日々愚案

歩く浄土181:交換の外延性と内包的な贈与12:吉本隆明の贈与論2

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マルセル・モースの『贈与論』、マリノウスキーの『未開人の性生活』や『性・家族・社会』を読んでいてそれは違うぜという思いが募ってくる。自然を分析するように人間が観察されている。なにか途方もない錯誤が解析する方法のなかにある。どうやってもこの感触を消すことができない。わたしの言葉でいえば、視線の働かせ方になにか権力の匂いを感じる。レヴィ=ストロースの一連の翻訳本を読んでいてもつねにそのことを感じてきた。パンダの育児録と未開人の生活はなにも変わらないのではないか。おそらくかれらは自国民にたいしてもおなじ観察の方法をやっていたのではないか。知識人と大衆という権力による生の分割支配が分析の方法のなかに繰り込まれている。同一性を礎にした歴史認識である、未開・野蛮・原始・古代・中世、・・・と抽象される方法そのものが根本的な錯誤ではないか。この囚われのなかにわたしたちの生があり、そのなれの果ての果てに、いまのこの世界の壊れがある。世界の行き詰まりはどうやれば解決するか。吉本隆明は「ヘーゲルやマルクス、エンゲルス、人類学者のモルガンなどが十九世紀の後半に『野蛮』とか『未開』『原始』というように発展の梯子段をつくって考えた近代主義に偏執してた段階は、間違っている」と考え、アフリカ的段階を想定すればいいと考えた。「北米、南米、アフリカ、オセアニア、東南アジア、日本の弥生時代-神話でいえば初期の神話、沖縄とアイヌの自然宗教、それらをみんなデータとして出して、『アフリカ的段階』という人類史の母型を設定したいわけです」(『遺書』)その吉本隆明が観察者によって観察の対象とされることに異和を表明する。「ここまででぜひとも注釈しておきたいのは、マリノウスキーはトロブリアンド島の未開社会について、じぶんが住みついて体験し、見聞きし、考察したりしたことを、いわば部外から記述していることだ。その記述がどんなに如実で内在的にみえても、文明という外在から記述していることに変りはない。だが、これを読んでいるわたし(たち)はマリノウスキーほど外在的ではない。文明社会の眼をもっているという意味では外在的だが、わたし(たち)の習俗の経験や遺伝的、伝統的な感性は、あきらかにトロブリアンド島とおなじ「母」系優位の初期社会から発している。そのためあるところまでゆくと外在と内在との混融した、奇妙な感じをともなうことになる。わたしの感受性が正確だとすればこの奇妙な感じは、どこかで論理をあたえなくてはならない」(『母型論』所収「贈与論」)

アフリカ的段階を構想した吉本隆明の「文明社会の眼」はどんな論理をそこに与えることになるか。吉本隆明が考えた「贈与論」を論及する。「贈与とは遅延された形而上的な交換」であるという記述にであってのけぞった。さまざまな交換があるとしか書かれていない。生はいつも生に遅延してしか到達しないことが語られる。わたしは吉本隆明のアフリカ的段階を可能とする文明社会の眼は外延知にすぎないと思う。『母型論』は『アフリカ的段階』の基礎となる概念で、ともに文明史の必然として構想されている。あの地獄の母型という考えは異様なものだった。歴史の概念としては野蛮・未開・原始を包括するアフリカ的段階が外延的に語られ、感性の絶対的な起源が胎乳児期にあるとされる。吉本隆明には「母親と胎児との胎内の関係が人間の絶対的な認識と感性の起源である」(『心的現象論』)という絶対的な認識と感性の強度がある。「心の領域の問題としていえば、わたしたち人類の人格は現在もライヒのいう性格構成の中間層にいるといってよい。ただいくらかの度合でこの層をぬける兆候がみえるようになったということもできよう。ライヒによればこの中間層は恐るべきもので、憎悪、恐怖、殺害、死、混乱、分裂病や鬱病の契機が渦巻いている地獄のような層で、この層を通過しなければ、『本物、すなわち、愛、生命、合理的なもの』に到達できないとされる。ただわたしたちがとってきた考え方では、この憎悪、恐怖、殺害、死、混乱、病気(分裂病、鬱病)の渦巻いている地獄のようなライヒの中間層は、ライヒのように文化の人為的につくられた事実とかんがえても、またフロイトのように死の本能や破壊の本能とかんがえても、密接に母型を乳胎児期の母親との関係の仕方と、その関係の写像のされ方とに対応するものとみることができる。この地獄の層をくぐり抜けることは、この母親との関係と母親からの写像を未来への追憶としてくぐり抜けることと対応している。するとわたしたちはライヒのいう性格構成の地獄の中間層は、乳胎児期の無意識の核が形成する過程の課題に、転化させることができるとおもえる。もっといえばその時期の母親との関係と母親との関係の写像の問題に帰する。そして、〈ここに地獄の母型がある!〉ということだ」(「心的現象論」『試行』71号)

「母親と胎児との胎内の関係が人間の絶対的な認識と感性の起源である」ということは、ライヒの「木が一度曲がったまま伸びてしまうと、あとでそれを矯めることはできない」ということとおなじことであり、それが吉本隆明のいう「地獄の母型」ということになる。昔、人は光は直進すると考えた。日常の経験知としては今でもそうだ。アインシュタインは強い重力場では空間が曲がっていると予言し、日食の観測でそのことが実測された。質点に無限や無意識を導入すると、相対論や量子力学、フロイトの性の分析理論がつくられる。ここが現代の入口だ。太陽の巨大な質量にフロイトの性を置換してみる。太陽に比喩されるフロイトの性は人の生の軌跡を曲げないだろうか。それがフロイトのエディプスだ。わたしはフロイトや、フロイトの性の拡張をはかる吉本隆明と全く異なった感覚が可能なことに気がついた。直観がわたしの掌のなかでビクンビクンと跳ねている。太陽の近くを光が通過すると相対論の効果によって光の進路は曲げられる。フロイトや吉本隆明が考えたことはここまでだ。そこでわたしは考えた。光の進路をもう一度、直進させることができるはずだ。簡単な思考実験で示すことができる。ほんとに簡単なことだ。太陽の近くを光が通過するとして、光をはさんで太陽とちょうど対称的なところに太陽とおなじ質量の太陽をもうひとつ持ってくればいい。そうすると曲がるはずの光は直進するはずだ。すくなくとも光は直進すると知覚されるはずだ。もちろんわたしはここでライヒの「曲がった木」がどうやったらまっすぐ伸びるかということをイメージしている。吉本隆明の〈地獄の母型〉という近代知がどれほど人の生を脅迫するか言いたい。それでは人類が起源からして分裂病にかかっていると言うに等しいではないか。明晰は迷妄からひとを救いはするが生を熱くすることはない。さらにわたしは考えた。反撥するより〈極楽の母型〉をつくるほうがはやいぞ。太陽の重力効果を無化する然然の自然をつくれば、胎乳児期の母子関係の如何に関わらず「地獄の母型」はそのまま直立し〔然り!〕と往生するはずだ。思想を革めることの真のおそろしさがここにある。だれもここまでは踏み込まなかった。外延知を内包自然と総表現者という理念を基に書き換えると内包知になる。そこまで行かないと世界の無言の条理が胸襟をひらくことはないとわたしは内包論で考えている。なにが吉本隆明の思想の根本的な錯誤か。生の不全感を括弧に入れ、世界を俯瞰し全貌をつかもうとする方法だと思う。それはイメージ論(マス・イメージ論、ハイ・イメージ論)の全体を貫く世界視線の不毛さもおなじである。感性の絶対的な起源を母子関係にもとめ、それを地獄の母型とし、人間はすでに終焉しているから生物と無生物を等価とみなす世界視線で世界を再編成すべきだと晩年の吉本隆明は考えた。「ある意味で『内面の時代』はすでに終わっています。・・・人間の内面性も同じことです。ゆくゆくは廃棄処分になるというのが、これからの人類の未来じゃないですか」(『わが「転向」』)かれのなかで人間という概念は終わっているから、ハイ・アングルな手法で世界をつかもうとした。ランドサットの視線から、つまり無限遠点から人間を見るとどうなるか。それがかれの世界視線という理念だった。ほんとうは吉本隆明という思想家の自意識の劇にすぎなかったということかもしれない。なぜこういう空虚な思想を吉本隆明はつくったのだろうか。

