日々愚案

歩く浄土202:意識の外延性と内包性の往還

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世界をまるごとつかもうとした思想家として三人の偉大な知性をおもいつく。マルクスであり吉本隆明でありフーコーである。吉本隆明には生きることをまるごと影響をうけた。内包論をつくりはじめてから30数年が経ち、吉本隆明の思想を動態化し、べつの世界認識が可能であることを実感するようになってきた。マルクスの思想も吉本隆明の思想も意識の外延表現として一括りにすることができる。内包論はなにをマルクスや吉本隆明の思想につけ加えたのか。意識の外延性は内包化できるということだと思う。意識の内包性によって、自己という観念と共同性という観念を包んでしまうことができる。なぜマルクスや吉本隆明の思想にここまでこだわるのかと問われれば、世界をまるごとつかもうとした思想家はマルクスと吉本隆明しかいないという単純な事実に帰せられる。生きた時代のただなかでかれらほど固有の思想をもち、世界の無言の条理と抗ったものが一人でもいたか。そのかれらの思想を拡張することができる。

マルクスも吉本隆明もかれらの方法意識ではもともと解けない主題を解けない方法で解こうとしたように思う。内面というちいさな自然で、その自然の抽象化された一般性である共同幻想としての貨幣や国家を解くことはできないということだった。むろんかれらの主観的意識の襞にある信は、貨幣や国家の謎を解くことができるとかれらに告げた。

マルクスの思想を思想たらしめ、吉本隆明の思想を思想たらしめている太い精神のうねりに、あらかじめ、ある公理が約定されている。外延表現が前提としている曲率ゼロの意識の平面に隠れている自他未分の観念がある。その観念のことをかりに原観念と呼んでみる。マルクスや吉本隆明の思想の解像度をあげて粗視化すると自他未分の原観念といえるものが潜んでいることがわかる。
吉本隆明は言語の表現理論『言語にとって美とはなにか』のなかで、なぜ人は言語を発出したのかということについて詳しく書いている。吉本さんの言語理論を、片山さんとの対話でわたしは次のように要約した。

森崎 ・・・なぜ発語したのか? いつも一緒、どこでも一緒、この不思議を心身において享受する。そのとき発語する以外にない。ここに意識の起源があると思うのです。ヘーゲルにもマルクスにもはじまりの不明がありますが、彼らの影響を強く受けた吉本隆明の言語論も、同様のはじまりの不明を残しています。『言語にとって美とはなにか』のはじめのほうに、有名な「意識のさわり」説が出てくるでしょう。
片山 狩人がはじめて海を見て、思わず「う」という音を発したというやつですね。
森崎 吉本さんの言語論では、動物が吠えたり鳴いたり唸り声をあげたりするように、ヒトも一種の反射として声を発していた段階があったと考えます。その反射がしだいに意識のさわりを含むようになり、さらに発達して自己表出として指示機能をもつようになった。つまり海を見て反射的に「う」という音を発していた段階から、「う」という有節音が海という対象の直接性から離れて象徴的(記号的)に指示する機能を獲得する。この段階で、はじめて「う(海)」という有節音は「言語」と呼ばれる条件をもった、というふうに説明されます。要約すると、以下のようになります。

Ⅰ 叫び声〈う〉→反射
Ⅱ 〈う〉という有節音(指示音声)→意識のさわり
Ⅲ 〈海〉→自己表出(象徴的な指示)

