日々愚案

歩く浄土56:情況論6-存在しないことの不可能性について

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2015年8月30日、安保法案に反対する集会が全国各地であり、国会周辺では1960年の安保闘争以来最大の盛りあがりがあったとネットの記事にあった。安倍晋三の対米従属施策に反対するのは当然であり共感する。しかし安倍は悪であり、法案に反対する自分たちは善であるという単純な二分法にはおおきな違和感がある。わたしたちの日々は凡庸な悪にまみれている。戦争法案を廃案に持ち込むという一点において成立している共闘は危うい。どういう世界を構想しうるのか。それこそが根柢的に問われるべきだと思う。

かりに戦争法案を廃案に持ち込み安倍政権の打倒を自力作善による大儀だとしてみる。大義(目的)は手段を正当化しうるか。学者の会の欺瞞とそれを受けいれ互いに仲良しごっこをしている反政府運動のありかたは思想的な退行なのだ。この退行のありようは安倍の理念なき米国追従と対をなしている。もちろん安倍の欺瞞に業を煮やした若者の抗議の運動は正当であり、政府の施策に異議申し立てをやるのは健全だと思う。どんどんやれ、存分にやれと思っている。ここで問題としたいのはそういうことではない。時代の感度を取りだしたいのだ。
たとえば、戦争法案反対というコールを、がんの早期発見・早期治療、地域によるがん治療格差を是正せよ、国はその施策をせよ、わたしたちは自由と民主主義の名においてそのことを要求する、と入れ替えてみる。共闘は一気に瓦解すると思う。ほんとうに戦後民主主義は民主主義という身体を手にしたのだろうか。わたしはすでになし崩しに壊れてしまったと思っている。善と悪という倫理ではなく凡庸な悪をひらくことなくこの世のしくみが変わることもないしまた変えることもできない。民主主義を生の規範にしてもわたしたちの日々が豊穣なものになることはないとこれからも内包論で主張していく。

目についたいくつかのツイートを引いてみる。

①それは言い換えると、戦後70年かけて日本人の中に平和主義と立憲デモクラシーの理念は根づき、それを支える「身体」を獲得したということです。日本国憲法は外来のものでしたが、それは日本の土壌に着床して、オリジナルなものを生み出した。まさに日本的ソリューションというほかありません。(内田樹のツイート 8月23日)

②ひとつは既成の「政治的語彙・政治的クリシェ」をまったく用いないことです。日常の言葉、ふつうに家族や友人たちと取り交わすような生活実感・身体実感の裏づけのある言葉で平和主義と立憲デモクラシーの価値と意味が語られていること。(内田樹のツイート 8月23日)

③政治学者白井聡先生です。「この国には二つの法体系がある。ひとつは、日本国憲法、もう一つはアメリカとの約束だ。どちらが大切なのか、この国の政府が選択しているのはアメリカとの約束だ。問題は安倍政権を打倒したあと、どんな社会を作っていくのかだ。それを皆さんと考えていきたい。」(SEALDs KANSAInによる紹介 8月21日)

④飛び入り!内田樹先生です!「我々は安倍政権によって民主主義から独裁が生まれると学んだ。しかし、この法案を廃案にすることが出来るなら、それは民主主義と立憲主義の勝利です。我々は民主主義の敗北と勝利を両方経験するのです。歴史に残る転換点にしましょう。」(SEALDs KANSAInによる紹介 8月21日)

読むに耐えない、醜悪な、よいしょゴッコを見せつけられ気分が悪くなる。美辞麗句で塗り固められた虚偽である。わたしはこの意見に与しない。
白井聡が言う。「問題は安倍政権を打倒したあと、どんな社会を作っていくのかだ」。どんな構想がおまえにあるというのか。安倍を激しく批判すればするほど自説の正しさが担保されるという典型的自力作善の鈍感者。たちどろにこういう者らがオカルト安倍の同族であることが見て取れる。主張する世界の平板さ。自力作善の醜悪さがここにある。学者の会の面妖さ。外部に敵(この場合は稀代のアホ安倍晋三)を想定し面罵することで自己の「学」(商売)を棚上げする。安倍とともに歴史が半世紀退行する。ほとんど信じられない奇妙な光景だ。
まだまだある。SEALDsの学生の政治的言語について内田樹は絶賛する。「日常の言葉、ふつうに家族や友人たちと取り交わすような生活実感・身体実感の裏づけのある言葉で平和主義と立憲デモクラシーの価値と意味が語られ」ていると。それは内田樹によれば「戦後70年かけて日本人の中に平和主義と立憲デモクラシーの理念は根づき、それを支える『身体』を獲得したということ」になるらしい。
わたしは違うと思う。じぶんが若者だった頃を思いだしてもそうだが、行動者として言葉を発することと、表出の意識にはおおきな隔たりがあって、しっくりこなかった。自由と民主主義と立憲主義の精神という言葉をSEALDsの若者が標語として発することと、かれら若者の表出の意識にはおおきな乖離があるはずなのだ。まだSEALDsの若者はみずからの言葉をつくりえていないとわたしは理解している。
内田樹とわたしのあいだには言葉をつくることについての立ち位置の違いがある。かれは自身の極左体験からの撤退を語る。すべて共感するが言葉の立ちあげ方がわたしとは違う。

①「私」は無垢であり、邪悪で強力なものが「外部」にあって、「私」の自己実現や自己認識を妨害している。そういう話型で「自分についての物語」を編み上げようとする人間は、老若男女を問わず、みんな「子ども」だ。
 こういう精神のあり方が社会秩序にとって、潜在的にどれほど危険なものかはヒトラー・ユーゲントや紅衛兵や全共闘の事例からも知れるだろう。(『期間限定の思想』)

