日々愚案

歩く浄土276:複相的な存在の往還-幼童について8

 

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「歩く浄土275」を書いているとき、ある手応えがあった。なにかがわたしのなかでカチリと収まった。ジグソーパズルの最後のピースが収まったというべきか。外延知というものの正体をつかんだ実感がある。パウル・ツェランは問いに先立つ答を喃語のように詩を書き生きたとレヴィナスは言っている。ああ、ここだと膝を打った。問いに先立つ答えを内包として生きると、にわかに、ヘーゲルがはじまりの不明とみなし、バルトや滝沢克己のインマヌエルの手前にある幼童という物語がひとりでに歌い始めた。いますきな幼童を3つもっている。ひとつは宮沢賢治のデデデツポ、2つめはヴェイユの婚礼の部屋での言葉。3つめはレヴィナスが言う、ツェランの、近さのためにあるような問いに先立つ喃語のような詩。宮沢賢治のデデデツポもパウル・ツェランの「近さのためにあるような近さの言語。存在の真理よりも古い」喃語、ヴェイユの婚礼の部屋の言葉。どの幼童も権力から遠く三人称を疎外することがない。おお、親鸞を忘れていた。親鸞の他力、自然法爾、悪人正機、いずれもこれがあったら生きられるおおきな幼童だ。おまけに浄土教の教義を解体したのだから宗派をつくらない。この頃忘れっぽいのでまた思いついた。フーコーのパレーシアも幼童だ。パレーシアという言葉を知ったとき親鸞の他力をすぐイメージした。パレーシアは職業ではなくもっととらえ難い何かであると、しきりに何ごとかを告げようとしていた。フーコーより近くにいる情熱の人を、ひとりでいてもふたり、ふたりでいてもひとりとして生きればよかった。まだ忘れている幼童があるような気がするが、これらは観念にとってのすさまじい可能性を秘めている。貧しい者は幸いであるや我が荷は軽いや明日を思い煩うことなかれも幼童の言葉に属する。これらの聖句には生の実感を裏打ちする生活の智恵が理念ではなく瞬時に感得される幼童として埋め込まれている。

未明の可能性だとしても、こっそりいうとまだある。どのように洗練してもけっして外延的な国家や宗教や貨幣に至ることのないもうひとつの生。この生を意識の外延性は粗視化することができない。ただ不思議なことにふたつの気圏を往還すると外延は内包に、内包は外延に接することができる。この乖離は生を睥睨し人びとを分割支配する外延知を受容する司祭層のふるまいと、すべてのひとが総表現者のひとりとして無限の階調の表現の当事者を生きることの違いに起因する。古代から連綿と受け継がれてきた司祭層による衆生の分裂統治が消退し、総表現者という理念が人類史をおおきく画するものとしてやっと姿をあらわしつつある。ここからはみえない言葉でつぶやく。古代ギリシアを渉猟したフーコーが手にしたパレーシアと情熱、アフリカ的段階を考察し、その果てに吉本隆明がつかみかかった順次生を遡るとあらわれる倫理の根本の核にある宗教的なものを取り替えっこするなにかがあるという直観。あるいはこれらも幼童の片鱗かもしれない。

熊本の平凡な田舎少年が博多に出てもまれ、青年からおじさんに、そのうちおじいさんなる半世紀のなかで体験した体験の固有値を普遍化しようと苦戦してきた。毎回あといくつメモを書けるだろうかと思いながら読みにくい文章を書いている。それは何か知的な理念だろうか。違う。金はたしかにこの世の実利のひとつであり、多くのことを解決するのはたしかだ。おなじように理念というよりは、実利としての思想を創ろうとしてきた。なによりわたしにとって内包の思想は金よりもいい実利的なものとしてある。喰い、寝て、念ずる生の原像の実感があり、知的なりくつから最も遠く距たったものといえる。生きていることそれ自体。抽象度ゼロ。ここから内包になるのだが、生の原像をだれのなかにも内挿されている還相の性として生きる。わたしはそのひとつを面々のはからいとして生きるだけだ。ただ、生の原像を還相の性として生きるということは、総表現者によってしか可能とならない。かつて「知識人と大衆」という生を分割支配し睥睨する権力の言説があった。わたしはこのうそのなかで生きたことがなかったので、知識人と大衆という生の分割支配が生を引き裂いていることはよくわかるが、この思考を受容するばかどもにいちども共感することはなかった。頭の先からつま先まで虚偽である。むろんかれらは虚偽であることを意識することもない。わたしは二度とかれらと同席することなく、たくさんのなかのひとりを、わたしの言い方でいえば、生の原像を還相の性として生きてきた。総表現者はこの権力の視線への対抗概念ではない。この生の気圏のなかでは、だれもが、一人ひとりが無限の階調をもつ固有の表現者である。生を睥睨する擬制の俯瞰と、比類を絶した、人類にとってのまったく未知のおおきな自然の可能性だとわたしは考えているし、その渦中をわたしは生きている。

「歩く浄土276」は全体が片山さんの「今日のさけび」への気の長い応答と言える。あっというまに世界が激しく変貌し、行方がみえない。いまはワクチン正義だ。コロナ禍にたいしては感染症や免疫についての基本的な考えを理解しないと、人間についての理解が欠落した感染症医や疫学者の唱える医学の素朴な実在信仰に憑依される。医学知を身につけた医師という信仰者の群れによってバイオ・ファシズムが進行している。この事態のまえに人文知は無力だった。たんに政府のコロナ対策や智恵を資することのできない凡庸な医者を批判しても、なぜこうなってしまったかということの核心に迫ることはできないと考えた。いかなる人文知も科学知も同一律から発祥し同一律に回帰する。この公準を破ることはできない。人文知と科学知を横断する内包という観念の母型から事態を批判するときはじめて有効な理念として機能する。そういう意味では緊急の課題をめぐる片山さんとの往復書簡とも言える。

権力は社会のなかでどう機能しているかについて、従来の権力論とまったくことなる権力論を構想していたミシェル・フーコーは早くから生政治の生権力をめざましい勢いで解明しつつあった。フーコーの思想を深く検討することでこの世界の行方がみえてくることはないか。わたしは内包論でフーコーの思想に迫ってみた。いわゆるフーコーの研究者や文化人にわたしのフーコーの言説についての批評がつたわるとは思っていない。伝わることを断念したところからわたしなりのフーコー論を書いている。

わたしが総表現者のひとりとして、おなじ総表現者のひとりであるフーコーを論説することはこれまでなかったと断言できる。フーコーが主体と真理と権力の関係を従来の思考の慣性を切断することで新しい自然を祖視化した。その痛快は若い頃のわたしのなかに新鮮な体験としてのこっている。その時々の真理と権力の相関を明晰に分析し剔出したフーコーがいる。ここからがフーコー論のモチーフにつながる。ではどうしたらいいかという処方箋は、ほとんどというか皆無であったように思う。この疑念についてはあとで触れるだろう。内包論を進めることが第一義であることは言うまでもないが、いま当面している事態がもたらす緊迫感によって人文知の祖であるヘーゲルの方法まで遡って検討することを強いられた。

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フーコーの批評をなすにあたってためらいがあった。なにかもう引き返すことのできないところまで言い及んでしまうのではないか。自己の陶冶はいかにして可能となるかというひとつの主題に沿いながらフーコーの思想の核にある出来事を追尋し、批評する。はたしてフーコーの生存の美学は彼自身に届いただろうか。自己への配慮は自己の陶冶になることができたのか。なぜそう思うかというと、わたしが触れた出来事をフーコーは生きたことがないという気がするからである。フーコー小論を書くことはコロナ禍の真芯に降り立ち、コロナ禍をまるごと超えることであるという直感がある。この小論はフーコーの幼童に触れる試みであり、また初めての本格的批評となる。

むかし『同性愛と生存の美学』を読んだとき、ある部分になにか違和感をもち、消えることなく頭の片隅に残りつづけた。それはフーコーがハイデガーについて言及した箇所である。みずからをニーチェ主義者と呼ぶフーコーはつぎのように語る。

<もちろんです。ハイデッガーは、私にとって常に本質的な哲学者でした。私はヘーゲルを、ついでマルクスを読むことから始め、そして一九五一年か一九五二年にハイデッガーを読み出しました。さらに一九五三年か一九五二年、もうよくは憶えていませんが、私はニーチェを読みました。ここに、私がハイデッガーを読んでいた頃に取ったノートを-何トンも!-まだ持っています。しかも、ヘーゲルやマルクスについて取ったものよりも遥かに多量にあります。私の哲学的生成のすべてが、私のハイデッガーの読解によって決定されました。>(92~93p)

まずこの何トンものノートに腰を抜かした。わたしも20歳の頃に『存在と時間』を読んだことがある。はるか昔の記憶が呼び覚まされる。半世紀前に滝沢克己さんから肉声で「森崎くん、マルクスの資本論はどんな小説より面白いね、ドストエフスキーぐらいかな、読んで響くのは。君もドイツ語で読んでごらん」と言われたことを覚えている。その頃、翻訳でハイデガーの『存在と時間』を読んで衝撃をうけた。翻訳のよしあしはわからない。いくらか世間を積んで40歳の頃、西田幾多郎の『善の研究』を読んだときはなにが書かれているかすらすら分かった。言うなれば20歳そこそこのガキに哲学など理解できるはずもないのに、それでもはっきり知覚したことがある。『存在と時間』には大事なことはなにも書かれていない。壮大な空虚だと直感した。神という超越ぬきに存在を語ることができるかという気宇壮大な前人未踏の領域にハイデガーは挑んだ。それはよく理解できたが、存在が存在を語る虚しい自同律だけが虚飾を交え伝わってきた。なにが書かれているか知解したのではない。なにも分からなかったが、なにも書かれていないということだけはリアルに分かった。当時、谷川雁や吉本隆明が読まれていた。わたしも読んだ。すぐ分かったことがある。天下国家についてなにも考えたことのない田舎青年に哲学や思想が理解できるわけがない。ただ字面を追っただけだ。それでも谷川雁が詐欺師で、吉本隆明、この人にはうそがつけないなと感じたことははっきり覚えている。ハイデガーのうさんくささ、ごまかしかたの巧みさは一流だと思った。ああ、この華麗なうそにみな騙される。ニーチェほどには徹底できずぽっかり空いた暗黒の孔を生きたふりをした。稀代の言葉の詐欺師。

いい歳になって後知恵として知ったことだけど、吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』はハイデガーの甚大な影響をうけたと書いている。そうか、そういうことなのかと、歳をとってから得心した。そういうことだ。かれらはハイデガーからなにを相続したのか。神という超越ぬきに存在を語ることができるとい虚偽にラディカルな斬新さを感じ、類い稀な華麗な妄語に惹き込まれた。別の言い方で言えば、自己意識の起源について粗視化された思考の感性を受領したことになる。かれらがそのことを疑うことはなかった。病原体やウイルスに素朴な実在信仰をもつ専門バカが政府の上に君臨しているようにみえるが、その程度の稚拙さに国家の統治が崩壊している。フーコーの国であるフランスでも事情は変わらない。なぜこのようなことになるのか。ヘーゲルに発し、マルクスに受け継がれ、ハイデガーが解明しようとした壮大な試みのなかに始まりの不明がそのまま継承され、その不明を思考の慣性が抱えこんでいるからだと考えた。先行する世代の思想の方法に反発し、先後の哲学研究をはじめたフーコーにおいても例外ではない。モダンを批判しながら、フーコーもまた本質的な意味でヘーゲルの徒である。世界の危機はここに発祥している。このコロナ禍にあってもなにより本質的なものはここを不詳として世界認識を語ることができると思った倒錯に還元することができる。つまりかれらは始まりの不明を抱えこんだまま、そのことを根底的に問うこともなく世界を語ったのだった。

わたしの言葉で言えば、フーコーも吉本隆明も、根源のふたりをかっこにいれ、そのことを不問に付せば、以下の言述が成り立つと言表してきたわけだ。そのそれぞれの系をわたしたちは思想とみなしてきた。その巨大な負債を強制的に支払わせられている。アガンベン、ジジェク、ナンシー、ユヴァル、時代の騎手が両手をあげて降参している。人文知も思想もなきに等しい。倒錯した科学知の圧倒的な勝利である。人文知が存在するという空想の圏域を棲息してきたかれらは、あまりにもイノセントだった。体験の固有値をもつ知は人文知と科学知を瞬時に横超し、なにが事態の核心か察知する。

フーコーやアガンベンの生権力についての認識も外延知だとひとくくりにしてみる。外延知では科学という名の宗教、つまり共同幻想に対抗することができない。このことはどれほど強調しても強調しすぎることはない。人文知と自然科学知があるとする。いま、わたしたちが直面している狂瀾怒濤の巨大な津波のような事態に人文知と科学知の二項図式のなかで漂流するだけである。人文知が横断的に科学知を咀嚼し、そのまま生の知覚に置き換えることができなければわたしたちは科学知の属躰、家畜になる。現にそうなりつつある。わたしたちはビットや分子記号の端末にすぎない。厭な言い方だが奴隷は鎖をつけられているとき奴隷であることを意識しない。それが自然だからだ。鎖とはなにか。科学という名の宗教、バイオ・ファシズムである。途方もない知の転換点にわたしたちは遭遇している。バイオ・ファシズムを順伏する新しい世界認識をつくることによってしか世界の崩壊からまぬがれる途はない。