    2

わたしは意識の外延的な思考のある典型を吉本隆明の思想のうちにみようとしている。吉本隆明は知識人として言葉を発している。天皇にたいする絶対的な帰依の感情を始末しないままに、敗戦を契機に吉本隆明は左翼文化人を激しく批判するようになる。そのありようを若者が我が事のように勝手に担ぎ上げた。わたしもそのひとりだった。わたしは契機があり平時のなかの戦争をひとりで敢行した。吉本隆明は戦時の大衆の存在の様式を敗戦をきっかけに戦後の大衆のありようへとなめらかに接合する。大衆に背かない思想をつくることができるか。吉本隆明にとって大衆は救済の対象だった。牧歌的な時代だったといえば言える。かれの脳裏では知識人が先験的に信じられている。毛沢東の非道を知識の言葉が捌くことができるか。かれはできると考え、わたしはできないと考えた。同一性の思考のなかに論拠がないからだ。それがわたしの体験だった。引き裂く自然はどこまで行っても引き裂く自然のままであり、世界を断念するしかない。この引き裂く自然を天啓のように熱い自然が包む。信じがたい驚異だ。
吉本隆明は二十歳すぎたら後は死ぬだけという戦時の青年の心得を戦後に投影した。吉本隆明が戦時という日常のなかにある亀裂に触れることは戦後もなかったように思う。戦時という日常のなかにある亀裂と戦後の平時という日常のなかにある亀裂はまったく等価である。わたしの理解では吉本隆明の敗戦の体験はかれの主観としては生きた心地がしなくとも、余裕のあるものだったように思う。知識人とは権力をもった大衆にほかならない。知識人の原型を語るとき吉本隆明の主観的意識の襞は「衆」という信に閉じられている。この意識の型をひらこうとしたことはない。大衆は吉本隆明にとって最期まで外在的なものだった。知識人の課題は大衆の原像を繰り込むことにあるとした吉本隆明の社会思想は大衆を外在的なものとするかぎりにおいて必然として内面の空虚を生むことになる。吉本隆明の主観的な信がどうであれ、大衆という概念は生の不全感を必然として招来する。だれのどんな思惑も超えて知識人と大衆という視線の働かせ方は生を分割支配する。わたしたちはたくさんの人のなかのひとりにすぎないのではないか。

ぼくのもっている戦争中の大衆のイメージはそういうものじゃないんだな。赤紙一丁くれば、インテリゲンチャみたいにぶすぶす言わないで戦争に行くわけですよ。国家の命ずるままに、妻子と別れて命を捨てるために出ていくというのが先験的なのであって、その内部に、あの上官はおもしろくないとか、そういうぼそぼそがあるわけです(赤紙一丁で命を捨てるために出ていく、反体制運動でも同じで、わっとやれば指導者の意図を越えてしまう。これがぼくのもっている大衆のイメージですね。 そこで問題になるのは、こういう大衆を何がチェックできるか、ということです。たとえば毛沢東はチェックできない、あるいは政策的にしかチェックできない。しかしチェックしなければならない。それは、ここははっきりさせなければならない、ここまでは思想的にはっきりさせなければならないという原理があるわけで、その原理に照らしてしかチェックできない。たとえば鶴見さんは、ウルトラな大衆が出てくれは、どうもあまり好きじゃないなということで退くわけでしょう。

そういう倍音は、善にも行き過ぎる、悪にも行き過ぎる大衆の部分で起きるものだと思いますよ。ある極限にきてしまえば、そのぶすぶすは固執されないで、わっといってしまうのが大衆だというふうに私は思っています。だから、ぼそぼそは大衆というものの把握のなかで絶対化することはできないだろう、そういうものを取り出して、大衆自体を評価するのは、大衆のイメージをまちがえてしまうのじゃないかなと思う。何でもない普通の魚屋さん、お菓子屋さんは、いつもは税金が高いのはけしからんとか、食えないとかぶすぶす言っていて、税金は二重帳簿をつくっておいて数字を少しごまかすというようなことは、ちゃんと心得ているわけですよ。ふだんはそういう一種の自然な虚偽で国家に対抗している。しかし、いざ鎌倉というときには、やっぱり政府自民党に投票する。中国ではその道の方向が出てきたんですよ。ふだん何かぶすぶす言っていて、究極では毛沢東が采配を振るとわっといってしまう。そして、いつもあとにやっぱりインテリゲンチャが取り残されて、身動きできない。
 しかし、ぼくに言わせれば、思想を明確に原理的に提出しえているならば、知識人はそんな場面で絶対にうろうろしないと思うんです。そういう場面で指導者に対してチェックできるし、大衆に対しても原理的にチェックしうるのが知識人の一つの原型だとぼくは考えているのです。知識人を原型として描けば、指導者をも大衆をもチェックできる存在を指すと思う。ぼく流の言葉で言えば、それは自立しているということであって、その世界を包括しえていれば、いかなる事態であろうと、だれがどう言おうと動揺することはない。行き過ぎだといって、そこから身を退くこともいらない。
 はじめにも言ったけれども、実際、反体制的な運動は、行き過ぎなさすぎてきたんじゃないですか。行き過ぎたことなんか一度もないじゃないですか。ぼくは、自分の思想の原理に照らしてどんなにだめだと評価されるものでも、行き過ぎだという理由で否定したことは一度もないわけだ(笑)。戦争中でも戦後でも、私たちはどうして完全に参った、完全にへばったのだろうかといった問題を一度も思想の問題として打ち出したことはないんですよ。絶えず行き過ぎもせず、へばりもしない。へばるのは下の方のやつだけで、組織はちゃんと存続していく。こういうところがぼくにはいちばん奇妙に見えるわけです。だからぼくは、大衆が戦争において行き過ぎようと、何々運動において行き過ぎようと、それは否定の対象にならないと思うんですよ。ただ、それをチェックしうる思想を知識人が形成しうるか否かだけが問題ですよ。思想的な原理以外の何によっても大衆の行き過ぎはチェックできないですね。そういうのが、ぼくの大衆のイメージです。(『どこに思想の根拠をおくか』吉本隆明vs鶴見俊輔)

いったいなにが言いたいのか。なぜこんなつまらぬ考えをつくることに吉本隆明は生涯を賭けたのだろうか。社会思想として語られる大衆も知識人もまるごと虚偽であることになぜ吉本隆明は気づかなかったのだろうか。いくらか吉本隆明が文化人であったからではないか。大衆を愛するハードコアなパンク思想家。吉本隆明にとって大衆は救済の対象であり、一人ひとりの貌がそこにあるわけではない。理念としての大衆なのだ。この理念が人類史の厄災を招来したということに気づかずに吉本隆明は生涯を終えた。途方もない理念の錯誤が雄大に語られた。それが吉本隆明の思想だ。同一性という表現の論理式がどれだけ空無かということを吉本隆明は生涯を賭け思想として表現した。意識の外延表現として吉本隆明の思想がこの国のもっともすぐれた達成であることを承知の上でこのことを申し述べている。吉本隆明の思想の核心である理念としての大衆では、他者の生存を自己の生の手段としないということを拒むことができないというシンプルな実感がわたしにある。吉本隆明は思想を自己の生存感覚の真芯で表現できていない。わたしがくぐった体験の実感としてそう思う。この違いはいかんともしがたい。わたしがたどりえた知では親鸞の他力と自然法爾だけがかろうじて同一性の論理式を振り切ろうとしていた。知識人と大衆という権力による生の分割支配を近代的な概念としてわたしは考えていない。一万年余の人類の文明史の必然として衆生の生は権力によって睥睨されてきた。そして人びとの生の統括を主務とする者たちが知識人だった。また衆生を権力によって統治する技術が知識だった。知識はだれによって担われようとそれ自体として権力である。それが世の常だったと思う。同一性を実有の根拠とするかぎり、精神の古代形象に深く刻み込まれた身体性というくびきをまぬがれることはない。人間という生命形態の自然は外界の自然との代謝関係において心身を維持するしかない。「胃袋とペニスに、目玉と手足の生えたのが動物。その上に脳味噌の被さったのが人間」(三木成夫)を深く感得する。これが生の基本体制だ。意識の目覚めを内包的に表現してヒトから人になった根源の性の分有者のなかにも捕食行動の反射として身体性が遺棄されている。どんな大義も共同幻想だがその共同幻想によって精神の古代形象の中に埋め込まれた身体性が猛烈に昂進する。この対談のなかで吉本隆明は大衆のイメージついて鶴見俊輔に吼えるように食ってかかる。「ぼくは、大衆のとらえかたが鶴見さんとはものすごくちがいますね。ぼくのとらえている大衆というのは、まさにあなたがウルトラとして出されたものですよ。戦争をやれと国家から言われれば、支配者の意図を越えてわっとやるわけです。たとえば軍閥、軍指導部の意図を越えて、南京で大虐殺をやってしまう。こんどは、戦後の労働運動とか、反体制運動では、やれやれと言われるとわっとやるわけです。裏と表がひっくり返ったって、それはちっとも自己矛盾ではない。大衆というものはそういうものだと思う」。蛮行を働いた皇軍の非道や無道は救済される対象として放免される。人は契機があれば百人でも千人でも殺しうる存在である。害虫であるユダヤ人を絶滅することが善であると思いこむことも可能である。吉本隆明の社会思想が徹底して駄目なのは大衆のありようを外在的にしかつかむことができていないからだ。「大衆が戦争において行き過ぎようと、何々運動において行き過ぎようと、それは否定の対象にならない」とする吉本隆明の思想をわたしは唾棄する。吉本隆明が戦争体験を地軸が傾くほどに考えに考え、考え抜いて究尽することはなかった。

