日々愚案

歩く浄土123:内包贈与論6-カール・マルクス考6

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マルクスの思想とはなにかという問いがじぶんのなかにある。マルクスの思想を作品として読むと『経哲草稿』は宮沢賢治の作品のように読むことができる。マルクスの思想を表現として読むととてもわかりやすい。宮沢賢治の狂おしさのようなものがマルクスのなかにもある。「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」「ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです」。マルクスが噴流する世界の矛盾にたいして宮沢賢治の『「注文の多い料理店」序』のような気持ちを抱いていたことは想像に難くない。「ああ誰か来てわたくしに云へ/億の巨匠が並んで生まれ/しかも互いに相犯さない/明るい世界はかならず来ると」(「業の花」)かれの自然哲学に姑息なところはまるでない。じつにおおらかなのだ。マルクスは人間や自然を観察の対象として理念化しているのではない。そのなかにいてそこを生きている。そこにマルクスの思想の苛烈さがある。『経哲草稿』を読むとすぐわかる。比類のない熱い意志をもった巨大な知性が政治の俗物にまみれてインターナショナルな運動に関与した。この世のしくみを変えようとした渾身の世界への構想が千々に引き裂かれたことも容易に想像できる。マルクスは世界の無言の条理を言葉の力でひらきたかった。その思いはよく伝わってくる。思想の根柢にマルクスはかれの自然観をおいた。とてもシンプルなものだ。人間が自然に働きかけると反作用として自然は人間に応答する。この相互の組み込みのことをマルクスは疎外と呼んでいる。人間が自然に作用すると自然は人間化され、人間もまた自然化される。日照りで作物が枯れ子どもはビイビイ泣くし、天変地異で明日の食べ物がない。雨乞いをし、祈祷する。そうやって自然は擬人化される。人間は生きていくために自然と代謝する関係にある。それがかれの自然哲学だ。自然を粗視化しようとするとおのずと自然は人間化される。反作用として人間は自然化される。アニミズムの精霊信仰とはそういうものだ。観念の遠隔対象性として自然を粗視化することに人間に固有の精神がある。それがマルクス思想の根柢に自然哲学としてある。異論の余地はない。資本論にも見えない形でマルクスの精神は生きている。

ではなぜマルクスの思想を信によって外延化すると人類史の厄災となってあらわれたのか。わたしはふたつの問題に尽きると思う。ひとつは貨幣の謎を解き明かそうとして資本論を書いたとき、かれは資本論は科学であることを前提とした。第一版の序文の冒頭でそう書いている。主観的な意識の襞のうちにある信を述べているのではなく、マルクスの思惑をはずれて資本論は科学であると主張したかった。困窮する生活のなかにあって資本論を執筆しながらかれは『数学手稿』を書いている。数学が科学であるように、じぶんの経済学も科学であると言いたかった。あるものがそのものひとしいことを前提としなければ自然科学の全体系は一瞬にして崩壊する。だからなによりたしかな同一性にマルクスはかれの思想を盛った。資本論という科学はわたし=マルクスの主観とは独立に客観として言いうるのだ。つまらぬ世俗の倫理を回避しようとマルクスは資本論にも伏線を張っている。「起こりうる誤解を避けるために一言しておく。私は、資本家や土地所有者の姿を決してバラ色の光で描いていない。しかしながら、ここでは、個人は、経済的範疇の人格化であり、一定の階級関係と階級利害の担い手であるかぎりにおいてのみ、問題となるのである。私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって、決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしようとするのではない。個人は、主観的にはどんなに諸関係を超越していると考えていても、社会的には畢竟その造出物にほかならないからである」(岩波書店『資本論』序文16p)政治屋の常套句を祓うことはできない。政治屋はマルクスの真意を可視化して一般化する。あいつはじつは金持ちで労働者の敵だ、と。真理はいつも共同化され宗教となる。同一性という器にマルクスが思想を流し込んだときこうなるほかないことをマルクスは知らなかったと思う。

