日々愚案

歩く浄土154:情況論46-伊勢崎賢治と菅野完

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『不死のワンダーランド』を書いた西谷修が、「共謀罪法案を廃案に持ちこめないなら、つぎの戦後にしかその機会はない」と発言していた。憲法改正と戦争を可能にする治安維持を共謀罪法案はめざしている。わたしは西谷修とちがうことを考えている。別に西谷にかぎったことではないが、西谷はかれの知の経験の全力をあげて共謀罪法案と闘うべきなのだ。過ちは二度々繰りかえしませんとこの国は70年前に言わなかったか。特別機密保護法以降の日本の変質は急激で、共謀罪法案で完成を迎えつつあり、帰趨は明らかでないが、変質の臨界を越え戦争へ向けて共同幻想が能動的に動き出しているようにみえる。なぜこうなったのか。システムはいつも超えているということにおいてすでに超えられているという思想を表現できないかぎり、安倍晋三的なものはいつまでもはびこりつづける。風が吹くように戦争が起こるのではない。

トランプは「独裁者のバッシャール・アサド(シリア大統領)が罪のない市民に猛毒の神経剤で恐るべき化学兵器攻撃を行った」(毎日新聞2017年4月7日オンライン)と断言。安保理決議もなしに、巡航ミサイルによりシリアの基地を空爆。伊勢崎賢治はすぐツイートした。

①個別的自衛権ではない。集団的自衛権でもない。ついに「保護する責任」が安保理決議なしで実行された。暴挙は暴挙だが、人道介入と国際法の葛藤がついに最終章を迎えた。

②人道介入を理由とする主権国家への攻撃が国連史上初めて安保理決議された2011年のリビア、カダフィ政権への空爆と違うのは、肝心の安保理決議がないこと。米だけなこと。イラク、サダム政権への攻撃とも違うのは、自衛権の行使ではないこと。つまりメチャクチャ。支持率回復にはならない。

③トランプのシリア空爆を北朝鮮がビビるだろうと小躍りする向きがあるが、イラク侵時のと陸自派遣支持の保守系の心理と同じ。自分の安全を最果ての異国の民の血で贖う。卑怯千万。姑息なり。これが「美しい日本」の所作なら、愛国って、大いなる勘違いしてないか?(2017年4月7日)

このツイートのまえに伊勢崎賢治はつぎのようも述べていた。

④子供兵士と敵対する時のROE(武器使用基準)やっと明文化の動き。まず探知のため軍事諜報の強化。成人兵士を先に射殺。子供兵士を前に立てた波状攻撃を挫く重火器武装の奨励。子供を合法的にどこまで殺せるか。PKO、対テロ戦の未来を席巻する現実と国際法の葛藤。「戦闘」さえ消化できない日本。

⑤「交戦」力とは、自らの軍事行動における誤射、誤爆を自らが審理できる法体系を持つ打撃力。何百人殺傷しようとそれが国家の指揮命令系統下の遵法行為なら、それに手を下した個人でなく、国家が責を負う打撃力。首相に、最高司令官だから全責任を負うと吠えさせることでなく、「審理」する打撃力。(2017年4月7日)

④と⑤を読んだとき、平和憲法の理念と紛争国の現状が乖離していると感じた。子ども兵士の殺戮が国際法でどう合理化されるか。国家の指揮命令の戦闘で民間人を誤射して殺戮したとき、その兵士ではなく国家がその責を負うこと。その法体系を現憲法はもたない。そのことを伊勢崎賢治はくり返し主張してきた。蒙をひらかれはっとしてきた。化学兵器による空爆への報復としてトランプは支持率アップを狙い、「保護する責任」によって米国単独で攻撃。④から状況はいきなり、①、②、③へと飛躍した。テロとテロでない戦争はどこで判別できるか。『新国防論』で伊勢崎賢治は軍法のない軍隊は使えない、護憲も欺瞞であると言っていた。そのとおりだと思う。フツ族によるツチ族の大虐殺を目の前にして国連のPKOは手をこまねいているしかなかった。その反省から紛争国の住民が殺害されているならば武力によって制圧することがマンデートとなったと。テロとの戦いは回りが敵だらけのなかでの非対称戦であると前置きし、自分の赴任先での体験を踏まえ、テロを定義していた。敵は、「まともな敵」と「まともでない敵」に分けることができる。北朝鮮でも国連を無視しないならば、「まともな敵」である。金正恩とトランプと安倍晋三が絡まり合って相互を挑発し、ヒートアップする。国家は統治者の私物であるという事態。

⑥南スーダン自衛隊撤退で露わになったのは、日本の平和主義が人道主義でないこと。そして日本の国防がハリボテであることです。護憲派、改憲派を超えて今こそ議論を:南スーダン自衛隊撤退ではっきりした日本の安保の「超重大な欠陥」(2017年3月28日)

