識がなければ意識的存在であり得ないといふ逆措定を含む。このような措定の当否は唯確信の深さと、実践によって決せられねばならぬ。ここに至って詩的思想はマルクスの所謂非詩的思想と対峙するに至るのだ」(吉本隆明「ラムボオ若しくはカール・マルクスの方法に就いての諸註」。このリアルに立って吉本隆明は全力をあげプロレタリア文芸理論を批判した。その成果のひとつが『言語にとって美とはなにか』だ。だれも気がつかなかったおおきな空隙がここにある。存在が意識を決定するというのは前衛主義者らの常用の口舌だったが吉本隆明は猛烈に反発した。存在が意識を決定するとして意識がなければ存在そのものを措定できないではないか。詩人吉本隆明はこう直感したが、ではその意識とはなにかと吉本隆明が問うことはなかった。

わたしの理解ではマルクスの思想に思想として未遂があり、その未遂を受け継ぎ吉本隆明の思想もまたつくられた。存在と意識の相互規定や相互浸透について徹底して考えられた気配はない。レヴィナスはみずからを襲った厄災をとおして存在の彼方に出ていこうとした。その思考の奇跡をレヴィナスは存在するとは別の仕方や存在することの彼方と苦しげに呻くようにして言った。あるいは自我は起源に先立って他者へと結びついているとも言った。しかし起源よりはやく他者へと結びついているということはどういうことか、他者と結びついている自我とはなにかをうまくいうことはできなかった。ユダヤの神のもとで他者について間違った一般化をしてしまった。だから第三者が登場したとき国家の正義を要請することになり、あらためてこの世のしくみをなぞることにしかならなかったのだ。存在と意識にまつわる根深い謎がある。この謎を解かないうちに世界はハイテクノロジーと融合したグローバル経済に席巻されている。だれのどんな思想によっても難攻不落の堅固としてあった国家が皮肉にもこの勢力によって非関税障壁の最たるものとしていまや瀕死の運命にある。マルクスにも吉本隆明にもレヴィナスにも国家や経済が同一性を実有の根拠とした自然であることをしらなかった。わたしはこの自然のことを内包論から外延自然と呼んでいる。存在するとは別の仕方や存在することの彼方は内包自然にほかならない。根源の性を核として内包自然がまったく未知の生の様式を可能とする。なぜ未知か。内包自然はどんな超越も要請しない。けっして共同化できないそれ自体としてあるからだ。

たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする。人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、海が視覚に反映したときある叫び声を〈う〉なら〈う〉と発するはずである。また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ〈う〉なら〈う〉という有節音を発するだろう。このとき〈う〉という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声であるが、この指示音声のなかに意識のさわりがこめられることになる。また狩猟人が自己表出のできる意識を獲取しているとすれば〈海(う)〉という有節音は自己表出として発せられて、眼前の海を直接的にではなく象徴的(記号的)に指示することになる。このとき、〈海(う)〉という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる。(『言語にとって美とはなにか』)

現実的反射として〈う〉があり、やがて〈う〉という有節音を発する意識のさわりが訪れる段階があり、指示音声のなかに意識のさわりをとどめおくことができなくなったとき言語は象徴的に発出されることになり、意識のさわりを覚えることと、この与件にうながされて言語を表出することのあいだには千里の径庭があると吉本隆明は言った。

この人間が何ごとかを言わねばならないまでにいたった現実的な与件と、その与件にうながされて自発的に言語を表出することとのあいだに存在する千里の径庭を言語の自己表出として想定することができる。自己表出は現実的な与件にうながされた現実的な意識の体験が累積して、もはや意識の内部に幻想の可能性として想定できるにいたったもので、これが人間の言語の現実離脱の水準をきめるとともに、ある時代の言語の水準の上昇度をしめす尺度となることができる。(同前)

狩猟人がやがてオマールになりパレスチナ人の宿命という現実的な与件にうながされて戦いへと蹶起しざくざくと生が切り裂かれる。1を、自己を基準とするかぎり、この世のしくみはなにも変わらない。自己というはじまりの不明を不問に伏したまま自己という現象の不可解さをナポレオンに憧れながらヘーゲルは精神の劇として『精神現象学』を書き、この世のしくみを変えうると確信したマルクスはフォイエルバッハの『キリスト教の本質』やヘーゲルの『精神現象学』から甚大な影響をうけ『経哲草稿』や『資本論』を書き、マルクスから甚大な影響をうけた吉本隆明は固有の幻想論を書き、而して生は同一性に監禁される。ここになにがあるのか。自己という精神の劇があるだけではないのか。もちろんありとあらゆる文学作品や芸術がつくられ鈍い燐光を放っている。その累々とした未遂のうえにいまもわたしたちの生が長い影を落としている。近代の偉大も錯誤も閉じた生の円環のうちにある。

