箚記

レヴィ=ストロース ノート1

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    1
この数日レヴィ=ストロースの本を読み、内包論のつづきの下ごしらえをしていました。読み直して若い頃とおなじようにあまりピンとくるものがありません。かれとわたしのあいだには、生きた時代が異なることはもちろんのこと、言葉にたいする触り方の違いがあります。親鸞の遺した言葉には親近感を感じますが、レヴィ=ストロースには感じません。だから時代が異なるということだけでもなさそうです。
わたしは、わたしがいまあるようにしか生きてこれなかった、そのあり方に、じぶんの固有の言葉を与えたいという気持ちがあります。これよりほかに生きようがなかったそのあり方のことを当事者性と呼んでいます。我流で世界を読み解き、たどたどしく言葉にしてきました。レヴィ=ストロースの学問的業績をクラシックの伝統的様式だとすると、わたしのやりかたはパンクです。吉本隆明の思想もパンクです。レヴィ=ストロースの民族学よりも吉本隆明の大衆の原象を語る知の触り方の方に身近なものを感じます。

戦後数年経って文学青年だった吉本隆明はつぎのような箴言を残しています。

夕ぐれが来た。僕は、生れ、婚姻し、子を生み、育て、老いたる無数のひとたちを畏れよう。

この考えが吉本思想の根幹です。大衆の原象を価値とする吉本隆明の思想は半世紀以上をかけてアフリカ的段階という理念の高みに昇りつめました。

僕の考えだと、〈アフリカ的段階〉っていうのをいちばん根本のところに設定して、人類のいちばん最初の原始的な段階まで視野をおしひろげて考えれば、人はみんな、おんなじ。平等なんだっていうことが非常にわかりやすく見えてくると思いますよ。
人はみんな、おんなじ。これは僕の根底にある確信です。(『ひとり』2010年刊)

いまわたしは吉本隆明の思想をじぶんなりに拡張している最中ですが、吉本さんのこの思想は依然として魅力的だと思います。言葉が深い息をすることができます。

わたしのつくる言葉は無骨でささやかなものですが、おおきな知の足跡をのこした著作家たちの言葉をたどるときのわたしの方法はひとつです。わたしが遭遇した体験の現場にかれらの言葉を引きよせて吟味するというやり方です。どんな思想家の言葉をたどるときもじぶんの当事者性として言葉を読み込んでいます。事件の現場では言葉は無力であり、しかも、いままさに目の前で起こっている出来事に距離をとることはできません。それがいかに愚劣で錯誤にみちたことであるとしても、そのつど態度表明をするしかないのです。そのようにわたしはじぶんを生きてきました。ふと気がつくといい歳になっています。
吉本さんの先の箴言はつぎのようにつづきます。

僕のいちばん軽蔑しているひとたち、学者やおあつらえ向きの芸術家や賑やかで饒舌な権威者たち。どうかこんな夕ぐれだけは君達の胸くその悪いお喋り言をやめてくれるように。

吉本さんのつぎの詩も好きです。

ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れてゐる
ぼくの瞋りは無尽蔵だ

ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる
ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を
湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる
ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかえす
(吉本隆明・『ちひさな群への挨拶』より一部引用)

    2
『遠近の回想』を読んでいくと、シモーヌ・ヴェイユのことが出てきます。アグレガシオン(哲学教授資格)を受験するときヴェイユやメルロ=ポンティやボーヴォワールと一緒だったそうです。「彼女の剃刀のような考え方にはついていけませんでした。彼女にとって、ものごとはいつもオール・オア・ナッシングでした」「シモーヌ・ヴェイユという人は、その厳しい考え方を、自己破壊にまで貫徹した人でした」とレヴィ=ストロースは語っています。レヴィ=ストロースとヴェイユはまったくタイプの違う思索者だとあらためて思います。

それにしても『フーコー伝』を書いたエリボンは巧みにレヴィ=ストロースをインタビューします。レヴィ=ストロースの語りをさそうのが巧みです。レヴィ=ストロースは内面を吐露しない思索家ですが、レヴィ=ストロースにモチーフを語らせるのがうまいのです。
フーコーの文体が優れていることや、彼は証明すべきことが先にあって、その論証のために材料を集めている。時代の前後関係を無視するというのは思想史家としては困ると言っています。伝統という観念の流れを克明に観察し、観念相互の関係の型を研究するレヴィ=ストロースと、観念の非連続性や観念の急激な転換について知の考古学を語るフーコーとは研究の方法が真逆のような気もします。

対象の本質を問うことを回避し、対象とする事象の相互の関係の型そのものを問うという方法はレヴィ=ストロースもフーコーも似ています。構造主義と言われる由縁です。わたしにはそれぞれの思索の方法があるだけであって、構造主義と一括りにするのはできないとむかしから思ってきました。

「フーコーもあなたも哲学を基礎づけようとしているのではないか」とエリボンが訊きます。

それは違います。私は決して哲学的思考を基礎付けようと考えたことはありません。私の個人史ということから見れば、確かに、私が哲学をやめて民族学に志したのは、明らかに、人間というものを理解するためには内省に閉じ籠ってばかりいてはだめだと、たった一つの社会-と言うのは自分たちの社会のことですが-だけを考察するのでは不十分であると、あるいはさらに、西洋の数世紀の歴史を眺め渡してよしとすることはできないのだということが理由になっていたことは間違いありません。私が望んでいたことは、我々西欧の文化とは非常に異なった、またそれから非常に遠い文化的経験を考察してみたい、ということでした。フーコーのやり方が、たとえそこに自分の過去を含めているとしても、西欧文化にしか関心を持っていないというのとは大違いです。(『遠近の回想』138~139p)

レヴィ=ストロースは、哲学は内省にばかりこもっていては駄目なのだと言います。ここはわかる気がします。わたしもわかい頃、吉本隆明や滝沢克己の影響をうけ、過激な行動者として時代のなかを駆け抜け、じぶんのなかに多くの負債を抱え込みました。言葉の膝を抱え込んだ時期に負債を決済したくて自然人類学をやりたくなったことがあります。哲学では駄目なんだと思ったのです。レヴィ=ストロースもそう考えたいなにかがあったはずです。

エリボンがレヴィ=ストロースに「あなた自身、ユダヤ人として、若い頃、あるいは研究者となってから、そのために苦労したことはありますか?」と問います。答えてレヴィ=ストロースが言います。なるほどかれはかれの悲しみを封印したんだなと得心します。内面を語らず、事象相互、親族の構造の関係の型、婚姻の規則から世界を解き明かそうとレヴィ=ストロースは決意しているように見えます。
レヴィ=ストロースのマルクスへの傾倒や左翼体験からかれの思想の方法を特徴づけることもできます。かつて吉本隆明は構造主義について、直接的な倫理関係を解除したマルクス主義の最後の形態と言っています。どうもレヴィ=ストロースの場合はそうではないように思えてきました。かれはかれの体験を思想において超えようとしたのではないかと思います。