Ⅰの段階は動物的な反射だと吉本さんは言います。ではⅠの段階にある前人間的な人類は、なぜⅡの段階では意識のさわりを覚えたのか。哺乳綱霊長目から分岐したある人類が、ある時期Ⅰの段階にあったことは了解できます。しかしⅠからⅡへの飛躍、つまり人間的な意識をもつことのなかった人類が、なぜ意識のさわりをもつことになったのか。そもそも「意識のさわり」を覚えるとはどういうことなのか。吉本さんの説明では、「意識のさわり」というのはただの電子ノイズです。人間的な意識の起源については、まったく説明されていません。
片山 たしかに、そうなったからそうなったというふうにしか読めませんね。説明が非常にフラットというか、『共同幻想論』で自己幻想、対幻想、共同幻想というふうにスライドさせてくときの手つきと、よく似ている気がします。
森崎 ぼくはⅠとⅡのあいだには、目のくらむような裂け目があると思うんです。人間だけがこの裂け目を飛び越えた。どうやって乗り越えたかというと、表現として言うのですが、Ⅰの段階からⅡの段階に移行するとき、ある種の哺乳綱霊長目が根源の二人称を知覚した。このとき人類が生まれたのだと思います。先ほどの例でいうと、高熱でうなされる子をまえにしてさすってやることしかできずにいるとき、天を仰ぐようにして発せられた声は、すでに動物的な反射ではなく、吉本さんの言う「意識のさわり」とともにある人間的な言語であったはずです。あるいは空腹に耐えて何日もさまよい歩いたあと、ようやく食べ物を手に入れる。棍棒か何かで仕留めた獣かもしれないし、たまたま見つけた果実かもしれない。それを恋人か連れ合いか子どもか、いつも一緒にいる人とともに食べたとき、「ううっ」という唸り声は、「うまい」とか「美味しい」といった初源の意識とともにあったはずです。動物的な段階にあった反射の応答は、根源の二人称に促されて内包的な意識として表現された。〔と共に〕あることが〔充たす〕なにか、それが同一性の起源だと思います。(「歩く浄土172」)

『言語にとって美とはなにか』はとても孤独な書物である。どういうことか。わたしたちのちいさな自然に内面があるとみなし、その内面の自然を外界との相克の表現としてみる世界の感受性が、生の不全感のあらわれとして語られてしまう、その記述の仕方が寂しいということだ。この不全感は、おそらく吉本さんのなかで生涯、解決のできない孤絶感としてあったのだと思う。だから当時の若い人たちの心性を惹きつけた。この意識のありかたを表現の公準とするかぎり、いつまで経っても言葉をじぶんにとどけることはできない。内面と外界という意識の公準とべつのまなざしをつくること。娘の上の子どもが三つになったので、なにを送ろうかとメールしたら、となりのトトロがいいということだったので、アマゾンから送ったらすぐ着いた。一心に魅入る孫娘の写真が送ってきて、宮崎駿には内包の心があるんだなと思った。風の谷のナウシカは子どもたちがちいさいときによく見ていた。変わるだけ変わって変わらないものがだれの心性のなかにもある。そのことを吉本隆明は裏側から触っている。それが『ハイ・イメージ論』三冊であり、『母系論』や『アフリカ的段階』であると思っている。この一連の論考はまだ、だれによっても本格的には解読されず、放置されたままである。内面と外界という表現の型を意識の外延表現と呼んできたが、外延表現ではじぶんに言葉がとどくことがなく、言葉が言葉を生きることもなく、言葉が性となることもない。そのことを表現の寂しさと形容している。

なんど読んでもすきな情景がある。「南インドの小さい都市の鉄道の駅で、乗客が窓から投げ捨てるバナナの皮に、飢えた少年や少女が群がって奪い合っている。一歳くらいの妹を片脇にかかえた少年も負けることなく奪い合っている。乗客のひとりがこの少年にバナナを与えると、わたしたちがふつう食用にするまん中のやわらかい部分はすべて、たぶんまだ歯のそろっていない妹に食べさせている。その長い間、少年は法悦のような目つきで、女の子を見つづけている。陽射しの強さもあるかもしれないが、わたしはこんなに幸福な人間の顔を、これまでに何回かしか見たことがない。おしまいの根元の部分を女の子の口におしこむと、少年は皮だけを食べて、またあの容赦のない争奪戦に、仲間をおしのけ蹴たぐりながら走りこんで行く。餓鬼は餓鬼として即菩薩であり菩薩は菩薩として即餓鬼である。もっと「文明的」な世界では幾重ものシステムと観念装置に覆われている関係の真理のようなものが、仮借ない直接性の陽射しにさらされて裸出している」(真木悠介『自我の起源』所収「補論 性現象と宗教現象」)