カルト幼稚園長の籠池泰典をメディアが取りあげ始め記者会見で盛り上がっていたとき、安倍晋三が突然PKOの撤退を報道した。籠池への関心から国民の目をそらす偽計があった。伊勢崎賢治は自衛隊の南ザイールからの撤退について、あこぎで薄情だ、護憲も親米保守も情けない、とツイートしていた。そこには適者生存のむごたらしさから目を背けるのかというかれの気持ちが込められていた。

⑦日本は戦時国際法上の「交戦」できない。ましてや同法で認められている敵地攻撃も暫定占領もできない。それを知っている北朝鮮にとって、日本は脅威ではない。唯一そうなのは米の従属国だから:9条もアメリカも日本を守ってくれない (2017年4月3日)

⑧「敵基地攻撃」は、言うことで”多少”の抑止になるでしょうが、それを「交戦」と見なし「誤爆」を国際人道法上の違反行為として審理する法体系を持たない日本には、どの国より「敵基地攻撃」の政治的蓋然性はありません。北朝鮮もそれを知っているはずです。(2017年4月5日)

⑨右派に:「単体としての日本」は北朝鮮にとって何の脅威でもないこと。敵基地攻撃なんて勇ましいことを言う舌戦はそれなりに多少の牽制になるでしょうが、打撃力はあるが「交戦」力がないことは敵も承知です。
左派に:9条の印籠を掲げても、そして自衛隊が何もしなくても、米と地位協定で一体化する日本は、北朝鮮から見ても、そして国際法から見ても常に「紛争の当時者」であること。「9条のおかげで戦争をしないですんだ」は事実誤認ですし「これくらいの戦争ですんだ」も沖縄への負担の追認です。(2017年4月6日)

この引用のツイートも伊勢崎賢治が言うとおりだと思う。日米地位協定による従属国として日本が位置しているから問題となるので、単独の日本を北朝鮮が相手にするはずがない。攻撃されるまえに先制攻撃せよ、と安倍晋三がカルトな妄想で煽っているだけだ。

テロとの戦争は未知の領域に突入したのか。テロの撲滅を図るごとにテロは蔓延する。がんの早期発見、早期治療と、テロリストの早期発見、早期殲滅の思考の流れは似ている。この思考の慣性を効率化するために共謀罪法案がある。

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なにを菅野完が考えているかよくわからないままに、このひと月半、かれのツイートをきっかけに、籠池泰典と安倍晋三の駆け引きを楽しんできた。youtubeにアップされていた「菅野完が日本会議と森友問題について語る!」で考えの一端を知ることができる。講演の最後で、レイシストの安部がレイシストの森友学園に共感し、妻が名誉校長になり、100万寄付したことを、人権問題ととらえ、菅野完は国有地のただ同然の払い下げや安倍内閣打倒よりこの人権問題を上位に置くことを強調する。ただひたすらに、あからさまな悪である歴史修正主義のレイシストである安倍晋三をメディアや左側の人間が本気で批判しないのでうすら寒い気持ちになる。金まみれの現実にたいして8億値引きしておかしいと金の話しかできていないではないか。なぜ人権というシンプルな理念からの批判を徹底してやらないのか。人権を無視してきたレイシストの籠池が、証人喚問で満天下に晒し者にされ、民間人のレイシストを国家権力が総掛かりで抹殺する。これは根源的な人権問題ではないか。レイシストに賛同して金を出した安倍晋三をとことん追求すべきだ。それをなぜ金の問題にすり替える。真相究明は書き屋のおれがやる。あなた方が運動をやるのなら徹底して人権問題としてやるべきである。差別の構造を直視すべきだ。放置するとここまで醜悪な事態になるという具体的な事例があるではないか。大事なことは差別をやめろだ。それを愚直に主張し続けることが勝利への近道である。おおまかに菅野完はこういうことをアジっている。売名行為だとか金が目当てだろうと罵られながら、口先ではなく体を張って発言している。菅野完が口舌の人権論者でないことはかれのツイートを追いかけていてよくわかる。菅野完は人権を唱えながら、人権という言葉では言いえないことを表現しようとしているのではないか。かれの人権という言葉には独特の含みがあると思う。なによりかれには文体がある。生きている現場をそのまま言葉で言えている。これはすごいことだ。それはわかるが、ぬるい。かれは世界の無言の条理に出会っていない。現場感覚はいいが、かれはひとはどうやれば互いにつながるかについて根源的に思考したことはない。生を撃断されたことがないからだ。人権は建前のなかにしか住処はないのだよ。人権を唱和するものがもっとも人権から遠いという逆説がここにある。

①すまんが、先祖代々エタでな。祖国いうたらお前の大好きなこの日本しかないんやわ。で、俺も、この日本いう国が好きなんやわ。
おったら悪いか?(2017年4月4日)