②民主主義はよいものだ。絶対的な正義を一義的に決定することは不可能だが、相対的な正義と「よりましな社会」の実現をめざして、話し合うことはできる。そして、「今よりましな」状態めざして、コミュニケーションの回路を立ち上げるのは「よいこと」だ。
私がこの本で述べているのは、そのような「二昔ほど前の常識」に過ぎない。
こつこつ働き、家庭を大事にし、正義を信じ、民主主義を守りましよう。(『「おじさん」的思考』)

内田樹は極左体験からの転向を民主主義の理念を担ぐことでしのいでいる。わたしの理解では引用の①と②はつながらない。ほんとうはなぜ政治的言語にかぶれたのかということを問うべきだった。内田樹にはそれがすっぽり抜けている。平川克美との往復書簡本で、「ま、やめましょう。暗い話は」と書いていた。ここだ。かれは政治という邪悪な世界から撤収した。いずれにしても政治が信の共同性からまぬがれることはないとかれは考えた。それが民主主義への転向であろうとそれは面々の計らいではある。ともかくかれはそう考えることで生きることができたのだ。だからシールズの自然発生的なうねりを戦後民主主義の果実であると、自己の思想的後退に重ねたいのだと思う。内田樹は自己の生の軌跡をSEALDsの若者にかぶせ、SEALDsの若者を賞賛しながら自己を称揚しているだけなのだ。わたしは巧妙な詐術だと思っている。
じぶんの若い頃をふり返って、わたしはいちども政治的言語にかぶれたことがなかった。マルクス主義にのぼせた体験はない。身の丈に合った、じぶんに根づく言葉で考え、行動した。素朴で過激な行動者だった。そういう意味ではシールズの学生とじぶんが重なる。内田樹は根が政治的な人なのではないか。

ここはつい噴き出してしまいました。ほんとにそうだよなと思います。僕はかつて法学部出て検察官か警察官になることを考えていましたが、ほんとうに向いているんですよね、そういう仕事が。反政府的な人間を説得してころんと転向させる方法なんか無数に思いつきますから。(内田樹6月13日のツイート)

今の政府を見ていてげんなりするのは、そういうセンスも才能もない連中がトップにいることです。僕を秘密警察のトップにリクルートしれくれたら(子どもを洗脳する教育機関のトップでも可)あっと驚くほど効率的な組織にしてみせるんだけどなあ。(同前)

このツイートはよくない。怖いなと思った。どちらの側に立ってもおれは有能なんだと言っている。だからどんな社会でも社会矛盾はなくならないし、対立は続くから、折り合わない多様性のなかから引き出しうる最適性と利益の最大値をめざすべきだとなる。これは治者の視線そのものではないか。こう指摘したとして、それがどうかしましたか、と内田樹は言うだろう。内田樹のプラグマティックな考えは見通しがいい分奥ゆきがなくてつるんとしている。レヴィナスの思想の核心がスルーされているという気がしてならない。市民主義的な合理の精神とレヴィナスの存在の彼方は概念としては絶対の矛盾としてあるはずなのだ。内田樹はレヴィナスの存在の彼方の間違った一般化をしていると思う。わかったうえでやっているのか、ほんとうにわかっていないのか、それはわからないが、内田樹がレヴィナスの思想に信をおいていることは信じられる。華やかなサルトルらの文化言説の影に隠れてこの国からは見えにくい思索家だったレヴィナス。フーコーが58歳で没したときこれからはレヴィナスの時代だと思った。そのレヴィナスを生涯の思想上の師であると言明する。どういう発言をしようとその信から内田樹が発言していることは信じてよい。
もともとレヴィナスの存在の彼方は意識の外延性としていうことはできない。レヴィナスも苦悶しうまく言いえていない。まして民主主義の合理精神で言えるはずがないのだ。
わたしは存在の彼方を内包自然といえばいいと言うことに気づいた。内包自然を可能とする根源の性と、根源の性のいちばん奥まったところにある還相の性。もちろん外延論でここをつかみだすことはできない。この根源の性という領域で人と人はすでにつながっている。民主主義という外延論の共同幻想でのつながり方と違う。この世でのつながり方をけっして否定するものではなく拡張することで、べつのつながり方ができるということだ。ひとは根源において〔性〕なのだ。事後的に身をすぼめるようにして自己同一性が派生しそこに自己が現象した。
民主主義の理念は西欧近代に発祥した期間限定の思想であると考えてよい。いずれにしてもこの理念は過ぎ越すことができる。わたしは存在しないことの不可能性として内包論を語ってきた。

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存在しないことの不可能性について少し。外延的な生存を実有の根拠とすれば民主主義は完備した体系である。しかし内包存在という概念を構想すると民主主義という共同幻想は過渡的な期間限定の思想すぎないことになる。心情としてはわたしも反安倍であるが、わたしは思想のこの立ち位置から安倍晋三の政治と反安倍のうねりをともに批判している。安倍晋三の悪政をどれだけ批判しても批判を可能とする政治がなくなることはない。同一性の理念でここを超えることはできないからだ。
デデキントいう数学者がいて、並み居る数学者がなかなか無理数を定義できないとき、かれは有理数を切断するものを無理数と定義した。おおすっきり。鮮やかだった。数学は概念が窮屈になると概念を拡張して対象世界を拡げていく。自然数から整数、整数から分数、分数から無理数、そして実数へ。わたしの内包という概念もおなじようなものとしてある。神や仏を五感の知覚で定義することはできない。好きという感情も知覚の対象ではないが存在する。同一性を切断する(拡張する)ものとして内包存在はあるのだ。内包存在は見えないが存在する。無理数が数直線上で明示できなくても存在するように。それは存在しないことが不可能なのだ。同一性によって明示できないからこそ、存在しないことの不可能性として存在する。自己に先立つ超越が存在するということはそういうことだ。この機微をレヴィナスはすっきりとうまくは言えなかったように思う。
『存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ』の頁をめくると献辞がある。そこに書いてあること。

