日々愚案

歩く浄土139:内包贈与論18-遷ろう外延的な自然と根源の二人称1

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個人と個人が惹かれ、引き合い、対の幻想をつくり自然な家族をなす。わたしたちの観念は、自己幻想と対幻想と共同幻想という位相の違う三つの観念を外延的に表現することができる。この位相の違う三つの観念を統覚するのは同一性である。宗教から法や国家へとこの自然は寄る辺なく遷ろい、心身はさらに粗視化をうけ、ビットマシンと結合した金融工学や、ハイテクノロジーと結びついた自然科学が新しい宗教として興隆している。自然と人間の相互規定性は人工自然と人間の相互規定性へと変化を遂げある臨界を生じつつある。生を外延的に表現するときわたしたちは自己が内面的に表現された文学や芸術を自然としてもち、あるいは三人称が外化された国家という自然をもつ。そこではおおきな人工自然がちいさな天然自然を呑み込もうとしている。そのただなかをわたしたちは生きている。外延自然はさまざまなかたちをとりながら遷ろっていく。わたしたちは外延自然の属躰のひとつにすぎないのだろうか。ほかに世界認識の方法はないのだろうか。

外延自然の多くは共同幻想であるが、もっとおおきな概念で外延自然を包んでしまいたいと考えている。こういうことだ。精神の古代形象としてもっとも古い観念に属する身体に起源をもつ所有という概念と、もっとも新しい宗教である科学を統一した理念で統覚してみたい。それはきわめて現代的な課題だと思う。

なぜ根源の二人称という信じがたい驚異が起こったのか。なぜ、人であることの唯一の圧倒的な善である内包存在がそれぞれにふくみもたれたのか。それは奇蹟のようなものしてもたらされた。どんな計らいもない、おのずからなる存在の立ちあらわれ。いま、ここを生きている生の基底にあり、悠遠の太古、陽気な面々のなかにも根源の性があったということ。それがあることによってヒトが人となった由縁。いつもそのうえにあることから流れあがる熱い情動。人であることの背後に熱い息づきがある。なぜかわからないのだが、根源の二人称という驚異が起こった。

親鸞の正定聚をていねいにひらくと、そこに根源の二人称があった。もっと厳密にいうと根源の二人称の深奥に還相の性というものがある。太初からそれはあり、いまもある。だれのどんな生にもひっそりと内挿されている。インマヌエルや仏の慈悲の基にあるもの。では、おまえはそろそろ上がりかと親鸞が言う。それはすこし違いますね、親鸞さん。後の世では、一人いて喜ばは二人と思うべし、二人いて喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なりとあなたが言ったとされています。それがほんとうかどうかはわかりませんが、あなたが人びとに呼びかけた言葉はとても微妙なことを言っています。   

親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念佛まうしたること、いまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に佛になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはばこそ、念佛を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてて、いそぎ浄土をさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと、云々。(『歎異抄』)

おなじことをイエスも言う。

イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。それである人がイエスに言った。「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟たちとは、だれのことか」。そして、弟子たちの方に手をさし伸べていわれた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいましますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。(「マタイによる福音書」46~50)

ここで語られていることは外延からみられた内包の秘技である。外延自然ではなく内包自然という理念の場所をつくればそれは秘技でもなんでもない。親鸞や新約聖書の言葉として言われていることは、ゲーデルの数学的信の表明であった不完全性定理の社会的な表明である。真を表明したいにもかかわらず、信がまちがった一般化を被ってしまうきわどい場所でもある。だれも、そう、だれによっても、この危うい意識はひらかれていない。存在しないことの不可能性として存在しているにもかかわらず、この内包を措定するのはたしかに困難だ。だれにとっても。そういうことが親鸞や新約聖書の物語のなかにある。仏や神の信によって血縁ではない家族の共同体が可能だと信じられていた。西欧の超越神には原罪を負った衆生が信仰を告白する往相の信しかなく還相の信というがものない。おそらく物語のイエスも信の共同体を往相の過程ではつくることができないことに気づいていたと思う。聖書という物語を作成した記者たちも気づかなかったはずがない。教祖の常としてそれを告白することはタブーである。どうもおれのやりかたはちがうとどこかで感じていたはずだ。親鸞は自力を破り他力へと信を解体した。生きることが苦でしかなかった時代にあっては神の国や浄土を説くことでしか生の基底を相対化することはできなかった。信は告げる。それが可能だと。ただどれだけ信が確乎としてものであっても精神の古代形象が巻き込んだ身体性を消去することはできなかった。信は食と性のせめぎ合いでもあった。生を引き裂く圧倒的な力に覆われるとき、身体は悲鳴をあげ、心は身体になびくことになる。信はそういう生のありようをさらに締め上げる。西欧の神にはなにか酷薄なものがある。なにかがねじ曲がっている。親鸞の自然法爾にはそのかけらもない。苛烈だがとてもやららかい自然が息づいている。

