日々愚案

歩く浄土101:情況論25-総アスリートから総表現者へ11-内包自然と総表現者5

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自己を実有の根拠とする外延知のもとでは、対象と対象を論じる言葉とのあいだには、あるいは表現と表現主体とのあいだには必然としてすきまが生まれる。このすきまを抽象化された一般性へと昇華すると国家となり、内面化すれば文学や芸術というものになるが、意識の型としては同型である。もっとシンプルに言えば生の不全感は国家を不可避に造形するといってよい。また、あらかじめ内面に彫られた社会的なコーディングをなぞることが文学や芸術や思想ということになる。フーコーはつぎのように言っている。「このような〈主体〉の非根底的・非根源的性格こそ、構造主義者と呼ばれた人々に共通のものだった。それが先行世代にとって、極めて不愉快なことだったわけですが、ラカンの精神分析にせよ、レヴィ=ストロースの構造主義にせよ、バルトの分析、アルチュッセールの仕事、あるいは私の仕事にせよ、私達はすべてこの一点については意見が一致していた。すなわち、デカルト的な意味での〈主体〉、そこからすべてが生まれてくるような根源的な点としての〈主体〉から出発してはならない、ということでした。そして第三には、〈主体の解体〉を通じて、ニーチェへと導かれたということです」(『哲学の舞台』50~54p)

戦後を出発するにあたって、観察する理性によってさまざまな解釈が試みられた。「根源的な点としての〈主体〉から出発してはならない」とする観察する理性の者たちの知が勃興したのはかれらが戦争体験にうちのめされたからであるとわたしは理解している。戦争の惨禍とマルクス主義が重い大気の層をなしていた。「関心を持つのは〈永遠なるもの〉、〈動かぬもの〉、外見の輝きの変化の下に〈変わらずにいるもの〉ではない。私が関心を持つのは、〈事件〉です」「『われわれは何者か?』という問いと、『今、何が起きているのか?』という問い、この二つの問いは、伝統的な哲学的問いである『魂とは何か』とか『永遠とは何か』とかとは大いに異なるのです」(前掲書23p)とフーコーが言うとき、フーコーの問いの立て方は先行する世代の規範化した思考にたいする反発が対抗的に語られている。これは戦後西欧哲学のおおきな特徴だと思う。ヘーゲルの巨大な知が息苦しかったこと、ヘーゲルの弁証法でも、その弁証法を経済論に移植したマルクスの思想も、戦争という現実の前に手も足も出なかった。そこからかれらがさまざまな知を散乱させたことは事実だが、先行する世代の哲学者たちと意識の呼吸法はまったく同一であった。世界の無言の条理に挑んだのはわたしの知るかぎり、アーレントやヴェイユやレヴィナスだった。ラカンのどこが斬新か。精神を解剖する手つきが器用なだけでその業績によってあらたな知の位階制に君臨しただけではないか。艶やかに知を舞うだけで、なにも変わらない。わたしのみるところではかれらの華麗な知はヘーゲルやマルクスを超えるものではなく、根源的な問いを知的にはぐらかし、世界に無言の条理があることを消去することで困難な問いを回避しているようにみえた。そうじてかれらの主体の解体は知的な表層言語だった。概念として自存するものではない。

ヴェイユの言葉を挿入すれば主体の解体という乱舞する知はいちころだ。「記号と記号であらわされるものとの関係が失われたので、記号同士のいたちごっこが記号そのもののために記号そのものを用いておびただしく繰り返されている。そして、複雑さがますます募るにつれて、記号をまた別の記号であらわさなければならなくなり・・・・・」「集団的思考は思考として存在しえないので、事物(記号、機械・・・・・)のなかにはいりこんでしまう。そこからつぎのような逆説が生まれる。思考するのは事物であり、事物の状態に追いこまれた人間が思考するのだ、という逆説」「集団的思考などはまったくない。そのかわりに、われわれの科学は技術同様集団的である。専門化。われわれは結果だけではなく、よくのみこんでいない方法まで相続する。それに、結果と方法とは切りはなせない。なぜなら、代数学の結果がほかの諸科学に方法を供給するのだから」(『重力と恩寵』253~254p)ヴェイユの言葉はいまも現代科学にたいする批評言語として生きている。失われた記号と記号の関係をつなぐためにまた記号が生みだされる。そのさいげんのないくり返し。観念は緻密さを増すが、そこにあるのは壮大な空っぽではないか。主体の限界や主体の解体を唱えながら閉じた信の体系をなしただけだと思う。そしてここがいちばんの要だが、生がきりなく刻まれるだけで、生きられる知はどこにもない。これでは強いAIに負けるぞ。なんどでも言う。主体の解体という文化相対主義で歯が立つほど現実は柔ではない。かろうじて最期にフーコーが到達した〔倫理〕やドゥルーズの〔情動の思考〕が内包的な知の可能性を微かに予感させている。

