日々愚案

歩く浄土259:複相的な存在の往還-やわらかい生存の条理16/生と死はどこにあるか4

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「歩く浄土258」をアップしてすぐなにか書き残したこと、書き忘れたことがあるような気がして、それがどういうことか思いだしたので、ユヴァルの新作の感想を書く前に補遺をメモとして付記する。

<年月がたち、今日になってみれば、ラーゲルの歴史は、私もそうであったように、その地獄の底まで降りなかったものたちによってのみ書かれたと言えるだろう。地獄の底まで降りたものはそこから戻って来なかった。あるいは苦痛と周囲の無理解のために、その観察力はまったく麻痺していた。>(プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』)<最終段階まで行われた破壊、その完成された仕事についてはだれも語っていない。それは死者が帰って来て語らないのと同じである。>(同前)

地獄の底まで降りるということはどういうことか。最終段階まで行使された破壊とはなにか。レーヴィはほんとうにはなにも答えていない。それがどうしても気になった。

アガンベンは『アウシュヴィッツの残りのもの』で人間は極限状況におかれると非人間的になると俯瞰し、人間的であることと非人間的であることのあいだ(閾)を可視化して存在論的差異の解消を謀ろうとした。小賢しいりくつだと思う。わたしは強烈なストレスに晒されたときの人間のとりうる生命の適応現象だと思う。絶滅収容所の囚人が限界状況に適応しようとしてまず主体を脱落させ、つぎに形容詞が剥落し、動詞が支配する剥き出しの生存が裸形であらわれる。意識の外延性が内在している自己保存の特異な潜勢力で自然なものだと思う。ヴァイツゼッガーは言う。<有限性は人間の悟性が遺憾ながら限定されたものであることの結果としてではなく、生命の自己保存の戒律としてわれわれの眼にうつる。>(『ゲシュタルトクライス』木村敏訳)

死と直結する生存の危機が迫るとき自己保存の能力は状況にみごとに適応し、非日常を瞬く間に日常の習慣とする。世界を睥睨するアガンベンらは不可解な人間のふるまいを「回教徒」のようだと記述する。
プリーモ・レーヴィは絶滅収容所から生き残ったことを恥だと感じた。『溺れるものと救われるもの』で生還したことについて「ラーゲルの歴史は、私もそうであったように、その地獄の底まで降りなかったものたちによってのみ書かれたと言えるだろう。地獄の底まで降りたものはそこから戻って来なかった」と書いた。かれは生還したことの言い訳を言っている。うそだ。恥の感覚は疚しさという人間にとっての真摯な言説だが、そこにプリーモ・レーヴィは安住している。かれもまた文化人の圏域を疚しさと共に生きた絶滅収容所を証人のひとりだ。

死に向かって行進する虚脱した囚人たちの身体の所作が回教徒と名づけられていた。<収容所の古参囚人は衰弱し、力を失った、選別の候補者のことを「回教徒」と言っていた。>(プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』の「注47」)

<彼らの生は短いが、その数は限りない。彼らこそが溺れたもの、回教徒であり、収容所の中核だ。名もない、非人間のかたまりで、次々に更新されるが、中身はいつも同じで、ただ黙々と行進し、働く。心の中の聖なる閃きはもう消えていて、本当に苦しむには心がからっぽすぎる。彼らを生者と呼ぶのはためらわれる。彼らの死を死と呼ぶのもためらわれる。死を理解するにはあまりにも疲れきっていて、死を目の前にしても恐れることがないからだ。>(プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』)

アガンベンはこの異様な光景の現場を生きることもなく言葉を戯れる。

<人間が人間よりも長く生き残ることができ、人間の破壊のあとも残っているものであるのは、まだ破壊されていない人間の本質、あるいはまだ救出されていない人間の本質がどこかにあるからではない。人間的なものの場所が分裂しているからである。人間が生起する(ha luogo〔場所をもつ〕)のは、生物学的な生を生きている存在と言葉を話す存在、非-人間と人間のあいだの断絶においてであるからである。すなわち、人間は人間の非-場所において、生物学的な生を生きている存在と言葉(ロゴス)のあいだの不在の結合において生起する(ha luogo〔場所をもつ〕)のである。人間とは自己自身に居合わせない存在のことであって、この自己喪失と、それが端緒を開くさまよいのうちに存在している。>