青年マルクスが宮沢賢治のように『経哲草稿』を書いた精神のうねりは『資本論』ではその痕跡をのこし影を潜めている。ほんとうは超えられたにもかかわらずマルクスが知らずに通り過ぎた思想の難所がある。わたしの理解ではマルクスはこの切り立った崖に気づいていない。男性と女性の関与的な存在のあり方は同一性に埋め込むことができない。わたしの言い方では、根源の性の分有者は同一性をおのずとはみだしてしまう。同一性に収めることができない生の奇妙さにだけこの世のしくみを変える契機があるのだ。同一性では語りえぬこの驚異がこの世をありかたを拡張する。『経哲草稿』にものこる未然があるとわたしは考えた。根源の性の分有者のなかに無限小のものとしてだれのなかにも内挿されている還相の生を生きるとき、マルクスの個的な現存は領域としての自己となり、共同的存在は喩として内包的な親族をなるほかない。この出来事を同一性的な意識からみることはできない。また人間と自然との交流というマルクスのあいまいな理念は、外延自然を拡張した内包自然との関係へと転化する。マルクスの自然哲学は内包自然という未知へとひろがることになる。

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もう少しマルクスの自然哲学をみていく。マルクスの自然は内包論からすると外延的な自然ということになるが、外延的な自然が変化を遂げおおきな歴史の曲がり角にきている。ビル・ゲイツやホーキングが恐怖するシンギュラリティの到来だ。マルクスの生きた時代は内燃機関が歴史を造りかえつつあった。生産中心主義社会だ。分子生物学は遺伝子の本体をATGCと特定し、この組み合わせによって生命が成り立っていることを解き明かした。ビットマシンの驚速の進歩によってわたしたちのヒトゲノムも否応なく編集されることになる。身体という拘束から離脱しコーディングされたデジタルな生命も盛んに研究されている。かつて自然界に存在したことのない生命形態がつくられようとしている。効率の悪い生命の遅延がビットマシンによって加速化され生はますますシステムの属躰となりつつある。同一性を実有の根拠とする外延的な表現からはこの過程は不可避であるとわたしは思う。

人間は一つの類的存在である。というのは、人間は実践的にも理論的にも、彼自身の類をも他の事物の類をも彼の対象にするからであるが、そればかりではなくさらに-そしてそのことは同じ事柄にたいする別の表現にすぎないが-さらにまた、人間は自己自身にたいして、眼前にある生きている類にたいするようにふるまうからであり、彼が自己にたいして、一つの普遍的な、それゆえ自由な存在にたいするようにふるまうからである。
類生活は、人間においても動物においても、物質的にはまずなにより、人間が(動物と同様に)非有機的自然によって生活するということを内容とする。そして人間が動物よりも普遍的であればあるほど、彼がそれによって生活する非有機的自然の範囲もまた、それだけいっそう普遍的である。植物、動物、岩石、空気、光などが、あるいは自然科学の諸対象として、あるいは芸術の諸対象として-人間が享受し消化するためには、まず第一に仕上げを加えなければならないところの、人間の精神的な非有機的自然、精神的な生活手段として-理論上において人間的意識の一部分を形成するように、それらは実践上においてもまた、人間的生活や人間的活動の一部分を形成する。これらの自然生産物が、食料、燃料、衣服、住居などのいずれのかたちで現われるにせよ、とにかく人間は物質的にはこれらの自然生産物によってのみ生活する。人間の普遍性は、実践的にはまさに、自然が(1)直接的な生活手段である限りにおいて、また自然が(2)人間の生命活動の素材と対象と道具であるその範囲において、全自然を彼の非有機的肉体にするという普遍性のなかに現れる。自然、すなわち、それ自体が人間の肉体でない限りでの自然は、人間の非有機的身体である。人間が自然によって生きるということは、すなわち、自然は、人間が死なないためには、それとの不断の〔交流〕過程のなかにとどまらねばならないところの、人間の身体であるということなのである。人間の肉体的および精神的生活が自然と連関しているということは、自然が自然自身と連関していること以外のなにごとをも意味しはしない。というのは、人間は自然の一部だからである。(岩波文庫『経哲草稿』94~95p)

