箚記

ALL OR NOTHIN AT ALL

 加藤典洋と竹田青嗣の往復書簡『世紀末のランニングパス』の最終回「川を渡って木立の中へ」(⑯)が納得しがたい。じつはこの加藤典洋による最終回の書簡のコピーをもらって読むまでに、ぼくは加藤典洋に一度会ったことがある。
 三月二十八日に福岡で〝世紀末のランニングパス〟という講演会があった。チケットを買ってその講演を聴きにいった。その折り加藤典洋さんと二、三立ち話をした。講演会の主催者のひとりである古書店を経営している友人からチケットを購入した際に、講談社の『本』という雑誌に連載されている『世紀末のランニングパス』のコピーをもらった。丁寧に読んだら無性にムズムズしたので、一気に感想を書いて加藤典洋さんと竹田青嗣さんにその感想を郵送した。
 加藤典洋さんとはほんのすこし立ち話をしただけだったけど、ぼくのなかをうるうる渦巻くものがあった。不思議で奇妙な体験だった。加藤典洋さんの存在感が余韻のようにのこった。それが何なのかまだぼくにはわからない。

 鍵がかかっていると思い込んでドアを開けようとしたら、ノブをひねるまえにドアがパカンと開いた、というのがぼくたちをとりまく世界の光景の半分を占めている。ドアにあずけていたからだが部屋のなかによろけて、おもわずたたらを踏んでとまどう感覚、たぶんそんなところだ。開かない自動ドアに片手をついてタバコを吸っていたら、動かない自動ドアが突然作動してよろけてしまった、そんな感じだといってもよい。もちろんこのとまどいはここ二~三年の世界史の激動のことを指している。
 いうまでもなくぼくたちはふるいイデオロギーの世界に住んでいるわけではない。実現されつつある高密な情報-消費社会のなかでしだいに世界の手触りがなくなり世界がうすくなって、ものごとの輪郭や陰影が熔けだし、〝ここはどこ、わたしはだれ〟とつぶやいている、そんな世界に直面しながら日を繋けている。だから、加藤典洋の言いたいことの気分はよくわかる。

 アイデンティティを持とうにも持てない、そういう人々がいる時、そしてその「病気」に根拠があると感じられる時、必要なのはその「病気」に加担することでも「病人」たろうとすることでもない。それは健康人にしかできない、健康人のぜいたくというものでしょう。必要なのは、かつて吉本隆明氏が「大衆の原像」に思想の足場を置いたように、この「病気」に足場を置いた思想をつくりあげることだと思えます。(加藤典洋→竹田青嗣「川を渡って木立の中へ」)

 からだ半分納得し、のこりの半分は納得できない。資本のシステムにうながされて世界が脱皮した。脱皮してうまれたこのあたらしい生き物の正体をまだ誰も正確には知らない。
 ただ世界が脱皮したことだけは確かな実感としてある。この感覚は共通の基盤だ。
 思想を元気の素がちりばめられた概念の作品と考えるとき、思想のこの感じ方を横あいからながめれば、思想は現実という秩序の自然にたいするピンク色をした一種の偏向フィルターということもできよう。おれの感じる思想はピンク色をした偏向フィルターのことにほかならない。それはともかく。
 加藤典洋の考える現実や若い世代の人との感性のつなぎ方になじめないものがある。何かがなしくずしにされている気がする。

 いってみれば、七O年代、ぼくは身動きのとりにくい鉄の箱で身をつつみ、息苦しい気持ちを味わっていたわけですが、それが八O年代も終わりに近くなり、気づいてみると周囲はすっかり水中世界になっており、この鉄の箱がアクアラングというか、人もうらやむ「潜水服」になっていることに気づかされた、ということだったと思うのです。
 このアクアラングを取りはずさなければいまぼく達をつつみはじめているこの環境、この世界には出会えないのではないか。「否定性」とはいまやこうしたアクアラングにほかならないものになってしまっているのではないか。このアクアラングがぼくの肺を守っているので、必要なのは、これを外し、いわば酸素のない大気を肺に送り、思想の肺機能に試練を与えこれを強化し、アクアラングなしでこの大気の中に生きる方途を探すことのほうなのではないか。(同前)

 ちょっと待ってくれ。これじゃ感じることや言葉や繋ける日が先延ばしになるだけじゃないか。脱皮した世界をとらえようとする思考の型そのものをパチンと切り替えんといかんのやない? 変性した世界と、その世界からヨチヨチはいでてきたガキンチョを甘やかすこととはまったく別種のことだ。

