日々愚案

歩く浄土96:情況論20-総アスリートから総表現者へ6

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思想とはなにか。内面の表現として文学や絵画や音楽があるように、思想もまた概念で書かれた詩であるとわたしは思う。マルクスの資本論もそうだった。ケインズの経済学を読むと現実をなぞる部分知にすぎなくて、この世ならざるものを現成させる観念のダイナミズムなどどこにもない。ほかのだれの経済学ともマルクスの経済論は違う。マルクスの資本論には地軸を傾けるほどの激しい、世の中がこんなものであってたまるかという意志が、かれの精神の夢が、論理で語られている。しかし、吉本隆明やマルクスの思想の営為が意識の外延知と一括りできる観念の場所からは、彼らの思想が現実に対抗するものではあっても、あたらしい現実をつくるものではないことにいやおうなく気づく。べつの言い方をするとかれらの思想ではこの世のしくみをひらくことができず、現実に呑みこまれてしまう。世界を外延知で統覚することはできるが世界を創造することができない。なぜか。わたしたちの思考の慣性である同一性を切断できていないからだ。ハイパーリアルなむきだしの生存競争を加速する同一性とはべつの認識の軸を導くこと。そしてその認識によってこの世界を包み込んでしまうこと。それは可能なことのようにわたしには思える。

わたしは転形期の世界で、不可避性として登場した総アスリートというあたらしい生のかたちにたいして、表現が生活を包む総表現者という概念を提起している。なぜ表現が生活を包むことができるのか。外延自然ではなく内包自然、外延知ではなく内包知が〔在る〕からである。いまわたしがいる場所からは、昭和天皇の玉音放送と吉本隆明の思想が、世界の感じ方としては同型であるように見える。HPのリニューアル(ほぼ建て替え)にあたって、古いサイトにアップしていた『内包存在論草稿』のPDFと、あらたにアップした『内包表現論序説』に、それぞれ短いコメントをつけた。それを貼りつける。

『内包表現論序説』は、吉本隆明さんとの対談「対幻想の現在~疎外論の根源へ」(1990年)を挟んだ前後に書かれた内包論の連作で、わたしのはじめての本である。絵描きの桜井孝身さん(1928~2016)との出会いがなかったらこの本はなかった。書けと言ったのも桜井さんだし、出版費用のすべてをまかなってくれた。全共闘という学生の乱暴狼藉からえたものはなにもないが、部落解放運動にふかく関与し、吉本隆明の共同幻想という思想を手に、無援の闘いを持続した。この本で、はじめて内包というリアルを言葉で書こうとしている。吉本さんの対幻想論では生きられないという感受があった。なんとかそのことを言葉にしたかった。対幻想は自己幻想と共同幻想のつなぎ目にあるのではなく、自己幻想も共同幻想も、対の内包像という背後の一閃によぎられた、同一性の意識の事後的なあらわれであり、表現の根源にあるのは、自己表出ではなく内包表出であると『序説』で考えた。『内包表現論序説』は吉本隆明の思想から自立しようとする悪戦苦闘の軌跡としても読むことができる。わたしは表現にまつわる思考の慣性を転倒し、表現の概念を拡張することをめざしてこの本を書いた。わたしの表現の方法はシンプルである。当事者性を手放さず、当事者性が引き寄せるひずみをその根柢でひらこうとした。体験の固有性を普遍性として語ること。その方法は一貫していると思う。生活と思弁を分離する観察する理性の方法はとられていない。考えようとしている対象にまるごと没入し、つかもうとする対象がそのまま言葉になる方法をめざした。内包表現と名づけるほかなかった。そこに観察する理性の入り込む余地はない。わたしの試みを感得した読者はいるだろうか。「自然論」や「起源論」のモチーフはいまなお新鮮で、読み込まれていないと思う。一切手を入れず、サイトにアップした。

『内包表現論序説』が、大きな影響をうけた吉本隆明さんの思想からの自立の模索であったとすれば、『内包存在論草稿』は内包という独自の概念をつくろうとして悪戦苦闘した記録であると言うこともできる。状況にふれながらいくつかのオリジナルな考えがこのなかで語られている。観察する理性の方法は一切とられていない。対象に没入しながら、対象を言葉と不即不離のものとして取り出そうとした。内面の形式である文学と共同性にかかわる政治は次元が違うといってすむ問題ではない。内面や社会性を生みだす淵源を対象化しようとした試み。ある意識の呼吸法のもとでは、対象と対象を論じる言葉には、あるいは表現と表現主体とのあいだには必然としてすきまが生まれる。このすきまを制度にすれば国家となり、内面化すれば文学や芸術というものになるが、意識の型としては同型である。いつまでたってもこの世のしくみが変わらないのは、結果として、意識の内面化という形式が権力として制度に備給されているからということもある。それは生きていることが、個人であれ、社会の一員であれ、同一性の罠に監禁されているからだ。自己意識の外延表現は同一性の必然として閉じられている。どうすればひらくことができるか。広義の〔性〕が鍵だと思う。わたしは世間の性ではなくこの性を根源の性と名づけた。内包的に存在している性をうまく表現として取りだすことができれば、わたしたちの生はもっと伸びやかになり、市民主義的な理念よりもっと善い生を生きることができると内包論で主張している。この本のまえがきで内包論の世界では三人称が消えてしまうと思わず書いたことに足を掬われ、10年余、思考がフリーズした。根源の性のいちばん深いところにひっそりと還相の性が熱く息づいている。還相の性はだれのなかにも無限小のものとして内挿されているということに気づいてから内包論を歩く浄土として再開した。当時のわたしの錯認から、マルクスも吉本隆明も、どんな思想家もまぬがれていない。それは還相の性は空間化できないということだった。この気づきは人類史を拡張するおおきな潜勢力をもっていると思う。『内包存在論草稿』は「歩く浄土」への過渡としてあるが、根源の性を内在化(時間化)できていないほかは、いまでも充分に考えつくされた思考であり、『内包表現論序説』も『内包存在論草稿』もまだ読み解かれていないと思う。

