日々愚案

歩く浄土48:共同幻想のない世界10-宮沢賢治の自然

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生は千差万別でどのひとつとしておなじものはない。だれもが所与の生をやりくりして生きている。固有の生とはそういうものだ。この譲渡不能の生を固有の生の根柢でひらこうとするとき言葉の深度が験される。世界を語るとは言葉の深度を語ることにほかならない。ヨブの受難があり、ブルーノ・シュルツ(1892年-1942年)の非命がある。宮沢賢治の「銀河鉄道」があるようにシュルツの「肉桂色の店」(鮮やかな佳品です。ゲシュタポの一人に路上で射殺される)がある。

週日は母が在所している老人ホームに日参し母の手伝いをしています。親守りです。バスと電車の乗り継ぎに2時間かかります。この時間はなにするともなく手持ち無沙汰です。それでブログの入力ミスをスマホで退治します。ついでにお気に入りに登録しているニュースやツイッターを閲覧する。新聞とテレビのない生活を長年しているのでわたしの情報源です。内田樹さんやときどき兵頭正俊さんや佐々木俊尚さんのツイートを読みます。佐々木俊尚さんの『21世紀の自由論』の紙版が出たら読もうと思っています。

『21世紀の自由論』のKindle版の読者の感想がリツイートされています。2015年6月9日の分です。

しかし反権力は思想ではなく、単なる立ち位置である。反権力ではない、独自の政治哲学を生み出せなかったところに、日本の「リベラル」 の不幸があったといえるだろう。

私たちが考えなければならないのは、経済成長が持続せず、成長に牽引された近代が終わりに近づいてきている中で、どうやって少しでも成長を維持していき、一億二千万人が生きていけるように社会を次の時代に向けて軟着陸させていくのかということだ。

佐々木俊尚さんの優しいリアリズムの考えが披瀝されていてとてもわかりやすいです。かれはオカルト安倍晋三の戦争法案を肯定しています。独自の政治哲学が優しいリアリズムだと佐々木俊尚さんは言いたいのです。

反安倍の急先鋒内田樹さんのツイートも貼りつけます。

安倍首相の脳内では「戦争ができる国=主権国家」という等式が成立しているので「アメリカの国益を日本の国益より優先させるという約束をする代償に戦争ができる国になることを許してもらう」ことが「国家主権が回復されたありさま」に見えているのでしょう。(2015年6月8日)

滅私奉公的にアメリカの世界戦略に従属する代償に「戦争ができる国」になる許可をアメリカから頂くことを「対米自立の達成」だと思っている人たちがいま安保法制の成立を急いでいます。(2015年6月11日)

「戦争をする権利」をアメリカに許してもらうことがどうして彼らの脳裏では「アメリカに押しつけられた憲法からの解放」として観念されているのか、その倒錯の生成過程について30分ほどお話ししました。すごく長い話なのです。それを「800字で」というところにメディアの無理があります。(同前)

今日本で起きている倒錯はすべて「従属国が自らを主権国家だと錯認していること」に発しています。対米従属はかつては対米自立のための戦術的迂回でしたが、いまは違います。対米従属そのものが国家目的化した。その恥ずべき事実を隠蔽するために「対米自立」は「九条二項の空洞化」に矮小化された。

アメリカは憲法の全面的改定には反対ですが「九条二項の除去」には同意しています。だからそこが「落としどころ」になる。改憲派は「アメリカに押しつけられた憲法を廃する」と言いますが、実体は「アメリカが『そこだけは変えてもよろしい』と許可してくれた箇所を改定すること」に過ぎません。(同前)

従属国なのにその事実を認めない従属国の陥るピットフォールは「主権的なふるまいのつもりでしていることがすべて従属強化に帰結する」ということです。(同前)

というような話を電話でしました。敗戦国が戦勝国に「押しつけられた」政治体制・社会体制を受け容れるのは歴史的必然です。他に選択肢がなかった。憲法だけではありません。民法も税制も土地所有制度も財閥制度も教育制度もアメリカの指導によって改変された。(同前)

その中で憲法だけがうるさく「押しつけ」と言われるのは、別に憲法があるせいで国民が対米従属に日々苦しんでいるからではなく、憲法九条二項については「廃止してもいい」とアメリカから内諾を得ているからです。「これは壊してよい」と許可されたものを壊して「勝った」と言ってみたいだけです。(同前)

わたしは対米従属ヤンキーの安倍晋三が大嫌いですから、心情的には内田樹さんのツイートを読んでスカッとします。ついでに内田樹さんのツイートでこれはどうもというツイートを貼りつけます。かなり傲慢なことを言っています。つぎの発言は承服できません。思わず本音が出たところだと読みました。