国家社会主義によって虐殺された六百万人の者たち
そればかりか、信仰や国籍の如何に関わらず、
他人に対する同じ憎悪、同じ反ユダヤ主義の犠牲になった数限りない人々
これらの犠牲者のうちでも、もっとも近しい者たちの思い出に

レヴィナスにとってハイデガーの哲学を批判することはなまなましいことだった。言葉を弄び戯れることではなかった。「存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ」ということを同一性の概念で措定することはできない。そしてレヴィナスでさえすっきりは言えなかった。わたしはレヴィナスが、存在の彼方を内包自然と言い、起源に先立って他者と結びついている自我を、自我ではなく領域としての自己と呼べばよかったと思う。そして外延論理と内包論理を往還する語り口をつくることができたらたちどころに同一性ではない存在の彼方が現前することになったと思う。

世界の無言の条理に民主主義の理念が触れることはできないし、無言の条理を退散させることもできない。言い換えると、なぜ人は平等で自由であるかを人権の理念が定義することはできない。
たまたまネットで目にした記事を紹介する。
アウシュヴィッツ強制収容所に移送されてきたユダヤ人の虐殺を指揮した父「ルドルフ・へス」の娘、米国在住のインゲブリギット・へス(81歳)がインタビューに答える。

父は家では物静かな優しい人でした。子ども達をこよなく愛し、よくソファに一緒にすわり、父子としての時間を満喫しました。子ども達を抱き上げ、キスをしたりと、父は家族をとても大切にした人でした。

ルドルフ・へスは回想する。

この命令には、何か異常で途方もない物があった。しかし私は命令を受けた。そして実行しなければならなかった。ユダヤ人を抹殺する必要があったのかどうかなど、自分の考えを発言することは許されなかった。
出典:(2)Kommandant in Auschwitz von Rudolf Hoess 186ページより

ニュルンベルク裁判では、ユダヤ人抹殺を指令したヒムラーの命令を拒否することができたはずだと問われた。また、ユダヤ人抹殺を拒否したければ、ヒムラーに銃を向けることもできたはずだとも。だが、そんな考えは及ばなかった。SS親衛隊に囲まれてヒムラーに面会した。そんな場所でそんな行動はできるはずもなかった。上官の命令=ヒトラーの命令は神聖なるものだったから。
出典:(2)Kommandant in Auschwitz von Rudolf Hoess 186~187ページより

「ユダヤ人を殺害することは間違いだった。大きな間違いだった。大量虐殺でドイツは世界中から嫌われてしまった」と、父ルドルフは語っている。そして、私はごく普通の人間。愛する妻も、子ども達もいる。普通の人間のように感情もあると。
また、「自分の手でユダヤ人を虐待したこともなければ、殺害もしていない」と明かしている。 「アウシュヴィッツや他の強制収容所での凄まじい行為は正気の沙汰ではなかった」
出典:Kommanndant in Auschwitz 231ページより
(「父はアウシュヴィッツ強制収容所の所長でした それでも父を愛している!独女性衝撃の告白」インタビュアーシュピッツナーゲル典子 YAHOO!ニュース 2015年8月20日)

「ま、やめましょう。暗い話は」と内田樹が言いそう。神戸の元少年が匿名で出した『絶歌』の取材を邪悪なものには近づきたくないと言ってスルーしてた。
昔NHKで「映像の世紀」をみた。絶滅収容所の映像に言葉にならぬ暗い衝撃があった。世界の無言の条理の現前だった。アーレントの言う凡庸な悪があんぐりと口を開いている。フロイトのエスのように。そう感じた。
わたしは内田樹の民主主義の効用をたしかめたくてルドルフ・ヘスの事例を取りあげた。民主主義は身が心を激しくかぎるとき例外状態の世界へと収斂する。身と心を引き裂く力を上から下への禁止・抑圧・排除という権力の行使といってもよい。かんたんに国家権力の行使といえばわかりやすい。フーコーは身体を貫く権力という新しい権力の概念をつくり権力の概念を更新した。いずれにしても権力の謎は解けていない。集団と個が熾烈に争うときは謎ではなく現実のものとなる。わたしは退かなかった。そこに何が出現したのかは書かない。民主主義の理念はうすい皮膜のようなものでじつに脆いのだ。わたしの体験に即していうならば、同一性的な生存にとって、身が心をかぎるのは自然であるから、アーレントの凡庸な悪をヘスが弁明するのは不可避であるし、絶滅収容所は独裁による例外状態と遺棄されるほかない。ナチの独裁は民主主義の延長して実現されている。

民主主義を民主主義的な理念によって定義することはできない。言い方を換えれば、なぜ人が自由で平等であるかを民主主義で定義することはできない。人びとの生存の多様性のなかから個人にとっての最適性と利益の最大値が観察する理性によって規定される。ひとびとの生は民主主義の臣民としての意味しか持ちえない。人が平等で自由であるということが一人ひとりに内属する内部知覚ではないからだ。外界を皮膚によって隔てられ、口腔と腸管によってわずかに外界に通じるわたしたちに身体に言分けされた心が棲まっている。どれだけ探してもこのなかに平等と自由の根拠はない。
なんども問う。なぜ平等で自由か。ヒューマニズムという空疎な観察する理性は答えるしくみをもっていない。レヴィ=ストロースが警鐘を発したのはその場所だ。近代由来のどんな思想も理念も答えることができない。主観的な意識の襞のうちの決意は引き裂く力が加わると脆くも崩れるものだ。モナドとしての生に、自己に、主観に、それ自体として善きものはなにもない。まして友愛などどこにも存立する余地がない。それがあられもない世界の条理だ。

