日々愚案

歩く浄土215:アフリカ的段階と内包史4

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親鸞が吉本さんが書いた親鸞論を読めばなんと言うだろう。おれの考えたことの底の方まではわかっていないと言うと思う。それは吉本さんのなかにもあった。だれのどんな吉本隆明理解を読んでも、おれの考えたことの底まではわかっていないと言うにちがいない。おなじように昔、吉本さんと対談をしたとき、なんでこれがわからないのかと話をしながら思った。ながいあいだ吉本隆明の『母型論』と『アフリカ的段階について』に違和感をもってきた。1990年に吉本さんと対談を行い、会話の接点がなく話はすれ違い、それぞれの仕事が進んだときにまたつづきの話をしましょうということになったが、2回目をやらないままに吉本さんは亡くなられた。消費社会が興隆するかにみえた時期に対談は行われたので、当時、吉本さんは貧困や欠如を土台にする思想は生きる余地がない、消費社会を肯定する思想をつくらなければならない、ということを講演や本で主張されていた。思想は最高綱領と最低綱領という幅としてしか存在しない。対幻想は壊れる時期に入っているということもたびたび話されていた。その折での対談のさい、なにをあなたはおっしゃりたいのでしょうと何回も問われた。あらゆるものを相対化しないと吉本さんは気がすまず、思想にとっての課題を山ほど提起していた。それがいったいなんだという気持ちが読者であるわたしのなかで積もっていき、これ以上は吉本さんとじかに話をするほかないと思い、吉本さんについて書いた文章を送り、対談を申し込み、吉本さんが引きうけられ、対談の場が設定された。

いつもなにかへの過渡としてしか生はありえない、そのような吉本さんの思想が窮屈でたまらなかった。対談のときは、吉本さんの思想の呼吸法とは異なる思想がありえます。吉本さんの思想は拡張できるのです。奥行きのある点という概念をつくればそれは可能ですと申し上げた。対話は終始すれ違い接点はなかった。わたしはそのあとしばらく吉本さんの本を読むことを止めた。いまなら、架空対談で、奥行きのある点についてそのときよりは突っ込んだ話をすることができると思う。
そのようなことを考えながら、しばらく吉本さんの最期の思想である『アフリカ的段階について』を探究する。『アフリカ的段階について』にたいする異和は、宮沢賢治の作品の理解がわたしと吉本さんでは違うことに起因する。文明の外在史と精神の内在史の母型をアフリカ的段階に求めるとき、生を行き損なう根本的な錯認を抱え込んでいる。ヘーゲルを批判しながら、吉本さんもまたヘーゲルとさほど変わらない意識に囚われている。母型論を土台にしたアフリカ的段階という思考そのものが閉じられているということだ。ここをひらかないと、歴史と生はいつまで経っても二律背反するものとして立ちあらわれる。いつも、そのつど、まにあっている歴史と生の概念をつくればいいではないか。主体を実体とする思考の外延的な慣性を意識の内包性に向けてひらき、外延的な意識と内包的な意識を往還すれば、世界は生きられる未知として、過去を想起するように未来が追憶されることになる。ほんのわずかな視線の移動が決定的である。未知の歴史と生を内包論からたぐり寄せていく。宮沢賢治の擬音論のつづきとしてお読みいただきたい。

