日々愚案

歩く浄土191:交換の外延性と内包的な贈与20:吉本隆明の贈与論10

 

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愚禿とみずからを呼んだ親鸞の79歳のときの書簡が遺されている。「阿弥陀仏の本願は、有念、つまり、色・形を思うはたらきの対象でもありませんし、無念、つまり、形や色をおもわずに真理を悟る対象でもありません。有念も無念も聖道(門)のなかの教えです。聖道とは、すでに仏になった人々が私たちを導くために立てられた、仏心宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗などの大乗仏教の教えのことです。仏心宗とは、世にいう禅宗のことです。また、法相宗・成実宗・倶舎宗などの大乗仏教に導く手段としての教えのことです。これらはみな聖道です。手段とは、すでに悟りを得た仏や菩薩が仮に種々の姿を現して真実の教えに導かれることをいいます。浄土宗にも有念、無念の区別があります。有念は道徳的善行によって浄土に生まれることを期する立場。無念は瞑想の力によって浄土に生まれようとする立場。浄土宗の無念の立場は、聖道の無念とは異なります。聖道の無念のなかにもまた有念があります」(阿満利磨『親鸞からの手紙』)
呪文のような親鸞の言葉。なにが言いたいのだろうか。おそらく親鸞もうまくは言えていない。破戒坊主の親鸞は煩悩にまみれていた。「誠に知んぬ、悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥づべし傷むべしと」(『教行信証』「信巻」)親鸞は徹底して思考の慣性に反抗した。徳を積みますことは浄土への近道である。思考の慣性はそう告げる。そうやって善人が浄土に行けるなら、悪人はますます浄土に近い、ということは条理に反する。しかし親鸞は悪人正機を譲らない。どういうことか。自力ではなく他力による条理があると言いたいのだ。よくわかるが、もどかしさが残る。親鸞のなかで起こったなまなましい生の知覚がある。仏典の言葉を使いながらそのリアルを言おうとしている。鎌倉の時代に起こった変転がいま世界史の規模でくり返される。歴史は親鸞の生きた時代から800年を重ねたわけだ。長くはないが短くもない。時代を主格とすると、時代が苦労するなかで親鸞の時代より粗視化されたことがある。暗黙のうちに親鸞も自力を人格が媒介にすることを前提としている。だから人格を媒介としない他力をしきりに説く。親鸞が批判する聖道門をいまの時代に即して言うと、ポリティカル・コレクトネスになる。小さな善を積み増すことで世界は少しずつよい方向に向かっていくという念仏だ。この念仏を親鸞は徹底して排撃した。わたしも半世紀、この思考の型を唾棄して生きてきた。だから親鸞の非僧・非俗の考えが身にしみた。身にしみるということは知識を介していない。じかにわかるということだ。

最期の親鸞にとって、かつて愛欲の海に沈没したことや名をなしたいと思ったことや仏の慈悲を嫌悪したことなどどうでもいいことで、残暑が厳しいですねという時候の挨拶みたいなものだった。ほんとうは仏の慈悲に包まれるという、そのことがどういうことか不可解だった。仏の慈悲には姿も形もない。しかし向こう側から来る一方的で絶対的な受動性として仏の慈悲はある。この不思議をなんと言えばいいのか、おれはわからん、という気持ちが親鸞に充満していた。仏の慈悲とはなにか。その不可解さのただなかを親鸞は仏と共に生きたのだと思う。すでに親鸞は仏であり、その仏をじぶんとして生きていた。それはどういうことなのか。なんども引用してきたツェランの言葉を重ねてみる。「喪失のただなかで、ただ『言葉』だけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました。それ、言葉だけが、失われていないものとして残りました。そうです。しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来、しかも、起こったことに対しては一言も発することができませんでした―しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けていったのです。抜けて行き、ふたたび、明るいところに出ることができました―すべての出来事に『ゆたかにされて』」(ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶)なんど読んでも言葉のエッジが立っている。このツェランが言う。「私が私であるとき、私は君である」。この言い方は順序が逆である。ツェランもまだいくらか思考の慣性に身を委ねている。ツェランよ、そうではない。「私が私である」ではなく、「私より近い君を私として生きる」ことによって「私が私となる」と言えばよかった。ここで思考の慣性はぐるんと転回する。

