日々愚案

歩く浄土86:内包贈与論の予備的考察3-マルクスの価値形態論について3

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論考を書き進めようと吉本隆明の「カール・マルクス」と「マルクス伝」を一気に読み返した。若い頃に震撼された吉本隆明のマルクス論とわたしの内包論がかみ合うことはほとんどなかった。マルクスとも吉本隆明とも異なる言葉の地平にじぶんがいることを痛感した。どういうことなのか考えるとマルクスとも吉本隆明の思想の方法とも異なる概念で世界をわたしが解こうとしていて、古典的なマルクスや吉本隆明の表現論と折り合う余地がないということだった。遠いところまできたものだと不思議な感慨があった。わたしにはふたりの巨匠の思想が世界の無言の条理に届いているとは思えなかったし、思想の方法が牧歌的であるように思えた。かれらが、ある思考の極北を表現していることは諒解できたが、世界を解読できているとは思えなかった。人間の業の深さをねじ伏せる言葉の力がないと言ってもよい。わたしの概念で言えば、マルクスや吉本隆明は自己意識の外延的な表現の極北をそれぞれが書き記しているということだった。マルクスにもまた思想の未然がある。国家を超えようと意志したにもかかわらず、類生活を希求する夢はマルクスの思考の必然によって裏切られ、国家へと回帰していくことになった。
マルクスの思想の未然は内包論でひらきうる。

マルクスは人々の共和的なくらしを激しく夢みた。それはわかる。しかしマルクスは国家のない世界を概念として構想することはできなかった。地軸を傾けるほどの激しい情念と構想力はまたべつである。国家の消滅を遠望し、マルクスの思想はマルクス主義国家へと収斂することになった。なぜマルクスの意図に反することになったのか。わたしにはマルクスは情念でかれの思想を覆い隠してしまっているようにみえた。かれは渾身の力を傾け必死で解けない主題を解こうとした。思考の根本のところでマルクスは考え違いをしている。
わたしがマルクスの思想の未然を解く。それはまた世界を呪詛することでしか語ることのできなくなったわたしたちの生をひらくことにおのずとつながる。赫々としたわたしの意志を世界への構想力として示したいと思う。絶望を超えた夢を、その概念を語りたい。読者よ、同行せられよ。

『経済学・哲学草稿』でマルクスは、「死は、個人にたいする類の冷酷な勝利のようにみえ、またそれらの統一に矛盾するようにみえる。しかし特定の個人とは、たんに一つの限定された現的存在にすぎず、そのようなものとして死ぬべきものである」と書いている。吉本隆明はマルクスの自然哲学を擁護する。

 ところで、〈死〉んでしまえば、すくなくとも個々の人間にとって、全自然がかれの〈非有機的肉体〉となり、そのことからかれのほうは自然の〈有機的自然〉となるという〈疎外〉の関係は消滅するようにみえる。そしてたしかに個人としての〈かれ〉にとっては消滅するのだ。しかし、生きている他の人間たちのあいだではこの全自然と全人間の関係は消滅しない。これを市民社会の経済的なカテゴリーである人間と人間の関係、人間と自然との関係に表象したときの現実的なもろもろのもんだいは、社会がかわれば、かわってしまうし、社会的に消滅させようとすれば消滅するが、自然と人間の存在のあいだではかわらないのである。〈自然〉哲学のカテゴリーで、〈死〉によって消滅するようにみえる自然と人間とのあいだの〈疎外〉関係の矛盾を、かれは、類と個の関係としてきりぬけるのである。(「カール・マルクス」吉本隆明全著作集12 109p)

吉本隆明はマルクスが人間の営みをすべて自然史の過程に還元したことを大いに評価し深く共感する。
わたしは人間という現象を自然過程に還元するという考えはニヒリズムだと思う。キリスト教という超越を批判しても同一性がうがった空虚ができあがるだけで、この空白を類生活が埋めることはない。こんなかんたんなことがマルクスにはわからなかった。同一性というモナドの空隙を充たす理念が大衆という超越だった。マルクスの超越を吉本隆明の思想は理念としての大衆としてそのまま引き継いだ。吉本隆明は、マルクスの自然哲学が経済的なカテゴリーに反映されると、疎外という理念は階級としてあらわれると「カール・マルクス」で述べているが、マルクスの階級の概念も吉本隆明のそれも、むきだしの生存という現実をなぞるものにすぎなかった。現実を変える言葉の力はなかった。親鸞の他力という思想には現実がどうであれ浄土を歩く力がある。親鸞は他力という思想で歴史を語ることはなかったが、いま内包論がそれを可能としつつある。