 高野山シンポジウムでは冒頭近く、若い人から「全共闘世代」の「世代的」発言など聞きたくない、との発言がありました。さて、その発言は、なぜ自分の言葉が時に若い人に自分の語るようには受けとられないと感じられるか、というぼくの日頃抱懐している疑問を、ほんの少しよみがえらせました。ここにあるのはどういう問題なのだろうか。そんな自問が再びうごめきました。すると、深夜、今度は別の若い女性が自分たちのもっているのは「切実さをもてないことの切実さ」なのだ、と言いました。(同前)

 冗談ぬかすな。おれが加藤典洋なら、どう対応するかはっきりしている。〝兄ちゃん、ええ根性しとるやん、「全共闘世代」の「世代的」発言など聞きたくないなら、こんな半端なとこにこんけりゃよかろうが〟と、まちがいなく云う。あげ足とられて、もっともらしい表情をするインテリもどきのふざけた言い分だ。〝「若い女性」の「切実さをもてないことの切実さ」、おっ、それがどうした。おれの知ったことか〟おれはこの手の男や女の顔の表情や雰囲気をじかに感じてムカムカする。おれはこんなところで言葉を勝負しとらん。
 少しだけ留保することがある。もしも、これらの発言が、オレの感じるイイ顔をしてなされたものであるなら、オレは真正面から応答する。そんなことは一瞬ですぐわかる。オレは通じないことがいいことだと激しくおもう。通じることに通じることはなく、通じないことに通じることがあるということだってできる。しなやかな頑固者が好きだ。
 オレには一般的な若いオトコや若いオンナなんか何も関係ない。そんなものはひとごとよ。自分にとって一般的でない、ひとごとでない若い世代、それは自分のこどもたちだ。
 自分の息子や娘はひとごとですまない他者としてある。そこで世代があらわになる。親と衝突し、息子や娘と衝突する、いいことじゃないか。加藤典洋の云うことをうけ入れたらオレの親子の関係が成り立たない。
 親と自分と子供、ここで世代が成立する。その余はヴァリエーション。オレが感じるプリミティブな元気の素は世代を超えて感応する。オレがストーンズを聴いて唸る。息子がガンズン・ローゼズを聴いて感じいる。おなじこと。

 アクアラング(否定性)を外す。「病気」の側にとどまる。その思想的な根拠とは何か。でも、その答えは、意外な方向から聞こえてきた、といわなければなりません。
 話がこの個所にさしかかって、やはり年少の人、十七歳の人が、われわれは気づいたらこの「世界の終わり」にいたようなものだ、われわれは外の世界を知らないのだ、と言いました。ところでその発言はぼくに、こう聞こえたのです。
 「とどまる」ことを選択する? いやそれはとどまることを「選択」する、と表記されるべきだ。「とどまる」か「とどまらない」か、それはむろん「とどまる」であるにきまっている。でも問題はそこにはない。「とどまる」ことが「選択」の結果としてあるかそうではないか、そこにこそ「一線」はあるのだ。なぜなら、われわれにとっては、その「選択」という契機が奪われている、ということこそが問題だからだ。
 「とどまる」か「とどまらないか」を選択できれば、選択する自己がもてれば、実は「世界の終り」の壁は消えているのだ。選択する自己がもてないということが、われわれの「病気」の核心、「世界の終り」の壁だからだ、と。
とどまる〝選択〟をする自己が、0.01 パーセントなりとあるなら、それでいまの
 若い人々の直面している困難の大半は解決している、ということになるでしょう。そうではなく、この〝選択〟を可能ならしめる自分、そのような〝自分〟をあらしめるものである世界にたいする否定性のカケラなりと、自分たちにはないというのが、若い人のいういわば「自分の病気」(チェーホフ)だったのでした。(同前)

 これでは〈ことば〉はいつまでたってもはじまらない、とオレはおもった。「十七歳」の若い人のいうことを額面どおりにオレはうけとれない。知的な雰囲気のなかでの言葉の遊びと感じてしまう自分がある。はっは、「十七歳」といったらオレの息子の歳よ。加藤典洋さん、どうする。
 「選択する自己がもてないということが、われわれの「病気」の核心、「世界の終り」の壁だから」だと? 「この〝選択〟を可能ならしめる自分、そのような〝自分〟をあらしめるものである世界にたいする否定性のカケラなりと、自分たちにはないというのが、若い人のいういわば「自分の病気」(チェーホフ)だった」だと! 冗談ぢゃない、こんなあまっちょろい自分をなめた言葉を、四十三になったオレが額面どおりうけとれるか。
 蹴り倒せ。おう、イライラする。
 オレやったらこう云う。〝難犠やな、お前の病気は自分で癒せ。オレは自分の気狂いは自分で癒す。オレが癒ったらお前も治るやろ〟と。ほかに云うことがない。オレは知的なうわすべりが好かん。社会する批評のアホくさ。加藤典洋の言葉のうわすべりはまだ続く。