吉本隆明の『アフリカ的段階について』をていねいに読んで感じたこと。ヘーゲルの『歴史哲学講義』をたどりながらヘーゲルの歴史理解にたいする異論から吉本隆明の『アフリカ的段階について』は始まる。文明の外在史と精神の内在史についてヘーゲルが、近代の絶対史観から、プレ・アジアを精神をもたない迷妄だと切り捨てていることを批判する。ヘーゲルの歴史観はヨーロッパが世界に君臨していた時代の遺物の思考にすぎないと吉本隆明はヘーゲルの歴史認識を批判する。意図はよくわかる。精神という主格の劇を歴史と考えたヘーゲル。劇を展開するのが意識であり、絶対精神という思考のうねりが、意識の種々の形態を節目としながら実現するものを歴史だとヘーゲルは考えた。わがアジアもプレ・アジアもヘーゲルの視野に入っていない。オリエント世界は精神のない不毛の大地だからだ。島嶼の国に生きてきたわたしたちは蛮族にすぎぬのか。そうではなかろうと吉本隆明はヘーゲルの歴史認識に異議をつける。それはよくわかるのだが、ヘーゲルを批判する意識にひねりがなく、ヘーゲルの思想を相対化したくて、思い違いをしている。
吉本隆明は歴史認識の根幹からボタンをかけ違えた。歴史は時空の錯綜態だが、歴史に段階を設ける吉本隆明の認識がとてもモダンだということだ。このモダンは急激な社会の生成変化から振りきられている。現在の世界システムの変貌の速さに吉本隆明の言葉の速度が追いついていない。ビットマシンの外延革命は歴史認識を、どうであれビット情報まで還元しようとしている。人格を媒介にしない、ということは精神を介在しない支配のシステムが、微細に張り巡らされようとしている。フーコーの生権力の考察でさえ牧歌的なのだ。この錯認はかれが、自身を知識人という観察する理性を行使する者という位相からもたらされている。観察する理性は生の当事者を括弧に入れて成りたっているにすぎない。
吉本隆明の歴史認識にたいして根本的な批判をする。かれがアフリカ的段階という理念として抽出しようとした精神の内在性は、ビットマシンの意識の外延革命のただなかにあっても、精神の古形象として、わたしたちの生のなかに、ありありと内属しているということだ。もうひとつある。歴史としてのアフリカ的段階を生きた人びとが、かれらが生きた時代との関係のなかでもった迷妄の度合いと、現代を生きているわたしたちの個々が現代という時代との関係のなかでもつ迷妄の度合いは、まったく変わらないということ。ある時代をわたしたちのだれもが選択の余地なく生きている。そのとき、意識の明晰さの度合いと迷妄性の度合いがその時代との関係でもつ相関はいつの時代も変わらない。文明の外在史と精神の内在史にはおおきなずれがあるとしてヘーゲルの歴史認識を批判する吉本隆明の方法論が外在的なのだ。わたしたちはだれもある時代から拘束されて有限な生を歴史の過渡として生きているようにみえる。だれもが、ある時代を生き、歴史より短い生涯を終える。なぜ吉本隆明はヘーゲルの歴史認識を鳥瞰できるのか。それはかれが生を観察しているからだ。そのなかにいて、そこを生きるとき、生を観察することはできない。吉本隆明は生きていることを外延し、その窮屈な世界のなかで、環界の歴史というおおきな自然と、環界の脅威にたいする慰めであるちいさな自然を内面とすることによって、歴史や生を外在的に触っている。それが『アフリカ的段階について』であり、その意識のありようがモダンだとわたしは主張してきた。わたしが総表現者と内包自然というとき、吉本隆明の表現意識は内包化されている。外延的な表現意識を内包化すると、時代の移ろいと共に遷移する思考の慣性があるにもかかわらず、意識のもっとも奥まったところに、変わるだけ変わって変わらない意識が、変わるほどに変わらない意識があることを、生きていることのただなかに見いだすことができる。普遍的であるこの意識のことをわたしは内包と名づけてきた。

すでに世界が通過し喪失してしまった人間の原型をアフリカ的段階という理念を挿入すると復元できるのではないかと吉本隆明は考えた。それが吉本隆明の『アフリカ的段階について』だ。わたしは歴史について吉本隆明と異なった考えをつくってきた。文明の外在史と精神の内在史を対比する考えを、思考の外延史と一括りにし、意識の外延表現を包む思考を内包史と考えた。吉本さんは亡くなり、もう『アフリカ的段階について』のつづきを読むことはできないが、吉本思想の集大成である『母系論』と『アフリカ的段階について』をどういうふうによりあわせても世界が豊穣な未知としてあらわれることはないとわたしは考えている。吉本さんの太い精神のうねりが世界を対象化するとき、その思想の方法に根本的な、なにかが、欠落していたと思えてならない。

    2

アジア的ということを長年吉本さんは考究してきた。その多くが状況への発言として述べられている。息を詰めながら読んでいたことを覚えている。多くの読者はまるでわが事が書かれているように読んだはずだ。知識ではなく身体感覚だった。行き暮れた多くの若者を吉本さんの発言は惹きつけた。空前絶後の言葉の吸引力だったと思う。わたしもその一人だった。南島論で天皇制を相対化する理念を摑取し、さらに思想の大転換をもくろみ、『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』を書き、『母型論』と『アフリカ的段階について』というそびえ立つタイトな思想を吉本隆明はつくった。消費社会の全貌をつかもうとして全力をあげて吉本隆明は思考した。戦後二回目の転向をなすに当たって、自分に切実でないことを考えなくてはならないとあちらこちらで書いている。対談のときも、あなたに切実でないことを考えなくてはだめです、と言われた。これから世界はどうなっていくと思うかと問われ、ハイパーリアルなむきだしの生存競争の時代になると思いますと返答したら、あなたの世界認識は間違ってますといわれたことを思い出す。消費社会の興隆はあっというまにすぎてしまい、超格差社会が日々昂進している。紛れもない事実だ。どこで吉本隆明は状況を読み違えたのだろうか。そのことに気づかないまま『母型論』や『アフリカ的段階について』という作品があるように思う。

