日々愚案

歩く浄土40:共同幻想のない世界2

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親鸞の「りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」(『唯信抄文意』)という言葉はとても好きです。前回のブログで親鸞の、おれとおなじ、仲間よ、という呼びかけだと解し、内包論から少し注釈を加えました。さて、このつづきをもう少し書いてみたいなと考えていたら、手元に未読の吉本さんと中沢新一さんの対談を掲載した本があったのです。好感をもって読みました。ながいですが、一気に貼りつけます。

中沢 親鸞は宗教というものを解体しようとした。その宗教というのは、一万二〇〇〇年ぐらい前、新石器の時代にはいって、都市や国家と同時期に生まれた宗教のことです。「アフリカ的段階」の宗教とは違う、いまの宗教に通ずる宗教です。
 この一万年ほどの間につくられた宗教の中に、人類はずっととどまっているわけです。吉本さんはそこに焦点を合わせていらっしゃる。
 吉本さんご自身はマルクス主義との格闘を通して、現代的な宗教の形態の解体に取り組んで、いま、より根源的な宗教性、人間の宗教性の解体ということに取り組んでいる。その解体の向こうに何が出てくるかを、吉本さんは「アフリカ的段階」という言葉で言おうとしているんだろうと僕は考えたのです。
 親鸞がめざしたものは、おそろしく広大です。その親鸞を語る吉本さんは、現代人としての体験を背景としながら、自分の思想の射程を決めていらっしゃる、それもまたおそろしいほど大きい。
 こんなことを言うと、吉本さんは「よせやい」とおっしゃると思うんですが、言わせてください。(笑)

吉本 射程だけは大きいんです。(笑) ロシア・マルクス主義、ロシアと言わなくても、マルクス主義の形態はロシアが生み出したものです。そして、ロシアは、マルクス主義のような科学も宗教にしてしまったわけです。だから、衰退したんだと思っています。このマルクス主義も含めて、東洋的浄土教の一種のように考えてみれば考えられなくもない。 
 何はともあれ、だいたいにおいて日本では、仏教もマルクス主義も解体するとは簡単に言えない状態ですが、最終的に解体すると思っています。僕はこれを復興して、民衆を指導しょうとか、そんな馬鹿なことは考えてもいないし、想像もしていない。実際にそういうことはありえない。
 やはり仏教でもマルクス主義でも、その解体の過程で、何をどう考えていくかが重要です。いい考えが出せなければ、おしまいだと思っています。 それは自分自身のことについても当てはまります。解体、解体と言っているが、自分自身を解体させたときに何が残るかということをよくよく考えていなかったら、少なくとも自分はおしまいだと思っています。
 しかし、ここまで中沢さんが 「おまえの考えはこうだ」と指摘されたことに、僕は手放しで「そうだ、そうだ」とは言わない(笑)。ただ、だいたい僕の見当どおりじゃないかと思っています。
 中沢さんが言われたことに、僕の現在の問題関心があるのではないかと思うわけです。

吉本 僕は他の仏教のことも、外国の宗教も知らないんですが、浄土教のことはかなりよく研究したんです。
 親鸞という思想家は重要だと思いますし、僕は大きな影響を受けています(仏教では禿人といいますが、親鸞は禿人としても日本では珍しい人だと思います。
 親鸞は先々のことが見えていた人で、妻帯にしても、魚や獣を食べることにしても、現代のお坊さんはみなしていることです。こうなることが初めから予見できていたと思います。
 親鸞は自ら「名利の太山に」踏み迷いという言葉を使っていますが、田舎の人たちに対して、やはり名利ずくで教えを説いたんだと思います。それで相手が本当に信じてくれたかというと、それはまったく当てにならない。そのことは親鸞自身が一番よく知っている。自分でよくわかっていて、あらゆることを、普通の人と同じくやってみる。それでもまだ通じないということは実感でも知っているし、体験でもわかっていた。
 では、親鸞が直面した問題とは何か〈それは、自分がいくら大衆や庶民の真似をしてみても、どうしても同じようにはなれないということです。
 還俗すれば別ですが、還俗せずに「非僧非俗」といいながら、民衆の中に入っていき、接近して同じことをやり、特別なことは何もしていない。それでも自分の教えが通じない。
 それを妨げるものは何かといえば、知識であるとも、見識であるとも言えない、何とも言えないもの。つまり、やはりこの人は自分たち庶民とは違うという意識です。それだけは残ってしまう。これは身分制の名残かもしれないが。
 親鸞にしてみれば、どうしても同一化できないが、同一化する以外にないという。
 同一化しようと思ってもできないということ、空隙が埋まらないということが、一番重要な自覚で、やはり浄土真宗という親鸞教の精髄だと思います。ここが問題ではないんでしょうか。

