1どんな大義も私性から派生する。私性は近代的な私利や私欲を意味しない。精神の古代形象に淵源をもつ自己保存の衝動だと思う。私性は是非や倫理を超えたものとしてある。い・・・【続きを読む】
『歩く浄土』 Live in FUKUOKA 2017.4.14 (Part 1)はじめに これまでに四回を数える私たちの連続討議は、電子出版ながらそれぞれ一冊の本として読んでもらうことを意図している。・・・【続きを読む】
片山恭一さんと、二週に一度「歩く浄土」の討議をやっていますが、この国を取り巻く状況が切迫しています。いまここに戦争の危機があり、治安を維持する目的の共謀罪法案が国会で審議・・・【続きを読む】
1ほかのだれでもないじぶんの生を納得のいくように反芻する行為が知だと考えている。知と知識は違う。知は固有のものであり公共化できない。知識は抽象化された一般性として・・・【続きを読む】
1裕福な者が貧乏な者へ富を施すことを贈与と呼ぶのではない。それは交換の裏返しだから。贈与は交換の対概念としてあるのではない。交換と贈与はまったく次元が違う。人と人・・・【続きを読む】
1ある特定の時代のかぎられた生涯を生きるとき、人びとが生きている時代ともつ明晰と迷妄の度合いはいつも時代も変わらないとこれまで書いてきた。この認識を統覚する思考の・・・【続きを読む】
中沢新一はかつてオウム真理教団の広告塔をしていた。『カイエ・ソバージュ』はその咎を表現できているか。関心はそこにあった。オウム真理教に荷担したことを批判したいのではない。・・・【続きを読む】
1交換は経済を外延的に表現したものだが、内包的な贈与という概念は意識の外延表現の派生態ではない。贈与という思考は経済論の範疇からは逸脱しているということになる。逸・・・【続きを読む】
1『不死のワンダーランド』を書いた西谷修が、「共謀罪法案を廃案に持ちこめないなら、つぎの戦後にしかその機会はない」と発言していた。憲法改正と戦争を可能にする治安維・・・【続きを読む】
1表現とはなにか。あらゆるしがらみを削ぎ落として表現という行為をシンプルに素描してみる。人を表現へと駆り立てる動機はさまざまあるが、それを生の不全感と生の不遇感の・・・【続きを読む】
1安倍報道で気が鬱々していたとき、面白いツイートをみつけた。「坊主」という名の発信者。以前に「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」を上回る神フレーズ選手権を開催して・・・【続きを読む】
1エマニュエル・トッドの『家族システムの起源』は刺激的だった。トッドは『世界の多様性』のなかで、276の民族の資料を渉猟し、ある特定の民族の家族の形態は、ある特定の・・・【続きを読む】