日々愚案

歩く浄土159 :交換の外延性と内包的な贈与10:外延知と内包知1

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ほかのだれでもないじぶんの生を納得のいくように反芻する行為が知だと考えている。知と知識は違う。知は固有のものであり公共化できない。知識は抽象化された一般性として可視化することができるが、生の固有性をたどる行為は一般化できない。だからこの行為と公共化された知識とは違う。可視化できない知の行為を生きるとき、かろうじて生の固有性がある輪郭をもってくる。けっして社会化できない生がここにある。半世紀近く、考えるというその行為について考える行為を持続してきて、知と知識は乖離していると思う。そのなかにいてそこを生きることはこの知のあり方によってしか可能ではない。生は俯瞰することも観察することもできない。だれもが思考の慣性の彼方を生きているにもかかわらず、思考の慣性に沿うように生を語り、生きている。生はいつも社会化されている。違う。そのように生きるかぎり、じぶんをじぶんにとどけることはできない。

生は外延ではなく内包として存在しているにもかかわらず、生きていることをわたしたちの人類史は外延的に表現してしまったので、個人は社会的な存在であると認識されてきた。社会的な存在だとみなされた生をたくさん集めると、そこに生の抽象化された一般性が疎外される。意識の外延表現が共同幻想を疎外することは不可避である。生の個別性は捨象されているにもかかわらず、抽象化された一般性として生のありようが規範化される。共同幻想というおおきな自然と個人の内面というちいさな自然はこのようにして密通する。言いかえれば個人の内面と共同性は同期するということだ。倫理を介在させても倫理は侵犯される。

たくさんのことを吉本さんの考えから教わった。いまでも汲み尽くせないことがあるかもしれない。1973年の秋にはじめて吉本さんにお会いした。唯物的、科学的、現実的というのが初対面の印象だった。それはいまも変わらないが、批判を意味しない。吉本さんの思想の方法はとても大づかみなのだ。だいたいでいいんじゃないのかとかれは言っている。吉本さん、時間ってなんですかとお訊きしたことがある。柱時計を指さし、あれでいいんじゃないですか。生活のことだけを考え、知的には考えない、吉本さんの大衆の原像という理念がありますが、その大衆が高等数学を駆使して生活の算段をすることもあるのですかとお訊きすると、それはあります、と即座に言われた。明快だった。大づかみな考えのなかに深い抽象を表現するというのがかれの思想の魅力だが、観念の祖述の仕方で失敗したこともあると思う。吉本さんは還相の知については語ったが、還相の知で歴史を表現することはやらなかった。観念を外延的に表現することの意識の剰余を文学や思想の問題と考えれば済むと考えた。理解はできるが吉本さんの思想の方法では生の固有性を表現することができない。生は内包的にしか表現できない。それがわたしの生の体験だった。生の触り方がわたしと吉本さんでは違った。この違いをないことにはできず、内包ということを考え、ワープロ文章にし、吉本さんと対談した。すれ違いの対談からすでに四半世紀以上がすぎた。吉本さんとの対話のずれは外延表現と内包表現の違いにあったのだと思う。大衆の原像は還相の知として言われていたのだが、表現の全体を還相において語ることはなかった。平時の安定した社会のなかでの表現だったと思う。大衆の原像は先端知の生権力の侵害によって崩されてしまう。時代を貫通する普遍理念ではなかったし、左翼的な理念の変形だった。