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フーコーの権力論も解けない主題を解けない方法で解こうとするひとつの解釈学にすぎないと思うようになってきた。かれが望んだかどうかわからないが、かれの主体の解釈学はかれ自身に届かなかった。フーコーの思考をたどりなおしながらしだいにそう思いはじめた。フーコーの考古学の特徴を挙げてみる。かれの思考はCTの断面写真によく似ている。思考の諸体系をCTの画像のようにスライスして、なにをフーコーは摑取したかったのだろうか。かれにあったのはシベリアの大河にまさる嫉妬と恋人を送るとき階段から眺めるときの情熱ではなかったか。それ余は聡明なフーコーにとってなんとでもなる知的な戯れといってよかった。なかなかいつもとはちがう、自分からの離脱を可能とする思考をつくることができず、華麗な才能と一箇の芸術作品として自己を彫琢することのあいだには埋めがたい乖離があった。人間の終焉を語るフーコーと、生存の美学を語り、自己の陶冶を夢みたフーコーはべつの論理階梯を生きていた。

知的な戯れの一例を提示する。サルトルとは真逆の表現をつくることをフーコーはことあるごとに発言している。そのふたりの思想の違いを考えると、フーコーとサルトルが同席することは、わたしの体験ではありえない。1986年に発行されたフーコーに捧げられた「真理の歴史」という図版がある。89頁と90頁にフーコーとサルトルが隣り合って写っている。フーコーがハンドマイクを持ち何かを訴えており、傍らにビラをもったサルトルがいる。おそらくこの集まりはなにかの社会的な抗議のように思う。監獄の待遇改善とか難民支援とかボートピープル支援とかそういうたぐいの集会。公共化された義を主張するための公的な集会。多少の意見の相違があっても義のために手を繋ぐ。わたしはほぼ半世紀この関係を絶対的に拒絶してきた。腰だめを低くしてくぐり抜けた公共化不能の言葉の視線と行動はこの種の文化的な戯言を峻拒した。これからもそのことは変わらない。言うまでもなくフーコーは抗議の公衆的な場を代表する知識人としてこの場に立っている。もっともフーコーが唾棄してきた行為を義のために遂行する。わたしにとってはありえない場面だ。フーコーが思考したことは膨大だから容易に思想の全貌を鳥瞰することはできないとしても人間の終焉を唱えながらかれが知識人を演じるのは自身の思想を唾棄することにほかならない。

どうやればフーコーの思想の全貌をつかむことができるか。つかみがたい思想の全貌をまえにしてあるひとつの方法を執ればフーコーの思想の核心に迫ることができる。それが虚偽であればわたしのフーコー理解は貫通しない。フーコーの思想の近づきかたはさまざまにありうるが、書誌学的にではなく、フーコーのリアルな生をイメージしながらかれの思想に近づこうと思った。フーコーが思考の考古学でつかんだ自然をかれの生のリアルに関連づけてみる。そこからなにが浮かびあがってくるか。

初期から中期にかけてのフーコーの自然はある否定性に貫かれている。ある筋道を通じてフーコーの思想の変遷を追うと、かれの思想の淵源がみえてくる。人間の終焉はフーコーの願望と見果てぬ夢であり、物の秩序のひとつのありかたに、人間という概念を縮小し物の秩序に内挿すれば、人間という呪詛から逃れられると考えた。それはフーコーにとってのひとつの救済だった。そのためのエピステーメーを導こうと、そのつどいくつかの知のパラメータがコーディングされた。いつもわたしたちはその断層図をみせられていたことになる。対象を粗視化したら西欧近代の捏造物である人間という概念が炙りだされ、いずれにせよ消え去るとかれは夢想した。この主張は国境を越えて島嶼のこの国にも伝わり、翻訳としても読むことができた。わたしたちにとって『言葉と物は』ロックだった。若いフーコーは人間の終焉を導くことでかれの日々をつなぐことができた。『狂気の歴史』(1961年)『臨床医学の誕生』(1963年)『言葉と物』(1966年)『監獄の誕生』(1975年)ここまでを中期のフーコーとする。その頂点に『言葉と物』がひときわ聳えている。

とくにフーコーの『言葉と物』には衝撃をうけた。人間という概念は西欧近代がねつ造したイリュージョンであり、人間はやがて波打ち際に書かれた砂文字のように消えていくだろう。即ち、人間の終焉。体験が内面に閉じられ内面化では体験したことの狂おしさを外化することができず、共同化することもできないとき、フーコーの人間の終焉は体験のあつくるしさを漂白してくれるような気がして、なにか清々した。ヨックモック青山店でウオークマンでクラフトワークを聴きながらながら『言葉と物』を読んだ記憶がある。知識ではなく感覚として迫ってくるなにかがフーコーの言葉にあった。そういう読み方をした若者が多くいたと思う。人間は終焉してどこにいくのかということより、人間の終焉という言葉が鮮烈だった。たぶんどこに行くのかフーコーにもわかっていなかったと思う。

フーコーは『言葉と物』の「序」を、<それにしても、人間は最近の発明にかかわるものであり、二世紀とたっていない一形象、われわれの知のたんなる折り目にすぎず、知がさらに新しい形態を見いだしさえすれば、早晩消えさるものだと考えることは、何とふかい慰めであり力づけるであろうか。>から始め、終尾で<人間は、われわれの思考の考古学によってその日付けの新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれがせめてその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが十八世紀の曲り角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば-そのときこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。>(『言葉と物』409p)と結んだ。

1974年に翻訳で読んだ『言葉と物』の結びの文章は衝撃だった。乾いているがなにか深い感情が呼び起こされた。鮮やかな記憶だ。 it’s only rock ‘n’ rollとたしかに感じた。フーコーは外延知の人間を終焉させ、わたしの言葉では内包知の総表現者と倫理的活動の核にある還相の性を生きようとし、自己の陶冶という権力から最も遠い生存の美学をつくった。人間は終焉したのではなくあたらしい生をフーコーは生きたのだと思う。喩として語られた同一性の未遂のなかにあるフーコーの幼童をおおきく拡張したい。

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晩年のフーコーはどうやって日をつないだか。輾転反側、七転八倒した。『性の歴史』をめぐる8年間の沈黙をかれ自身の言葉で語っている。この間の事情をフーコーは語る。

<いまから七、八年前、『性の歴史』第一巻を書いたとき、十六世紀からの怪現象に関する歴史を書き、十九世紀までのこの知の変転を分析する固い意図があったというのは事実です。うまくいかないと気づいたのは、その仕事をしながらのことでした。ひとつの重要な問題が残っていたのです。すなわち、なぜわれわれは性現象を道徳問題に仕立て上げたのか、ということです。そこで私は閉じこもり、十七世紀についておこなった仕事を放棄し、時をさかのぼり始めました。キリスト教という経験の発端を見るためにまず五世紀に。次にすぐ前の時期、つまり古代の末期に。最後に三年前、紀元前四世紀と五世紀の性現象の研究でしめくくりました。>(『ミシェル・フーコー思考集成Ⅹ』)

自己の生をひとつの作品にするにはどうしたらいいか。そのためフーコーはセクシュアリテを媒介に精神分析の考古学を性の歴史としていったん構想した。狂気でも監獄でもなく牧人司祭型権力のみなもとを探るあてどのない旅に出て迷ってしまう。性現象をめぐる知の考古学の渉猟は紀元前4世紀、5世紀で終止符をうつことになった。フーコー自身も言っているように、性はたいくつなものとなり、長い年月を経てかれがつかんだものは自己の陶冶とその陶冶を可能とするパレーシアと固有の情熱だった。パレーシアという概念は従来の知識人と大衆という意識の範型を逸脱している。パレーシアという理念についてフーコーは語る。晩年のコレージュ・ド・フランスの講義録3冊がこの新しい概念の発掘に費やされている。比較的まとまっているところから言葉を拾ってみる。

<したがって、ひと言で言うなら、パレーシアとは、語る者における真理の勇気、つまりすべてに逆らって自分の考える真理のすべてを語るというリスクを冒す者の勇気であると同時に、自分が耳にする不愉快な真理を真であるとして受け取る対話者の勇気でもある、ということになります。

弁論術はパレーシアの正反対です。[パレーシアが合意するのは逆に]語る者と彼が語る内容とのあいだの強力で明白で明らかな絆の設立です。というのも、語る者は自分の考えを表明しなければならないからであり、パレーシアにおいては自分が考えていることと別のことを語ることなど問題外であるからです。したがってパレーシアは、語る者と彼が語る内容とのあいだに強力で必然的で構成的な絆を打ち立てますが、しかし、語る者と語りかけられる者との絆については、これをリスクのかたちで開きます。というのも、結局のところ、語りかけられる者は常に、語られる内容を受け取らないこともできるからです。彼は、それを不愉快に[感じる]かもしれないし、それを拒絶したり、しまいには自分に真理を語った者を処罰したり、その者に対して復讐したりするかもしれないということです。弁論術は、語る者と語られる内容とのあいだの絆を必要とせず、語られる内容とそれが差し向けられる者とのあいだの拘束的な絆、権力の絆の設定を目指します。これに対し、パレーシアは逆に、語る者と彼が語る内容とのあいだの強力で構成的な絆を必要とし、語る者と彼が語りかける相手とのあいだの絆が断ち切られる可能性を、真理の効果そのものによって、真理の不愉快さの効果によって開くのです。非常に図式的に次のように言うことにしましょう。弁論術教師は、他の人々を拘束する有能な嘘つきである、あるいは完全にそのようなものでありうる。これに対し、パレーシアステースは逆に、自分自身を危険に晒し、自分の他者との関係を危険に晒すような真理を、勇気をもって語る者であるだろう、と。

パレーシアステースとは、それを本職とする者のことではありません。そして、たとえパレーシアステースのなかに技術的な側面があるとしても、それでもやはりバレーシアは技術や職業とは別のものです。パレーシア、それは職業ではなく、もっととらえ難い何かです。>(『真理の勇気13』

「パレーシア、それは職業ではなく、もっととらえ難い何かです」。この言葉はいいなあ。職業でもなくとらえがたいなにか。すきだなあ、この言葉。ここにはフーコーが最期に到達した思想の奥義がある。ブログで以前書いたが、フーコーのパレーシアという言葉に出会ったとき、すぐに親鸞のすきな言葉を思いだした。「りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」(『唯信抄文意』)まだある。「よしあしの文字をもしらぬひとはみな、まことのこころなりけるを、善悪の字しりがおは、おおそらごとのかたちなり」(『正像和讃』)洋の東西を距て、時代も大きく懸隔して、ふたりの知の巨人が邂逅している稀な光景のようにみえる。「もっととらえ難い何か」であるパレーシアはわたしの言葉では総表現者ということになる。意訳すれば総表現者のひとりとして生活すること、思考することがそのまま表現であるような生の固有値をフーコーは発見したことになる。ここで深く考え込む。ほんとうになにかをかれはつかんだのだろうか。フーコーの試みのなかにあるわずかな思想の未遂をなんとかつかみたい。時代の行方を占う大知識人ではなく、むろん個別的知識人でもなく、職業とはべつのパレーシアとして固有の情熱を生きる。ついにフーコーは人間の終焉を超えて知の消滅する根源の場所を性の探究の末に感得したようにみえる。そこがフーコーがめざした自己の陶冶という場所なのだろうか。

ものすごくきわどいことをわたしは言おうとしている。パレーシアという理念をつかむことでフーコーは表現疑念を拡張した。「弁論術はパレーシアの正反対」であるとはどういうことか。サルトルの表現論と真逆であるというわけだ。言葉の強い風圧をじかに感じる。

<理論的にみてみれば、サルトルは真性という道徳上の概念を通して、われわれはわれわれ自身でなければならない-ほんとうに本物の私でなければならない-という考えに戻っているようにみえます。ところが、サルトルの言ったことから引き出してくることのできる実践的な帰結は、反対に、サルトルの理論的思考を創造性の実践に結びつけることになるのであって、真正性の実践にじゃないでしょう。〈自己(わたし)〉はわれわれに与えられているのではないという考え方からは、ただ一つの実践的帰結しか引き出せないと思います。つまり、われわれは一個の芸術作品として自己を組み立て、制作し、規定していかなければならないという帰結ですね。サルトルがやったボードレールとかフローベルの分析で、サルトルが創作の仕事を自己-作者自身とのある種の関係のせいにしているのをみるのはおもしろい、自己との関係が真正性の形であれ、非真正性の形であれ、ともかく。私はこれとまさに反対のことは言えないのかどうかと考えているんです。>(『現代思想』1984年10月号所収「ひとつのモラルとしての性」)

パレーシアに到達したときフーコーは主体の解釈学と統治の分析と知を放棄している。自分からの離脱をなにが可能とするか。他性から措定されるなにかである。最晩年までそれがどういうことなのかフーコーがつかむことはなかった。才気あふれるフーコーによって西欧近代の思考の諸体系がつぎつぎと組み換えられていき、世界へのおおくのあたらしいまなざしを粗視化し、マルクス由来の禁止・抑圧・排除とはことなる身体を貫く生権力を赤裸々に分離し、ほらここにこんな知が真理として機能してるのだよ、と目の前に取りだしてくれた。フーコーの思想の本領はここにあるのだろうか。フーコーは西欧の思考の諸体系にいくつかのパラメータを入れて、16、17、18、19世紀の知のエピステーメーを分析し、パラメータ相互の関係の型を抽出した。関係づけを了解に結合するとき意味が生まれるが、フーコーはこの意味については極度に抑制的だった。高性能のコンピュータ断層写真によく似ている。複数のパラメータを分析の対象に挿入し粗視化するのがフーコーの知の考古学だった。フーコーにとっては19世紀の典型的な知の布置に収まるマルクスの思想とは異なる権力についての知見を得ても虚しかったと思う。体験の固有値を経ずに相互の関係の型の関係を論じることはたんなる世界の分析でありCTの断面図にすぎない。世界についての思考の慣性をべつの慣性へと遷移させることはあっても、断面図それ自体にはいかなる了解も意味もない。社会は防衛しなければならない(1976年)以降の身体を貫く生権力旺盛なの研究を積みあげても、世界で起こっていることを追尋することしかできずこの思考では世界や人類の変貌の速度から振りきられている。フーコーが創建した生権力の思想はもう惨禍を鳥瞰することしかできないのではないか。おなじフーコーのべつの顔もある。西欧近代の理念の構築物にたいする絶望がフーコーのなかにあった。ホメイニに肩入れしたとき、次のように語っている。フーコーの西欧に対する呪詛である。