親鸞の原風景は次のようなものだった。「よしあしの文字をもしらぬひとはみな、まことのこころなりけるを、善悪の字しりがおは、おおそらごとのかたちなり」(『正像和讃』)世界の解釈が「おおそらごとのかたち」であることを親鸞は深く自覚していた。自力作善への嫌悪は親鸞にとっては知識ではなく生の知覚だった。覚者のほかに仏なしという聖道門の信に飽き足らぬものを感じていた。我執を断って真我を得るよりは凡俗の煩悩にまみれることのほうが親鸞にとって居心地がよかった。およそ建前というものが親鸞にはない。この世の条理を受容しながら過剰な意識の滅却法を求めることは親鸞の渇望するものではなかった。それは余裕のある者たちの戯れ言ではないか。信は絶対的な受動性としてあるもので、自力は関与しえないというのが親鸞のリアルだった。「私」が仏の慈悲によって救われるということは、そのまま衆生の救済を意味する。そのことを親鸞が疑ったことはなかった。むろんそのことは親鸞が「社会」主義者であったことをまったく意味しない。「りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」(『唯信抄文意』)と親鸞が言うとき、親鸞は〔と共に〕の可能性をじかに生きていた。それが次のような言葉として残されている。「親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念佛まうしたること、いまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念佛を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてて、いそぎ浄土をさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと、云々」(『歎異抄』)ものすごく微妙なことを親鸞は言っている。往相の生は他力によって内包化できると親鸞は言う。「順次生に佛」になることが往相の意識の外延性にそのつど内包が内挿されることに対応している。

わたしは自分の半世紀をなぞるようにして親鸞の言葉を追いかけている。わたしはいま最期の親鸞と相対し、親鸞に、親鸞の思想の未然について説いている。親鸞の思想が内包に出会うのに800年の時空を要したように思う。わたしには親鸞という宗教者は自己にたいする渇望以上のものを生得的に抱え込んだ人のように思えた。親鸞が表現しようとしたことは自己にたいする自己の渇望ではなかった。親鸞の世界への飢えはどこからくるのか。親鸞は自我の根を抜こうとしたのではない。そんなことは聖道門の一統がスキルとしていくらでもやっていた。親鸞は自我を自己が所有するという思考の慣性を組み換えたかったのだと思う。思想を宗教の姿でしか語りえない時代に、自己のあり方を他力によって組み換えることで浄土を顕現させようとした。親鸞が解かずにのこした思想の課題。非俗とはなにか。俗と非俗をわかつわずかなすきまを横超が埋めているのだと思う。他者によって横超という契機が訪れる。沖縄戦でわが子をガマのなかで喪った女性がそのことを再婚した男性にもだれにも言わず自分の地獄を宙を睨みながらふと孫娘に語る。「生きていてよかったね、ばあちゃん、私がいるよ」と言う。この孫娘の言葉は俗か非俗か。この一言で老齢の女性の地獄は成仏する。成仏しないはずがない。浄土は他性がもたらすのとだと思う。自力でも他力でもない。俗は他性から横超され非俗となる。このとき非俗は俗にいったん陥入し、俗に融解し、勢い余って俗を突きぬけてしまい、自然法爾はわずかにふくらむことになる。86歳の親鸞はこの奇妙さを、「この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねにさたすべきにあらざるなり」(「末燈鈔」)と書き残している。親鸞が親鸞でありながら仏である領域化された最期の親鸞が生きた道理は仏と他力のはるか手前にあった。それが固有名であるか匿名であるかわからぬ。わたしは最期の親鸞は還相の性を生きたのではないかと思う。たしかにこの道理は沙汰すべきことではない。