『アフリカ的段階について』の「序」のなかで、この本のモチーフを吉本隆明は概観している。

 わたしたちは『記』『紀』の神話の初期に場所や時間が漠然としたままで記述されているものが、未明の社会の世界普遍的な共通性をもつことについて、次第に確証を固めつつあった。そしてこの普遍性のある未明の社会の風習や生活を現在も保存しながら同時に、西欧やアメリカの近代文明の洗礼をうけて高度な文明社会を実現した諸都市をも現存させている「アフリカ」大陸を典型として択べば、世界のどの地域にもあてはまる普遍性をもった「段階」という概念を取り出すことができるとかんがえるようになった。

 この論稿にとっては、「アフリカ的段階」を人類史のいちばん多様な可能性をもつ母型(母胎)とし掘り下げ、この掘り下げの方法は同時に歴史の未来にとって最大の射程をもつものとみなすことになった。そのために歴史は一般的に文明の外在史と精神の内在史との矛盾のもとにあることが、普遍的な通則であり、そしてこの通則を原動力として進歩と掘り下げを同時に実現してゆくものだとかんがえられている。

「段階」という概念のアジア的なものとプレ・アジア的の連続性と断続性について吉本隆明はつぎのように言っている。プレ・アジア的、つまりアフリカ的段階では王が住民すべての生殺与奪憲をもつ総体的専制であることに対比すると、アジア的段階では貢納や賦役を課すかわりに灌漑や住民の保護を施す、この総体的な専制と部分的専制が連続性と断続性をなしていると吉本隆明は考えた。

ここで試みてみたいのは、プレ・アジア的な世界としてのアフリカを、時間と空間を同時に共有する段階という概念にまで煮つめると、どんな特性が与えられるか、またそれがどれだけ普遍性をもちうるかということだ。

アジア的という概念が成立するためには、プレ・アジア的(アフリカ的)原型という概念と一体でなくてはならないようにおもえる。そして段階という概念が成り立つためには、連続性と断続性とが二つとも設定できなくてはならない。
 言うに及ばずヘーゲルのブラック・アフリカについての理解は、宗教、習俗、掟て、政治制度(王権の性格)などの側からなされている。原住民の精神について触れていても、この共同幻想にかかわるかぎりでだといえよう。すこしも全般にわたっていないが、こういう対比を煮つめてゆくと、それぞれの形と色合の制度的な差で段階という概念を定義することはできる。プレ・アジア的段階としてのアフリカをアジア的段階の制度的な特徴と区別し、また接続することができるからだ。プレ・アジア的段階としてのアフリカとアジア的段階とのいちばん根本的なちがいは、王権の専制という概念がアフリカ的な段階では両義的で、王の絶対的専制は、裏面からは住民(全臣下)の総体的な専制に転化されることだ。アジア的専制は住民の貢納とひき換えに灌漑水利や軍事的な保護が王権の役割になってついてくる。アフリカ的な王権の絶対専制にある両義性が分離されて、制度、生産物の占有と、霊威(権威)の専制とに分れて次第に固定していった。これを制度の根本的なちがいとしてアフリカ的とアジア的とは異った境界をもちながら接続されていると解することができる。