中沢 一遍の踊り念仏でみんなで踊ったりすると、音楽の力と踊りの力がありますから、みんな一つになって、ハイな気持ちになるんですね。
 昔の一遍教団の絵などを見ていますと、若いお坊さんたちがお尻を出して、褌を見せながら踊っています。あれを見ていたら、娘たちだけではなくて、おばちゃんたちも、これは相当いい宗教だ(笑)、と感じたんだろうと実感します。
 一緒に踊っていると気持ちが一つになるし、これが救済の境地になっていく。それを言語化すれば、そのとおりだという考え方にすっと入っていくことができる。

吉本 そうなんです。

中沢 目の前に観想した浄土に自分が引き込まれていったり、それが自分のところにやってくるという幻覚を見て、それを阿弥陀如来が慈悲力によって、救済に赴かれているというように言語化すると、それで空隙を一気に跳び越えることができるんですね。
 宗教というものはその跳び越えの問題に関わっているのでしょうね。
 吉本さんもお書きになっていることですが、アメリカ先住民の人類学的な記録を見ると、いわゆる「アフリカ的段階」の、原始宗教と呼ばれていたものが描かれています。しかし、それは先ほどからの話では、宗教ではないんです。
 アメリカ先住民は、自分の思考を停止させて、向こう側へ飛び込んでいこうとは、めったにしません。
 そういう宗教が生まれたのは十九世紀くらいからです。白人が入ってきて彼らの文明が完全に追いつめられた。それに対抗して、自分たちの文化的伝統を守るために、精神的団結をしなければならないというときに、初めてサンダンスとかゴーストダンスという、新しい宗教が起こりました。
 それ以前の先住民文化では、部族は独立していますし、これを一つの国家のようなものに統一する動きは起こらなかった。
 ですから、近代のアメリカ先住民の間に起こった新宗教運動は、それまでの先住民文化とは異質なものです。お互いの違いを超えて、幻覚の中で一つの信仰に一体化するということが始まったわけですから。
 マルクスはこのようなことを主題化しませんでしたが、しかし国家の生成に関して彼が問題にしているのは、個々の違いを跳び越えて一体化するという主題だったのではないかと考えることがあります。
 親鸞が田舎の普通の人と話しているとき、最後どこまで行っても越えられない空隙を尊重していくことも、そこに関わってきます。
 それは吉本さんの国家論の根幹にもつながっていきますが、国家がなぜ生まれ、そしてわれわれを呪縛し、そこから逃れられずにいるのかという問題ともつながっています。  そんなわけで、僕は吉本さんの 「アフリカ的段階」という考えが、やけに好きなのです。(笑)(中央公論社特別編集『吉本隆明の世界』所収「『最期の親鸞』からはじまりの宗教へ」36~38p)