できるだけわかりやすく祖述する。
免疫学者の安保徹は分析医学の研究を通して体は間違わないという思想の上に古い免疫系という概念を着想し、生き物が陸棲化して以降に新しい免疫を獲得したと言ってきた。世界の免疫学の主流は自然免疫と獲得免疫があり獲得免疫で自然免疫を解明するというものである。主流の流れからすると安保徹の研究は異端である。ここになにがあるか。安保徹はあくまでも古い免疫系がベースであり新しい免疫系は土台の上に特化された二階屋にすぎないと言う。獲得免疫の知見によって古い免疫のふるまいを説明することはできないし、この理の先後を逆にすることはできないとかれは言う。わたしは安保徹の思想に与する。比喩としていうと、安保徹の古い免疫という概念はわたしの内包という概念に相当する。獲得免疫系で古い免疫系の事象を説明することができないように、同一性で内包を指し示すことはできない。
わたしは自己という現象はつねに根源のつながりの事後的なあらわれにすぎないと主張してきた。自己という同一性によって生の奇妙さをつかむことは先験的にできない。かろうじて人格という可視化し実体化されるものとしてしかシュミレートできない。内包という生の豊穣な生の驚異を身が心をかぎることに特化した意識のありようが同一性なのだ。そのかぎりで同一性によって内包のありかを指し示すことはできない。またこの先後は逆にならない。
特化された意識のありようで生を生きると存在は引き裂かれてしまう。それがオマールの世界だ。わたしはすでにその世界をじゅうぶんに生きてきた。この世界にとどまるかぎり世界はこれからも引き裂かれつづける。かろうじて人格に付与された民主主義の理念を念仏として唱えることしかできない。むきだしの生存はいつも民主主義を教導する勝ち組によって位階性を前提として啓蒙される。わたしはこの理念を唱和するものらを唾棄する。

    6
吉本隆明の『母型論』と『ハイ・エディプス論』はほぼ同時期に発表されている。時系列的にいうとドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』のあとに吉本隆明の『ハイ・エディプス論』が出た。そのころこのふたつの書物をうけて「イン・エディプス」(『内包表現論序説』所収)を書いた。ドゥルーズ=ガタリのフロイトの理論にたいする嫌悪はアンチであってフロイトの理論を超えるものではなかったし、フロイトの理論の拡張を試みた吉本さんのハイ・エディプス論は息がつまった。それはわたしの性の感受とはまったく異なっていた。その不満を「イン・エディプス」として書いたのだと思う。
インとは内包のことを指している。胎児と赤ちゃんは母子関係において不可避に地獄の母系を負荷されるというあの文明史の必然だ。読んだとき痛ましい気持ちになったことをまざまざと覚えている。母子関係についての吉本隆明の表現にかれの思想のもっとも致命的な制約があらわれているようにみえる。戦争期に天皇への絶対的な感情をもち帰依した吉本青年の錯誤はかれを打ちのめした。低く腰だめに生きなおそうとしてかれは凄まじい思想をつくった。この『ハイ・エディプス論』にもそれはあらわれている。なぜ家族をつくったのかとかれは問い、畏るべき場所に到達する。

家族とは何か、人間はなぜ家族をつくるのか、男女が恋愛して同棲して家をつくって、それが一生続くか十年続くかわからない。でもなぜそうするのかといえば僕は欠如だとおもいます。乳胎児期の欠如がなかったとしたら、そんなことしないとおもいます。充たされた乳胎児期を理想的に一〇〇パーセント過ごして、しかも母親の環境、母親の母親の環境、三代くらいみんな理想的だったと仮定して、その乳児がおおきくなって男女ともにそうだったとしたら、永続的に同棲することは無くなるんじゃないんでしょうか。なぜ同棲するかといえば欠如が人間にあって、どこかで男女両性とも充たそうとする。もしかして性行為でも、ほかの愛情行為でもいいんですが、その行為の時間だけ充たされれば充分なんだというんじゃなくて、たがいに相手に求めている愛情にはもっと永続的に、抱いてきた欠如というか飢餓感というか、それが満足じゃないということがある。だから婚姻して家族をつくるみたいなことがあるという気がします。そして欠如が深刻なため、すぐにそして繰り返し離婚することになります。(『ハイ・エディプス論』26~27p)