妹にバナナを食べさせるときにお兄ちゃんのなかに言葉ではない、言葉のはるか手前で、なにか不思議な感情が充ちてくる。そのなにかがはじけて言語が発出される。お兄ちゃんは腹が減っているにもかかわらず、じぶんが食べているようにおいしいと知覚できる。じぶんより近い妹を生きている。その関係が表現ではないのか。お兄ちゃんはうっとりと自己を表現しているのではない。おいしそうに食べている妹によって、お兄ちゃんが表現されている。表現とはそういうものではないか。
吉本隆明は、作品から作家の個性をとりのけ、環境や性格や生活をとりのけ、作品がうみ出された時代や社会をとりのけたうえで、作品の歴史の記述概念を、マルクスの交換価値を読みかえ自己表出という概念をつくったと言っている。「『交換価値』という概念が、『貨幣』と同じで、万人の意識あるいは内面のなかに共通にある働きかけの表現(自己表出)に該当する」と吉本隆明は考えた。三木成夫の解剖学に出会ったのちは、吉本隆明は自己表出を内臓感覚にたとえている。歴史を貫く言語の表現の理念として自己表出をひとつの軸とすることは可能である。自己表出と指示表出について吉本隆明がわかりやすく解説しているので、その箇所を引用する。

 例えば、きれいな花が咲いているのを見て「きれいな花だ」とか「ああ、きれいだ」と思わずつぶやいたり、心のなかだけで言葉にならず感嘆したとする。もちろん大声で叫んで傍にいる人々が視線の方向を見た場合でもいい。この場合、他人に伝達するために「きれいな花だ」といったのではなく、思わずその言葉を発したり、内心にいいきかせたり、つぶやいたりしたことだけは共通で確かなことだ。言葉のもつこの側面を「自己表出」と名づける。「指示表出」というのはこの場合、自分だけにしかわからない場合も、傍にいる人々に花の方に視線を集めさせた場合も、自分または他人に花を指示させたことは確かである。言葉のもつこの側面を「指示表出」と呼ぶ。するとすべての言葉は「自己表出」と「指示表出」の度合に違いがあるが、「指示」の目的が多くて「自己表出」の度合はそれほど大きくないとか、その反対だとかということができる。極端に考えると数字は「指示表出」だけ。胃が痛いのを「痛い」とおもっただけで他人には全くわからなかった場合には「自己表出」だけと考えられるかもしれない。けれどこまかく見れば「3プラス5は8」を暗算するのと、声に出すのと、ノートに記すのとは「自己表出」の度合が違っている。胃が痛いと内心でつぶやくのと、沈黙のままでいるのとは「指示表出」の度合が違う。だから言語はすべてこの両者の織物で、その度合が違っただけだとみなすのが妥当だといえよう。するとすべての言葉は「自己表出」をタテ軸に「指示表出」をヨコ軸にとると次のように表わすことができる。(『中学生のための社会科』)

言葉にならないある情動が指示性ゼロで表白される。うなり声でも、ああ、でも、感嘆でもいい。吉本隆明の言い方では、「他人に伝達するために『きれいな花だ』といったのではなく、思わずその言葉を発したり、内心にいいきかせたり、つぶやいたりしたことだけは共通で確かなことだ」となる。これは貨幣の交換価値とおなじように、万人の意識あるいは内面のなかにある共通の働きかけが自己表出であることと対応している。ここで自己表出の起源をなす万人の意識は、人間が社会的な存在であることを前提とし、あるいはそれが内面のなかにあるというとき、人間は個的な存在であることが前提とされている。そして社会的な生存と個的な生存の乖離を回復しようとする心の作用を吉本隆明は表現とみなしている。万人にある共通の働きかけと、内面のなかにある共通の働きかけはどう相関するのか不明である。この不明の原観念のなかに生の不全感と「社会」主義が忍びこんでくる。わたしの考えでは、このふたつの共通の働きかけは互いが鏡像の関係にある。内面というわたしたちのちいさな自然が織りなしたひとつの文明が終焉しようとしている。吉本隆明の言語芸術論でも言語の表現理論でもいいが、言語の指示表出性と自己表出性をより合わせたものを文学と考えても、この表現では言葉をじぶんにとどけることはできない。べつのまなざしに、べつの意識の呼吸法によぎられることによってしか言葉が言葉を生きる生きることはない。わたしたちの思考の慣性がかたどってきた内面という認識の自然がなにか未知をつくりだすことはもうできない。表現が生にとどかない生の不全感がわたしたちの文明史だといってもいい。この世のしくみをつくりかえようと意図したマルクスの『資本論』がなぜ現実によって反故にされたのか。マルクスが『経済学・哲学草稿』のなかで熱く語ったイェニーさん問題をそれ自体として取りだし、貨幣論ではなく『贈与論』を書いていたらマルクス主義という人類史の厄災は回避できたと思う。マルクスの思想は「社会」主義のひとつの淵源をなしている。『資本論』の思想の骨格を借用して構想された吉本さんの言語の表現理論が生の不全感と共に始まり生の不全感に帰結するのは必然だった。