私の口から、私がそのなかに含まれている人類の一部に襲いかかった厭うべき、また運命的な破局的事件について何か意見を言うのは、やはり慎まなければなりません。私は幸運にもその破局を免れた人間ですからね。他の人と比較して言えば、私はそのごく些細な影響を被っただけのことです。これは一種の強奪のようなものだと思うのですが、父の命が強制収容所で受けた苦難のために短くされた、ということです。しかし、それが私の生涯を根底から変えたということは、疑いのないことです。私が子供の頃は、まだ小学校とか高等中学校で侮辱されるということがありました。(同前 277~278p)

「私の生涯を根底から変えた」ということは哲学の人倫を唾棄したということです。ここからレヴィ=ストロースは「未開」種族の暮らしぶりのなかに西欧にはない新しい認識の方法を模索したのだと思います。かれの文化相対主義というものをそういうふうに理解するとわかりやすくなります。

新しい認識の方法についてかれはつぎのように言っています。「私はマルクスを通じてヘーゲルを知り、ヘーゲルのかなたにカントを知ったのです。」「マルクスは社会科学の分野でモデル思考を体系的に用いた最初の人間です。『資本論』は全体としてそのまま実験室で作られたモデルであり、マルクスはそのモデルを動かして得られた結論を観察された事実に照らして検証しているのです。マルクスのなかには、また、人間の頭のなかに生起する思考はその人間の実際の生活条件と関係付けなければ理解することができない、という基本的な考え方があるように思いました。そのことは私が『神話論理』のなかで一貫して試みたものです。」

その上でカントから「精神はそれ自身の枠組みを持っているということ、精神はその枠組みを,精神にとって到達不可能な現実というやつに押しつけるのだということ。この枠組みを通してしか精神は現実を把握することができないのだということ」を学んだと言っている。「我々が数千キロも離れたところに行って、あるいはごく間近で、探し求めているのは、人間精神を理解するための補助手段なのです。我々民族学者は、したがって、一種の精神学をやっているのですよ。事物についてさえそうなのですから、まして信仰形態、習俗、制度ということになればなおさらのことでしょう。」

無時間社会である「未開」種族の冷たい社会を観察することで、熱い西欧の思考を相対化するというのがレヴィ=ストロースのおおきなモチーフだった。そこにかれに襲いかかった「厭うべき、また運命的な破局的事件」を超えたいとかれは考えた。そして通俗的な内面を忌避することでそのことを果たそうとひそかに期したのだと思います。そのことは諒解する。

人間精神を理解する補助手段として未開種族の生態を徹底的に緻密に記述することをかれは自分の研究に課し膨大なデータをとりました。植民者の傲慢がなければ人々の暮らしぶりをサンプルとして収拾することはできません。どういう生々しさや渇望がひとびとの暮らしに内在していたかを感じ取る繊細さはかれの民族学にはありません。かれが手にしたものは、暮らしを実体化し空間化された一枚のタブローです。そのうえで婚姻の規則が数学によって抽出されたのです。そこでは、それがなにであるかに関わりなく,同型という概念が成り立つのです。生を流れる時間はどこにもありません。それがレヴィ=ストロースの婚姻、親族、神話の研究です。

喰い,寝て、念ずるひとびとの生の恒常性を、矯めつ眇めついじくり回す権力そのものです。ナチのホロコーストと根本においておなじ権力が行使されています。観察する理性は権力です。それがどんな優しい眼差しであったとしても、そこにひとの固有名はありません。

    3
ここからはわたしとレヴィ=ストロースの思考の方法の違いを取りだしてみる。レヴィ=ストロースの『遠近の回想』のなかにいくつか接点となるものがありました。かなりスリリングなものです。引用を①~⑦までコピペする。レヴィ=ストロースの思想の大まかな方法をなぞっています。どうか我慢してお読み下さい。

①私が(『野生の思考』で―森崎注)言いたかったのは、未開といわれる民族の思考と我々の思考との間には断絶はない、ということでした。自分たちの社会に良識に反するような信仰とか風習とかが見出されたとき、それを古代の思考形態の残滓であるとか、残存物であると説明するのが以前は普通でした。しかし私には、これら古代の思考形態と呼ばれるものが我々のなかに常に存在し、生きているように思われました。それは、科学的だと自称する思考形態と共存しているのです。両者は同じ資格でもって近代的であると言いうるのです。(同前 201p)

②それは西欧哲学では古典的なものになっていた感覚と知性という二つの次元の対立を克服しようとする試みでした。近代科学が打ち立てられたのは、この二つの次元の分離という代償を支払ったからです。(同前 202p)

③『言葉と物』のなかでフーコーが提示した命題、つまり異なったエピステーメー〔認識世界〕相互の根本的な乖離というあの命題とは反対に、私はむしろ近代科学のなかに、自己の歴史の古い段階を復権させ、太古の知をみずからの世界観に統合しょうとする努力を見るのです。(同前 204p)

④・・・我々がものを考える考え方と未開民族のものの考え方との本質的な違いの一つは、我々がものごとを分断して考えないではいられないということです。それは我々がデカルトから教えられたものです。問題をよりよく解決するためには、必要なところまで困難を分割せよ、というやつです。未開と呼ばれている人々の思考はこのような細分化をきらいます。彼らにとって解釈は全体を包摂するものでなければ価値を持たないのです。我々が個別の問題を解こうとするとき、我々はある一つの学問分野に助けを求めます。あるいは、法律や宗教、芸術などにその解決を求めます。ところが、民族学者が研究する民族においては、これらの分野はすべて一つに結ばれているのです。たとえば、集団生活に見られる個々の表現は、すべて、モースが全体的社会事象とよぷものを構成しているのです。その表現は同時にそれらすべての分野を包摂しているのです。(同前 205p)

