日々愚案

歩く浄土67:情況論9-『1★9★3★7』の辺見庸

スティルライフ
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なぜ『1★9★3★7』が書かれたのか。帯文にモチーフのすべてが書いてあるとわたしは思った。帯文を読みながらどこかに既視感があった。平時にひとりで守りの戦いをながくやり、その渦中を当事者として生きた。戦時ではない平時に戦時を生きぬくほかなかった苛烈。これまでなんども書いてきたので、そのことについては触れない。その場所から辺見庸の「1★9★3★7」について感想を書きたい。民主主義をコールする人たちが安倍政権の反知性主義を批判するが、反知性の根にあるおぞましさまで批判がとどいているとは思えない。わたしたちがやがて迎える剥きだしのクライシスが『1★9★3★7』に暗喩されている。それはすぎたことではなくわたしたちの傍らにいつもある。わたしはそのことをひしひしと感じている。そういう意味で『1★9★3★7』を情況論として扱う。

 

母のホームを訪ねた帰りスタバの店外で風に吹かれてポリーニのショパン・ノクターンを聴きながら辺見庸の『1★9★3★7』を読みはじめた。しだいにどこかでじぶんの体験と重なり、見たくないものをみるようで気持ちが重くなる。船戸与一の満州国演義や宮沢賢治の何をやっても間に合わないが共振する。3日かけて読み上げた。呆然とする。『1★9★3★7』という本の軽さに。ほんとうに書かれるべきことはなにひとつ書かれていない。辺見庸は、いったいだれに向かってこの本を書き、いったいだれを啓蒙したいのだろうか。出来事をまえにしてきりきり舞いをしている辺見庸というもの書きがいるだけだった。

文化の薄い皮膜を剥ぐとそこにはいつも世界の無言の条理がパックリと暗い穴を開けている。わたしに焼きついた生存感覚だ。そこを通りすぎるだれもが知らぬふりをする。あることをないことにしてやりすごす。観察する理性というものをわたしは信じていないからわたしはわたしの身に起こったことしか書かない。

……なんのために本書を著したのか。それは、こうだ。わたしじしんを「1★9★3★7」という状況(ないしはそれと相似的な風景)に立たせ、おまえならどのようにふるまったのか、おまえなら果たして殺さなかったのか、一九三七年の中国で、「皇軍」兵士であるおまえは、軍刀をギラリとぬいてひとを斬り殺してみたくなるいっしゅんの衝動を、われにかえって狂気として対象化し、自己を抑止できただろうか―と問いつめるためであった。おまえは上官の命令にひとりそむくことができたか、多数者が(まるで旅行中のレクリエーションのように、お気楽に)やっていた婦女子の強姦やあちらこちらでの略奪を、おい、おまえ、じぶんならばぜったいにやらなかったと言いきれるか(中略)-と責間するためであった。

いまはどういう時代かについても、この国特有の自然生成の鵺性についても、その状況についての判断のおおくを辺見庸と共有できる。平静を装いながら云うが、わたしが遭遇した過酷と辺見庸が書いた「1★9★3★7」は審問のベクトルが真逆である。「おい、おまえ、じぶんならばぜったいにやらなかったと言いきれるかと責問するためであった」と辺見庸は言う。観察者の理性からの眺め降ろしではないか。読み始めてすぐ責問のぬるさを感じた。辺見さんよ、あなたが唾棄する文化人とあなたはどこが違うのか。「1★9★3★7」に書かれていることはすべてが他人事であり、あなたの身に起こったことはなにも書かれていないではないか。あの時代の皇軍の蛮行を歌舞伎役者の化粧のようにどぎつく言葉の字面だけを隈取っていないか。わたしは辺見庸の腑抜けた言葉と真逆の立ち位置を敢行した。すごかったぞ。わたしが文化的言説と文化人を嫌悪するすべてがここにある。

この本が良書か悪書かわからぬが、善良な読者にたいする倫理的脅迫の書であることは明らかだと思う。辺見庸がなした悪や蛮行や愚劣を、つまりこの本の主題である「殺・掠・姦」をあなたが為したとして、そのことを地軸が傾くほどに責問したものであるなら、まだしも読み甲斐がある。あとがきであなたは書いている。「ときどき吐いた。すこし泣いた。絶句し、また吐いた」と。この本を記したあなたはいったい何者だ。あなたはあなたの身に起こったことをなにかひとつでも書いたか。「おい、おまえ、じぶんならばぜったいにやらなかったと言いきれるか」という問いの切っ先をじぶんに向けることのなまぬるさを自覚したことがあるか。この問いにたいしておまえは恥を感じたか。わたしの言うことが辺見庸、おまえにわかるか。いつまで吠え面をかいているのか。