想田和弘監督の『カメラを持て、町へ出よう』のゲラ拝読中。かつて制作会社をリストラされた想田監督はしかたなく独立して会社を作りました。「最初に受注したのは、効率よくお金を稼げるギャラのよい仕事です。具体的には大手製薬会社が社員の士気を高めるために使う、洗脳ビデオの編集(笑)」(6月13日)

「そういう映像作ってた。完全なプロパガンダです。実は僕、得意なんです、そういうの。それはまさに魂を売るような仕事だったんですけれども、高く売れるんで、魂は(笑)」(同前)

ここはつい噴き出してしまいました。ほんとにそうだよなと思います。僕はかつて法学部出て検察官か警察官になることを考えていましたが、ほんとうに向いているんですよね、そういう仕事が。反政府的な人間を説得してころんと転向させる方法なんか無数に思いつきますから。(同前)

今の政府を見ていてげんなりするのは、そういうセンスも才能もない連中がトップにいることです。僕を秘密警察のトップにリクルートしれくれたら(子どもを洗脳する教育機関のトップでも可)あっと驚くほど効率的な組織にしてみせるんだけどなあ。(同前)

ふと本性をあらわすときの内田樹さんには背筋が冷やっとします。安倍晋三と立ち位置がよく似ています。言葉の息づかいがとても浅いとわたしは思います。「ころんと転向させる方法なんか無数に思いつきます」や「あっと驚くほど効率的な組織にしてみせる」って怖い考えです。なぜ現実を内田樹は錯認できるのか。軽々と生を俯瞰する考えは権力そのものです。安倍晋三とそっくりです。内田さんよ、おれは反政府的だが、おれをころっと転向させてみろよ。生きているということを舐めるな。言葉について内田樹さんとわたしはまったく違う立ち位置にいます。

内田樹さんはマルクス主義を唾棄しています。そのことはまるごと留保ぬきに諒解します。しかしここでは唾棄すべきマルクス主義者とおなじ発想をしています。生は千差万別であり、だれもが余儀なき生を譲渡不能のものとして生きます。その固有の生のありかたをかれは踏みにじるのです。いつもかれは世界や現実を俯瞰し睥睨しています。治者の視線で世界を切り取っています。わたしはこの視線の動かし方が権力だと長年発言してきました。わたしは余儀なき生に加重されるさまざまな歪みを、歪みの根柢においてひらこうとしています。佐々木俊尚さんや内田樹さんと前提となるものがまったく異なります。

レヴィナスは言葉の本義において保守的な思想家です。一見、言葉の立ち位置は違っているようにみえますが、レヴィ=ストロースと似ています。家族や親族や同胞を見舞った不条理と悲劇を我がこととして引きうけ、ナチを可能としたハイデガーの哲学を生涯を賭けて転倒しようと試みました。あらゆる言葉のとどかない彼方をレヴィナスは渾身の力を込めて思考しました。その道行も、その息づかいもよく見えるし、伝わってきます。
内田樹も語の本来の意味において保守的な言説家です。しかし日本的自然に融即する神仏習合がかれの本質だとわたしは理解しています。レヴィナスの狂おしさは内田樹にあってはいつの間にか自然へと融けこんでいきます。その自然生成の心地良さによってかれは読者を得るのです。司馬遼太郎とよく似ています。かれの手にかかると難題はたちどころに解決します。でもそれってうそだと思います。

たとえばマルクスなら、二つの社会階級が競合しあってゆくなかで、生産手段が変化していくという歴史的分析をするわけですね。人類の歴史は階級闘争の歴史である、と。これは正しいんですよ。でも、その分析から導かれる最終的な目標が、「階級がなくなる社会を作らなくてはならない」という。これは僕から見ると間達っている。対立するものがお互いに対峠しあったり、競合しあったり、否定しあったりしながら共存する、というのが社会の自然であって、それを統合して階級なき社会、国家なき社会、全員が均等の社会こそが人類の到達しうる究極の理想社会であるというのはただの幻想ですよ。だって、そんなものこれまで人 類はいちどだって見たことも作りだしたこともないんだし、それが「理想」だなんて、そんな社会が「住み心地がいい」なんて、誰に断言できるんですか。競合するさまざまなファクターが、共存しながらシステムとして安定しながら支え合い、刺激し合ってゆくというのが人問にとってというか、生物にとってはいちば ん自然なあり方なんです。(略)社会矛盾というのは絶対になくならない。対立も続く。絶対に折り合わない多様性というものもある。それ をなくそうとしても無理なんです。だから、それはそのままにしておいて、多様性のなかから引き出しうる最適性、利益の最大値を取り出すにはどうすればいい かということを考えることが、社会理論としてはいちばんたいせつな仕事だと思うんです。(『期間限定の思想』巻末ロングインタビュー)