イエスにしても親鸞にしても、信によって血縁ではなく、喩として、兄弟姉妹であることができるのだということを聴衆に呼びかけている。このとき親鸞もイエスも道理を説く言語の表出の意識と言語の指示性に落差があることを自覚し、引き裂かれていた思う。親鸞もイエスも問うたはずだ。なぜ生はこのように引き裂かれてしか生きられないのか。それを告げるかれらの言葉も引き裂かれていた。親鸞もイエスも自己に先立つ超越が存在することは生々しくつかんでいた。それは疑いえない。歴史の制約といえばそれまでだが、かれらの言葉を盛る自然がなかった。人であることの根源のリアルを信の言葉で仮想的に現成させるほかなかった。親鸞もイエスもその矛盾に晒されていた。それが衆生に道理を説くこの場面を象徴している。事実、イエスや親鸞の死後、信は巨大な伽藍となってあらわれた。信の共同性の根を抜くのはなぜこれほど困難なのだろうか。わたしは信を乗せている生の基底、生の自然にある身体性が信の解体の困難さをもたらしていると考えた。

抽象的なことがきわめて具体的であることを取りあげてみる。共謀罪法案が閣議決定の上、国家に上程されこの法案は自然に成立するだろう。きわめて自然に。この自然についてこだわってみたい。テロリストを排除するのは善であるという臆断が、法の自然を支える。がんの早期発見・早期治療は善とされるように。ある公理系によってつくられている世界があるとして、その世界に矛盾があるかどうかを、世界を支えている公理によって証明することができないとゲーデルは考え、数学的な信を解体した。ほんとうは善や悪の起源そのものが問われているのだ。善を先験的な事実とするかぎり、テロリストを排除するのが善とされることを疑う理由はどこにもない。この理念の社会的な表明をわたしたちは市民主義と言ってきた。精神の古代形象として巻き込まれたはじまりの不明はいまもなお世界の現在性として引き継がれている。人類史的な長い影を引きずってわたしたちはその現存性を生きている。

わたしの考えでは、「私」という意識のありように、同一性はもっとも元型的に保存されている。その「私」とはなにかと問い尋ねて自我や自己や主観が発見された。哲学とはその歴史にほかならない。つぎのように言うことも可能だ。性と貨幣は、私所有ということでよく似ている。私性は同一性という暗黙の公理に規定されている。もちろんわたしたちの生も人類史も。孤独が可能だから人類史の絶望がある。孤独とはなにか。同一性が穿った孔だ。人類史の絶望もまた。孤独が不可能ということが内包自然だ。おなじことを親鸞も考えた。側からはうかがい知れない往相の業というものがある。親鸞はこの業の深さを一身に浴びて生き、悪人正機の考えをつかみ、この覚知を他力と言い、他力によってもたらされるおのずからなる世界の広がりのことを自然法爾と名づけた。それだけ親鸞の地獄が深かったのだと思う。側からはうかがい知ることができない。ほんとうはだれのなかにもある。それに気づくかどうかは縁であり、自力の計らいで選ぶことはできない。自力の計らいの果てるところに他力があると他力を語ることはできる。親鸞の最晩年の書簡のなかに、ああ、それは他力という自力だと書いてある。禅宗はそんなものだと。よくわかる。存在するとは別の仕方は他力がつくるとしかいいようがないが、それはある、と親鸞は言う。それが親鸞にとっての道理、自然(じねん)だった。