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辺見庸がじぶんにたいして責問するのはわかる。わかるというのはかれはこういう問いをくり返すことしかできないということだ。身につく我がことがないのに世界の絶望をいつも語る。パンクな言説家気取りだ。そのくり返し。暗い情念や救いのなさをサディスティックに偏愛する辺見庸がいる。なぜいつもこのように半端なのか。かんたんなことだと思う。ほんとうにどん詰まったことも追い詰められたこともないからだ。世界を否定性のうちに描くということはそういうことだ。否定性というのは余裕なんだよ。観察する理性はそこに棲まうことが好きだし、なによりそこは居心地がいいものだ。能書きを垂れるだけでいいのだから。世界を唾棄すれば済むのだ。おおなんという余裕。苦界の衆生も世界の地獄絵図もいつもかれらの言説という権力のツマにされる。人倫が空虚で世界が滅びるのであればもったいぶらずに断筆すればいい。なにごとにつけ生煮えなのである。パウル・ツェランは言う。「もろもろの喪失のただなかで、ただ『言葉』だけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました。それ、言葉だけが、失われていないものとして残りました。そうです。しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来、しかも、起こったことに対しては一言も発することができませんでした―しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けていったのです。抜けて行き、ふたたび、明るいところに出ることができました―すべての出来事に『ゆたかにされて』(ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶)
これぐらいのことを言って欲しい。そこで浄土はかならず歩く。もともとひとはそういうふうにできているのだ。

地獄をわが住処と思いなした親鸞は苦界の衆生に「我らなり」と呼びかけた。地獄はそのまま浄土であると。この含みが辺見庸にはわからない。物書き文化人の悲しい性のようなものを感じる。苦界の出来事をまえにして変わることなくきりきり舞いをしている。情けない。辺見庸さんよ、あなたのわがことはいったいどこにあるのだ。天に唾してわが身のふがいなさを慨嘆しているだけではないか。ああ情けない。それが『1★9★3★7』だ。

平時の中にも戦時がある。おまえはどうするのかということを若い頃からなにかにつけよく考えてきた。それは生の危急存亡にかかわることで、思弁的なことではない。如何ともしがたい契機があったわけだ。どうするかは面々の計らいであるが、おまえはどうするか。これもまたなにかのきっかけというほかないが、あるとき決断を迫られた。そしてわたしはどうするかと責問し低く腰だめに苛烈を断行した。事態は急迫し辺見庸がじぶんに向ける切っ先が反転した。平時の中に戦時があらわれた。書かぬことも書けぬこともあるからそのことには触れない。苛烈な出来事がながく果てしなくつづいた。辺見庸がじぶんに突きつけた問いについて、体験をとおして言うのだが、かれの責問はなんと余裕のある甘ちゃんの戯言だろうかと思う。
わたしはこの本はふつうに日々を生きている人にたいする倫理的脅迫の書だと思う。辺見庸の身に起こったことでもないのにそのことでじぶんを苛んでどうする。ばっさり言ってしまえば辺見庸の問いをまえにした苦悩は欺瞞である。さすが言論文化人。辺見さん、お気づきですか?  あなたはこの問いを苦界の地獄を観察者としてなしています。わたしの生存感覚からいうならあなたは人ごとしか言っていないのです。笑止千万なことだ。