⑤ L=S おっしゃるとおりです。もっとも私はその続編を書くつもりでいたのです。そのことについてもう考え始めていましたし、タイトルも『親族関係の複合構造』と決めていたのです。
 E それは放棄なさったのですか?
 L=S 問題の複合的システムを手作業でやることは無理だということにまもなく気付いたのですよ。これはコンピューターを使わなければできない。しかし私にはその機械もないし、何より知識がなかったのです。
 E 『親族の基本構造』のなかにすでに、アンドレ・ヴェーユの書いた「数学的付録」が載っていますね。
 L=S 歴史的観点から言えば、その付録は重要な意味を持っています。親族関係の数学的解析はその後盛んに論じられるようになりますが、出発点はそこにあります。それは今も続いています。
 E アンドレ・ヴェーユはシモーヌ・ヴェーユのお兄さんですが、彼と知り合ったのはアメリカでのことですか?
 L=S シモーヌのお兄さんだし、「ブルバキ」グループの創立者の一人でもあります。
私はオーストラリアの親族間係の問題を研究していましたが、あんまり込み入っているので、これは数学者の助けを借りなければなるまい、と考えたのです。私は、同じようにアメリカに亡命していたアダマールに会いに行きました。もう相当の年でしたが、有名な数学者です。私は彼に例の問題を説明し、解いてくれるように頼んだのです。ところが―この話はもうどこかでしたように思いますが―彼が言うには、数学者というものは四則計算しかわからないのであって、しかも婚姻というのは四則のどれにも還元できない、と言うのです。そこで、別の亡命数学者アンドレ・ヴェーユに会いに行ったのです。私は彼にアダマールを訪問したときのことを話しました。彼の反応は違っていました。数学的観点から婚姻を定義する必要などない、と彼は言うのです。重要なのは、婚姻形態相互の関係だけだ、とね。私は彼にその問題に関するデータを渡しました。それを分析して、彼は今あなたのおっしゃった論文を書いたのです。
 E それはあなたにとっては、あなたの研究の科学性を印象づける手段だったのでしょうか?
 L=S この数学的論証のカヴァーする範囲はもっと広いのですが、しかしそれは、私がもう少しつつましいやり方で、もう少し簡単なシステムについてやろうとしていた論証と調和するものでした。とくに、それは、言語学の分野でヤーコブソンが使っていたのと同じ原理から引き出されたものなのです。つまり、どちらの場合も、対象物それ自体(辞項)ではなく、それよりも重要な辞項相互の関係に関心を移している、ということです。それこそまさに、婚姻の規則が民族学者に課していた問題を解こうとして、私自身が試みていた考え方なのです。(同前 102~103p: Eはエリボン、L=Sはレヴィ=ストロース)

⑥ E 『基本構造』の方では、確かにあなたは、女性は記号であるばかりではないという点を強調しておられるのですが、結婚による交換を言語的あるいは経済的交換に比すべきものとして語っておられますね。
 L=S 女は単に記号であるだけではありません。問題になっている社会組織のなかで、結婚に関する規則は交換という問題に関係しているのです。生物学的な家族相互の間に、女性が交換されることによって、コミュニケーションが成立してくるのです。
 E その本の終りのほうで、あなたは交換と記号に関する一般的理論を打ち立てなければならない、と書いています。
 L=S ずっと先の計画として、です。私はただその点に注意を喚起しておいただけのことです。
 E 生命科学の進展はその夢を支えてくれるものですか?
 L=S みごとなばかりです。言語学者が言語について言ってきたこと、そして言語固有の性質であると思われていたもの、それが生命体の中心部分に存在していることに気付いたのです。遺伝子コードと言語コードとは同じ性格を示しているし、同じ機能を持っているのです。
 E しかしある意味では、この発見は自然/文化という対立を帳消しにしたのでは?
 L=S いや、その対立は方法的意味を失っていません。文化的現象を動物学から象ってきたモデルに還元しようとする生物社会学のように、幼稚で単純すぎる考え方の攻撃から身を守るための、それは砦なのです。
 たとえ自然と文化の間の区別がいつかなくなったとしても、人間に関する現象と動物に関する現象との間の、今日的表現を借りるならば、インターフェイス(接触面)において、つまり、ある種の人間固有の事象、たとえば攻撃性などがそれですが、それが他の動物の振舞いに見られるものと似ているというような局面において、両者が比較可能になるとは思われません。(同前 195~196p:Eはエリボン、L=Sはレヴィ=ストロース)

⑦ E『神話論理』のような長大な著作を、人間の営みの最後に残るものは「無」である、というような覚めた確認で終わるのは、ほとんど哲学的信仰告白の表明と同じことです。この「無」のなかに、あなたの深い哲学の表現を見ようとする人がいました。
 L=S 私が言いたいのはそれとは違います。私が言っているのは、人間は、人間がいつまでもこの地上に存在し続けるのではないこと、この地球というものもいずれは存在しなくなるだろうということ、そしてその時には、人間が作りだしたすべてが消えて何も残らないだろうということを十分知ったうえで、それでも生活し、働き、考え、努力しなければならない、ということなのです。ですからそれは全然違っています。
 あなたのおっしゃったように、私の「深い哲学」は、いま言った矛盾にぶつかり、それを承服するのです。その一方で、私は科学的認識に信を置いています。物理学者や生物学者から学んだものすべてが、私の心を熱くしてくれます。それ以上に私の思考を刺激してくれるものはありません。同時に、どんな問題もそれが解決されると、あるいは我々が解決されたと思うと、すぐに新しい問題を提起するものであり、これは永遠にそうだという風に私には思われます。ですから、我々人間の思考能力は現実の世界に適応していないし、これからもそれは変わらないということ、現実というものの奥底の本性は、それを表象しょうとするあらゆる努力の手に届くものではないのだということを、我々は日々ますます確信するようになるのです。それを我々に最初に教えてくれたのはカントです。しかしカントは、二律背反(アンティノミ-)のゆえに認識能力は決定的に不具であることは承認するけれども、道徳的生活に絶対的根拠を見出せると考えたのです。敢えて言えば超カント主義者である私は、道徳の問題も純粋理性の問題圏内に含まれている、と考えます。道徳もまた、克服し難いそれ自身のアンティノミ-を持っています。いや、道徳のアンティノミ-は純粋理性以上です。なぜなら、現在、科学的認識が無限大と無限小のことがらについて、パスカルが想像した以上に深い深淵を我々に描いて見せてくれていますが、それはとりもなおさず、我々人間の無意味さを示してくれているからです。人類が消滅し、地球が消滅しても、宇宙の歩みには何の変化も生じない。そこから究極のパラドクスが生まれてきます。我々の存在の無意味さを教えてくれるこの最後の認識が本当に有効であるのかどうか、我々はそれを確実に知ることができない、というパラドクスです。我々は自分の存在が無であること、あるいは大したものではないことを知っているのに、この我々の知が本当に知であるのかどうかは、もはや知ることができない。宇宙が思考よりはるかに大きなものであると考えることが、思考自体を疑問に付すのです。このパラドクスから抜けでる道はありません。(同前 289~290p:Eはエリボン、L=Sはレヴィ=ストロース)