欠如があるから家族をつくったというとき吉本隆明は混乱していたと思う。母系論やハイ・エディプス論が書かれたときこの国は総中流化の幻想のただなかにいた。重層的な非決定の立場から欠如や貧困を土台にした思想はすべてパーであるとかれは宣明した。わたしはハイパーリアルなむきだしの生存競争の時代が到来すると言明した。吉本隆明の主張とわたしのそれはおおきくずれわたしの予感した通りに時代は推移した。そのことは何度も書いたことなので脇におく。吉本隆明は豊かな社会の到来を予言しそのときなにを考えたのだろうか。父と母によって胎児や乳児に刷り込まれた無意識、つまり地獄の母型を意識してつくりかえることで無意識の範型を逃れることができると構想した。それがかれのハイ・エディプスという理念だった。わたしたちは吉本隆明の理念に自己意識の外延表現がたどる極限をみることができる。マルクスのヘーゲルの転倒も、マルクスの経済論にたいする吉本隆明の幻想論の対置も同一性の円環のうちに閉じている。ひとは欠如があるから対や家族をなすのだろうか。玄妙な生の驚異を堪能したいから不思議で不思議でたまらなくて身が心をかぎったのだ。ここに同一性の起源があるにもかかわらず、その同一性によって生の驚異を指し示そうとしてわたしたちの歴史のすべてがあらゆる倒錯と錯誤のうちにかたどられた。それがわたしたちの文明史だ。

いやそうじゃないとおもいますね。つまり「ほんとうのこと」というのはね、質が変わってしまうんじゃないでしょうか。つまり僕がいいたいことが二つあって、一つはどんな時代が来ようと一人の母親がいてこの男との間の子供を産んで、私は自分のお乳で育てていくという母親がいつまでもいるであろうということ、それから、人工的な胎外がちゃんとできてね、受精から何からそこでできるという、それもやがてできるでしょうということもありうるわけです。ただ、どちらかでなければいかんという主張がでてきた時には、それは反対せにゃならん。どちらかでも反対しなきゃいけないと僕はおもいますね。そういう問題が一つ。つまりそれは区別しなければならない。それが存在することはちっとも悪いことでもなんでもない、だけども、それが一種の全体的な主張としてでてくるばあいには、どちらの主張にたいしても反対しなければならない、ということが一つです。それからもう一つは、いま僕が自分の乳胎児期のまあわからないですけれどこうだったんじゃないかなあということ、だから俺はこういうことにこだわるようになっちゃったんじゃないかなあという育ち方の歴史があって、そこで「ほんとうのこと」とは何なんだといっている。大なり小なりそれと質がちがっても「ほんとうのこと」とは何なんだという問題を提起したい心のなかには、たぶんおなじような乳胎児期の問題があるでしょう。ただ、その時に出てくる、つまりこういう現在の状態で出てくる「ほんとうのこと」とは何だという問いとですね、もう人工的な受胎ができると、エディプス複合とか、無意識の層がいちばん奥の方の層としてはなくなっちゃうわけです。形成されないわけですから。そういうところで出てくる人間の「ほんとうのこと」は何なのかというのは、全然ちがうとおもいます。つまり「ほんとうのこと」の質がちがうとおもいますね。だけどやはり問うとおもいますね。何がほんとうなんだって。(同前 69~70p)

両親によって転写された無意識を一世代でつくるために天然自然よりいい人工自然が構想される。ここに自己意識の外延表現がたどる宿命がさらしだされている。そしてそんなことはグローバルな自己同一性権力が率先してやっていることだ。わざわざそのことを追認し、意味づけることもなかろう。生殖医療ひとつの現状でも事足りる。要するに儲かるのだ。人倫を逆手にとった産業である。ほんとうは吉本隆明は内包の際限のなさのあらわれが自己という現象にすぎないことに気づけばよかった。ただ吉本隆明にはその縁(えにし)がなかった。吉本隆明はつぎのように言っている。

 そこがまた違うんです。さきほどのお寿司屋さんじゃないけど、お寿司屋さんの手とおなじようなものは簡単につくれるんですよ。つくれるだけでなく、人間の心音は胎児にとってかならずしも最上でないとおもっています。つまり、この自然はそんなに最上じゃない。人間はもっといい心臓をつくれますし、心音をつくれるとおもっています。

 つまり、そういうことをいいきるのはなかなかたいへんなことでしょうが、天然の自然、地質時代からの自然はかならずLも最上のものではないというところへいけなかったら人類史はだめじゃないかなあ。(同前 73p)

