日々愚案

歩く浄土216:アフリカ的段階と内包史5

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歴史は一人ひとりの生のなかに直立して内在するもので空間化することができない。外延的な意識を往還して内包的な自然を生きると存在がふいにふかくなる。根源のふたりが分有されて同一性的な自然が生まれたとき、脊髄反射のようにして巻き込んだ身体性が、同一性の内部で食と性として疎外され、文明の外在史をなしてきた。その全体が外延的な意識によって未開・野蛮・原始・古代と名づけられてきたわけだ。親族や社会が重層するにつれて身体性は観念の遠隔対象性によって粗視化され貨幣や交換財として生から分割されることになった。おおむねテクノロジーと結びついた共同幻想によってかたどられた歴史といってよい。そのおおきな自然に内面というちいさな自然がくぼみのように配属されている。それが精神の内在史だ。このような世界の記述のしかたにいったいどんな意味があるのか。おおきな自然の属躰として歴史のなかに生が配属されるだけではないか。いつもそのつど然りとして生きられる生や歴史があってもいい。異議はここにとどまらない。また文明の外在史と精神の内在史という人格を媒介とした類別をビットマシンの電脳はまったく意に介さない。生はすでにより効率のいいビット情報に還元されることを避けることができないからだ。内省と遡行という意識のありかたがまったく無効な意識の外延性は記号A=Aにかぎりなく漸近することになる。その煽りをうけて世界がオカルト化する。そのただなかをわたしたちは生きている。文明史の転形期のさなかにあって世界はポストヒューマンと精神の退行が相克する。しかしその帰趨はあきらかだ。天然由来のどんな自然も人口自然に呑み込まれていく。わたしはおおきな自然とちいさな自然という二律背反によって世界を記述する意識のありかたの全体がニヒリズムであると考えてきた。むろんビットマシンはニヒリズムを自然生成として表現し、人びとはその自然を思考の慣性として受容することになるだろう。わたしは提起する。世界の公準を変えようではないか。親鸞の自然法爾を内包化すると内面を突きぬけた意識の未知があらわれる。それを意識の第三層と名づければ、その至近まで吉本隆明は到達している。おそらくアフリカ的段階という概念をある手応えをもってつかんだとき、ほんとうは吉本隆明は根源の二人称を裏側から触っている。『ハイ・イメージ論』の「普遍喩論」のなかで宮沢賢治の「しばらくぼうと西日にむかひ」のなかにある「《かべいいいい いなら いいいい い》」や「デデッポッポ デデッポッポ」という味不明の擬音について吉本隆明は言う。

 この詩は見かけのとおり、粟畑で粟を刈ったり束ねたりしている農家の女たちの姿と、その畑のそばで遊んでいる幼児たちの有様をスケッチすることから地の流れがつくられている。作者がその情景を記述の言葉でスケッチしているとみなしてさしつかえない。そして……(点線記号)のなかの言葉は作者の内語の独自で、また異質の段階の景物、崖や萱穂や蓼の花や雲や百舌の群や幼児たちの姿や麻の緑の葉などを点景として描き出している。この詩で普遍的な喩とみなされるものは、いままでの考察から作者が記号《》(二重マルカッコ)で挿入しているところだとすぐにわかる。(サイトの記事はテキスト表示なので、引用の原文にある点線記号は略してある-森崎注)

(1)《かべ いいいい い/なら いいいい い》

(2)《デデッポッポ/デデッポッポ》

 この普遍的な喩が、いままでの引例とちがうところは、それじたいをとりだしても意味が不明な擬音語から成りたっていることだ。だが詩の地の流れのなかにもどしてみることで(1)は幼児たちが粟の刈り入れや束ねの畑仕事をやっている女たちのそばで、何かガヤガヤ騒ぎ立てながら遊んでいる。そのときの幼児たちの会話を表象しているようにうけとれる。また(2)は詩の地の流れのあいだにもどしてみると、幼児たちのうたっている歌の歌詞を表象していることがわかる。