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マルクスは『資本論』の冒頭で書く。「資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、『巨大なる商品集積』として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる」と。富の素子としてあらわれる商品は共同主観的現実という共同幻想である。社会の土台をなす生産関係も共同主観的な現実であり、そのうえにそびえる上部構造も共同幻想である。価値形態論で使用価値の相互作用を詳しく分析してなにが解明されたかというと、共同幻想はさまざまに遷移するということだけだった。存在の複相性という気づきを観念のうねりのなかに挿入しないかぎり、どうやっても交換から贈与はでてこない。人間という現象にたいする根本的な錯認を抱えたままマルクスはかれの主観的意識の襞にある信を概念化した。それがマルクスの『資本論』だと思う。使用価値を指示表出へ、交換価値を自己表出へと読みかえ言語の表現理論を吉本隆明はつくったが、マルクスの意図したものを超えることはなかった。貨幣の謎が消えることがなく、貨幣は猛威をふるっている。言語の謎も糾明されることなく、表現するごとに生の不全感が昂じることになる。私以外は私じゃないとする私性は貨幣と相性がよく、表現は生の貧血と相性がいい。そんなもののどこに未知があるか。わたしたちのちいさな自然にやどった内面は社会と同期するようにできているからだ。そういう自然をわたしたちの文明史は必然としてかたどってきた。この文明史の全体を意識の外延表現とながく呼んできた。わたしはべつのまなざしによってじぶんに言葉をとどけることができることに気づいた。それは言葉が言葉を生きることのなかにある。不思議なことに言葉が言葉を生きるとき、言葉は性になる。この観念の自然のなかには猛烈な生と歴史の可能性がある。

生命が誕生いらい連続しているとみなすのは、人間的な意識がそうみなしているということであり、人間的な意識が性の誕生に由来するのであるから、じつは性のうねりが生命をとぎれることのない連続するものとしてとらえていることにほかならない。フロイトの「エス」は「おのずから」が同一性によって制約されたひとつのあらわれであり、「おのずから」は、「社会」(多)と「自ら」(一)をやがて分節する、性のうねりからはじけたひとつのあらわれである。つまり性のうねりが「おのずから」の源泉というほかなくなる。灼熱する激烈な性の光球がはじけて「おのずから」がむくっと身をもたげた。その無数の影のひとつひとつが「みずから」ということであり、対極にフロイトの「エス」が「みずから」に釣り合って深々と存在している。あるいは「おのずから」という大洋がうねって撥ねあげた、波間に光る雫の一滴一滴が「みずから」に比喩されてもよい。うねりからはじかれて弧を描く、無数のしぶきの軌跡の全体をフロイトは「エス」と考えた。
フロイトは点としての主体を、いいかえればヘーゲルの自己同一性を暗黙の了解として性を分析しうることを創案した。自我、超自我、エスの発見と、リビドーによるそれらの結合がフロイトの創見だとしても、そこには点としての主体が確乎として前提される。そのかぎりでフロイトの心的モデルは近代的な自我に見合った性のモデルだといえる。おおきなひとつの思想だとしても、自我が性を拘束し、性が自我を拘束して閉じられている。だからフロイトの無意識はフロイトの自我が写像された外延的なものとして表現されるほかなかった。(『内包表現論序説』所収「起源論」)

