日々愚案

歩く浄土161 :情況論48 -Live in FUKUOKA 2017.4.14 (Part 1)

『歩く浄土』 Live in FUKUOKA   2017.4.14 (Part 1)

はじめに
 これまでに四回を数える私たちの連続討議は、電子出版ながらそれぞれ一冊の本として読んでもらうことを意図している。具体的には、森崎茂さんと継続して話をしていくなかで、少しまとまったテーマが見えてきたころに、その間、森崎さんが書かれたブログの文章、毎回二時間ほどの録音からの文字起こしなど題材とし、私(片山)が全体のテーマに沿って編集、あらためて対話形式で全文を書き下ろす、というやり方をとっている。
今後もこのスタイルはつづけていくつもりだが、いかんせん時間がかかる。電子出版のおかげで、紙の書籍に比べると格段にスピーディだが、それでも半年に一冊というのが精一杯だ。しかし現在の世界と日本の状況は、半年や一年でまったく様相が変わってしまう。この数週間は日単位で状況が動いている。このスピードに付いていくために、私たちの共同作業も少し即興性やライブ感を出したほうがいいのではないかと考えた。
そこで今回は、一回分の討議をほぼ忠実に文字起こしし、それに多少の編集と補足を加えただけのものを、いま、この時点での状況論として提示してみようと思う。通常の『歩く浄土』をスタジオ録音とすると、今回のものはライブ盤としてお楽しみいただけると幸いである。

1 メルトダウンする国家

片山 これまでの連続討議では、その時々の状況論を組み込むという原則でやってきました。そろそろ第五回をまとめようと思い、おおよその構成を考えたりしたんです。状況論としては「内面化する国家」という見出しを考えていました。国家の内面化というのは、もう一年近く前から森崎さんがおっしゃっていることですね。2016年8月7日のブログには、すでに「国家を閉じ、個人を閉じることでグローバリゼーションの猛威をしのごうとする。いつのまにかその流れができあがった。」と書かれています。同じ年の11月25日のブログから、最初のところを引用してみます。

  グローバリゼーションの猛威に晒されて一斉に国家が内面化をし始めた。ここに情況の本質が露呈している。米国の大統領選を観覧していてそういうことを強く感じた。意識の外延史を俯瞰するとそういうことが言えると思う。ビットマシンの電脳に追いまくられて国家という古い自然が窒息しそうになり、身をかがめ防御の姿勢に入ったということだ。グローバリゼーションに大半の人びとが疲弊し、日々の生活が逼迫し、世界の無言の条理を露出させた。イスラム国も安倍晋三もトランプも国家を内面化することで、ビットマシンのグローバルな圧力にたいして精神を退行させ抗しようとしている。(『歩く浄土』117 状況論36)

