日々愚案

歩く浄土211:アフリカ的段階と内包史1-宮沢賢治の擬音論1

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宮沢賢治(1896-1933)の作品はまだいちども読み解かれていない。内面の表白ではないかれの作品を解説する批評の概念がないからだ。意識の外延性をどれだけ緻密にしても宮沢賢治の作品にとどかない。盧溝橋事件から満州国建国を宮沢賢治は時代の背景としている。かれの心中は「業の花」で満ちていた。

何をやっても間に合わない/世界ぜんたい間に合わない/・・・・・/その兎の眼が赤くうるんで/・・・・・・・/草も食べれば小鳥みたいに啼きもする/・・・・・・・/そうしてそれも間に合わない/・・・・・・・・/世界ぜんたい何をやっても間に合わない/・・・・・・・・・/その親愛な近代文明と新たな文明の過渡期の人よ。

「空には暗い業の花びらがいっぱいで/わたくしは神々の名を録したことから/はげしく寒くふるへてゐる/ああ誰か来てわたくしに云へ/億の巨匠が並んで生まれ/しかも互いに相犯さない/明るい世界はかならず来る。(「業の花」から一部抜粋)

「世界ぜんたい何をやっても間に合わない」切迫感のなかで、「互いに相犯さない/明るい世界は必ず来る」という激しい世界への渇望はどこから来るのか。「雨ニモマケズ/風ニモマケズ/・・・・・・・・/東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ/ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ//ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/ソウイフモノニ/ワタシハナリタイ」という詩はだれでも知っているが、この詩の滅私奉公は欺瞞だろうか。どの作品を読んでも内面の表白とは異なることが書いてある。宮沢賢治の作品を意識の外延性で解釈しても内面ではない作品の表出意識の内奥にとどかない。内面とはべつのまなざしのただなかを宮沢賢治は生きていた。わたしたちの知る批評意識は宮沢賢治の作品の痕跡をたどることしかできない。燃えさかる共同幻想がますます狂乱の度合いを強め、反政府の者どもを引っ捕らえてぼこぼこにし、獄中転向を続々とつくっていた、そういう時代が背景にある。そのただなかで、この世のものとは思われぬうつくしい言葉を書く。宮沢賢治の作品の全体は喩によって成り立っている。喩を読み解くには宮沢賢治の作品の言葉を盛りつける批評言語が必要とされている。

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。わたくしは、さういうきれいなたべものやきものをすきです。これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです。ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。けれども、わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。(『「注文の多い料理店」序』)

「ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです」ということにうそはないと思う。宮沢賢治にはほんとうにそう世界が感じられた。宮沢賢治の『「注文の多い料理店」序』をなんども引用したことがある。なぜこのような表現が可能となるのだろうか。かれの作品の言葉は内面の表白という文学の形式を超脱している。内面を掘りすすめてその果てに、ある境地にたどりついたということではない。内面の手前にある精神の古代形象を宮沢賢治は生きたのだと思う。記紀万葉という通俗に収斂する共同幻想的心性の手前から折り返す可能性を宮沢賢治はあたらしい文学として表現している。宮沢賢治の生きた時代、宮沢賢治を取り巻く状況でなにが起こっているか、宮沢賢治は熟知し、煩悶した。そして内面より深い言葉で世界を構想した。意識の外延性で宮沢賢治の作品の言葉をたどっても、謎のような言葉の核心にせまることはできない。そのことは先験的なことだと思う。だれによっても読み解かれていないのは宮沢賢治のこの心性だ。天皇制的な心性に共同幻想が収斂する手前で宮沢賢治は観念を折り返し、そのなかに幼童の言葉をたくさん折りたたんでいる。作品の言葉の全体が喩でできているということは、業の花の世界を超えうると宮沢賢治が確信していたことを意味している。
繰りかえすが、物狂おしい宮沢賢治の透きとおった言葉は内面の表白ではない。宮沢賢治は世界を書いたとおりに感受したのだと思う。なぜそういうことが可能となるのか。宮沢賢治は作品によって内面と外界という人格を媒介にした意識の表白を超出したようにみえる。記紀万葉以前にある豊穣な生の可能性のただなかを宮沢賢治は生きた。内面化によって制約された世界を整序するのではなく、作品の全体を喩とすることで、わたしたちの知る意識の外延性を包み込むべつのまなざしによって世界を表現した。宮沢賢治の文学は一万年の人類史を背負い、そこにはいつも通奏低音として「業の花」の心情が流れている。世界の重力を一心に背負い、その重力を無化し、その世界の手前に、森羅万象がいっせいに野の花、空の鳥になり、有情がさんざめく世界を透視した。宮沢賢治の作品はまだいちども読み解かれていない。つまり宮沢賢治はあらかじめ内面化と言葉の社会化を拒み、必然のようにあらわれる時代の宿命に抗っている。べつのまなざしをつくることによってしか、空を覆い尽くす暗い業の花びらによって相犯されている世界を超えることはできないと考えた。
宮沢賢治の文学には一万年の人類史の非望がしまい込まれている。森羅万象のいとなみはケンジにとって畏怖の対象であり驚異であり苦しみの根源であった。森羅万象がいっせいに野の花、空の鳥になり、有情は、『「注文の多い料理店」序』のようにさんざめく。それにもかかわらず、有情は互いの生を掠め取ることで自らの生を連綿として営んできた、過酷な偽りに満ちた有情でもある。ケンジは互いが相食む有情のありようが苦しくてたまらなかった。どうやったら世界の無言の条理を超えることができるのか。一心にそのことを考え、一陣の音色のいい旋風として37歳で生を終えた。