引用①は先史時代であれ、現代であれ、その時代を生きる人がその社会とのあいだでとりもつ迷妄の度合いは不変であるというわたしの考えと似ています。現代が先史時代より開明的であるということはないのです。そのことをレヴィ=ストロースは言っています。
その上で文句があります。レヴィ=ストロースのこの思想の方法は対象と徹底して距離を取り、俯瞰するという視線ぬきに可能とはなりません。つまりレヴィ=ストロースの記述は権力の行使です。もしこのブログを読む人がいると仮定しての話ですが、わたしの言うことがわかりますか。ここは知にとって決定的な場面です。おわかりになりますか。
わたしたちの生きている現実は良識に反するようなことで充ち満ちています。古代の禁制が歴史の時間を潜ることで賤視観念が生まれました。もちろんこのことをレヴィ=ストロースは理解するでしょう。しかしその理解は事態に超然とすることと同義です。それがかれの学問です。彼の思想には空間化された歴史はありますが、ひとりひとりの生に内属する時間はありません。代数的構造として同型であるということは表現の時間を捨象してはじめて成り立つ概念です。それは生の形骸にすぎません。わたしは同一性こそが権力の源泉であるように思います。

引用②は近代科学によって主観と客観が分離したと言われることです。デカルトの人間機械論をあげるまでもなくこの矛盾を解こうとさまざまなことが試みられました。困難を分割する精密科学は分子や素粒子まで細分化し、それらの相互の関係を記述しようとしています。
引用③などはライアル・ワトソンの『生命潮流 – 来るべきものの予感』やG・ベイトソンの『精神と自然』を澎湃とさせます。

引用④ですが、レヴィ=ストロースの科学にたいする楽観論は裏切られつつあるとわたしは理解している。部分と全体を往還する科学は脇に追いやられ、要素還元主義がますます盛んです。というかそれ一色です。ここにも同一性が対象に落とす深い影を感じます。

引用⑤はレヴィ=ストロースが提示した婚姻の規則のデータをアンドレ・ヴェーユが群論をつかい定式化したという有名な話です。ずっとむかしに遠山啓の『代数的構造』を手書きで筆写しました。小説を読むのと数学を理解するのは違います。剣道の本を読んでも剣道の基本はできません。数式を手書きでいちいち追っていくことは剣道の素振りに似ています。手を動かさないと数学は理解できません。アインシュタインの特殊相対性理論はていねいになぞっていけばだれでも理解できます。

そのころ数学にとても関心がありました。ブルバキにしてもレヴィ=ストロースにしても、構造を扱いますが、それがなにであるかは問題としません。あるものとべつのものの関係の型だけを抽象するのです。その源流はヒルベルトにあります。かれの『幾何学の基礎』を読んだとき、美しいと思いました。カントールの無限の濃度という概念も鮮烈でした。発想がとても斬新だったのです。証明すれども我信じられずとカントールは言いました。証明の手続きは無矛盾なのですが、証明された内容はわたしたちの五感に背くのです。ヒルベルトも無定義語でわたしたちの感性的自然を切断したのです。衝撃でした。同じ頃にフロイトはエスを発見してたじろいだのです。知の大転換が起こったのです。むかし書いた文章を再録します。

 われわれは三種の異なるものの体系を考える。第一の体系に属するものを点といい、A、B、C・・・で表す。第二の体系に属するものを直線といい、a、b、c、・・・で表す。第三の体系に属するものを平面といい、α、β、γ、・・・で表す。・・・・われわれは点、直線、平面をある相互関係において考え、これらの関係を〝の上にある〟〝間〟〝合同〟〝平行〟〝連続〟などの言葉で表す・・・・(『幾何学の基礎』)

 幾何学に革命をもたらしたヒルベルトの『幾何学の基礎』は冒頭でこう始まる。いわゆる無定義語というものである。この思考はぼくにとって斬新だった。ここには明確にユークリッド幾何学からの飛躍が語られ、このようにしてヒルベルトは自然を切断した。
 ヒルベルトの数学では無定義語から出発した公理系はユークリッドの公理系とちがって、その公理群が実在の世界をどのように抽象しているのかということは問わない。そういう意味で彼の公理系はまったくひとつの仮説である。

 そこでは公理系が内部矛盾を含むか否かということだけが問題となる。つまり内部に矛盾を含まない整合性をもった系が演繹されるのである。カントールが数学の本質は自由にあるといったように、カントール、ヒルベルト以降数学の世界は内部的に無矛盾な整合性をもつならばどのように記述されてもよいことになった。
 ヒルベルトはひとつの仮説(記号の形式的な系)によって自然を切断した。しかしそれにも関わらず、ユークリッドの幾何学を包摂し、アインシュタインは相対性理論にリーマンの幾何学をつかった。だいいちリーマンは彼の球面幾何学が自然をどう内在するかなどという問題意識をもともともたなかった。自然からとおく離れた数学が人間のプリミティブな感性を写像することの不思議がある。

 ヒルベルトにとって「ある相互関係を考える」ことは「空間的直感を論理的に解析する」ことだった。様々に変奏をうけながら対象となる事象を「ある相互関係」において解析することは構造主義やポスト構造主義に受けつがれた。(『内包表現論序説』367p)

カントールの無限もフロイトのエスも思考の発明です。誕生してまだ1世紀です。どちらももっとも上位の概念に同一性が深々と鎮座しています。アインシュタインの一般相対性理論も同一性を暗黙の公理として使っています。数学についてわたしは当事、シンプルでなんの汎用性があるわけでもないのですが、数学基礎論に関心があり、基礎論学者の倉田令二郞さんに手ほどきをうけました。令二郞さんのでデビュー作が『数学基礎論序説』だったので、敬意を表してわたしのそれを『内包表現論序説』とした経緯があります。

人間の生みだしたすべての観念を一つの球体に比喩すると数学的な観念はどの領野にどういうふうに位置しているのだろうかということに若い頃に関心があったのです。抱え込んだ殺伐とした日々にそういうことを考えていました。
引用⑦で、レヴィ=ストロースは「私は科学的認識に信を置いています」と語っています。かれは自分は科学について素人だと言っていますが、ほんとうに科学音痴です。間違った科学の観念に囚われています。熱い社会と冷たい社会を行ったり来たりしながら日々を過ごしているとも言ってます。好意的に解するとかれの科学愛好はその頃わたしが考えていた再帰的な公理系の数学に似ているという気がします。
以下むかし書いた文章を貼り付けます。ながいので::::::::::::と:::::::::::で挟まれたところは読み飛ばして下さってけっこうです。「起源論」の一部です。奥行きのある点ということを考えていました。志賀浩二の再帰的公理系の数学は魅力的です。あまり大胆なのでそれから長い年月が経ちましたが、概念としては成長してなさそうです。複雑性の数学はまだ停滞していると思います。マンデルブローはどうなった?

