日々愚案

歩く浄土137:内包贈与論16-初源の意識と権力4

内包贈与論をすすめたくて、私性と交換と権力の始原について考えている。わが身に起こったこと、わたしの体験を貫通する生存感覚を、知識の言葉ではなくもっと生々しい言葉におきかえようと、そのことだけは心にとめている。そこでだけ個の体験は歴史の概念へと移しかえることができると思うから。個体発生は系統発生を繰りかえさないはずがない。体験を普遍として語ること。わずか百年足らずの生涯にいつも一万年が埋め込まれている。そうではないか。短い生涯をわたしたちはだれも人類史として生きている。その生きていることの驚異を俯瞰する視線や観察する理性で触れることはできない。わたしの言葉は重心が低くて地を這っている。ときどき地面にもぐり込む。

いまわたしの傍に太古の民がいる。そうではない。わたしが古代の民である。わたしの髪はふさふさして赤いかもしれぬし、碧眼かもしれぬ。間氷期とはいえ雪嵐の日々だ。いやわたしの傍にいるのは恋人かもしれぬ。腹が減って明日のことは考えられない。なにか喰うものを探さなくては。子どもは腹を空かせてびいびい鳴くし。はぐれオオカミがわたしたちを狙って唸り声をあげながら突進してくる。子どもたちを背後に、いや、恋人を背後に回し、わたしも吼えて狼を威嚇する。立ちはだかるわたしはまず弓を射て仕留めようとする。狼の勢いは止まらない。石斧の棍棒でもんどりうちながら格闘し、ついに仕留める。これで日が3度めぐるうちは腹がくちる。わたしは子らに肝を食べさせ(糖質ゼロだ)、恋人にいちばんおいしいところを腹いっぱい食べてもらう。わたしたちの口から思わず言葉がもれる。ああ、うまい。
あるいは酷暑の陽炎のなかを水をもとめて彷徨っているかもしれない。もうふためぐりの日、水を飲んでいない。岩陰のすきまから一筋の水が流れている。わたしは手のひらでこぼれないように掬い子らに飲ませる。いや恋人に飲ませる。ああ、うまい。これよりうまいものはない。彩りの鮮やかな見たこともない一個の果実を手に取り、慄きながら一口かじり、恋人にぜんぶ食べていいよと差しだす。おいしいね、と言われて、いつでもどこにでもついてまわる生命形態の自然のなかに、なにかが充ちてくる。おおきな葉っぱで一緒に風雪をしのぎ、凍った大地の上で薪を燃やして暖をとり、剣歯竜の襲撃に怯えて夜を過ごす。いつも一緒、どこでも一緒。こうやって初源の意識が内包的に表出された。ここに意識の起源がある。〔と共に〕あることが〔充たす〕なにか、それが同一性の起源だ。

意識のさわりが個体の内部にこれ以上、とどめようがなくなって、有節音を発出することが、どうして自己表出なのか。吉本隆明は表現としての言語の始原をそう考えたが、わたしはそうは思わない。吉本隆明は言語の表現理論を『言語にとって美とはなにか』として構想した。なにかモダンな生の不全感を書物の全体に感じた。孤独な営為だな。なぜ孤独ということが吉本隆明に可能なのだろうか。なぜ孤独を吉本隆明は所有することができるのだろうか。吉本隆明にとって文学は自己表現であるという疑いようのない認識があった。わたしは表現の厖大な余白が吉本隆明の言語表現論の手前にあると長年思いつづけてきた。自己表出を駆動する内包的な表出という力が悠遠の太古から人びとのなかに内挿されているから、自己表出という表現の機縁が起こったのだと。表現の余白としてある文学や思想は、根源の性が内包的に表出されたものだった。ずいぶんむかしにこのことに気づいたが、この生のリアルを言葉におきかえようとして長い、ほんとうに長い歳月を要した。内面の言葉は他者につうじうるというある共同の符牒がなければ他者につたわらない。作品で書かれていることが、まるでわたしのことであるようなこともあり、ああ、そういう物語があるということ、にふかく共感することもある。心がふくらむのだ。