30年前に書いた文章のなかですでにマルクスやフロイトや吉本隆明の理念的な錯誤が剔抉されているではないか。貼りつけた文章を読み返しながらひそかに興奮した。まだある。親鸞のおのずからなる自然法爾がおのずからなる性のうねりのあらわれであることも書かれている。当時直感したことは、はずれていなかった。おのずからなる性のうねりが他力のなかの他力、あるいは他力の手前にある他力ということになる。
むかし吉本さんと差し向かいで話をしたとき、もしもフーコーさんの言うようになるとしたらたまらないですね。人間の意志というものはどうなるのでしょうか、時間は垂直に運動するのです、と大声で言われた。フーコーの言うこととは人間の終焉のことである。人間は秩序のはざまにさしこまれたちいさな影のようなものにすぎないとみなすことでフーコーは人間という現象につきまとう暑苦しさを表白した。第二次大戦の惨禍を経て、人間を直接の対象とすることの無力感が生の感覚として現存していたからだ。レヴィ=ストロースは未開文明の冷たい社会の探究に向かい、フーコーは人間という主体を解体しようとした。人間にかかわるすべての現象を記号操作で扱いたいという欲求があったからだ。

マルクスや吉本隆明の錯誤とはなにか。意識の外延表現のたどる宿命が錯誤のなかにある。イェニーさん問題と時間が垂直に運動するということを交差させてみる。マルクスには男性の女性にたいする関係のなかにもっとも本質的なことがじかにあらわれるという直感があった。そのことをイェニーさん問題と呼んでいる。マルクスはこの直感は人間の人間にたいする関係や人間の自然にたいする関係に外延できると本気で考えたのだと思う。虚偽の意識も欺瞞もなかった。真剣にそう考えた。吉本隆明の時間は垂直に運動するという激しい感情もうそではない。そのときの情景が鮮烈な記憶としてある。
ここに文明の外在史と精神の内在史の広大な認識の時空間がはてなく拡がっているとしてみる。広大な意識の平面をマルクスは経済論として認識の自然を探索した。吉本隆明は広大な意識の平面を幻想論として探究した。マルクスの主観的な意識の襞にある信は貨幣の交換過程をつぶさに描くことで貨幣の謎は解けると思いなした。その信をマルクスは疑わない。ほんとうはイェニーさんの問題は人間や自然の関係に外化できるものではない。吉本隆明のように経済的な範疇をとりあえず括弧に入れ、個人としての個人と家族の一員としての個人と社会の一員としての個人を類別してもなにが解決するわけでもない。晩年しきりに吉本さんはアフリカ的段階という理念を主張していた。なにかをつかんだのだと思う。おそらく吉本さんも親鸞の他力の概念を拡張したかったのだと理解している。内面というちいさな自然で人類の母型を描こうとすると、意識の外延性は表現の時間を空間化することになる。歴史は人間の真の自然史であると考えたマルクスも、人間の営みを自然史に還元できると考えた吉本隆明も、かれらほどのおおきな知性でさえも、内面と外界という認識の自然は、時間を空間的に疎外することでしか対象を粗視化できないということだ。だからマルクスの主観的意識の襞は『資本論』を科学とすることができるし、人間の歴史の母胎をアフリカ的段階と粗視化することもできる。むろんかれらの主観は観察する理性としてかれらの主観という信に閉じられているが、かれらがそれを知覚することはない。
歴史の外在史と言おうと精神の内在史と言おうと外在と内在が表裏一体の曲率ゼロの意識の平面で垂直に運動する時間を表現しようとすれば、ここではないどこかを空間として疎外するほかないからだ。ここにマルクスの主観的な意識の襞にある信の錯誤も吉本隆明の表現論の欠陥もある。交換から贈与が出てくることもなければ、内面がここをどこかにすることもない。べつのまなざし、べつの生の知覚によってしか、交換を贈与に転換することも、内面を突きぬける垂直な時間を表現することもできない。なにがべつのまなざしを、なにがべつの意識の息づかいを可能とするか。イェニーさん問題だけがこの世のしくみを革める猛烈な潜勢力をもつとわたしは考えてきた。おのずからなる性のうねりは広大な意識の時空をたわめることができ、曲率ゼロの意識の平面上にある個人としての個人と社会の一員としての個人を、つまり意識の外延性を、歴史の外在史であろうと精神の内在性であろうと、あたかもシャツの腕まくりをするように、手袋を裏返すように、すっぽり包んでしまうことができるからだ。存在の複相性を生きると、意識の外延性はいつでも意識の内包性と往還することができる。ゆくりなくあたらしい人類史が意識の外延性を乗せている意識の内包性に沿って流れ始めることになるだろう。

意識の外延性の奔流が止まることがないとしたら、伊藤計劃の『虐殺器官』と『ハーモニー』は時代の恐ろしい予言の書であるような気がする。

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