とても見通しのいい発言です。初出は「中央公論」2008年1月号。親鸞はほんとうはだれに向かってなにを呼びかけたのかと考えていた。親鸞もまた聖書のイエスとおなじように我が言葉より親を大事と思う者はここから去れと言っているようにもみえます。親鸞は仏の慈悲を説いているとも思えます。〔ことば〕というものはひとに内在するなにかなのですが、言葉では言いえないものです。ひとであることの根本の義です。親鸞はそれを飽くことなく説いたのだと思います。そしてそれしか言うことがなかったのです。もちろん通じません。ヘンなひとだったと思います。
お坊さん、ここににぎりめしが1個しかないとすると、腹の減った人はたがいに奪い合うでしょう、それはなぜですか、と訊かれたこともあると思います。ああ、そうか、わけて喰えばいいではないか、と親鸞は答えたはずです。いったい浄土はどこにあるのですか、と何度訊かれたことか。そのたびに、ここにある。ここに歩く浄土があるといったはずです。おそらく親鸞はこの世のしばりの遙か彼方を知覚していたのだと思います。わたしの内包論を予感していたのかもしれません。わたしのなかでの最期の親鸞は、たしかにおれは信を解体した、それはたしかだ、しかしこの感覚をなんと名づければいいのだろうと考え続けたように思います。それが最期の親鸞の立ち姿でした。

この対話のなかで吉本さんは親鸞が村人にいくら接近しても、どれだけ説法しても、教理が埋まらず、同一化できなかったと言っています。わたしは、最期の親鸞はもうそこにはいなかったと思います。このおれのいまいる場所はほんとうはどこなのかと自問していたと思うのです。
吉本さんの発言をうけて中沢新一さんは、一遍の踊り念仏では音楽の力と踊りの力が渾然として救済の境地に入っていけると言います。Oh!Rock’n’Roll!です。わかります。一時の高揚、好きです。でもこれって醒めますね。醒めて現実に直面します。

この発言のやりとりのなかで、中沢新一さんは、マルクスにとっては国家の形成に関してどうすれば個々の人が違いを飛び越えて一体化できるのか、それがかれにとって主題ではなかったのかというところは面白い。それは吉本さんの国家論の根幹にもつながることで、国家がなぜ生まれ、そしてそれが人々を呪縛し、そこから逃れられないのかと言うこととつながっていると指摘します。国家を相対化し、ひらくにはアフリカ的段階まで遡るしかないというのが晩年の吉本さんの考えです。ではそこまでいけばなにが変わるのか。なにもかわらないとわたしは思います。

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中沢新一さんが吉本さんに投げかけた問いを中沢新一さんに返してみます。

 国家のない社会では、いっさいの「権力Power」の源泉は自然の側にあると思考されていました。文化は人間の心の内部でつくられるものです。そこで人間らしい行為やものの考えの基準が整えられています。しかしここにはどこを探しても、権力の源泉というものは存在しません。それは畏るべき力を秘めたスピリットたちのいる領域、つまり心の外である自然の奥に隠されている、と考えられていたのでした。その源泉に接近できるのは、シャーマンや戦士のような特別な能力と技量を持った人たちだけでした。こういう人たちは危険な力に触れているとして、たいていは社会の中心部から遠ざけられていました。
 シャーマンや戦士の能力をもった人物が、社会の中心部に進出して、自分は権力の源泉に触れている「主権者=王」であるという主張をはじめたとき、人類の社会には根本的な変化がおこったのです。そのとたんに、自然はもはや権力の秘密の源泉であることをやめなければならなくなります。権力の源泉は主権者である王とともに、社会の内部に持ち込まれ、スピリットたちの王国であった自然は、それ以後しだいに開発や搾取のための、ただの「対象Object」の位置に降りていくことになります。(カイエソバージュⅣ『神の発明』114~115p)