吉本隆明はこの作品のデデッポッポをなぜ意味不明とするのだろうか。吉本隆明の明晰な意識の及ばぬことを宮沢賢治が言っていて、そのニュアンスがつかめないからだとおもう。この擬音を無意識のリズムとしてヤポネシアの方言が原日本語として織り込んだと吉本隆明考えたが、謬見だと思う。この擬音を意味不明と了解する吉本隆明の思想の方法の全体が問われている。どういうことかというと、意識の外延性は、「デデッポッポ」を意味以前のものとして分節されている、口から発生された空気音と理解する。もし意味に分節される以前の無意識のリズムがヤポネシアの方言を日本語の祖型とみなすならば、記紀の神話に容易に接続できる。この説明の仕方は通俗ではないのか。『共同幻想論』で国家の起源を吉本隆明は解明したが、その思想のなかに国家から折り返す視点はない。吉本隆明の思想の方法が思想の方法のなかに還相論をもたないということだ。大衆についての理解を歴史の基軸とする「社会」思想は原理的に現実と表現のなかに背馳するものをふくんでしまい、生を歴史への過渡とすることで矛盾を繰り延べる。宮沢賢治の擬音を意味不明とする理解を記紀神話の習俗に接続する理解は安易な通俗だと思う。外延的な意識では意味不明である宮沢賢治の擬音は、じつは、根源の二人称から湧き出ているのであり、この擬音を発するとき宮沢賢治の意識は外界や内面から離れてもっとふかい場所に立っている。おそらく宮沢賢治はそのことを意識してはいないが、かれは存在の複相性を生き、かれの意識は無意識に領域化されているから、ひとりでいてもふたりとして存在している。そのもう一人の他者に向けて宮沢賢治はとごえる(熊本弁)ようして言葉を発出している。同一性的な意識からは意味不明の発音としてしか理解できない。宮沢賢治の擬音は内面化することも共同化することもできないということにおいて、記紀の神話に回収されないものすごくおおきな可能性を秘めている。吉本隆明の普遍喩論はそこを回避するように書かれている。
フォレスト・カーターの『リトル・トリー』で、祖母が孫に向けてたましいのことについて語りかける。

「だれでも二つの心を持ってるんだよ。ひとつの心はね、からだの心、つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。からだを守るためには、家とか食べものとか、いろいろ手に入れなくちゃならないだろう? おとなになったら、お婿さん、お嫁さんを見つけて、子どもをつくらなくちゃならないよね。そういうときに、からだを生かすための心を使わなくちゃならないの。でもね、人間はもうひとつ心を持ってるんだ。からだを守ろうとする心とは全然別のものなの。それは、霊の心なの。いいかい、リトル・トリー、もしもからだ
を守る心を悪いほうに使って、欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、相手を利用してもうけようとしたりしたら、霊の心はどんどん縮んでいって、ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。
 からだが死ぬときにはね、からだの心もいっしょに死んでしまう。でもね、霊の心だけは生きつづけるの。そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。ところが生きている間、ヒッコリーの実みたいにちっぽけな霊の心しか持ってなかったらどうなると思う? 生まれ変わっても、やっぱりヒッコリーの実の大きさの霊の心しか持てない。」