乳胎児期に決定される「無意識」を意識的につくるということに該当するとおもうんです。成人期以後、老人期、その後にくる死の問題は、すでに決定されているとみられる「無意識」にたいして、こっちに還ってくる還り方でもってどういうふうに「無意識」を修正するかということだとおもうんです。フロイト的にいえばすでに「無意識」は決定されている。死も決定されている。成人期以後の現在というのはその決定されているとおもわれている「死」とか「無意識」というのを、向こうから照射されるもので絶えず修正していかなければいけないという観点になるとおもうんです。その成人期以後の修正ということと、乳胎児期を原型として無意識をつくるんだという問題とは、僕はおなじだとおもうわけです。(同前 242p)

吉本隆明の『ハイ・エディプス論』から関心あるところをスキャナで貼りつけた。この本にはなるほどと思ったり、違うよねと感じたりすることがいっぱいあった。傍線があるとスキャナで読み込みにくいのでアマゾンから中古本を取り寄せた。ああ、なんとおなじようなところに傍線が引いてあった。
エディプス複合によって無意識がつくられ、その無意識が、からっぽであるか、傷ついているか、荒れることを不可避に負荷されるという吉本隆明の信は堅固な地獄の母型を想定する。真理は可塑的で可変なもので認識の幅にすぎないという。人工子宮と胎盤で分娩できるようにすればいいではないと。「もう人工的な受胎ができると、エディプス複合とか、無意識の層がいちばん奥の方の層としてはなくなっちゃうわけです。形成されないわけですから」「人間というのは可変で、どんどんかわりますから、その時になったらちっともおかしくないんじゃないでしょうか。・・・いまの人工授精とおなじくらいおかしくなくなっているんじゃないでしょうか」。インタビュアーがそれでは人間と機械の継ぎ目がなくなっていくのではないかと問うと、「人間の心音は胎児にとってかならすしも最上ではないとおもっています」「天然の自然、地質時代からの自然はかならずしも最上のものではないというところへいけなかったら、人類史はだめじゃないかなあ」と答える。
エディプスコンプレックスで無意識がつくれなくなったら、そんなものつくって育てればいいと吉本さんはいう。なんかすごい。でもなんか変。意識の外延はいつまでたっても欠如の意識からまぬがれないことにならないか。先端技術や先端医療の贅を尽くしてもそのことは変わらない。吉本さん、どうしたの。時代遅れだよ。消費社会の欲望を思想化しようとして時代から振り切られている。時代をつかもうとする意志は旺盛だが、時代を超えようとする熱い意志をすでに吉本さんは放棄している。

わたしの理解では吉本隆明の自然は天然自然と人工自然の対比によってつくられていて、天然自然よりもっといい人工自然を創発すればいいじゃないかという論理構成になっている。人間の意識が誕生以降ではなく胎内時期にその原質が形成されることをさらに外延すれば、胎児を育て、分娩できる装置を母体という天然自然に変わってつくればいいのではないか、とかれはいう。理想の自然をつくることができれば地獄の母型は改変可能だと吉本隆明は考えた。それはどうじに歴史の段階の置きかえることができると。胎児の意識がどう形成されるかを細かくたどっていくことはどうじに歴史としてのアフリカ的段階を思い描くことと同義であるとされる。

わたしは吉本隆明の考えは同一性に見事に曝露されていると思う。ハイテクノロジーによって人間という概念が早晩大幅に改変されてしまうということ、それはたしかなことだ。なんども書いてきたことだが吉本隆明の思想の方法は解けない主題を解けない方法で解いているようにみえる。思想が現実を追認しようと機能している。そんなものは思想ではない。思想の全体に虚しさのようなものがただよっている。真理の表層は時代とともに遷移してゆく。そのことはたしかだ。真理はすべてが相対的なのか。吉本隆明はそういっているようにみえる。そうだろうか。変転するなかに不動のなにかがないとなにが変化し、なにが相対的なのか判然としない。そうではないのか。吉本隆明の思想の方法は現実の転変をなぞっているだけで生を生きぬく力を喪失していると思えた。なにかを吉本隆明は生き損ねたのだと思う。吉本隆明は自然にうまく触ることができなかった。自然をどれだけ外延しようとその自然は同一性に閉じられているのだ。この機微が吉本隆明にはわからなかった。そして機能不全となった生だけが残される。