<だが、今日、第三世界、いや、非・西欧的な世界が前世紀より蒙っていた西欧による怖るべき経済的搾取を乗りこえようとする方法と手段とは、なお西欧に起源をもつものであるように思われます。では、これから何が起ころうとするのか。この西欧的な手段による解放の動きを契機として、何か新たなものが生まれようとしているのか。絶対的に超・西欧的な文明が発見されることになるのか。わたしはそれが可能だと思う。大いにありうることだとさえ思う。そして、それが可能でなければならぬ。・・・(略)・・・西欧は、西欧文明は、西欧の「知」は、資本主義の鉄の腕によって屈伏させられてしまいます。われわれは、非・資本主義的な文明を創出するには、疲弊しつくしています。>蓮実重彦によるインタビュー『批評あるいは仮死の祭典』所収)

フーコーが夢想した1000年規模での、非西欧的で非資本主義的な文明への渇望は予測を大きく裏切られ、科学知が提供する健康を正義とする一神教がバイオ・ファシズムとして人類に惨禍をもたらしている。身体を貫く生権力がコロナ禍というバイオ・ファシズムという一神教として登場することを想定することはなかった。生権力を分析する一連の著作は牧歌的でさえある。GAFAM BAT、AIとゲノム編集はフーコーの思想の射程には入ってなかった。それほど世界は急峻な変貌を遂げたわけだ。

人間は終焉するまでもなく、世界の地殻変動によって、たんなる世界システムの属躰としての二進法と分子記号へと還元されつつある。コロナ禍にあって人間は些細な医療資源の端末にすぎない。このような急激な世界の変成のなかでフーコーのなにが救抜するに値するだろうか。生権力はあるがままの事態を静観するしかない。マルクス主義の陰鬱な大気の圧力が圧倒的なときフーコーの権力論や生政治か抽象された思想はひとつの未知を秘めた世界への可能性だった。おそらくフーコーにとって残された最後の問いは、世界を如何様にも解釈できる自分と、その解釈を可能とする自分との隔たりだったように思う。後期のフーコーが性を粗視化の対象として、ある自然をつかもうとした試みのなかにコロナ禍を超える思想の可能性があるのではないかと考えようになってきた。いつもの自己から離脱して他性が措定する自己の陶冶が倫理的活動の核にある性から発するという発見のなかに外延知を超える契機が見え隠れしている。

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「歩く浄土275」を書きながら気づいたことの輪郭が少しずつみえてきた。「歩く浄土275」はベイトソンと滝沢克己の思想の相同性について書いた。認識の階梯が層をなし、自然もまた精神の表れであるとしたベイトソンの思想と神を媒介にした物の秩序の表現を書き終えた滝沢克己の思想は強い相同性をもっている。おなじようにフーコーの『言葉と物』と吉本隆明の『共同幻想論』も強い相同性をなしている。フーコーの『言葉と物』と吉本隆明の『共同幻想論』の白熱する交絡を知らぬふりして通りすぎるわけにはいかない。西欧近代の思考の分厚い堆積と吹きさらしの島嶼の国の自然とのあいだには自然を粗視化するさまざまな技芸ついての圧倒的な差異がある。この文化の厚みの格差は埋めようもないと長く考えてきたが、今回のコロナ禍で欧米の迷妄と日本の迷妄も同一の科学という擬制に還元されることが分かった。欧米の知もちゃちで、この国の独特の同調圧力もこの科学知という同一の擬制のなかにあって、地方性としてあるだけだった。惑星規模の自然生成のなかで日本的な自然生成はローカルなものにすぎない。科学という名の共同幻想に猛攻されて世界のしくみはかんたんに瓦解した。コロナ禍が見せてくれた光景になるが、感染症の専門家や疫学の専門家の素朴な実在信仰に世界が擾乱されるありさまを見ていると、島嶼の国の同調圧力の異様さも、他の国の適当さもあまり変わりなく、一方的に科学知の暴走に蹂躙され復元不能なほどに世界の光景が変わってしまった。欧米と日本の堆積する知の厚みは科学という共同幻想によって一瞬で壊滅させられた実感がある。そう考えると逆に『言葉と物』と『共同幻想論』が至近の距離にあることがわかる。

フーコーと対談した吉本隆明はフーコーの『言葉と物』を読まずして世界を理解することはできないと称揚し、自身の『共同幻想論』には終始控えめな態度を取っていた。フーコーが立っている知の堆積の厚みと自分が素足で大地に立っているその違いに自覚的だったからだ。コロナ禍の出現によって知のこの構図は根底から変化したと思う。そのことを少し書き留めておきたい。これからは複合知を身につけることが新しい世界システムの属躰化からまぬがれる唯一の方法であるように思う。人文知は科学知がいやおうなく生に強いる変化にたいしてなんの有効ももちえない。免疫学の知見もなければ、病が身体と病原体とされるものとの相関性として表現されることへの知見もない。医学でさえニュートンの古典力学の水準にさえ達していない。謂わば擬似的な土俗科学だ。こうなることはサイバネティクスを横目で睨みながらハイデガーでさえはやばやと予見していた。では自然科学知はどうか。素朴な実在信仰以外にはなにもない。まして医学知は土俗信仰そのものと言ってもいいくらいに科学的でない。病が心身相関のあらわれであることは病についての公準である。はやぶさが小惑星を横断することはニュートンの古典力学で事足りるが、医学はこの水準にさえ到達していない。感染症専門医や疫学研究者にかぎればあまりにも知的な水準が低すぎる。一言で言える。蛸壺のなかに棲息する専門バカということにつきる。

『ミシェル・フーコーと「共同幻想論」』(吉本隆明vs中田平)をまとめた中田平は、この本の中でフーコーは『言葉と物』を「世界の散文」という表題にしたかったが、ヘーゲルもまた世界を散文と考えていて、メルロ-=ポンティの遺稿も『世界の散文』(1969年刊)である。それで次善の表題として「物の秩序」としたが、編者から「言葉と物」をすすめられ受けいれた。フーコーにとって世界はまず散文として、つぎに物の秩序としてあらわれることになった。メルロ-=ポンティにも大きな影響を受け、現象学の終わったところから、西欧の知にいくつかのパラメータを挿入し、中世から近世の知のパラメータ相互の関係の型を抽出し、新しい知の形を提示した。ただそれがどういうものかについてフーコーはきわめて禁欲的だった。人間の終焉という思想の出現には理由があった。フーコーの個人的な体験と、第二次大戦の惨禍、ホロコースト、スターリニズムというマルクス主義の重い大気、それらがフーコーが人間を語ることを禁欲的にした。フーコーの問わず語りを聞いてみる。西欧近代が発明した人間という概念を物の秩序の片隅に埋め込みたくてたまらなかった。それはフーコーの生が渇望したものだったと言ってよい。『言葉と物』の終章である第10章でフーコーは知の三面角というパラメータで世界をコーディングした。まず第一の次元に数学と物理学、もうひとつの次元に言語や生命や富の配分、第三の次元は同一者の思考に基づく哲学。この三つの変数で世界を篩にかけるとなにが炙りだされてくるか。人間の終焉である。秩序の影としてひそかに人間という物の秩序が存在するとかれは締めくくった。ここで人間という概念は価値中立でいかなる倫理も付随していない。吉本隆明の『言葉と物』の空間の関係の型を『共同幻想論』の了解の時間に変換すると両者はつよい相同の関係をもつ。おなじ対象をちがう角度から視ているだけだ。コロナ禍の産物だともいえるが、『共同幻想論』は『言葉と物』に優に匹敵している。まだフーコーの息づかいを追いかける。

<このような〈主体〉の非根底的・非根源的性格こそ、構造主義者と呼ばれた人々に共通のものだった。それが先行世代にとって、極めて不愉快なことだったわけですが、ラカンの精神分析にせよ、レヴィ=ストロースの構造主義にせよ、バルトの分析、アルチュッセールの仕事、あるいは私の仕事にせよ、私達はすべてこの一点については意見が一致していた。すなわち、デカルト的な意味での〈主体〉、そこからすべてが生まれてくるような根源的な点としての〈主体〉から出発してはならない、ということでした。そして第三には、〈主体の解体〉を通じて、ニーチェへと導かれたということです。>(『哲学の舞台』50~54p)

先までは言うまい。主題をめぐるこの方法はニヒリズムにいやおうなく回帰する。人間の終焉もここを振りきってはいない。あらためて『言葉と物』について考える。フーコーの言葉と物は対象の関係だけを抽象した断面図で、解像度の高いCTの画像に比喩することができる。高解像度の断面図を3D化して了解の系をつくると共同幻想論になると考えた。もうひとつある。フーコーはハイデガーやヘーゲルの始まりの不明を解いていない。やっと死の直前に、倫理的活動の核にある性を発見した。吉本さんもアフリカ的段階の最後に、誰のものでもない宗教がなくなる点があることに気づいた。長い旅路を経て、死を直前にふたりともおなじことを覚知したように思う。ただこの覚知は領域にならずに外延知の点として閉じられたままだった。

ヘーゲルの『精神現象学』や『歴史哲学』と吉本隆明の『共同幻想論』は意識の重なり、歴史の累層を時間の遷移と共に記述している。いわば地層となった時間の強度が表現されている。ひるがえってフーコーの思考諸体系の考古学は、ある時代の知の枠組みをいくつかのパラメータで分析しあるエピステーメーを解像度の高いCTで撮影した精密な画像のように浮かびあがらせる。そこに意味はない。時代を象徴するいくつかの変数がインプットされ、それらの変数をていねいにたどることで時代の知の布置がどんなものであるかをあぶりだす手法だ。ヘーゲルや吉本隆明とまったく異なった記述の仕方にみえるが、関係の型である空間を時間に、時間を空間に置きかえると、そこにできあがる了解の系は同一の相同の関係といえるある知の範型となってあらわれる。

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知の考古学者として思考の諸体系を古代ギリシアまで遡り、最期に自己の陶冶をつかんだフーコーにとって性はどんなものだったろうか。1983年「倫理の系譜学について」のなかでギリシャ人の性は退屈きわまりないもので、性についてのモチーフは消えてしまったと書いている。とくにギリシャになにかあるわけではない。この現代となにも変わり映えはしないと言明する。ギリシャの文献を読み込んでいくにつれて、ギリシャの古代文化は生活の技術から生存の美学という自己への配慮に道徳の中心が遷移していくことがみてとれた。次のように言っている。「現代社会では、技芸はもっぱら物体にしか関与しない何かになってしまい、個人にも人生にも関係しないという事実にわたしは驚いています。技芸が芸術家という専門家だけがつくる一つの専門領域になっているということにも驚きます。しかし個人の人生は一個の芸術作品になりえないのでしょうか。なぜ一つのランプとか一軒の家が芸術の対象であって、わたしたちの人生がそうではないのでしょうか」。

古代ギリシアの文化に遡及することでフーコーが発見した自己への配慮は知の考古学の探究の意欲を削いでしまったようにみえる。性の歴史第一巻『知への意志』から8年間の沈黙とおそらく交差する発言がある。「私を駆りたてた動機は、ごく単純であった。(中略)つまり、知るのが望ましい事柄を自分のものにしようと努めているていの好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にしてくれる好奇心なのだ。(中略)はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるためには不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ」(『快楽の活用』)性の歴史を時代を遡ることで探究していたフーコーのモチーフは根本的な変化をうけた。大知識人フーコーは消滅したと言っていい。ここからパレーシアまでは一瞬だった。自己を貫く生存の美学の中心に倫理的活動の核をなすひとつの性というモラルがあり、表現はここから流れくだる。これは思考諸体系の考古学ではなく、はるかに切迫したフーコーの体験の固有値に関わる出来事だった。表現のモチーフが変容したことはフーコーの次の発言からうかがえる。

<情熱とは何でしょう? それは一つの状態、頭の上から降ってくる何か、こちらをわし掴みにし、両肩をむんずと掴まえる何かであり、いっさい休みのない、そして起源もないものなのです。実際、それがどこからやってくるのかなどわからない。情熱はただ訪れる。それはたえず動き続けるけれども、しかしある決まった地点に向かうわけではない。強烈な瞬間もあれば弱まるときもあり、白熱の時もある。ためらい、揺れ動くものです。それは不安定な一刻のようなものであって、何かよくわからない理由ゆえに持続する。おそらくは惰性によって。究極的には存続を図りながら、消滅へと向かう。情熱は持続するためのあらゆる条件を備えると同時に、自らを破壊もする。情熱において、人は盲目ではありません。ただそうした情熱の虜となったとき、人はもはや自分ではなくなるのです。自分自身であることには意味がなくなってしまう。まったく別の見方をするようになる。>
(『ミシェル・フーコー思考集成Ⅸ』「ヴェルナー・シュレターとの対話」44p)

<私は十八年前からある人に対する、ある人に捧げる情熱のうちに生きています。あるときその情熱は愛に似たものとなったと言えるかもしれません。実際のところ、それは私たち二人のあいだの情熱であり、変わらぬ状態であって、それ自体以外に終わる理由はどこにもなく、私は何もかもをそこに注ぎ込んでいて、それは私を貫いて伝わっていくのです。彼に会いに行き、彼に話す必要が生じたなら、それを私におしとどめさせるようなものなど世の中には何も、何一つとしてないと思います。>(『ミシェル・フーコー思考集成Ⅸ』「ヴェルナー・シュレターとの対話」47~48p)