政治はおおきな自然によって統治として受理され、知識人が代理して衆生の生を采配する。このしくみと仕掛けは人類史とおなじ規模の起源をもつ。このときおおきな自然の生を引き裂く力のもたらす矛盾や対立や背反は、ちいさな自然に応力のようにして内面をもたらし人びとを慰撫する。そのなれの果ての、さらに果てにわたしたちが小さな生を営んでいる。わたしたちはこういう自然しかつくりえていないのだ。なぜ吉本隆明の思想にここまでこだわるのかといえば言える。吉本隆明の思想をわが身にたぐり寄せながら、ある意識の呼吸法がたどる運命について言おうとしている。意識の外延表現はその内部に閉じた意識の系をひらく鍵をもっていない。私性のなかに痕跡のようにしてある同一性的な意識の残余のなかにひらく鍵があるといえば言えるが、わたしたちが長い人類史のなかでつくった自然はこの意識の残余を内面とみなすことで閉じた意識となって円環している。外界と内面ではなく、その外界と内面を共に包む自然をつくれば人類史は拡張できる。出来事の当事者でありつづけるということのなかにしか外延的な思考をひらくきっかけはないと考えてきた。出来事は内面化することも共同化することもできない。だからそのありようのなかに膨大な思考の未知があると思ってきた。

わたしは吉本隆明の社会思想は平時の思想だと思う。戦時が日常であるときそれは戦時という平時であり、敗戦後、占領軍によって舶来の民主主義が憲法と共に移植されたとき、一億総玉砕は一億総懺悔として人びとに受容された。戦後復興という平時と共に吉本隆明の思想は知識人を批判しながら疾走した。戦時には大衆と共に生き、戦後も大衆と共に生きる。吉本隆明の思想はそういうものであるが、思想の全体がニヒリズムであるとわたしは思う。社会思想は深さをもつことができない。社会思想で人と人はつながらない。人類史はその錯認のなかに依然として閉じられている。それが革命思想であれ、民主主義であれ、リベラリズムであれ、社会思想は生を損なうようにしか機能しない。社会思想は生を人格として抽出し、人格を媒介に表現される。その賞味期限が消えかかり、一斉に皆が精神的な退行を起こして身をかがめ、一気に精神の古代形象に憑こうとしているようにみえる。この現象は同時多発で、世界構想が枯渇していることが招いているとわたしは思う。アベシンゾウの愚劣と反安倍の愚劣はまったく同型である。アベシンゾウが妄想のなかに退行すれば、おなじだけ反安倍の心情の者たちも自力作善という虚偽のなかに退行する。危機を鋭敏に察知する者たちは天皇親政民主主義に退避して事態をやり過ごそうとする。わかりやすい保身である。あるいは現代は中世化しているとも言われる。違うと思う。人格を媒介にしたポリティカル・コレクトネスという理念が転形期の世界の激動を入れる器として機能不全を起こしていることが起こっている事態の核心である。ビットマシンが世界を駆動しているということ。金融も科学もビットマシンと融合することで世界を猛烈に改変している。世界をひとつの人格に比喩すると、世界は人格を媒介にせずに生に遡及する方法を獲得しつつあるのではないかと思える。これは、いま、まさに進行中のことで大半の人が気づいていないと思う。意識の外延性は身体性を吹っ切って外延表現にとっての未知へと突入している。ビットマシンが実現する身体の粗視化が精神の古代形象を外延的に拡張しつつあるということだ。転形期の世界の核心はここにあるとわたしは考えている。その煽りを食らった属躰の一人がアベシンゾウであり、安倍を批判する民主主義や天皇親政民主主義を唱えるシステムの属躰たちである。戦前回帰を警鐘する者たちはアベシンゾウとおなじだけ精神的な退行をする。いま起こっていることは戦前よりもはるかにおぞましいことなのだ。電脳社会によって適者生存がじかにこの世の条理となりつつある。そのことにもっともっと驚け。わたしたちは世界の無意識の変貌の対蹠的な言葉の場所で世界の無意識を包もうとしている。世界の壊れを最深奥で引きうけ、まるごとひらくこと。内包論はそれが可能だと思っている。意識の外延性をもっとも延伸しえた吉本隆明の社会思想がなぜ生を損なってしまうのか。社会思想として贈与論を語っても交換と可換なものにしかならないことは先験的である。交換ではない内包的な贈与の可能性を摑取したいので吉本隆明の思想の論及をまだつづける。なにより贈与論を経済論ではなく存在論として究尽するなかで内包的な贈与の輪郭が浮かびあがってくる。この試みはわたしたちによって初めて挑まれている。

    3

吉本隆明は戦時下、二十歳過ぎたら死ぬことを前提にして生きてきたとよく発言している。ごくふつうに生きるということを価値の源泉にしている吉本隆明の思想にとって戦時という平時を生きる心得は気負いのない自然なものとしてあった。死ねば死にきり、自然は水際立っているという言い方を吉本隆明は愛好するが、この自然のことだといってもいい。戦時のおおくの青年がそうであったように死という自然を受容していた。死は受容できても、敗戦は青年吉本の心性におおきな衝撃をもたらすことになる。吉本隆明の戦争体験は内面と外界という自然に変容を促した。戦時の日常と戦後の日常をどうつなぐことができるか。吉本隆明は呻吟する。長い歳月をかけ、戦時という平時と戦後の平時を、大衆を軸とした世界としてかれは構想した。ある意識の呼吸法がたどる必然的な運命を吉本隆明は生きたように思う。

太平洋戦争の開戦時の「パーッと天地が開けたほどの解放感」「全面的な解放感」「猛烈な解放感」「ものすごい解放感」(『吉本隆明が語る戦後年』⑤)から、一気に絶望のどん底に突き落とされる。「戦争が終わって、これからも生き続けることができるとなると、いろいろ考え直さなければいけない。しかし、自分でもうまく転換できなくて、生きた心地がしないという感じが三年間くらい続いたと思います」(『遺書』)。こういう度外れに正直な吉本隆明はとても好きだ。戦争がみえてなかったと彼は言う。「論理をもっていないと間違える」。それが戦争が彼に与えた教訓だった。そこで彼は、「文学的発想」は駄目で、「いくら内面性を拡大して」も外側からの強制力に抗することはできないとかんがえた。文学を通じて知った人間の心理や精神の動きの洞察は世界の方から一方的に変わることにたいして無力だったと彼は言う。なにも特別のことではなく、とてもまっとうであたりまえのことが言われているとおもう。彼はこの反省に立ち、文学の外部の目をもつことで『マチウ書試論』を書くことになる。「人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである」と「じぶんの発想の底をえぐり出して」吉本隆明はかんがえた。
敗戦の経験を経て戦後をいかに生きるか、吉本隆明は彼の思想をそこでつくった。わたしは全共闘-部落解放運動の胸の悪くなるむごい体験を経てじぶんの言葉をつくりはじめた。わたしはこの体験のことを当事者性に拠る表現として普遍化をめざしている。そこで吉本隆明の思考の型を、当事者性に徹し、そのことがひきよせるさまざまなひずみを存在のある根底でひらくという、わたしの世界認識の方法からみることにする。わたしと吉本隆明はここでおおきくすれ違うことになる。
まず体験のもつ意味がわたしと吉本隆明では違った。わたしの体験は過ぎぬものとして、吉本のそれは過ぎるものとしてあったようにみえる。時代が推移しても過ぎゆかぬものをひきうけることを、わたしは当事者性とよんでいる。当事者性は体験することによってのがれえぬ出来事をひきうけることである。吉本は彼の体験を世界の客観的契機のしくみをあきらかにすることでひらきうるとかんがえたが、わたしの過ぎぬものは、主観的な契機と客観的な契機のそれぞれを成り立たせている根拠をくみかえる方に向かった。わたしが長年こだわってきた当事者性は内面の倫理でも、世界との関係の客観性によってもひらくことができなかったからだ。
わたしの思想の方法から敗戦期の吉本のありようを忖度するならば、太平洋戦争について彼は無罪である。無罪であるにもかかわらず彼は有責であるかのようにふるまった。彼の並はずれた知力と胆力と激しい倫理性が一瞬の自己欺瞞を覆ってしまったようにわたしにはみえる。わたしの体験に即していえば、彼の挫滅感は過ぎてゆくものにみえる。なぜかれが「じぶんの発想の底をえぐり出して」までこだわり、いったいなにをかんがえたのか、わたしにはつたわってこない。これは決定的なことだとわたしはおもう。