「私」といういわば自我の殻がない。しかし「殻」がないままに人は生きていかなくてはならない。「私」がない、「私」がなくなった、そんなことなら少々現代思想を齧りさえすれば誰にでも言えるのです。しかしそれは言ってみるということにすぎない。大事なのはその指摘がどこから、何を理由に、出てきているかということです。
 「私」がない。にもかかわらず、生きていかなくてはならない。この「にもかかわらず、生きていかなくてはならない」という感触、「私」なしに、しかし生きていかなくてはならないことが現代の生の条件になっているという感触が、ぼくのこの本(中島梓の『コミュニケーション不全症候群』のこと-森崎注)によって知った、はじめての声の正体でした。
 ぼくが先に村上氏の近作から受けとった問いの形を言えばこうなります。では何を根拠に、人は「私」なしに生きていくのかと。でもそれは、そうではない。ここから立ちあがってくるのは、こういう問いです。では人は、この「私」なしの状態からどのように新しい「私」、未知の「私」をつくりあげるべきなのかと。(同前)

 PASS IT ON. みえない生のかたちがある。これがすっぽり抜けおちている。加藤典洋のいう現代的な生が「私」を条件づけることはあっても、最終的に社会が「私」を決定することはない、というのがオレの考えだ。そこにしか生きるということはない。
 高密な資本のシステムが「私」という自我の「殻」をつくりにくくした。「私」がないという状態は、資本のシステムにうながされて知らぬまに世界があたらしく脱皮したところからやってきているように感じられる。世界が希薄になり、社会の輪郭が溶けはじめた。
 ここまではいい。オレもおなじ感じに襲われている。
 世界も社会も、もうとっくにこの相転移の状態で作動している。そこでオレは考えた。
 この未曾有の相転移に網をうって感じることを言葉にしようとするなら、角のとれた概念や角のなくなった輪郭をひっかけられる格子の網からつくりなおすにかぎると。緻密に代理された他者や俯瞰視線をあたらしく仕立なおすこと。それがおれの内包表現論だった。

 もうだいぶ前、宮崎事件というものが起こった時、それは社会に甚大な衝撃を与えました。この事件に関し、多くの人がさまざまなことを指摘したのをおぼえていますが、ぼくはといえば、これがいままでにない全く新しい質をもった事件だとは感じたものの、それと自分がどのように関係あるのかよくわからず、意見を求められても考えるだけの〝理由〟が自分の中にみつかりませんでした。
 もし、その時、ぼくにあの「一線」の違い、否定性を否定すると否定性なし、アクアラングを外すとアクアラングなしの違いが押さえられていたら、ぼくの受けとめ方はだいぶ違っていたでしょう。いま思うのに、あの時、宮崎事件はぼくにとって他人事だった。その一種不気味なヌルッとした感触は「不気味なもの」のままでした。でもいまは違います。それは他人事ではない。自分のこと、自分の生きる「この世界」のことだと、そう感じます。(同前)

 うひゃあ。ひえびえとした気分になる。「宮崎事件」の報道に接したときのひきつるような窒息感や喧嘩にはいる瞬間の風景がしろくなるあの感触がない。どこに痛切さがあるというのか。加藤典洋は「宮崎事件」に根柢的に対峙していない。加藤典洋は「事件」の現場に不在である。
 加藤典洋が「宮崎事件」について「それは他人事ではない。自分のこと、自分の生きる「この世界」のことだと、そう感じます」ということ、おれは確信をもっていうが、彼は自身にとってほんとうは関係ないこと、あるいは関係できないこと、もっといえば、関係する必然がないことを、あたかも関係あるかのように一般化し巧妙に論じている。だから批評が立たない、うなだれている。
 これではいつまで立っても〈ことば〉ははじまらない。巷は緻密なつもりの他者の代理で溢れている。なぜ加藤典洋の言葉がなしくずしになるのか。はっきりしている。自身の「糸の切れた風船」を生きることをせず言葉を社会するからだ。理由はそこにしかない。
 『世紀末のランニングパス』の最終回「川を渡って木立の中へ」(⑯)は奇妙にズルッと社会した。加藤典洋のいうことでいちおう社会と言葉をリンクすることができる。おさまりがよくて、見通しのつく分だけ言葉が空虚した。〈ことば〉は足もとにある。
                         1993

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です