しばらく吉本さんの晩年の思想と格闘しかれの手にしたものに痛ましさを感じた。かれの出生にまつわる精神の傷はますます克明に描かれ概念の抽象度が緻密になるにつれて傷はいやおうなく深まっていった。どこまで意識の起源をたどろうと起源の謎は解けず方法そのものがゼノンの矛盾を招き寄せる。いつまでたっても到達しないのだ。その未遂のことを吉本隆明は思想だといっているようにみえる。わたしたちの文明史が刻印された母子関係の地獄の母型にわたしたちの意識の起源があり、それはまた歴史の概念であると宣明された。意識の起源を正確にたどることができれば歴史の行方を問うことに等しいとする思想が主張されている。読み解くごとにわたしたちは追い詰められ息苦しくなっていく。人間にとっての理想はどうやれば実現できるかと吉本隆明は問い、その媒介として天然自然よりよい人工自然をつくることだと言う。おそらくそう考えるしか吉本隆明の思想の生き延びる余地はなかった。自己というはじまりの不明を抱え込んだまま戦後の時代を血煙をあげて疾走した吉本隆明の思想がいつのまにか時代の追い抜かれ時代から取り残された。
吉本隆明がつかんだリアルやわたしが生きたリアルは、市民主義の理念とはまったく違うものだということではよく似ていて、吉本さんのリアルは外延自然のそれであり、わたしのリアルは内包のそれであったということでは異なる。わたしは吉本隆明の自然をいくらか拡張できたと思う。

吉本隆明の表現意識の根源には自己が自己にとって抜きがたく異物であるという認識がもともとあり、その疎隔感をうめる行為が表現だとされている。わたしは意識のこの呼吸法のことを自己意識の外延表現と呼んできた。歴史の近代は自己意識の外延表現に閉じられていると一括りすることができる。また意識のこの範型を突き破ろうとするすべての行為のなかに近代の偉大と倒錯がある。ここでは対立するあらゆる理念が同型なものとしてあらわれる。この対立し相克する理念は主観的な意識の襞のうちにある主観的な信によって支えられている。そこに同一性的な信がいつも隠れていて、主観的な信は科学や経済という客観によってさらに補強されることになる。どんな信も同一性としての信である。この信は主観的な信を超えた、それこそ関係の絶対性としてあらわれる。わたしたちの日々がこの信によって引き裂かれているにもかかわらず、この真理が主観的な日々を覆い尽くしている。それが現代の現在性なのだ。わたしたちのしるあらゆる表現の行為が主観的な意識の襞にある同一性という信を疑うことはいちどもない。ここに生も世界も監禁されているとわたしは内包論で考えてきた。吉本隆明は自己同一性の淵源を探るのではなく、外延表現をさらに外延する方法を企図した。それが胎乳児期の心性を遡ることは歴史を遡及することとおなじだという方法意識だった。

天然自然よりいいとかれが錯認した人工自然である人工胎盤と人工子宮に比喩されるアフリカ的段階を可能とする概念とはなにか。歴史の無意識として登場する理念としての大衆ではなく、現実の大衆である。消費主体という現実の大衆が歴史の無意識である大衆から迫りあがって一般大衆として登場したとかれは現実認識を語った。この大衆を還り道においてとらえることに歴史の可能性があると。地獄の母型を改変しうる、まだ自然が宗教になる以前の桃源郷を胎内につくることができれば、そのことは歴史の概念として、意識のアフリカ的段階の未来性として構想することが可能であると晩年の吉本隆明は語った。

遡って神話の時代に、それよりもっと前に、時間を逆に伸ばしていくとか、胎内ということがどこにあるか、歴史のなかに胎内ってことがどこにあるかっていうふうに考えれば、大ざっぱにヘーゲル的にいえば、アフリカ的な段階にあって、アフリカ的段階っていうのはなんなのか。たぶん未開、原始ってことと、その間にあるだろうというふうに、漠然とおもうんです。その段階に胎内といいますか、歴史の母胎といいましょうか、歴史の胎内にくるまれて、人間がいたとおもいます。まだ自然を宗教にできないんだけれど、自分を自然からそんなに分離して考えていないといいましょうか。意識としてわけられても、生活としてわけられていないという生活をしていた時代を考えると、そこが母胎だろうとおもいます。現在に肉薄していくということは、母胎がはらんでいる問題に肉薄していくということとおなじことを意味するでしょう。人類の母胎ってなんなんだってことを、いろんな要素からはっきりさせていかなければいけないみたいなことが一つあるとおもうんですね。ヘーゲルの歴史哲学を見ると、頭のいい人、天才的な人ですから、わりによく特質をとらえているとおもうんです。だけど、その口調をみますと、嫌悪すべき、野蛮極まる段階としてアフリカ的段階って考えられています。いま、アフリカ的段階を設定するばあい、そうじゃないんですよね。嫌悪すべきことだったら、そんなこといくらいってもしょうがないことになるわけです。そうだったら、現在にいたって、ますます発達していく一段階をいっているだけにすぎない。還りの眼の方からみて、一種の母胎としてアフリカ的段階があって、人間はそこではまだ自然だ。自然とそんなに訣別していなくて、自分自身もあんまり離れていないというふうに、アフリカ的段階を母胎として考えていくとおもうんです。同時代的なところからいえば、現在が四方八方からそこへ同時に侵入しているというのが、いまのアフリカでしょう。段階としてのアフリカっていうのは、母胎というイメージになるとおもうんです。そこの所がうまく条件つけられていけば、段階としてのアフリカというのは日本にもあるわけです。これをどこに設定するか、弥生時代の前期以前に設定するかとか、縄文時代に設定するか、いろいろ規定していけばあるでしょうが、世界どこへもっていっても、アフリカ的段階っていうのは設定はできます。そういうものとして原型的につくりあげていくみたいなことと、いまの問題に肉薄することとは、関連しているとおもいます。(同前 234~235p)

