日々愚案

歩く浄土43:共同幻想のない世界5

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わたしの知見の範囲では、わたしたちの生きている国家と市民社会という枠組みのなかでの生存を超出したいと意図した思想家はふたりいます。吉本隆明と中沢新一です。ふたりともオウム真理教の麻原彰晃を評価し世間からバッシングされました。そのことは横において論考をすすめます。ふたりに共通するのは民主主義の窮屈さであったように思います。民主主義は人間がながい倒錯と錯乱の歴史の果てにようやく手にした思想です。民主主義は共同性にかんする人類がつくりえた最高の作品です。それではこの民主主義が人類の窮極の到達点でしょうか。そうではないと思います。かれらはなにかへの過程として民主主義があると考えたように思います。わたしもながいあいだおなじことを考えてきました。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(異稿)につぎのようなことが書かれています。

あゝわたくしもそれをもとめてゐる。おまへはおまへの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまへは化学をならったらう。水は酸素と水素からできてゐるといふことを知ってゐる。いまはたれだってそれを疑てやしない。実験して見るとほんたうにさうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできてゐると云ったり、水銀と硫黄でできてゐると云ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神様だといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学とおなじやうになる。

「実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学とおなじやうになる」という宮沢賢治の言葉は晩年の吉本さんの最深の思想として繰りこまれていました。吉本隆明の解説を引いてみます。

 困惑したわたしに浮んでくる言葉は、宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」(初期形)の登場人物ブルカニロ博士が言う「ほんとうの考え」と「うその考え」を分けることができたら、その実験の方法さえきまれば、信仰も科学とおなじになるという意味の文句だった。わたしは宮沢賢治のその作中の言葉を、頼まれると色紙に書いてきた。短くて意味が填っているとおもうからだ。
 ただこのばあいの「信仰」というのを宮沢賢治のように宗教の信心と解さずに、それも含めてすべての種類の〈信じ込むこと〉 の意味に解して、この言葉を重要におもってきた。つまり〈信仰〉とは諸宗教や諸イデオロギーの現在までの姿としての〈宗教性〉というように解してきた。宗教やイデオロギーや政治的体制などを〈信じ込むこと〉の、陰惨な敵対の仕方がなければ、人間は相互殺教にいたるまでの憎悪や対立に踏み込むことはないだろう。それにもかかわらず、これを免れることは誰にもできない。人類はそんな場所にいまも位置している。こうかんがえてくるとわたしには宮沢賢治の言葉がいちばん切実に響いてくるのだった。
 このばあいわたし自身は、じぶんだけは別もので、そんな愚劣なことはしたこともないし、する気づかいもないなどとかんがえたことはない。それだからもしある実験法さえ見つかって「ほんとうの考え」と「うその考え」を、敵対も憎悪も、それがもたらす殺教も含めた人間悪なしに(つまり科学的に)分けることができたら、というのはわたしの思想にとっても永続的な課題のひとつにほかならない。(『ほんとうの考え・うその考え』2~4p)

宮沢の言葉に晩年の吉本さんは思想の可能性と希望をみようとしています。それはヴェイユの匿名の領域とも重なります。この匿名の領域に、ほんとうの考えとうその考えを判別する根拠があると吉本隆明は言いたげです。