アマルティア・センは『不平等の再検討』で、何についての平等か、何についての自由か、と問う。つまり、生存は機能的に選択的に分別されるわけだ。内田樹の民主主義論も人は平等ではないし自由でもないということが前提とされている。
ここで奇妙なことが起こる。佐々木俊尚は『21世紀の自由論』のなかで、あなたは、「生存は保証されていないが、自由」であることと、「自由ではないが、生存は保証されている」ことのどちらを選択するのですか、と問いを立てる。ここに21世紀の自由論があるのですと。さあどちらか選んで下さい。そんなこと言われてもとなあ思う。自由も生存もどんどんすぼまっているというのが日々の実感ではないか。なにか問うこと自体が空しい。

内田樹の民主主義論も、リベラリズムを架空の立ち位置を激しく批判する佐々木俊尚の優しいリアリズムも、理念の基盤はおなじだ。理想を唱えるのではなく、この現実から出発しよう。強者と弱者も、優者と劣者もそれぞれで、善悪の共犯者として人間の現実があるのだから、その多様性のなかから引き出しうる最適性と利益の最大値をもとめるのが自然でしょうとなる。内田樹みたいに民主主義の伝道者としてリベラルなことを建前としていうか、佐々木俊尚みたいにITの伝道者として優しいリアリズムを説くか、なんのことはない、おなじことをべつの言い方で言っているにすぎないのだ。理念的にはまったく同型である。
わたしは同一性から派生した理念は、対立するように見えて、だれがやろうとべつの語り口をすることにしかならないと思う。そのとき絶滅収容所は独裁による例外状態という場所へ遺棄され凡庸な悪はわたしたちの日々をいつまでも生き延びる。そして弁明する。仕方がなかったんです、と。そうやって民主主義は世界の無言の条理に末端をひらくことになる。主観的な意識の襞をつくる自己意識の外延表現がここをまぬがれることはない。

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8月26日に佐々木俊尚は発言している。

ふわっとしたエモーショナルな反戦ではなく、なぜ戦争が引き起こされたのかをロジカルに学ぶことが今こそ大切だと思います。記事に同意。/「戦争体験を聞く」という宿題を出しても戦争はなくならない http://bit.ly/1hdGPzi

そして翌日つぎのようにツイートする。

「産経の記事ですが、同意。「史上最悪の独裁者である」「安倍のせいで日本は破滅する」。私たちの目標は誰かへの非難ではなく、日本人が無事生き延びられることだと思うのですが。/もはや健全な批判というより憎悪や悪意に…「安倍嫌い」の感情論と焦燥

『21世紀の自由論』で優しいリアリズムを説く佐々木俊尚がSEALDsらの自然発生的な反安倍―反戦争法案のムーブメントを揶揄している。だからといってリベラリズムを唾棄する産経に同意することはなかろうが、ということはどうでもいいことで。
わたしは戦争法案に反対する学者の会やSEALDsと、この動きを苦々しく思い批判する佐々木俊尚も状況にたいしては、ともに思想的な退行を起こしていると判断している。高橋源一郎や内田樹、坂本龍一という正しき啓蒙人の考えによって切迫するこの国の事態が打開できるとは思わない。リベラルな立ち位置を批判する佐々木俊尚の「生存は保証されていないが、自由と」「自由ではないが、生存は保証されている」のどちらを選択するか、という詭弁も、内田樹の「社会矛盾というのは絶対になくならない。対立も続く。絶対に折り合わない多様性というものもある。それ をなくそうとしても無理なんです。だから、それはそのままにしておいて、多様性のなかから引き出しうる最適性、利益の最大値を取り出すにはどうすればいいかということを考えることが、社会理論としてはいちばんたいせつな仕事だと思うんです」(『期間限定の思想』巻末ロングインタビュー)も、思想的にはまったく同型だとわたしは考えている。状況との絡みでみるとあきらかに現実に押しまくられ思想としては退行現象を起こしている。ITが生に恩恵をもたらし豊かにするというITの伝道師は現実をプラグマティックに考え、民主主義の伝道師内田樹は現実の最適性と利益の最大値を唱える。ともに治者の視線であり現実を睥睨する者らである。わたしたちの日々はそこにはない。
グローバリズムと民主主義は利益の最適値をめざすという意味で双生児であり相性が極めていいのだ。わたしは佐々木俊尚も内田樹もおなじことを言っているようにしか見えない。

この両者の思想の退行をかんたんにいうことができる。自由や平等は民主主義では定義不能だということだ。デモクラシーとはべつの形態を模索し渇望したヴェイユがかすかに気づいていたと思う。ヴェイユは人は間違った一般化をするもので、人格は聖なるものではないとはっきり言い切った。だれのなかにもある無限小の聖なるものは匿名の領域にひらかれていると。すごいことを言っている。わたしの理解では宮沢賢治もおなじことに気づいた。とここまで書いて佐々木俊尚の新しいツイートを目にした。坂本龍一の発言の批判。なるほど。坂本龍一はつぎのように発言した。