「キルケゴールの人間理解の仕方を、かりに主観的な契機というふうに呼んでみましょう。この主観的な契機に対して鋭く分岐する客観的な契機を人間理解について提起することが可能であるとおもいます。(略)ぼくが社会の秩序に反逆すると、それなりに反逆される方も真理を保有していると、ぼく以外に社会に反逆する思想をもっているものも、じぶんたちは真理を保有すると思っていることはたしかです。そういう場合に、なにが真理を保有するものだと決める規準になるでしょうか。大きな問題になってきたわけです。そこのところで、ぼくは人間理解をキルケゴール的な、主観的な契機にもっていかなかったのです。つまり、人間存在の普遍性の規準というものを、主観的な契機の中に、あるいは内面的な倫理の中にもっていかずに、かえって、客観的な契機の方にもっていったとおもいます。そのところが、キルケゴールがいう〈関係性〉ということと、ぼくなんかが使っている『関係の絶対性』ということばとがわかれるところになっているわけです」(「自己とはなにか」『敗北の構造』所収)

キルケゴールの「主観的な契機」にたいして吉本隆明は「客観的な契機」の方に人間存在の普遍的な規準をもっていったという。「客観的な契機」は、それぞれに固有な観念の領域をもち、それぞれの観念の節目を通して三つの異なる領域をもつ全観念領域の幻想論としてわたしたちの知るところとなる。吉本隆明の思想のどこに欠陥があり、どこが時代から超えられていくものとしてあるのだろうか。
主観的契機に内面の倫理の普遍性をみいだそうと、客観的契機に人間存在の普遍的な規準をもうけようと、禁止と侵犯に閉じられた同一性による生の監禁という事態はなにも変わらない。主観的契機であれ、客観的な契機であれ、いずれも同一性に円還している。謂わばコップのなかの争いなのだ。吉本隆明はここを逸らして思想をつくった。主観的契機をそれとして、あるいは客観的契機をそれとして成り立たせている、主観的契機や客観的契機という思考を容れている認識の入れ物こそが問われるべきなのだ。そうでないかぎり、自己幻想と共同幻想はいつまでたっても逆立し、自己の陶冶と他者への配慮はきりなく引き裂かれつづける。主観的な内面の倫理を客観的契機のほうに引っぱり、刻み目をいれることで彼の生は慰撫されたというわけである。世界認識の方法をもっていれば間違わないと吉本はいうのだが、そのことに倫理的になることがなぜそんなに問題となるのだろうか。頭はすっきりするけどすこしも生き生きしてこない。
それがあることによって日を繋ぐ力が出てこないものが思想といえるのだろうか。なにかこれひとつあれば生きる勇気が湧いてくるシンプルなもので思想はいいのだ。熱くなって狂おしくなって妖しくなるもの、それが思想ではないのか。世界がどうであれ、変わることのない元気の素がわたしたちの欲しいものではないのか。(『guan02』)

いま吉本隆明の共同幻想論のことを考えている。吉本隆明は天皇に対する絶対的な感情が深層で残っているという。それは国やふるさとや親のためには死ねないが天皇のためなら死ねるということだったと回想する。敗戦の体験が吉本隆明に「マチウ書試論」を書かせ、自身の体験をなぞるようにして「転向論」から『共同幻想論』へと未踏の表現の領野を切り拓いたことは知っている。個人から始まり家族を経て国家ができるしくみをかれは解明した。しかし吉本隆明は国家へと至る人間の心性はかれの方法で表現できたが、国家から折り返し、国家のない世界を構想することはできなかった。なぜかといういう思いがある。それは吉本隆明の天皇体験と敗戦のくぐり抜け方のなかにあるのではないかとながいあいだ考えてきた。「僕らの世代には、『このままでは引っ込みがつかない』と言う思いが残っていると言い、「僕の中には、天皇主義のときの深層がなくなってはいない」と『遺書』で述べている。国家の成り立ちについて観念の理路をつければ吉本隆明の敗戦の不如意は解消したのだろうか。天皇への尊崇と敗戦の衝撃を言語化しようと複雑な感情が渦巻いている。体験の重さの比較をしたいのではない。そうではなく体験の深さと固有性を問いたい。「マチウ書試論」の結句として「関係の絶対性」ということを書いている。関係の絶対性は関係の客観性ということだとわたしは理解している。わたしは吉本隆明の幻想論は意識の外延表現として語られているように思う。内面化可能なものとして吉本隆明は天皇への信と敗戦を「生きた心地がしない」まま考えた。わたしは言葉の膝を抱え込む体験を内面化できなかった。吉本隆明はできた。なぜか。ちいさな自然のかたちをいくらか変えることが内面の表現であると信憑されているからだ。この信憑を同一性が担保している。外延的な表現は同一性を暗黙の公理として成り立っているからだ。ここで自己意識の外延表現を曲率ゼロの意識の平面に比喩してみる。この意識の平面上の一方にマルクスの経済論があり、片方に吉本隆明の幻想論が位置している。この曲率ゼロの意識の平面に吉本隆明は三つの窪みをつくった。それが自己幻想と対幻想と共同幻想である。自己幻想は共同幻想と矛盾・対立・背反すると吉本隆明は考えた。わたしの考えでは自己幻想と共同幻想はおなじ意識の平面上の窪みにすぎないから自己意識と共同幻想は逆立することはない。なぜ自己幻想と共同幻想は逆立すると考えたのだろうか。「衆」を媒介にすると国家が減衰していくと信じたかったのだと思う。わたしの体験からは自己幻想と共同幻想は同期する。この違いの由来をたどると、吉本隆明とわたしの体験の相違に淵源があるという気がする。わたしは共同幻想のない世界を構想することでしか体験は超えられないと考えた。なにかおおきな体験の違いがあると思う。体験の軽重ではない。体験の深さと固有性の違いから来ているのではないか。吉本隆明は共同幻想論であらゆる共同幻想は消滅すべきであると宣明しているが、どうやれば国家から降りることができるかについて徹底した思索をした痕跡はない。内面をいくら磨いても世界の側から生にたいする圧倒的力が負荷されたとき、文学は抗することができないとしばしば述べてきた。社会思想とはそれ程度のものだと思う。もう少し言えば吉本隆明の世界認識の方法は世界の適者生存の条理に否定性をもちながらそのしくみを追認する思想でしかないと言える。人類は滅亡に向かってとぼとぼ歩いて行くしかないと吉本隆明は死の前に表白した。そびえ立つ思想の巨峰がこんなものであったことに落胆する。言い換えれば自己意識の外延表現はここまでしか来ることができないということだった。敗戦のくぐり抜け方の中に考え尽くされていないことがあり、そこに吉本隆明の思想の不如意があるのではないかと思う。

変わるだけ変わって変わらない物差しがなければ、なにが変わったかわからない。その落とし穴が自己認識のなかにある。マルクスも吉本隆明も見事にこの落とし穴に嵌まっている。私が私である同一性にある逆理は容易には捌けない。自己を実有の根拠にするとあたりまえにようにみえることが、ではその自己はどこから来るのかと問うと迷子になる。いっこうに行方がみえないのだ。斯くして手にするものは生の不全感となる。この不全感は文学の代名詞のようなものとしてある。いったい私という現象はどこから来るのか。なにに由来するのか。あらかじめ自己の意識を自明なものとして措定し、そのうえで自己という現象を説明しようとしても事態は堂々めぐりをするだけである。なぜそういうことになるのか。それは自己が不明であるからであると内包論で考えた。使用価値と交換価値をもってきても貨幣の謎がなくなることはなく、世界の無言の条理をなぞるだけだった。使用価値を指示表出に、交換価値を自己表出に読みかえて言語の表現の美をみつけようとしても手にするのは空虚である。言葉とはこれらの行為とはまったくちがうなにかではないのか。