 もうひとつヴェイユの考え方に、いまも重要だしこれからも重要だとおもわれるところがあります。ヴェイユの言い方をしますと、科学とか、芸術とか、文学とか、哲学とかは全部、人間の人格のひとつの表現のさまざまな形式をなしている。そのなかにたいへん優れた人がいて、人類の歴史のはじまりから何千年も名前と業績が伝わっていて、光輝ある仕事だ、業績だといわれている。しかしほんとうはそうじゃないんだ。そういう輝かしい天才たちが何千年も名前を遺すような仕事と業績の領域のもっと向こう側に、ほんとうに本質的な領域がある。歴史がかんがえてきた領域の向こう側に、ひとつの深淵で距てられた、第一級のものだけが存在する別の領域がある。その存在する領域は偶然に名前が記録されることもあるかもしれないが、本質において無名の領域だという言い方をしています。その無名の領域ないしは匿名の領域へ誰が入ったのかはぜんぜんわからない、と。これは最後になったロンドンでの言葉です。そこがヴェイユの神学の最後の到達点です。
 そこまで行きますと、ぼくらはこの領域はわからないし、そこまで到達できるとかできないとか、かんがえられるような領域ではないわけです。そこまでかんがえれば、その領域は、キリスト教の信仰の立場からも、イデオロギーとか思想とかの立場からも、どんな立場からも見えるんじゃないか。つまり党派の領域でも、宗教の派閥の領域でもなくて、どこからも見えるひとつの領域がかんがえられるのではないかという気がします。ヴェイユの神への考え方は画一的ではありますが、匿名の領域、無名性の領域で、そここそが〈ほんとう〉の第一級の場所なんだという言い方で指しているものは、どこからも見えるといいましょうか、そういう見え方ができるんじゃないか。誰が集中していってもそこに集中していくということで、一種の普遍理念とか普遍宗教という領域を、人間はかんがえることができるのではないかという希望を抱かせます。そこへ行けるとはけっしていいませんが、そういうものが設定できるんじゃないかとおもいます。
 人間の政治社会があれば、かならずそこに対立とか争いがあるということじゃなくて、どこから見ても、そこが普遍的真理の場所だというものを、わたしたちがかんがえている領域のはるか向こうにもうひとつ設定できるのだというヴェイユの最後の到達点は、たいへんわたしたちに肴望を抱かせます。そこはどこから行ってもめざすことができる領域のようにおもえるし、党派、宗派独特の習慣儀礼に従わなくても、ただいかに真理に近づくかという考えだけがあればそこへ到達できる。不可能だとしても到達可能性がいつでもある。ヴェイユの神学思想として生きているほんとうの理由をそこに見たいとおもいます。 けっしてキリスト教的でもなければ、仏教的でもない、あるいはどちらにも似ているといえば似ているし、イデオロギー的であるようで革命思想的でもあるように見える。つまり労働概念などを見ていると、革命思想的でもあるように見えて、宗教的でもある。そういうことを介してどこからでも行けるはずだという場所をとにかく指さして見せてくれたことが、ヴェイユの宗教としての現代性のいちばん大きな場所じゃないかとかんがえます。(前掲書119~121p)

「歩く浄土41」で取りあげた宮沢賢治の『「注文の多い料理店」序』にある「どうしてもこんなことがあるやうでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです」という言葉はかれが感得したことであり、ほんとうにかれにはそうみえたのだと思います。では『銀河鉄道の夜』の「勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学とおなじやうになる」はどうでしょうか。かりに、信仰と科学がおなじになるとしたら、おなじであることの信憑はどこにあるのだろうか。信仰と科学がおなじであることを担保するものは同一性です。

宮沢賢治の希求したことと現実は背反し、ハイテクノロジーと結合したグローバリズムによって、むしろ外部世界の内部化と内部の外部化がすごい速度で更新されつつあります。ヒトゲノムの解読がひとまず成ったとき多田富雄は恐慌をきたし「基本的人権はヒトゲノムの完結性と安定性にある」ことをもって再定義すべきであると新聞紙上で発言しました。ヒトゲノムの解読は分子生物学の進展と高速なシーケンス技術によってもたらされた賜物です。わたしたちの生は分子記号に置きかえられます。30億の塩基の組み合わせに還元できるようになりました。A、T、G、C、このたった4種の塩基の組み合わせで生命の基本は成り立っています。この信憑を担保するものも同一性です。