「初対面ですよね(と隣の奥田氏と握手)。今回の安保法案のことが盛り上がってくる前は、かなり現状に対して絶望していたが、若者たち、女性たちが発言してくれているのを見て、日本にもまだ希望があるんだと思っている。本当に良かった。ここまで崖っぷちになって初めて、私たち日本人の中に、憲法の精神、9条の精神がここまで根付いていることをはっきり皆さんが示してくれた。とても勇気づけられている。ありがとうございます。
 今の日本国憲法は、確かに米国が働いたという声があるが、今、この状況で民主主義が壊されようとしている。憲法が壊されようとしている。ここに来て、民主主義を取り戻す、憲法の精神を取り戻すことは、まさに憲法を自分たちの血肉化することだと思う。とても大事な時期だ。憲法は世界の歴史を見ると、何世紀も前から自分たちの命をかけて戦い取ってきたものだ。もしかしたら、日本の歴史の中では明治憲法しかり、日本国憲法しかり、自分たちが命をかけて日本人が戦い取ってきたものではなかったかもしれないけれど、今、まさにそれをやろうとしている。
 僕たちにとっては、イギリス人にとっての『マグナ・カルタ』であり、フランス人にとっての『フランス革命』に近いものが、今ここで起こっているのではないかと思っている。ぜひ一過性のものにしないで、仮に安保法案が通っても、そこで終わりにしないで、ぜひ守り通して、行動を続けていってほしいと思う。僕も皆さんと一緒に行動していく。
http://www.sankei.com/politics/news/150831/plt1508310042-n2.html

たぶん佐々木俊尚はこれを読んだのだと思う。佐々木俊尚の批判を貼りつける。2015年8月31日のツイート。

デモという行為は素晴らしいと思うけど、しかしこの発言だけは…フランス革命がどういう背景で生まれたか知ってるんだろうか? 歴史観が皆無。「フランス革命が起こっているんじゃないかと僕は強く思っています」(坂本龍一さん、国会前の大群衆に演説 )

弱者に寄り添うのが好きな坂本龍一に歴史観がないのはその通りだがここには歴史観をめぐる深刻な対立が未解決なものとしてある。人間の意志を歴史に関与させることはできるのか。はたして歴史というものは存在するのか。人間は事物の秩序とどこか違うのか。坂本龍一と佐々木俊尚の思惑を超えて解決を迫られるきわめて状況的な課題が不毛なつばぜり合いをしているようにみえる。

レヴィ=ストロースは『遠近の回廊』のなかでサルトルを批判してつぎのように言う。

 L=S 彼の思想はその時代のイデオロギー、彼の生きた時代の知的環境のイデオロギーに根を張っているのです。彼の思想を神話的文脈―今の場合はフランス革命の神話なのですが(と言うのも、我々の社会では一七八九年の革命は本当に創世神話の役割を果しているのですよ)―のなかに位置づけてみるということは、彼の思想を普遍化する代わりに相対化するということになるでしょう。

 L=S 認めるどころではありません。フランス革命はいくつかの理念と価値を流通させ、それらの理念と価値はヨーロッパを、それからさらに世界を魅了したものです。それはフランスに一世紀以上にもわたって特別の権威と栄誉を与えたものでした。しかしながら同時に、西洋を襲った何度かの破局の原因がそこにあったかもしれない、と考えることは許されるでしょう。

 L=S つまり、人々の頭のなかに、社会というのは習慣や習俗でできているものではなくて、抽象的な理念に基づいているのだという考え、また理性の臼で慣習や習俗を挽き潰してしまえば、長い伝統に基づく生活形態を雲散霧消させ、個人を交換可能な無名の原子に変えることができるのだという考えをたたきこんだからです。真実の自由は具体的な内容しか持つことができません。小さな範囲の帰属関係と小さな団結がうまくバランスをとっている、その均衡状態から自由は成り立っているのです。これを、理性的と言われる理論的思考は攻撃するのです。それが目標を達成した暁には、もはや相互破壊しか残っていないのです。その結果を我々は今日見ているわけですよ。(213~214p)

レヴィ=ストロースによって西欧近代の偉大と錯誤が的確に抽出されている。レヴィ=ストロースはナチによる虐殺はフランス革命の理念に起因するとはっきり主張しているのだ。この発言にフランス市民革命への警鐘と二度の大戦とナチへの批判が込められている。そしてレヴィ=ストロースのこの発言は移民社会の矛盾と中東の混乱と殺戮も射程に入っている。おそらくレヴィ=ストロースは個人的な体験と歴史の事象をどこかであいまいにつなげているのではないか。かれの言説がどこか機能主義的に感じられるのは、かれが、かれの生のなかに固有の時間をつくることができなかったからだ。レヴィ=ストロースの理念は空間的なのだ。ここはとても肝心なところだと思う。

「理性の臼で慣習や習俗を挽き潰してしまえば、長い伝統に基づく生活形態を雲散霧消させ、個人を交換可能な無名の原子に変えることができるのだという考えをたたきこんだ」、その理念がその危うさをもつということを認めても、レヴィ=ストロースの考えでは賤視観念の由来は解けない。賤視観念でさえ生活の知恵になる。レヴィ=ストロースの考えでは冷たい社会は停滞したままになる。人間の意志をどう理解するか。わたしとレヴィ=ストロースには人間の意志というものについての理解に根本的な違いがある。明晰は迷妄から人の生を救いはするが、生を熱くすることはない。この問いにだれも答えきっていないのだ。

たしかにレヴィ=ストロースには「私の生涯を根底から変えた」厄災の体験がある。かれはまぎれもなく出来事の該当者だ。しかし該当者であることと当事者であることのあいだには千里の径庭があることを骨の髄までかれがしることはなかった。サルトルの軽さをあげつらってすむ話ではないのだ。該当者と当事者は深淵によって隔てられている。そのことがレヴィ=ストロースにはわからなかった。当事者として世界に関与することをわたしは〈意志〉と名づけている。この〈意志〉を括弧に入れることで構造主義という理念は成り立っている。人間の終焉を宣言したフーコーにおいてもそうであるように。