フーコーの単独者の情熱がどのようなものであるか、そこにフーコーの思想の根幹に関わることがあると直観するので、少し回り道をする。フーコーの思想に残されたかすかな未遂をつかみたいからである。この国に聖道門があるように、西欧近代には偉大なヘーゲルとその一門があまた存在する。ヘーゲルの精神現象学をそれぞれの思想家がおのおのの自然を恣意的に粗視化してきた。ヘーゲルからマルクスにうけつがれた自然、ニーチェ、ハイデガー、フーコーへと変奏されながらさまざまな自然が粗視化された。その祖型はヘーゲルにある。ヘーゲルの思想から扇状地のようにいくつもの自然が拡がったということができる。モダンとポストモダンという類別がかつてあったが、ふり返ってみるとヘーゲルとその影ということでしかなかった。

おおまかに言うとヘーゲルは精神と歴史をつぎのように考えた。ヘーゲルの思想は始めから致命的な欠陥を実装していた。通常人びとは存在は自己が所有する出来事だと思っている。こういう臆見が人類の歴史を形づくってきた。かれによって対象となる自然の粗視化は認識のフレームとしてすでに完成していた。あとはその原型をいかに変形するかだった。精神という主格の劇を歴史と考えたヘーゲル。劇を展開するのが意識であり、絶対精神というたましいのうねりが、意識の種々の形態を節目としながら実現するものを歴史だとヘーゲルは考えている。精神は意識に宿り、自己と家族と国家というそれぞれの役柄を演じる。ヘーゲルは精神のすまいとして自己意識を基点とするスタイルをとっている。意識という形式に精神が宿り、意識が自己意識によぎられていくその運動が、理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的であるという彼の精神現象学である。ヘーゲルにとって意識は世界そのものだから、意識を実現することは世界を実現することに等しく、その体現が世界精神であると考えた。それがわたしたちのしるヘーゲルの意志論だ。ヘーゲルにとってかわいいのはきっと自分だけだった。共同の意志の発現のなかに自由をみるヘーゲルの意志論が極限の自力思想である。西欧に起源をもつ聖道門と門徒たち。始まりを不明とした存在のがらんどう。がらんどうを埋めようとする表現の衝動を自己意識の外延表現と呼んできた。

ヘーゲルの亜流もヘーゲルを嫌悪する者らもどうであれ、思想の淵源にヘーゲルが制作した観念の自然が祖型としてあり、そこからヘーゲルを祖型とする思想が流れくだったが、いずれの自然もヘーゲルを超えるものではなかった。ヘーゲルの門徒であるフーコーにおいてもなお。この対談のすぐあとでフーコーは「人は一生かけて、自分の自殺を練り上げなければならないのです」(52p)と言っている。同一性の身勝手につきる。そんなものが生存の美学であるはずがない。なぜ情熱が死への衝動となるのか。ドゥルーズの『情動の思考』もそうだった。あの情動を生きた者がなぜ自死する。情熱や情動はおのずと領域化されたものとして自存している。フーコー個人と情熱は不可分・不可同・非可換であり、おなじようにドゥルーズの情動はドゥルーズ個人とおなじではないが分離できず向こうから一方的に襲来する背後の一閃である。この背後の一閃をヘーゲルは始まりの不明と考え、始まりの不明を括弧に入れて精神のふるまいを語った。「私は要するにヘーゲルが生理的に嫌いなのだ」と言ったドゥルーズもヘーゲルに喰われている。始まりの不明は存在ががらんどうであるニヒリズムを不可避とする。ヘーゲルの門下生たちはそれぞれの生の様式でニヒリズムを抱えこんだことになる。わたしのしるかぎり例外はない。フーコーが愛好したニーチェもヘーゲルの始まりの不明を神の死として弄んだ。もしかれらが情熱や情動を同一性の手前でひらいていたら、自殺は吹っ飛び消滅していたはずだ。始まりの不明をないことにして、自己意識から世界を粗視化すると、思想家個々人の思惑を超えて、スターリン、ナチの人類史の厄災が躍りでる。コロナ禍もそうである。

外延知の手前にある生の全円性を、主体の解釈学ではなく、だれのなかにも内挿されている内包知として生き切るなかにバイオ・ファシズムを越えるものがおのずから存在している。体験の固有値についてフーコーの思想と内包を比較してみる。フーコーの固有値を情熱とする。内包では根源の性になる。情熱にあるとき、自分が自分でなくなる。フーコー自身がそう語っている。フーコーは気づいていないが、自分が自分でなくなるとき、それがどういうことであるかを同一者の思考で措定することはできない。

ドゥルーズが、「あるいはむしろ、つねにフーコーにつきまとった主題は、分身(double)の主題である。しかし、分身は決して内部の投影ではなく、逆に外の内部化である。それは〈一つ〉を二分することではなく、〈他者〉を重複することなのだ。〈同一のもの〉を再生産することではなく、〈異なるもの〉の反復なのだ。それは〈私〉の流出ではなく、たえざる他者、あるいは〈非我〉を内在性にすることなのだ。重複において分身になるのは、決して他者ではない。私が、私を他者の分身として生きるのである」(『フーコー』)というとき、「〈異なるもの〉の反復」はフーコーやドゥルーズの意図にかかわらず、「〈同一のもの〉」に回収されてしまう。言いたい気持ちは分かるが言われていることの全体が自同律の戯れである。

ドゥルーズのフーコーについての分身論に欠けているものは、同一のものを再生産することでなく、異なるものの反復であるというとき、異なるものが同一の派生態にすぎないとうことだ。フーコーもドゥルーズもこのことについて気づいた様子はない。ドゥルーズの『差異と反復』も最期のフーコーの真理は他性からもたらされるという話されなかった謂わば遺言も、同一性の強固な拘束衣に閉じられている。自同律の戯れのなかで差異と反復が永劫回帰する。もしもフーコーやドゥルーズが〔わたしがあなたである〕ことを同一性の手前で生きることがあったら、かれらの哲学はまったく異なったものになった。

自分が自分でなくなるとき、自分は領域となって、分身と共にある。〔と共に〕を同一者が指さすことは原理的にできない。なぜならば〔と共に〕はつねに、絶対的に非可換的に同一性の手前にあるからだ。同一性では表現できないから、そのことをフーコーは自分が自分でなくなると言っている。その不可解さは体験の固有値としてよく分かる。べつの言い方をすると、フーコーの情熱は死の直前まで、ハイデガーの知的な詐欺、さらにヘーゲルの始まりの不明に知的な拘禁を受けている。そのことにフーコーが自覚的であったかどうか分からない。自分が自分でなくなる狂おしい情動は同一性という拘束衣のなかではみずからを滅することしか成就できなくなる。フーコーの沈黙の8年間はその状態にあったということもできる。

もう一度言う。情熱の虜となったとき、人はもはや自分ではなくなり、自分自身であることには意味がなくなってしまい、まったく別の見方をするようになる、その全体を自己同一性の手前でひらけばよかった。それにもかかわらずフーコーは死の直前に内包の近傍まで確かに来ていた。

<さきほどあなたがおっしゃった創造性の問題に戻りましょう。人は人生や、自分の書いているもの、撮っている映画にのめり込んでいるまさにそのただなかで、何物かのアイデンティティの性質について問いただしたくなる。だがそれは「しくじり」に終わらざるをえない。なぜなら分類作業に向かってしまうからです。問題はまさに、さまざまな思考のあいだを結ぶような何物かを創造すること、それに名前を与えることが不可能であるようにして何物かを創造することなのであり、ゆえに、それが何であるかを決して明らかにしないような色調、形態、強度をそれに与えるべく毎瞬努力しなければならないのです。生きる術とはそうしたものです。生きる術、それは心理学を殺し、自分自身および他の人間たちとともに個体性、存在、関係性を作り出し、名前のない特性を作り出すことなのです。人生でそれを作り出せないなら、人生は生きるに値しない。私は自分の存在そのものを作品にしている人たちと、人生の中で作品を作っている人たちとを区別しません。>(『ミシェル・フーコー思考集成Ⅸ』「ヴェルナー・シュレターとの対話」50p)

フーコーは表現者と生を表現として生きる者を区別しないと宣明する。まさに同一者の思考を跨ぎ超そうとしている瞬間だ。フーコーは総表現者の表現の無限の階調とおなじことを言っている。ただそれは単独者ではひらくことができない。「それが何であるかを決して明らかにしないような色調、形態、強度をそれに与えるべく毎瞬努力しなければならないのです。生きる術とはそうしたものです」。「生きる術、それは心理学を殺し、自分自身および他の人間たちとともに個体性、存在、関係性を作り出し、名前のない特性を作り出すことなのです。人生でそれを作り出せないなら、人生は生きるに値しない。私は自分の存在そのものを作品にしている人たちと、人生の中で作品を作っている人たちとを区別しません」。ここで語られていることが、サルトルとは真反対の表現をつくりたいという根本モチーフとつながっている。サルトルの表現の心理は権力であることが寓意されている。

死の直前にフーコーは思考の転回を遂げた。「〈自己(わたし)〉はわれわれに与えられているのではないという考え方からは、ただ一つの実践的帰結しか引き出せないと思います。つまり、われわれは一個の芸術作品として自己を組み立て、制作し、規定していかなければならないという帰結ですね。サルトルがやったボードレールとかフローベルの分析で、サルトルが創作の仕事を自己-作者自身とのある種の関係のせいにしているのをみるのはおもしろい、自己との関係が真正性の形であれ、非真正性の形であれ、ともかく。私はこれとまさに反対のことは言えないのかどうかと考えているんです。つまり、誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです。(『現代思想』「ひとつのモラルとしての性」1984年10月号)ここがフーコーが最期に到達した思想の地平だと思う。わたしはあらぬ空想をする。もしもフーコーがハイデガーやヘーゲルから遠く離れて存在の複相性を往還することができたら、最期のフーコーが手にしたパレーシアと情熱は生の全円性へとひらかれたと思う。

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思考の諸体系を古代ギリシアまで遡り、最後に自己の陶冶をつかんだフーコーにとって性はどんなものだったのだろうか。倫理の系譜はたいくつでつまらない、とくにギリシアになにかあるわけではない。この現代となにも変わり映えしないと言明する。片や、私のある人への情熱は、と語る。情熱の虜になったとき人はもはや自分ではなくなり、恋人が階段から帰るときその恋人をいちばん好きだと思う。私の嫉妬はシベリアの大河に勝るとまで言う。私的なつぶやきではない。わたしたちのしるフーコーの情熱についての発現はすべて公的な発言である。知るのが望ましい事柄を自分のものにする好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にしてくれ、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるかと問うたとき、考古学者としてのフーコーは崩壊していた。人並みはずれた才知によって真理と権力の関係のエピステーメーをつぎつぎ解明し人びとを驚かした華麗なフーコーの鮮やかな手法事態にフーコー自身が関心を持つことができなくなってしまった。ほんとうは8年間の沈黙でさえ、抱いてもさしつかえない疑問と、理解がかなう答えの範囲に留まっている。

あらためて問う。フーコーの主体の解釈学はフーコーに届いただろうか。届いていないと思う。フーコーの生存の美学は彼自身に届いただろうか。わたしがふれた存在の複相性の往還をフーコーは生きたことがあるだろうか。この畏るべき問いを、あるひとつの方法で追尋する。フーコーの正定聚まであと一息だ。

フーコーは表現の動因が内面にあって、その内面を外に汲み出すという、サルトルの表現論に真っ向から対立してきた。あるいはハイデガーやニーチェとの壮絶な闘いだった。死の直前になにかをつかみつつあったフーコーは、自己のとの陶冶と他者への配慮が分裂したまま単独者として最期を迎えたように思う。そこにひとつのモラルとしての性があると言った、今際の、フーコーの言葉がある。「その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです」なんどもブログで取りあげてきたこの箇所に鋭い切り込みを入れたいと思う。それがどういうものであったかキュルケゴールが考えた自己と対比し、フーコーの思想の緩みをとりだすことにする。キルケゴールは『死に至る病』で言う。「自己とは関係が関係それ自身と関係するような関係である」と。

なにか呪文のような言葉だが、かれにとってはとてもリアルなことだった。同一性が拘束する自己の謎をキルケゴールはキリストを媒介に生きた。神との関係において自己が自己となり、神を媒介にすることで他者も措定できると考えている。フーコーやハイデガーには自己に先立つなにかがあるという超越への知覚が欠けている。面々のはからいだから是非を問うてもしかたない。それこそ面々のはからいである。ただ自己が自己について言及するとき自己言及のパラドックスが生まれ、同一性と差異性を語るとき同義反復が生じてしまう。それを回避するためのさまざまなしかけがもうけられるが、最後はニヒリズムに帰順する。言葉が自分にとどかないすきまのことをニヒリズムと言う。そういう意味でキルケゴールは正直に自己を語っている。神や仏を媒介にしないと私が私に出会うことがなくはぐれてしまうと。そうしないとどうしても私が私にとどかない。