宮沢賢治の望んだことと逆の方向に世界は収斂しつつあります。まさに「実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学とおなじやうになる」のです。科学と技術の不可避の進展によってこの事態が招来されました。分子記号のレベルで基本的人権を再定義すべきだという多田富雄の危機感は無力です。いまわたしたちが当面しているのは自然科学という外部を内部に持ちこみ、その応力として内部が外部化されるという未知の体験です。そしてこの不可避の過程のすべてを統御するのが同一性です。ほんとうの考えとうその考えを弁別するものも同一性です。この流れを拒むことはできないと思います。それがどういうことであるかヴェイユはしかとは述べませんでしたが、かろうじてヴェイユの匿名の領域だけが同一性の罠から逃れているようにわたしにはみえます。可能性としてのヴェイユの思想というものが匿名の領域にはあるとわたしは思います。吉本隆明はヴェイユの匿名の領域をアフリカ的段階として理念化したのです。そこに国家をひらく可能性をみています。

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ふと大森荘藏のことを思いだしました。内包論を叙述するという果てのないながい旅の途次、分析哲学者大森荘藏のなしたことが励みとなった。時間の謎にかれは生涯をかけとつぜん果てた。『時間は流れぬ』という本が鮮烈な印象としてのこっています。大森荘藏にはひとびとの時間についての思考の慣性とは違うどくとくの知覚があった。このことがかれをとらえて放さなかった。飛ぶ矢の矛盾。
中学生の頃、珍しく大雪が降り興奮し、教室の中と外で雪投げ合戦をしたことがある。窓のガラスがバリバリ割れて、こうなると割れのこりも割らないと気が済まない。ぜんぶ割ってしまってすっきりしました。暴動とか反乱にはそういうところがあります。共同幻想のなせる術です。ひとは群れると我を忘れあこぎなことをする。そうかといって自己それ自体は愚です。わたしの体験知である。だからわたしは自己のなかの絶対の他を性と言ってきた。

窓ガラスに雪玉を勢いよく投げると割れます。時刻t0に投げたとします。そのとき雪玉はあたりまえですが窓ガラスまでの中間点をかならず通ります。中間点を通過した時刻をt1とします。さあガラスまでの距離はあとはんぶんです。雪玉が窓ガラスに到達するにはのこりの距離のはんぶんの地点をかならず通過します。このときの時刻をt2とします。ガラスまであと4分の1です。どうようにガラスが割れるまでつぎつぎと残された距離のはんぶんの地点を通過します。時刻はt3、t4、・・・・tnとなります。いつまで経っても雪玉はガラスまで到達できません。リクツではそうなります。それなのに雪玉はガラスにあたってガラスは砕け散り、おまえが音頭をとったのだろうとさんざん担任から叩かれます。リクツではいつまで経っても雪玉はガラスに到達しないはずなのです。でも経験では弁償させられます。これはいったいどうしたことか。そういうことを大森荘藏は生涯を費やして考えたのです。

周知のように、このアキレスの逆理に挑んだ哲学者や数学者の数はおびただしいが、ついぞ今日までそれの解明に公認の成功を得た人はいない。私もこの逆理を解明したなどというのではもちろんない。私の得たのは、いわばこの逆理が持つ意義の新しい見方とでもいうべきものである。簡単に言うと、ゼノンはこの逆理で相手方を困らせようとしたのではなく、ある基本的な考えにひそむ危険を警告しようとしていたのだ、というのが私の新しい見方である。現在のところ、この私の見方に賛同してくれたギリシャ哲学史家は一人もいないし、おそらくこれからも無視されたままであろう。しかし、私は、ゼノソの警告がもし適中したならば、自然科学の全体が崩壊するのではあるまいかとすら思う。なぜならば、ゼノンが矛盾を含むと警告したのは、現代科学の最基底にある最も基本的な表現に対してであると思われるからである。(『時間は流れぬ』10~11P)

すごいことが言われています。ゼノンの矛盾が解かれれば瞬時に自然科学の全体が崩壊するというのです。精密化学も先端科学も大森荘藏は物語にすぎないといいます。ヘンなことをいう人としてかれは孤独だったと思います。
思考の慣性の鞏固さについてかれは自身をふり返りながら回想しています。