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かりにこの世界が親鸞の他力を覚知しているものたちによって成り立っていると思考実験をしてみる。適者生存という世界の条理が革まるだろうが。変わらないと思う。安倍もトランプも習近平もトランプも金正恩も、またかれらに諂う卑しい奴はだれ一人としていない。そのとき世界はどうなるか。この世のしくみが変わることはない。他力は世界と対座する煩悩にまみれた極悪深重の者たちの仏の慈悲による救済であって、その慈悲は懊悩する者たちの個々にもたらされる。そのかぎりで浄土は歩く。しかし他力という信を媒介にして人びとは信の共同性をつくることになるだろう。それはこの世のひな型ではないか。他力の覚者たちは他力という拠り所を必ず共同性として疎外する。なぜそうなるのか。他力が個々人にしか作用しないからだ。仏の慈悲によって煩悩が解きほぐされることはある。それは仏と個々人の関係のありかたを変えるだけで、他力の覚知者相互の関係の変容をもたらすことはない。還相廻向を手にした者たちの相互の連結は社会のしくみを転写することになると思われる。他力をつかんでも第三者性が疎外されることになる。おそらくこの逆理を親鸞は自覚していたはずだ。自然法爾は懊悩するものに慰めを与えることはできるが、この世のしくみを革める力はない。信の共同性とは第三者性の問題である。他力や自然法爾の先の世界について親鸞は考えたことがなかったと思う。わたしの内包論からは覚者の連結には決定的な落とし穴があると思う。仏と対座する煩悩に満ちた元祖親鸞の煩悩を慈悲で包むという世界の構図が不可避に共同性を疎外するからだ。いかに親鸞が鎌倉の仏教者として卓越していても、世界のしくみを革めることができないのは先見的なことであるとわたしには思えた。仏の慈悲が衆生を照らすのではない。仏は凡俗のだれのどんな生のなかにも無限小のものとして内挿されているのだ。自己が領域化される媒介として他力を生きるとき、はじめて他力は衆生の煩悩の救済だけではなくこの世界のしくみを革めることになる。

世界が変わるとはどういうことか。他力は世界とどう相関するのか。他力の本意は、わたしの理解では自己が領域化することにある。親鸞より近くにいる仏を親鸞が親鸞として生きるとき、親鸞の自己はおのずから領域化される。もし他力の覚知者達がそれぞれの自己を領域として生きるとすれば、この世のしくみの三人称はあたかも二人称のようにあらわれることになる。親鸞が有情より有縁と度すべきであると説くときの真意はここにあった。この機微は次のように言い換えることができる。レオ=レオニの絵本の「あおくん」が、とおりのむこうにいる「きいろちゃん」と遊びたくなって、あちこちさがしまわり、まちかどでばったりであい、ふたりともうれしくてうれしくて、交じり合ってしまい、とうとう〔みどり〕になりましたという話。この〔みどり〕に成ることをわたしは〔内包〕と呼んでいる。きいろちゃんは〔みどり〕を分有することできいろちゃんであり、あおくんは〔みどり〕を分有することであおくんなのだ。このとき、きいろちゃんもあおくんも存在のありかたが相転移を起こしている。同一性を内包化すると自己は領域化される。〔みどり〕に成るということは、〔ひとりでいてもふたり〕となることであり、わたしより近いあなたを〔わたし〕として生きることにほかならない。親鸞の他力に意識の往還が込められているように内包にも意識の往還が働いている。内包において、自己は根源において二人称であるが、わたしより近いあなたをわたしとして生きることは、意識の外延性では自己が領域化されることとしてあらわれる。自己は一人称と二人称をふくみもつことになる。だからこの世のしくみの三人称は意識の外延性では二人称であるかのようにあらわれるほかない。

