日々愚案

歩く浄土234:アフリカ的段階と内包史21ーヴェイユの自然7

内面は共同幻想であるなど、そんなことを言っていいのか、おまえ、という声が聞こえる。それがどういうことかよく承知している。こんなことを言うと数少ない読者がゼロになる。この問いを発するとき、解けない主題を解けない方法で解こうとするのはなぜかという問いが渦巻いている。外界というおおきな自然があり、一方に環界の自然の重力に抗い生を慰撫するちいさな自然がある。このちいさな自然のことをわたしたちは内面と名づけてきた。これ以外に精神であり身体であるわたしたちの生のありようはなかった。そうだろう。数千年、あるいは歴史時代の一万年が遷移するなかでわたしたちはこの思考の慣性を自然とみなしている。そしてこの自然が大きく転回しつつある。生の岩盤がばりばりと音を立てて壊れていくことをひしひしと身に感じないで日を過ごすことができるか。文明の外在史があれば、その外在史から疎外された精神の内在史があると考えることは妥当だろうか。ひりひりする生の実感がないだろうか。この表現の型は適者生存を事後的になぞることにすぎないという疑念が生じないだろうか。75年前に瀕死の床で最期のヴェイユはこんなことを考えていた。そしていまわたしもおなじことを考えている。

24歳のとき「マルクス主義の批判」を書き、マルクスの思想の根幹を難じている。マルクスはヘーゲルの観念論を転倒して世界を改造しようとしたわけだが、できあがったのは権力を掌握した知識層が支配階級になっただけで、労働者や農民は新しい支配層に隷属することを強いられた。革命前夜、ナロードニキ運動で勾留され処刑されても、その意志を継ぐ者たちが続々と津波のように押し寄せ、皇帝を打倒する。世界史上初の労働者の政権だった。殺されても殺されても民衆のなかに飛び込んでいく勇気凜々の源はマルクスの思想だった。新興の狂熱の宗教である。その教祖がマルクスだった。そのマルクスをヴェイユは批判する。社会主義の旋風が吹き荒れるなかでだれも為しえないことだった。ヴェイユの言動が支配者となった知識層に受け容れられるはずがない。「精神の本質にほかならぬもの、すなわち最善をめざす絶えざる熱望を物質に帰属させるがごとく、歴史を構想してしまった。この点でマルクスは、資本主義思想の一般的潮流と深く一致する」「たしかにマルクスは、自由と平等を求める高邁な熱望のほかに動機をもたなかった。ただし、この熱望も、かれの精神のなかで混在している唯物論的宗教と切り離されてしまうと、マルクスが侮蔑的に空想的社会主義と命名したものに吸収されるほかなくなる」(『自由と社会的抑圧』所収「マルクス主義について」)だれがここまで苛烈なことを言いえたか。マルクスの宗教的威信は燃え盛りそびえ立っていた。自我と社会的なものというふたつの大きな偶像がヴェイユのゆくえを阻んだ。ヴェイユの生の根幹にあったものとはなにか。いのちの芯にあるうつろが耐えがたいという生の直感だった。

死後編纂された『自由と社会的抑圧』をつぎのように結んでいる。

集団に個人が従属することへの抵抗は、まずはみずからの運命を歴史の奔流にしたがわせることへの拒否を意味する。こうした批判的分析の努力をひきうける決意をするには、ただつぎのことを理解すればよい。すなわち、この努力をおこなう人間は、われとわが身を狂気と集団的眩暈の汚染から救いだし、社会のさしだす偶像をみおろしつつ、自分のために精神と宇宙との原初的協定をむすびなおすことができるだろうことを。 一九三四年

この結びのなかに『ロンドン論集とさいごの手紙』に収められた「人格と聖なるもの」につながる思想の片鱗がわずかにすがたをあらわしている。匿名の領域を手にするまでヴェイユは長い長い旅をした。「権威主義的で国粋主義的な運動が勝利して、およそいたるところで、律儀な人びとが民主主義と平和主義に託した希望がくずれさっているが、これもまた、われわれを苦しめる悪の一部にほかならない。悪は、はるかに深く、はるかに広く根をめぐらせる。そもそも活動と希望の源泉が人間の生存条件に汚染されていないような、公的または私的生活の領域など存在するのか」(『自由と抑圧』序)と自問しながら、「精神と宇宙との原初的協定」を結び直そうとヴェイユは錐をもむようにしてまっしぐらに生きた。わたしは苛烈な体験のさなかに熱い自然に出会い、その驚きを内包論として持続してきた。いまヴェイユはわたしのすぐ隣でにこにこしている。

『重力と恩寵』のなかに自力廻向と還相廻向が絡まって解義不能に思える言葉がある。

私が無になるにつれて、神は私をとおして自分自身を愛する。

たぶんヴェイユもなにを言いたいのかはっきりはわかっていない。ただこの微妙な言い回しは「キリストは親密なキリスト教的友情、すなわち二人の向かい合った親密さの中に、第三者としてつねに現われる、と正確に言われたのでした」(『神を待ちのぞむ』)と、じかに切り結んでいる。「活動と希望の源泉が人間の生存条件に汚染されていないような、公的または私的生活の領域など存在するのか」という問いを内包自然のうえに置けば、すっきり解決する。そこに変わるだけ変わって、変わるほどに変わらない、人間の生存条件に左右される自我や社会的な偶像とはるかな深淵でもって隔てられた生の源泉があるからだ。
ヴェイユにとって神は二重化している。意識の外延性では語りえない神のことをヴェイユは不在の神という。では「私が無になるにつれて、神は私をとおして自分自身を愛する」というときその神はどこにいるのか。その神とはなにか。レヴィナスも似たことを言った。自我は起源に先立って他者へと結びついていると。起源に向かうときの自我と他者からよぎられたときの自我は違うはずだ。往相の自我と還相の自我はまったくべつものである。だから自力とは隔絶した還相の仏に宿られることを親鸞は他力と言った。他力は内面のなかにも共同性のなかにもないことを親鸞の他力は含意している。「私が無になるにつれて」は、往相の生を意味し、意識の外延性は還相の神を措定することができない。このあわいにヴェイユの不在の神が対応している。そうすると「神は私をとおして自分自身を愛する」ということで往き道の神と還り道の神とに二重化されるほかなくなる。「自分自身を愛する」ように「私」も愛されるということは「私」が神であることを意味する。還相の神はヴェイユを楕円体のように領域化することになる。ヴェイユさん。自己に先立つ超越のことを意識の外延された神や仏という共同幻想ではなく自己や社会を内包化する根源の性に深奥にある還相の性であると言えばよかった。なぜヴェイユの不在の神が内包の至近まで来ることができたのか。それはヴェイユが神を可視化せず、内面化も共同化もしなかったからだと思う。内面化も社会化も大きな偶像にすぎないという覚知がヴェイユにあった。まったくの孤絶のなかでヴェイユは死を迎えたが、還り道としては大往生だったと思う。ヴェイユの卑小な偉大は内包論が継承している。だれも為しえなかったヴェイユの苦闘を一言で言える。ひとは根源においてふたりであり、この根源の性を分有することで卑小な自己と偉大な神があらわれる。意識の外延性では卑小な存在は内面化され、偉大な存在は共同化された。内面化も共同化もできないところに無限小であることが無限大である存在の内包がある。偉大と卑小は禁止と侵犯としてかたどられたが、意識の内包ではじかにひとつである。だれにもみえない生をヴェイユは充分に生きた。ヴェイユさん、今度は、内包の世界で会いませんか。(この稿了)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です