言葉が言葉自身を生き始めるとき、この言葉の行為はおのずと内面を突きぬけてしまう。わたしは生が根源において二人称であることを表現の公理としている。表現の公理は言葉が言葉自身を生き始めると同一性という拘束衣を脱いでしまう。自己表現から内包表現へと表現が転位し、この表現の転位によって生もまた相転移する。こうしてあたらしい生の様式が内包表現によって誘発される。言葉が言葉自身を生き始めると、言葉の拘束衣を脱ぎ捨てた言葉が主で、自己という個人は従となる。個人の表現的な意志はここには介在していない。内包論では人は性から来て生に還るので、言葉が言葉自身を生き始めると、内包表現は内面を突きぬけ、根源の二人称に戻ることになる。自己があり、家族があり、社会があるとわたしたちの思考の慣性は世界を認識するが、言葉が言葉自身を生き始めることによって、この思考の慣性がこれまでとはべつの生の様式へと導かれる。自己という意識のありかたは内包的な意識への過渡であり、過程的なものとして存在している。この考え方は知識人と大衆という世界認識による生の分割支配がもたらす生とはまるで違う。じつは社会的な存在であるという思考の慣性は、人間の個的な生存が本来は内包的な存在であり、この存在が同一性に引き取られたとき事後的なあらわれだと思う。生が社会的な存在ではなく内包的な存在になるとき、だれであれ総表現者のひとりとしてその人に固有な生が現成する。

もうひとつ内包と外延について思考実験を重ねてみる。根源の二人称を、心と身体がひとつきりの生命形態の自然が生きるとき、内包存在の核にある根源の性という灼熱の光球の曲率がゼロとなり、身が心をかぎり、心が身をかぎる存在のなかに引き取られる。それが同一性の起源であるが、赫々とした白熱は同一性にしわのような痕跡を遺す。内包という光球を平面にすることができるか。球面を平面にすることはできない。意識の全円性を灼熱の光球に比喩すれば、意識のこの光球をそのまま同一性に写像することはできない。曲面を平面に引き延ばすとしわとなり平面に貼りつくことになる。宇宙の大規模構造のように密度の粗密ができるわけだ。密度のゆらぎのなかでちいさなしわは互いに引き合いおおきなしわとなり、そのおおきなしわはやがて西欧の神や東洋の仏へと昇華する。その応力として絶海の孤島のように存在するちいさな自然に煩悩という言葉では言い尽くせない内面の窪みがかたどられる。内包の面影として同一性では語りえない意識の残余が意識のしわとして私性のなかに表象される。同一性では語りえぬことだけが表現するに値する。
サイトの数少ない読者の皆さん。額に縦皺をつくりながらお読みください。だれも言っていない世界認識の新基軸をこれから書く。作為をもって世界に悪を為す者がいるだろうか。世界を破滅に導き、この国を壊すために悪を意図的に為そうとする者がいるだろうか。わたしはいないと思う。どんな政治的イデオロギーも主観的な意識の襞のなかにある善を為そうとしている。それにもかかわらずわたしたちの生が引き裂かれる。それはなぜか。内包はもともと領域として存在しているので心身一如の同一性的な生で表現できるものではない。内面の言葉では語りえぬ、言葉にはならないことが、逆説的に内包が存在することを暗示する。それが同一性では語りえない意識の残余だと思う。曲率ゼロの意識の平面では内面と名づけられているちいさな自然は外界のおおきな自然と矛盾や対立や背反するものであるかのように認識される。『詩経』にある「葛生」の詩、「冬之夜/夏之日/百歳之後/歸於基室」もそのひとつである。内面は懐かしい。しかし内面で表現できないものにいつも出来事の本質がある。
こういうことだと思う。電脳社会はビットマシンによって人格を媒介とせずに生を可視化しようとしている。もちろんそれは世界の無意識である。畸形と倒錯に満ちたわたしたちの人類史がやっと手に入れた人格を媒介にした生命形態の自然に根ざした理念-基本的人権や生存権や表現の自由-をビットマシンが越境しつつあるということが転形期の世界の本質を成している。電脳社会がわたしたちの心身一如の自然に侵入しつつあるということ。曲率ゼロの外延的意識の平面が人倫を介さずにビットマシンによってさらに外延されつつあるということ。こうやってわたしたちの生は可視化され、ニヒリズムが完成する。既知の知はこの事態に抗することができない。それがいま起こっている事態の本質である。
同一性的な意識の残余を語りえないものとするときだけ内包の痕跡がそこにあらわれているとみなすことができる。内面という意識の形式で根源の二人称を表現することはできないということだ。内包という灼熱を同一性の意識が措定することはできない。だから根源の性は同一性の意識では語りえないものとして存在する。わたしはその意識のことを同一性のしわと比喩している。私利や私欲として語られることは簡単に可視化し計量することができる。ビットマシンはあっというまに同一性のこの存在のありようをマッピングできるのだ。事実そのようにわたしたちの欲望は粗視化されている。このようにしてわたしたちの生命形態の自然は電脳社会のなかに呑み込まれていく。ただ自然科学の知がどれだけ精緻になっても同一性的な意識では語りえないものを粗視化することはできない。わたしたちの生命形態の自然は人格を媒介に表現されている。人格は固有の生が抽象化された一般性だから共同幻想として疎外することも、どうじに私利や私欲を可視化することもできる。曲率ゼロの意識はすべてビットマシンによってマッピングできるということだ。そこにはどんな意味でも生の固有性はない。近未来にやがて「あなたはDNA生まれですか」(グレッグ・イーガン『白熱光』)と問うことも可能となる。ここまでくると内面化という意識のありかたでは語りえぬ同一性の意識の残余である意識のしわは、外延表現を跨ぎ超す可能性そのものだということができる。そしてその痕跡はだれのどんな生のなかにも根源の二人称として内挿されているのだ。

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吉本隆明は『母型論』の「贈与論」で次のように書いている。

①「母」系優位の社会とは、「母」と子どもの身体、つまり生理的なつながりが大切な役割をもち、この母子関係をもとに親族が展開された社会という意味になる。「母」はまず子どもを受胎すると苦しくて不快な妊娠の時期を一年ちかくも耐え、出産の危機をとおりぬけ、出産してから一年以上、子どもの生命を養うために授乳し、養育しなくてはならない。この「母」の役割は文明社会でも未開の初期社会でもあくまでも「母」と「子」の個別的な過程であって、受胎、妊娠、出生、哺乳が個々の「母」と子どもの個別的なきずなだというのは変ることはない。このきずなにたいして「父」親が一義的に大切な役割があるとみなされるには、「母」と「父」との性交が、「母」の受胎や妊娠や出生をもたらした原因だという認識が前提になるはずだ。だが未開や原始などの初期社会では「母」と「父」との性交がなければ受胎も妊娠も子どもの出生もないという認識は存在しない。そこで何が起るかといえば「父」はすくなくとも「母」の受胎、妊娠そして子どもの出生にたいしては何のかかわりもない存在とみなされることだ。ただ「父」と「母」との性愛の親和だけが納得されている。

②こういう「母」系優位の初期社会で、「父」の役割や存在理由はどこにあるのか。マリノウスキーがトロブリアンド諸島の原住民について観察したところでは、「父」親はじっさいは「母」親をたすけて出生した子どもの経済生活の庇護者になり、その子どもを「母」親と分担して養育し愛しむことはもちろん、擬娩のようなじぶんが子どもを妊娠し苦痛を感じ、出産するといった「母」親に同化する行為さえやってのける。また「母」親の受胎、妊娠、出産のときに「父」親に課せられるタブーや儀式や呪的な行為一連の行為を行なうことになる。マリノウスキーが強調したのは、「父」親の存在なしには「母」親の受胎、妊娠、子どもの出生が親族や部族の間で合法的なものとしては認められないということだった。「父」と「母」とのあいだには婚姻にまつわる儀礼を経ていなければならないし、子どもの成育にまつわる共同の儀式や儀礼も「父」親を欠いては成り立たない。だから初期社会の「父」親の役割、あるいは「父」と「母」との婚姻関係といってもおなじだが、この関係の意味は子どもを生むための性的な配偶者というより「母」 の受胎から子どもの出生にいたる「母」と子の関係を認知させるためのものだというのが、マリノウスキーの強調する眼目だった。