吉本隆明の偉大も不毛さもそのすべてがこの思想の言明のなかにある。だれのどんな思想にもその思想を生み出す時代的な背景があり、時代と激突し、作者自身の内的葛藤を経ながら思想は鍛えられていく。あるひとつの思想が時代から誕生し時代を勇躍しやがて時代に超えられていく。どんな思想にも誕生する由縁があり時代のなかで燦然と輝き時代との相剋によってやがて衰退を迎えるのだろうか。思想には宿命と呼ぶほかない必然があるのだろうか。わたしのなかでそんなものが思想であるはずがないという疑念が兆してくる。思想が作者のうちでほんとうに生きられるものであるならば思想が終焉を迎えることはない。

なにが吉本隆明の思想の揺るぎなさであり、どこに思想の未遂があるのだろうか。吉本隆明の思想に隠れた同一性の信の堅固であり、この堅固をひらくことがでなかったことに思想の未然があるとわたしは思う。自己にとっても歴史にとっても唯一の可能性である、けっして共同化できないそれ自体を名づけることができれば自己も歴史もおのずから変わりうるのだ。そこにこそ、自然を宗教化できない胎内の〔夢〕があり、空虚や孤独や生の不全感が消え、国家や戦争やテロと憎悪による報復の存在しない世界が、おのずと開示されるのではないか。そこでだけ「俺の考えを底まで理解したものはおらぬ」という吉本隆明の意識のこわばりがほどけ、「もっとも伝えたいことが言葉にならない、あるいは、もっとも伝えたいことはもともと言葉にできないのではないかというもどかしさ」が「ほんとうのこと」として生きられることになる。

吉本隆明は、自分にとって切実なことは世界にとって切実でないはずがない、個別的なことであっても普遍化しうると言い、その当事者性は普遍として語りうるという確信があった。ある時期に吉本隆明はこのモチーフをうしなった。うたかたの消費社会を読み損なったのだ。この「転向」はもともと吉本さんの思想の原理的な方法であった内面の社会化が彼自身の内面とも、生成変化している現実とのあいだでおおきな乖離を生んだ。そのことにどこまで吉本さんが自覚的であったかほんとうはわからない。かれの思想の淵源をたどると「マチウ書試論」や中期の幻想論と晩年のイメージ論、つまりかれの思想のぜんたいに内面を社会化しうるという確信があることに気づく。この確信ぬきに吉本隆明の思想は成立しない。

戦争期に天皇への絶対的な感情をもち帰依し、徹底した痛哭の内省を経て、共同幻想という考えをつくり、その思想によって若い頃わたしは生きぬくことができた。吉本隆明の体験のなまなましさがかれの思想を引きよせたのだと思う。吉本隆明は戦争期の体験を内面化することでかれの思想をつくった。その延長に途方もない世界の変貌がみえてきて、晩年の吉本隆明は全力をあげて生成変化する社会をつかもうとした。それがイメージ論である。そのとき吉本隆明のなかでは変貌する社会は知の対象でしかなかった。そのなかにいてそこを生きるひりひりじんじんするむきだしの生の感受があったというわけではない。世界の地殻変貌の全容を観察する理性としてつかもうとした。

