日々愚案

歩く浄土233:アフリカ的段階と内包史20ーヴェイユの自然6

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ヴェイユの思想をたどり直していて、ヴェイユが生きた時代とわたしたちが生きている時代にひとつのおおきなちがいがあることに気づく。鋭敏なヴェイユの生の感覚をもってしても、ヴェイユの思想にある未然を言葉でつかみださないと、そのままでは思想まるごと生き延びることはできない。人間の終焉を宣言したフーコーは死の直前に倫理的活動の核にある存在を発見し、主体は実体ではなく他者によってもたらされると言い遺した。中期のフーコーはイランのホメイニに肩入れし、なんとしてでも超西欧的な文明や非資本主義的な生の様式が発見されなければならないと呻くように発言した。「わたしはそれが可能だと思う。大いにありうることだとさえ思う。そして、それが可能でなければならぬ」(『批評あるいは仮死の祭典』)明晰な発言をしてきたフーコーが情緒的なことを言っているので驚いたことを覚えている。禁止・抑圧・排除を理念化した権力の概念が思考の慣性として生に浸透しており、権力についてべつのまなざしをつくろうとフーコーは身体を貫く生権力の研究に没頭した。鋭利なフーコーの先端的な試みでさえ牧歌的だと思えるほど急峻に世界は変貌している。ヴェイユの匿名の領域をそれ自体として取りだし粗視化して、そのあたらしい自然で変貌する世界を包むことができなければ、わたしたちは世界システムの属躰となるほかない。理念的なことではなく、私が私であることの各自性を技術が埋め尽くしてしまい、人間という理念の固有性が蒸発しつつあるからだ。その現実を人びとがうけいれていくということ。理念ではなく現実に人間が終焉する。歴史の近代から継承されたすべての理念を大幅に拡張することで文明史の転換を迎え撃とうと内包論で考えている。

1942年末にアメリカ経由でロンドンに亡命し、自由フランス政府の内務局でナチ撤退後のフランスの新体制に向けた計画に参画し、絶命するまでのわずか1年足らずのあいだに夥しい文書を書き残す。それらは『ロンドン論集とさいごの手紙』や『根をもつこと』に収録されている。戦後の復興についてヴェイユはそのなかでいろんなアイデアを提起しているがルソーの一般意志をよりどころとするありきたりの政治しか構想しえていない。ヴェイユはコミュニズムとファシズムはおなじ貌つきをした政治をやることを初期から体得していた。なぜルソーなのか。不在の神を可視化するとヴェイユの固有の神は凡庸な共同的な祭儀の対象となる。いま当面している文明史の転換がかるがると人間についての理念を超えていくのは必至だと思う。不在の神に向けて祈るというヴェイユに固有の神についてしつこく問い尋ねる。ヴェイユの固有の神のなかには意識の外延的な表現という思考の慣性を超える可能性が潜んでいるのはたしかだが、それがどういうことであるかうまく言えていない。そこにヴェイユの未然がある。

公共的な場での言語(信)と「婚礼の部屋」の言語(信)は異なるとヴェイユは言う。親鸞の無上仏にかたちはないとおなじで、ここで信は言葉として語られている。不在の神に向けて祈るというヴェイユの神はどんな神か。ヴェイユにとってだけ固有の神である。宮沢賢治のほんとうのほんとうの神とおなじだと思う。ヴェイユはなぜほかのどんなキリスト者より神の近くにいるにもかかわらず、ひそかに信を懐いたのか。その信とはなにか。親鸞の他力は自力と千里の隔たりがあり、自力の信とはまったく無関係である。有理数から無理数がみえないように、悪人正機が理路を切断しているように、自力から他力はみえない。おなじことをヴェイユも言いたくてたまらない。神という信、あるいは神という言葉の秘儀をヴェイユは語る。「キリストは親密なキリスト教的友情、すなわち二人の向かい合った親密さの中に、第三者としてつねに現われる、と正確に言われたのでした。」(『神を待ちのぞむ』)ここに意識の外延性を極北まで生きたヴェイユの信が語られている。もしこの信を内包的にひらくことができればヴェイユが死ぬことはなかった。意識の外延性を吹っ切れていないが自力廻向をヴェイユが説いているのではない。自己を無限にちいさなものとすることにより、その卑小な存在がいつのまにか神になるとヴェイユは言っている。ここにヴェイユの信の核心がある。数学の近傍という概念はかぎりなく近づくということだが、同一性を理路としている。触れることもできないほどヴェイユの近くにいる神をこの理路が追うことはできない。親鸞の悪人正機は他力によってしか語れないように、ヴェイユの不在の神も理路から切断されている。同一性的な意識の明証性の彼方が、同一性的意識の明証性のはるか手前に存在するということだ。意識の明証性でいうならばメビウスの輪として譬喩することができる。