賢治の作品にはいつも通奏低音として「業の花」の心情が流れている。「銀河鉄道の夜」でもそうだが、「ほんとうのほんとうの神とか」、「かなしいとか」、「ほんとうのさいわい」とか、「どこまでも一緒に行こう」という印象的な言葉がくり返し出てくる。ほんとうのほんとうの神とはなにか。自己に先立つ根源のことを、ほんとうのほんとうということで寓喩したのではないか。宮沢賢治のほんとうのほんとうの神はどこかヴェイユの不在の神によく似ている。なぜ宮沢賢治は、かなしいとか、ほんとうのさいわいとか、どこまでも一緒に行こうとか作品のなかで言うのだろうか。

『銀河鉄道の夜』の最後でジョバンニがカンパネラに言う。「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」「けれどもはんたうのさいはひは一体何だらう。」

賢治がほんとうのほんとうの神というときそれは世俗のどんな宗教も意味していない。かれが日蓮宗の信徒であったこととはなんの関係もなく、ヴェイユが不在の神にむけて祈ったように、宗教を突きぬけたところにあるなにかにむけて祈っている。それが賢治に固有の神であった。賢治の固有の宗教とはなにか。固有とは普遍的であるということと同義である。どの宗教とも無縁であるという意味で普遍的なのだ。それは賢治にとってけっして「業の花」を内面化することでもなく、まして共同化という間違った一般化をすることでもなく、「業の花」という不条理をそのままに浄土として顕現させることだった。歩く浄土がありうることを賢治は作品で現前させた。賢治は作品のなかで「業の花」に然りと応えている。だれがこのようなことを作品として為しえたか。

『銀河鉄道の夜』の異稿では違ったことが物語られる。ブルカニロ博士はジョバンニに語りかける。「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう」と。それぞれがじぶんの神がほんとうの神だと言いながら、違った神を信じる人たちのすることでも涙がこぼれるじゃないかとブルカニロ博士は言う。すぐにユヴァルの貨幣の共同主観的現実についての言葉を思いだした。ユヴァルは、宗教は特定の神へ帰依することを求めるが、貨幣は他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求めると言っている。異稿のブルカニロ博士のジョバンニへの語りかけはユヴァルの貨幣についての考えをはるかに凌駕している。この違いはおおきい。ユヴァルは意識の外延性を自然とみなし、貨幣のもつ共同主観的現実についての事実を述べている。宗教は帰依する特定の神にしか有効ではないが、貨幣は貨幣を信じるものにとって普遍的に通用する、と。たしかにそのとおりだが、異稿の言葉の方がはるかに深い。ほかの神を信じる人たちのしたことでも涙がこぼれるではないか。それが宮沢賢治のほんとうのほんとうに神だった。種族語や部族語が音韻のリズムに沿って洗練され、原日本語に収斂していくとき、記紀の神話がそこから析出してくる。宮沢賢治の言葉はすんでのところでそこから折り返す喩として表現されている。宮沢賢治にとって、ほんとうのほんとうの神は、喩でしか言いえないなにかだった。謎のような可能性の中心にこれから降り立っていく。