ほんとうは問いはつぎのように立てられるべきだった。「私が『世界内にあること』、私の『日向』、私のわが家とは、他者に属する土地の簒奪ではなかったのか。(略)再びパスカルを引用しよう。『ここは私の日向だ。この言葉こそが大地全体の簒奪の開始であり象徴である』。したがって恐れとは、いかに意図と意識において悪意をもたなくとも、私の実存することが犯しかねない暴力と殺害に対するおそれなのだ。存在の純粋な固執から清廉潔白な意識のほうへいかに立ち戻ろうとも、この恐れは私の『自己意識』のはるか後方から到来する。この恐れは他者の顔から私のもとへ到来するのである」(レヴィナス『われわれのあいだで』合田・谷口訳185~186p)主体の解体にいそしんだ知者は巧妙に問いをはぐらかし、それにもかかわらず理念の明晰さに溺れている。そんなものは現実をかすりもしなかった。自己に先立つ超越の恐ろしさを知ることもなく、いいかえれば当事者性を放棄することで世界の無言の条理にあらかじめ屈服している。この論断を譲ることはない。

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ヴェイユを読んでいて、ヴェイユの言葉には役割論がないことに気づく。「知識人-大衆」論という「社会」を説明する言葉がない。彼女は観察する理性で世の中を睥睨することができない思想家だった。彼女はだれよりも自分自身にむかって言葉をつくろうとしている。だれがこんなことを言ったか。「二つの善がある、どちらも同じ名称をもつが、根本的に相異なっている。悪の反対としての善と、絶対としての善と。絶対というものにはその反対がない。相対は絶対の反対ではない。相対は絶対から派生したものであり、両者の関係を交換することはできない。われわれが欲しているのは絶対的な善である。われわれが到達できるのは、悪と相関関係にある善である。われわれはそれをわれわれが欲している善であると思いあやまり、そこにおもむく」(『重力と恩寵』268p)ヴェイユの神への渇望はレヴィナスのそれとよく似ている。「なぜ神を放棄してはならないのか。絶滅収容所で神が不在であった以上、そこには悪魔が紛れもなく現存していたからだ」。ヴェイユもレヴィナスも悶絶しながら世界の無言の条理とあらがった。だから若い頃にヴェイユを読んで、言葉がじかに刺さってきたのだと思う。

当時西欧を覆ったナチによるユダヤ人の虐殺。以下の文章にしてもすでに観察する理性の域を超えている。出来事の奥深くで起こっていることをヴェイユはすでに洞察している。

デモクラシー、最大多数の権力は善ではない。これらは、その是非は別として有効であると判断された、善のための手段である。もし、ヒトラーの代りにワイマール共和国が、もっとも厳密に議会主義的な、合法的な方法を通じて、ユダヤ人を強制収容所に送りこみ、巧妙にかれらを拷問し、死に至らしめることを決定していたとしても、拷問は現にそれがもっている合法性以上のものを、いささかでももちえなかったであろう。(勁草書房『ロンドン論集とさいごの手紙』148~149p)

ヴェイユは考えようとしている対象にまるごと没入し、つかもうとする対象がそのまま言葉になる方法をめざした。表現と表現主体のあいだにすきまがない言葉をヴェイユは渇望する。それよりほかに彼女の鋭敏な知性は生きようがなかった。それは痛ましさを感じるほどだった。じぶんを消し無にして恩寵に包まれること、それがヴェイユの望みであり、最期の場所だった。神は不在という形でしか存在しない。在るに非ずだが、在らずに非ざるものとしてヴェイユの恩寵はあった。ほとんど綱渡りの言葉だ。そしてそれは無限小のものとして秩序のなかに挿入される。まるで呪文だ。ヴェイユが「絶対としての善」に向かってひらかれている「匿名の領域」を語るとき、彼女は同胞に起こっている出来事をしっている。自力作善が悪そのものであることをわが身をなぞるように生きた。ヴェイユは、観察する理性ではなく、当事者性に徹することで、そのことが引き寄せるひずみをその根柢でひらこうとした。この思考の限界に果敢に挑み、神の恩寵を手にする。とてもやわらかい感覚で、親鸞の他力の慈悲とおなじだと思う。すでに知識の言葉ではない。しかしヴェイユにはリアルなものとしてあった。
ここでヴェイユの最期の思想に踏み込む。
知識ではないヴェイユの思想を感得した者がいるとする。その者らをヴェイユn1、ヴェイユn2、ヴェイユn3、・・・とする。ヴェイユの思想についての信の共同性はどうなるだろうか。ヴェイユが恩寵に包まれて生きていることはまちがいない。教会という家族の一員になるにはヴェイユは鋭敏すぎた。しかし信の共同性が解けたわけではない。人格の底にある聖なるものをそのまま領域化できたらまだ生きる余地があった。そんなに生き急がなくてよかったんだよ。