わたしはあなたが立てた問いのことごとくをど真ん中で全否定をして生きてきた。あなたがじしんを奮い立たせるようにして立てた問いの真反対の立ち位置で、あなたの問いを打ち砕いてきたのです。おわかりにならないでしょうね。あなたはいつも役目人間として世界を眺め下ろしてきたのです。その虚偽と欺瞞について自覚をしていないでしょう。それはもの書き文化人の致命的な欠陥です。なぜこんな虚妄の問いを立てるのか。真摯なふりをした苦悩ごっこをしているだけだ。渾身の力で力こぶを作って立てられた限界の問いでもなんでもない。おそらく辺見庸がこのことに気づくことはない。世界の無言の条理についての記述はあっても、胸の悪くなる出来事をこれでもかこれでもかと書き連ねただけで、人倫の根源を問う姿勢は『1★9★3★7』には皆無である。それは出来事にたいしてつねに辺見庸が傍観者の立場にいるからだ。嘆くことも絶句することもできる。しかしそれはいつも他人事なのだ。わたしはこういう文化的言説を嫌悪し唾棄する。なぜ無言の条理を貫き、この剥きだしの世界をひらこうとしないのか。かれが世界を眺め下ろしているからだ。観察する理性もまた権力であるということになぜ気づかずに済むのか。それはかれにとって苦界の衆生が外在的だからだ。もっと云おうか。知識人―大衆という認識の図式が『1★9★3★7』の無惨を現成させたのだ。わたしの言うことが、辺見さん、おわかりになりますか。

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この本は人倫などというものがたんなる人為にすぎぬことをまざまざと見せつけてくれる。善悪の彼岸が書かれているようにみえる。身が心をかぎる精神の古代形象があらわれている。その時代を統治する支配者の残忍さや共同幻想に憑かれた狂乱が発露されたということでは言い尽くせないおぞましさが描かれている。根源とのつながりを断たれた人の生の無惨と形容したところでなにがすっきりするわけでもない。薄い文化の規範を引き剥がすとたちどころに無道が躍りでる。罪と罰という規範では制御できないものだ。それはわたしたちの日々にも細かく刻み込まれている。平時の戦時にわたしが経験したことだ。そのとき人はそのことを知っていてもそしらぬふりをする。だから皇軍の中国大陸での非道はわたしは事実だと思う。それほどに他者への配慮という友愛は異質なものなのだ。人智の及ばない無道と非道から生を解き放つには空虚な存在の形式である同一性を拡張するほかない。身が心をかぎる自然を生命形態の自然とするかぎり胸の悪くなる『1★9★3★7』の皇軍の蛮行が熄むことはない。そしてそのことはいつもすぐ近くに、すぐ隣りに、辺見庸の責問がまったく無力なものとしてひそんでいる。自己同一性をかたどっているようにみえるあらゆる理念は権力の猛威と暴力をまえにして脆くも崩れ去る。それはわたしの生存感覚を貫いている。

戦前が新戦後に―戦争法の可決によって戦後は終わり、新戦後が始まっているとわたしは認識している―復活することはありえない。天皇制という暴威はすでにグローバリズムによって去勢されているからだ。異論の余地はないと思う。象徴天皇制は民主主義と融合しグローバリズムの同調圧力として作用するに違いない。民主主義が占領軍によって与えられたものであるように、グローバリズムが再編成するあらたな民主主義を共同体の内側から推進する力として機能することになるとわたしは思っている。いつのまにかそうなるというこの国の自然生成の根っこはなにひとつ変わっていない。

わたしが知覚する人間についての根本理念を書く。身が心をかぎるとき、身命を賭すとき、人は善悪の彼岸にあり、そこに人倫はなく、私利という必然があれば、人は易々と天皇制など打ち棄てる。人であるとはそれほど過酷で苛烈であるということだ。わたしたちがつくりえたどんな理念も思想もここではまったく歯が立たない。わたしたちにできるのはその事実を忘却することだけだ。言葉で吐露される絶望などなにほどのことでもない。出来事に言葉を喪うとき、それはけっして内面化も社会化もできないこととしてつねにあらわれる。もしそこを突きぬけようと意欲するならば意識のあたらしいありようを言葉でつくるしかないのだ。わたしは内包論で人という生命形態の自然を拡張することによってここを跨ぎ超そうとしている。『1★9★3★7』の非命に斃れた者たちよ、われらが所業終わるところを汝ら目を見開いてみよ。