レヴィ=ストロースを襲った厄災がかれの生涯を根底から変えたというとき、レヴィ=ストロースはなにかを断念し封印した。そしてそこを本格的にひらくきっかけがかれを訪れることはなかった。本質を問うことはせずに、関係の型だけを抽出するという思想をかれは選んだ。生きることがいくつもの偶然にあざなわれているとしても、しかしかれがそのなかに必然を洞察することはなかった。そう意味ではかれも理性の学究だった。もちろん必然は自己同一性を意味する。同一性が思考の限界ではない。この先に、はるかにおおきなひろがりと深さをもつ世界がある。本質を問うほどに人間は善きものではないという諦念がレヴィ=ストロースにあったのかもしれない。ハイデガーの「地球の表面に貼りついているあの一群の愚鈍な生きもの」という言葉を思いだす。レヴィ=ストロースは思想家というより芸術家であるようにわたしには見える。おなじ時代を生きたヴェイユとはなにかが決定的に違うとわたしは思う。

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ヴェイユは夭折したのでその思想は未完だが、存在の彼方が存在しないことの不可能性をわたしのしるかぎりもっとも遠くまで生きたように思う。いったい西欧の思想家のだれがヴェイユのようなことを言ったか。若い頃にヴェイユの著作を読み、内包論の続稿を書くなかでまた必要に応じて読み返している。わたしが気づいた、内包が存在しないことの不可能性をヴェイユは不在の神と呼び、デモクラシーとはべつの新しい生の様式をひらこうとした。「けっして共同化できないようなそれ自体、それ以外のものではありえないようなものとして、そのことを名づけること」。ここをヴェイユは言葉でつかもうとした。
ヴェイユは思考の限界に挑んだ。自己に先立つ超越を、人間の奥にある「聖なるもの」や「匿名の領域」として表現した。それはヴェイユの生の知覚で、そのリアルがなければレーニンとならぶロシア革命の立役者であるレオン・トロツキーに相対してロシア革命を罵倒することはできなかったと思う。ヴェイユのつかんだリアルがそのことを言わしめた。ただどこか苦しげだった。自在に観念を舞ったという感触はない。若い頃は気づかなかったが、おそらく思考を限界づける西欧の思考様式の制約があったのだと思うようになった。親鸞の悪人正機という思想は西欧にはなかったのではないか。言語を順接につぐ順接でつなぎ統覚する思考の様式しかヨーロッパはもちえなかった。親鸞の悪人正機という思想はこの難所をやすやすと超えてしまう。もしかすると親鸞の悪人正機を育む精神の風土がわたしたちの国にあったのかもしれない。親鸞は同時代のエックハルトとも異なった相貌をしている。ヴェイユはエックハルトに憧れたが、もし親鸞の言葉を知っていたらどうなっただろうと愉しい空想をする。ヴェイユが親鸞のつよいことばに出会っていればもっと生きられたと思う。ヴェイユにつきまとうある種の痛ましさはもっと音色のいい言葉になったのではないか。あとはわたしが引き継いでいる。

珠玉のようなヴェイユの言葉を引用する。

 人間だれにでも、なんらかの聖なるものがある。しかし、それはその人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである。
 ここに街を歩いているひとりの通行人がいるとする。その人の腕は長く、眼は青く、心にはわたしの関知しない、しかしおそらく平凡な思考が去来している。
 わたしにとって、聖なるものとは、その人の中にある人格でもなければ、人間的固有性でもない。それは、その人である。まったきその人なのである。腕、眼、思考、すべてである。それらを少しでも傷つければ、限りない良心の痛みに見舞われないではいられないであろう。

 人間的固有性にたいする尊敬を定義することは不可能である。それは単に言葉で定義することが不可能だというばかりではない。しようと思えば、多くのすばらしい概念は存在する。しかし、この概念がまた理解されないのである。思考の黙して語らぬ働きによって限界づけられているこの概念は、定義されることができないのである。
 定義することも、理解することも不可能な概念を、公けの道徳の範とすることは、あらゆる種類の暴虐に道を開くことになる。
 一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった。
 人間的固有性の諸権利について語ることによって、二つの不充分な概念を混合させてみても、われわれにとって好都合に事は運ばないであろう。
 もし、わたしにその許可があたえられ、またわたし自身がそれに興味をもつとしても、あの男の眼をくり抜いてはならぬ、とわたしを引き止めるものは、正確にはなにであろうか。
 かりに、かれがわたしにとってまったく聖なるものであるとしても、あらゆる関係のもと、あらゆる点において、かれがわたしにとって聖なるものなのではない。かれの腕は長い、またかれの眼は青い、あるいはまたかれの思考はおそらく平凡なものであろうというかぎりでは、かれはわたしにとって聖なるものではないのである。たとえかれが公爵であろうと、かれが公爵であるというかぎりでは、聖なるものではない。たとえまたかれが屑屋であろうと、屑屋であるというかぎりでは聖なるものではない。わたしの手をひきとめるものは、それらのものでは全然ないのである。

 「どうして人はわたしに害を加えるのか」というキリスト自身ですら押さえ切れなかった子どもらしい嘆きが、人間の心の底にきざす時にはいつでも、たしかにそこには不正が存在するのである。