佐々木俊尚さんは日本の「リベラル」の不幸は独自の政治哲学を生み出せなかったことにあるといい、内田樹さんは「多様性のなかから引き出しうる最適性、利益の最大値を取り出すにはどうすればいい かということを考えることが、社会理論としてはいちばんたいせつ」だと言っています。おなじことしか言われていません。両者ともきわめて現実的で合理的です。社会矛盾も対立も人間にとって不可避であり自然であるということを前提として理念がつくられています。こんなことでいいのなら考えることはなにもないのです。強者から弱者への富と善のトリクルダウンということなのか。わたしはそうは思わない。
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自民党の高村正彦副総裁や中谷防衛大臣は以前は集団的自衛権は違憲であるといっていたのに、いまは容認するということで変節漢だと言われています。そのとおりですが、政権を担当する側に立つと、たとえそれが落ち目の米国に強く要請されたことであっても、変節はありえます。政権中枢にいるとだれがやろうと同じ発想をするのです。それが政治です。中東の泥沼の紛争は米国の中東政策の誤りに起因することは自明ですが、世界最大のならず者国家の核の傘下で護られてきたことも事実です。無条件降伏から冷戦構造のなかでの平和憲法であったのです。国政を担当する側からいえば、少しぐらい加勢をしろよという米国の国家意思を拒むことはできない。それほど米国は衰退しつつあります。世界の警察国家として威光を誇ることができたのはイラク戦争を有志連合という大義のもとに主導し得たのが終わりではないかと理解しています。その後は没落の一途です。中国の超大国化も世界の支配構造におおきな変化をもたらしています。それはだれもが認めるほかない事実としてあります。わたしは米国に庇護されての70年に渡る平和憲法の賞味期限が来ていることを認めます。大変動している世界の只中にこの国も晒されていると現状を判断しています。これからこの国が残忍な社会に変貌するのは不可避だということです。

たとえばがん治療の錯誤についてひと言も文句を言わず医療に身を委せる者らが安倍を批判してもなんになると本音では思っています。がんの早期発見早期治療とテロリストの早期発見早期殲滅はまったくおなじ発想であるにも関わらず、テロリストの台頭と中国の覇権主義を批判しながら、がんになれば治療を専門家に身を委せるというのはあきらかに矛盾しています。もちろんそのことが自覚されることもありません。そうすると憲法を護持するという立ち位置は架空性だということになります。無条件降伏により憲法を押しつけられたというのも事実ですが、憲法を押しつけた米国に従属することで経済的な繁栄があったことも事実です。面従腹背がこの国の国是でしたが、よりいっそう米国に従属することで戦争ができる国になろうとしています。宗主国である米国の国家意思の強力な要請で戦争のできる国になることが主権国家としての独立であるとカルト安倍晋三は錯認している。これからはこの国も戦争の当事国となります。米国に日本を売り渡そうとオカルト安倍晋三はしゃかりきになっています。戦争法案のみならずTPPも労働者派遣法の改悪もいっそうの格差をこの国にもたらします。

グローバルな資本の展開によって諸国民国家が非関税障壁だとして均されていくことは不可避ですが、その煽りは無道の者らを台頭させることでもあります。ドローンによる標的殺害は報復することを大義とします。米国の汚れ仕事を日本が肩代わりすることになります。その見返りとして中国の脅威にたいしては味方してね、ということです。米国は国益に関して合理的です。味方してくれることはない。これからこの国のひとびとはさまざまな苦難に見舞われると思います。そしてその惨禍のただなかにあるものをこの国は見捨てると思います。むきだしになった世界の無言の条理のなかにあって遺棄されます。

レヴィナスは言っています。

一九四〇年から一九四五年までの時期にあって他に例を見なかったこと、それは遺棄であった。いつもひとはひとりで死に、不幸な者たちはいたるところで絶望していた。たったひとりの者たちと絶望した者たちのあいだにあって、不正の犠牲者たちはいつでもどこでも、もっとも悲嘆にくれ、もっとも孤独な者たちだった。しかし、ヒトラーの勝利―そこでは〈悪〉の優越はあまりにも確固たるもので、悪は嘘を必要としないほどだったのだが―によって揺るがされた世界のうちで死んでいった犠牲者たちの孤独がおわかりだろうか。善悪をめぐる優柔不断な判断が主観的な意識の襞のうちにしか基準を見いださないような時代、いかなる兆しも外部から訪れることのない時代にあって、自分は〈正義〉と同時に死ぬのだなと観念した者たちの孤独がおわかりだろうか。(『固有名』)