『1★9★3★7』は二度と読み返したくないが、辺見庸と認識をおなじくするところもある。そこをあげてみる。

きたるべき戦争のこと。人間社会の内面・外面の両面にわたり、世界規模の、根こそぎのアノミー化がおきていることについて。とうてい肯んじえないもの。底知れないほど低級な、ドブからわいたような、およそ深みなどまったくない力に、げんざいがやすやすと支配されていること。世界はじつのところ、もうタガがはずれ底がぬけてしまっていること。かつては十年単位くらいで変貌していた世界が、いまは数カ月か数週間でせわしなく変容していること。世界内存在が根底からこわれているかもしれないこと。人間が在ることの根拠(または世界の根拠)も失せていると感じられること。おそらく「時間」もこわれてしまっているだろうこと。時間は、ひょっとしたら、未来にではなく、過去にむかって逆むきにうつろっているかもしれないこと。古代へ、原始へ……。もしもまだ世界に「正義」や「悪」があり、「敵」や「味方」、「抑圧者」や「被抑圧者」がいるとしての話だが、「悪」と「敵」と「抑圧者」が、依然としてぬけぬけと勝ちつづけているらしいこと。にもかかわらず、「悪」とはなにか、「善」とはなにか、「正義」とはなにか、「敵」とはだれか、「抑圧者」とはだれか―がよくわからないこと。ひとびとがそれらをかつてよりいっそうかんがえようとしなくなったこと。人間世界のありとある概念を、あまねく骨の髄まで浸潤しっくしているものは、とどのつまり、人間のためのものではなく、にもかかわらず人間たちが死ぬまで憑依しつづける〈資本〉というまざれもない最終勝者であること。あらゆることがふたしかななかで、それだけがたしかであること。この先にはまちがいなくろくでもないことしかまってはいない、とわたしだけではなく、多くのひとびとがかつてのどの時期よりもつよく確信していること。(270~271p)

世界のタガがはずれ底がぬけ、時間も壊れ、精神が古代や原始へ遡り、金が最終勝者であるということ。あらゆることはふたしかだが、それだけがたしかであるということ。おなじことをわたしも感じている。唯、絶望を情念として語り、天に唾する辺見庸はいつも変わらない。なぜだ。なぜたやすい審問に情をまかせる。かれは、それが観察する理性の余裕なのだということに思い至ることはない。世界を見聞するものとしての見識を披瀝しているだけなのだ。辺見庸の言説にはなんの処方箋もないと感じながら読んでいるとき、なんとなく息づかいが浜田知明に似ていると思っていたら、『1★9★3★7』にかれのことがでてきてびっくり。

また、あるエッチングをおもう。画面中央に、地平線。大地。大きく脚をひらいてあおむく女。焼き殺されたのだろう、真っ黒だ。局部にずいぶん長い棒か枝のようなものが一本突き刺されている。画面上の地平線にむかい、小さな点でしかない「皇軍」縦隊が移動してゆく。目の角度は大地すれすれのローアングルである。縦隊はもうアリのように小さい。そのぶんだけ殺された女が巨大になる。炭のように黒い女の脚と股間が、記憶者であるわたしをはさみこんでくる。浜田知明の作品「初年兵哀歌風景」(一九五二年)である。(216p)

証言者たちは証言せずにはすませられなかったひとびとである。浜田知明さんはそのときそこにあったり、そのときそのちかくにあったひとである。画家は描かずにはすませられなかったのだ。(218p)

辺見さん、あなたのこの本にもいくらかの取り柄はある。民主主義をコールする学者・文化人や学生のつるんとしたうその言葉より、ツェランやレーヴィをとりあげる感度はいい。それを言っておかないと不公平だと思う。両親を死の収容所で殺されて「死のフーガ」を書いたツェランは「起こったことに対しては一言も発すること」もできなかったと言い、のちに「私が私であるとき、私は君だ」というところまでは到達した。レーヴィは「ありとあらゆる論理に反して、慈悲と獣性は同じ人間の中で、同時に共存し得る」と言った。ツェランやレーヴィの言葉はわたしに強い印象を残している。そのことに気づく感度が辺見庸にはある。『1★9★3★7』をよみながら、ああ、似ていると思った。
観察者の視線は言説という内面化された権力によって隈取られている。浜田知明は絵描きの業に待避し、出来事を回避する。辺見庸はそれに親近感を感じて取りあげる。どうしたことだ。ここにはなにもない。そういうことをしてはいけないのですという空虚しかない。それが表現か。戦争という狂気が招来したことなのか。違う。それ自体として、同一性の謎として解かれるべきことであるとわたしは思う。
竹田泰淳の作品「審判」と「従軍手帖」を照らし合わせて竹田泰淳の戦争中の民間人殺人について辺見庸が触れていた。狂乱の戦争であってもなんとか辺見庸は個的な内面に引きよせてそこを解こうとしている。しかし内面化はすでに権力であるからこの閉じた円環をほどくことはできない。冷静に言えば真犯人は同一性なのだ。わたしたちがしる人類史はここで閉じている。禁止と侵犯は生の両面である。薄い文化の皮膜と世界の無言の条理は離接するようにみえて互いにびっしりと裏表の関係ではりついている。