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
 ところで「点」というイデアとともにもうひとつ数学には「相等性」というおおきな概念がある。対象空間を「不変」とみなす数学的実在に支えられて、「相等性」という概念のもつ徹底性は緻密な論理空間を外延し、反作用として概念からくる強い制限を受けることになる。「相等性」から「非相等性」への数学の可能性の予見がチラッと志賀浩二をかすめている。

 数学はさまざまなレベルで、等しいものは認めるという世界をつくりました。不等式は別だけれども、等号の関係はある意味で自らの世界を限定していくという働きがあるとも言える。だから完成した世界、完結した世界のなかでしか成りたたないリレーションとなってしまいます。そういうものはいつまでも変わらずに残るでしょう。しかし、そういうものが数学の中心的な位置を保ち得るかどうかは、見直されることになるかも知れない。つまり、不等式がむしろ本質的であるというふうになるかもわからないけれども。(『3 確率論をめぐって』)

 もうすこしゆるい論理の表現形式がないかとかえりみるとき、じつは「自己同一性」に拠る思想からの離脱可能性を熱望している。なぜ自己相等という観念が可能となったのか。たぶんそれは人間の形態の自然からやってきた。ここに人間の観念の運動の核となるものが潜んでいる。
 もちろん僕は数学のことではなくじぶんのことを考えている。西欧近代の自我・自己・主体(いずれの言い方をしてもさして変わりばえしない)と自我・自己・主体に閉じられた複数の「私」をつなぐものがひとびとによって「社会」といわれているものであり、そこでは知識人と大衆という対位が彼岸の共同体を夢想して「私」と複数の「私」との間の溝を埋めると仮構された。この理念は知や富が公平に分配されることを自然の必然とみなした。知の彼方の非知に存在する大衆の像が、つまり知と非知のあいだにはたらく見えないはりつめた緊張が、社会や歴史の輪郭をえがくと思想は自身を考えた。西欧近代以降いままで人間はこういう観念の型(あるいは抽象)しかもちえなかった。そしてこの知の型が終焉した。この思考の元型はヘーゲルに発祥をもつと象徴的に言うことができる。
 吉本隆明は「私」と複数の「私」に、それぞれ自己幻想と共同幻想という概念を与え、それらふたつの観念のあいだに逆立する関係を見いだした。僕はふたつのひとつというメビウスの性が振動して、その振動のふくらみがポコッと〈わたし〉という輪郭をつくり、内包自然が共同幻想を巻き込み包むと考えた。僕はこうして吉本隆明の思想を拡張した。つまり自己幻想と逆立する共同幻想はまるごと内包自然に包まれ、知と非知のあいだで矛盾や対立や背反する緊張を内包自然という概念が包み、知と非知のあいだの緊張やしこりはメビウスの輪のしなりの共振によって熔けてしまうことをあきらかにしてきた。

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 ここで志賀浩二の玉手箱の蓋をあけてみる。童話のような数学への憧れが言われている。数学が人間の精神の空漠にどんな物語を刻んだのか、そこまでもうすこしだ。

 点について言うと、前から不審に思っているのは、カントルの集合論が整列順序集合を捉えたときに、二級順序数とかの方向で先へ先へと進んだでしょう。なぜ実数の奥の方へ行かなかったのだろう。誰もそっちの方を考えなかったようですね。つまり無限小数展開というのがあるでしょう。その先にまた小数をどんどん付け足して、点がどこまでも奥へ奥へと進むという考えが一度くらい現われてもよかったのではないかと思うのです。なぜカントルの思想はそちらの方へ進まなかったのか。カントルの二級順序数は、ぼくらのイメージのなかでは、横へずっと大きくなって走っていくという感じですよね。直線の奥のほうへ行くという思想が一度も育たなかったし、生まれなかった。-それはなぜか。それがぼくにはよくわからない。(『2 数学を育てる土壌』)

 若いころからずっと感じてきたことをいきなり言われてくらくらした。数直線を左右に振動する実無限の数概念は空間の広がりをもたらしてはくれるけど、どこかしら平板だという感じをいつも抱いてきた。この感じは平面のX-Y軸にたいしてZ軸を立て奥ゆきをつくることでは解消されない。ましてZ軸にたいしてもうひとつ次元つけくわえ時間という奥ゆきの表現軸を設けることでもスッキリしない。この次元の並列のさせ方が線形なのだ。形態の自然に観念のはじまりのヒミツがあって、悠遠の太古、人間は形態を疎外することで初源の観念を獲得したと考えると、奥ゆきを空間として表現するのが人間がつくった観念の自然だから、次元をひとつずつくわえていくことで奥ゆきを表現するということはよくわかるけど、平板さが順延されて先送りになる感じにとらわれる。点というイデアはまだ半分しか実現されていないのではないか。うむ。
 数学のもつすさまじい抽象力や切断力の鮮やかさにおどろかされながら、いつも数学の形式論理に或る種の窮屈さや平板さを僕は感じている。これはいったいどういうことなのか。ここがよくわからない。「直線の奥のほうへ行くという思想が一度も育たなかったし、生まれなかった。-それはなぜか。それがぼくにはよくわからない」と言う志賀浩二も、僕の理解では、たぶんここにひっかかっている。
 奥ゆきとは、じつは、かくれんぼして行方をくらました〈時間〉のことなのだ。素人の遠吠えといって一蹴されてたまるか。つまり数学の表現論の根底に関わる、数学は時間をどういうふうに表現しているのかという、とんでもないことに突き当たっているのだ、ほんとうは。
 もうひとつ思うことがある。水平や左右に振動する点という概念から奥ゆきのある点や垂直に運動する点という概念への跳躍を考えることは、いいかえれば領域という点の可能性を問うことは、数学が自己意識をもったに等しいことを指しているということである。つまり数学は自分の容姿についてあれこれ考えはじめる。このとき数学は無限という人間の精神の空漠に出会うことになった。無限という怪物に直面して数学はじぶんを入れている器についておもいをめぐらす。無限はそのままでは輪郭があいまいで数学の対象にはなりえない。ともかく、無限という新しい自然に跳躍するために公理の網をかぶせよう、数学はひとりでにそういうことを考えた。
 僕たちは精神があることもこの空漠にかぎりがないことも知っているけれど、そのままでは物語がつくれない。だからいくつかの自明で確からしい言葉の群を撚りあわせて精神の物語を織りあげる。マルクスは人間と自然の相互の組み込みを価値論として抽出して「経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解」しようと資本の物語を造形し、フロイトは人間の精神の伸縮をエスやリビドーや超自我といったいくつかの概念のモデルをつくることで精神分析という還元的な性の物語を採譜した。おなじように数学は数学の無限のモデルを彩色する。こうして無限をめぐる物語が散乱し、いちように現代へと雪崩込む。

