日々愚案

散乱する思考2

51FAqHFIVvL__SY355_ 内包論の続稿を、絶句、悶絶しながら書いている。からだもこころも撚れる。いくら踏んばっても一気呵成にはいかなくて、つづら折りの道を相も変わらず行きつ戻りつしている。思考の慣性を破るのはそれほど困難なことなのだ。

 酷使され連戦挫敗したさまざまな試練を経てなお音色のいいことばがあるだろうか。
 わたしはあると思う。

 いつもすでにそのうえに立っている、そのことによってヒトが人となった、人であることのはるかな深みで息づく、世界のどんなものより深くて熱いものがある。そのありえたけれどもなかったものを、現にあらしめたくて、ことばがことば自身を生きている。この感覚は借りものではなく、わたしに根づいていると思う。

 この場所でもしもひとりの読者を持つことができたら、それは奇蹟だと思う。それほどにことばで人と人がつながるのはむつかしい。

 ここでなら、だれとでもつながる。

 「わたしがわたしであるとき、わたしはきみである」と言ったパウル・ツェランは「死のフーガ」を書いたのちにどこまで行けたのだろうか。

 もろもろの喪失のただなかで、ただ「言葉」だけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました。それ、言葉だけが、失われていないものとして残りました。そうです。しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来、しかも、起こったことに対しては一言も発することができませんでした―しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けていったのです。抜けて行き、ふたたび、明るいところに出ることができました―すべての出来事に「ゆたかにされて」(「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶」)

 1958年にハンザ自由都市ブレーメン文学賞を受賞したツェランは、49歳のときセーヌ川に身を投げた。1970年のことだった。ついにかれに安息が訪れることはなかった。

 起こった事は起こったことであり、そのときかれはなにもできなかった。言葉だけが失われてないものとして残っており、それらすべての出来事に「ゆたかにされて」とまで言ったではないか! なぜだ。

 1994年に「ああいった国では、虐殺など大した問題ではない」と言ったフランス大統領のミッテラン。『溺れるものと救われるもの』を書いたプリーモ・レーヴィは「この真っ暗な深淵を探索することは、容易でもなければ気持ちのいいことでもない。しかし、誰かがやらなければいけないのではないだろうか・・・・・・」と言い、家族43人を隣人から虐殺されたルワンダの青年レヴェリアン・ルラングアは「語れずにいられないのは、生き残るためだ」と言う。

 そうしてレヴィナスが登場する。しぶとい思索人だ。かれは言う。

 なぜ神を放棄してはならないのか。絶滅収容所で神が不在であった以上、そこには悪魔が紛れもなく現存していたからだ」(『われわれのあいだで』合田・谷口訳)

 ここには逆説がある。その通り、とわたしは呼応する。もちろんハイデガーにはなにが言われているかわからない。レヴィナスの言説には生涯を口舌で生きた欺瞞人ハイデガーとの際だった違いがある。そこには痛切なレヴィナスの当時者性があるからだ。レヴェリアン・ルラングアもレヴィナスの言葉には耳を傾けると思う。

 どぎついことをわたしは言挙げしているのだろうか。そうではない。喰い、寝て、念ずるわたしたちの生の原像はニヒリズムと異なった生に彩られているということを言いたいのだ。呪詛でしか生きられないときもある。最高もなければ最低もないと生きるときもある。たましいが引き裂かれることも、旦那元気で留守がいいときもある。その全域が生きるということなのだが、わたしたちが知る歴史には大きな暗い穴が空いている。

 とっくにこのことに気づいていた思想家がいる。親鸞だ。
 かれは呪文のような言葉を遺した。だれよりも本願他力を身をもって生きた親鸞の破天荒。

善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。(『歎異抄』)

 愛欲の海に溺れ、チヤホヤに憧れた極悪深重の生に刻まれた虚仮のかたまりであるみずからを顧みて、まぎれもなくかれの身に起こったことを記したのだと思う。それでもここが思考の果てではない。この世の彼岸に浄土があるのではなく、いま、ここに、歩く浄土があることを生きぬいた親鸞の到達した世界からわたしは同一性の彼方を遠望している。同一性の起源に先立ってつながりをひらくこと。わたしはそれが可能であると思っている。

 じゃ、秀丸でテキスト文書いたからupしようかなと思っていたら、目の前を虫がぶんぶん飛んでいる。うわぁ、シロアリだ。毎年この時期にシロアリが飛来する。掃除機を出して吸い込む。駆除業者さんに電話したら、明日は土曜日で休業。来週お電話くださいとアナウンス。こういうことなんです、ルラングアくん。

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