②森友問題は日本が「近代」できるかどうかの試金石ってのが僕のテーマであって、だからこそ、塚本幼稚園を『日本会議の研究』で取り上げてるわけだし、僕が、森友問題にのめり込む理由でもある。
これね、我々に突きつけられた宿題なのよ。(2017年4月6日)

③昨夜、とある新聞記者と話ししてて腰抜かすほど驚いたんだけどさ。

俺「谷査恵子からのファックスって、もうあれ完全にアウトでしょ?」
記者「いくら合意済みとは言え予算化措置を事前漏洩ですもんね。普通なら内閣総辞職もの」
俺「で、何で君ら騒がんの?」
記者「デスクがね」(2017年4月6日)

俺「デスクがなんて言うの?」
記者「私も言ったんですよ。『これ完全にアウトだから、書きましょうよ』って。そしたらデスクがね『安倍内閣倒れて、誰が喜ぶんだよ』って真顔で言うんです」
俺「はあ」
記者「はあ」
俺「はあ」

。。。。これ現実だからね

いや、通常考えてよ? 例えば、官民であれ官官であれ、予算をめぐる合意があったとしてよ?国会質疑で、政府に「この合意に基づく予算化措置の予定はあるのか?」って聞いたとして、それが野党議員であれ与党議員であれ、政府は、「お答えできない」って言うはず。それが、予算。

森内閣は「神の国発言」で倒れた。あれ神道政治連盟での会合での発言で、公的な場所でも何でもなく、「支持者へのリップサービス」的な私的な発言。それでも発言の重大さから新聞が騒ぎ、内閣は倒れた。
で、今の内閣の「教育勅語」の取り扱い方、誰も騒がん。
おかしいでしょ(2017年4月7日)

うん、おかしいよ。騒ぎ立てないのは、どうしてか。菅野完とおなじ気持ちがある。この国は近代にはならない。なれないままグローバル経済やテクノロジーに制圧される。戦前・戦中の知識人が赤の思想にかぶれ、治安維持法で拘留と尋問を受け、痛めつけられて皇国思想に獄中転向し、戦後は民主主義者となる。三段階の転向だ。おなじことがいまこの国で起こっている。若い頃マルクス主義をやり、理想を唱えるから連合赤軍事件が起きたと考え、いまあるこの現実から出発しようと民主主義を宣教し、国家が内面化すると、天皇親政へと内面を退避する。ほとぼりが冷めたら、また民主主義を使い回す。主観的には永遠に勝者だ。戦前・戦中・戦後の世界の解読の仕方に共通するもの。世界を「社会」主義として語る、その語り口だ。いつまでたっても「社会」主義的な言説の回りをくるくる回転する。文学もおなじだ。また、国家を統治者の手足として運用しうるということ。トマホークによるシリア空爆。国家が私性のなかに融解している。私性のなかに他者の生が引き裂かれる痛みはない。菅野完の人権という理念では、この不可解さにまったく手をつけることができない。あるいは解けない主題を解けない方法で解こうとしていると謂うべきか。菅野さん。日本を近代化できるかどうか問うても不毛だよ。世界が地殻変動を起こし液状化している現在、はたして人間という概念は存立しうるかどうかが問われていると問うべきなんだよ。人権という近代的な理念で人間を観察しても嘆いてもなにもでてこない。精神の古代形象を初源まで遡り、人類史を転換しえる契機をそこに見いだすこと。〔根源のふたり〕のなかに意識の起源があり、この根源の性によってヒトが人となった由縁がある。思考の規模をおおきくしないと人間という概念の起源に到達することはできない。人権という空虚で生の不遇感や不全感を埋めることはできない。人権は「社会」主義的な口舌にすぎない。人権はただ私性とのみ相関する。そして第三者はいつも埒外である。それがわたしたちがかたどった人類史だ。

50年来の友人である原口さんは〔重なりの一〕と言い、わたしは〔根源のふたり〕と言うが、根源の性は、アキにとっての朔であり、ドナにとってのイアンである。このとき〔関係が表現〕となっている。この契機のなかに個人や社会を超えていくきっかけがあると内包論で考えてきた。〔関係が表現〕であるとき、システムはいつも超えているということにおいてすでに超えられている。一万年前であろうと、江戸時代であろうと、現在であろうと、過去を想起するように未来を追憶することができる。日本が「近代」化できるかどうかという問いが「社会」的なのだ。この問いを発するかぎり、生はいつも遅延し、未然のものとなる。共謀罪をいま廃案できなければ、つぎの戦後にしかその機会がないというその思考の型がじつは共謀罪を生んでいる。じぶんをじぶんにとどけ、ひとりで引きうけ、ふたりとしてひらくとき、そこに共謀罪も戦争もない。そのような考えをつくることで社会をひらくことができる。伊勢崎さん。季節が移ろうようにいつか起こるのが戦争ではないよ。菅野さん。人権では人と人はつながらないよ。事態は急旋回した。この切迫する状況のなかで、根本的なことを、根底的に思考する原則を、これからも貫く。

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