 無限というのは、単に無限があるというだけでは数学にはならないし、そして本来は観念的で不安な対象だから、ある枠組みを設定する。公理を設定し、そのなかで扱えるものなら、公理から演繹されることであって、一つの世界ができ上がる。(『4 数学のおもしろさ』)

 こうして無限に被せられた数学の公理は表現の時間を陰伏して対象空間を線形に抽象し代数化する。ここに「構成的」という数学の理念がしだいに姿をあらわしてくる。これは一種の自家中毒だから神経症の症状を帯びてくるほかない。数学は考える。じぶんはいったい何をやっているのだろうか?

 数学は無限というものを取り込んだ。しかし、どうして数学の公理系だけは有限個の公理でつねに規定されているのだろうか。たとえば再帰的(recursive)な公理体系は考えられないのだろうか。(『2 数学を育てる土壌』)

 わかりやすい言葉でこなれた言い方をする志賀浩二に感心しながら、やっと現代の神経症の時代にやってくる。志賀浩二は「公理自身が次の公理を設定し新しいシステム作る」ことを「再帰的な公理体系」と呼んでいる。

 では再帰的な公理系というのはどういうところから必要性が出てくるのかというと、バイオとか生物学に数学を適用するときなんです。生物というものは細胞が死ぬとまたつねに新しいメカニズムによって変えられていくわけでしょう。不要なものは捨てられ、必要なものはむしろ増殖する。そういうときに、システムが完全に閉じた、固定された有限の公理系では生物学は記述しえない。(『2 数学を育てる土壌』)

 この「再帰的な公理体系」を数学が可能にするなら、「構成的」という理念は動態化され、ギリシア以来の有限個の公理に閉じられた数学は非線形現象の原理の方へとひらかれるだろう。およそ志賀浩二はこういったことを言っている。
 遠山啓も志賀浩二と似たことを予感していた。「構造は、建物を理解するのには都合がいいが、生物の現象を理解するのにはどうしてもかたよってしまう。生物は変化している。こういった点で、やはり空間的であって、しかも、時間的であるような、両方をかねているような概念が新しく生まれてくる必要があるのではないか。そうしないと動的な面がどうしてもおろそかになります」(「数学は変貌する」) むかし、このくだりを読んで興奮したことをはっきりおぼえている。今は遠山啓とすこしちがったことを言えそうな気がしている。
 遠山啓は動的な数学を予感し、志賀浩二は再帰的公理系のつくる新しい数学のシステムを予見する。数学の当面する現実が動態化や成長する公理が必要だと考えれば、いやおうなく数学はそちらにむかうだろう。しかしそうやっても、かくれんぼしている時間を手にすることはできないのではないか。僕は遠山啓の予感や志賀浩二の予見にもうひとつおおきな原理をつけくわえる必要があるという気がする。それは点というイデアが実現したものはじつはまだはんぶんではないかという僕の直感からやってくる。
 対象空間の均質性や不変性を数学的実在の地と考え、点というイデアを究極の観念としてどこまでも外延し、相等の理念を容赦なく空間に伸張しながら精神の空漠を公理によって押し切っていくこのうえなく緻密な数学という精神の学がともかくある。でも数学はなにをやっているのだろうか。ひとはどうやって点というイデアを発見したのか。はて、〔点〕~〔1〕~〔私〕はどこか似ている。(『内包表現論序説』430~433p)
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読み飛ばされた方はここからレヴィ=ストロース論をお読み下さい。ながい引用を飛ばしてもつながります。
引用⑥で、レヴィ=ストロースは生命科学の進展を賞賛しています。言語のコードと遺伝子のコードはおなじ性質をもっていると言います。ここに絡めて言うと、わたしはこれからの社会はほつれてしまった人権をさらに外延化することでその修復を図ると予測しています。レヴィ=ストロースが言語と遺伝子が同じ機能をもっているというとき、かれは言語を遺伝子に外延することができるという前提を設定しています。そういう意味ではかれの言明はすぐれて現代的です。ハイテクノロジーとグローバリストと相性がいいと思います。

かつてヒトゲノムの解読が完了したときパンドラの蓋がひらかれたと多田富雄は恐慌を来しました。パニックに陥ったのです。2000年11月9日号の夕刊読売に書いています。
1 人体のパーツ交換が可能になる。
2 人の欲望に火を注いだ。この流れは止まらない。
3 基本的人権はヒトゲノムの完結性と安定性にある。
そしてつぎのように発言しています。
「私は、ゲノム情報から生まれる科学技術をコントロールできるのは、ゲノムを基礎において考える哲学以外にないと思う」と述べ、「ゲノムの完結性や安定性の側から、人間存在や基本的人権などが再定義され、人間を人間ならしめているものの素性」をあきらかにすべきで、これが唯一遺伝子工学の暴走にブレーキをかけうる方法なのだと言いました。妄言というほかありません。典型的な文化人の言説です。
人の固有な生が損なわれているのにゲノムで人権を語れば修復されるというのか。そんなバカな話はない。レヴィ=ストロースの科学への楽天性も同じ匂いがします。

偉大なレヴィ=ストロースという知性に宿った科学への牧歌的信仰がなにに由来するのかしきりに考えました。引用⑦で科学的認識が無限大や無限小を扱うようになり、深い深淵を示しているとレヴィ=ストロースは言っています。レヴィ=ストロースの科学についての認識はズレています。

科学は人間の精神現象のひとつの枝にすぎません。その母胎を成すものは生きているということです。この幹から人の精神現象が生まれました。それは1と1を足すと2になるくらいにたしかなことです。脳を台座として人の思考は生じています。これもたしかです。自己の個人という位相をはじめから突き放して客観物として観念を語ります。そうすれば科学的認識の深淵は実在ということになります。この認識の前では人間の存在は無意味になるほかありません。レヴィ=ストロースの最初の問いがニヒリズムを招き入れるのです。