人間の心身は環界にひらかれていて環界との交流過程のなかで生きていくことは自然が自然と連関することにほかならない。人間が自然の一部だという認識がマルクスの自然哲学である。おおらかで牧歌的なマルクスの自然観にため息が出る。ざっと眼の周りを見渡して天然自然といえるものはじぶんの身体だけではないか。その余はすべて人工的な自然だ。マルクスの人間は自然の一部であるという自然哲学よりもはるかに殺伐した自然をわたしたちは是非を超えて生きている。いまマルクスが生きていたら資本論ではなく分子記号論を書くと思う。世界を駆動しているのはビットマシンとハイテクノロジーであることはまちがいないからだ。貨幣も経済もビットマシンやハイテクノロジーときわめて相性がいい。激動する転形期の世界でマルクスの自然観は有機農法みたいなものに思えてくる。マルクスの自然観はすでに部分的なものでしかない。フーコーでさえもこの世界の変化のすさまじさを予想できなかった。

アダム・スミスとマルクスのどちらの経済論が生き残ったか。なぜアダム・スミスの経済論が延命しマルクスの経済論は滅んだか。なぜマルクスが資本論で予測した恐慌によって世界の前史は終わらなかったのか。働いても働かなくてもおなじ給料なら、だれもがさぼれるだけさぼり、もらえるだけもらう、そういう人間の私性にアダム・スミスの経済学のほうが合致したからだ。だからマルクスの意志論は反故にされた。それだけだと思う。この私性に象られた歴史のことをわたしはモダンと定義してきた。利己的な衝動によってかろうじて人間はバランスをとってきた。もう一度問う。なぜマルクスの思想は実現しなかったのか。私利と私欲が資本主義が必然的に招来する恐慌を回避したのだ。徹底してそれだけだと思う。人間という自然の欲望はそれだけ根深い。マルクスの思想ではまるで歯が立たなかった。人間は利己主義であることを通してしか利他的な行為はできないということ。自己の陶冶が他者への配慮となる自然を人間はまだつくりえていない。

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こういうことにヴェイユはきわめて自覚的だったと思う。人間という自然がどういうものかということをなぜヴェイユがよくしっていたのかはわからない。ヴェイユの信は特異だった。ヴェイユにとって信は共同化も内面化もできないこととしてあった。

人間的固有性にたいする尊敬を定義することは不可能である。それは単に言葉で定義することが不可能だというばかりではない。しようと思えば、多くのすばらしい概念は存在する。しかし、この概念がまた理解されないのである。思考の黙して語らぬ働きによって限界づけられているこの概念は、定義されることができないのである。定義することも、理解することも不可能な概念を、公の道徳の範とすることは、あらゆる種類の暴虐に道を開くことになる。一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された機能を遂行することができなかった。(『ロンドン論集と最後の手紙』(「人格と聖なるもの」)

思考が沈黙して語りえぬことは定義できないが存在するとヴェイユは言いたくてたまらない。思考の限界としてある、この定義できないものを公共化すると、あるいは公の範とすると、「あらゆる種類の暴虐に道を開くことになる」とヴェイユは言う。トロツキーと相対したとき、あなたたちの革命はまちがっていると罵倒したヴェイユはこの生の知覚の上に立っている。ヴェイユは、主観的な意識の襞にある信でも、共同的な信でもなく、人間にとっての新しい自然をつくろうとした。あらゆる意味でヴェイユは「社会」主義者ではない。ヴェイユのこの発言をマルクスのつぎの言葉につなぐとマルクスの思想の特質がよくみえてくる。マルクスは善意の「社会」主義者だった。