文学というものはいったいなんであるかという問いはここにはない。先験的に文学という内面があることが信じられている。それは国家という自然があるように内面という自然があることとおなじことではないか。文学と国家は相似形であるとずっと思ってきた。ほんとだ。だいいち根源の二人称の言葉をつくることが、おのずからこの世のしくみを革める言葉をつくることが、職業になるはずがないではないか。どこにもないものをつくろうとしてるのだから商品として流通しない。文学という制度はこの世のしくみを予定調和的に支えている。わたしにとっては自明のことだった。関心をもつものではとうていなかった。わたしにとって内面の文学は国家という制度のようなもので、なくて困るものではなかった。文学として書かれた作品よりも生の体験は、はるかにふかく、どこかで社会をあてこんだ共同性と密通する内面の言語をもって対象化することはできない。まだ表現されたことのない生の未知があるという思いは痛切だった。それがわたしの体験だった。ようするに文学はひどく退屈だった。生の体験は、はるかに苛烈だ。この知覚をまるごとつかむ〔ことば〕はないのか。賞味期限の切れた内面という知のなかに精神の未知はまったくなかった。わたしは〔ひとりでいてもふたり〕ということを延々と考えつづけた。
吉本隆明の表現としての言語論の始原をみていく。吉本隆明はつぎのように言っている。

芸術(詩)の起源についての、これらのさくそうした混濁物のあいだから、わたしたちが救いださなければならないのは、次のようなことだけである。まず、原始的な社会では、人間の自然にたいする動物的な関係のうちから、はじめに自然にたいする対立の意識があらわれるやいなや、人間にとって、自然は及びがたい不可解な全能物のようにあらわれる。原始人が、はじめに、狩や、糧食の採取を動物のようにではなく、すこしでも作為をもってはじめ、また、住居のために、意識的に穴をほったり、木を組んでゆわえたり、風よけをこしらえたりしはじめるやいなや、自然はいままでとちがっておそろしい対立物として感ぜられるようになる。なぜならば、そのとき原始人は自然が悪天候や異変によって食とすべき動物たちをかれらから隠したり、食べるための植物の実を腐らせたり、住居を風によって吹きとばしたり、水漬しにしたりすることに気づくからである。もちろん、動物的な生活をしていたときでも、自然はおなじように暴威をかれらにふるったのだが、意識的に狩や植物の実の採取や、住居の組みたてをやらないかぎり、自然の暴威は、暴威として対立するものと感ぜられなかっただけである。
この自然からの最初の疎外感のうちに、自然を全能者のようにかんがえる宗教的な意識の混濁があらわれる。そして、自然はそのとき原始人にとっては、生活のすべてに侵入している何ものかである。狩や野性の植物の実の採取のような〈労働〉も、人間と人間とのあいだのじかの自然関係である〈性〉行為も、〈眠り〉も眠りのなかにあらわれる〈夢〉のような表象もふくめて、自然は全能のものであるかのようにあらわれる。そうして、自然がおそるべき対立物としてあらわれたちょうどそのときに、原始人たちのうえに、最初のじぶん自身にたいする不満や異和感がおおいはじめる。動物的な生活では、じぶん自身の行為は、そのままじぶん自身の欲求であった。いまは、じぶんが自然に働きかけても、じぶんのおもいどおりにはならないから、かれはじぶん自身を、じぶん自身に対立するものとして感ずるようになってゆく。(略)ここで大切なことは、原始人たちが感ずる自然やじぶん自身にたいする最初の対立感は、自然や自然としてのじぶん自身(生理的・身体的)にたいする宗教的崇拝や、畏怖となってあらわれると同時に、じぶん以外の他の原始人にたいする最初の対立感や異和感や畏怖感として実現されることである。(『言語にとって美とはなにか』)

吉本隆明は芸術の起源について原始の民を徹底した観察する理性から素描している。内在的に理解するという観点はまったくない。初期の人類がじぶんの傍らにいるような記述の仕方ではない。張りつめた抽象性がいっさいの無駄をはぶいて叙述されていることはよくわかる。吉本隆明の描く原始人は記号のようで少しも息づいていない。なにかひやっとするものを感じてしまう。三木成夫の「胃袋とペニスに、目玉と手足の生えたのが動物。その上に脳味噌の被さったのが人間」という考えをあいだにはさむと太古の面々がふいにわたしの隣人となる。もうひとつ吉本隆明の表現の方法の特質がある。かれは人間と自然の相互規定性を自身の生の不全感を投影しながら記述している。なにか根本的なことを吉本隆明は錯認している。はじめからボタンを掛け違えている。かつておおくの者が魅了された吉本隆明が理解する原人の自己表出のしくみについてのかれが考えたことを貼りつける。