マルクスよ、吉本隆明よ、なにを考え損ねたのかおわかりか。ここは当事者性の思想の根本にかかわるところだ。マルクスの思想も、吉本隆明の思想も、理念と現実とのあいだにわずかなすきまを生む。ここにある亀裂はどうやれば埋まるのかとかれらが考えることはなかった。ここを根底的に考え尽くすことができなかったそのすきまからマルクス主義という厄災が滑り降りた。マルクスが考えのこした個と類の間隙に政治が侵入したといってもいい。特定の個人が死んでも、類は存続する。そんなことはだれでも知っている。戯言だと思う。思想が現実を追認しているだけではないか。
マルクスが個人の死は類の冷酷な勝利のようにみえるというとき、かれの考えには無意識に神という超越の痕跡が遺されている。マルクスの宗教批判は徹底性が足らない。制度しての宗教を批判しても宗教を批判したことにはならない。宗教の本質は残りつづける。社会主義がそうであり、類生活が同一性という空虚のなかに貼りついた。宗教の本態はなんの痛痒も感じない。イエスが神であるという理念の代わりに、大衆が神であり歴史の担い手であるという超越が密かに導入されたということだった。ほんとうは宗教を否定するのではなく拡張することで宗教そのものを包み込めばよかった。否定は可視化と実体化を不可避とする。マルクスの思想においてもここにある逆理をまぬがれることはなかった。
神という超越を否定した時代の申し子であるマルクスはそこまでは考えなかった。マルクスの言明は当のマルクス本人にとって欺瞞ではない。心底そう考えて書いたのだと思う。この国では天皇の退職が護憲ではないかと恭しく報道される。

個人と類のあいだには深淵がある。間違った一般化によってつながっていると仮構することはできる。それが諸悪の根源だった。個人と共同性のあいだにある深淵をマルクスは目を瞑って跳び越えた。ヘーゲルの始まりの不明もまったく同じである。マルクスや吉本隆明の思想は個と類のあいだのすきまを、大衆という理念で仮構して跨ぎ超している。主観的な意識の襞のうちにある信が容赦なく政治を発動する。引き裂かれた生はこの事態を内面化する。それが文学や思想だと呼ばれてきた。内面化が文学であり、共同的なありかたには市民主義が付与される。こうやってシステムが完成する。むきだしの生存と民主主義は矛盾なく並存するということだった。天皇親和制。それがわたしたちが手にしている自然だ。

片山恭一さんが新作『なにもないことが多すぎる』という作品の解説を公式サイトで書いている。そのなかで、ヘーゲル、マルクス、ハイデガーの思想の方法について述べている箇所がある。共感するので一部を抜粋して貼り付ける。よく似たことを片山さんも考えている。

つまりね、ヘーゲルからマルクスを挟んでハイデガーというふうにとらえると、それは一つの巨大な思考の体系をなしていて、出口がないんだ。彼らの思考の仕方で考えるかぎり、体系の外へは出られない。そのなかでアウシュヴィッツも原発事故も起こるべくして起こる。必然というか不可避なんだ。そのことがよくわかった。(『なにもないことが多すぎる』を語るPart4)

ヘーゲルが一つの体系として完璧かというと、彼の論理のなかには誤謬ってことが入っているからだ。むしろ誤謬によって、弁証法という理屈は駆動していくようにできている。だからアウシュヴィッツがあろうと原発事故が起ころうと、ヘーゲルは無傷のまま残りつづけるんだ。(同前)

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若い頃吉本隆明に甚大な影響をうけたがマルクスの思想に大きな影響をうけたということはなかった。それでも動かしがたくみえる現実を言葉の力で書き換えようとする意志の強さには打たれた。マルクスは圧倒的な現実の地軸を傾けて表現の力で世界を書き換えようとする強い意志があった。その意志の力と構想力は空前絶後だったと言える。吉本隆明はマルクスは1000年に一度しか歴史に登場しない巨匠だと書いているが、人間という現象の驚異についてはほとんど触れていない。わたしの考えでは、経済論より〔存在論〕が先行するし、この存在するということを究明できなかったことにマルクスの思想の不如意があると思う。

1949年に吉本隆明は書いた。「意識は意識的存在以外の何ものでもないといふマルクスの措定は存在は意識がなければ意識的存在であり得ないといふ逆措定を含む。このような措定の当否は唯確信の深さと、実践によって決せられねばならぬ。ここに至って詩的思想はマルクスの所謂非詩的思想と対峙するに至るのだ」(吉本隆明「ラムボオ若しくはカール・マルクスの方法に就いての諸註」)
吉本隆明はマルクスの思想の特質を美しい簡潔な言い方で概括している。マルクスは「意識は意識的存在以外の何ものでもない」と措定し、吉本隆明は「意識がなければ意識的存在であり得ない」と逆措定する。うっかりスムーズな言明をなるほど、うん、うん、うん、と読み飛ばしそうになる。意識の外延的な表現を内包的な表現へと拡張しつつあるわたしの考えからは看過できないあらが見える。マルクスが意識というというとき、その意識とはなにか。吉本隆明がマルクスをうけて押し返すときの意識とはなにか。マルクスにとっての意識的存在や吉本隆明の詩的な意識はぶれがなく凜乎としている。ふたりの意識は外延的な意識である。時代はグローバルな世界の転形にたいして、自覚的でないとしても内包的な意識をすでに表現している。