かつてひとりで暗闘をしていた時期、レヴィナスの言葉は胸に刺さりました。まさにじぶんのことでした。「おわかりだろうか」というレヴィナスの呻きがよくわかりました。遺棄されるということはそういうことです。そしてこれから戦争の当事国として登場するとこの情景が現実のものとなります。非命の者らは残骸のように遺棄されます。だれの記憶にとどまることもなく。

むかし加藤典洋がいったことがいつも頭の片隅にありました。加藤典洋はあるひとつの理念を提示しています。我がアジア的専制が遺棄されたひとびとを配慮することはありませんが、理念としてはとても大事なことをいっていると思っています。それははつぎのようなことです。政治学者遠藤乾の紹介する補完性(サブシディアリティ)の原理を取りあげています。

 先日、数年前ヨーロッパに滞在したおり数日立ち寄ったことのある、ブダペストを舞台にしたハンガリー映画を見た。一九九〇年前後の東欧革命当時のヨーロッパの若者を描いた女性監督による映画で、旧ソ連から西に脱出をはかるロシアの若者と、東にやってきた西側の女の子たちがブダペストで会う。そこに、マフィアの一団がやってきて、フリーマーケットを支配し、ショバ代を取りたて、人々を追い散らす。若者の一人は殺される。そのマフィアの様子が日本のヤクザそのままで、若者たちがそれにたいし全く無力なこともあり、わたしは何か、そこに、アジアが露出しているという感じを受けた。そして何だか、自分にとってヨーロッパの反対物は、ヤクザかもしれないと思った。
  数年前、一年間のパリ滞在の間、わたしにもっとも印象が強かったのも、そこにいわゆる街のヤクザがいないということだった。たとえばわたしは二十歳前後の女の子が地下鉄の通路で乞食をしているのを見た。それは、ヤクザが街をとり仕切り、風俗業界と結びついている日本ではけっしてありえない光景だった。
  わたしの理解では、フランスにヤクザがいないのは、革命を経ているからである。革命とは暴力の行使にはじまり、自由実現のための法の創設に終わる。法からの自由とは法に従わないことではなく、法を自分で作ることである。そこで暴力は反社会的ではない。彼我を隔てているのは、法と暴力を対立的に考える習慣があるかないか、ということである。
 遠藤乾の論考を読んで、思ったのは、この補完性の原理という考え方に、いわばわたし達に親しいあの「ヤクザの原理」のちょうど逆の考え方が現れている、ということだった。
 補完性の原理とは、次のような考え方をいう。まず、「より大きな集団は、より小さな集団(究極的には個人を含む)が自ら目的を達成できるときには、介入してはならない」、さらに「大きい集団は、小さな集団が自ら目的を達成できないときには、介入しなければならない」。遠藤によれば、それが「補完性の原理」の名で、今回の通貨統合の基礎となったマーストリヒト条約に明記されている、欧州連合の立憲原理である。(「欧州統合の原理」毎日新聞1999年2月)

「大きい集団は、小さな集団が自ら目的を達成できないときには、介入しなければならない」。とくに「介入しなければならない」というところがとても大事な理念だと思います。諸戦争と、第一次・第二次大戦を経てフランス市民革命の理念にもうひとつ厚みが加わりました。わたしはそう理解しています。そこを体験に即して語ります。レヴィナスの「おわかりだろうか」が胸裡に響きます。
このブログでは書けぬことや書かぬことがあります。それは書くことではないからです。世界の無言の条理ということでいつも比喩しています。日々は常住坐臥、戦場でした。わたしは争闘から偶然生還しました。ひとりでそれをやり抜くのは過酷すぎます。ひとりで背に負うには荷が重すぎます。遺棄された生をつないでいる者がいるとき、それはだれかが「介入しなければならない」のです。わたしはひとりで戦い、ひとりで生還しました。だれにも援軍を依頼しませんでした。その狂乱怒濤のなかで内包論を構想しました。いつも世界は遅れてついてきていると思っています。そこを生きぬくことは生にさまざまなひずみをもたらします。わたしはそのひずみを存在の根柢でひらこうとしました。世界を解釈することで生きられることはなにひとつないのです。そうです、なにひとつありません。
たまたま目にしたブログにマルグリット・デュラスの元夫が書いたロバート・アンテルム著『人類』の書評があった。引用します。

モーリス・ブランショの伝記を読んでいたら、ブランショがこの作品に強い影響を受けていたということで手に取ってみた。

アンテルムはレジスタンスに参加していたがゲシュタポに逮捕され、政治犯として収容所に送られた。ブーヘンヴァルト強制収容所、そしてダッハウ強制収容所でのあまりに壮絶な日々を記したのが本書である。