意識は内包的に表出されるとどうなるか。七転八倒しながら内包表現について考えつづけた。10年余、絶句した。三人称のない世界を表現することはわたしの思考の必然だったが、考えをすすめることができなかった。三人称のない世界をつくろうとして百戦挫敗。ホワイトアウト。思考は完全にフリーズした。だれがどうやろうとわたしたちの人類史がかたどってきた思考の慣性を破ることは困難だと思う。内包を語ることは外延的な人類史を超えることにひとしい。三人称のない世界を構想してゆきづまり、guan02という私家本を出したときに考えつかなかったいくつかの理念を創案した。往相の性と還相の性。これで性と精神の古代形象を表現できると考えた。還相の性はだれの生にも無限小のものとして内挿されている。すなわち総表現者。これで総表現者の一人ひとりの生に歴史を直立させることができる。すなわち生は一人ひとりにとって固有なものであるとどうじに歴史としても表現できる。この考えが可能なら三人称の世界は内包的な親族となり、交換は贈与へと転位する。理念の拡張はおのずからなる表現であって理念のどこにも倫理はない。おおまかに言えば内包表現論をそのようなものとして考えている。

熊本を出て来年で半世紀になる。いくつかの起伏があったが、いちども文化人であったことはない。わたしは数多くのなかのひとりであり、言葉にならないことの真芯で、大地に素足で立ちつづけた。表現は公共化できないということはわたしにとって、譲れない表現の公理だった。長い歳月のなかで考えつづけたことが縁によって偶然の必然となり、内包表現というひとつの意志のかたちが輪郭をとりつつある。熊本の凡庸な田舎の少年が博多に行き、偶然がある必然のかたちをとることの不思議。なんと言えばいいのかわからない。卑小であることがそのまま偉大であることをわたしは生きている。生きていることを俯瞰する視線ではなく総表現者のひとりを生きるとき、だれの生も、僧に非ず、俗に非ずとしてあらわれるのではないか。だれも生きたことのない生の未知がここにあると思う。だれよりわたしがいちばん驚いている。

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マルクスの価値と交換価値の二重性を吉本隆明は言語表現論で自己表出と指示表出と読みかえ、言語表現のおおきな織物をつくった。わたしは吉本隆明のおおきな錯認がここにあると考えた。価値は労働価値説で扱えることではなく、わたしは外延的な価値を内包的な表出へと拡張して読み込んだ。そうすると言語の最小与件は、吉本隆明の言語表現論とは異なったものとしてあらわれてくる。吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』は全面的に組み換えられる。マルクスの資本論は興隆するイギリスの資本主義社会の資本の運動を科学的に分析したもので、この分析は人間が社会的な存在であることを暗黙の公理として思想化された。わたしはマルクスの資本論はマルクスが生きた時代に囲繞されたある時代の知であると理解している。吉本隆明はマルクスの思想の根幹にある交換価値と使用価値を、自己表出と指示表出へと読みかえた。マルクスも吉本隆明も現実の粗視化を誤認している。現実の粗視化を吉本隆明は狩猟人を例示しながら解き明かしている。狩猟人が海をみて、〈う〉と唸る。人間の意識が動物的な反射の段階にあるとすれば〈う〉と叫び、意識にさわりがあれば〈う〉と有節音を発する。この〈う〉は海を視覚が反映したことにたいする指示音声であるが、この意識のさわりは意識をたわめながら眼前の海を反射ではなく象徴的に指示し〈海〉という有節音を発するとき、言語としての最小の条件をそなえることになると吉本隆明は『言語にとって美とはなにか』で言っている。言語の最小与件について吉本隆明は微妙なことを言う。まるでヘーゲルではないか。

 こういう言語としての最小の条件をもったとき、有節音はそれを発したものにとって、自己をふくみながら自己にたいする存在となりそのことによって他にたいする存在となる。反対に、他のための存在であることによって自己にたいする存在となり、それは自己自体をはらむといってもよい。なぜならば、他のための存在という面で言語の本質が拡張されることによって交通の手段、生活のための語り言葉や記号論理は発達してきたし、自己にたいする存在という面で言語の本質を拡張したとき言語の芸術(文学)が発生したからである。(角川文庫改訂新版『言語にとって美とはなにか』)