③このいずれのばあいをとっても、兄妹始祖の神話をもつ「母」系優位の初期社会で、子どもは「母」方の親族の霊魂から授かった贈与だとみなされている。マリノウスキーのこの場面の記述はあいまいさをのこしている気がするが、基本にあるのは「母」方に近い親族、たとえば「母」、「母」の兄弟、「母」のその「母」親の兄弟といった母系の親族の霊魂の贈与により、子どもは受胎され、妊娠、出生するということだ。兄妹始祖神話の風によって孕むというばあいも、小さな嬰児の霊魂が流木のようなものにのって漂着し、海岸に水浴している女性の子宮にはいって受胎し、妊娠するばあいも、母方の親族によって汲みあげられた海水を一夜小屋のまえにおくことによって畢むばあいも、日本列島の島々にのこされた伝承のように、セキレイの交尾をみて兄妹が性交する方法を知って子孫をふやしたばあいも、夢か現かわからぬ入眠状態で、をなり神(姉妹)にたいするえけり神(兄弟)や「母」やその兄弟などの霊魂の贈与により子どもが受胎され、妊娠期間を経て出産されるとみなされていることは、疑うことができない。

思考の慣性はいつもその時代の観念の自然を了解のしくみとしてもっている。セックスをして子が生まれるというのは現代のわたしたちの自然認識であり、トロブリアンド諸島の住民は、母に子が生まれることと父の間に関係があるとは思わない。それがかれらの精神の様式であり、観念の自然である。わたしたちからみれば迷妄とみえる観念の自然を明晰に生きている。贈与論を進めようと手元にあるマリノウスキーの本をめくりながら、そういうことを考えている。時代によって思考の慣性は変遷する。ただどの時代を生きてもある時代を生きる人がその時代とのあいだで結ぶ明晰と迷妄の度合いは変わらない。性の様式は時代によってさまざまに変化するが、変わるだけ変わって変わらないこともある。人が根源において二人称であるということだ。マリノウスキーの観察記録にはかれが人類初期とみなす家族や親族、婚姻の規則が採集されているがものすごくモダンだという気がする。未開人がこの世のしくみを説明する思考の慣性が現代と違うだけで、すでに未開人は同一性の罠に落ちている。つまり現代のすぐ近くまできているということだ。生が根源おいて二人称であるということは未開人の生活にはるかに先立つ精神の古代形象だという気がする。

吉本隆明は「贈与論」で「贈与とは遅延された形而上的な交換」と定義する。マリノウスキーの未開人の生と性の様式の記述も、マリノウスキーの文献を参照しながら、贈与論を語る吉本隆明も同一律を同義反復している。それはマリノウスキーの性・家族・社会の記述がモダンな観察する理性によってなされているということだ。わたしは権力による生の簒奪だと思う。ある意識の型、知識人と大衆という権力による生の分割統治という認識の枠組みにすっぽり収まっている。対象を扱う手つきは違ってもレヴィ=ストロースにもおなじ知の匂いがする。ようするに知が偉すぎるのだ。マリノウスキーの脳裏で未開→原始→古代という線型的な時間が前提とされている。吉本隆明もいくらか躊躇しながらマリノウスキーの線型的な歴史の記述を受容している。そうだろうか。母型親和性社会は現代に近いのではないか。未開社会と記述される世界は現代の近傍にある。わたしの内包論の理解ではそうなる。母系制も父系性もない未分化な人類初期の核家族まで歴史を遡及すればいいではないか。

④この「母」系優位の初期社会で出産された子どもの価値は、贈与された「母」系の親族の霊魂の価値とちょうど釣り合っているということもできる。そして「母」系の親族の霊魂と等価なのはその「母」系親族組織の形而上的な価値、いいかえれば儀礼、慣習、氏族的な地位等々のすべてだということになる。マルクスのようにいえば、最初の分業は子どもを産むばあいの男女の分業だということになる。男女、いいかえれば「父」「母」とはどんなものを分業して子どもを生んだのか。このばあい「母」系親族の霊魂が贈与されたことと何が対応するかが問題だとすれば、「父」親の性行為にまつわる心身の享受と消費ということになる。これはもう少しだけ追いつめてみなければならない。ここで贈与と交換のあいだに脈絡をつけうるとすれば、「母」系の親族の霊魂の力能と「父」親の性愛の力能とを対応するものという考えにみちびかれる。たぶん未開人の近い親族の霊魂の力能と現代にも通用する「父」親の性愛の力能とは等質とみなせるにちがいない。そこでこの考え方からすればわたしたちは贈与とは遅延された形而上的な交換だという概念に導かれる。そして未開、原始の初期社会ではこの遅延は世代(出生と死)を単位とする無限の循環時間(永続転生)によって規定できるとみなされる。(『母型論』所収「贈与論」)

人類は核家族として歴史を刻んだというエマニュエル・トッドからすると、母系制社会は現代に近いのだ。母系制社会以前に遡らないと贈与の可能性はみえてこない。吉本隆明の贈与は交換の変形でしかない。それはないよと思う。現代の思考の慣性の流れのなかで、ある交換の様式を贈与と言い換えているだけで現実を切り拓こうとする意志はまったくない。マルクスとおなじで方法がモダンすぎるのだ。マルクスも吉本隆明もおおきな言葉の弓を引いた太い精神のうねりをもつ思想家だが、「社会」主義の思想しか語られていない。この思想の方法では解けない主題を解けない方法で論じることしかできない。交換は人間の存在を社会的な存在であるということを暗黙の公理にしている。この思索の方法では世界の無言の条理をなぞることになる。贈与は交換とはまったく異なる世界だとわたしは考えている。

⑤マルクスのようにいえば、最初の分業は子どもを産むばあいの男女の分業だということになる。男女、いいかえれば「父」「母」とはどんなものを分業して子どもを生んだのか。このばあい「母」系親族の霊魂が贈与されたことと何が対応するかが問題だとすれば、「父」親の性行為にまつわる心身の享受と消費ということになる。これはもう少しだけ追いつめてみなければならない。ここで贈与と交換のあいだに脈絡をつけうるとすれば、「母」系の親族の霊魂の力能と「父」親の性愛の力能とを対応するものという考えにみちびかれる。たぶん未開人の近い親族の霊魂の力能と現代にも通用する「父」親の性愛の力能とは等質とみなせるにちがいない。そこでこの考え方からすればわたしたちは贈与とは遅延された形而上的な交換だという概念に導かれる。(『母型論』所収「贈与論」)

そこで、吉本さんにお訊きしたい。「贈与とは遅延された形而上的な交換」は交換を可能とする同一律を前提とするだけで、贈与とはかたちを変えた交換であるとしか言われていないですね。交換が交換であるということはこの世の条理で適者生存の力学に適っている。それ以外のことが言われているとは思えない。いったいなにが言いたいのか。たんなる言葉の綾として言われているだけではないか。観念の延ばし方が硬直している。言葉が少しも漂いださない。言葉が解釈のための解釈になっている。『母型論』はのちの『アフリカ的段階』につながっているが、世界を構想する吉本隆明の意識は痩せている。柄谷行人も痩せた自然を論拠として『探究』で単独者の連結のなかにマルクスの思想を読みかえようとした。ふたりの息づかいがそっくりなのだ。消費社会の全貌をつかもうと全力を挙げた吉本隆明の内面は生の不全感におおわれていた。「ある意味で『内面の時代』はすでに終わっています。・・・人間の内面性も同じことです。ゆくゆくは廃棄処分になるというのが、これからの人類の未来じゃないですか」(『わが「転向」』)と言い、また若い詩人の詩は「『無』に塗りつぶされている」(『日本語のゆくえ』)とも言う。民主主義や天皇親政を良識として語る者たちより吉本隆明や柄谷行人の感性のほうが鋭敏だが、吉本隆明のアフリカ的段階という理念が音色のいい風として迫ってくることはない。ここに観察する理性のたどる、ある文明史的な必然を伴った悲劇がある。全人類の集合的知能と全マシンの集合的行動が結び付いたもの(ケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの』)は、人格を媒介にせずに容易に人間という概念を可視化し生を効率的に外延化する。同一性的な生はビットマシンによって確実に延長される。そして人びとは易々とこの世界システムの属躰となるのだ。それが転形期の世界で起こっていることなのだ。同一性を意識の根拠とする外延表現は人間がなぜ自由で平等であるかを定義できない。それは生が根底において二人称であるからだ。根源の性を心身一如のかたちで分有するわたしたちの生命形態の自然は意識の外延性のなかに語りえぬある領域として存在している。私が領域であるということをビットマシンが表現することは原理的にできない。A=Aをシュミレートすることはできても生をまるごと意識の全円性において表現することはできないからだ。人格を媒介にする表現は縮減され、どんな自由か、どういう平等か、とユニットごとに細分化され、世界システムに同期することになる。外延表現の途に就くかぎり世界システムの強制を拒むことはできない。奇しくもヴィトゲンシュタインが発見した語りえぬものについては沈黙せよという格言は、内面化不能の同一性的な意識の残余が、だれの、どんな生のなかにも、あたかも自意識のしわのような太陽感情として埋め込まれていることを告げている。わたしたちは世界のシステムの属躰ではなく、すでに超えているということにおいていつもシステムを超えている。この生の知覚のもとで交換は遅延された形而上的な交換ではなく内包的な贈与となる。