かれの生と俯瞰する理性の乖離は必然だった。ほんとうの生の経験は内面化不能のけっして共同化できないそれ自体としてわたしたちを痛撃する。内面化することのできない出来事のなかに世界の可能性がある。内面化という意識の形式で世界の謎を解くことはできない。ヘーゲルもマルクスもフロイトも吉本隆明も解くことはできなかった。この国特有の心性としてある天皇制も外延自然とべつの意識のありようをつくることでしか解くことはできない。意識の外延が象った国家権力も、身体の外延にすぎない貨幣の空虚な欲望を鎮めることはできない。人格の表出された形式にすぎぬ内面という文学がわたしたちの心をうつこともある。「冬の夜/夏の日/百歳の後/其の室に歸せん」(「「葛生」)の深い印象はこの詩に内包の面影が痕跡として遺されているからである。このときわたしたちはいつもつねに同一性の彼方にある内包自然を生きている。

   7
内包と同一性の関係についてもうすこし書く。
どこに行ってもなにをしていてもついてまわるこのヘンな気持ちはなんだろうか。夕陽を一緒に見てたりするとますます気持ちがいっぱいなる。おかしくなりそうだ。なんだなんだこれは、いったいなんなのだと不思議になり、なにをしていてもどこにいってもついてまわるこの気持ちの動きは、喉が乾いたときに水を飲でうまいと感じ、腹が減ったときに食べて充ちる感覚とともに、この身につきまとうものだということに、やがて悠遠の太古の陽気な面々は気づき、この身体のなかで起こっていることに驚いて、そのありようを自分と呼ぶことにした。それが同一性の起源だと思う。

やがて充足するこの太陽的な感情は同一性を礎にしてモダンな神や仏として昇華された。あるものが他なるものに重なるという驚異がなかったら同一性ということはけっして生じなかった。悠遠の日々の暮らしの繰り返しのなかで、自己(1)、他者(2)、多者(3)が分別されることになった。表現として考えるとおそらく此処にその次第がある。
いつも一緒、どこでも一緒、此処に同一性の起源がある。もし名づけようのないこの情動がなければもともと同一性という認識が生まれるはずもなかった。同一性はこの驚きを分有することで生じた。親鸞はこの感得を仏の慈悲による他力と名づけた。同一性の彼方によって仏教の教義を解体した。それがほんとうのことだと思う。その驚きが他力である。この意味で親鸞も吉本隆明も外延表現の極北を生きた。信を解体することでしか外延自然の彼方に触れることはできない。親鸞も吉本隆明もそれぞれ固有のやり方でこの信の解体を生きたが、吉本隆明の言葉にはわずかに残心があった。

内包の痕跡が同一性ということであって、同一性が内包を明示的に措定することはできない。この先後が逆になることはない。同一性は内包のまったくの受動性としてある。この意識の痕跡を他力といってもよい。内包と同一性の関係は内包から同一性へと一意的なものとしてある。同一性もまた内包の縮減された意識の形式ではあっても意識にとっての公準ではなく、公理というひとつの超越なのだ。
また内包の面影が同一性であることを認識するときはじめて生は空虚ではなく充たされることになる。この先後もまた逆になることはない。ほんとうは「意識は意識的存在以外の何ものでもないといふマルクスの措定は存在は意識がなければ意識的存在であり得ないといふ逆措定を含む。このような措定の当否は唯確信の深さと、実践によって決せられねばならぬ。ここに至って詩的思想はマルクスの所謂非詩的思想と対峙するに至るのだ」(吉本隆明「ラムボオ若しくはカール・マルクスの方法に就いての諸註」)はここまで拡張されることが要請されていたのだ。もし親鸞がここまで到達していたならばかれは内包について語っていたと思う。もちろん吉本隆明においてをや。

レヴィナスが自我は起源に先立って他者へと結びついているというとき、いつのまにか他者は多者一般にすり替えられている。まるで違う。自我が起源に先立って他者へと結び結びつくのは固有の他者によってである。他者一般ではない。この錯認をレヴィナスが自覚していたかどうかはわからぬ。レヴィナスの思想はこのかぎりで内田樹の愛好する社会思想にしかならない。自己と多者を調停する理念になんの未来性もない。このすきまにモサドが忍びこむ。斯くしてレヴィナスの思想に俗知が呼び込まれる。レヴィナスはもうすこし踏ん張ればよかった。思考を詰めることをどこかでさぼったとしかわたしには思えない。