「人類が消滅し、地球が消滅しても、宇宙の歩みには何の変化も生じない。そこから究極のパラドクスが生まれてきます。我々の存在の無意味さを教えてくれるこの最後の認識が本当に有効であるのかどうか、我々はそれを確実に知ることができない、というパラドクスです。我々は自分の存在が無であること、あるいは大したものではないことを知っているのに、この我々の知が本当に知であるのかどうかは、もはや知ることができない。宇宙が思考よりはるかに大きなものであると考えることが、思考自体を疑問に付すのです。このパラドクスから抜けでる道はありません」、と。この問いそのものが空無なのです。無限小も無限大も、人類や地球の消滅も、閉じた思念の戯れです。なぜこの問いを跨ぎ超さない。

宇宙が思考よりおおきいということがありますか。宇宙は思考の産物です。多元宇宙も多次元宇宙も理論物理という精神現象のひとつの説明にすぎません。ホーキングの宇宙の始まりには境界がないという「無境界仮説」も、ビレンケンの「無からの宇宙生成説」も思考の産物です。ホーキングもビレンケンも自分の頭のなかをのぞき込んでいるだけです。レヴィ=ストロースの科学観は硬直しています。わたしはむしろさまざまな科学は思考に収斂すると考えています。わたしが死んでもこの宇宙は存在しつづけるという観念があるだけのことです。こんなこともわかっていないのかという驚きがあります。なんだかれが冷たい社会を研究して得た文化相対主義とはそれ程度のものかという落胆もあります。

レヴィ=ストロースを襲った厄災がかれの生涯を根底から変えたというとき、レヴィ=ストロースはなにかを断念し封印したのだと思います。本質を問うことはせずに、関係の型だけを抽出するという思想をかれは選びました。生きることはいくつもの偶然にあざなわれています。しかしかれはそのなかに必然を観ることができませんでした。もちろん必然は自己同一性を意味します。ここが思考の限界ではないのです。この先にはるかにおおきなひろがりと深さをもつ世界があります。やがて人類は死滅するという半端な理念は、同一性の彼方に思考を進めることへの断念からきているように思います。そして断念し切れていないのです。本質を問うほどに人間は善きものではないという諦念がレヴィ=ストロースに内在しているように感じます。ハイデガーの「地球の表面に貼りついているあの一群の愚鈍な生きもの」という言葉を思いだしました。なにか似ています。レヴィ=ストロースは思想家というより芸術家であるようにわたしには見えます。

    4
レヴィ=ストロースとは何者かと考える。精神に傷を負い非西欧的な文明を渉猟した知の探索家。未開種族の婚姻関係と親族組織を、女性を交換財とみなすことで関係の型を外延化して一枚のタブローを描いた芸術家。かれは一体何者か。サルトルとの論争でそれを探ってみる。ここにはいまに通じる状況的な課題がある。レヴィ=ストロースという反人間主義の仮面がはずれています。厄災の該当者であるレヴィ=ストロースが剥きだしになっています。そこをとりあげます。

 L=S 彼の思想はその時代のイデオロギー、彼の生きた時代の知的環境のイデオロギーに根を張っているのです。彼の思想を神話的文脈―今の場合はフランス革命の神話なのですが(と言うのも、我々の社会では一七八九年の革命は本当に創世神話の役割を果しているのですよ)―のなかに位置づけてみるということは、彼の思想を普遍化する代わりに相対化するということになるでしょう。
 E サルトルが提起した問題のなかには、確かに、フランス革命とフランス史におけるその創世的役割の問題がありました。それが重要な事件であったことは、少なくとも、あなたもお認めになっておられるのでしょう?
 L=S 認めるどころではありません。フランス革命はいくつかの理念と価値を流通させ、それらの理念と価値はヨーロッパを、それからさらに世界を魅了したものです。それはフランスに一世紀以上にもわたって特別の権威と栄誉を与えたものでした。しかしながら同時に、西洋を襲った何度かの破局の原因がそこにあったかもしれない、と考えることは許されるでしょう。
 E どういう意味で、ですか?
 L=S つまり、人々の頭のなかに、社会というのは習慣や習俗でできているものではなくて、抽象的な理念に基づいているのだという考え、また理性の臼で慣習や習俗を挽き潰してしまえば、長い伝統に基づく生活形態を雲散霧消させ、個人を交換可能な無名の原子に変えることができるのだという考えをたたきこんだからです。真実の自由は具体的な内容しか持つことができません。小さな範囲の帰属関係と小さな団結がうまくバランスをとっている、その均衡状態から自由は成り立っているのです。これを、理性的と言われる理論的思考は攻撃するのです。それが目標を達成した暁には、もはや相互破壊しか残っていないのです。その結果を我々は今日見ているわけですよ。(同前 213~214p)

えぐい言葉の立ち位置をレヴィ=ストロースは語っています。フランス市民革命への警鐘と二度の大戦とナチへの批判が込められている。それは諒解できる。そしてレヴィ=ストロースのこの発言は移民社会の矛盾と中東の混乱と殺戮も射程に入っている。それでもシモーヌ・ヴェイユの言葉とは違う響きがあります。おそらくレヴィ=ストロースは個人的な体験と歴史の事象をどこかであいまいにつなげているのではないか。かれの言説がどこか機能主義に感じられるのは、かれがかれ固有の生に垂直に屹立する時間をつかむことができなかったことに由来するとわたしは考えています。どうしてもレヴィ=ストロースの理念は空間的なのです。ここはとても肝心だと思います。

「理性の臼で慣習や習俗を挽き潰してしまえば、長い伝統に基づく生活形態を雲散霧消させ、個人を交換可能な無名の原子に変えることができるのだという考えをたたきこんだ」、その理念がその危うさをもつということを認めても、レヴィ=ストロースの考えでは賤視観念はなくなりません。長い伝統に基づく生活形態の均衡状態に自由は成り立っているとレヴィ=ストロースは主張します。閉鎖共同体の迷妄がそこにあります。賤視観念でさえ生活の知恵となります。レヴィ=ストロースの考えでは社会は停滞したままです。人間の意志ということについてわたしとレヴィ=ストロースでは根本的な違いがあります。そうです、根本的な違いです。