その体験がいかなるものであったのかは、むしろ奇跡的な帰還を果たした後のことに表れているのかもしれない。
アンテルムは内務省情報局で働きながらレジスタンスに参加する。このMNPDG(戦争捕虜救出国民運動)の指導者の一人が後に大統領となるフランソワ・ミッテランであった。ゲシュタポに踏み込まれた際に、間一髪でミッテランとアンテルムの当時の妻であった小説家のマルグリット・デュラスは難を逃れる。デュラスが強制収容所に送られなかったのはミッテランが機転をきかせてくれたおかげだという。

1945年5月、臨時政府の亡命者・捕虜・強制収容所担当副大臣を務めていたミッテランはダッハウに向かい、収容所解放に立ち会った。阿鼻叫喚の地獄絵図におののきながらミッテランが死者と瀕死者が放置されていた立入禁止区域の小屋に入ると、死体置き場の一角から弱々しく「フランソワ……フランソワ……」と呼びかける声がした。ミッテランはあまりの容貌の変化にすぐに誰だか気付くことができず、歯並びを見てようやくこれがアンテルムだとわかったという。アンテルムの体重は逮捕前の80キロから37,8キロにまで落ちていた。アンテルムが瀕死者の小屋に入れられていなければ、チフスの予防注射に衰弱した身体が堪えられずにそのまま死亡していたかもしれない。そしてチフスを恐れたアメリカ兵が監視作業を離れていたために、アンテルムは生存者の小屋に戻ることができたのであった。

ミッテランらはダッハウから約800キロ離れたパリへとアンテルムを戻すことに成功する。夫を待ち焦がれていたはずのデュラスは、帰宅したアンテルムのあまりの凄まじい形相に恐怖にかられ逃げ出し、押入れの暗がりにしまばらくこもってしまったという。

帰還してもすぐに回復したのではない。40度以上の発熱が続き、スプーン一杯の粥を飲み込むことすら難しい状態であった。それでもなんとか、一日に数度ずつ粥を口にしたが、「また同時に、日に六、七回ずつ、「誰も見たことのない」、「人間のものとは思えない」、暗緑色の便をし、これが17日間続いた。

デュラスは小説家の目でアンテルムを観察し、「これ(便)は熱や、やせ衰えた姿、爪のない指、SSから受けた傷跡よりも彼と我々を隔てるものだった」、「その匂いは腐臭や死臭ではなく……むしろ腐植土、枯葉、きわめて厚い下草の匂いである。それはまさしく、我々にはけっして分からない、彼の抜け出てきたあの深い夜を反映する、暗く深い匂いだった」と書いている。

本書の収容所の記述はプリーモ・レーヴィの『アウシュヴィッツは終わらない』と重なるところも多い。レーヴィは自ら命を絶つことになるが、アンテルムは『人類』以外は一切沈黙することを選んだ。いや、選んだというよりもそうせざるを得なかったのだろう。前述の解放以後の出来事は「訳者あとがき」に依ったもので、本文には描かれていない。アンテルムは健康を回復した後に、同じく逮捕されていた妹の死が告げられた。アンテルムは「二四歳か」と繰返した後、二度と妹のことを口にしなかったという。逮捕され収容所に同じように送られながら、自分だけが帰還することができたことが罪悪感として襲い掛かったことは想像にあまりある。

本書のタイトルは『人類』であるが、収容所での出来事はある意味では「人間らしい」のかもしれない。人間以外に、これほど残酷なことをする動物がいようか。そして人間はどのような環境にあろうとも「社会」を作り出していき、生き残るためにはそこに順応しなければならない。悪夢的という表現が生易しく思えるほどの絶望的な日々であるが、アンテルムは最後に、「人類」の奇跡をも記しているかのようだ。

ダッハウにアメリカ軍が到着する。ついに自由がやって来た。

暗闇の中、煙草の火口が浮かびあがる。それがアンテルムのもとに近づいてきたが、彼は無視をする。しかし肘をつつかれ、煙草を吸うように促される。アンテルムは二口吸い、煙草を返した。