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文学を外延知だと考えてみる。内包論からは文学の内面は内包への過渡に過程的に存在しているということになる。そうすると外延知の文学が、根源において二人称である内包知の文学に転位するように、貨幣の交換は内包的な贈与へと変わることになる。文学の拡張と交換の贈与への転位はパラレルでまったくおなじことを意味する。交換も贈与への過渡として過程的になものだと考えているからだ。モースを読んでもマリノウスキーを読んでも吉本隆明の贈与論を読んでもそこで語られる贈与は形を変えた交換にすぎず、未知を喚起するものではない。

交換が贈与になるには三人称問題を解くしかない。交換は人間の社会的存在を前提とした貨幣論であるので、交換を超える概念は経済論の外延知ではなく、内包知として構想されるほかない。内包存在で外延表現を包み込むことでしか思考変換は起こらない。これまでの貨幣論は社会的な存在を前提とした倫理論にしかなり得ていない。マルクスの資本論も私性を超えるものではなかった。ここに世界認識のもっとも切迫する問題があからさまにあらわれていることにだれも気づいていない。三人称を前提とした社会倫理が語られる。比喩として言うと、自然数を延長しても分数の問題は解けない。交換の問題も、解けない主題を解けない方法で解こうとしている。国家も社会問題もおなじことだ。対幻想でも往相の性でもいいが、この性の深奥に気づかれることもなく然然の自然が灼熱する無限小の光球としてひっそりと眠っている。自己意識に内在する、私性では語りえない根源の二人称の痕跡が、同一性の意識の残余としてだれのどんな生にも内在しているということだ。同一性的な存在とはべつの仕方で、存在しないことの不可能性として内包存在は存在する。この存在が人の生を根底で支えている。おそらく親鸞はこの存在を他力による自然法爾と名づけた。わたしたちにとって生きられる生の未知は、自己に先立つ超越は外在として存在するのではない。人の生に直属しているのだ。それが生の根底が二人称であるという意味なのだ。
親鸞の自然法爾や、エックハルトの「おれが神だ」は、内包の至近のところまで来ていたけれど、暗黙のうちに同一性を前提としているので、神やと仏と対座する「私と世界」になっている。仏は親鸞一人がためにありと言うとき、ほんとうは親鸞は仏と懇ろになっている。エックハルトもおなじだった。どちらにも思考の未然があるとわたしは考えた。親鸞やエックハルトの考えでも信の共同性や三人称問題は消えない。滝沢克己はインマヌエルは脚下にあると言った。〔と共に〕という信じがたい驚異は神や仏と対座することでも、神や仏が脚下にあるということでもない。〔と共に〕は衆生をあまねく照らす慈悲として衆生に外在するものではない。自意識に語りえぬものとして内在する。むろんそれは内面をまったく意味しない。内面というちいさな自然は環界の自然が疎外されたものにすぎない。私性は私利や私欲としてよく語られるが、我執として語りえぬものが人びとの生になかにある。それが同一性的な意識の残余であり、語りえぬこの私性を抽象化された一般性として共同的に疎外することはできない。もしこの可能性がないならば交換が贈与になることはない。根源の性が〔分有〕されるということは〔贈与〕でもある。生は根源において贈与としてしか存在しえない。贈与は神秘でも倫理でもなく生の根源的な事実である。生はなにかへの過程としてあるのではない。根源の二人称を分有することの驚異は交換ではなく、そのなかにいてそこを内包的な贈与として生きることにほかならない。

わたしの極悪深重や煩悩を考えるだけ考えて、輾転反側したあげくに途絶した内包論を再開した。つまりわたしはわが身に起こったことを考えに考えた。内包論はとても生々しいことで、実感的なことだった。内包論はわが身をなぞるように世界を語っている。そのあたりについて親鸞との架空対談ですこし触れた。自然法爾に奥行きをつくるとそこに他力の神が棲まうことになり、生身の親鸞は、親鸞が仏になり、親鸞は領域化されることになるという対話をした。そのことを「親鸞は仏を親鸞にとどけ、親鸞である仏をふたりとしてひらいた」(歩く浄土174)と書いた。問題はだから信の共同性だ。信の共同性の根をぬくことができなければ同一性の彼方に行くことができない。そこまで行かないと国家が輪郭をなくし、交換が贈与となることはない。またここまで行かないと、いつまでも解けない主題を解けない方法で解こうと、不毛な方便を飽くことなくくり返すしかなくなる。
ここしばらく語りえぬ同一性的な意識の残余ということを書き、私性のなかに同一性的な意識では言い得ないなにかが残り、その意識の残余がかろうじて、還相の性という灼熱する小さな袋に切れ切れの意識となって通じているのだと考えるようになった。やっとここまで来た。おおきな自然に同期できない意識の残余のなかにある生の不全感がむしろ内包へと至る導きの糸ではないか。生の不全感は可能性なのだった。生の不全感が充分に不全をまっとうすればあるきっかけで内包へといつでも転化する。人は本来ひとりでいてもふたりなのだから。

貨幣論はじつは存在論だから、マルクスの資本論をこまかくたどることは不毛だ。自己を定在と措定し、社会的存在とすれば、マルクスの資本論をヘーゲルの精神現象学のように読むことはできる。解読が未知を喚起することはなく、まして世界が革まるわけではない。ヘーゲルやマルクスの考えは自己を起動して以降の各論は大旨妥当ではないかと思う。それよりなによりヘーゲルもマルクスも吉本隆明も始めからボタンの掛け違えをしている。

マルクスと親鸞の人間観の違いは大きい。親鸞は村人に「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」「まづ有縁を度すべきなり」と語りかけた。有情あるものがむかしから父母兄弟であるのは言うまでもないことではないか。だから信の契機を得た有縁を度すべきである。血縁を超えた人のつながりが信を契機に可能となる。それは親鸞の往相廻向ではなく還相廻向の他力だが、自然法爾にちいさな奥行きをつくりそこに仏を棲まわせないと親鸞の他力でも信の共同性の根をぬくことはできない。そうすると、その人はその人でありながら仏になるので、世間の他人とは三人称ではなく二人称の関係になるしかない。そこまで行かないと浄土教の教義はほんとうには解体できない。それは歴史が示している。わたしの内包論と親鸞の他力はだからわずか違う。わたしの内包論に信の共同性はない。これは内包論の達成だと思う。

「歩く浄土179」で柄谷行人は「マルクスは、商品交換は『共同体と共同体の間ではじまる』と言っている。共同体の内部においても、交換はあり、レヴィ=ストロースが明らかにしたように交換体系がある。しかし、大切なのは、共同体と共同体の間での交換なのだ」と書き、わたしは次のようにコメントした。柄谷も「この『間』は、どこでという空間的な問題ではない」と言い、「『抽象力』によってのみ接近しうる問題である」と釘を刺している。「間」の素朴な実体化ではないと言いたいわけだ。わたしの理解では柄谷が空間化ではなく抽象力によってのみ接近できる問題というとき、抽象力そのものをかれは空間化している。柄谷さん、わかるかな。あいだはと共にを分有することであらわれるのであって、柄谷の抽象力という概念は垂直に運動する時間の概念としてしか表現できないのだ。しかもこの抽象力は思考に先立って存在している。未分化な時空のなかにこの思考は存在している。柄谷の外部は内部の外化されたものにすぎない。フーコーが主体は実体ではなく、真理は他性によってもたらされるということとまるで違う。