この空隙を埋める観念が神である。むしろ他力の神というべきか。ヴェイユの不在の神と言ってもいいかと思う。関係それ自身とはキルケゴールにあっては帰りがけのインマヌエルの原事実のことを指している。転回以降のヴィトゲンシュタインにあってもおなじことが言える。インマヌエルという事実によぎられることで、私は自己となり、その自己でもって他者と関係するということとなる。じつにシンプルなことをキルケゴールは言っている。わたしの理解ではこの信はキルケゴールにとって固有の信であり、共同化できるものではなく、それがキルケゴールの婚礼の部屋での生きる力になっている。ヴィトゲンシュタインの信もそういうものだった。だから還相の神をかれは秘匿した。語りえぬものについては沈黙せよとの格言もある。キルケゴールもヴィトゲンシュタインもおなじような息づかいをしながら生きたように思う。神という超越をぬきに自己を語ることは生の不全感をもたらすが、フーコーは主体は実体ではなく他性によってもたらされると言い切った。西欧的知性のひとつのおおきな達成だと思う。そしてそこに目に見えないちいさな空隙が隠れている。目を凝らさないと見逃してしまう、そこにフーコーの最期の思想の未遂が、ひっそりと存在している。フーコーにとって他者は神という超越ではなく、固有名だった。固有名の情熱はなぜ体験の固有値にならなかったのだろうか。自分が自分でなくなるとは自分を喪失することであり自分が壊れることではないのか。そしてその簒奪によってはじめてフーコーがフーコーとなる。このときフーコーは期せずして同一性の手前を生きている。そのことがフーコーにはどうしても分からず、他界への自殺を練りあげようと試みる。それこそ同一性の罠にかかることではないか。最期のフーコーになにが残されたのか。切り込んでみる。固有名の情熱とかすかに乖離する自己の陶冶に擬せられた単独の主体がフーコーが最期に手にしたものだった。主体は実体かどうかと問われてフーコーは答える。

<主体は実体ではありません。それはひとつの形式であり、とりわけこの形式はつねに自己にたいして同一になることはないのです。投票に行ったり議会で発言したりする政治的主体として自己を構成する場合と、性的な関係において欲望を実現しようとする場合とでは、あなたはあなた自身と別のタイプの関係を持っているのです。異なった主体の形式のあいだに関係や相互干渉があることもあるでしょうが、同じタイプの主体を目の前にしているわけではないのです。ひとは自己とのあいだに、それぞれの場合ごとに、異なった形式の関係を働かせたり確立したりするのです。そして真理のゲームと関係する、主体のさまざまな形式の歴史的構成にこそ、私は関心を持っているのです。>(『ミシェル・フーコー思考集成Ⅹ』「自由の実践としての自己への配慮」)

「主体は実体ではありません。それはひとつの形式」であると明言する。生はさまざまな形式の下でつねに同一のものとしてあらわれることはない。たしかにそうだ。自己の自己にたいする関係。自己のひとりの他者にたいする関係と家族。社会や共同性のなかの成因としての自己。いうまでもなく、フーコーはおなじタイプの主体を目のまえにしているのではない。しかしそれぞれの形式の自己を統覚しているのはいうまでもなく同一性である。自己を作品としてつくりあげたいというとき、ここでもかれの関心は自己にある。どこまで行っても主体の解釈術、生の技法である。そのこと以外にほんとうのことを言えばフーコーは環界への関心を喪失している。それほど自己の陶冶と情熱とパレーシアは深く結びついている。しかしどうしてもフーコーにはそのひらきかたがわからない。この機縁がフーコーに訪れなかったということかもしれない。そして1984年3月28日、コレージュ・ド・フランスの最終講義が行われ、講義のために準備されたノートの最期の数行が話されることはついになかった。

<最後に私が強調しておきたいのは以下のことである。すなわち、真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定があるということだ。真理、それは決して、同じものではない。真理は、他界および別の生の形式においてしかありえないのだ。>(『真理の勇気 自己と他者の統治Ⅱ』引用の文言のすべてに傍点が振ってあるがブログがテキスト編集なので傍点は略)

主体が実体ではないことも、主体が自己に対して同一にならないこともよく理解できる。吉本隆明の観念の位相構造をイメージすれば即座に了解できる。問題はそこではない。話されることもなかったフーコーの草稿の最後のメモにある「真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定がある」と「主体が自己に対して同一になることはない」とのあいだにはニーチェの風が吹いている。他性による本質的な措定も、主体はさまざまな自己をもち同一なものとはならないも、同一性の俎上にある。このメモでいちばんはっきりさせたかったのがこの箇所だ。フーコーでさえ気づいていない虚偽がここに存在している。「真理は、他界および別の生の形式においてしかありえない」とフーコーが書くとき、フーコーの意識は同一性の意識の線状性を外延していることにしかなっていない。他界の形式はみごとに同一性の拘束衣を佩いている。真理は共同幻想の彼方に外部としてあるとでもいうのか。なぜあの聡明なフーコーがこんな雑なことを言うのか。それほどに同一者の思考の慣性の根が深いということだ。外延知のなかには情熱の虜になって自分が自分でなくなることを収める場所がないのだ。この情熱は同一性に収まるはずもない。それでしかたなく他界とべつの生の形式を等格なものとして自己意識の外延表現にとどめようとした。それが自殺を練りあげることにほかならない。性の歴史を遡及し、自己の陶冶を手にしたフーコーはパレーシアを発見した驚きを大部の3冊の講義録で詳細に語った。それにもかかわらずフーコーの情熱とパレーシアは依然としてモダンな自力の信からぬけでていない。ほんとうにはフーコーの生はひらかれていない。ただ内包の近傍まできたことはたしかだと思う。近傍の幼童として加えてもいいと思っている。

ただフーコーの幼童は外延知の雑味を含んでいる。ある時代の真理とみなされる知と同期することで、その時代の人間の主体が形成される。主体はつねに遷ろうもので時代を貫通する普遍性はない。主体は世界の属躰化の派生態としてのみ存在する。いかなる意味でも主体が共同幻想と関係なく脱分極することはない。共同幻想に隷属する心性を語ることは可能だろう。しかしそこに生の固有値が存在することはない。遭ったこともないフーコーはおおまかにそういうことを考えていたように思う。

何度も何度もくり返し引用しこの言葉への感想を書き連ねてきたが、今回は「倫理的活動の核」について、いままで書いたことのない初めての意見を表明する。サルトルらの内面という思考の慣性に依拠する表現理念にたいする違和感がフーコーのなかに長くあった。どうやればヘーゲルやハイデガーの呪縛から逃れられるか、考えに考えた。それは疑う余地がない。主体は実体ではないという粗視化された自然からフーコーは出発したからだ。

「人間の精神的変革が国家の変革の条件なのか結果なのかという古くからの議論についても、そもそも、個人が〈主観性〉〔自己についての自己の意識〕という形で自己と保つ関係は、実は権力の関係ではないのかと問うてみる必要がある」(『哲学の舞台』所収「政治の分析哲学」)と考えきたフーコーは、『性の歴史』第三卷『自己への配慮』刊行のあと「つまり、人が自己自身に対して持つ関係のあり方、自己との関係で、それを私は倫理と名づけているわけで、この自己との関係が、個人がどのようにして自分自身の行動の道徳的主体としての自己をつくりあげるとみなされるかを決めているんです」(『ひとつのモラルとしての性』)

ここでフーコーは主観という主題の理解を転調して語っている。このくだりを読んだとき、鳥肌が立つ思いがしたことを覚えている。この転調の核心に「倫理的活動の核にあるような創造的活動」が位置している。フーコーはつぎのように語っている。

<誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです。>(「ひとつのモラルとしての性」)

フーコーの考えたことをさらに徹底して考えるとかれの思想の未遂がみえてくる。自己の生を作品にするにはどうやればいいかと考えた末に、「その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけて」考えればいい。ここで個人が主観性という形で自己と保つ関係はいつもとはちがう自己からの離脱を可能とすることになる。それがかれの生涯をとおして生きた自己という自然だった。ここで自己への配慮は同一性的な自己の陶冶として完成する。それもまた自同律の戯れではないか。

さらに踏み込む。なぜ「その人」なのか。自己が自己に回帰するだけではないか。自己が他者を自己として生きる分身論とどこかちがうのか。わたしの理解ではフーコーの考えた倫理的活動の核は〔領域〕としてあるのであってその人という〔点〕ではない。〔点〕はどうであれ、自己という主体に自己言及的に回帰する。真理が他性によってもたらされるものだとしても。その真理も聖道門の自力の信を免れることはない。

主体は倫理的活動の核からおのずと湧きあがる出来事で、その刹那、同一性は人為とは無縁に自然(じねん)に拡張されている。親鸞がフーコーに問いかける。あなたの言葉はほんとうにあなたにとどいているかい。フーコーはなんと答えるだろうか。コレージュ・ド・フランスの名利を生きたフーコーと、古代ギリシアのパレーシアをつかんだフーコーの、埋めようのない乖離。尽きることのない問いがある。生きていれば95歳。コロナ禍に直面して57歳で亡くなったフーコーはどうふるまうだろうか。まちがいなくとまどったと思う。バイオ工学、AI、ゲノム編集の急速な進展はフーコーの身体を貫く生権力の予測をはるかに裏切るものであったに違いない。それにも関わらずある人の情熱のなかでフーコーは終命することなく内包という観念の母型を逍遙游しているにちがいない。外延的な生の終命は内包自然の大地では生としてうけつがれる。

    8

真理と権力と主体の関係をそれぞれの時代の知の布置のなかで解明したフーコーの華々しい業績に比して、では現下どうすればいいのかということに対してフーコーはほとんど処方箋を出さなかった。個別の研究者としての禁欲と矜恃があったのかもしれない。狂気の時代の知の布置。そこでの権力と真理。監獄の誕生とその時代の知の布置。またそこでの権力と真理。時代の思考の慣性がどのようにつくられたか、フーコーは仔細に分析し、その時代の自然が粗視化された。古代ギリシアに到達し自己の陶冶を手にしたフーコーは情熱をパレーシアとして生きることに忙しくて真理と主体と権力という主題を放棄したのではないかと思う。それは生涯に渡って長く厳しい思考の探索を持続してきたフーコーに与えられたささやかな贈与ではなかろうか。

フーコーの生権力論は権力が上からではなく下から来るということをみごとにつかみだしている。だれもなしえなかった卓越した思想だ。フーコーの生権力論をこの世界の現場に適用してみよう。コロナの恐怖を煽られみずからこぞって両手を差し出し縛ってくれと言っている。権力の毛細管現象の典型だ。フーコーは生権力を実証したと言える。ふと思う。このみごとな分析は事態を追認するだけで、ではどうしたらいいかという処方箋はまったくない。ヘーゲルの知がナチとスターリンを必然とするように、ヘーゲルを外延したハイデガーの知の延長にフーコーの思想もある。そうだとしたらコロナ禍を俯瞰することしかできない。ミシェル・フーコーは『知への意志』の末尾で、18~19世紀の生政治の登場を記述しながら、一方でつぎのように言っている。<人間は数千年のあいだ、アリストテレスにとっての人間のままだった。つまり、生ける動物に政治的な能力を加えたものである。近代の人間はというと、政治において、生ける存在としての自分自身の生が問いただされる動物なのである。>ここからは現実へのどんな処方箋もでてこない。晩年の自己の陶冶と情熱とパレーシアを手にしたフーコーは身の置き所を探しながら緩慢な自殺を試みることに熱心で、統治について、知について、関心を喪っていた。それがフーコーの探し求めた作品としての生である。フーコーの思想に現実の指針を求めることはできない。

アガンベンはフーコーの生政治を参照しながらつぎのように言う。領土、国家から人口国家への移行の帰結として、国民の健康と生物学的生が、主権権力の重要性を途方もなく増大させ、主権権力は徐々に人間の統治へ変容しているという。フーコーの生政治のその後の研鑽を目にすることはもうできないので、剥き出しの生そのものが政治化されたということは20世紀のナゾ(ナチズム)を生政治の文脈で解くことを意味する。この問いが解けないうちにコロナという科学の暴走が引き起こした災禍のただなかにいる。フーコーの生政治もアガンベンの生権力も、科学知の隷属化にわたしたちの生を強制的に置く急激な社会の変質に対応できるとも思えないし、社会は壊れ、例外状態が恒常化しつつある。

剥き出しの生がバイオ・ファシズムに曝され家畜のように排除されるとどうじに拘束される。PCR陽性者の自宅待機は自宅放置ならぬ現代の姥捨て山となっている。異常が状態となる例外社会の到来。コロナ禍は序章にすぎず、一群の家畜まで零落するかもしれない。いやなことだが、カール・シュミットの主権の定義を想起せよ。主権者とは、例外状態に関して決定する者のことである。いまなにが起こっているか。「生政治的な身体を生産することが主権権力の本来の権能なのである」(『ホモ・サケル』)いま起こっていることの実情に近くないか。

たしかにフーコーの知の諸体系をめぐる考察は壮観だった。『臨床医学の誕生』(1963年)『狂気の歴史』(1961年)『言葉と物』(1966年)『監獄の誕生』(1975年)まで、意表を突く散乱する知には追随を許さぬ思考の強靱さがあった。狂気は理性によって発見され隔離を受け、犯罪者は一望監視施設である刑務所に収容され、軍隊は調練による服従を、学校は従順を強いられる。そのなかで18から19世紀にかけて身体を貫く生権力が生の領域に深く浸透し始めたことを解明した。上から下へという禁止・抑圧・排除の権力の公準はフーコーによって下から上への権力の毛細管現象として置換された。マルクス主義とまったくことなる権力の概念をフーコーは創案したことになる。それは20世紀を覆い尽くした全体主義国家の陰鬱な大気の圧力への批判ではあったが、教師収容所を分析することはなかった。

アーレントは全体主義について書いている。

<あらゆる全体主義的統合の最終目標は、全面的な統治への、自由に選択された、長期にわたる野望であるだけではない。・・・強制収容所は全体的支配の実験場である。というのは人間の本姓がそのままである以上、この終局は、人間の手になる地獄という極端な情況においてのみ到達されうるものだからである>(『ホモ・サケル』166p)

アガンベンはアーレントの所論をひっくり返して考える。

<つまり、剥き出しの生の空間(つまり強制収容所)へと政治が根源的に変容したことのほうが、全体的支配に対して正当性を認め、これを必要とするのである。政治がかつてないほど全体主義的なものとして構成されえたのは、現在にあっては政治が生政治へと全面的に変容してしまっているからにほかならない。>(同前)