親鸞の思想の未然は簡明なこことして言い得る。親鸞さんも耳を傾けてくださいね。わかってしまうととてもかんたんなことです。ほんとうは、親鸞が、親鸞より近い仏を親鸞として生きるとき、親鸞の自己は領域化している。その関係のありかたが他力であると解すればよかった。親鸞は親鸞のまま仏であり、そのことによって親鸞が親鸞である各自性が訪れる。親鸞単独で親鸞であることはできない。もっと踏み込んで言えば、親鸞が仏であるとき、親鸞は仏と共にというありかたにおいて〔性〕なのだ。大乗教によって衆生救済することは親鸞が〔領域としての親鸞〕になるほかない。それはそのまま〔性〕である。このとき親鸞の自然法爾は内包自然となり、正定聚は還相の性に転位する。親鸞の言う、世々生々有情である父母兄弟よりも、有縁を度すべきであるということは、外延的な家族ではなく他力によって内包的な家族が可能であるとの呼びかけである。考え抜かれた思想で理に適っている。家族という外延の歴史には一世代ごとに必ず内包が挿入されているからだ。他力の信をえて正定聚にたどりついた者たちは還相の性という大地を手にすることになる。そんなことを親鸞が考えたかどうかわからない。もしも親鸞が親鸞のままで仏であり、そこに親鸞の各自性があるなら、親鸞と同じように他力を覚知したものの連結は信の共同性をつくることなく、その者たちの関係は、わたしの言葉でいえば喩としての内包的な親族となるほかない。鎌倉の乱世を生きた親鸞の巨大な思想をこうやって内包論が引き取り超えつつあることをなんと形容すればいいのか。
親鸞の有情と有縁は仏の慈悲をもってきてもつながらない。そのことは親鸞はよくよく承知の上で有情と有縁を結びつけようとしている。意識の外延性ではつながるはずがない。他力を意識の外延性の極限として表現してもやはりつながらない。親鸞さん。その失敗の繰りかえしが歴史といっていいほどではないですか。ベンチャー起業家の蓮如が親鸞さんの他力を巨大な教団として見事に育てました。親鸞が村人に説いている思考のおおきなうねりはそれほどに太い。他力は自己を領域化することであると解したとき有情と有縁が往相の生と還相の性として円環する。親鸞はこのことが言いたくてたまらなかった。
一心に仏を廻向することでえられる心身の安寧というものがありえるとしても、人と人の関係は変わらない。それはひとえに自力と他力が仏と真向かい対座することによってえられる信にすぎないからだ。他力を媒介にしても関係のありかたが線型なのだ。その線型の意識を束ねても世界は微動もしない。往相廻向が自力の聖道門という気持ちの持ち方にすぎないとしたら、還相廻向の他力によって自己も他者も存在のありかたが根底から変わっていいではないか。地を這いずり、虫木草魚のように日々を生きるほかない衆生が、この世の苦界から逃れる渇望を持ち寄り、共同的に疎外した夢が昇華しておおきな仏という自然が発明された。無念であれ、有念であれ、姿も形もないことが仏という超越を象徴している。大乗教の夢は衆生の非望として結晶した。輪廻を破り、仏の慈悲に包まれることで生の安寧が訪れる。苦でしかない生が幾ばくかの夢を手にする。地面を這いずり回る苦界の衆生にとっておおきな観念の革命だったと思う。

親鸞ほどの巨魁の思想家であっても、人びとの夢が抽象化され一般性としてあらわれた仏という太陽感情の根源に迫ることはなく、仏の慈悲が、その仏と対座することによって一人ひとりに付与される慰めであると考えるほかなかった。そういう意味では親鸞の浄土の真宗もまた同一性というおおきな自然を粗視化した観念であると言える。ひとたびつくられた仏の観念は衆生の一人ひとりに超越するものとしてあらわれ、この仏を信心することによって浄土がもたらされると信仰された。この信心によって地を這いずるような日々にわずかな楽がもたらされることになった。罪深い衆生にとって仏は衆生を照らし苦界の日々をやわらかくときほぐし、慈悲を与える力の源であった。わたしは楽しい空想をする。もしも親鸞の浄土の真宗が、自己を領域として生きるような信をとっていれば、浄土教の信も人びとの信のありかたも根底から革められたのではないか。自己の信がわたしより近い仏をわたしとして生きることができたら、浄土教の信は信の根が根底から抜かれ、人と人の関係は一人称と二人称をふくみもつことで、三人称の世界はあたかも喩としての親族としてあらわれるほかなかったのではないか。正定聚は還相の性へとふくらみ、自然法爾は内包自然へとおのずと相転移する。宗教の信はだれがどんなやり方でやっても不可避に共同性を疎外する。信の共同性の根はのこりつづけるわけだ。しかし内包の信は共同性を疎外しない。もしも内包にも信があるとしたら、喩としての内包的な親族と、交換ではなく贈与の世界が広がることになる。信の共同性は内包論ではつくろうとしてもつくることができない。内包自然には三人称が存在しえないからだ。意識の外延性を意識の内包性に包み込むことでそれは可能となる。浄土教の信の解体はここではじめて本懐を遂げることになる。どうであれ、親鸞の思想から内包論に受け継がれるまで800年の時空が必要だった。還相の性へと拡張され正定聚も、内包自然へと拡張される自然法爾も、人は性から来たりて性に還るという人間の本来性に起源をもつ。思考の慣性というおおきな自然は内包に融解し内包からあたらしい理念として再創造される。親鸞の正定聚は内包論から言えば還相の性へとくみかえることができる。仏の慈悲により衆生は一念義によって正定聚の位に生きことができると親鸞は言う。このとき親鸞は衆生を照らす仏の慈悲をそれとは知らず空間的なものとみなしていた。そうではない。仏の慈悲は衆生の一人ひとりのなかに内挿されているのである。そのとき、衆生の正定聚は親鸞のもくろみとは別に還相の性に拡張されている。それが信の本来性である。そしてこの信は共同性を疎外しない唯一の信である。