なにを言いたいか、はっきりさせたいので、最近アップした「歩く浄土95」の昭和天皇の玉音放送にふれたあたりを少しだけ引用する。

保身と大義の巧妙なすり替え。同一性の為せるわざだと思う。荒れ狂う共同幻想のもとでは天皇もまた共同幻想の属躰たる臣民の一人であり、同一性の僕だった。空っぽの同一性にはどんなものでも入ることができるし、どれほどの愚劣も憑依できる。同一性の外延知としてしか天皇制は存在しない。

玉音放送にみられる帝王の発言と、その天皇制を共同幻想であると言った吉本隆明の思想がともに外延知にすぎないことに気づいた驚き。苦界と空虚は同根であるということ。わたしは、わたしの生存感覚を貫いたこと、わたしの身の上に起こったことを普遍として言いうると思うからこれを書いている。どれほど精緻な表現を凝らしても、空虚を手でつかむことはできない。まして、それそのものを生きることはできない。わたしたちの知る外延知は、表現と表現主体のあいだにすきまをつくるようにできている。だからいつまで経ってもこの世のしくみは変わらない。このすきまにはありとあらゆる観念の倒錯が流れ込む。それを人類史ということもできる。

    2
吉本さんが存命ならば、昭和天皇の玉音放送の言葉と、おれの考えが同型だと? 冗談じゃない、と言うと思う。吉本さん、やっぱり同型なんですよ、とわたしは言う。かつて吉本隆明は『言語にとって美とはなにか』で、自己表出の概念を定義している。はじめて読んだとき、ぎょっとした。その感じをそのまま吉本さんにお返ししたい。意識の内包表出からみるとどんな外延知も是非を超えて同型になる。

 ひとつの作品から、作家の個性をとりのけ、環境や性格や生活をとりのけ、作品がうみ出された時代や社会をとりのけたうえで、作品の歴史を、その転移をかんがえることができるかという問題である。いままで言語について考察してきたところでは、この一見すると不可能なようにみえる課題は、ただ文学作品を自己表出としての言語という面でとりあげるときだけ可能なことをおしえている。いわば、自己表出からみられた言語表現の全体を自己表出としての言語から時間的にあつかうのである。
 何だって? 個々の作家が恣意的につくりだした作品を、それだけで必然的な史的な転移として考察できるはずがないではないか。いったい何を基準にしてどんな具合にそれが可能というのか?(勁草書房・吉本隆明全著作集6『言語にとって美とはなにか』163p)

吉本隆明の自己表出の拡張概念として内包表出をいうとき、わたしの体験の個別性は括弧に入れられている。もちろんわたしの体験の個別性をぬきに内包表出にたどり着いたのではない。それよりほかになかったこととして地軸を傾けるようにして内包的な概念を手にしたわけだが、往相廻向の自力の果てるところに還相廻向があるように、普遍として語られる概念は体験の個別性に還元できるわけではない。

吉本隆明とおなじ思考の型を本家のマルクスも述べている。

起こりうる誤解を避けるために一言しておく。私は、資本家や土地所有者の姿を決してバラ色の光で描いていない。しかしながら、ここでは、個人は、経済的範疇の人格化であり、一定の階級関係と階級利害の担い手であるかぎりにおいてのみ、問題となるのである。私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって、決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしようとするのではない。個人は、主観的にはどんなに諸関係を超越していると考えていても、社会的には畢竟その造出物にほかならないからである。(岩波書店『資本論』16p)

読者よ、心せられよ。抱いても差し支えない疑問と理解がかなう答えを問うているのではない。マルクスはブルジョア(有産階級)を実体化はしていないと言いながら、資本主義社会の貨幣のあり方を批判的に考察しながら、かれの夢を熱く語った。マルクスの貨幣論を緻密にたどることは不毛である。かれの思想を可能にした思考の型をこそ問うべきなのだ。そこでわたしは問う。マルクスの夢が叶わなかったのはなぜか。
なるほど、マルクスは貨幣の魅力と限界についてかれの夢を物語として語った。しかし禁止は侵犯されるものである。なぜか。禁止と侵犯が意識として同型だからだ。この同型のことをわたしは同一性の規範性だと言ってきた。おそらくマルクスはこのことについて自覚的ではなかったと思う。(つづく)

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