アガンベンは剥き出しの生をローマの古代法に登場する「ホモ・サケル」なる存在に着目した。周囲に危害を加えた者を処罰するにあたって、古代ローマ人はその者を「ホモ・サケル」(聖なる人間)と呼び、法律が適用されることなく殺害される。聖なる者であるがために供犠されることもない。例外状態に関して、剥き出しの生を屠ることが、決定を下す主権によってその殺害が聖なるものとなる。フーコーの西欧近代の精緻なエピステーメーの分析から抽出された生政治より、アガンベンの剥き出しの生を生きたホモ・サケルのほうが歴史の実情に近いような気がする。なにしろ、それは、いま、ここで、起こっていることでもある。トリアージとして。

生政治をわたしの言葉に置きかえる。他者を自己の生存の手段とするとき、人間の人間にたいする関係は是非の余地なく剥き出しの生を生きざるをえない。

アガンベンは『現代思想2020 5』に3つの短文を寄せている。「エピデミックの発明」(2020年2月26日)「感染」(2020年3月11日)「説明」(2020年3月17日)

イタリアを新型コロナが襲い、多数の死者が出たそのさなかで、ジジェク、アガンベンはメモ書きしている。当惑だけが伝わってくる。なぜ科学という名の宗教にすべてのものが憑依され戦慄しかないのか。おそらく、かれら、アガンベン、ジジェク、ナンシーらがパンデミックの核心に踏み込んでいくことはないと思われる。アガンベンは言う。私たちの社会は剥き出しの生以外のなにも信じていない。生き延びる以外の価値をなにももたない社会になってしまった。諸政府が私たちを慣れさせてきた例外状態が通常のあり方になってしまい、生が生物学的あり方に縮減され、人間的な価値を全て喪失した。私たちはセキュリティ上の理由で、自由を犠牲にして、更に、デジタルな交信により、人間と人間をテクノロジーを媒介にすることになった。おおよそアガンベンはこのような気力のかけらもないことを書いている。『アウシュビッツの残りのもの』を書いたジョルジュ・アガンベンはいったいどこに行ったのだ。人文知の無力。科学知の専横。文理横断の知を鍛えるしかない。言いかえるとじぶんのあたまでいま起こっていることを腑に落ちるまで考え、じぶんの生き死にをじぶんできめること。そのためのツールとしてスマホもPCもインターネットをとおしてひらかれている。

この世のしくみの真理と権力を、卓越したフーコーが分析するとき、意表を突く驚きがいつもそこにあった。つくられた観念によって世界が違った風景としてみえてくる。その斬新な解析に驚きの連続だった。では、どうしたらいいのかという処方箋はもたないのだろうか。外延知は世界の成り立ちを説明することはできるが、もともと解けない主題を解けない方法で解こうとすることしかできない。そういう意味ではヘーゲルが悪いのでも、マルクスはよいが、マルクス主義が悪かったということでもない。なぜどうやってもうまくいかないのか。外延知が「社会」主義の視線をつくることしかできないからである。この視線のなかにありとあらゆる剥き出しの生存と殺戮がある。

トリアージについて申し述べておく。戦闘中の野戦病院でのトリアージはわかる。この社会で起こっているトリアージをどう考えればいいのか。医療制度の欠陥に最大の原因がある。そのことは脇に置く。なにがもっとも困難な問題か。死の受容のあり方に尽きると思う。わが身に置きかえてトリアージを考えてみる。わたしのこととして。トリアージについてさまざまな意見があることはわかる。医療制度の問題であることも。避けようもなくじぶんがそのことに直面したとき、わたしは起こったことはすべて善しと考える。後知恵としてはなんとでも言える。終命が意識の外延性として生の途絶であるとしても、内包では死は生としてしか存在しえないから、トリアージについて本質的にいえば外延的な倫理は意味をなさない。生の果てに死があり、その死が人為によってもたらされるとき当然のこととして人倫は激しくトリアージを拒絶する。わたしは問う。問いかける。トリアージを避けることができないとき、トリアージの人倫はどこにあるか。わたしはどこにもないと思う。だからあらためてありうるじぶんのこととして言う。どちらでもいい。どちらでも変わらない。なぜなら終命は意識の外延性としてだけ存在するもので、内包的な意識のありかたに終命は存在しないからだ。トリアージは医療の問題であるようにみえるが、医療を超えた生死のありかたに帰結する。

    9

フーコーの思考の軌跡をたどりながら、むかし時空について考えたことを貼りつける。わたしはフーコーの情熱とパレーシアをフーコーとはちがうかたちでひらこうとした。

<ここで人間の生命形態を〈かたち〉と言い換えてみる。〈かたち〉は恒常体なので〈かたち〉と〈かたち〉は隔たっている。〈かたち〉ともうひとつの〈かたち〉との隔たり、〈かたち〉とたくさんの〈かたち〉との隔たり、〈かたち〉と環界との隔たりがある。〈かたち〉のたわみやしなりがかえって隔たりにさわる作用、これが空間という概念の起源だ。そのときはじまりのプリミティブな空間に〈かたち〉の自然が埋め込まれた。もうひとつおおきな軸がある。〈かたち〉のたわみやしなりがおなじ〈かたち〉にかえろうとする作用、これが時間という概念の起源だ。そのときはじまりのプリミティブな時間に〈かたち〉の自然が埋め込まれた。つまりヒトの形態の自然に順伏して時間と空間の格子があらかじめ埋め込まれたことになる。
ヒトの形態の自然はこうして写像され、時間と空間の発祥をもったことになる。ヒトの生命形態の自然からながれくだった時空の起源や、そのとき陰伏された格子の時空のどこにも倫理や意志や交換は入ってこないしその余地もない。ただ、〈かたち〉のたわみやしなりのおのずからなるふるまい(自動作用)がゆらいで、観念の素子があぶりだされるようにプリミティブな時空を表現するほかなかったことはたしかだという気がする。そして陰伏されたはじまりの時空の格子に沿って、人間のあらゆる観念が順伏してながれおりていくことになった。

すこし気楽にイメージをのばしてみる。ヒトは〈かたち〉を延ばしたり折り曲げたりして隙間を充足しようとした。彼女との隙間を埋めたいな。水平になると、ほんと隙間がなくなる。そうか、対関係の自然ってこんなことだったのか。・・・太古のおれがじぶんにさわる。この情動と隔たりとのずれが、じつは時間と空間のずれなのだが、〈かたち〉が〈かたち〉にふれることのずれとして了解される。時間が直線になる謎がここにある。

時空の格子模様は不変ではない、自然のイメージを変えれば、自然はちがって立ちあがる、相対論はそういっているような気がした。多義的な自然があって、複相の粗視化がある。相対論が時空の相関をくずし、ゆるんで何かにはずみをつけた。ほんとうは〈在ること〉のたわみやしなりのゆらぎがあるだけではないのか。そしてこのゆらぎを時間と空間に整序にしただけではないのか。形態の自然が時空を順伏し、形態の自然がこの謎を陰伏した。>(『内包表現論序説』所収「自然論」384~385p)

直感的にはつかんでいたのに「この謎」をひらくのにおよそ30年を要した。この謎はいま、わたしのまえに内包という観念の母型として同一性の遙かな手前にひろがっている。不思議なことだが30年前といまが自然につながっている。これまで書いてきたものからいくつかをパラフレーズしてみる。

存在するとは別の仕方で、存在することの彼方ではなく、外延的な存在の手前にある存在の複相性から派生したある観念の型が同一性であり、観測者問題が解けないのは、物理学の問題ではなく、同一性がそれ自体にたいして対称性の破れを包含していることに起因しているように思う。あるものがそのものに等しいという自己相等の原理はエントロピーのわかりやすさよりはるかにいりくんだ思考の慣性を形象してきた。それが人類史であるというほどに。その物理学的な表明が観測者問題となっていつまでも解けずに物理の世界を漂っている。

内包という母型から根源の性が弾けて心身一如の同一性的な生が表現され、自己の自己についての意識が分極し、自己の意識と環界が相互に規定し合い、さまざまな自然がつくられ、外延的な生は生の終わりに脱分極し、内包という母型に回帰する。生は内包と共に始まり、ある時間を外延的な生として生き、再び内包に回帰する。個人の生涯も内包から外延を経て内包に回帰し、歴史もまた内包から生まれ、一時期、外延史の世界を描き、やがて喩としての親族から内包という母型に回帰する。誕生と終わりのふたつの内包にはさまれて自己と歴史という外延的な表現が存在している。

生誕と終命が内包という観念の母型に円環していることが、存在の複相性を往還することにつながり、そのことがリアルに感じられた。死が生の一部であることはたしかだが、では、生誕と終命のあわいの生涯、つまりわたしたちの個々の生ということだが、内包という観念の母型とどう関係しているのか。そのことがすこし言えたと思う。わたしの思惑としては、生と死という二項対立をわずかに組み替えることができた。存在の複相性を往還することで内包という観念の母型となめらかにつながる。この自然な過程のどこにも死はない。ここで言われる死は意識の外延性の終局の出来事である。どこに終命があるか。意識の外延性のなかにしかない。内包自然からすると死は生の一部でしかない。だから終命とは内包という観念の母型への生まれ還りである。性を内包した人間という生命形態の自然はそういうものとしてある。

三人称を疎外しない人間の関係なぜ可能か。根源の二人称を分有する内包的な表現は二分心に行き着くことがない。それはどんな歴史の概念かと問われると、歴史ではない自生する幼童であるということになる。内包という観念の母型から擬音(オノマトペ)が内包的に表出され、存在の複相性を往還しながら生きるとき、存在の全円性が共同性を疎外することはない。幼童という精神の古代形象が共同性の言語との接点がないということは、べつの言い方をすれば、フーコーが牧人司祭型権力の起源を考古学的に考究し、ひとつのモラルとしての性を発見し、自己への配慮に至ったこととどこかで相関していると思う。

それにしてもなぜヘーゲルやハイデガーはともかくとしてフーコーまで論難しなければならないのか。状況の変化がおおきい。いずれの人文知の思想家も、解けない主題を解けない方法で解こうとすることは共通していた。この世界を駆動しているのは圧倒的に科学知と技術であって、AIと生物工学が凄まじい変貌を遂げ、生を科学の属躰としそれを新しい自然だと粗視化されている。いまこの力より強力なものはこの世界に存在しない。世界が一瞬ででコロナ一神教を生みだした。人びとの行動変容がおどろおどろしいCOVID-19の虚像によっていとも簡単に強いられた。人びとが進んで両手に手錠をかけてくれと私権の制限を望んだ。国家権力が圧殺したのではない。権力は下から来る。社会を防衛するには私権を制限するほかない。2012年にジェニファー・ダウドナが「Science」に発表したクリスパー・キャス9というゲノム編集の画期的方法は一瞬で世界に拡散した。分子記号を1文字単位でエディタみたいにカットアンドペーストができる。ユヴァルもこの方法に腰を抜かした。ゲノム革命からすでに10年が経つ。是非はともかくダウドナはすでに古典でゲノム編集には驚天動地の進展があった。mRNAという史上初の人工ワクチンもこのなかにある。否も応もなく人間という概念は不可避にリセットされる。

あらためてなぜヘーゲルやハイデガーやフーコーの批判をするのか。科学知の暴走の根元に同一性があるとしたら、科学知を批判する人文知も同根だからだ。思考の公準をかたどる同一性を拡張しないかぎり、医学知の土俗性を批判する人文知の軽い言葉が、素朴な実在主義を疑うこともない、知性の低さを誇る疫学や感染症学を撃っても弾はかすりもしない。コロナ一神教という共同幻想にべつの共同幻想を対置することは可能だが、これまでの考察では科学知も人文知も外延知の派生態であるから、科学知の暴走を人文知が阻止することはできない。そこで作動している観念の運動が同一性を公準とするものだからである。いま惑星規模の自然生成によって世界は覆い尽くされている。外延知のなにがいちばん問題なのか。分別不能なほど自然はさまざまに粗視化されてきたが、例外なく、精神の内在史と文明の外在史という拘束衣をかけられ、その全体がニヒリズムであるということにつきる。文理を横断することのできない人文知の口舌は後退に次ぐ後退をバイオ・ファシズムによって強いられ、コロナ一神教を根底から批判する文理を横断する知は姿をみせず、知が知として自律する根拠から、言いかえれば、すでにわたしたちは内包の世界から世界に反撃し、外延知ではない世界をつくることで、存在の複相性を往還し、総表現者による内包知の豊穣な世界を実現していこうと思う。それは幼童の可能性を問うことにひとしい。そのかすかな兆しをこれからみていくことにする。

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「歩く浄土275」の感想を片山さんが「今日のさけび」で長く書かれた。そのなかでいくつか存在の複相性を往還することにふれた言葉たちがあったので取りあげたい。コロナ禍のただなかにあって、処方箋のないフーコー的世界を超えていく予兆が感じられる。少し前に「今日のさけび」(2020.5.13)で片山さんはつぎのように言っている。

<歴史を貫く永遠にして普遍なる真理は存在しない。どんな真理も歴史的なものであり、過渡的な力の組み合わせに過ぎない。そしてある時代、ある社会において、特異な形態の真理を語らせるものこそが「権力」である。フーコーが『言葉と物』や『監獄の誕生』、さらには『知への意志』で示した権力とはそのようなものだった。

 するといま、ぼくたちが目にしている権力とはどのようなものだろう? 動くな、閉じこもれ、接触を避けよ、集まるな……これらを「真理」として語らせているものが権力ということになる。誰かが、あるいはどこかが(たとえばマスコミやGAFAや製薬会社が)権力を保有しているわけではない。権力を行使する主体と呼べるものは存在しない。絶対権力を保持していた専制君主ですら権力の主体ではなかった。権力とは「真理」を語らしめる力の諸関係とでも言うべきもので、これを可視化することはとても困難である。