 政権の獲得やその維持に専心している党派は、この叫び声の中に騒音しか聞きわけることができない。そのような党派は、この騒音が自派の宣伝の音量を妨げるか、あるいは反対にそれを増大せしめるか否かに従って、異った反応を示すだろう。しかし、いかなる場合でも、このような党派は、あの叫び声の意味を識別するために、鋭敏な、未来を予見する注意力をはりめぐらすことはできないのである。
 すぐに党派のやり方を模倣する諸団体についても、つまり、公の生活が党派の活動によって支配されている場合には、例えば労働組合や教会をも含めて、あらゆる団体について、より細部にわたって同様のことが言えるのである。
 もちろん、党派と類似の団体とは、いずれも知性の細心綿密さとは無縁である。
表現の自由が、事実において、この種の団体のための宣伝の自由に帰結する場合には、表現するに値する唯一の人間のたましいの部分は、自らを表現するのに自由ではないのである。言いかえれば、たましいのその部分は、全体主義体制におけるよりかろうじて少し多いくらいの、きわめて僅かな程度において、自由なのである。
 ところで、このことは、党派の活動が権力の配分を支配するようなデモクラシーの中で、つまり、われわれフランス人がこれまでデモクラシーと名づけてきた制度の中で起こりうる場合なのである。われわれがそれをどうしてデモクラシーと呼ぶのかといえば、実は、われわれがその他の形態を知らないからである。だから、別の形態を創造しなければならないのである。

聖なるもの、それは人格であるどころか、人間の中の無人格的なものなのである。
人間の中の無人格的なものはすべて聖なるものであり、しかもそれだけが聖なるものである。

人格の表出のさまざまの形式であるにすぎない科学、芸術、文学、哲学は、華やかな、輝かしい結果が実を結び、それによっていくつかの名前が数千年にわたって生きのびる、というある領域を構成している。しかし、この領域を越えて、はるかかなたに、この領域とはひとつの深淵でもって距てられた、もうひとつの領域があり、そこには第一級のものがおかれている。それらのものは本質的に名をもたない」(『ロンドン論集と最後の手紙』「人格と聖なるもの」杉山毅訳)

いま読んでも、いつ読んでも、読みごたえのある文章だ。デモクラシーとは「別の形態」の可能性をヴェイユは遠望している。じつに深い思想だ。ヴェイユがここで言っていることはすでにふかくわたしに根づいていて、りくつではなく手に取るようにありありとわかる。ヴェイユの考えたことはわたしの考えたことであるというくらいに。
「人間的固有性」を定義することは思考に限界づけられてできないとヴェイユは言う。意識を外延的な表現とみなすかぎりそのとおりだ。言うまでもなくフランス革命の人権の理念は人格に付与されたものである。人格は物欲のかたまりであり私心そのものである傾向をもつ。事実として認めるほかない。身が心をかぎるわたしたちの生命形態のありかたがそのことを自然としたのだから。この錯誤のうえに民主主義社会は成り立っている。ヴェイユは我執を超えるものがだれのなかにもあるという。ヴェイユは人格の奥まったところにあるものを「聖なるもの」と名づけた。そしてすごいことを言う。
「人格の表出のさまざまの形式であるにすぎない科学、芸術、文学、哲学は、華やかな、輝かしい結果が実を結び、それによっていくつかの名前が数千年にわたって生きのびる、というある領域を構成している。しかし、この領域を越えて、はるかかなたに、この領域とはひとつの深淵でもって距てられた、もうひとつの領域があり、そこには第一級のものがおかれている。それらのものは本質的に名をもたない」と。
一人ひとりの固有の生は、人格の表出の歴史を超えて、匿名の領域に属すると言っている。すごい思想だ。親鸞は言う。「りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」(『唯信抄文意』)と。まったくおなじことを言っているとわたしは思う。ヴェイユや親鸞の言葉は観察する理性による文化的言説ではなく、時空を隔てて、いま、ここに、生きられる思想としてある。

一身にして二生を経るという言い方に倣えば、50年近い歳月を省みて一身三生という感慨がいくらかある。ヴェイユの思想を祖述することはじぶんの生の体験をたどることにほかならない。ヴェイユがなんとか言いあらわそうとした思想は内包論からもっとすっきり言うことができる。
ヴェイユの言葉をわたしの言葉に置きかえる。「人間の中にある無人格的なもの」、「しかもそれだけが聖なるものである」とヴェイユが言うことは、根源の性の分有者に内在する還相の性と言い換えることができると思う。ひとであることの根源は〔性〕だからだ。
ヴェイユの気づきを内包論からわたしの生の体験をなぞりながらもっと細かく言ってみる。読者よ、心せられよ。語るとき、内包的な表現意識と外延的な表現意識をわたしが往還していることに。
ヴェイユが人格と無人格的なものを分別するとき、ヴェイユは意識の外延表現をやっている。聖なるものを善きものとして言いたいのだが、すぐに思考の限界にゆきつく。それは定義不能だがたしかに存在する。彼女は存在しないことの不可能性を言おうとしている。その息づかいがつたわってくる。でもここをヴェイユはうまく言えない。それはヴェイユが意識の外延表現にとどまっているからだ。
ヴェイユの言い方によれば「思考の黙して語らぬ働きによって限界づけられているこの概念は、定義されることができない」となる。つまり意識を外延するかぎりそうであるとしか言いようがないことなのだ。おなじことがレヴィナスにもいえる。
〔わたし〕は〔根源の性〕の〔分有者〕であるといえばよかった。同一性に規定された外延的な表現が象る往相の生に人格が棲まっている。「最大の危険は、集団的なものに人格を抑圧しようとする傾向があることではなく、人格の側に集団的なものの中へ突進し、そこに埋没しようとする傾向があることである」(『ロンドン論集と最後の手紙』)と見事に集団と人格の相克を描いている。ただそういうことにヴェイユのいちばんの関心はなかった。ヴェイユにとってそういうことはすでにわかりきったことだった。