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すこしフーコーについて書きたい。フーコーの思想の特徴は徹底した当事者性ということにあると思う。知識として読み解こうとしてもフーコーの触ったリアルに触れることはできない。フーコーはじぶんに特有の生の感触を普遍として語ろうとしたと理解している。フーコーの思想に観察する理性として参加することはできる。それはフーコーの思想を部分的に理解することにしかならない。フーコーの思想は解読されていない。私の父の世代に当たるフーコーの思想を当事者性に沿って理解したい。
若い頃フーコーの『言葉と物』を読んで衝撃をうけた。人間という概念は西欧近代がねつ造したイリュージョンであり、人間はやがて波打ち際に書かれた砂文字のように消えていくだろう。即ち、人間の終焉。体験が内面に閉じられ内面化では体験したことの狂おしさを外化することができず、共同化することもできないとき、フーコーの人間の終焉は体験の暑苦しさを漂白してくれるような気がして、なにか清々した。ヨックモック青山店でウオークマンでクラフトワークを聴きながらながら『言葉と物』を読んだ記憶がある。知識ではなく感覚として迫ってくるなにかがフーコーの言葉にあった。そういう読み方をした若者が多くいたと思う。人間は終焉してどこにいくのかということより、人間の終焉という言葉が鮮烈だった。たぶんどこに行くのかフーコーにもわかっていなかったと思う。大部の性の歴史を書くと公言し、『性の歴史Ⅰ 知への意志』を公刊し、8年間沈黙した。パティ・スミスも「私いま幸せです」と言って9年間アルバムを出さなかった。なにがフーコーに起こったのか。『快楽の活用』の中でミシェル・フーコーは言う。「私を駆りたてた動機は、ごく単純であった。(中略)つまり、知るのが望ましい事柄を自分のものにしようと努めているていの好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にしてくれる好奇心なのだ。(中略)はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるためには不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ」。思わず知らずなにか定かならざる力にフーコー自身が突き動かされ惑乱していたのではないかと思う。ゲイとして生を生き、その当事者性を、通念の性にまつわる規範に還元することなく、自身の生を普遍として語るためにさまざまな知の編成を組み換えようとしていた。既成の知を嘲笑し、徹底的にクールだったフーコーが、最晩年、倫理や道徳を語り始め、わたしはぎょっとし、読者を当惑させたまま突然死んだ。享年57歳。すでにわたしはフーコーよりながく生きている。わたしはじぶんの体験をなぞるようにしてフーコーの知を追い、フーコーが生きた知がどのようなものであったか、わかるような気がする。フーコーはじぶんの性の体験を普遍的に語ろうとした。若い頃ラカンの面接を予約し断り、生の不全感に行き暮れ生を断ち損なったこともある。

理解しがたい堅固な謎としてフーコーの思想はあるが、わたしがつくろうとしている理念にフーコーの考えを強引に引き寄せようとしているのかもしれぬ。それ以外のどんな読み方があるというのだ。

ヨーロッパの知の編成を考古学的に読み解き、死の直前にフーコーはある気づきに至る。1984年3月28日、コレージュ・ド・フランスの最終講義が行われる。その講義のためにフーコーがつくった最期の草稿の最期に遺された言葉。話されてはいない。

最後に私が強調しておきたいのは以下のことである。すなわち、真理が創設される際には必ず他性の本質的な措定があるということだ。真理、それは決して、同じものではない。真理は、他界および別の生の形式においてしかありえないのだ。(『真理の勇気 自己と他者の統治Ⅱ』引用の文言のすべてに傍点が振ってあるがブログがテキスト編集なので傍点は略)

主体は実体かどうかと問われてフーコーは答える。

主体は実体ではありません。それはひとつの形式であり、とりわけこの形式はつねに自己にたいして同一になることはないのです。投票に行ったり議会で発言したりする政治的主体として自己を構成する場合と、性的な関係において欲望を実現しようとする場合とでは、あなたはあなた自身と別のタイプの関係を持っているのです。異なった主体の形式のあいだに関係や相互干渉があることもあるでしょうが、同じタイプの主体を目の前にしているわけではないのです。ひとは自己とのあいだに、それぞれの場合ごとに、異なった形式の関係を働かせたり確立したりするのです。そして真理のゲームと関係する、主体のさまざまな形式の歴史的構成にこそ、私は関心を持っているのです。(『ミシェル・フーコー思考集成Ⅹ』「自由の実践としての自己への配慮」)