<いいかえれば、人間は、つねに人間的なもののこちら側か向こう側のどちらかにいる。人間とは中心にある閾であり、その閾を人間的なものの流れと非人間的なものの流れ、主体化の流れと脱主体化の流れ、生物学的な生を生きている存在が言葉を話す存在になる流れと言葉(ロゴス)が生物学的な生を生きている存在になる流れがたえず通過する。これらの流れは、外延を同じくするが、一致することはない。そして、両者の不一致、両者を分割するこのうえなく細い分水嶺こそが、証言の場所にほかならないのである。>

人間とは非-人間であり、人間性が完全に破壊された者こそは真に人間的であると解釈する。無礼者。礼節を知れ。おまえがそこを生きてから言えよ。人間的なものは本質的にも絆としても存在しないということがくり返し語られる。生には目的も土台も根拠もなく、人間的であることと非-人間的であることとのあいだには、消し去ることのない隔たりがあると、とくとくと語る。空しさから、世界の無言の条理から、かける日の元気が出てくるか。おまえの空虚な論文ネタの供犠としてひとの生き死にをあげつらうな。

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地獄の底まで降り、最終段階まで破壊されたはずの生還者が自身の回教徒体験を語る。『アウシュヴィッツの残りのもの』の最終章「アルシーブと証言」では生還者の体験が取りあげられている。プリーモ・レーヴィの死の直後1987年にズジスワフとスタニスワフという精神医学者が『アウシュヴィッツ・ノート』という論文を発表する。それは「生と死の境界で-アウシュヴィッツにおける回教徒の現象についての研究」だった。89の証言が収録されている。どれを読んでもおなじことしか書かれていない。生き残ったことを語ろうとする10の証言のなかから任意にひとつ取りあげる。体験の事実を淡々と回想している。生還するはずもない体験をした者たちはなにも語っていない。

<わたしたちは、下着はパンツにシャツ、靴下なしの木靴に布製の帽子と、薄着だった。このような状況で、十分な栄養もとらず、毎日びしょぬれになって凍えていたので、死は免れなかった。〔・・・〕 この時期に回教徒状態が始まり、それは戸外で作業をするあらゆる班に広がった。回教徒は、だれからも軽蔑され、仲間からも軽蔑される。〔・・・〕回教徒の感覚は鈍くなり、まわりにあるものはまったくどうでもよいものとなる。もうなにも話すことができなくなり、祈ることさえできなくなる。天国も地獄も信じなくなる。自分の家のこと、家族のこと、収容所の仲間のことを考えなくなる。ほとんどすべての回教徒は収容所で死んだ。>

内包は溺れたものたちにたいする呼びかけであると「歩く浄土258」の終わりで書いた。絶滅収容所から生還した虜囚は生の外延的な自然を語っているだけで、そこに悪の凡庸さを根から断つ言葉はかけらもない。凡庸な悪の根を生還者自身が虐殺者と同型の論理で回想し、凡庸な悪は延命する。生還者もなにも語っていない。ここになにがあるか。虐殺者と被虐殺者が抑圧者と被抑圧者が、ときに入れ替わり、迫害者と被迫害者が果てしなく循環する。なぜ歴史は天変地異のように繰り返されるしかないのか。ある意識の規範が拘禁する表現の公準がこの悲劇を招来しているとわたしは考えた。生還者たちの語りにはなじみの既視感がある。いつもおなじことがおなじ言葉で語られる。悪の凡庸さの根を断ちたいのならば三人称のない世界は可能かと問うべきなのだ。意識の公準を総表現者へと転換することが可能だから、生還者は虐殺のない自然を生の固有さにおいて語らなければならない。