 真理には色がついていない。ある明確なイデオロギーを後ろ盾にしたものではないのだ。ぼくたちが遭遇する真理は、いずれも客観的でニュートラルな科学知として語られる。しかもぼくたちの健康や生を気遣ってくれている。だがまさに、そうした親切で思いやりのある真理を語らしめるものが、権力なのである。だとしたら、ぼくたちはどこで権力に抵抗すればいいだろう。どうすれば目に見えない権力の網目から逃れることができるだろう。>

色のついていない真理に群れて抗することは意味がない。生の現場で大地に素足で立ち各々がほかならぬじぶんの地声をあげること。じぶんのあたまで考え単独で行動するしかない。それが処方だ。わたしはだれもがいやがる3つの病気に対してそう対応してきた。コロナ禍にもおなじように対応していく。しかしそれは猶予のないときに事態に即応して対応することで、ゆるゆると考える時間の猶予があるときはべつのことを考える。この世のしくみをどうやれば生まれてきて丸儲けにすることができるか。ある時期からわたしは人間という概念はフーコーが焦がれたように終焉するものではなく、人間という概念の幹を太くすればいいと考えるようになり、存在の複相性を往還する幼童の世界をつくろうとしている。ここに世界の可能性があると思えるからだ。

人類史を鳥瞰すると、戦争、飢餓、疾病、それらに伴う大量死があり、むきだしの生存競争が熾烈に繰り広げられてきた。大国の攻防と滅亡。人びとの生は虫木草魚にひとしかった。そのくり返し。むきだしの生存競争はいまではハイパーリアルになってしまった。これからもその強度はさらに熾烈になっていく。それにもかかわらず、ハイパーリアルなむきだしの生存競争よりはるかに豊穣な世界がわたしたち個々の生に、その生より近くに根源のふたりが実詞化不能だが現存している。まだだれも気がついていないと言っていいが、同一性がかたちづくる外延知の手前に、知識人と大衆という生を睥睨し、引き裂く生存競争をつつみこんでしまう、内包自然が、だれのどんな生のなかにも内挿されている。神や仏よりはるかに善きものとして。なにより知識人の虚偽意識がこの世界にはない。総表現者の無限の表現の階調があるだけで、だれもがそのひとつを面々のはからいとして生きることになる。

フーコーが『言葉と物』の第一章でベラスケスの「侍女たち」を書いたときかれは一箇の批評の概念をもっていた。逆に言えば固有の批評の概念ぬきに作品の批評をなすことはできない。また作品がフィクションであるように、批評もフィクションである。さらに作品がナラティブであるとしたら、批評も同様にナラティブである。そのような批評は総表現者という作品の粗視化ではじめて可能となる。どうして片山さんの作品の亜紀の死が朔太郎への贈与となり、また『なお、この星の上に』で認知症の清美を作品として取りあげるのだろうか。死を発明することは生を発明することと同義である。生を発見することによってこの世界の行き詰まりを超えていこうとする意志を感じるからだ。かれはフーコーのベラスケスの「侍女たち」がなしえなかったことを小説という形式で超えかかっている。その兆しをたしかに感じることができる。

フーコーの膨大な著作や発現をめくり返し、フーコーが考えようとしたことをたどりなおしたが、マルクスの思想に秘められている途方もない熱量を感じることはなかった。フーコーよりマルクスがすぐれていると言いたいわけではない。勃興する資本主義社会の矛盾に抗してかくあれかしと夢想した野性のマルクスの熱い情動は第二次世界大戦後という時代の申し子であるフーコーにはすでにない。ニーチェとハイデガーを師とするわけだから行きつくところはニヒリズムの解釈しかない。影響を受けながらその圏域から逃れようと凄まじい格闘をしたにちがいない。戦後のフーコーの思考諸体系の相対化は、あたかもCTの造影剤下での断層図に類比され、そのエピステーメーは望外の結果もたらした。マルクスの思想を19世紀的な知の表象とすることで、マルクスとはまったく異なる権力論を構想しえたということだ。卓越した知性は資料を丹念に読み込むことで世界をどのようにも解釈できたし、その鮮やかさにわたしたちは魅了された。人間の終焉を語るフーコーにわたしは慰安された。フーコーは人間というあつくるしい概念を物の秩序のひとつの系に押し込めたくてたまらなかった。それはかれのタチでもあり時代性でもあった。

そのフーコーがある機会に情熱に遭遇する。だれも崇高な理念によって人であることはできない。それらは虚偽意識にすぎない。ではなにがフーコーをフーコーたらしめたか。フーコーの情熱である。わたしはフーコーの学問的業績よりもフーコーの情熱とその行方のほうに関心がある。フーコーの書誌学的研究者には理解しがたいフーコーの情熱のなかにだけフーコーの思想の固有値がある。わたしはフーコーの情熱を深読みし、フーコーの卑小な情熱のなかにフーコーの夢想したマグマのような偉大をつかもうとした。それは最近の片山さんの発言や『なお、この星の上に』の到達点を媒介につかむことができると感じた。外延知から内包知へと片山さんの小説は越境しつつある。もう少し片山さんの考えていることに耳を傾けてみる。

<二つの言語があると思う。曲率ゼロの平面で流通していく誰にでも通じる言葉(パブリック・ランゲージ)と、曲率が違う体験の固有値が織り込まれた〈ことば〉が。文学の種は言うまでもなく体験の固有値が織り込まれた〈ことば〉にあるのだが、それを語る言葉は曲率ゼロの平面にしかない。この葛藤の強弱によってさまざまな色合いの文学、ジャンル(詩からエンタメまで)が生まれるのだと思う。

 ヴェイユの言い方では「集団の言語」と「個人の言語」、あるいは「公衆の場所での言語」と「婚礼の部屋の言語」ということになる。小説のなかで亜紀と朔太郎が交わす最後の言葉も、「婚礼の部屋の言語」であったはずだ。「また見つけてね」「すぐに見つけるさ」という拙いやり取りは、当人たちのあいだだけでしか本当は通じていない。二人のあいだでは言葉と言葉のあいだには隙間がなく、したがって「拙い」などといった下品な観念の入り込む余地もない。このとき二人は、おそらく亜紀でも朔太郎でもないものに触れている。>(「今日のさけび」2021.4.22)

ものすごく大事なことが言われている。「また見つけてね」「すぐに見つけるさ」のむつみ語の間にすきまがないということ。なぜすきまがないのかというと、「このとき二人は、おそらく亜紀でも朔太郎でもないものに触れている」からということになる。亜紀からは朔太郎に向けて、朔太郎からは亜紀にむけて、生が全面的に明け渡されているからだ。全面的に明け渡された「亜紀でも朔太郎でもないもの」とはなにか。根源の一人称であり、事後的に分節された還相の性である。還相の性と〔共〕にあるとき、亜紀は朔太郎であって、どうじに亜紀でも朔太郎でもない。ここを生きたら文学の概念は根底から変わると思う。この場所は内面化することも共同化することもできずそれ自体の領域としてある。わたしは体験のこの場所のことをなにものにも還元できない体験の固有値と言ってきた。根源の性を分有するとき、亜紀はそのまま朔太郎になり、朔太郎はそのまま亜紀になる。この驚異を還相の性と言ってきた。還相の性はここに留まらない。還相の性からもうひとつの全面的空け渡しがひらけてくる。この広々とした空き地に有縁による内包親族が棲みつくことになる。還相の性が起点となり、還相の性が統覚する有縁による内包親族がおのずとあらわれる。おそらくこの内包知は理念というよりは人間に与えられた智恵だと思う。外延知を同一性が統覚してわたしたちのしる人類史をつくってきたのはいうまでもない。そしていまハイパーリアルな剥き出しの激烈な生存競争の淘汰圧にさらされている。同一者の思考は自己と自己、自己と他者、他者相互に不可避にすきまをつくる。そのすきまに身体を貫く権力が真理としてしのびこんでくる。これを避けることはできない。

わたしたちが粗視化した自然-人類史ということだが-は外延知に閉じられている。そこでは、パブリックな言語から閉じていく精神の退避する場所を内面と呼び、内面の表白を文学と呼ぶ思考の慣性が自然な感性として生きられてきた。わたしにはむしろこの精神の場所とは次元の異なる内包自然からこぼれてくる表象を文学と呼びたい衝動がある。死はふたりを分かつものでなく、なにより固く結びつける。別離はなく、内包自然のなかで生の一部へと転位する。亜紀と朔太郎が触れているものはなにか。根源の一人称である。ここで、外延的な生の途絶はあたらしく生きられる生へと反転する。なぜ死が追憶する未来として生きられるのか。生といおうと死といおうと始まりにある内包という観念の母型を往還するにすぎないからである。だから死は体験の固有値への贈与である。おなじことを片山さんも言っている。「死は他者から贈与されるものだと思うのです」(「今日のさけび」2021.3.31)

死を贈与される側から言うと、一休さんの味のある言葉を少し変奏できる。一休さんのいまわの言葉。「今死んだ どこへもいかぬ ここにおる たずねはするな ものはいわぬぞ」は象徴的な禅仏教の境地が言われていて心地よいが足らぬものがある。あと一言付け加えることができる。内包ならいま死んだ。どこにも行かぬ、あなたになる。内包という観念の母型に回帰するとはそういうことだ。このわずかな違いのなかに世界や人類史の命運がある。もう少し踏み込んで言うと、インマヌエルもまた神に仮託したニヒリズムを粉飾したものではないかと思えてくる。ニーチェはそのことが言いたくて天に唾し、嫌われ、それを感知したフーコーは自分はニーチェ主義者だと言った。そのニーチェもフーコーもニヒリストだ。ヘーゲルがそうであったように。始まりの不明をひらくとはどういうことか。一休さんになぞらえて言うと、今、死んだ、どこにも行かぬあなたになるということになる。この不思議を同一律で指さすことはできない。それにも関わらずこの不思議は同一律に先立って、問いに先立つ応答として表現として可視化はできないが実在する。1を手のひらの上に取りだすことができなくても1という観念が実在するように。

久しぶりにこれが文学という言葉に出会った。なにが文学であるか恣意的なものだからわたしの批評に普遍性があるかどうかそれはわからぬ。『なお、この星の上に』(エピローグ:epi-17)で健太郎は清美を追想する。鮮やかに残る印象の数々を健太郎は清美に語りかける。健太郎と清美の関係において既存の文学は超えられつつある。文学は言うに及ばずコロナ禍は取るにたらないものとなり、この世のしくみも一新する。

<あの春の野原からはじまったんだ。遠い春の日の、ほんの一瞬の出会い。あれが最初だった。最初の不思議な出来事だった。あれからいろいろなことがあった。幾つもの野原を通ってきた。そのたびに自分というものがはじまった。誰かと眼差しを交わし、交わした眼差しのなかに新しい自分を見つけた。いつも誰かが見てくれていた。その眼差しに包まれて生きてきた。だが、あれが最初だった。多くのことが変わっても、いろいろなものが消えてなくなっても、何も変わらない。何も消え去りはしない。変われば変わるほど変わらない。わしもおまえも。だから清美、安心していいんだよ。おまえが少しずつ消えていき、他の誰になっていこうと、おまえはおまえだ。清美のままだ。>

迷いに迷ったあげく健太郎は認知症で施設に入所している清美を訪ねる。読者のわたしも迷いに迷って、ためらいながらエピローグ:epi-17を読んだ。清美についての健太郎の逡巡を読み返しながら、ルースルンドのエーヴェルト・グレースとアリスの関係や、ローレンス・ブロックのマッドスカダーとエレインの関係を思いだした。亜紀と朔太郎の関係は、『なお、この星の上に』で生き直されている。これまでにない生と死を片山さんは発明しかかっている。それはヘーゲル以降、フーコーの思想を超えて行くことであり、内面と外界に拘束された文学を外延知から内包知へ解き放つ行為になるはずだ。

「だから清美、安心していいんだよ。おまえが少しずつ消えていき、他の誰になっていこうと、おまえはおまえだ。清美のままだ」という場面は圧倒的だ。フィクションのままに実在だと思う。イエスの我が荷は軽いに似ている。わたしの言葉で言えばずっしりかるい性だ。清美に投げかけ、一瞬、清美にとどき、すぐ忘却されるとしても、この言葉のなかには永遠がある。そしてこの永遠より善きものはない。もしも生きることに意味があるとしたら、この出会いを手にするいがいにない。わたしたちの生はそのようにつくられている。根源の一人称が心身一如のもとに根源の二人称として継承され、還相の性を核として内包親族が巻き取られていくとき、この幼童の世界は三人称を疎外することがない。古代の言語が神話から国家へと収斂していくことは外延表現の必然だが、もうひとつの必然がある。幼童の世界は内包親族のひろがりからでることはない。生の原像を還相の性として生きながら内包親族のひろがりのなかですきに生き、やがて内包という観念の母型に回帰する。ここでは内包の生は政治や国家や貨幣という外延表現の対抗原理ではない。それ自体がまるごと生きられる世界である。そんなことができるかだって?できると書いてある。もうひとつ『なお、この星の上に』の最後に虚構がそのまま実在である物語の強度をもっている圧倒的場面がある。

<しばらく行ったところで背中に風を感じた。あのときの日差しの温もりが蘇ってくる。
「健太郎」
 声が追いかけてきた。彼は振り向いた。
「お花を摘んできてくれるか」
 無邪気にたずねている人は、おれよりも近くにいる。>