「父さんはね、『茶色の鷹』って呼ばれていた。とっても理解の深い人だったよ。木の考えてることだってわかっちゃったの。わたしがまだちっちゃかったときの話だがね、父さんがなにか困ったようすだった。家の近くの山には白カシの木がたくさんあったんだけど、そのカシの木が興奮しておびえてるって、父さんは言う。しょっちゅう山に登ってカシの木の間を歩きまわってたわ。みんな背の高いまっすぐな、とてもきれいな木だったの。わがままな木は一本もなかった。ウルシや柿、ヒッコリーや栗が下に生えても、全然文句を言わない。それらの実を食ベにいろんな生きものが集まってきたよ。わがままでなかったから、カシの木には大きな霊が宿ってたんだ。とても強い精霊だった。でも、あるときから父さんは、カシの木のことが心配でたまらず、夜も見まわりに行くくらいだったわ。なにかまずいことがあるにちがいないって思ったのね。
 ある朝早く、山の上からお目様が顔をのぞかせたころ、父さん-茶色の鷹は、自カシの林にきこりが何人もはいってるのを見つけた。幹に印をつけたり、全部伐り倒すにはどうすりゃいいか調べたりしてるじゃないか。きこりがいなくなると、白カシは泣きだしたんだってさ。だから茶色の鷹は、もう夜も眠れやしない。それからは毎日、きこりのようすをじっと見張ってたわ。きこりたちは、馬車の通れる道を山のてっぺんまでつくろうとしてたの。
 父さんがチェロキーのなかまたちに相談すると、みんなで白カシを守ろうってことになった。きこりたちが引きあげるのを兄はからって、夜の間に総出でその道をあちこち掘り起こして、深いみぞだらけにしたんだ。女も子どもも手伝った。
 (中略)
 とてもきつい闘いだったから、みんなへとへとだった。ある日、きこりたちが道をなおしていると、突然一本の大きな大きな白カシの木が馬車の上に倒れてきたの。ラバ二頭が死んで、馬車はめちゃくちゃ。とてもりっぱで元気なカシの木だったから、倒れるはずがないのにね。
 きこりたちはとうとうあきらめた。春の雨の時季も始まってたしね。そうして二度ともどってこなかったんだよ。
 満月の夜、チェロキーは白カシの林でお祝いの祭をしたの。黄色いお月様の光の中で輪になって踊ったのさ。白カシも歌ったよ。歌いながら枝と枝を触れ合わせ、チェロキーの頭や肩にやさしくさわったんだ。なかまを助けようとして命を投げ捨てたあの白カシの木に、みんなでおとむらいの歌を歌ってあげたわ。わたしはあんまりわくわくしちゃってね、山の上の空へ舞い上がりそうな気がしたほどだったよ。」

ブラックアフリカの住民には精神性がないとヘーゲルは『歴史哲学』で書いた。それは不当ではないかと吉本隆明は考える。文明の外在史が野蛮・未開・原始と段階を規定するとき、精神の内在史としていえばそこに豊穣な精神性があると吉本隆明は言う。その例示がこの引用だ。宮沢賢治の作品もこの系列にあると吉本隆明は考えている。人間にとってもっとも多様な精神の可能性がアフリカ的段階に人間という概念の母型としてあると吉本隆明は構想した。たしかに祖母の言葉のなかに吉本隆明のいうアフリカ的段階の心性が色濃くのこされていることはわかるが、わたしは吉本隆明のアフリカ的段階という理念も、祖母の孫への語りかけもモダンだと思う。ネイティヴ・アメリカンのチェロキー族の日々の営みや習俗はわたしたちの日々の傍らにあるつい昨日のことのようにモダンな心性ではないのか。若者が生きていく上での心の修養と心得が祖母から孫へ伝授されているが、どこにも目新しいことはない。なにより祖母の説くふたつの心はすでに高度な親族組織とその編み目である社会によって変容を受けている。宮沢賢治の作品を流れる精神の古代形象は吉本隆明のアフリカ的段階の心性よりはるかにふるく人類初期の核家族まで遡れるはずだ。吉本隆明は作品に登場する祖母のことばをつぎのように理解する。