もうすこし吉本隆明のヘーゲル批判の総論をつづける。

 わたしたちがヘーゲルのアフリカ的な世界への理解といちばん離れてしまう点は、原住民が人間としての豊かな感情や情念をもたず、宗教心も倫理もまったくしめさない動物状態の野蛮とみなしているところだ。ヘーゲルは野蛮や未開を残虐や残酷とむすびつけ、生命の重さや人間性を軽んじている状態にあると解釈している。だが現在のわたしたちは西欧近代と深く異質の仕方で自然物や人間を渉みとおるように理解し、自然もまた言葉を発する生き生きした存在として扱っている豊かな世界だとおもっている。文明の世界が残虐で野蛮だとみなしているものは、独特な視点から万有を尊重している仕方だと解することもできる。
 ヘーゲルはいわば絶対的な近代主義といえるところから、世界史を人類の文明の発展と進化の過程とみ、なした。そこからは野蛮、未開、原始のアフリカ的なものは、まだ迷蒙から醒めない状態としかかんがえられるはずがない。たしかに自然史(自然をも対象とする歴史)としては妥当な視方だという考えも成り立つ。だが人間の内在史(精神関係の歴史)からみれば、近代は外在的な文明の形と大きさに圧倒され、精神のすがた形はぼろぼろになって、穴ぼこがいたるところにあけられた時期とみることもできる。外在的な文明に侵されて追いつめられ、わずかに文化(芸術や文学)の領域だけを保ってきた。そして文明史はこの内在的な文化(芸術、文学)の部分を分離して削りおとすために、理性を理念にまで拡げる過程だったとみなすこともできる。精神の内在的な世界は複雑さと変形を増したが、輪郭を失って文明の外観からは隠れて見えなくなる過程だったといってもいい。現在が、ヘーゲルの同時代の精神よりも、認識力を進化させたとは到底いえないとしても、内攻して深化してゆく認識を加えたとはいえよう。
 ヘーゲルの同時代は絶対の近代主義が成立した稀な時期といってよかった。時代が歴史を野蛮、未開、原始と段階をすすめるものとみなしたのは、内在の精神史を分離し捨象しえたためはじめて成り立った概念だった。現在のわたしたちならヘーゲルが旧世界として文明史的に無視した世界は、内在の精神史からは人類の原型にゆきつく特性を象徴していると、かんがえることができる。そこでは天然は自生物の音響によって語り、植物や動物も言葉をもっていて、人語に響いてくる。そういう認知は迷信や錯覚ではない仕方で、人間が天然や自然の本性のところまで下りてゆくことができる深層をしめしている。わたしたちは現在それを理解できるようになった。これはアフリカ的(プレ・アジア的)な段階をうしろから支えている背景の認識にあたっている。
 わたしたちは現在、内在の精神世界として人類の母型を、どこまで深層へ掘り下げられるかを問われている。それが世界史の未来を考察するのと同じ方法でありうるとき、はじめて歴史という概念が現在でも哲学として成り立ちうるといえる。

なぜ吉本隆明の思想をことさらとりあげるのかとなんども自問する。かれがこの国の戦後を象徴する太い精神のうねりをもつ思想家だからだ。若いころにおおきな影響をうけたということにとどまらない。日中―太平戦争の燃えさかる共同幻想が荒れ狂った総力戦のひずみのエネルギー総体が応力のようにしてひとりの思想家を生んだ。群をぬいて卓越した思想家である。その象徴として吉本隆明の思想がある。わたしは吉本隆明が戦後の時代を血煙をあげながら疾走する姿を青年期から目撃してきた。それはなにものにも代えがたい体験だった。そのうえで、吉本隆明の思想において分明でないところがあると考え、悶絶しながらかれの思想を包括しようと、自前の言葉をつくってきた。対談のとき、いま、吉本さんの思想を拡張しているところです、と申し上げたら、むすっとした顔をして、どうぞ存分におやりくださいと言われた。爾来30年。いくつかの概念をつくり、内包の世界の可能性について呻吟しながら途切れ途切に考えることを持続し、いまはいくらかの余裕をもって吉本さんの思想を眺めることができる。吉本さんはいつも言っていた。わたしにたいする部分的な批判は批判に値しない。もしわたしの思想に文句があれば、わたしの思想をまるごとひっくり返してほしい。そうでなければ対等な批判者とは認めない、と。わたしはいま吉本さんの思想を包括しつつあることをある手応えとともにそのことを実感している。
吉本さんは宮沢賢治の作品を愛好し、とてもおおきな意味をもっていたことは講演録や論考から窺い知ることができる。マルクスとヘーゲル、フーコーは絶えざる吉本さんの思想の源泉だった。終生、吉本さんが関心を関心をもった思想家はおおくはなかった。親鸞やシモーヌ・ヴェイユとフーコーや宮沢賢治や三木成夫ぐらいではないか。まだあるかもしれないが、思索をすすめるうえでの素材だという気がする。せまく深く読むというのが吉本さんの思想の流儀だったように思う。手から口への仕事のあいまに渾身の力をそそぎ本格的な やりたい仕事を数おおく作品としてのこした。膨大な、思索に思索を重ねる仕事のどのひとつをとっても途方もない思索の深さがある。たしかに吉本隆明は家族という特殊な共同幻想を媒介にして共同幻想という概念で国家の起源についておおきな足跡をのこした。しかし国家から降りる思想をつくることはできなかった。それはなぜか。わたしは意識の外延表現が不可避に国家をつくるものであり、外延表現の産物としての国家からおりる原理は外延表現のなかにはないと考えた。文明の外在史はビットマシンの外延革命によってさらに外延され、国家は新しい世界システムの中に呑み込まれていく。世界へのべつのまなざしをつくることでしか世界をひらくことはできない。内包論はその至近のところまで到達している。

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