    2

もともと宮沢賢治の作品は文学と政治という言い古された形式からはずれたところに位置している。『「注文の多い料理店」序』で書かれた言葉から、言葉の意味を抜いていくと、喩としての作品は、喩の根源にある擬音へと凝縮していく。宮沢賢治が多用する擬音とはなにか。任意に引用する。「風の又三郎」で風の吹く音として「どっどどどどうと どどうど どどう」と擬音がつかわれる。「ざっこざっこ」と雨が降る。「烏の北斗七星」では「ギイギイ」とカラスが鳴く。「どんぐりと山猫」ではきのこの楽隊が「どつてことつてこ」と演奏する。巧みな宮沢賢治の擬音であり、理解できる。それでは宮沢賢治のつぎの擬音はどうだろうか。

  しばらくぼうと西日に向ひ
  またいそがしくからだをまげて
  重ねた粟を束ねだす
  子どもらは向ふでわらひ
  女たちも一生けん命
  古金のはたけに出没する
    ……崖はいちめん
     すすきの花のまっ白な火だ……
こんどはいきなり身構へて
繰るやうにたぐるやうに刈って行く
黝んで濁った赤い粟の稈
 《かべ いいいい い
  ならいいいい い》
   ……あんまり萱穂がひかるので
     子どもらまでがさわぎだす……

濁って赤い花青素の粟ばたで
ひとはしきりにはたらいてゐる
   ……風ゆすれる蓼の花
     ちぢれて傷む西の雲……
 女たちも一生けん命
  くらい夕陽の流れを泳ぐ
   ……萱にとびこむ百舌の群
     萱をとびたつ百舌の群……
抱くやうにたぐるやうに刈って行く
黝んで赤い粟の稈
    ……はたけのへりでは
     麻の油緑も一れつ燃える……
  《デデッポッポ
   デデッポッポ》
   ……こっちでべつのこどもらが
      みちに板など持ちだして
      とびこえながらうたってゐる……
はたけの方のこどもらは
もう風や夕陽の遠くへ行ってしまった
「〔しばらくぼうと西日に向ひ〕」

「かべ いいいい い/なら いいいい い」も「デデッポッポ/デデッポッポ」も意味不明である。この意味を読み取れない擬音に宮沢賢治のもっとも深い自然が根づいている。意識の外延性では理解不能の擬音はだれにむけた語りかけなのか。いったい宮沢賢治はなにを言いたいのだろうか。わたしは宮沢賢治の不思議な擬音は内包自然を滑空するあたらしい鳥たちのむつみ語ではないかと思う。もっといえば、宮沢賢治の擬音は根源のふたりからあふれてきた言葉のような気がする。意識の外延性としては内面が反転していつのまにか外部になっていると形容される。ちがう。内部も外部も外延的な自然にすぎない。宮沢賢治の擬音は性的な、内包的な意識の表出を、言語のもっとも根源的なありかたで表現しているのだと思う。音声が言語の意味に分節される以前の、変わるだけ変わって変わらない普遍がここにある。宮沢賢治は擬音によって内包的な意識の表白の可能性を語っていることになる。それがさしあたっての内包論による擬音理解だ。自然を擬人化し、その擬人化された自然を神話として保存する日本的な心性の手前で折り返し宮沢賢治は言葉をつくっている。存在の複相性をそれとはしらずに宮沢賢治は駆け抜けたのではないか。ジョバンニがカンパネラに「どこまでも一緒に行こう」と語りかけることと「デデッポッポ」はおなじことを意味している。そしてそれを内包自然のいちばん奥まったところにある還相の性といってもいいような気がする。宮沢賢治には生まれながらふたつの心があったのではないか。生を引き裂く力と、その外延化される生を担保する同一性の手前にある世界を往還しながら時代を生き急いだ。存在は可塑的で、バイロジカルで複相的なものとして存在している。意識の外延性は精神の第二相までは表現できるが、内面より深い意識は意識の第三相としてあらわれる。意識の外延性を内包化すると、外延性ではない意識の第三相である内包自然があらわれることになる。宮沢賢治の作品は意識の第三相まで到達している。内面を掘り進んでいたら内面が消えて内省と遡行という自然とはべつの内包自然という意識の第三相が忽然とあらわれた。そこではモダンな宮沢賢治はいつもひとりでいてもふたりだった。そこにかれ固有の擬音が内包的な表出として位置している。仏と懇ろになった最期の親鸞が自然法爾といったとき、自然法爾はすでに破られていた。出来事の根源において言葉が性でしかないように、宮沢賢治にとって言葉は擬音となった性そのものとしてあった。じぶんより近くにいる根源のふたりが宮沢賢治の口をついてこぼれ出た音声の余韻が擬音だと思う。

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