わたしの理解では吉本隆明は外延知の極北の思考といえるおおきな自然とちいさな自然の起源を言語表現論で語っている。あらかじめ自己を前提とした意識によって自己表出の由来を探っている。引用のこの箇所はうっかりするとそのまま読めてしまう。言語の起源についてなかなか深いことが言われているらしい、と。わかいころはわたしもそう読んだ。この箇所はもっと深く読み込むことができる。表現としての言語の起源がここで語られているが、その起源があらかじめ自己の存在を前提として、起源が発生的に語られているということだ。古典経済学が貨幣を前提としながら価値の形態を論じたこととおなじ誤謬がある。自己意識の用語法が必然的に抱え込んでしまう特異点に吉本隆明は自覚的でないようにみえる。吉本隆明はここで根本的な錯誤を犯している。自己意識の用語法によって表現の根拠を問うている。そうではない。二点間を結ぶ最短距離を直線と定義するという矛盾を起こしている。表出の機構が自己によって定義されているのだ。これはまったくの矛盾である。表出の契機は意識の外延知ではなく内包知に拠ってしかつかむことはできない。マルクスは国民経済学を批判して貨幣の謎を解いたと資本論で興奮して書いている。そのマルクスの方法で吉本隆明は言語表現の起源をつかんだようにみえる。わたしはマルクスが貨幣の起源を解明したと思いこんだ考えにも、吉本隆明の言語芸術論の起源にも、その起源をうながしたもうひとつの表現の機構があることを発見した。ライオンが捕食するシマウマに襲いかかるとき、うなり声をあげる。このうなり声が動物的な反射であるか、ある意識のさわりをおぼえた有節音であるか、それはどうでもいい。人類はこの有節音を象徴的に表象した。

そこで問うてみる。なぜ意識は有節音を象徴的に表象したのだろうか。マルクスと吉本隆明に問うてみる。かれらは答えることができないと思う。暗黙に自己意識を前提とし、その自己意識によって、貨幣の起源や言語の起源を問うているからだ。この意識の外延法でははじまりは不明であるとなるしかない。ヘーゲルもそう考えた。この意識の線形性をわたしはモダンと呼んできた。あるいはこのモダンな意識のことを自己意識の外延表現と呼んできた。モダンな意識で起源を問うとモダンな意識に見合った起源が発見される。マルクスや吉本隆明は暗黙のうちに自己を抽象化された一般性として疎外した上で貨幣や言語の起源を問うている。マルクスにとってもっとも本質的な人間の関係は男性の女性にたいする関係のなかにあった。しかしいつのまにかこの関係の本質は人間一般に移しかえられ、人間と資本の疎外関係を論じることになった。吉本隆明も言語の起源を問うとき、生の不全感を抱えた自己を起源に投影し、言語の表現論をつくっている。言語化できない固有の生は抽象化された生一般へと疎外され、そのうえで起源を論じるわけだ。ここで解明された信憑が強靱な思考の慣性をかたどることになる。なぜ有節音は象徴言語として表出されたのか。かれらの起源を問う方法ではじまりを解明することはできない。太古を生きた狩猟人はなぜ有節音を象徴的に表象したのか。なにがそのことをうながしたのか。