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この本でいちばん嫌だと思ったところをとりあげる。

 文学論をやっているわけではないのでそれでいっこうにかまわないのだが、『生きている兵隊』に、文学としてひかれるものはない。半藤一利さんが文庫解説に書いている石川達三の「憂国の至情」「戦争にたいするリアリスティックな認識」にしても、そうかなあと首をかしげてしまう。まして「反軍」「反戦」といった気分などこの作品からは読みとることができない。
しかし、これを日中戦争におけるひとつの〈記憶資料〉のたぐいとしてみるとき、こころにひっかかるものは多々ある。まとわりついてくるたわんだ風景と悲鳴と身うごき、分類のこんなんな肉の音、はらわたの音、骨の音、鉄の音、風の音、土の音。それらがこすれ、砕かれ、ぶつかりあう音。血のにおい。そして耳なれぬことば……。それらによって、「歴史認識」という大ざっぱながいねんの網からポロポロと漏れおち、忘れられている人間の動作―ほんらいなら、どこまでもこだわるべき身ぶり―の仔細を知ることができる。それは古い吐瀉物でもみるようにいやなことだ。だが、現代の歴史の深層には、じつのところ、古い歴史の吐瀉物や年代物の排泄物が沈殿している。〈いま〉を知るうえで、それらをみておくに如くはないのだ。
「勤務のない兵隊たちはにこにことして夜営地から出て来た。勤務で出られない兵がどこへ行くんだと問うと彼等は、野菜の徴発に行ってくるとか生肉の徴発だとか答えた」「やがて徴発は彼等の外出の口実になった。その次には陰語のようにも用いられた。殊に生肉の徴発という言葉は姑娘(辺見注=原文には「クーニヤ」という誤ったルビがふられている。若い未婚女性の意味で、発音は正しくは「クーニヤンguniang」)を探しに行くという意味に用いられた。
彼等は若い女を見つけたかった」。なんのためか。「顔を見るだけでもいい、後姿でもいい」などと書いてあるが、強姦するために、である。「三人四人ずつ小さな群になった戦友たちは咥え煙草で姑娘をさがしに出かけて行った(……)焼けただれた街々はそういう兵たちのぶらぶら歩きで一ぱいであった」。この「生肉の徴発」ということばは、石川の言う「自由な創作」の産物ではあるまい。石川が取材した部隊ではじっさい 「にこにことして」そうかたられていたのだろう。徴発にくりだすのは兵隊らにとってどうやら楽しいことだったらしい。とくに「生肉の徴発」は、この小説によれば、ほとんど習慣化されたお楽しみであったようだ。「北支では戦後の宣撫工作のためにどんな小さな徴発でも一々金を払うことになっていたが、南方の戦線では自由な徴発によるより他に仕方がなかった」。そう石川は書いており、ここは伏字にもなっていない。「自由な徴発」なるものを、「皇軍」将兵も従軍作家も編集者も、やりなれ、みなれ、聞きなれ、感覚が麻痺していたふしがある。「自由な徴発」のいっしゅである 「生肉の徴発」は、さしずめどうにも手のつけられない盗賊か変質的犯罪者らが、下卑た笑いをうかべて口にするような最悪のジャーゴンである。
 であれば、「生肉の徴発」をじっこうし、にこにこ笑ってこのことばを用いていた将兵らへの軽蔑、失望、生理的嫌悪が、いくらかくそうとしても、文中か行間のどこかににじんでしまうのが自然ではなかろうか。醜悪な実態を、主観をまじえずリアルにありのままに淡々と書こうとしても、書き手のおののきやとまどいというのは、どこかしら露出するものである。『生きている兵隊』には、それがあまり感じられない。この小説によると、「生肉の徴発」にくりだした兵士たちは、「街の中で目的を達し得ないときは遠く城外の民家までも出かけて行った。(……)そうして、兵は左の小指に銀の指環をはめて帰って来るのであった。/「どこから貰って来たんだい?」と戦友に訊ねられると、彼等は笑って答えるのであった。/「死んだ女房の形見だよ」。少なからぬ兵士が、きまって左手の小指に銀の指環をはめていたという。あるとき「どこから持って来た」のかと少尉が銀の指環をはめていた伍長に問うた。すると、伍長は 「これは少尉殿、姑娘(ママ)が呉れたんですわ!」と答え、まわりの兵士たちはがやがやと笑い、「拳銃の弾丸と交換にくれたんだろう」とまぜっかえす。「そうだよ!(……)僕は要らんちゅうてことわったんですがなあ」と伍長が応じる。作家はここで、指環にかんする説明を少しく挟む。「支那の女たちは結婚指環に銀をつかうらしく、どの女も銀指環をはめていた。あるものは細かい彫りがあり、また名を刻んだものもあった」。伍長らの話を聞き、少尉が、とがめるのかとおもったら、そうではなく、笑って言う。「俺もひとつ記念にほしいなあ」。それにたいし、伍長がおどけて語る。「そりゃあ小隊長殿御自分で貰って来んとあかんです。(……)あはははは」……。(『1★9★3★7』122~125p)