知を組み換えようと奮迅の闘いをしてきたフーコーが生の最期につかんだ知覚。じつに味わい深い言葉が発出されている。主体は実体ではない。政治の場での自己と性的な関係の場での自己はおなじタイプの自己ではない。これだけならば対幻想と共同幻想は次元が違うということですまされる。わたしの言葉でいえばフーコーは外延知の了解のしくみを突きぬけている。そこに生のあたらしいリアルがあることを生として発見した。性的な関係にある自己と共同的な場での自己は自己にたいして同一になることはない。この同一ならざるところにかろうじて実体化できない主体が存在すると。それは他性によってもたらされるものであり、真理は同一なものではない。真理は生のべつの形式においてしかありえない。『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』、『性の歴史Ⅲ 自己への配慮』を公刊する頃にフーコーは生き急ぐようにじぶんが発見しつかんだ知をインタビューや対談で述べている。当時そのひとつにわたしは鷲掴みにされた。「誰かの創造的活動をその人が自分自身に対して持つ関係のあり方のせいにするのではなくて、その人が自分自身に対して持つ関係のあり方を、その人の倫理的活動の核にあるような創造的活動に結びつけてみるべきかもしれないんです。(「ひとつのモラルとしての性」『現代思想』1984年10月号)ここにフーコーが最期に到達した言葉の場所がある。根源の二人称を分有するということにおいて主体という実体化できない真理が現前する。ついにフーコーは真理をつかんだのだと思う。同年代の思想家吉本隆明もかれが希った正定聚をそのままに生きた。ハルノ宵子さんによると、死の数日前に入院先で「どこでだっておなじだ」と言ったらしい。どこで、どんな死に方をしようと、家族に看取られて死のうと、野垂れ死にしようと、浄土の間近にある正定聚を生きることができるのだと。ひとりは根源的にふたりである。それが正定聚の真意である。第二次大戦を青年期に過ごし、それぞれユーラシア大陸の西と東に生まれ生きたふたりの思索家がそれぞれの癖のある言語を遣いほぼ同じ生を生きたとわたしは思う。

あらゆる価値の価値の転倒を断行し、価値の転倒を貫通できなかったニーチェが往相の知を逆説的に生きて発狂した地平を、あるいは神という超越を抜きに存在を語ろうと試み偉大なゲルマン精神を称揚することで存在を可視化してしまったハイデガーの卑しさをフーコーは突きぬけたのだと思う。性の関係における至福は恋人がタクシーで去るときだと還相の性があることを言い、「私の嫉妬はどんな大河にもまさるほどだ」「私は一八年来、ある人に対して強い感情を抱いている。たぶんあるときからこの情熱は愛に変わったのでしょう。実は、それは私たち二人の間にある情熱状態、それ自身以外に終わる理由もなく、私がそこに完全に入れこみ、私を貫いて通るこの恒常的な状態のことです。彼に会いに行きたい、彼と話しをしたいと思うとき、私をとどめるものはこの世にひとつもありません」(『現代思想』1981年対談)と言うとき、フーコーは性を還相の表現としてリアルにつかんでいる。それは自力ではなく、他性によってもたらされるという生の知覚である。フーコーはそれぞれに真理の形式が違うと言いたいのではない。真理は、他界という浄土であれ、生であれ、べつの形式によってしかもたらされないということを言っている。同一性の彼方へ。それが主体は実体ではないということなのだ。

生まれた時代や環境や体験の違いがあっても、ていねいにきちんと考えると、言葉の運用法や修飾の違いを超えて、だれがどう考えようと、似たような意識の息づかいになることに気づいてすこしどきっとした。フーコーの倫理的活動の核にあるものは、わたしの言葉では根源の二人称が自己に先立って存在するということだが、とりあえずこの理解でいいのだと思った。(この稿つづく)

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