レヴィ=ストロースには「私の生涯を根底から変えた」厄災の体験があります。ホロコーストの直接の関係者です。わたしはそれを該当者と呼んでいます。かれはまぎれもなく出来事の該当者です。しかし該当者であることと当事者であることのあいだには千里の径庭があります。それは深淵によって隔てられているのです。そのことがレヴィ=ストロースにはわかりませんでした。当事者として世界に関与することをわたしは〈意志〉と名づけています。この〈意志〉を括弧に入れることで構造主義という理念は成り立っています。フーコーにおいてもそうです。
やっとここで構造主義という思想とわたしの内包論が切り結びます。このノートの初めで吉本隆明の大衆の原象に触れました。時代の制約のなかで吉本隆明はかれの意志を語っています。若い頃わたしはかれの思想に深い共感を覚えました。内包論のなかで彼の思想を拡張しようとしています。大衆の原象ではなく生の原像を語ればよかったのにといまは思います。

意志を括弧に入れる外延論での必然性がレヴィ=ストロースにもフーコーにもあったことは諒解できます。のうのうと実存主義を語るサルトルとべつものであることも諒解します。時代の厄災の必然としてレヴィ=ストロースもフーコーも意志を括弧に入れて世界を語りました。吉本隆明は自己の意志から発して世界を語りました。そこでは自己の意志と共同の意志は逆立と背反をすると考え、それが世界へ関与する根拠になると吉本隆明は考えようとしたのです。そのことはよく理解します。しかし吉本隆明の渇望とは異なり、外延表現の必然として自己幻想と共同幻想は同期します。それが外延表現の自然です。

まだ世界は開示されていないと内包論では考えています。世界はこれからだと内包論では考えます。レヴィ=ストロースの指摘した「西洋を襲った何度かの破局の原因」は過去のことだけではなく、極めて現代的な問いかけでもあります。これから迎えるこの世界とこの国の狂乱怒涛を先取りしています。フランス市民革命の理念は「個人を交換可能な無名の原子」まで還元してしまい、「相互破壊」をもたらします。その現在にわたしたちは立ち会っているのです。基本的人権や生存権を遺伝子レベルで再定義することは無意味です。それはたんなる同一性の外延化にすぎません。空理空論です。気安めにもなりません。
千里の径庭によって隔てられた該当者性と当事者性はどうやれば埋まるのでしょうか。どれだけ自己を語ろうと共同性を語ろうと、そこをどんなに繕っても、なにも変わりません。そのことをわたしたちひとりひとりはすでに実感として生きています。
どうすればいのか。自己を領域化すればいいのです。領域化された自己は、自己でも共同性でもありません。それ自体としての領域です。ここを基点に自己と共同性をめくり返し包めばいいのです。内包論ではこのあり方を根源の性の分有者と名づけています。そこに意志の発露があるとわたしは考えています。

レヴィ=ストロースは親日家ですが、かれが日本を語る語り口はこの国に触っていません。ということはかれの未開種族を探索した文化人類学がそれ程度だと言うことです。なぜここまで日本を褒めあげるのか理解できません。レヴィ=ストロースが日本の特質や美質と賞賛するとらえ方はこの国に暮らす者にとってはアジア的停滞というほかないことなのです。かれの理解では賤視観念でさえ長い伝統をもつ島国の住民の生活の知恵となります。そんなバカな、と思います。それほど西欧は上位にあるのです。日本を内在的に捉えることはかれの機能主義の言説ではとらえることができません。民族学が植民地主義とともに生まれ、西欧の犯した最大の罪だといくら言っても睥睨する者の言説です。

 E 日本のどういう点に惹かれるのですか?
 L=S 古い文化を持っているということですね。それがフランスと驚くほどに対照的なのです。対照と言っても、まるで反対の対照なのですよ。日本がユーラシア大陸の東の端であるということ、フランスがその西の端であるということを忘れないでください。この両国は、何千年もの間人々が住み着いている広大な領域、多くの人間たちが、またさまざまな思想が、絶えず往来してきたそのユーラシア大陸という広大を領域の両端に陣取って、まるで反対側を向いているようなものなのです。歴史上に展開された変化の系列の両端をこの両国に見出した気がします。
 E 近代の日本には関心がないのですか?
 L=S いや関心は持っています。いずれにしろ、それを無視するわけにはいかないでしょう。しかしこの近代日本に対する関心というやつも、現在をその遠い過去に結び付けて考えるのでなければ起こらなかったと思いますよ。
 自然も私の重大関心事です。とくに日本の自然は―日本は国土の四分の三が人の住んでいない土地ですので、よく人はそのことを忘れるのですが、素晴らしく美しい自然の光景を見せてくれるのです。さまざまに異なった光景を見せてくれるという点では、日本の自然も他の国の自然と同じことです。しかし、ヨーロッパやアメリカでは、風景のある一つの構成要素、というのはつまり植物相のことですが、それ自身が多様なのです。ボードレールも「多様な植物」と言っている通りです。ところが日本では、風景の多様さは、杉の木、竹、茶畑、水田というようないくつかの規則的な構成要素から生み出されているのです。その形態からいっても色彩からいっても、日本の風景はヨーロッパのものよりも濃密で、あくまでも豪奢なのです。
 日本に行けば、歴史遺物や風俗と同じほどに私は樹木や草花にも関心をもって見ました。しかし、草も木も、さらには石でさえも、生命を付与されたものであるというのは、日本人の古くからの宗教感情の精髄ではないでしょうか? 日本が私にとって魅力ある国である理由の一つは、そこでは高度に発展した文学・芸術・技術からなる文化が、ずっと古い過去の時代に直接つながっているということが感じられるという事実にあるのだと思います。古い時代ということになれば、民族学者にはなじみの世界ですからね。(同前 167~168p)

ここを読み返してわたしは愚弄されている気持ちになりました。天皇制を遙かなる東洋の叡智と言った白川静なら喜ぶでしょう。2011年3月11日の東北大地震のとき、暴動も略奪も起こらないことが美しいこととして報道されました。レヴィ=ストロースの親日は典型的なオリエンタリズムでフジヤマ芸者の世界です。旅行者の眼差しです。外側からなぞっているだけでそこに生々しく生きている人々の生はありません。どうしてこういうことになるのか。なぜこれほどまでにずれるのか。

このずれはレヴィ=ストロースの思想の方法の欠陥に帰することはできないと思います。比喩として言えば、世界を語るとき、文学と政治という外延表現に制約されているということです。内面があり、それとはべつに制度や共同性があるという拭いがたい迷妄に囚われているのです。曰く言いがたい内面という擬制と、公共性という擬制を包む思想や言葉をつくりえていないということが根因だとわたしは思っています。該当者性は当事者性とは違います。おそらくレヴィ=ストロースは該当者性を空間化したのです、意志を括弧に入れることによって。
当事者性ということのほんとうの意味は自己を領域化することでしか生きることはできないと思います。生を拘束する同一性の彼方へ。わたしたちはまだ進みつづけます、ゆけるところまで。

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