そのときは一九四二年冬。そこは中国山東半島だった。そのときそこにいた証言者がかたる。「強姦好きの日本兵も、絶えず前進行軍をしなければなりませんから、隊列をくずすような強姦はあまりできないんです。そのかわり私たちの部隊のやり方は、女の下腹部だけ裸にして、そこにニンジンやイモやコウリャンがらを突っこんだりして遊んでいました。ニンジン・サツマイモといっても、それは近くの畑にころがっている泥土のついたままのもんです。こんな具合にすると、本当に苦しがってもだえ死ぬ女性がどんどん出ました。……実はそれに、私も少しの良心の珂責もなく加わっておもしろがっていたんですが……」。証言がつづく。「三年前から北支できたえていた三二師団から転属してきた古参兵はすごかったね。たとえば東京・府中出身のUたちは毎日そんなことを繰り返していました。もう国には女房も子供もある男でしたが、私たち新兵とちがって、女と見ればカエルを見たヘビというのでしょうか、決して逃さないくらいでした。飛びつくと一瞬のうちに中国女性のワタ入れズボンをスルリと脱がしてしまうコツを知っているんです。私たちの周りではしょっちゅう『アイヨー』という悲鳴が聞えていました。私たちが振り向くと、下半身衣服を引っぱがされた中国女性の上にズボンをつけたまま馬乗りになった姿で、∪たちはこっちに手を振ってみせるのです」。(『1★9★3★7』214~215p)

おそらく広範にこういうことがあったのは事実だと思う。生きて復員すればよき父であり、よき旦那として、近隣では温厚な人徳のある人としてふるまうことができる。
アーレントの悪の凡庸さとはちょっとなにかが違う。いつの時代もどの国であろうとあったことだと云える。しかし精神の古代形象としてはもっとふるいものがここにあらわれているのではないか。生を虫木草魚として生きたアジア的専制の影が濃厚にある。アイヒマンのなしたことをアーレントが凡庸な悪と形容したこととはなにか違う。
規範が外れたとき、規範が真空のとき、おぞましさが躍りでる。ここに、人間が自然から分別して観念を疎外したときの、身が心をかぎる自然のありかたの原型があると思う。人倫はなく、善悪の彼岸として。どんな倫理的言説も無効である。それはすぎたことではなくいつもわたしたちの傍らにある。そこは『1★9★3★7』(征く皆)で立てた辺見庸の責問のしかたがまったく無効である場所だ。わたしたちのしる理念でここをほどくことはできない。禁止と侵犯に閉じた生の円環をひらくには人類史のぜんたいをモダンとみなすほかないとわたしは思う。いまわたしたちは未知の歴史のクライシスに直面している。凶悪な事態の到来をわたしは内包で迎え撃つ。喩としての内包的な親族と内包的な贈与の概念をつくること。そこに内包浄土がある。なにがあろうとどうなろうと浄土は歩く。わたしは言葉でそれをつくる。そこに人倫と同一性によらぬ善悪の彼岸が、圧倒的な善が、存在しないことの不可能性としてたしかに存在する。

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