マルクスと吉本隆明の方法の問題についてはいまも解決していない。マルクスが言うように、存在が意識を決定する傾向があることは認めてもいい。しかし意識的な存在は状況がどれほど過酷であろうと呪縛から自由でありうることができ、そこに意識という観念の王国があるというのが吉本隆明の言い分だ。そのことも認める。観察する理性としてならどちらともありうる。なにも特別なことではない。緊急事態法の是非やあるいは平成天皇の退位の意向を外延表現の形式の枠組みで問うとき、なにも決まらない。外延表現では決定不能だ。あるいは立憲主義と天皇親政のあいだがらについて答えよと問うてみる。国家存亡の危機があるとき、個人の恣意性はどうあるべきか。なんとでも言いうる。この種の問いをかぎりなくもうけることはでき、どの問いのひとつもすっきりしない。自己の主観的心情を言うことはできても、問いはことごとく決定不能にさらされる。それが同一性の世界だ。そこで自己に先立つ超越が呼び込まれる。神でも仏でも、イデオロギーの大義、天皇の赤子でもいい。

この存在と意識のありようが思弁ではなく生きることそのものに関わってくると様相は一変する。仮にこの出来事をイリヤ(遺棄される)と呼んでみる。この出来事は内面化不能であり、どうじに社会化することもできない。では意識はどこにいけばいいのか。同一性の世界ではその場所はどこにもない。世界はイリヤを括弧に入れ、いつのまにかないことにしてそのことをやり過ごす。それがわたしたちの知る歴史であり、日常だとされる。同一性を認識の公準とするかぎりこの事態は果てなく繰り返されるだろう。

自己が自己であることはまったく自明ではない。自己が自己であるときそこに亀裂があることにマルクスも吉本隆明も自覚的ではなかった。優れて古典的だった。自己など世界の無言の条理にさらされるとかんたんに崩壊する。世界の無言の条理に同期することで生存の延命をはかるものだ。それほど自己は脆い。この染みわたるような覚知が親鸞の他力にほかならない。他力は端的に同一性の埒外にある。
ヴェイユは匿名の領域を通じてのみ自己からの離脱が可能であると言い、親鸞は他力に身を任せきることが自然法爾であると言い切った。マルクスと吉本隆明の存在と意識をめぐる文言は明晰であり、自己意識の外延表現を前提として語られた言葉にすぎない。観察する理性を行使するだけの余裕がある。そこに〔ことば〕はない。

生涯、ハイデガーの存在論と闘い、ついに存在の彼方にゆくことができなかったレヴィナスの苦闘。「ヒトラーの勝利―そこでは〈悪〉の優越はあまりにも確固たるもので、悪は嘘を必要としないほどだったのだが―によって揺るがされた世界のうちで死んでいった犠牲者たちの孤独がおわかりだろうか。善悪をめぐる優柔不断な判断が主観的な意識の襞のうちにしか基準を見いださないような時代、いかなる兆しも外部から訪れることのない時代にあって、自分は〈正義〉と同時に死ぬのだなと観念した者たちの孤独がおわかりだろうか」(『固有名』「無名/旗なき名誉」185~186p)そのレヴィナスの言葉。「なぜ神を放棄してはならないのか。絶滅収容所で神が不在であった以上、そこには悪魔が紛れもなく現存していたからだ」(『われわれのあいだで』合田・谷口訳)

喪失の果てに言葉だけが残ったと覚知したツェランは言う。「しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来、しかも、起こったことに対しては一言も発することができませんでした―しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けていったのです。抜けて行き、ふたたび、明るいところに出ることができました―すべての出来事に『ゆたかにされて』」(「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶」)そのツェランが「わたしがわたしであるとき、わたしはきみである」と言った。これは同一性の彼方の知覚だと思う。そのリアルがマルクスにも訪れた。一度はマルクスも気づきかけ、その刹那、この驚きを同一性に封じ込めた。マルクスにはじめに訪れた直覚は同一律の背後に隠れることになった。認識を自己から始めるという思考の慣性が、男性の女性に対する関係がもっとも直接的で自然的で必然的な関係であると言いながら、いつのまにかこの直観を同一性の事後的な事態と見做してしまっている。あっというまにマルクスのリアルは同一性に隠れてしまう。ほんとうはこの本源をもっと同一性の彼方まで伸張すればよかった。