ヴェイユの思想がいまなお生きることができるとすれば、自己を放下することの極限で、神を空間化しなかったことだと思う。空間化すれば禁止と侵犯という意識の型を不可避に伴うことになる。そのぎりぎりのところでヴェイユの信は可視化することも実体化することも共同化することもできないものとして存在している。それがヴェイユに固有の神であった。ここでヴェイユの固有の神にたいして問いを発してみる。もしヴェイユの不在の神をわかる者が複数いたとする。そのときかれらは相互にどういう関係を切り結ぶことになるだろうか。意識の必然として第三者を疎外することになると思われる。言葉としては遺されていないがおそらく親鸞もこの崖っぷちに立っていた。

ヴェイユの発見は聖道門系の煩悩解脱ではない。自我を括弧に入れ、あたかも我執が消えたようにみせ、自然に融即する自我を保存する自然生成ではまったくない。自力廻向の信では善と悪はいつでも交換可能であり相対的なものにとどまる。いつも自力の信はいつわりの慰撫を供与する。ヴェイユがつかんだリアルは善でも悪でもないなにかだった。それがだれのどんな生にも無限小のものとして内属している。それが棲まう場所のことをヴェイユは匿名の領域と名づけた。この匿名の領域は婚礼の部屋での出来事とヴェイユが呼ぶことと不即不離の関係にある。あまりに近すぎて可視化することも空間化することもできない、ある存在。内面と外界という自然の粗視化では表現することのできないなにか。たしかに存在はするが名づけようもなく名をもたぬ出来事。このリアルな存在のことを第三者とヴェイユは言う。ここまではエックハルトも来た。この覚知を終わりの始まりとする広大な意識の領野が存在する。内包論で言えばヴェイユが第三者と呼ぶものはじつはヴェイユなのだ。自己を無限にちいさくすることでヴェイユが不在の神になる。ヴェイユはヴェイユでありながら固有名のヴェイユが消え匿名の神になっている。つまりヴェイユはヴェイユであり神であるという領域として存在している。それが不在の神ということなのだ。神は人と人のあいだに存在しているのではない。この機微を言おうとして親鸞は生涯を費やした。言葉はなにかをつたえるための手立てとしてあるのではない。言葉が言葉が自身を生きるとき言葉は性となるほかない。言葉が性であるとはそういうことだ。この言葉を意識の外延性を可視化することはできない。だから自己に先立つこの驚異のことを人々は神や仏と名づけてきた。言葉が言葉それ自体を生きてしまうと、言葉という性はなぜ自己をひらいてしまうのだろうか。存在の複相性が人間の存在の本来的なあり方だからと思う。わたしたちの思考の慣性は意識の外延性を自己の公準としてきたが、外延性を内包化すると、べつのまなざしが可能であることを内包論で主張してきた。

このあたりの機微について「歩く浄土226」でつぎのように書いた。再掲する。

「自己が他者を措定する思考の慣性のなかに生や歴史が閉じられている。根源の二人称は自己意識や神や仏という超越の手前に内包的な存在として存在する。ここで存在の複相性から吉本隆明の心的な領域は根底から拡張されることになる。自己意識の外延的表現の範型として吉本隆明は心的な領域をつぎのように定義した。『心的な領域は、生物体の機構に還元される領域では、自己自身または自己と他者との一対一の関係しか成りたたない。また、生物体としての機構に還元されない心的な領域は、幻想性としてしか自己自身あるいは外的現実と関係しえない』(『心的現象論序説』)存在は複相性としてあるから、内包論から吉本隆明の心的な領域を全面的、根本的に読みかえ、拡張する。内包という心的な領域は、生物体の機構に還元される領域では還相の性を媒介にして一対の根源の性の分有者の関係として表現され、生物体の機構の還元できない心的な領域は共同の幻想ではなく内包的な親族として表現される。内包論は人倫を媒介とせず、共同性も疎外せず、それ自体として自存する。また内面の内包化によって、他力のなかの他力がおのずと表現され、還相の性という潜力がもつ余熱は外延的な共同性を内包的な親族へと転位させる。ここに生や歴史にとってのまっさらな未知がある。」

わかりにくいのですこし付記する。根源の性の分有者は往相の性として分有されるが、意識の外延性の対幻想と違って往相の性の深奥に還相の性があり、還相の性によって自己は領域となり、意識の外延性としては謂わば一人称と二人称が楕円のようにふくみもたれるから外延表現の第三者は内包表現では二人称となる。存在の複相性を往還して意識の内包性からみるとおのずとそうなる。還相の性を認識の公準にすると三人称の世界は存在しえないということになる。ヴェイユが不在の神を領域化することによって、匿名の領域をもっと微細化できていたら意識の外延性を包越して内包論まできていたと思う。