――ありがとう。
最初の言葉だった。ぼくは孤独で、彼がいることさえ分からなかった。なぜぼくの方にこの煙草が?
ぼくは彼が誰なのか知らない。穂先はまた彼の口元で赤くなり、離れると、またぼくに近づく。一服。我々、彼とぼくは今やともにいる。同じ煙草を吸っている。彼が聞く。
――フランス人〔フランツオーゼ〕?
ぼくが答える。
――そう〔ヤー〕。
彼が煙草を吸う。もう遅い。部屋には何の音もしない。椅子に座っている者は眠れないが、黙っている。ぼくも聞く。
――ロシア人〔ルスキー〕?
――そう〔ヤー〕。
彼はそっと話す。声は若そうだ。姿は見えない。
――何歳〔ヴィーアルト〕?
――十八歳〔アツハツエーン〕。
彼はrが少し巻き舌だ。彼が煙草を吹かす間は沈黙だ。次いでぼくに煙草を渡すと、また暗闇に消える。ぼくはどこからきたかと聞く。
――セバストポール。
彼は毎回すなおに答えるが、ここ、暗闇では、まるで彼がその生を語っているようだ。
煙草が消えた。彼の姿は見なかった。明日は彼の顔が分からないだろう。彼の身体の影がかがんだ。しばらくすると、隅からは何度かいびきが聞こえてきた。ぼくもかがんだ。姿の見えない彼以外何ものも存在しない。ぼくの手が彼の肩に置かれた。
小声で。
――我々は自由だ〔ヴィア・ジント・フライ〕。
彼は身を起こして、ぼくを見ようとし、ぼくの手を握った。
――そう〔ヤー〕。

46年から47年にかけてこの本を書き、本書は賞も受賞する。しかしアンテルムは若干の例外を除くと、沈黙し続けた。デュラスはこう書いている。「一度この本が書かれ、出版されると、彼は二度とドイツの強制主要所のことを語らなかった。そうしたことを口にしさえしない。絶対に、二度と。絶対に、二度と本の題名さえも」。(佐藤太郎(仮)「「荒野に向かって、吼えない...」)

連合国の介入によってアンテルムが自由になった瞬間が記されています。それは介入しなければならなかったのです。マーストリヒト条約が美しい空文句であるかどうかまだわかりませんが、ひとびとが遺棄されているならば、断固として事態を座視せずに「介入しなければならない」という理念をつけ加えたことは事実だと思います。

さらに事態は急変しています。これからもシャルリー・エブト事件はくり返すことになります。惑星規模の想定外の危機が招来されるという予感がしています。
わたしは内包論を持続することで応えようと考えています。

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宮沢賢治の作品をここしばらくまとめて読んでいて不思議な気持ちになる。かれの文章には権力の匂いが少しもないのです。これはなんだろうかと思いました。宮沢賢治は三人称をつくれない作家だったのではないかという気がしてきます。三人称がなければ権力は発生しません。三人称があるから二人称もうまくいかなくなるのです。とても本質的なことではないか。宮沢賢治は三人称をつくろうとしてもつくることができなかった。かれにとってこころはいつもそのつどふたつだったから。それがかれの文学だったと思っています。
そのつどふたつのこころがあるありようを内包自然と呼んでみる。宮沢賢治のいちばん内側にある自然のことだ。かれにとって内面がこころで外界が自然であるということはなかった。それがあることによってかれは内部と外部を自在に融通無碍に行き来することができた。それはいったいどういうことだ。

「正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向ふの青いそらのなかを一羽の鵠(白鳥-森崎注)がとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでせうが、わたくしはそれを見るのです。おんなじやうにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」
「けれども、あなたは、高く光のそらにかゝります。すべて草や花や鳥は、みなあなたをほめて歌ひます。わたくしはたれにも知られず巨きな森のなかで朽ちてしまふのです。」「それはあなたも同じです。すべて私に来て、私をかゞやかすものは、あなたをもきらめかします。私に与へられたすべてのほめことばは、そのまゝあなたに贈られます。」(「マリヴロンと少女」)

明日アフリカに牧師である父とともに行くことになっている少女のギルダは憧れの声楽家のマリヴロンに会って「私を教えて下さい。私を連れて行って下さい」と言う。
「いゝえ私はどこへも行きません。いつでもあなたが考へるそこに居ります。すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすゝむ人人は、いつでもいっしょにゐるのです。」と答え、「では。ごきげんよう。」と言って去る。

「マリヴロンと少女」はたったこれだけの短い作品ですが、だいじなことがぜんぶ言われています。宮沢賢治が言おうとしたことですぐ起こる誤解があります。生活と芸術というモダンな二分法です。人は生活をするということにおいて芸術をなしているという俗見です。いつでもあなたが考えるそこに居るということはそのままにほんとうにそこに居るということです。もしそうでなければ宮沢賢治の「雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/慾ハナク/決シテ瞋ラズ/イツモシヅカニワラッテヰル/一日ニ玄米四合ト/味噌ト少シノ野菜ヲタベ/アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ/野原ノ松ノ林ノ蔭ノ/小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ/東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ/ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ//ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/ソウイフモノニ/ワタシハナリタイ」という詩は自己犠牲と胡散臭い欺瞞のかたまりになります。