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この根源的な問いにフーコーは固有の方法で応えようとした。死が避けえない事実として迫ったとき、フーコーは西欧起源の真理の概念を大きく転換した。かれは真理と権力という言説の歴史を生の真理を語るパレーシアという概念で拡張した。内包と至近の世界をフーコーは生きたように思う。フーコーが外延知の公準で大知識人であるかどうか、そんなことはどうでもいい。かれもまた総表現者のひとりとしてかれに固有の生を生き通した。
だれもがその人にとっての固有の生を生きている。この固有であることは自己という思考の慣性で記述できない。わたしたちが真理とみなしている認識の自然は外延知に由来する。社会と共役可能な自己の内面化と内面の共同化。そこに動かしがたい現実がある。この現実は意識の外延性によってつくられてきた。もうひとつの生の様式がある。一人ひとりが固有の生を生きていることを、わたしは総表現者として、意識の外延性とはべつの自然、内包自然で表現できると考え、考えることを考えるようにひしひしと日を傾けた。それは〔領域となった自己という性〕としてあらわれた。同一性の母型となる自己の手前がある。おなじようなことをフーコーも死の直前に発見する。生の体験の固有性を生き、そのことを普遍的に語ろうとして、だれも到達できなかった思想をついにフーコーはつかんだ。

1984年6月25日、フーコー死去。57歳。フーコーが亡くなって35年経つ。ユーラシア大陸の西の端で生まれ育ったフーコーと、東の端の海を隔てた島嶼の国で生まれ育った、かれの子の世代のわたしとの接点はなにもないが、とても似た考えをつくろうとしていたことに気づいてびっくりする。フーコーの公私にわたるパートナーだったダニエル・ドフェールは『ミシェル・フーコー思考集成Ⅰ』の年譜でおおよそつぎのように記している。1984年3月のことだ。死を目前にしたフーコーは医師に問う。「あとどれだけの時間がのこされているか?かれの方から病状の診断を求めることも受けることもなかった。死に関して死との密かな関係の主人公であり続けるために受け入れる」。およそ3週後に生のべつの様式に移行する。かれはいまも生のもうひとつのありかたで、存在の複相性を往還しながら、領域となった自己という性を、ある固有の他者によって分有され、いまここにある浄土として生きている。

真理と権力の関係を考究して最期に生のべつの形式を発見し、あっというまにフーコーはこの世からいなくなった。そのことはわたしたちの思考の慣性が名づけている死を意味しない。フーコーはいまでもここにある浄土を歩いている。たしか『コレージュ・ド・フランス講義1981-1982年度 主体の解釈学』ぐらいからこの概念は出て来たように思う。8年間の沈黙と相関していたはずだ。解読者のだれもフーコーのパレーシアを読み解いていない。アガンベンやユヴァルにをや。1984年3月28日の最終講義でパレーシアという言葉が一気に深みを増していく。あと何日もつだろうかと追いかけっこをしながら日を刻むようにしてパレーシアと他性を撚りあわせていった。

<したがって、ひと言で言うなら、バレーシアとは、語る者における真理の勇気、つまりすべてに逆らって自分の考える真理のすべてを語るというリスクを冒す者の勇気であると同時に、自分が耳にする不愉快な真理を真であるとして受け取る対話者の勇気でもある、ということになります。><したがってバレーシアは、語る者と彼が語る内容とのあいだに強力で必然的で構成的な絆を打ち立てますが、しかし、語る者と語りかけられる者との絆については、これをリスクのかたちで開きます。というのも、結局のところ、語りかけられる者は常に、語られる内容を受け取らないこともできるからです。彼は、それを不愉快に[感じる]かもしれないし、それを拒絶したり、しまいには自分に真理を語った者を処罰したり、その者に対して復讐したりするかもしれないということです。><パレーシアスデースとは、それを本職とする者のことではありません。そして、たとえバレーシアのなかに技術的な側面があるとしても、それでもやはりバレーシアは技術や職業とは別のものです。バレーシア、それは職業ではなく、もっととらえ難い何かです。>(『コレージュ・ド・フランス講義1983-1984年度 真理の勇気』)