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ヴェイユが到達した地平からいうと、吉本隆明の大衆の原像はどうみえるか。匿名の領域と大衆の原像は一見似ているようにみえる。わたしの理解ではヴェイユの匿名の領域は現代にあっても思想として生き延びるが、吉本隆明の大衆の原像は現代によって息の根を止められることになると思う。人間という理念が改変されても大衆の原像という思想は有効か。吉本隆明の大衆の原像は、人類の文明史が転換するとき無効になると思う。是非を論じたいのではない。大衆の原像という理念を成り立たせる前提となる人間の理念がビットマシン社会が粗視化する思考の慣性によって消滅するからだ。生の基底にあるとされる、「生まれ、育ち、婚姻し、子を産み、子に背かれて、老いて死ぬ」という生を貫く普遍がローカルなものへと変成しつつある。この流れを大衆の原像は拒むことができるか。宗教的な信として大衆の原像への信を表明することはできるが、それは宗教である。また、この思想はもともと東洋的無が変形されてつくられたようにみえる。東洋的な無為の思想が普遍として語られてはいてもローカルなものだと思う。それほど世界は急速に変貌しつつある。

だれも問うことはないが、素朴なことを考えてみる。禁止・抑圧・排除を嫌に思う気持ちはなぜ生じるのだろうか。自己が利己的だろうか。違う。もし人間の存在が心身一元のモナドに閉じられているとしたら、あるいは自己が自己にたいする反射として存在しているとするなら、権力にたいする叛の情動は起こらないと思う。自分の身に起こる出来事なら自然としてやり過ごすことができる。身近な他者に権力が襲いかかるとき猛然と反発する。そうだろう。身ひとつに心がふたつあるからそういうことがおのずと起こる。親鸞は自然法爾と言い、ヴェイユは匿名の領域と言った。おなじことをわたしも内包論で考えてきた。とてもシンプルなことだ。自己があって他者があるのではない。この順序を逆にしたことに人類史の錯誤がある。内包の痕跡が、神や仏として同一性的に縮減されて心身一如に表現された。始めからボタンを掛け違えた過誤の人類史。わたしたちの生はおおきな自然の重力にたいして抗命したいから、その慰めの場所のことを内面と名づけた。それは自己のなかに共同幻想が投影されたことを意味する。読者よ、その是非を問うているのではない。心身一如に同一性の起源があり、またそれがあるから貨幣は交換され富を増殖し、科学も発展した。きわめて合理的である。その果てになにがあるか。人間は演算可能なビット情報へと還元される。この事態を外延的なあたらしい自然とすれば、この過程も合理的である。記号に分解された生は虚ろではないか。いま文明史の転換としてそのことが目の当たりに起こっている。そこであらためて問うてみる。大衆の原像とはなにか。東洋的無の表現にすぎないことに気づくだろう。もうそういう牧歌性などどこにもない。人間という大地に身を横たえる場所は簒奪され、すでに人々は総アスリートの過程にビット情報として強制的に参画させられている。だれもこの不可避の過程からまぬがれることはない。だから総アスリートにたいして総表現者という生のありかたを提起してきた。

世界を表現する公準はなにか。わたしは内包だと考えた。わたしは還相の性を世界の公準とした。モダンな過誤の人類史は同一性を公準としている。おおまかにいうと親鸞の自力廻向の信は思考の慣性としては善と表現される。この自力作善が内面と対応し、外界の共同幻想と相克する。おおきな自然からの重力に抗する生というちいさな自然の退避する窪みである。虫木草魚のように地を這って生きていく衆生にとってこれ以外の自然はなかった。このささやかな自然でさえも文明史の転換のなかで薙ぎ倒されようとしている。ビットマシンは金融工学と、生物工学と、さらに諸科学と結びつき、心身一元のモナドとしてあるわたしたちの生を細かく断片化し、人びとはみずから文明史の転換のなかに飛び降りていく。そうやって生はますます記号に漸近する。自力作善の内面にあたらしい世界のシステムが自然として組み込まれるごとに、そのつど、一度も実現されたことのない人間という理念が消えていく。総アスリートの一人として計測される生に強制的に加入させられる。小さな善を積み増す文化的雪かきも、この市民主義的理念を断ち切ってきた大衆の原像という思想も、時代の急峻な変貌に呑み込まれて理念としてまったく無効となる。
わたしは愉しい空想をする。もし吉本隆明が大衆の原像から衆という言葉をぬいて思想を立ち上げたらどうなるか。それは生の原像となるにちがいない。そして生の原像の底を根源のふたりが支えているとしたら、生を分割統治する知識人という出来事を俯瞰する視線は消えてしまう。なにが吉本隆明の思想に欠けていたのか。体験の深さだと思う。「マチウ書試論」や「転向論」という社会思想で吉本隆明は生を過ぎ超すことができたわけだ。親鸞もヴェイユも出来事のただなかをじかにそのままに生きた。わたしにはこの生の経験の違いは決定的なことのように思える。匿名の領域をじかに生きたヴェイユは不在の神を可視化せず、よくそのことに耐えた。内包の近傍までヴェイユの思想は来ていた。(この稿つづく)

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