わたしは宮沢賢治は詩や作品を書くその場所にいたのだと思います。このかれの精神のありようは従来の芸術と生活という観察する理性による二分法でつかむことはできない。存在者(人)が存在をつかむことができないように同一性の用語法では表現と生活という分別しかできないのです。有限なものが無限を演算することはできない。意識が無意識を操ることはできません。おなじように内包存在から分岐した同一性からかたどられた神仏が内包存在をつかむことはできません。善と悪も先験的なものとしてあるのではなく同一性という重力のしばりのうちにあります。それにもかかわらずあらゆる言葉がとどかない彼方は存在します。そこが内包存在がかたどった内包自然であり、根源の性とその分有者が内包自然を生きることができます。わたしは宮沢賢治の表現が可能となる領域のことを内包自然と名づけています。

カザルスにも宮沢賢治と似た感覚があります。
「過去八十年間、私は、一日を、全く同じやり方で始めてきた」「バッハを弾くことによってこの世に生を享けた歓びを私はあらたに認識する。人間であるという信じ難い驚きとともに、人生の驚異を知らされて胸がいっぱいになる。バッハの音楽は常に新しく、決して同じであることはない。日ごとに新しく幻想的で想像を絶するものだ。こういうところがバッハで、自然と同じように一つの奇跡である」(『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』)もおなじことが言われていると思います。

谷川俊太郎の「まわらぬ舌で初めてあなたが『ふたり』と数えたとき/私はもうあなたの夢の中に立っていた」(「ふたり」)「誰も名づけることは出来ない/あなたの名はあなた」(「名」同前)という場所を宮沢賢治も実現しています。
この場所は親鸞の「りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」(『唯信抄文意』)とおなじです。
宮沢賢治の表現は内面と外界という二分法を内包化しています。それがかれのいちばん内側の自然としてありました。こころがいつもそのつどふたつあるのです。外延表現からはこの場所は見えません。「みんなはそれを見ないでせうが、わたくしはそれを見るのです」と言います。かれはいつも嬉しいことや楽しいことや悲しいことを分有して他者にお裾分けしていました。

「慾ハナク」「一日ニ玄米四合ト/味噌ト少シノ野菜ヲタベ」とありますが、宮沢賢治がBMWの7シリーズに乗っても、MAGICO “Q7″でアキュフェーズのA200をマルチドライブしても強欲とは言いません。清貧を宮沢賢治が推奨しているのではないのです。かれの欲のありかたが俗と少し違うのです。『注文の多い料理店』の「序」も宮沢賢治のいちばん深いところにある自然から書かれています。なぜかケンジにやどった天与のものという気がします。もちろんかれはかれの生の固有性を生きただけです。かれの他者への配慮はそうせずにはおれないものであり、おのずからのものです。世のなかの人からみるとかなり変なひとだった。

宮沢賢治の作品をなぞっていくとひとりでに内包親族論や内包贈与論ができるような気がしてきます。自己の陶冶と他者への配慮がひとつながりをなすということは宮沢賢治がつかんだ自然からでてきているように思います。三人称をつくることができなかったということが宮沢賢治の文学のいちばんの特徴であるとわたしは理解しています。

もう少し内包論に即して宮沢賢治の作品について言ってみる。
宮沢賢治のいちばん奥まったところにかれどくとくの自然があって、この自然によぎられるようにしてまったくの受動性のうちに作品の言葉をつむいでいったのではなかったか。かれは無意識に同一性を跨ぎ超していた。だからかれの自然から流れ下ったそのつどのふたつのこころは内面になったり、外界の自然になったりした。かれにとっては内面のこころも外界の自然もおなじものだった。どうじにどちらも息づいていたのだ。宮沢賢治に登場する生きものが生き生きとしているのはそのためだ。おそらくこころや外界の自然を二分することはなかった。かれの作品を読むとどうしてもそういう気持ちになってくる。

内包自然を可能とするものは根源の性だとわたしは考えています。人間という不思議な現象はもっとも本質的には根源の性の分有者としてあらわれます。それはだれのなかにも無限小のものとしてあります。根源の性と分有者の関係は不一不二で、どうじに不可逆のものとしてあらわれるのです。この根源のつながりはもちろん歴史の概念としていうこともできます。精神の古代形象はあるとき太古の面々を心身一如に封じ込めました。このとき根源の一人称から同一性が分岐しました。それが一神教の神です。混沌として沸き立つ釜の蓋です。ふり返ってそのことを考えると、それは歴史としては不可避であったと思います。一瞬で倒錯に満ちた1万年の歴史を積み重ねたのです。
宮沢賢治の作品は豊穣な精神の古代形象の面影によって生や歴史の制約を軽々と超えているようにみえます。とうてい生活と芸術という二分法で説明することはできものではありません。それがわたしの宮沢賢治の作品の体験です。