社会そのものが人間を人間として生産するのと同じように、社会は人間によって生産されている。活動と享受とは、その内容からみても現存の仕方からみても社会的であり、社会的活動および社会的享受である。自然の人間的本質は、社会的人間にとってはじめて現存する。なぜなら、ここにはじめて自然は、人間にとって、人間との紐帯として、他の人間にたいする彼の現存として、また彼にたいする他の人間の現存として、同様に人間的現実の生活基盤として、現存するからであり、ここにはじめて自然は人間自身の人間的あり方の基礎として現存するからである。ここにはじめて人間の自然的なあり方が、彼の人間的なあり方となっており、自然が彼にとって人間となっているのである。それゆえ、社会は、人間と自然との完成された本質的統一であり、自然の真の復活であり、人間の貫徹された自然主義であり、また自然の貫徹された人間主義である。(略)「社会」をふたたび抽象物として個人に対立させて固定することは、なによりまず避けるべきである。個人は社会的存在である。だから彼の生命の発現は-たとえそれが共同体的な、すなわち他人とともに同時に遂行された生命の発現という直接的形態で現われないとしても-社会的生命の発現であり、確認なのである。たとえ個人的生活の現存様式が、類的生活の多分に特殊な様式であったり多分に普遍的な様式であったりする-そしてこのことは必然的なのであるが-としても、あるいはさらに類的生活が多分に特殊な、または多分に普遍的な個人的生活であるとしても、人間の個人生活と類的生活とは、別個のものではない。(『経哲草稿』133~135p)

男性の女性にたいする関係がもっとも根源的であると言いながらマルクスはその認識を自己に回収し個的な現存と共同的なつながりについて思弁をくり返す。性という自己に先立つ関与的な存在は一瞬で跳び越されてしまい反省的な意識となって反照されるだけである。マルクスは個的な現存というモナドを前提として社会を記述する。マルクスの思想は性や家族は個人と社会のつなぎ目でしかない。
「個人は社会的存在である」というとき、マルクスの理念は、個人は社会の、社会は個人と対をなす項のひとつをしてそれぞれ想定されている。この理念のすきまが人間の存在を実体化して可視化するまちがった一般化を呼び寄せた。それがマルクス主義だ。アダム・スミスの国民経済学に勝てるわけがない。アダム・スミスは無言の条理に依拠して私利と私欲を肯定する。一人ひとりが利己的であることが結果として利他的な行為となるのだというのは人間という自然がつくった知恵であり、理念ではない。なにより個々の実存は人間の現実が私性に拠るということをよく知っている。思弁なんかで人は生きているわけではない。マルクスの物語は美しいが現実に適用されるとかならす間違った一般化によって可視化される。だからヴェイユは人間の固有性を定義できないという。なぜ生は匿名の領域にひらかれないのか。わたしはヴェイユの定義できないものを概念として言いうると思う。エックハルトの「私が神である」という自己の領域化も、親鸞の他力という意志論も、まるごと拡張することができる。〔あなたはわたしよりわたしの近くにいる〕ことを内包的に表現すればいい。マルクスが言うように個人が社会的な存在であるなら、個人が抽象化されて一般性へと昇華した国家という共同幻想を消滅することは原理的にできない。グローバル経済がどれほど浸潤しても社会性や共同性を消し去ることはできない。マルクスさん。どうすれば共同性をつくらないような人間の関係のあり方を構想できるかと問えばよかった。

マルクスはこの世の富の分配のしくみを変えれば人々は善き生を送ることができると考えた。美しい理念は現実によって反故にされマルクスの思想は遺棄された。ある時代の知の布置のなかにマルクスの思想もまた収まるが、なぜかれのおおらかな夢は実現しなかったのだろうか。いくつかある。ひとの私性の根深さにマルクスの思想がとどいていないということ。マルクスが『経哲草稿』のなかで考察した「私有財産と共産主義」くらいで歯が立つようなものではなかった。マルクスが考えたより私性の起源は遙かに深い。私性は人類史とおなじ規模をもつ。イデオロギーや理念でどうかなるようなものではなかった。貨幣は身体の延長として粗視化されたのであって、心身を媒介に貨幣は価値化されるということ。