フーコーはパレーシアを真理と権力に拘禁された生とことなる技術や技法と言う。内包では存在の複相性を往還する呼吸法と名づけている。おそらくおなじことを言っている。ある真理からべつの生の真理へ跨ぎ超すことを意味している。思考の慣性をぐるっと反転させることだから、容易に受容されることも、理解されることもない。その危険なありようを、語りかけられるものは不愉快に感じ、拒絶し、処罰や復讐をするかもしれない。主観的な意識の襞にある信はべつの生の様式を示されると、途惑い、反発し、排除しようとする。そのようなことがフーコーによって言われている。
フーコーの最晩年の発見はここにとどまらない。最終講義の最後の語りの末尾を貼りつける。

<この世において自己の真理を解読すること。自己および世界に対する不信、神に対する恐れとおののきのなかで、自己自身を解読すること。これが、そしてこれのみが、我々が真の生に到達することを可能にしてくれるものとなります。真の生以前の生の真理。この逆転のなかでこそ、真の生と真理本位の生とを同時に生きようと常に熱望していた古代の修練主義、そして少なくともキュニコス主義においてはそうした真理本位の真の生を生きる可能性を肯定していた古代の修練主義が、キリスト教的修徳主義によって根本的に変容させられたのです。以上です。こうした分析の一般的枠組みについてみなさんにお話しすべきことがあったのですが、しかしもう遅いのでここまでにしましょう。どうもありがとうございました。>(同前)

遅いのでここまでにしましましょう、と語るが、講義のために準備した細かな草稿の最後まで語ることはなかった。このメモのなかでフーコーは同一なるものをうち捨て、生の様式の変容を強いるべつの生の真理を語っている。草稿の最後の頁に書かれた最期の言葉でフーコーは往生する。真理の生と、他性によぎられるそれぞれべつの生の真理をパレーシアという概念でつないだ。牧人司祭型権力のさまざまな遷移を経て西欧的な真理と権力が拘束した生が、もうひとつの生の真理によって包摂され、パレーシアとして語られた。同一性的な思考の限界を突き破るひとつの偉大な達成だと思う。

<最後に私が強調しておきたいのは以下のことである。すなわち、真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定があるということだ。真理、それは決して、同じものではない。真理は、他界および別の生の形式においてしかありえないのだ。>

同一性が可能とする真理の形式は外延知に、他性の措定による生の真理は内包知に対応し、存在の複相性を往還する呼吸法がパレーシアという概念に対応している。真理の背後の一閃によってべつの精神が可能となる。それは他なるものからもたらされる。思考の限界はこうやって拡張された。

なにがふたつの真理を隔てているのか。生の原像を還相の性として生きるとき、だれにとっても、一人ひとりの生の固有性が凡俗の極みとしてあらわれる。この無上の出来事に生きていることの価値の根源と源泉がある。非僧非俗でも、非知でもない。それらをことごとく貫通してしまうのだ。無知それ自体と言うべきか。はたから見ると内包知の凡俗の極みと外延知の愚や俗そのものとの判別はつかない。しかし外延知の無知と内包知の無知は決定的に異なる。外延知の無知は三人称の悪の凡庸さを疎外するが、内包知の凡俗の極みに三人称は存在しない。内包の世界では〔領域となった自己という性〕が外延の世界の一人称と二人称を含みもつから、外延の世界の三人称の関係は、あたかも二人称の関係のように、喩としての内包的な親族として表現されるほかない。ここに人倫はまったく関与しない。

存在の複相性を往還すると、この不思議は、はからいではなくおのずと生起する。国家へ向かう三人称の関係や貨幣の交換は内包的な親族と贈与の関係として内包的に表現される。こうやって親鸞の自然法爾をもう一度折り返し他力を包み込むことが可能となる。この事態をなんと言うべきか、まだふさわしい言葉はない。同一性的な外延知は還相の性が統覚する内包自然という母型から派生していると明言できる。還相の性の派生態として同一的なものが言表されるということ。この関係は不可逆である。すなわち同一的なものは内包という母型に回帰する。(この稿つづく)

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