むかし「あるものがそのものにひとしいというとき、あるものと、そのもののあいだに根源の一人称をおくとどうなるか」とわたしも書いたことがある。「間」という言葉は厄介だ。共同体にはある広がりがある。そうすると共同体と共同体の「間」という言葉を使うと「空間的問題ではない」と言ってもそこにどうしても空間的なイメージをもつことになる。だから柄谷行人はここを「抽象力によってのみ接近できる問題」とずらした。それでもやはり空間的なイメージをもつ。観察する理性はこの矛盾を対象化することができない。気がつけばあっけなかった。わたしは、わたしとあなたのあいだに根源の性をおくとどうなるかという問いを自己のなかに垂直に立ててみた。あら不思議。一気に悶絶が解消した。そして根源の性を外部にあるのではなく、つまり、わたしとあなたのあいだにあるのではなく、自己の内部にあると考えた。キリスト教の神も親鸞の仏も衆生を照らす外部の輝きとしてある。と共にはいつも空間化される。巨歩を遺した偉大な知も例外なくこの罠に落ちている。そうではなくて、灼熱する太陽感情という還相の性がだれのどんな生のなかにもある。比喩として音色がよく白熱したいい匂いのする無限小の袋という言い方もした。わたしにとっては実感的なことで、目に見えないほど細い同一性の意識の残余は、あるきっかけで、これも比喩だが、細い糸のようなものして自己の深奥にある灼熱のかたまりにつながっている。つながっている糸の尖端が灼熱のかたまりの内部に入っていく。つながったときにそこから還相の性を一気にめくり返すと、根源の二人称が自己と社会をすっぽり包み込んでしまうことになる。そうすると絶対的な善である還相の性は、自己意識によって定在する外延的な自己を領域化し、国家や共同体は喩としての家族となる。このおのずからなる関係のどこにも倫理は介在しない。生は根源において二人称ということが、この世の条理のなかで、わたしがわたしでありながらあなたであることになるわけだ。これがわたしの性のイメージだ。柄谷行人が「この」私というとき、単独者の私は人間でなく私であるが、その私にじぶんをとどけることはできない。そのことを柄谷行人の『探究』は逆説的に生きている。柄谷行人は、特殊と一般では独我論にしかならないと『探究』で繰りかえし言及してる。そのことはよく理解できる。この機微は内包論では、おれは人間ではなく性であると拡張される。だから外延表現の自己と内包表現が分割する根源の性の分有者を往還すればいいことにる。整序できない数を分数と名づけたからといって自然数が数でなくなることはない。おなじことが外延と内包について言える。

意識の往還によって環界の外延的な共同体は内包的な親族へと転位するから、内包論では共同体と共同体の間は問題にならない。わたしはわたしの身に起こったことをできるだけ普遍的に語っている。なにも特別なことはない。わたしの身に起こったことはだれにも起こりうる。普遍として語るとき体験の個別性は括弧に入れることができる。それが普遍ということの意味だ。わたしの世界認識は、ひとは内包的に存在しているにもかかわらず、この存在が事後的に自己という心身一如に意識の座を移し、そこに自己意識という思考の慣性を発明したということになる。それがわたしたちの知るモダンな人類史ということだ。だれにも起こりうることであるから、個々がそれぞれにこの内包を生きると、三人称はおのずから消えてなくなる。

柄谷行人が空間的な問題ではなく抽象力の問題だというとき、かれは歴史を外在的にとらえている。外在的にとらえるということは出来事を空間化しているということになる。断言として言える。困難な時期を経て、わたしは人類史はだれのどんな生のなかにも縦に直属していると考えるようになった。柄谷の外部は内部の変形で、外部と内部は同型なものにすぎない。独我論を超えたいモチーフがありながらどこにも突きぬけていない。単独者と単独者が連結した社会性は共同性とどう違うか。社会性もまた共同幻想にほかならない。市民主義をクールにやりたかったのか。かれは生の不全感から始め空虚を手にしただけだった。それは吉本隆明もおなじだ。消費社会の分析に全精力を費やしかれが手にしたものは空虚だった。生まれてきて丸儲けという生の知覚を基にして元気の出る考えで、人と人はつながりうる。同一性という論理式はもともとが空虚な形式だから、生は不全感を伴うものとして始まる。原理的にこの空隙はなにをもってしても埋まらない。意識の外延性というものはそういうものなのだ。ビットマシンに不全感はないから、電脳社会の世界システムはやすやすと不全感を越境することができる。なぜならば世界システムが元来ニヒリズムによって存立しているからだ。生が根底において二人称であることを存在の自然とする世界のなかに世界システムを包み込んでいくことは十分可能なことだとわたしは考えている。外延的な思考の慣性は天然自然由来の人間の知恵を根こぎにしビットマシンによって薙ぎ払われていく。心身一如に根拠をもつどんな外延理念をもってきてもわたしたちの生は世界システムの無意識に併呑されていくだろう。内面と外界という思考の慣性を拡張する思想だけが転形期の世界がもたらす擾乱を矯めることができる。内包という性をビットマシンが表現することはできないからだ。じぶんをじぶんにとどけることができると、ひとりでいてもふたりだから、内包になる。この生のありようをわたしは性だと言ってきた。言葉が言葉自身を生き始めるとおなじことが起きる。内面よりもっと深い内包という精神の未知がある。独我論ではなく単独者を基点に単独者たちのつくる社会性によってマルクスの思想を読みかえようとした柄谷行人の共同体と共同体のあいだで交換が始まるという考えも、吉本隆明の贈与とは遅延された形而上的な交換であるという考えも、思考の型としてはまったく同型である。いずれの考えも同一性から導きうる。

ヴェイユの言葉では絶対的な善、わたしの言葉では圧倒的に善、悪は枝葉末節ということは美しいお伽噺としてあるのではない。そうあるしかないという善悪の彼岸にある苛烈なのだ。だれのどんな生のなかにもこの苛烈がある。この苛烈によってヒトは人となった。自己意識は心身一如の自然として認識されているから、自己に先立つ内包という超越は、同一性では語りえぬ意識の残余として、目に見えないしわのようにして存在している。それは灼熱する性の光球の痕跡だ。球面の曲率は、曲率ゼロの意識の平面のうえにしわとして写像されている。外界のおおきな自然と私性というちいさな自然。このふたつの自然が同一性によってつくられた意識の平面のうえにのっている。この意識のありようをわたしは外延表現と名づけてきた。意識の外延表現は禁止と侵犯として表象される。この意識の平面上の片方に経済の領域があり、対蹠的な場所に幻想論があり、存在が意識を決定するとか意識がなければ存在を措定できないとかさまざまに論争されてきた。経済や国家や科学はおおきな自然としてわたしたち個々の私性のうえにそびえ立っている。また私性はいつも知識人と大衆という権力による生の分割支配として采配されてきた。いまもこの囚われのなかにわたしたちは囲繞されているといっていい。長い歴史のなかで内包の痕跡としてのこされた同一性から捨象された意識の残余は環界を睥睨する神や仏として衆生を照らし、慈悲によぎられることで衆生の私性は各自性をもつことができた。同一性的な生存は生の恒常性をそのようにして維持してきたと言っていい。それは生の余儀なさであり制約でもあった。歴史の近代や現代は神や仏という超越の代替物として大衆を歴史の駆動力として仮構し、人格に生存権や自由を付与したことになる。電脳社会をビットマシンで象徴すれば、ビットマシンの論理が人格を媒介にするよりも生そのものにアクセスするほうがより収益性を高めること気づいた。ここにはどんな倫理もないし、人びとが長い生活のなかで身につけた生活の知恵である天然自然由来の倫理を歯牙にもかけない。世界の地殻変動はだれかの悪意によって意図的に操作されているということではまったくない。超格差社会の到来は世界システムの必然であり、意識の外延性がビットマシンによって自動的に更新されているということなのだ。転形する世界の混乱の煽りをうけて国家は内面化し私物化され、私性は精神の古代形象へと退避する。それがいまわたしたちの身の回りで大規模に起こっている。悪意によって世界が壊れつつあるのではない。また競争から共生へと喉ごしのいい市民主義的な空文句を唱えることで世界が革まることもない。ただ世界への構想力が事態の帰趨を決することになるだろう。
わたしたちは世界システムの属躰となるほかないのか。そんなことはない。だれのどんな生のなかにもある内包という太陽感情の痕跡をたどり同一性をめくり返し、生の原像を還相の性として総表現者の固有の生を生きるとき、そこにずっしりかるい生が現成する。貨幣は交換ではなく贈与となり、国家は喩としての内包的な親族へと組み換えられる。

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