引用のこの部分は、国家と国家の主権者である王と一神教の発生について中沢新一が語ったところです。狐に摘ままれたような気になる。あれほどすばらしかったスピリットがいつのまにか王や一神教に乗っ取られてしまうのです。これはどうしたことか。言葉の詐術ではないか。現実のこの世のありようから歴史の初源を帰納しています。精霊は一神教に、一神教は資本主義の精神として変容し、そして資本の精神はさらにグローバルなものへと変貌しています。すべては自然生成です。同一性のなせる技です。こういう論述の仕方を本末転倒と言います。なぜこうなったのかということはなにひとつ問われていません。そりゃないぜと思う。いつも中沢新一の対称性の思考は、ほら、ここに、こんなにすばらしいものがある、だから、この善きものでもう一度この世を作り直しましょうという弁舌です。できるわけありません。かれ自身の啓蒙的なあり方はなにひとつ変わらないのです。ここに生きられるどんな現実もない。眺め降ろしの言説があるだけです。かれの前提そのものはなにも変わらないのです。中沢新一が着想したことがどんなによいものであっても、いつもかれはかれ自身で、かれのあり方が変わることはないのです。どこにも自己に垂直な時間はありません。中沢新一はオウムの広告塔をなしたことへの痛切なとらえ返しはみられません。ほとぼりが冷めるのを待ってふたたび文化人の言説をしているようにみえます。言葉が奔るとは言葉に目玉がついて縦横に動くということです。

フーコーはもっと慎重に誠実にこの問いに答えています。手続きについてもじぶんを語っています。

 吉本さんのお仕事の簡単な紹介と著作リストを拝見しますと、その中でいわば個人幻想と国家の間題などが語られています。また、いまも話されましたが、国家形成の母胎としての共同の意志についても書物を著しておられる。これは、私にとっても大そう興味深い間題です。私は今年、国家の形成をめぐって講義を行なっており、その講義の中で、西欧の十六世紀から十七世紀にいたる一時期の国家目的の実現手段の基盤といいますか、いわゆる国是というものが、どのようにでき上がってくるかという過程を分析しておりますが、それには、単に経済的な諸関係だの、制度的な諸関係だの、また文化的諸関係といったようなものの、そうしたものの分析だけでは、どうしても考えられないような、ある謎の部分につきあたってしまいました。そこにはぜひとも国家というものに向わずにはいられぬような巨大な渇望というものが存在していて、まあこれは国家への欲望といいますか、それをいま問題となった言葉を使っていい直しますと、国家への意志と言い替えたほうがいいかもしれませんが、明らかにそういうようなものが間題とされざるをえないのです。
 国家の成立に関しては、それは決して専制君主のような人物や、上位の階級にある人間が、裏からそれをあやつったとかいうことではなく、どうにもわからない大きな愛というか意志みたいなものがあったとしかいいようがないのです。そのようなことを十分に感じ取っているので、特にきょうは吉本さんがおっしゃったことに多くの有益な指摘を発見しえたし、また意志論という視点から国家を論じておられる吉本さんのほかのお仕事がどんなものかを是非とも知りたくなりました。(『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅶ』所収「世界認識の方法」蓮實重彦訳 211p)

フーコーはなにが国家を相対化するかについてじぶんを語っている。

 法や自然に適合しない性行為を想像することが、人々を不安にするのではありません。そうではなくて、個々の人間が愛し合い始めること、それこそが問題なのです。制度は虚を突かれてしまいます。種々の感情強度はそれを横断しており、同時に維持し、かつ攪乱しているのです。軍隊をご覧なさい。男同士の愛が絶えず要請され、非難されています。制度的諸コードは、多数の強度、可変的な色彩、見えにくい動き、写り易い形態をもったこうした関係を合法化することができないのです。

 種々の性の実践を経由していかに関係の体系に到達するのか? 同性愛的な性の様式を創造するのは可能なのか?というわけです。
 生の様式というこの観念は重要だと思います。社会階級、職業の違い、文化的水準によるのではないもうひとつの多様化、関係の形態でもあるような多様化、すなわち「生の様式」という多様化を導き入れるべきではないのか? 生の様式は、異なった年齢、身分、職業の個人の間で分かち合うことができます。それは、制度化されたいかなる関係にも似ない、密度の濃い関係を数々もたらすことができますし、生の様式は文化を、そして倫理をもたらすことができると私には想われます。「ゲイ」であるとは、私が思うに、同性愛者の心理的特徴や、目につく外見に自己同一化することではなく、ある生の様式を求め、展開することなのです。(『同性愛と生存の美学』増田一夫訳)