男性の女性にたいする関係は、人間の人間にたいするもっとも自然的な関係である。だから、どの程度まで人間の自然的態度が人間的となったか、あるいはどの程度まで人間的本質が人間にとって自然的本質となったか、どの程度まで人間の人間的自然が人間にとって自然となったかは、男性の女性にたいする関係のなかに示されている。(『経済学・哲学草稿』129~130p)

わたしは、はじめて言うのだが、マルクスの思想で生きのこるのは自然哲学でも、経済的な範疇の資本論でもなく、マルクスのこの本質直観だと思う。またこれ以外にマルクスの思想で古典として読み継がれていくことはないと思う。もしもマルクスがひとであることの本源を同一性の彼方に向けてひらいていれば、市民社会の範疇での経済的なカテゴリーは、階級や搾取ではなく、あるいは労働者の貧困や窮乏ではなく、さらに言えば資本主義のメカニズムを贈与論として解明することになったと思う。

もう少しマルクスの最善の思想的な気づきに踏み込んでみる。わたしの考えたことによるとマルクスの男性の女性にたいする関係の本質性-女性の男性にたいするそれもおなじ-は、対幻想として同一性に縮減できるようなことではなく、この本質直観を梃子にして人間にとっての本源的な感情を対幻想そのものの拡張へと突き進めばよかった。個人と個人の関係のなかに対幻想に収まらない本質を直観し、そのことをかれの自然哲学の基底とすればまったく違った貨幣論が可能だったと思う。対幻想の往相性は還相の性へと拡張できたはずなのだ。
マルクスの希求した搾取の存在しない類的な生活は同一性の延長には存在しない。それは歴史の冷厳な事実だ。「貨幣は、すべての存在をその抽象にまで還元したが、それと同様に、自分自身の運動のなかでみずからを量的な存在へと還元する。際限のなさと節度のなさとが貨幣の真の尺度となる。」(岩波文庫『経済学・哲学草稿』第三草稿〔一〕「私有財産と共産主義」150p)マルクスは社会主義を前提とすれば個的な生が類的な生を実現することが可能だと宣明したが現実によって裏切られた。それはマルクスの自然哲学に根本的な欠陥があるためだ。マルクスは資本を占有する資本家のイデオロギーを社会主義という善のイデオロギーで置き換えれば、苦界にあえぐ衆生の救済ができると考えた。なにより搾取される労働者や大衆が主人公で歴史の担い手であると。人格の表出においてそのことを語ってもまったく無効である。人間の業の深さというものや世界の無言の条理についてマルクスは考察しなかった。個と共同性のあいだに目の眩む深淵があることをマルクスは知らなかった。

わたしはマルクスや吉本隆明の思考の原器となっている外延表現を拡張するなかにしか生の不全感の解消や、他者への配慮が実現することはないと、痛切な体験のなかで、悶絶しながら考えた。どうすればその世界を手にすることができるのか。いまはかんたんなことに思える。どうであれ、還相の性があるから、外延表現では原理的に不可能な共同的なあり方を、内包的な親族して拡張することができる。そのとき貨幣は収奪や占有という強欲の塊から内包的な贈与へと転位する。この過程に人格の表出である倫理は関与しない。みずからという作善ではなく、おのずから、あたかも他力のようにしてこの驚異はもたらされる。

マルクスの思想を敷衍しても貨幣は分配されることはなく強欲資本主義が世の中を席巻していくことにしかならない。グローバル経済の猛烈な圧力は外延自然を薙ぎ倒していく。
外延自然ではなく内包自然が可能だから、搾取や貧困としてあらわれる資本主義社会のシステムはゆるりと搾取から贈与へ移行する。建前のできもしない倫理を語っているのはない。マルクスにしても吉本隆明にしても意識の外延表現の枠内でしか世界を語らなかった。
どれほど世界を否定しても意識としては同型だから現実をなぞるだけで、現実を変える言葉の力にはなりえない。富の占有と分配は人格を媒介とした表現であり意識として同型である。そこにあるのは主観的な意識の襞にある信のわずかな違いだけである。そうではなくもっとも根底的なことは世界認識の構想力だと思う。なんどでも繰り返すが対幻想が拡張された還相の性が可能だから、三人称の世界は喩としての親族としてあらわれるほかない。貨幣は内包の力によって、分配ではなくおのずから他者へと贈与されることになる。

人類史は、まだ、ただの一度も〔主体〕というものをつくりえていない。この未然のなかに依然として人類の文明史は閉じられている。自己によって所有されるものが〔存在〕ではない。奥行きのある点というリアルを理念で言おうとして4半世紀がすぎた。いま内包は未踏の世界にむけて進撃している。夜は千年つづき、千の閂が掛けられた。そこに千の可能性がある。そのひとつをわたしは生きている。

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