 現代の作家によるいちばん内在的に深く入り込んだ、つまり文学的なアフリカ的な段階の精神の理解だといっていい。一作家がこう理解し創作した例だといってもいい。この登場人物たちには作者の少年時の体験が投影されていて、実感的だといえるだけではなく、わたしたちの想像力が願望する方向が含まれている。わたしたちもまた、動物や植物が人語を話したり、熊祭りをやったりする場面を、民話や神話や現代の童話で創りだしている。空想は、願望としては想像力の産物なのだが、人(ヒト)の幼少期の体験としては事実をもとにしている。
 十九世紀的な西欧の絶対の近代主義からは、旧世界の住民たちの思い込みの世界、迷信やこじつけた関係づけの未開の世界にほかならない。だが作者が描いているチェロキー族の老人たちの心の動きからはそうならない。春になにかが生みだされてくるときは、春の嵐が吹くが、それは「赤ちゃんが生まれるときとおんなじ」で、出産のときの「血と苦しみ」を自然がやっている。夏は生命が育つときで、秋は成熟とともに枯れる徴候が萌すときで思い出や悲哀がわいてくる。冬は死の季節。この季節認識の特徴は自然を擬人とみなしていることだ。この認識はもう一歩踏み込んですすめられる。リトル・トリーの祖母は父親の話をきかせる。父親は住居の近くの白力シの木が興奮しておびえているという。この白力シはみんな背が高く、きれいで、ひとりよがりでなかった。ウルシ、柿、ヒッコリーや栗がじぶんの下に生えても不平をいわない。そんな木の実を喰べにいろんな生きものが寄ってきた。白力シの木には大きな強い精霊が宿っていた。父親は自力シのことが心配で、カシの木のあいだに木樵が何人もはいって、伐り倒す計画をたてているのを知る。木樵がいってしまうと、白力シの木は泣きだした。それから父親はほかのチェロキーと相談して白力シを守ろうと、夜の間に道のあちこちを掘り起し、深いみぞだらけにした。すると木樵は昼間にはそのみぞを埋め、また夜になると父親たちチェロキーは道を掘り起し、みぞを造った。ある日突然一本の大きな白力シの木が、木樵たちの曳いてきた馬車の上に倒れてきて、二頭のラバは死に、馬車はめちゃくちゃにこわれる。りっぱな大きな白力シの木で、倒れるはずがないのに倒れた。木樵たちは雨季もはじまっていたので、伐採をあきらめて去ってしまう。
 満月の夜、チェロキーたちは白力シの林で祭りをやり、月の光のなかで輪になって踊り、白力シたちも歌った。歌いながら枝と枝でチェロキーの頭や肩にやさしく触れた。また仲間を助けるために生命をすてて馬車に倒れ込んだ白力シの木のために、弔いの歌を歌った。
 作品のなかでリトル・トリーの祖母が語る父親の実像は、けっして論理的ではない。ヘーゲルの絶対的な近代主義の視方からは迷蒙として封印されてしまう。だがほんとは迷蒙になりそうなすれすれのところで、内面の理路を与えている。樹木や生きものと言葉を交わし、情念を交換できているチェロキー族の生活感の深さを、深さとして評価できれば、アフリカ的段階の感性にはおおきな根拠が与えられ、近代主義の皮層な人間理解をくつがえすことができる。(『アフリカ的段階について(Ⅱ)』)

精神の母型としてアフリカ的段階を熱く吉本隆明が語る。精神の型としていえばいったい現代となにが違うだろう。ほとんど変わらないと思う。リトル・トリーの祖母が生きた時代の明晰さと迷妄の度合いと現代を生きているわたしたちの明晰と迷妄の度合いは変わらない。初源に豊かだった精神は時代の推移と共に減衰するものだろうか。そういう精神の感受の仕方そのものをまるごと転位させられるのではないか。アフリカ的段階という精神の母型の拡張された母型があるはずだとわたしは内包論でかんがえてきた。それがどういうことであるかうまくは言えていないが見田宗介にはある気づきがある。見田宗介は宮沢賢治の自然についてインディオの知者の「トナール」と「ナワール」という言葉を借りて説明する。