人間という現象が心身一如という生命形態の自然をとるとき、外延知は存在を粗視化した同一性としてあらわれるほかない。それがわたしたちの知る自然だ。親鸞やヴェイユはこの外延知を思考の限界まで拡張した。親鸞の他力や横超、自然法爾。ヴェイユの匿名の領域と恩寵。そのなかにいてそこを生きることのできる思想。匿名の領域や絶対の善を渇望しながら現実は引き裂かれる。ヴェイユの言葉をいくつか取りあげる。

一七八九年、全世界に向かって発せられた権利の概念は、その内容が不十分であったがために、それに委託された幾能を遂行することができなかった。(『ロンドン論集とさいごの手紙』4p)

われわれフランス人は、かつて世界中に一七八九年の原理を投げかけた。しかし、われわれがそれを誇りにすることは間違っている。なぜなら、われわれはその時もそれ以後も、あの諸原理に思いをこらすことも、それらを実行に移すこともできなかったからである。(前掲書58p)

権利、諸人格、民主主義的自由を守ることを目的とする諸制度をこえた向こう側に、現代生活の中で不正、いつわり、醜悪のもとにたましいを圧殺するあらゆるものを識別し、絶滅することを目的とする別の制度がうちたてられなければならない。
 このような制度を創造しなければならない。なぜなら、そういう制度はこれまで存在しなかったのだから。しかし、そういう制度がなくてはならないものであることを疑うことはできない。(前掲書46p)

権利を人格を媒介にしたので機能不全となり間違った一般化で可視化され、1789年もそれ以後も諸原理は実行されなかったと言われている。またデモクラシーを超えたべつの制度が打ち立てられなければならないと決意が述べられている。制度はわたしの理解では共同幻想だから、市民主義という共同幻想の彼方にべつの共同幻想がなくてはならないと言うとき、同義反復に陥ることになる。共同幻想にべつの共同幻想を重ねても間違った一般化である可視化と実体化を避けることはできない。ヴェイユは共同幻想をつくらないような人間の関係のあり方はどうすれば可能となるのかと問うべきだった。親鸞の還相廻向である他力もそうであるが、そのままでは歴史や現実の輪郭を描けない。外延知による信の共同性をなくすことができなければ共同幻想はいつまで経ってもなくならないからだ。この矛盾はどうすれば回避できるか。
わたしは外延知を内包知で包めばいいと思う。この考えはわたしの体験知としてあるもので、本を読んで得た知識ではない。体験を通してわが身に起こった知覚であって観察する理性としての知識ではない。広義の〔性〕が親鸞やヴェイユの思想を一気に転回する。ヴェイユのデモクラシーとはべつの制度や親鸞の自然法爾を内包自然で包み込むこと。わたしたちの知る対幻想は往相の性に対応し、往相の性を内在的にたどるとき還相の性があらわれる。還相の性を生きるとき自己は領域として現象する。領域としての自己は外延世界の一人称と二人称を含みもつから、外延世界の三人称は社会や共同性ではなく、あたかも喩としての親族としてあらわれるほかない。もしデモクラシーとはべつの人間の関係があるとしたら、それは制度ではなく、外延的な家族が拡張された喩としての親族となる。

還相の性はだれのなかにもひっそりと無限小のものとして内挿されている。わたしは認識のこの転回においてのみ、はじめて歴史のなかで〔主体〕というものが登場すると考えている。じぶんというもののいちばん深いところに熱く息づく還相の性があり、それはだれのなかにもあるものだから、それを〔主体〕と呼べば、内面化も共同化もできない名づけようもなく名をもたぬ出来事は内包的に表現されることになる。この〔主体〕の連結は制度を疎外しない。またそのことにおいて共同幻想をつくることはない。ここではじめて信の共同性は解かれることになる。還相の性の熱さは環界を内包自然としてかたどり、内包自然からまったく未知の風景がひらけてくる。世界のどんな深いものより深い還相の性から広がってくる世界。ここまで来てはじめて知識人と大衆という権力による生の分割は終焉する。外延知による内面化が生の不全感を生み、外延権力が人の生を引き裂く、わたしたちの知る自然を超えることができる。生と表現は分離することなく、表現が生を包むことになるだろう。人類が総アスリートして世界に組み込まれることが不可避であれば、人類総表現者を、世界への対抗概念ではなく、立ち、歩き、触れ、呼吸する、生や歴史をつくりうるそれ自体で自立する概念としてこれからも主張していく。内包知で生や歴史を語ること。これから〔内包という主体〕が未知の歴史を切り拓いていく。なによりそこには音色のいい風が吹いている。

 

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