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親鸞という思想家のことを考えていると最後に俗にあらずと横超という不思議な考えがのこる。なぜ親鸞は僧に非ず俗であると言わなかったのか。非俗であることは俗以上に俗となることではないのか。非僧非俗の思想から知的なたたずまいをぬいてしまうと俗より俗なものが湧出するような気がして仕方ない。煩悩はいやましに深まり、極悪深重はさらにとどまるところを知らない。なにがなにかもうじぶんでもわからない、そういうありかたに親鸞は憧れていたように思う。親鸞は俗であると言いきることをなにが押しとどめたのか。親鸞のこのためらいはまた親鸞の思想の可能性でもあったように思う。わたしの理解では他力と横超は意識のべつの系列に属している。自然法爾と他力は順接する。横超は他力に逆接しているように思えるのだ。そして俗に非ずと横超は不即不離の関係にあるのではないか。親鸞の思想にある謎は言葉としては遺されていない。わたしの推測では最期の親鸞は俗と非俗のあわいを生きたのではないかと思う。非僧はともかく、おそらく、俗も非俗もどうでもいいものであり、俗にあらずというほどのこともなかったように思う。最期の親鸞は俗そのものである非俗を生き切った。他力は性の謂であり、仏ということも親鸞にはどうでもいいことだった。仏に帰依する表現よりもはるかな古代の精神形象がある。神や仏の起源をなす〔性〕だ。ガマでわが幼子を殺め、昭和がはるかに過ぎたときに、孫娘に消すことのできない地獄を告げると、「いきててよかったね、ばあちゃん、私がいるよ」と返される。これ以上の表現があるか。ない。至高の言葉だと思う。老齢の女性の煩悩は他力の言葉によっても癒やされることはない。他力という思考の慣性によって慰められることもない。孫娘のさりげない一言によってふいに地獄がやわらかくなる。「私と仏」「私と神」の関係からもたらされるものではない。孫娘の言葉はこれらの意識の系列から来る言葉ではない。端的に他力の埒外にある。孫娘の言葉によって、一切の因果が断たれおばあさんに掛けられた閂が一閃される。あったことをあったこととしてその出来事が一瞬浮遊し、言葉がそれ自体として屹立する。横超とはそのことにほかならない。では問う。この言葉は俗か、非俗か。問うこと自体が不毛である。孫娘はさりげなく祖母に言葉をとどける。とどけられた言葉により、祖母の地獄は軽くなり、ますます味わい深くなる。それを諾とするほかない。俗に非ずはそれ自体としては俗の反語であり、俗を相対化することである。俗そのものでいいのではないか。親鸞の信にあっては僧に非ず俗に非ずはゆずることのできない思想の背骨のようなものであったが、親鸞の思想を内包まで拡張すると、俗も非俗も些細なことに思える。わたしより近いあなたをわたしとして生きるとき、言葉は言葉を生きることになる。「いきててよかったね、ばあちゃん、私がいるよ」という言葉は言葉を生きていて、なにかを伝えるための具ではない。言葉がそれ自体に過不足なく重なっている。俗か非俗かではない。非僧非俗の思想をまるごと解体すること。他力の信によって各自性がやってきても、他力が自己を領域化することはない。自己を領域化することができない信は、他力であっても信の共同性を不可避に疎外する。それは非僧非俗がいくらか知的なたたずまいをしているからではないかと思う。言葉が言葉を生きるとき、非俗は俗に陥入し俗を融解し、俗も非俗もつきぬけ、俗でも非俗でもない自然をおのずとつくる。自然法爾ではなく内包自然だ。あるいは問う者が問われる者になるとき他力は他力の埒外からふいをつかれる。「お花を摘んできてくれるか」がそうだ。問う者が一挙に問われる者になるとき表現は反転する。他力は一者と仏の関係をみごとに統御しているが、人と人の関係をあたらしいものへとつくりかえることはできない。三人称のない世界でだけ信は根底から解体される。孫娘の言葉も健太郎に清美が投げかける言葉も他力の埒外にある。言葉は他性によってもたらされるということだ。一者と仏の関係が表現になることもある。たんてきにそれは〔性〕だとわたしは思っている。神や仏という超越よりも〔性〕ははるかに広大で深い。根源の二人称を分有することで往相の生が可視化され、往相の深奥に実詞化できない還相の性がある。性は固有名からはじまり、実詞化できない還相の性までゆきつく。このあたりのことについてまた親鸞さんとの架空対談をやりたいと思っている。(この稿つづく)

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