 〈がいねん化する〉ということは、自分のしっていることばで説明してしまうということである。たとえば体験することがあまり新鮮にすぎるとき、それは人間の自我の安定をおびやかすので、わたしたちはそれを急いで、自分のおしえられてきたことばで説明してしまうことで、精神の安定をとりもどそうとする。けれどもこのとき、体験はそのいちばんはじめの、身を切るような鮮度を幾分かは脱色して、陳腐なものに、「説明のつくもの」になり変わってしまう。
 にんげんの身をつつんでいることばのカプセルは、このように自我のとりでであると同時に、またわたしたちの牢獄でもある。人間は体験することのすべてを、その育てられた社会の説明様式で概念化してしまうことで、じぶんたちの生きる「世界」をつくりあげている。ほんとうの〈世界〉はこの「世界」の外に、真に未知なるものとして無限にひろがっているのに、「世界」に少しでも風穴があくと、わたしたちはそれを必死に〈がいねん化する〉ことによって、今ある「わたし」を自衛するのだ。
 このように、にんげんの身をつつんでいることばのカプセルとしての「わたし」と、その外にひろがる存在の地の部分とを、インディオの神話のことばを借りて〈トナール〉と〈ナワール〉とよぶことにしよう。
 「〈トナール〉は社会的人間なのだ。」とインディオの知者ドン・ファン・マテオスはいう。「〈トナール〉は世界の組織者さ。その途方もないはたらきを言い表わす仕方はたぶん、世界の混沌に秩序を定めるという課題を、それが背負っているということだ。われわれが人間として知っていることもやっていることも、みんな〈トナール〉のしわざなのだ。」「〈トナール〉は世界をつくる。〈トナール〉は話すという仕方でだけ、世界をつくるんだ。それは判断し、評価し、証言することで世界をつくるんだ。いいかえれば、〈トナール〉は世界を理解するルールをつくりあげるんだ。」
 〈トナール〉はもともとわたしたちの守護者であるのだけれども、それはいつのまにか、わたしたちをじぶんの「世界」の内にとじこめる看守になってしまう。
 〈ナワール〉とは、この〈トナール〉というカプセルをかこむ大海であり、存在の地の部分であり、他者や自然や宇宙と直接に「まじり合う」わたしたち自身の根源であるという。
 「まったくわれわれは、おかしな動物だよ。われわれは心奪われていて、狂気のさなかで自分はまったく正気だと信じているのさ。」 このようにドン・ファン・マテオスがいうのは、わたしたちはトナールのつくりあげている〈ひとのせかいのゆめ〉だけを、正気の世界であると信じているからである。(『宮沢賢治』)

 〈力にみちてそこを進むもの〉だけが、自分の「世界」に裂け目をつくって未知の空間に出で立ってゆくことができる。そこは〈がいねん化〉のはたらく以前の、すべてがあるがごとくにあり、かがやくごとくにかがやいてある場所である。賢治ととし子、生きているものと死んでいるもの、人間とあらゆる生命、人間とあらゆる非生命とをわけへだてている障壁をつきやぶる武器は、わたしたち自身の内にあるナワールの力であった。今ある〈わたくし〉のかたちに執着して自衛する力としてのトナールにとって、そのことがくらくおそろしい力にみえるだけである。それはわたしたちが〈外に出る〉こと、万象の同帰するあの光の中に身をさらすことの、恍惚と不安がひとつのものであるような戦慄を表現している。(前掲書)

いいこといっているなあと感心する。出来事を「育てられた社会の説明様式で概念化してしまうこと」は思考の慣性に、「〈トナール〉は世界の組織者さ」ということは同一性に対応している。同一性という世界のなかでさまざまに分節された事象にすぎないことをわたしたちは、見田宗介の言うように、狂気のさなかで自分はまったく正気であると信じることができる。「〈ナワール〉とは、この〈トナール〉というカプセルをかこむ大海であり、存在の地の部分であり、他者や自然や宇宙と直接に『まじり合う』わたしたち自身の根源」ということは内包自然に対応している。見田宗介も自己意識の外延表現を拡張できているわけではないが、外延表現のもどかしさについてなにかを言おうとしている。トナールとナワールはどう相関しているのか。ナワールがトナールとまったくちがう意識の呼吸法であることを、ナワールともトナールとも違うものとして表現するしかない。もしそれができなければ、ナワールの内面はトワールに回収される。いつも精神の内在史は文明の外在史の添え物にしかならない。ただ見田宗介が吉本隆明の思想のなかにある欠落を示唆していることだけはたしかだと思う。同一性という曲率ゼロの意識の平面上で経済論と幻想論が論じられたとしても、それらは文明の外在史と精神の内在史の矛盾という同一性の意識の平面上の戯れにすぎなかったといえる。世界の条理を思想がなぞることしかできなかったのは、知識人という観察する理性が世界を表現したからだと思う。内包自然と総表現者という生の感受は世界を未知へと誘うと考えている。

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