最初商品はわれわれにとって両面性のものとして、すなわち、使用価値および交換価値として現われた。後には、労働も、価値に表現されるかぎり、もはや使用価値の生産者としての労働に与えられると同一の徴表をもたないということが示された。商品に含まれている労働の二面的な性質は、私が始めて批判的に証明したのである。この点が跳躍点であって、これをめぐって経済学の理念があるのであるから、この点はここでもっと詳細に吟味しなければならない。(岩波書店『資本論』「商品に表わされた労働の二重性」77p)

人は、何はともあれ、これだけは知っている、すなわち、諸商品は、その使用価値の雑多な自然形態と極度に顕著な対照をなしているある共通の価値形態をもっているということである。すなわち、貨幣形態である。だが、ここでは、いまだかつてブルジョア経済学によって試みられたことのない一事をなしとげようというのである。すなわち、この貨幣形態の発生を証明するということ、したがって、商品の価値関係に含まれている価値表現が、どうしてもっとも単純な、もっとも目立たぬ態容から、そのきらきらした貨幣形態に発展していったかを追求するということである。これをもって、同時に貨幣の謎は消え失せる。(同前「価値形態または交換価値」89~90p)

貨幣形態の発生をブルジョア経済学がこころみたことのない方法で成し遂げたいとマルクスは言っているが、それで貨幣の謎は消えたか。消えなかったばかりかますます増殖した。それはなぜか。貨幣の謎の解明をマルクスが意識の外延性に沿って論述したからだとわたしは思っている。つまり同一性の意識の形式をつかってブルジョア経済学を批判しているので、マルクスの思想そのものがマルクスが考えたより堅固な貨幣への欲望によって回収されてしまったからだ。マルクスの理念程度で変わるほど現実は甘くなかった。現実はもっと怜悧なものだ。同一性の論理で同一性が象った社会を批判しても人間の底深い私性が変わることはない。マルクスの現実への洞察は底の浅いものだったとわたしは理解している。まだある。社会や国家を批判的に解明したいというモチーフがあったとしても、マルクスは個人・家族・社会・国家を自明のこととして前提としていた。

マルクスが使用価値と交換価値をいうとき、すでに個人(モナド)が前提とされている。個人は私性のかたまりであるから、公平な分配のしくみはできない。はじめからマルクスはボタンを掛け違えている。使用価値はまあいい。なぜモナドにとっての交換価値なのか。なぜ交換するのかということはマルクスの存念にはない。マルクスの思想は個人と国家になっている。愛をただ愛として、信頼をただ信頼として交換することは、マルクスが前提とした論理の骨格では挫折必至だった。わたしはマルクスが社会に向けた思想の構え方がだめだったと思うようになった。マルクスの思想の全体を貫く疎外という概念の代わりに内包的な表出という概念をわたしは提起する。マルクスが構想した、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとする考えは、内包自然のなかに陥入することになる。そこまで思想を徹底しなければホロスに回収されてしまう。自然と人間の相互規定としての疎外では到来する現実をしのぐことはできない。

人間という現象の不可解さをマルクスもまた外延表現という意識の流れに沿って思想を構築している。わたしは交換価値ではなく、内包的な交換価値を内包贈与論で提起していきたい。使用価値と交換価値で織り上げられた価値形態論ではなく、内包的な贈与の可能性について言及したい。マルクスの思想を批判的に継承しようとすれば、マルクスの暗黙の思想の公理を疑うべきなのだ。マルクスは思い違いをした。その錯誤の上に壮大な思考の構築物をつくった。マルクスの思想の公理を疑うことから内包贈与論ははじまる。存在が意識を決定するというとき、決定できるかどうかより、その存在とはいったいなにか。マルクスはこの根源的な問いについて徹底的に考えた節はない。なにか経済論(貨幣論)のしくみを解明しようと急き立てられいたように思う。