マリヴロンが少女に言います。「すべて私に来て、私をかゞやかすものは、あなたをもきらめかします」、と。「私に来て、私をかゞやかすもの」はマリヴロンに訪れた根源の一人称の直覚です。マリヴロンを「かゞやかすもの」とマリヴロンの関係は精確に不一不二で不可逆な出来事です。この「かゞやかすもの」は神仏でさえありません。神仏の彼方にある祖型の精神です。この根源のつながりにマリヴロンは一閃されたのです。わたしはこの背後の一閃にやどられることを根源の性とそれを直覚する分有者と名づけてきました。マリヴロンに作者が投影されているとするならば宮沢賢治はこの根源のつながりを生きていると言えます。それがかれの自然でした。不可逆ということはまったくの受動性ということです。親鸞の他力とおなじです。

ここでおそろしい問いが、極度に困難な問いが生じます。マリヴロンにとってマリヴロンを「かゞやかす」根源の力はなぜ少女ギルダをきらめらかせるのか。信の共同性と権力の起源がここにあります。考える人の思考はすべてここを解き明かすことができませんでした。この困難と逆理は人類史の規模の困難であり、わたしもこの問いに悶絶し煩悶しました。マリヴロン(宮沢賢治といってもよい)は一方的でまったくの受動性としてこの根源の力によぎられ、マリヴロンの生は領域化されるのです。この不思議や神秘をわたしは自己のなかにあるふたつのこころと比喩しています。
マリヴロンに起こったことは少女ギルダにも起こります。それはもともとギルダのなかにもあるものだからです。もちろんギルダが自己を領域化するかどうかはひとえに縁(えにし)によります。自己はほんとうは少しも実有の根拠となるものではありません。自己とはもっともっとはるかにふかくてひろいものです。自己の中の絶対の他とは人であることの根源をなす性です。わたしは内包論でそう考えています。心身一如のしばりから逃れるということは精確に同一性から跳躍することを意味します。ここに内包史の可能性があります。

いつもそのつどふたつのこころのひとつをマリヴロンは少女ギルダに差し出すのです。もちろんギルダの代わりにべつの第三者が登場してもおなじです。自己が領域化されたところにあるいつもそのつどふたつのこころはそれ自体で一人称であるとどうじに二人称であるから、三人称との関係は自己を実有とするこの世のしくみではあたかも二人称の関係のようにあらわれるのです。
三人称が権力の起源です。わたしたちの人類史はそのことを不可避として歴史を重畳したのです。わたしは生と歴史を拡張することができると考えています。

わたしの内包論では国家をつくることができません。内包親族論や内包贈与論を構想する由縁です。ここに1個のパンがあるとしたら人はそれを奪い合うものであるという前提でマルクスは資本論をつくりました。社会の富を公平に分配すればよい社会ができると夢想したのです。実有化された自己を前提に個人と共同性の調和のとれた社会を構想したのです。マルクスは価値形態論で商品にあらわされれた謎を、使用価値と交換価値の二重性とに腑分けすることで、解明したと高らかに宣言しました。いっこうに貨幣の謎は消えません。ますますITと結合した金融工学によって富は偏在しつつあります。どうしたことか。

わたしたちは存在と所有についてまだふたつの形式しかもちえていません。ひとつは精神の古代形象です。神や仏によぎられることによって〔わたし〕が〔わたし〕となるという存在の各自性です。自然科学が興隆するなかでこの存在の形式は自己という空無によって置換されて所有されることになりました。自己を実有の根拠とするふたつめの存在の形式のただなかをわたしたちは生きています。マルクス主義の錯誤も、反マルクス主義の動転も、連合赤軍の事件やオウム真理教の倒錯も閉じられています。禁止と侵犯という生存の形式です。共同性と個はそうやって調律されてきたのです。

マルクスの思想とマルクス主義はべつものなのか。わたしはマルクスが人間という概念を本格的に考察できなかったことに社会主義が人類に厄災をもたらした根因があると考えています。マルクスの思想とマルクス主義は同根です。マルクスの思想からマルクス主義が流れくだるのです。内包自然という概念をここに挿入すると事態は一変します。自己を実有の根拠とするかぎり人はマルクスが考えたよりはるかに強欲なのです。マルクスの思想は現実にまるで歯が立ちませんでした。ホリエモンや楽天の三木谷やユニクロの柳井や人材派遣会社の竹中平蔵の哄笑が聞こえてきます。マルクスの心根の良さはこの連中には通用しません。
がめついだけの連中を嘲るのではなく強欲の虜になっているこの下衆な奴らが胸襟をひらく、そのような思想をつくりたいと思っています。わたしは権力を無化する内包親族論と真心で対面するごとに豊かさが増していく内包贈与論をつくることで現実を超えていこうとしています。そこにわたしたちのほんとうの意味での未知があります。この可能性をめざして内包は進撃します。

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