 非常に正確な状況分析だと思うんです。グローバリゼーションやグローバル経済の猛威にたいして、国民国家が内側に国を閉ざして防衛するということですね。グローバリズムにたいする反グローバリズム、新自由主義にたいする脱自由主義、自由貿易にたいする保護貿易、ポリティカル・コレクトネスにたいする排外主義……。イギリスのEU離脱(ブレグジット)もアメリカのトランプ現象も、そういうことだったと思います。大統領選でトランプが前面に打ち出していたことは、国内雇用の創出ということですね。わかりやすく言うとアメリカ人を雇い、アメリカ製品を買えってことです。これがグローバリゼーションのなかでおいてけぼりをくっている人たちの支持を集めた。
日本の場合は、ぼくたちが討議をはじめる直接のきっかけとなった特定秘密保護法(2013年12月成立)から、2014年7月の集団的自衛権の行使容認、そして2015年9月の戦争法(安全保障関連法)、さらに緊急事態条項や今回の共謀罪法案、ついでに言うと教育勅語の復活まで、安倍政権がつぎつぎに打ち出している政策は、そうした文脈で説明がついたと思うんです。あからさまな言い方をすると、基本的人権や表現の自由といった戦後の価値観を総否定して、軍事独裁に近い体制を敷くということですね。
 ところが4月7日(日本時間)に、アメリカがいきなりシリアを空爆します。これはなんだと思ったわけです。近代国家の振舞いとして、ちょっと考えられないことです。ましてアメリカは国連の常任理事国ですからね。建前としてではあれ、一応は国際秩序を守る側にいるはずだと思っていました。今回、アメリカがとった行動によって、森崎さんがおっしゃる国家の内面化が、さらに一段階進んだといいますか、国家自体が暴力化の様相を呈している気がするんです。あるいは世界を戦時下あるいは非常事態の状況におくことで、国家の存在感を強めようとしているようにも見えます。
森崎 たしかに、ここ一ヵ月ほどのあいだに国内的にも世界的にも新しい段階に入ったと思います。かなり質的な変化があった。トランプが国連決議も一切なしにシリアを攻撃した。トマホークを59発撃ち込んだ。これには驚いたというのが正直なところです。
片山 4月7日の夜、森崎さんからいただいたメールには、「トランプが国連決議なしにシリアを巡航ミサイルで空爆したことに驚きました。ここまできたのですね。国家を私性によって運用できるのです。いちはやく安倍が激励しています。なにかが急旋回していると思います。誤字脱字満載ですが、歩く浄土154は今日出すことに意味があると思い、アップしました。」とあります。このときアップロードされたブログの内容に即して、あらためてお話をうかがえればと思います。
森崎 ブログのなかでも引用した伊勢崎賢治さんのツイートを、いくつか紹介しておきます。いずれも4月7日のものです。
①個別的自衛権ではない。集団的自衛権でもない。ついに「保護する責任」が安保理決議なしで実行された。暴挙は暴挙だが、人道介入と国際法の葛藤がついに最終章を迎えた。
②人道介入を理由とする主権国家への攻撃が国連史上初めて安保理決議された2011年のリビア、カダフィ政権への空爆と違うのは、肝心の安保理決議がないこと。米だけなこと。イラク、サダム政権への攻撃とも違うのは、自衛権の行使ではないこと。つまりメチャクチャ。支持率回復にはならない。
③トランプのシリア空爆を北朝鮮がビビるだろうと小躍りする向きがあるが、イラク侵行時の陸自派遣支持の保守系の心理と同じ。自分の安全を最果ての異国の民の血で贖う。卑怯千万。姑息なり。これが「美しい日本」の所作なら、愛国って、大いなる勘違いしてないか?
かつて伊勢崎さんは「まともな敵」と「まともじゃない敵」という分け方をしていました。どんな独裁国家であっても、国民や国連にたいしてレジティマシー(法的な正統性)を提示しようとする意思がいくらかでもあるかぎり「まとも」である。この基準からすると、イランも北朝鮮も「まともな敵」である。一方、イスラム国(IS)に代表される新興勢力や、アルカイダなどの武力組織には、国際法のような共通言語がない。兵士の行動をある程度まで規制する国際交戦規定や、捕虜や傷病者の扱いを定めたジュネーブ条約といった「常識」が通じない。いわば「まともじゃない敵」である。現在の世界は、「まともじゃない敵」によるテロが、インターネットというOSを使って世界中に拡散しつつあるグローバル・テロリズムの時代に入った。これにいかに対処するかが、目下の最優先の問題である。そんなふうに伊勢崎さんは世界の現状をとらえていました。この「まとも」と「まともじゃない」の境界が溶けはじめたということだと思うんです。つまり日本もアメリカも北朝鮮も、みんなISになっている。そのことは誰もが漠然と感じているのではないでしょうか。
片山 伊勢崎さんの『新国防論』は2015年の11月に出版されています。この本を使って、ぼくは去年の5月11日に地元の大学で講義をしているんです。講義原稿を「紛争の現場から『戦争』について考えてみよう」というタイトルでブログにアップしていますが、そのなかで伊勢崎さんの解説を丸ごと使わせてもらっている。当時は説得力があったと思うんです。なるほど、と納得して講義に使った。たった一年前です。
森崎 ぼくもこれほどの急旋回は予測していませんでした。近代国家が一瞬にしてIS化した。フランスのテロでたくさんの人が殺された。それが世界の規模で起こっているということだと思います。このところ法治から人治とか、世界の中世化ということがよく語られるようになってきましたが、状況認識として呑気過ぎると思うんです。国家の内面化から、さらにメルトダウンへと状況が一気に加速している。この変化はもっと深刻な事態ではないか。
片山 そうですね。法治とか議会制民主主義とか人権とか、そういう理念や規範を運用する国民国家そのものがIS化している、融解しようとしているわけですからね。今回、こういうかたちでぼくたちの討議を公開しようと思ったのも、国家が融解し、メルトダウンしつつあるという状況認識を、一人でも多くの人に共有してもらいたいからです。
森崎 生存の無言の条理が剥き出しになり、生が私性に曝されていると思うんです。生が精神の古代形象に起源をもつ私性にじかに触れようとしているように感じられます。