認知症の清美が健太郎がむつみ語で出会いのときを呼びかけると「健太郎」と応答する。一瞬の永遠。「お花を摘んできてくれるか」。永遠の不易。この場面を何度も何度も読み返しそのたびにうるうるした。これが文学だと思った。認知症の清美が花を摘んできてくれるかということを覚えているとは思えない。この場面は、健太郎にとっての一期一会であり、清美の死に臨むことと変わらない。今生の惜別の場面ということもできる。ドゥルーズがフーコーの情熱を分身論として論じるとき、つまり、私が私を他者の分身として生きることは、内部の投影ではなく外の内部化だという。一つを二分にすることでもなく、他者を重複することであり、同一を再生産することでもなく、異なるものを反復することだという。言われていることの全体が言葉遊びにしかなっていない。これではドゥルーズもフーコーも往生できない。ヘーゲル一門の門徒である深い由縁が物語られているというべきか。フーコーは情熱に駆られるとき自分が自分でなくなると公言している。誰かの創作行為をその人の倫理的活動の核と結びつけて考えるべきだというとき、誰かとその人は同一であり、倫理的活動の核に結びつけて考えても同一なるものが差異性として再生産されるだけで、フーコーの虚偽意識としては可能でも、天与の才をもつかれがそのことに気づかないのが同一者の思考の逃れがたさになるわけで、而してフーコーの生が作品となることはない。情熱のなかで自分が自分でなくなるということは自分が理不尽に簒奪されることであり、それこそが〔性〕である。〔性〕は同一性の手前にしか存在しない。不思議というしかないが、存在の複相性を往還すると、おのずからいやおうなく根源の一人称と遭遇することになっている。そこにはどんなはからいもない。そのことを片山恭一さんは『なお、この星の上に』の終わりで、「無邪気にたずねている人は、おれよりも近くにいる」と結んでいる。このシンプルな言葉を生きるとき、西欧の知的営為のすべてが、いやコロナ禍で引き裂かれる生の無惨が、まるごと更新される。況んや文学をや。

コメント

7 件のコメント
  • 倉田昌紀 より:

    こんにちは。
    存在の穴を塞ごうとする外延知の思考する「代理」としての「生存感覚」の穴を塞ぐことの不可能性について考えるヒントを、小生はここ276でいただきました。
    内包知によって「生存感覚」は「代理」としてではなく、可能性として一人称は三人称を疎外することなく、どこまで存在の穴を塞ぐことの不可能性を、必然性に転移することが可能なのでしょうか。この転移もあくまでも「代理」の強弱に終わり、存在の穴を塞ぐことは、不可能なのでしょうか?ここのところを、小生自身は、混乱して不安が感じているように考えております。
    ヒントをいただけましたら、幸いです。

  • 倉田昌紀 より:

    こんにちは。「歩く浄土276」の言葉は、小生には、フーコーを小生自身に惹きつけて、小生が自分自身の考えてきたことは、このようなことであったのか、と感じ考える多くのヒントを頂きました。

    一つ質問させてください。貴兄の感じ考え言葉にされた「身体」感覚についてです。
    「初めてのことですが、不思議な体験をしました。浄土が歩かなかった。痛みと息苦しさでいっぱいになるとこころの余白ができません。こころがなくなってわたしは身体になります。自力の及ばない苦もまた浄土ではないかと考えると気持ちが少し楽になりました。というのはかなりうそです。」(歩く浄土273)
    ここの「かなりうそです」という身体感覚の言葉から、276に続く左記の言葉の間にどのような身体感覚の言葉が、語られるのだろうか、と小生は自分自身の身体感覚を基準にしてですが、貴兄の身体感覚の言葉を参考にさせてもらって考えています。
    上記の273の身体感覚の言葉と、276の言葉は、どのように繋がるのでしょうか。身体感覚の次元や、思考の次元が異なるのでしょうか。
    「〔性〕は同一性の手前にしか存在しない。不思議というしかないが、存在の複相性を往還すると、おのずからいやおうなく根源の一人称と遭遇することになっている。」(歩く浄土276)
    〈いま死んだ、どこにもいかねあなたになるがあれば、なにがあっても大丈夫です。〉という言葉が、273の言葉から276の言葉へと、小生にとって繋がり埋める言葉の間の感覚を、話していただけないかと。
    急ぎませんので、いつか体調のいいときに貴兄の〈繋ぐ〉言葉を、聞かせて貰えると、ありがたいです。参考になる貴兄の言葉が他のところにあれば、「ここを読め」と、伝え頂けると嬉しいです。(このメールの言葉が、上手く整理することができていなくて、わかりにくいかとも思っています。)
    よろしくお願いします。

    • 森崎茂 より:

      よく読み込まれているなと感心します。数少ない読者にここに気づいている人がいるだろうかと思っていました。
      2018年5月の半ばの入院先の夜のことだったと思います。命がどんどん細くなっていくのを感じました。フーコーにも似た状態があったと思います。この場面をわたしの想像でフーコーに即しひとつの比喩として語ります。フーコーの情熱の人がフーコーの眼をじっと見て、腕を握り、もう少し長く生きて欲しいけど、それが避けられないことだったら、今晩でも、今でもいい、なにも心配しないで安心して死んでいいよ、と言ったら、言われたフーコーは往生できます。〔わたし〕は、わたしという自己と、〔あなた〕という自己にまたがってしか〔存在〕できないのです。厄介なことに心身一如に還元できないところに〔わたし〕は存在するのです。どうやっても同一者の思考のフレームには入りません。わたしはこの内包を生きています。フーコーについての分身論には、概ね長く、好意的にこだわってきましたが、同一律というフレームの枠内で内部と外部を差異性としてキャッチボールしてたことに今回気づきました。フーコーのその生もまた面々のはからいです。
      これも比喩ですが、『guan02』の辺見庸の感想に出てくるナサカやファルヒア(67~68p)のことになりますが、わたしなら彼女らを前にして、あんたの分は俺が腹一杯喰ってやるから安心して死んでいいよとまちがいなく言ったと思います。これは有縁による内包親族のことです。
      フーコーが情熱の人と根源の一人称をともに生き、この一人称を分有し、フーコーがフーコーになることは、フーコーが究尽した主体の解釈学とはまったく無関係の出来事です。フーコーの背後で息づく熱いものを、かれは同一者の思考の認識の枠組みに閉じ込め、そのことにいくらか気づきつつ生涯を終えたと思えます。

      • 倉田昌紀 より:

        こんばんは。失礼ながら、貴兄のフーコーの課題を惹きつけて読まれ、書かれる言葉は、小生には迫力を持って迫ってきてくれます。とても言葉が生き生きと小生には伝わってきて、励ましと元気を授けてくれます。(それというのも、フーコー本が出揃い、最近の『未完のフーコー』(雑誌『思想』2019年9月1145号の特集号)や『フーコー研究』2021年3月24日岩波書店刊、また同じメンバーでの『ミシェル・フーコー『コレージュ・ド・フランス講義』を読む』2021年3月30日水声社刊、などとの「フーコー本」と貴兄の思考のパワーと比べるのも失礼になります。)フーコーさんも、このクニでさまざまな読まれ方をするのですね。今回は、そのことを強く感じ、考えさせてもらっています。(フーコーを「賃労働」による生活の糧にされている「研究者」の方々の言葉と、比較することすら、恥ずかしく感じてしまいす。)

        貴兄の思考の鋭さや冴えを、どこからくるのか、と想像しながら、失礼ながら貴兄から教えて頂いた、釜池さんや安保さんの本も読ませてもらいながら、考えています。感謝しています。

  • 蝦名陸 より:

    こんばんは。
    夜遅くにすみません。
    蝦名陸と申します。
    北海道に住んでいます。
    今年はたちになります。
    今年に入ってから、guanに出会いました。
    内包に出会いました。包まれました。

    じぶんはまだあまりにも勉強不足で、森崎さんの「ことば」に耐えることばを紡ぐことはできません。しかし、わかるのです。たしかに、わかるのです。わかるからこそ、もどかしくて仕方ないのです。片山さんが、「100年後にはスタンダードになる」とTwitterで仰っていましたが、100年後でいいはずがない。一刻一刻この現実という地獄の炎が誰かを焼き殺している。とても耐えられません。焦ります。これは若さだと思います。が、若さがなんでしょうか。私はまだ何も残していませんが、ラディゲの言葉を思います。

    お話できませんか。できなくとも、構いません。思い上がりかもしれませんが、私には、わかります。それをお伝えしたかった。以上です。お騒がせしました。

    • guan より:

      コメント拝読しました。若い方からの応答でびっくりしました。蝦名陸さんが内包をわかるから、もどかしいということはよくわかります。なにも未来の読者に向けてGuanを書いているわけではなく、現在の焦眉の課題の真芯に向けて書いています。そこで世界の新しいシステムのなかで人間が二進法と分子記号に還元され、些末な情報端末になることを避けることはできないと主張してきました。やがてVRとARは融合され、それが現実になるのではないかという気がします。コロナ禍の壮大な勘違いも新しい世界システムの序章にすぎないと思います。伊藤計劃さんの『虐殺器官』や『ハーモニー』よりもっととらえがたいなにかが進行しています。
      ハイパーリアルな剥き出しの生存競争は外延知の必然で、この動きに抗する文化人のふがいなさはあなたもよく知ることだと思います。かれらにもうひとつの世界をつくる力などあるはずもありません。
      世界が途方もない地殻変動を起こして急峻な変貌を遂げているのに、この過程に真正面から抗し、この事態をもっとおおきな世界の転換の一部にする闘いは、世界を見渡してもわたしの知るところ皆無です。人文知の文化人は眼前で起こっている善悪の彼岸を察知できず唯々諾々とおとなしい羊となり事態を追従しています。かれらに期待することはなにもありません。
      わたしはわたしの生存感覚を貫通した体験を普遍性として語ることで、人間を新しい世界システムの属躰にする巨大な力に抗し、その動きを封じ、むきだしの生存を包み、外延知ではなく、内包知という、ありえたけれどもなかった人間の関係のありかたを現にあらしめる内包表現によって、地獄の業火のただなかで舞いあがり匂い立つ一陣のいい風の吹く歩く浄土をつくろうとしています。それは地軸が傾くような考えとなるように思います。
      あなたがわかるといわれることは、わたしのはたち頃のこととして考えるとよくわかります。わたしの場合はそれがなんであるかじぶんの言葉にするのに長い時間がかかりました。機会があればお話しすることもあると思います。

  • 倉田昌紀 より:

    こんにちは。体調はいかがでしょうか?「生は内包と共に始まり、ある時間を外延的な生として生き、再び内包に回帰する。個人の生涯も内包から外延を経て内包に回帰し、歴史もまた内包から生まれ、一時期、外延史の世界を描き、やがて喩としての親族から内包という母型に回帰する。誕生と終わりのふたつの内包にはさまれて自己と歴史という外延的な表現が存在している。」(歩く浄土273)ここで内包と内包にはさまれて当事者として生きて生活する現場性としての〈外延的〉という現場の言葉に少しばかりこだわってみる。
    「メビウスの輪となった性をメビウスの輪にそって一人称と二人称と三人称に切り分けていくと、ふたひねりした輪っかができる。三人称は消えて喩としての内包的な親族が親鸞の有縁によって還相の性とつながることになる。」(歩く浄土275)ここでまた、内包と外延という生を生きる当事者としての総表現者の現場性の一人称に照らして内包を、考えてみる。
    「この世のしくみをどうやれば生まれてきて丸儲けにすることができるか。ある時期からわたしは人間という概念はフーコーが焦がれたように終焉するものではなく、人間という概念の幹を太くすればいいと考えるようになり、存在の複相性を往還する幼童の世界をつくろうとしている。ここに世界の可能性があると思えるからだ。」(歩く浄土276)。ここで〈生まれてきて丸儲け〉という当事者の現場性の生そのものを、外延と内包から現世の今ここを生きて生活している〈外延的〉とは、という現場性について考えてみる。
    「誰かの創作行為をその人の倫理的活動の核と結びつけて考えるべきだというとき、誰かとその人は同一であり、倫理的活動の核に結びつけて考えても同一なるものが差異性として再生産されるだけで、フーコーの虚偽意識としては可能でも、天与の才をもつかれがそのことに気づかないのが同一者の思考の逃れがたさになるわけで、而してフーコーの生が作品となることはない。情熱のなかで自分が自分でなくなるということは自分が理不尽に簒奪されることであり、それこそが〔性〕である。〔性〕は同一性の手前にしか存在しない。不思議というしかないが、存在の複相性を往還すると、おのずからいやおうなく根源の一人称と遭遇することになっている。そこにはどんなはからいもない。」(歩く浄土276)必然性としての同一者を生きるフーコーの〈虚偽意識〉と同時に同一性(差異性を)の外延性の現場性について、考えさせられている自分自身を振り返ってみる。同一性の手前を生きるということと共にである。すると、「原像を還相の性として生きながら内包親族のひろがりのなかですきに生き、やがて内包という観念の母型に回帰する。ここでは内包の生は政治や国家や貨幣という外延表現の対抗原理ではない。それ自体がまるごと生きられる世界である。そんなことができるかだって?できると書いてある。」という言葉が、甦ってくるのである。ヘーゲルからハイデガー、ニーチェとフーコー、ドゥルーズからまたヘーゲルヘと回帰し、Da-seinの存在を塞ぐことの不可能な穴が、プラトンのイデア以来、穴を塞ごうと、穴を塞ぐそれヘの代理の不在として、書かれないことをやめられない不可能性と、書かれることをやめられない必然性として、ニヒリズムの限界が同一性の持つ外延的思考の始まりの不明の不安の穴として続いている。そこで小生は、内包と内包のあいだにはさまれた外延的な現場性を生きて生活する当事者としての総表現者を考え、内包論から外延的な死を、再び生と共に考え学ぶのである。

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