たのしい空想をする。還相の性で喰い寝て念ずる生の原像を生きることができたら、生きていることがそのまま表現になってしまう。新約聖書の本意も親鸞の本然もそういうことではなかったか。物語のなかのイエスはやり損なったと思い、親鸞もまたこんなはずじゃなかったと、のちの歴史をみればそう感じたにちがいない。それほどに言葉という信をめぐる謎は深い。
一切の自力作善を排した親鸞が最期に到達した他力とは内包の面影ではなかったのか。仏はただ親鸞一人がためにありというつぶやきはほんとうは還相の性のことではなかったのか。外延自然が象る「1」の回路の信を解体し尽くすとおのずから内包自然が灯るのではないか。それがひとであることの本然ではないのか。自然法爾とはそういうことではないのか。自己という煩悩も仏も同一性の裂け目から射してくる根源の性の謂いでないのか。そうかも知れぬと親鸞が言うような気がする。
片山さんも言葉のこの場所があることを直感していると思う。内包の回路があることを発見したのだ。

「内包」という言葉を知っているだけで、世界は明るくなる。それは言葉を呑み込んだ私の生が光を発し、世界を明るく照らしはじめるからだ。光を放つのは、私たち一人ひとりだ。無数の光を反射して、透明だった世界が発色をはじめる。(『気になる言葉たち』「第35回 内包親族 その3」片山恭一)

他力や正定聚という言葉を超えて根源の性という内包自然があり、わたしたちは身が心をかぎる同一性の生によって外延自然としては自己や対や家族や社会を生きている。ニーチェの壮大な空虚やフロイトのおぞましい無意識を超えて、神や仏という同一性による超越でもなく、内包は存在しないことの不可能性としてリアルに存在する。その生存感覚は内面化も共同化もできないそれ自体としてある。そこをわたしは生きている。

かつて吉本隆明は共同幻想という概念を創案してわたしたちの囚われを一瞬で解いてくれた。かれは言葉の力で現実をつくりかえた。晩年の吉本隆明は全力をあげて社会の生成変化を解き明かそうとしたが社会の変化の速さについていけなくて現実をなぞることさえできなかった。まして現実を超える力を言葉がもつことはなかった。わたしたちはひとつの透徹した思想が現実によって越えられていく光景を目撃した。1990年の対談時、吉本さんはなんども、あのう、そのう、あなたはいったい何をおっしゃりたいんでしょうと、問いかけられ、わたしは奥行きのある点という概念をつくればいいのだと思います、そのとき意識の外延的な形式は内包の意識に内接することになるのですと申し述べた。わたしには吉本さんの思考のうねりは見えていたが、吉本さんにはわたしの言葉の場所は理解できなかったと思う。爾来25年。身を軋ませながら消費社会を解明しようとした吉本さんの研鑽は時代を懸命になぞろうとしながらついに言葉の力をもつことはなかった。同一性という公準からはみえないその〔ないもの〕を言葉の力で現成させること。それが表現だと思っている。あるものをなぞるのは現実の追認にしかならない。そしてこの公準を前提とした観察する理性や俯瞰する視線が現実を超えることはない。どこに吉本隆明は到達したのか。

さてと、僕にとって「これまで生きてきてなしとげた最大のこと」は何かという問いに答えなくてはいけません。まだ三十代のころ、おれは子供をつくって、育てつつあるというより以上の仕事などしていないなという実感で、そう書いたことがあります。このいい方はいまの問いに関連させていうと、アフリカ的ですね。そして何とかして子供をつくって、育てるということと独立しているといえることを、どんな小さくてもなしとげられたら、と考えながら生きてきました。残念ですが、いまいえることは、僕のこの発想は無効だとおもいます。いまいうとすれば、無効な生という理念の彼方に、精神だけの領域でいいから往き来したいということです。(『ハイ・エディプス論』269~270p)

なにを言えばいいのだろうか。わたしはもっとシンプルなことだと思う。吉本隆明が括弧に入れた同一性が問題をややこしくしている。

はじまりの不明のはじまり。食と性が分有されたということ。深雪の凍原で一緒に暖をとり、おおきな葉っぱで一緒に雨をしのぎ、はじめて手にしたひとつの果実を恐れおののきながら一緒に食べ、いつも一緒、どこでも一緒。この驚異のなかで初源の意識が内包的に表出された。ここに意識の起源があり、ここに表現としての精神の古代形象のはじまりがある。
内包というささやかな贈りものは同一性によって引き裂かれたようにみえる。そうではない。リトル・トリーのおじいさんが、今生はなかなかよかった、来世はもっといいだろう、また会おうな、と孫に言葉を託す。その心ばえ。内包の面影がここにもある。生の原像を還相の性として生きるとき、生は内包の贈りものとしていつも生きられる。そのことを歴史としてつくることも可能だ。なぜならば内包がいつもわたしたちのなかにきりのない善きものとして存在しているからである。他者をじぶんのうちに認める内包という情動が世界をつくった。

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