「自己をふくみながら自己にたいする存在」をひろげると言語の芸術となり、この対自的なしくみがそのまま「他にたいする存在」となるとき、往相の性と共同幻想が生まれることになる。「他のための存在であることによって自己にたいする存在となり、それは自己自体をはらむといってもよい」。対他的な存在が対幻想と共同幻想に分裂し、この世のしくみをなぞることになる。そこになんの妙味もない。マルクスが貨幣の謎を解くことができなかったように、吉本隆明の言語芸術論も表現の謎を解いていない。現実のなかに表現が拡散してしまっただけではないのか。引用の箇所をもう一度ゆっくりながめていただきたい。吉本隆明が「自己にたいする存在」が「他にたいする存在」とひとしく、「他のための存在」を「自己にたいする存在」に等値するとき、固有の他者と一般的他者があいまいなまま融合していることに気づかないだろうか。あらかじめ自己というものを前提とした意識によって言語の発生が語られていることに。吉本隆明だけにみられることではない。レヴィナスも固有の他者を他者一般へとずらした。レヴィナス自身の言葉として『時間と他者』のなかで開示されている。マルクスも男性の女性にたいする関係のなかにもっとも本質的な関係がじかにあらわれると『経哲草稿』で書きながらいつもまにか人間一般へと関係をずらして思想を表現している。対関係は貨幣の謎を解く過程でしかなかった。レヴィナスは固有の他者を他者一般にすり替えることによって思想をつくったが、本質的な意味でハイデガーを批判することはできなかった。この隠蔽のなかに「社会」主義が胚胎された。なんどでも言う。人間の個的な生存は社会的なものではなく内包存在として存在している。わたしたちはまだ性がなんであるがよく知っていない。性にかかわる領域は対幻想だけなのだろうか。対幻想より深い性の関係はないのだろうか。わたしはあると思うようになった。内包論でいえば対幻想は往相の性と同義である。往相の性が性のすべてだろうか。対幻想が性のすべてではないように往相の性が性のすべてではない。わたしの理解では対幻想は往相の過程にある性の観念であるにすぎない。対幻想と言い、往相の性と言い、それらは広義の〔性〕の部分的な表現だった。もっと深い性が還相の過程にある。対幻想の深奥には還相の性が隠れている。対幻想をもっと微分することによって心の深奥が析出してくる。それが還相の性だ。わたしの理解では還相の性の一部が往相の性であってそれを対幻想といっているのだと思う。対幻想より還相の性がずっと深い。わたしはマルクスの経済論も吉本隆明の幻想論も還相の性が統覚していると考えた。

わたしはすでにフーコーより長く生きている。フーコーは主体は実体ではなく他性によってもたらされることを言い遺した。生のなかで真理はべつの形式をもってあらわれるというとき、フーコーのなかにいくらか吉本隆明の観念の位相構造の残滓がある。そのことにはいままで触れずにいたが、あることにフーコーが気づきドゥルーズの『情動の思考』の先まで行ったことはたしかだと思う。わたしは内包論でフーコーの考えついたことの先を考えている。つまり還相の性のこと。表現の概念をフーコーが転倒したことはまちがいないが、表現を還相廻向として表現できたとは思わない。この絵が、この家が芸術作品であって、なぜ私が生きていることは作品ではないのかと問い、問いを究尽し、死の間際に、倫理的活動の核になるものを発見し、ついに主体は実体ではないことをつかんだ。ここが観念が折り返す場所だった。わたしたちに問われているのは生を還相の過程で表現することができるかと言うことだ。まったく未踏の領野で踏破したものはいない。ここでわたしは還相の性を同一性ではない生の知覚として言おうとしている。経済論も国家論も科学論も同一的な思考の慣性のうえに築かれている。強靱な思考の慣性とはべつの生の知覚がある。このもとになる認識の形式が還相の性ではないかとある時期から考えはじめた。還相の性は親鸞の他力の拡張であり、自然法爾の棲まう場所のことを内包自然と考えてきた。他力が自力の計らいとは関係なく自存するように還相の性がだれの生のなかにも内挿されている。この観念が可能なら、この観念を軸にして意識の外延史ではなく、意識が内包的に表出された内包史という歴史をイメージすることができる。ここではじめて生が固有なものとして生き始める。内包自然を生きるとき、人びとは総表現者のひとりとしてその生を僧に非ず俗に非ずとして生きるほかない。還相の性が包み込んでいく世界に信の共同性はない。いかなる意味でも還相の性は実体ではない。可視化することのできないここに外延的な世界を超えていく契機がある。カルトな観念を頭に戴き、身体をグローバル経済の属躰として生きる、ねじれた生を矯める豊穣な生の可能性がここにある。(この稿つづく)

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