片山 「生存の無言の条理」や「精神の古代形象」というのは、森崎さんが長く使われている言いまわしですが、要するに私利私欲ということですね。あるいは私以外私じゃない。人間という自然も、動物的な自己保存本能みたいなものを巻き込んでいるので、生命がかかるような状況になると、人倫やモラルといった文化的なコードを剥脱させて私性で我が身を守ろうとする。
森崎 いま起こっていることは、文化という皮膜がどれほど脆いものかを象徴しています。人間が長い歴史の時間を積み上げることでつくってきた制度が、一瞬にして精神の古代形象に先祖返りする。それがぼくたちの目の当たりにしていることだと思うんです。これも前から言っていることですが、自由や平等は私利私欲と非常に相性がいい。しかし他者への配慮や友愛は建前でしかなかった。完全に断絶しているんです。だから規範でつなぐしかなかった。それが人権思想であり民主主義でありポリティカル・コレクトネスだった。こうした規範をEU諸国やアメリカは世界に推奨してきた。しかしフランスでテロが起こり、アメリカで経済が行き詰まると、自分たちがつくった規範を維持できなくなった。その現れがイギリスのEU離脱やトランプ現象だったわけですが、ここに来て国家そのものが融解をはじめた。国家が精神の古代形象にまで一瞬にして退行してしまった。そのざわざわする感じ、何が起こってもおかしくないということを、ぼくたちを含めた多くの人が感じているのだと思います。
片山 トランプがシリアでやったことを見ると、いきなり北朝鮮を攻撃しかねないって気がしますよね。当然、北朝鮮は報復として日本を攻撃するだろう。原発が被害を受ければ逃げ場がありません。
森崎 うちの娘は家族全員のパスポートを取ったと言っていました。とりあえず外国に逃げる。それくらいしか対応のしようがない。当座の現金を手元に置いておく、水と食料を蓄える。去年、広島に来たオバマがスピーチのなかで「明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました」と言っていましたが、それが平時において起こりうる。あるとき不意に空から死神が舞い降りてくる。まったく予測が立たない状況だと思います。
片山 アメリカ海軍は原子力空母を朝鮮半島近海に向かわせているという情報もありますしね。これほど緊迫した状況だというのに、テレビをつけるとお昼のNHKのトップニュースが浅田真央の引退だったりして、この落差はなんだと思うのですが。好意的に解釈すれば、圧倒的な無力感というか、なるようにしかならないってことなんでしょうかね。
森崎 たしかに、そういう意味ではアメリカよりも日本のほうがずっと深刻だと思います。『日本会議の研究』の菅野完は、3月5日のツイートで「日本はトランプにびっくりしとる場合ちゃうな。トランプ現象は、日本でもう10年前に起こっとる」と嘆息しています。トランプの先を行っているのが日本です。ここ半年か一年ほど国家の内面化ということを言ってきたわけですが、国家が内面化したとき、アメリカでは内面化した国家の内部で反対運動や権力闘争がはじまります。ところが日本の場合は、国民が国家に同期してしまう。国家が内面化することで、自己の内面化はどこにも行き場がなくなって、日本独自の洗練されたアニミズムである天皇制に退行してしまうのです。民主主義によるポリティカル・コレクトネスを主張していたリベラルな人たちが、この国の伝統的な自然生成である天皇親政に逃げ込んで共同幻想化された内面を護持する。そのことは広範に起こっていると思います。
片山 今回のアメリカの行動、トランプ政権によるシリアへの電撃攻撃についてもう少し見ておきたいのですが、すでに多くの人が指摘しているようにトランプの言動は矛盾だらけです。昨年の大統領選期間中には、中東に使った6兆ドルを投資すればアメリカを二度再建できるなどと言って、過去の巨額の軍事支出を批判していましたし、当時のペンス副大統領候補も、アメリカが今後「世界の警察官」の役割を果たす考えがないことを示唆していました。オリバーストーン監督などは、こうしたトランプ政権の姿勢を評価して、アメリカ第一主義によってかえって戦争が回避されるだろうと希望的なコメントを出したりしていました。その一方で、トランプ政権は軍備増強を打ち出し、実際に防衛予算を増やしています。民主党政権によるポリティカル・コレクトネスを批判しつづけてきたわりには、今回の軍事攻撃にかんして、サリンとみられる化学兵器が使われ、子どもを含む大勢の民間人が犠牲になったことを強調し、「罪のない子どもや赤ん坊を化学兵器で殺すことで、シリアはレッドラインをいくつも超えている」みたいなことを言っています。まさにポリティカル・コレクトネスに則って軍事攻撃を決断した、と自分で言っているわけです。なんか思いつきでなんでもやってしまうというか、世界最大の軍事国家の大統領がこれでは、世界中の人たちは夜もおちおち眠れないって感じです。
森崎 トランプにどんな世界構想もないことは、彼の顔貌と振舞いを見ていればわかります。成り上がりの田舎の不動産屋が場当たりに威張り散らしているだけです。政治的な常識や大人の良識、一切が欠如している。なんだってやりかねないし、実際にやったわけです。議会にはかるとか、国民に説明して支持を得るとか、そういう国内の法治手続き、あるいは国連の安保理決議、全部すっ飛ばす。いままでになかったことです。ブッシュでさえ国連にはかった。今回は、そうした手続きを一切していない。伊勢崎さんが言うように自衛権の行使でもない。子どもを殺すとは何事かということで、いきなり59発の巡航ミサイルを発射する。撃ちたいから撃つ。国際法もなんもあったもんじゃない。伊勢崎さんの言う「まともじゃない敵」、テロリストそのものですよ。国家がテロリストになる。イラク戦争のときは悪の枢軸国という言い方で、自分たちは善玉として振舞うことができた。いまはアメリカという国家が悪そのものになっている。ならず者になっているのに、それを国民が許容する。支持率も上がる。国家そのものが融解して、メルトダウンを起こしている。ぼくはそのように判断しています。(Part 2につづく。)

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