 時間が流れる、時の流れ、という観念は古今東西にわたって人間を呪縛してきた巨大な比喩であることは間違いない。今日でもなおこの観念はわれわれのなかに棲みついていささかの衰えもみせていない。私自身も人生の大半をこの観念の支配下に過ごしてきた。そしてこの時の流れの観念が実はとんでもない過誤ではないかと疑い始めてからも長年の間その呪縛から逃れることができなかった。しかしその長年の動揺と困惑の後に、いまではそれが誤りであるという確信を得るに至った。
 その誤りの原因は、前節で述べたように、元来は運動と無縁である時間軸に現在経験に充満している運動を無理に持ち込もうとすることにある、というのが私の考えであ
る。(前掲書89p)

大森荘藏がながく呪縛された「時間が流れる」というドグマも同一性を前提として訪れます。時間が流れるというのは「誤りであるという確信」へかれを誘ったのが道元の思想です。孤独な営為をかさねた大森荘藏に合掌。

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ついでながら。。。
内田樹さんの状況への発言は的確です。あたらしいものをつくる力はありませんけど。
相変わらず切れ味のいい安倍晋三政権への批判をやっています。
2015年5月27日のかれのツイートをいくつかコピペします。

『赤旗』の取材1時間。戦争法案上程の歴史的条件について。アメリカの世界戦略の変化(つまり「戦線の縮小」)によって生じる空隙(軍事的「雑巾がけ」と軍需産業の求める「マーケット」をアメリカに代わって引き受ける国についてのニーズ)に安倍政権がジャストフィットしたから、という解釈。

超覇権国家が拡げすぎた店舗を畳んで「本店」だけに縮むという戦略は20世紀にイギリスが実践して成功しました。「七つの海」を支配した大英帝国は大西洋の小島に収まりながら、国際社会でそれなりに威信を保持しています。アメリカにはモデルにすべき直近の「成功例」がある。

イギリスは縮むときにそれまでやってきた「超覇権国家仕事」のいくぶんかをアメリカに委譲しました。アメリカもそろそろ誰かに「権限委譲」したくなっている。ただ、それを受け継いだ「次の超覇権国家」の登場は望んでいない。だから、仕事をばらしてあちこちに押しつけるつもりでいる。

中東における米英の権益維持は「優先順位は高いができれば手を着けたくない汚れ仕事」です。できれば他国に押しつけたい。でも、ヨーロッパには手を挙げる国がいない。さいわい、日本には「戦争がしたくてしょうがない首相」がいる。じゃ、こいつにやらせようか。そういう話じゃないですか。

痛快です。スカッとします。

高橋源一郎さんの『ぼくらの民主主義なんだぜ』はアマゾンから送られてきましたが、まだ読んでいません。たぶんそのあとがきのようなものがツイートされていたので、これもついでにコピペします。2015年5月14日の分です。

①「ぼくらの民主主義なんだぜ」という本を出しました。13日に発売されたばかりです。この4年間、朝日新聞の「論壇時評」で書いたものを、まとめ、それから少し直し、書き加えたものです。本のタイトルは最後に決めましたが、これ以外には考えられませんでした。

②この4年間、たくさんのことが起こりました。ぼくは、新聞にも書き、それからこのツイッター上にも書いてきました。日本も世界も変わってゆこうとし、そして、ぼくたちは引き裂かれようしているのだと思いました。どんな風に、どんな理由によってなのか、それを知りたいとずっと思っていたのでした。

③少し前、平田オリザさんの本を読んでいたら、こんな箇所にぶつかり、目を見張る思いがしました。平田さんは、こんな風に書いています。「二一世紀のコミュニケーション(伝達)は、「伝わらない」ということから始まる。対話の出発点は、ここにしかない」と。それは、どういうことなのでしょうか。

④「私とあなたは違うということ。私とあなたは違う言葉を話しているということ。私は、あなたが分からないということ。私が大事にしていることを、あなたも大事にしてくれているとは限らないということ……」