使用価値と内包的な交換価値を、内包的な価値形態論へと読みかえる。貨幣論ではなく贈与論が浮かびあがってくる。マルクスの思想の根幹をなしているもっとも困難な概念は価値形態論であるから、価値形態論を拡張すれば、マルクスの資本論は終わる。わたしがマルクスの資本論を成仏させようと思う。個人(モナド)を前提として社会へ橋を架けようとするマルクスの資本論は精緻を極め、ヘーゲルの精神現象学に比肩されるが、わたしはかれらとまったくちがう思想がありうることを究尽していく。わたしが内包論で贈与論としてマルクスの資本論を拡張しても、太陽が東から昇って西に沈むように、モナドの経済は、それがだれのものであってもなくなることはない。否定ではなく拡張というのはそういうことだ。

マルクスの使用価値と交換価値という価値形態論を内包的な使用価値と内包的な交換価値と読みかえるとどうなるか。貨幣論(資本論)は内包的な贈与論に変換される。だれも気づいた者はいない。なぜなら個人は当人によって所有されるという根深い臆断があった。マルクスとは異なって、もし、内包的な使用価値と内包的な交換価値への拡張が可能だとすると、それは個人ではなく、根源の性の分有者という個人の拡張が、つまり領域としての自己が可能となるということだから、マルクスの資本論は内包的な贈与論へとひろがるほかない。

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マルクスの価値形態論はなぜ使用価値と交換価値の二重性としてあらわれたのか。だれも答えないからわたしが応える。個人が社会的な存在であるなら、第三者を媒介にしたとき使用価値は交換価値を尺度とするほかない。やがて時代が更新されるにつれ、交換価値は象徴交換が交換価値の表象となり使用価値を喚起するように逆倒する。マルクスの価値形態論はアダム・スミスの経済論を「社会」主義的に潤色しただけだった。人間のつくった私性という鞏固な理念を前にしてマルクスの思想は見事に玉砕した。それが事の次第ではないかと思う。価値形態論は個人が社会的な存在であることを裏側からなぞっているだけなのだ。マルクスは資本論で貨幣の謎が解けたと興奮しているが、資本論は人間の私性を追認しているだけの美しい物語にすぎなかったのではないか。
わたしはべつの物語が可能だと思う。マルクスは個人と共同性のねじれの応力として交換価値が発生したと考え、商品→貨幣→資本と論理を粗視化している。この論理はアダム・スミスの経済論に喰われてしまう。疎外された労働による富の偏りを調和したいというマルクスの思想の公理がここにある。わたしは内包論で、個人は領域としての自己に拡張できるから、共同性はあたかも親族のようにあらわれることを発見した。この不思議をわたしは喩としての内包的な親族と名づけた。対幻想が拡張された還相の性が自己と共同性を包み込んでしまうのだ。このときマルクスの貨幣論はおのずと贈与論へと転化する。
国家が環界であるとき、人間は精神を内面化して対抗しようとした。個人の内面化は私性の起源とおなじだけ古いはずだ。内面化と私性は同期し、個人は共同性(国家)と同期する。それがわたしたちがつくった自然だと思う。いま、この自然は激しく更新されつつある。まさに人間という自然を人工的な自然が呑み込みつつある。諸国家の外部に新しい自然ができようとしている。この過程は意識の外延性としては不可避だが、わたしはもうひとつの人類史的な可能性があると考えている。すべてがそこから始まり、そこへと還っていく意識の始原。精神の古代形象をわたしはそのようなものとして構想している。内包的な贈与論をたしかなものとして創りたいので、マルクスの思想の追尋をまだつづける。

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