言語は動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりを含むようになり、それが発達して自己表出として指示性をもつようになったとき、はじめて言語とよばれるべき条件を獲取した。この状態は、「生存のためにじぶんに必要な手段を生産」する段階におおざっぱに対応している。言語が現実の反射であったとき、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的反射において、人間はさわりのようなものを感じ、やがて意識的にこの現実的反射が自己表出されるようになって、はじめて言語はそれを発した人間のために存在し、また他のために存在するようになった。
たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする。人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、海が視覚に反映したときある叫び声を〈う〉なら〈う〉と発するはずである。また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ〈う〉なら〈う〉という有節音を発するだろう。このとき〈う〉という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声であるが、この指示音声のなかに意識のさわりがこめられることになる。また狩猟人が自己表出のできる意識を獲取しているとすれば〈海〉という有節音は自己表出として発せられて、眼前のう海を直接的にではなく象徴的(記号的)に指示することになる。このとき、〈海〉という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる。(同前)

むかしつぎのように要約した。

Ⅰ 叫び声〈う〉→反射
     ↓
Ⅱ 〈う〉という有節音(指示音声)→意識のさわり
     ↓
Ⅲ 〈海〉→自己表出(象徴的な指示)

吉本隆明の原人「意識のさわり説」は要約するとこうなる。ヒトが環界への反射として唸り声を発する段階からすこしずつ意識のさわりを巻きとり、巻きとった意識のさわりを意識的に自己表出できるようになったとき、対象を指示する有節音は対象の直接性からはなれて象徴表現が可能になり、意識は言語の条件をそなえ、言語の表現は言語を発した人間や他のために存在するようになると吉本隆明は言う。これが吉本隆明の人間的意識の起源であり、「初めに言葉ありき」という立場である。

よく考えると不思議なことだが、Ⅰ→Ⅱ→Ⅲの転化が自然なひとつながりを成しているように吉本隆明は展開する。ここには吉本隆明が気がつかないひとつの作為がある。この理念はおおきな謎を隠している。つまり吉本隆明の思想がおもわず背中を見せているところだ。吉本隆明がじしんの意識のさわりをたどるように表出の起源をたずねるとき、この意識の伸張の仕方は必然としてひとつの特異点を抱えこむことになる。いうまでもなくこの特異点は近代がはらむ意識の逆理であり、意識が穿つ孔にほかならない。吉本隆明の「意識のさわり→自己表出説」もこの囚われのうちにある。

なぜヒトの環界への反射の反映である叫び声やうなり声がしだいに意識のさわりを含み、さわりのようなものを感じ、さわりをおぼえ、そこにさわりがこめられるのか、その動因がすこしもふれられていない。これではヒトは空気を呼吸しているというそれ自体ウソはない言い方をするのとかわらない。

なぜか意識のさわりが忽然とユーレイのようにあらわれる。なぜ意識のさわりは生まれるのか、あるいは意識のさわりは何によってうながされるのか。親鸞は念仏を一回唱えたら浄土にゆけるといったけど、じゃ叫び声を何回あげたら言語になるのだろうか。まぁまぁそんなかたいこといわないで、でも、ねぇ、なんとなくそんな気がしない?っていわれているようで、まるで上野の一泊2300円のカプセルホテルでフロントのにーちゃんに財布を預けたはいいけど、かえって盗られそうで心許なくなったのとおなじような気がする。そんなことおもうのはおれだけか。

あっさり言えば、「言語が現実の反射であったとき、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的反射において、人間はさわりのようなものを感じ、やがて意識的にこの現実的反射が自己表出されるようになって、はじめて言語はそれを発した人間のために存在し、また他のために存在するようになった」と吉本隆明のいう自・他の構造は動態化できる。