聖なるものは人格に先だって存在するのだがそのことを意識で明示することができない。ヴェイユは同一性の実体化を拒みながら同一性の彼方を語りたくてたまらない。聖なるものが存在しないことは不可能であるとヴェイユの生のリアルは告げる。ものすごくよくわかる。わたしは内包的な表現意識を外延的な表現意識に置きかえ、外延的な表現意識を内包的な表現意識に翻訳しながらここを書いている。

人格の奥まったところに、いわば無人格的なところにある聖なるものと、人格が表出した数々の輝かしい領域があるとしてそれらと深淵をもって隔てられた匿名の領域は、どのようにつながっているのだろうか。少なくともキリスト教の神が棲まう信の共同性によって結ばれた領域ではない。そんなものをヴェイユが好むはずはないからだ。だとすればこの領域はなんなのだ。根源の性の分有者のいちばん奥まったところにある還相の性たちが棲まう場所ではないのか。ヴェイユが明示できず、しかし存在しないことが不可能であると知覚したこの場所は、わたしの言葉で言えば内包自然となる。そこが「けっして共同化できないようなそれ自体、それ以外のものではありえないようなもの」がはじめて輪郭を持ちはじめる場所であるように思える。ヴェイユが言ったデモクラシーとは「別の形態」は内包自然にほかならない。

ヴェイユの思想をたどりながら,輾転反側した10年余の悶絶のことを考えている。その間、なにを考えたか。分有者の連結についてだ。分有者はどのように連結するのか。わたしは「けっして共同化できないようなそれ自体」を名づけたかった。それはたとえようもなく困難だった。ここで一気に言葉の間合いを詰めてもいいのだが、わたしが錯認したことはレヴィ=ストロースにも、ヴェイユにも起こった。少し一般化してここを語る。思想としては期間限定の民主主義という共同幻想をひらくことにもつながるはずだ。
先の引用でも取りあげたが、レヴィ=ストロースはフランス革命がもたらした理念についてつぎのように発言した。
フランス革命の理念は世界を魅了したが西欧に何度かの破局をもたらしたとも言える。この理念が人びとの習慣や習俗、伝統という紐帯をばらばらにし、個人を交換可能な原子に変えてしまったのだと。よくわかる。明晰は迷妄から人の生を救いはするが生を熱くはしない。交換可能なモナドとしての生は不可避に貧血する。この生の不全感にはどんな観念でも流れ込む。レヴィ=ストロースは内心でこうつぶやいたはずだ。外延表現という人為は偉大なゲルマン民族の復興を唱えることも、ユダヤ人を絶滅することも、凡庸な悪の表象をとってあらわれるのだと。
ヴェイユは「一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった」と言っている。レヴィ=ストロースは出来事を空間化し冷たい社会を探求することで意識の外延表現がたどった惨劇を探求する困難を回避した。ヴェイユは同一性の彼方が存在しないことの不可能性を聖なるものと匿名の領域として言おうとしてうまく言えなかった。そこにヴェイユの痛ましさがある。ヴェイユの生が痛ましいのではなく、痛ましいのは思想の未然であるとわたしは考え、内包自然と還相の性でひらこうとしている。ひらきうるのだ。

ふたたび内包と外延を往還しながら悶絶したことにもどる。
こんぐらがった意識がほどけてしまうとあっけない。なんでこんなことがわからなかったのかという具合。意識のしばりとはそういうものだと思う。根源の性の分有者ということについていくつかの錯認があった。
根源の性を「あいだ」として空間化することはできない。ひとであることの根源が〔性〕であるということをいまはそう考えている。自己という現象の奥まったところにある根源の性は無限小のものとしてだれのなかにも内挿されているのだ。また根源の性の分有者という知覚は機縁によってのみ起こるということ。それはまったくの受動性であり、内包的表現意識による他力といってもよい(親鸞の他力とはわずかに違う)。
分有者を空間化すると往相の性としてあらわれる。つまり、根源の性の分有者は同一性のしばりをうけるが、分有者という内包的な表現意識のいちばん奥まったところには還相の性があるということ。この知覚は外延論理の世界では領域としての自己としてあらわれることになる。このとき外延論の世界での三人称の関係は共同性ではなく、喩としていうのだが、あたかもゆるやかな親族のようなものとして主観的な意識の襞を超えて現象することになる。
根源の性の分有者は還相の性ということにおいて〔わたし〕が〔わたし〕でありながら〔あなた〕でありうる唯一の場所であるとわたしは思う。ひとが根源において〔性〕であるとはそういうことだ。
内包自然の真ん中にひっそりと還相の性があり、外延表現では空間化できないという意味において、幻想の共同性である民主主義を跨ぎ超す契機がここにあるとわたしは思う。このあたりの機微をこっそりヴェイユに耳打ちしたかった。わたしはヴェイユの見果てぬ夢を歩く浄土として生きている。「ある一つの秩序に、それを超越する秩序を対比させる場合、超越するほうの秩序は、無限に小さなもののかたちでしか、超越されるほうの秩序のなかに挿入されえない」(「重力と恩寵」)わたしが構想する喩としてのゆるやかな親族構造のようなものもまた無限に小さなかたちで秩序のなかに挿入される。
根源の性の分有者が還相の性として可能となるとき、外延的な表現意識の三人称は、内包的な表現意識では、主観的な意識の襞にある信ではなく、信の共同性でもなく、還相の性との関係において、喩として、あたかも親族のようなものとして内包的に表現されることになる。存在がそれ自体に重なるここで親鸞の他力も消える。そしてここにヴェイユが渇望した世界がある。

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