生のこの感覚から「倫理的活動の核」にあるものを主体とするものをつくるべきだとフーコーは固有の発言をしています。

フーコーは国家へと至る情緒を、「ある謎の部分」や「どうにもわからない大きな愛」や「巨大な渇望」と言います。さらにフーコーのこの発言は小林秀雄のつぎの発言とも重なります。

 僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何も後悔もしていない。大事変が終わった時には、かならずもしかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものにたいする人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人たちの無智と野心から起ったか。それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観はもてないよ。僕は歴史の必然というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。(『近代文学』昭和21年2月号)

 もしドストエフスキイが、今日、ヒットラアをモデルとして「悪霊」を書いたとしたら、と私は想像してみる。彼の根本の考へに揺ぎがあらう筈はあるまい。やはり、レギオンを離れて豚の中に這入った、あの悪魔の物語で小説を始めたであらう。そして、彼はかう言ふであらうと想像する。悪魔を、矛盾した経済機構の産物だとか一種の精神障碍だとかと考へて済ませたい人は、済ませてゐるがよからう。しかし、正銘の悪魔を信じてゐる私を侮る事はよくない事だ。悪魔が信じられないやうな人に、どうして天使を信ずるカがあらう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでゐる。福音書が、怪しげな逆説の蒐集としか映らぬのも無理のない事である、と。(『小林秀雄集』所収「ヒットラアと悪魔」176p)

どうですか。フーコーと小林秀雄の発言。とても正直だと思います。どうかんがえても中沢新一の言葉は軽くて浮いています。わたしはそう感じてしまいます。

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親鸞の「われらなり」や、有縁あればすなわち濃い父母兄弟なり、という言葉をどう解するか。親鸞が感得はするが名づけることのなかった情動を内包自然と呼ぶことでスコンと底が抜けます。自然法爾のもうひとつ奥まったところに内包自然がひっそりと息づいています。我が身の極悪深重を自覚し悶絶した親鸞はそれを名づけることもなくそこにいたと思います。最期の親鸞はそこを生きた。それは言葉ではないわたしの確信のようなものです。

親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念佛まうしたること、いまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念佛を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてて、いそぎ浄土をさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと、云々。(『歎異抄』

順次生は、すべての生あるものは生まれ変わり、いつかはかつて母であり父であり兄弟でもあったと解釈される。信を解体した親鸞が輪廻の思想を敷衍するはずがない。親鸞の言葉をうけとるがわの思想が験されている場面だ。親鸞が「りょうし、あき人、さまざまなもの」に言葉を投げかけるとき、言葉は、「まわらぬ舌で初めてあなたが『ふたり』と数えたとき/私はもうあなたの夢の中に立っていた(谷川俊太郎「ふたり」)、そのようなものとしてあったのだとわたしは理解しています。それが順次生の意味です。親鸞の口から洩れた〔ことば〕はそれほどに深いのです。内包自然という理念を挿入することでしかこの深さに触れることはできないと考えています。ここからゆるゆると内包家族論が遠望されます。

最期の親鸞は〔ことば〕の関係を、なにも所有しないことで生き切ったように思います。いつも親鸞はこの場所のことをつぶやいていたのではないか。つながらないからこそつながっている、この世にとっての逆理が、ここにある。それは親鸞にとっても不可思議なことだった。みえないがそれはある。内包自然という根源からのうながし、それが他力の本態だ。ここに親鸞の見果てぬ夢があったとわたしは思っています。

コメント

1 件のコメント
  • 倉田昌紀 より:

    こんばんは。小生は、親鸞について小生にとっての〈最期の親鸞とは?〉と、森崎さんの親鸞についての言葉をヒントにさせてもらいながら、特に墓仕舞い、家仕舞い、このクニの祖霊信仰の共同性を被りながら紀州・熊野の白浜町富田で生きて生活する当事者として、その現場性のなかで考えています。残るのは小生とパートナーの遺体の処理となります。そのような現場性のなかで感じながら考え日々を生きて棲んで生活している状況と条件です。
    「信を解体した親鸞が輪廻の思想を敷衍するはずがない。親鸞の言葉をうけとるがわの思想が験されている場面だ。親鸞が「りょうし、あき人、さまざまなもの」に言葉を投げかけるとき、言葉は、「まわらぬ舌で初めてあなたが『ふたり』と数えたとき/私はもうあなたの夢の中に立っていた(谷川俊太郎「ふたり」)、そのようなものとしてあったのだとわたしは理解しています。それが順次生の意味です。親鸞の口から洩れた〔ことば〕はそれほどに深いのです。内包自然という理念を挿入することでしかこの深さに触れることはできないと考えています。ここからゆるゆると内包家族論が遠望されます。
    最期の親鸞は〔ことば〕の関係を、なにも所有しないことで生き切ったように思います。いつも親鸞はこの場所のことをつぶやいていたのではないか。つながらないからこそつながっている、この世にとっての逆理が、ここにある。それは親鸞にとっても不可思議なことだった。みえないがそれはある。内包自然という根源からのうながし、それが他力の本態だ。ここに親鸞の見果てぬ夢があったとわたしは思っています。」小生には、響く言葉です。無一文で、実家の地代(今は一年間126000円)や家仕舞いのお金の支払いに困るのですから、このような言葉が響くのは、野垂れ死にするにも、また、今だけ、金だけ、自分だけからも縁がないからです。
    「親鸞が感得はするが名づけることのなかった情動を内包自然と呼ぶことでスコンと底が抜けます。自然法爾のもうひとつ奥まったところに内包自然がひっそりと息づいています。我が身の極悪深重を自覚し悶絶した親鸞はそれを名づけることもなくそこにいたと思います。最期の親鸞はそこを生きた。それは言葉ではないわたしの確信のようなものです。」確信を生きるとは、小生たちには、まさに共同性でも、個でもなく、ましてや類などではない。まさに煩悩のその日暮らしなのです。
    「おそらく親鸞はこの世のしばりの遙か彼方を知覚していたのだと思います。わたしの内包論を予感していたのかもしれません。わたしのなかでの最期の親鸞は、たしかにおれは信を解体した、それはたしかだ、しかしこの感覚をなんと名づければいいのだろうと考え続けたように思います。それが最期の親鸞の立ち姿でした。」 。 信の解体即その日暮らし、煩悩のその日暮らし即信の解体が、小生たちの共同性でも、個でもない生活そのものの現場性なのです。そうでなければ生きて生活できない必然そのものです。今だけ、金だけ、自分だけは、信の解体の不可能性に繋げてくれる、他力即自力、自力即他力の信の解体のようにも小生には感じられます。もちろん強弱は時によって生成しているようですが、その時を時間のように所有しているわけではありません。
    「〔ことば〕というものはひとに内在するなにかなのですが、言葉では言いえないものです。ひとであることの根本の義です。親鸞はそれを飽くことなく説いたのだと思います。そしてそれしか言うことがなかったのです。もちろん通じません。」。ひとであることの根本の義については、小生には、書かれないことの不可能性のようにも感じられます。ここに小生にとっては、内包論の根源の性が、生きて生活する糧のように、そのことばがやってくるのです。正直に誠実に、率直にやってくるのです。見果てぬ夢は、類でも個でも、ましてや共同性でもなく、根源の性のふたりなのかも知れないと感じながら、信の解体が、他力のように、向こうから静かにやってくることでしょう、と思っています。

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