⑤「そして、それでも私たちは、理解し合える部分を少しずつ増やし、広げて、ひとつの社会のなかで生きていかなければならないということ。そしてさらに、そのことは決して苦痛なことではなく、差異のなかに喜びを見いだす方法も、きっとあるということ」

⑥平田さんのこのコミュニケーションの定義は、民主主義の定義そのものではないか、と思ったのでした。小さくは二人の関係から、家、会社、国家、さらに世界に至るまで、ぼくたちは、その中で「自分に理解できない他者」と生きていくしかない。その生き方を「民主主義」と呼んだとぼくは思うのです。

⑦思えば、ルソーの「社会契約論」も、歴史上初めて、「民主主義」を導入した古代ギリシャの哲学者たちのことばにも、理解できない他人と生きることの困難さが書きこまれています。もしかしたら、貴族制や王制のように、他人にすべてを決めてもらうことの方が楽だったのかもしれません。

⑧だが、ぼくたちは、そうではない道を選んだのです。なぜだろうか。この「民主主義」という、「理解できない他人との共棲」を目指すシステムは、単なる政治システムではなく、人間を成長させてくれる、最良の教育システムでもあることを、ルソーやソクラテスは知っていたのかもしれません。

⑨4年間、目の前の社会で起こる膨大な事件を見つめながら、この社会と戦後民主主義が揺らいでいるいまだからこそ、もっとも原理的な場所まで可能な限りさかのぼって考えることが必要だと思ったのでした。読んでいただけると幸いです。もろちん、この本は、最初の一歩にすぎないのですが。

高橋源一郎は「理解できない他人との共棲」をめざすシステムのことを民主主義と定義しています。喉に刺さった小骨のような違和感があります。高橋源一郎の発言には当事者性がないのです。当事者性をスルーしています。世の中を眺め下ろしているのです。ここはとても大事なところです。かれは無意識に民主主義のメタレベルに立って発言しています。なまなましい日々の只中にはいません。その外部からもの言いしています。わたしはこの俯瞰する視線が権力であると長年発言してきました。観察する理性が可能となるシステムが民主主義なのです。ねえ、君、そういうことをしてはいけないんだよ、それぞれ違うのだから、まずその違いを認め合うことからはじめようよ、とかれは啓蒙啓発します。余裕綽々の発言です。
ちゃらい平田オリザとは何者か。日中-太平洋戦争を遂行した東条英機は連合国により戦争の張本人と断罪され首を吊られ、東条英機を暗殺しようとした帝国海軍少将高木惣吉は戦後公職追放され厚遇はされずに出来事に対処しました。小林秀雄でさえ「この大戦争は一部の人たちの無智と野心から起ったか。それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観はもてないよ。僕は歴史の必然というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言いました。

今のところなんとか喰えているが、来月は、いや来年はどうなるかわからないというのが、わたしも含め大半のひとびとの生の現状だと思います。民主主義を称揚する者たちは例外なくこのシステムの勝ち組です。そしてこの者らはつねに弱者や敗者に口先で寄り添います。このシステムでは負け組は残骸のように遺棄されます。口舌の者らのやることは痛くも痒くもない内省です。わたしは内包論でこの差異をなくそうではないかと長年主張してきました。
民主義もまたわたしたちがつくった共同幻想のひとつのあらわれであり、ひとつの歴史の過程にすぎません。高橋源一郎の発言はロシア革命のナロードニキ運動のレベルにも到達していません。わたしにとっては不可侵・不可被侵の満月の思想もひとつの過程です。かれの美しい主張の過誤によってこの社会が支えられているという逆説にかれが気づくことはありません。高橋源一郎のいちいちごもっともな発言と安倍晋三の倒錯は双生児です。わたしはそう思っています。
次回のブログでは吉本隆明と中沢新一の対談「『最期の親鸞』からはじまりの宗教へ」の後半を扱います。

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