この自・他のしくみを動態化することは近代の壁をつき抜けるということであり、ひとりの〈じぶん〉をひらくことにつながる。ここをつき抜け、ひらく度合いに応じて人間という概念はいやおうなく拡張した表現型をもつことになる。たぶんその鍵は生の根底にある根源の二人称という自然の実現可能性にかかっている。あっ。私はすでに対の内包という自然を手にしている。〔性〕はひとりよりはるかにふかい。

私の理解では、Ⅰ→Ⅱ→Ⅲにいたる意識の高度化は連続的転化でもなければ、自然なひとつながりでもない。情動する性というひとの起源からすれば、ⅠとⅡのあいだには目がくらむ裂け目があるというべきなのだ。この裂け目に対の内包という根源の二人称がでんと存在する。この裂け目を〈じぶん〉の外延表現で無理につなごうとすれば今西錦司の「成るべくして成る」にならって、ヒトは意識のさわりを含むべくして含み、意識のさわりをおぼえるべくしておぼえたとでもいうほかない。それではミもフタもない、それは気がついたらそうなっていたと言うにすぎない。つまりなにも言っていないのだ。

なぜそうなるかと言えば、すでに私たちがひとりということを知っており、そのことになじんでいるので、ついこの意識を外延することで鎖状につながった意味の連関を追い求め、意識や言語の起源をそのなかにたずねようとするからだ。この意識の線状性を私はモダンといってきた。

この意識の線状性はつねに志向する対象を事後的にたどりなおすという特質をもつ。これは意識されない近代のひとつの作為だ。そして近代の〈じぶん〉さがしはうちにふくんだ逆理に意趣返しされひらたく貧血し、熱血するマルクスの社会にかけた意志論は人間という形態の自然に呑みこまれた。言い換えれば近代はこの意識を自然とするおおきな囚われのうちにつくられ、成長し、築かれた堅固な人工物だ。注意せよ! マルクスという巨大な才能もこの罠にかかったのだよ。(『内包表現論序説』一部改稿)

4半世紀前に書いた文章を貼りつけながら、根源の性の分有者という始原の二人称を日常的な意識にすることに長い歳月がかかったという感慨がある。とうとうここまできてしまった。当時この文章を書いた頃より、はるかに社会も世界も追いつめられている。その頃は消費社会の中流幻想があり、平時だった。そこには戦後の社会の枠組みを前提とした言説があふれていた。わたしはそのただなかで、これからむきだしの生存競争が到来することを予感し、占いは適中し、酷くて残忍な社会が押し寄せてきている。たじろぐことも恐れることもなにもない。わたしはこれまで生きてきたようにこれからも生きていく。おそらくわたしの生の体験と他の言説者のそれとは異なっている。生の体験が違うということではない。おなじ日々をおなじように生きても現実というものの感じ方が違うのだと思う。わたしは現実を還相において生きようとし、それが可能であると考えている。この違いは決定的なものであると思っている。転形期の混乱のなかにあっても、だれもが固有の浄土を生きることができる。(この稿つづく)

〔追記〕
このメモは状況の推移を睨みながら書かれている。トランプにへつらう安倍晋三が国富を51兆円貢ぐことも、政権の汚職も叩かれることなく、なにごともなかったかのように日々は遷ろう。共謀罪の法案もやがて治安維持法となるだろう。遷ろうことは自然だと考えている。そういう自然しかわたしたちはつくりえていないのだから。遷ろう現実に倫理を介在させることはまったく不毛だと思う。テロ撲滅で国家の指導者が唱和する。いま、ここにある最大の脅威のひとつに、たとえば、がん治療がある。早期発見、早期治療だ。無差別のテロ行為に国家も国民もだれもが反対する。では差し迫るがん治療の脅威に国家と国民がおなじ意見をもつことはあるだろうか。早期発見、早期治療は善であるとされる。がん治療による殺人行為は合法的である。どちらが差し迫った脅威か。テロリスト殲滅もがん治療の殺戮もともに自然である。なぜこのような迷妄が放置されるのか。わたしは自然はつくりかえることができると考えている。どんな自然をわたしたちは欲しているのか。倫理を介在させないおのずからなる自然をわたしはつくりたいと考えている。天地生存を逍遙游するにはあたらしい自然をつくるしかない。音色のいい言葉をつくらないかぎり不正も暴虐も自然となる。生の原像を還相の性として生きること。

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